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No.28467の一覧
[0] 【R15】コッペリアの電脳(第三章完結)[えた=なる](2013/04/17 06:42)
[1] 第一章プロローグ「ハンター試験」[えた=なる](2013/02/18 22:24)
[2] 第一話「マリオネットプログラム」[えた=なる](2013/02/18 22:25)
[3] 第二話「赤の光翼」[えた=なる](2013/02/18 22:25)
[4] 第三話「レオリオの野望」[えた=なる](2012/08/25 02:00)
[5] 第四話「外道!恩を仇で返す卑劣な仕打ち!ヒソカ来襲!」[えた=なる](2013/01/03 16:15)
[6] 第五話「裏切られるもの」[えた=なる](2013/02/18 22:26)
[7] 第六話「ヒソカ再び」[えた=なる](2013/02/18 22:26)
[8] 第七話「不合格の重さ」[えた=なる](2012/08/25 01:58)
[9] 第一章エピローグ「宴の後」[えた=なる](2012/10/17 19:22)
[10] 第二章プロローグ「ポルカドット・スライム」[えた=なる](2013/03/20 00:10)
[11] 第八話「ウルトラデラックスライフ」[えた=なる](2011/10/21 22:59)
[12] 第九話「迫り来る雨期」[えた=なる](2013/03/20 00:10)
[13] 第十話「逆十字の男」[えた=なる](2013/03/20 00:11)
[14] 第十一話「こめかみに、懐かしい銃弾」[えた=なる](2012/01/07 16:00)
[15] 第十二話「ハイパーカバディータイム」[えた=なる](2011/12/07 05:03)
[16] 第十三話「真紅の狼少年」[えた=なる](2013/03/20 00:11)
[17] 第十四話「コッペリアの電脳」[えた=なる](2011/11/28 22:02)
[18] 第十五話「忘れられなくなるように」[えた=なる](2013/03/20 00:12)
[19] 第十六話「Phantom Brigade」[えた=なる](2013/03/20 00:12)
[20] 第十七話「ブレット・オブ・ザミエル」[えた=なる](2013/03/20 00:13)
[22] 第十八話「雨の日のスイシーダ」[えた=なる](2012/10/09 00:36)
[23] 第十九話「雨を染める血」[えた=なる](2013/03/20 00:14)
[24] 第二十話「無駄ではなかった」[えた=なる](2012/10/07 23:17)
[25] 第二十一話「初恋×初恋」[えた=なる](2013/03/20 00:14)
[26] 第二十二話「ラストバトル・ハイ」[えた=なる](2012/10/07 23:18)
[27] 第二章エピローグ「恵みの雨に濡れながら」[えた=なる](2012/03/21 07:31)
[28] 幕間の壱「それぞれの八月」[えた=なる](2013/03/20 00:14)
[29] 第三章プロローグ「闇の中のヨークシン」[えた=なる](2012/10/07 23:18)
[30] 第二十三話「アルベルト・レジーナを殺した男」[えた=なる](2012/07/16 16:35)
[31] 第二十四話「覚めない悪夢」[えた=なる](2012/10/07 23:19)
[32] 第二十五話「ゴンの友人」[えた=なる](2012/10/17 19:22)
[33] 第二十六話「蜘蛛という名の墓標」[えた=なる](2012/10/07 23:21)
[34] 第二十七話「スカイドライブ 忍ばざる者」[えた=なる](2013/01/07 19:12)
[35] 第二十八話「まだ、心の臓が潰えただけ」[えた=なる](2012/10/17 19:23)
[36] 第二十九話「伏して牙を研ぐ狼たち」[えた=なる](2012/12/13 20:10)
[37] 第三十話「彼と彼女の未来の分岐」[えた=なる](2012/11/26 23:43)
[38] 第三十一話「相思狂愛」[えた=なる](2012/12/13 20:11)
[39] 第三十二話「鏡写しの摩天楼」[えた=なる](2012/12/21 23:02)
[40] 第三十三話「終わってしまった舞台の中で」[えた=なる](2012/12/22 23:28)
[41] 第三十四話「世界で彼だけが言える台詞」[えた=なる](2013/01/07 19:12)
[42] 第三十五話「左手にぬくもり」[えた=なる](2012/12/29 06:31)
[43] 第三十六話「九月四日の始まりと始まりの終わり」[えた=なる](2012/12/29 06:34)
[44] 第三十七話「水没する記憶」[えた=なる](2013/01/04 20:38)
[45] 第三十八話「大丈夫だよ、と彼は言った」[えた=なる](2013/03/20 00:15)
[46] 第三十九話「仲間がいれば死もまた楽し」[えた=なる](2013/03/20 00:15)
[47] 第四十話「奇術師、戦いに散る」[えた=なる](2013/04/12 01:33)
[48] 第四十一話「ヒューマニズムプログラム」[えた=なる](2013/04/17 06:41)
[49] 第三章エピローグ「狩人の心得」[えた=なる](2013/04/18 22:25)
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[28467] 第四十話「奇術師、戦いに散る」
Name: えた=なる◆9ae768d3 ID:8650fcb0 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/04/12 01:33
 一閃が荒野を薙ぎ払った。一筋の鉄鎖が暴風を奏でる。侮っていた敵の表情が見る間に変わった。全力のステップで飛び跳ねて、あるいは伏せて回避する。クラピカの横顔がほころんだのをレオリオは知った。あまりに真剣な旅団の顔は、彼に、慈愛にも似た優しい軽蔑を呼び起こしたらしい。直後、鎖の腹が波打って、返す一撃が空間ごと激流の如く押し流した。

 かつてない量のオーラを纏い、クラピカは王者の如く佇んでいる。念能力とは意志の力だ。星霜に堆積した復讐の想いが、生命をここぞとばかりに燃やしていた。かすかに濡れた真紅の瞳が、ひどく虚しく心地よいと語る。

 レオリオには分かった。精神は不快な怨念に蝕まれ、魂は渇望した瞬間の到来に歓喜している。忘我にも似た混濁に、クラピカの心は沸騰している。玲瓏なのは外面だけだ。怒りに堕ちた友の姿は、この世の果てよりも美しく在った。激情が火酒の如く喉を焼けば、癒せるものは鮮血しかあるまい。

「レオリオ! 車を壊せ!」
「おう!」

 長鎖を引き戻しながら打ち鳴らし、身に纏わせながらクラピカは叫んだ。戸惑いも挟まずレオリオは従う。条件反射に近い信頼で、ボンネットの鉄板を拳で穿った。あやまたず中のエンジンを砕き割り、中枢のシリンダーを破壊した。これでもう、逃げ道は誰にも存在しない。

「舐めるんじゃないよ!」

 敵の女が牙を剥いて、鞭の形状のオーラを振るう。それは地を舐めるように低く滑り、寸前で大蛇の如く跳ね上がった。拘束する中指の鎖の迎撃が、離陸するが如く舞い上がる。上空で両者は衝突した。一撃の重さはクラピカが上だ。修練した期間は短くとも、込められた感情が格段に違った。だが、技量と意地の賜物か、相手も一瞬だけは拮抗した。女は笑った。それで充分なのだと言いたげに。

 念縄が解けて糸となった。それは蓄積の賜物なのか、生来の器用さによるのだろうか、能力の制御が果てしなく早い。獲物を捕らえる蜘蛛の巣のように、鎖の環に絡まっていた。燃え盛るクラピカのオーラでも、この拘束は早々切れまい。が、支障など何一つとしてありはしない。戸惑うことなく、彼は鎖を消失させた。

「マチ! そいつ操作じゃない! 具現化だ!」

 金髪の優男が看破して叫んだ。だが、遅い。既に鉄鎖は具現化され、吸い込まれるようにあの女へ迫った。驚愕による硬直を見逃すほど、クラピカは実直でも愚昧でもなかった。レオリオはマチと呼ばれた女の敗北を確信した。当然だった。単純に威力だけで必殺の上、凶悪な付加効果を有する武器。蜘蛛を屠るためだけの能力。仮に旅団を脱退されたら、仇といえど使用はできない。それほどの覚悟で制約を決めたと彼は聞かせた。しかし。

「大丈夫。ボクの防げない威力じゃない」

 小柄な男が滑り込んで、右手が素早くかざされた。直後、突如として土塊が出現して、鎖の打撃から女を隠す。小さな丘ほどもある壁だった。クラピカの鎖が衝突し、轟音が鳴り、土砂が半分ほども吹き飛んだ。だが、肝心の団員までは到達しない。鉄鎖が伸びきった一瞬の隙に、毛皮を着た大男が横合いから暴風と共に飛び込んできた。

「っらぁ!」

 右の拳を大ぶりに振るう。ただの硬。事前動作も溜めもない、至極単純な右ストレート。それが、拘束する中指の鎖をから弾いて吹き飛ばした。

「大した強度だ! あれを食らって砕けねぇか!」

 呆れ半分で叫びながら、遠くにいる男が念弾を放った。十本の指から噴出する奔流。銀河に飲み込まれた海鳥のように、レオリオは壮大な光景に感動すら抱いた。クラピカは鎖を引き戻しながら、右手を強くジグザグに振るった。鎖が縦横無尽に蛇行して、広域の念弾を次々と砕いては相殺していく。彼は今、確実にこの戦域を支配していた。

 数百の破裂で満たされる空間を縫って、ジャージの男が疾駆してくる。速い。軌道の隙間を的確に見破り、豪快なステップで地面を蹴って間合いを激しく詰めてくる。が、所詮は人間の走る速度である。対処は容易い。刹那でも鎖をそちらへ向ければ、クラピカは造作もなくあの男の勢いを削ぐだろう。僅かな減速を強要し続け、有利な流れを維持できるはずだ。だが、それをやってしまったなら、他の団員へ向ける注意は大幅に減る。

 そもそも、前提条件に無理があるのだ。いかにクラピカが強くとも、旅団全員を向こうに回して、単身で勝てるほど外れてはいない。

「……だったら」

 敵は最凶の盗賊団だ。今できてる牽制は一過性にすぎない。未来は危うく、逆転は必然にすら近かった。

 しかし、逆を言えば、現時点のみに限っては、主導権はクラピカの手中に握られている。

「だったら、周りが補うしかねぇだろうが!」

 怒鳴り声で自分を叱咤して、レオリオはがむしゃらに駆けだした。棒立ちするために来たのではない。いつまでも背中に隠れてはいられないのだ。彼我の実力差は笑えるほどあるが、ならばいっそ笑ってしまえと突進していく。ジャージの男が凶悪な目付きで顔を歪めた。

「はっ、テメェから先に死にてえってか」

 鎖の舞う下をレオリオは走る。全身から吹き出るオーラが熱い。これ見よがしの自殺行為。自分を餌にしたあからさまな囮。それでも、眼中にもなかった弱者から、掃除すべきゴミ程度には格上げされた。その程度の認識ではあったのだろうが、それであっても、倒すべき人間として認識された。

 敵の筋肉が引き締まる。殺戮の前兆。隠す気もない一撃への挙動。地面のひと蹴りで詰められる距離。気合いで埋められる格差ではない。レオリオの首筋が予兆で凍えた。クラピカを頼ることは不可能だった。横目で伺った彼は今、念弾を粉砕しつづけながら、何人もの旅団を相手にしている。奮迅の活躍の邪魔をするのは、本末転倒も甚だしかった。それでも。

 いままでは弱すぎて眼中にもなかった。だが、目障りな蠅になれたなら、奴らが、先に始末する気になったなら。

「今だ、ゴン!」

 キルアの声が鋭く響き、気配を殺した少年たちが、突如として上から降ってきた。隠でもなく、乱戦で絶をする暴挙であった。ゴンの右手にオーラが集まる。硬。強い感情を乗せた攻撃の落下に、敵は忌々しげに舌打ちした。念の素人のレオリオでも分かる。あれは子供が辿り着ける出力ではない。怪物じみた暴力の塊。例え幻影旅団の水準でも、これだけは真剣な対処が強要される。

 きっかけはほんの少しでよかったのだ。あれが警戒していたのはクラピカの鎖だけである。強すぎるが故の必然的な油断が、ジャージの男を一歩追い詰める原因となった。

 そして、それは今も同じである。

「余所見してんじゃねぇぞオラァ!」

 上を見上げた敵の腹に、どたどたと駆け寄って渾身のボディーブローを突き刺した。勢いに任せた全開の練で、彼の全人生を込めたに等しい全力の拳。だが、所詮はただの殴打でしかない。大木を殴ったかのように不動のない手ごたえ。堅で守られた肉体は、わずかに揺らぐだけに留まった。

「あ?」

 どけ、と、無造作に腕を振るって吹き飛ばされた。虫を追い払うような一振りが、ダンプカーの如く重い衝撃をレオリオに与える。地面を弾みながら彼は思った。悔しいという気持ちすら粉砕されたと。蜘蛛の実力は強大すぎて、いっそ清々しい次元で格差があった。だが、それでも。

「うまくやれよ、ゴン!」

 キルアがゴンの背中を強く蹴って、落下の軌道を鋭角に変える。絶妙な一手。フェイントで間合いの格差を覆し、攻防の前提が成立した。敵が見上げ、ゴンが落ちる。少年の瞳に迷いはない。自分の安全すらも眼中になく、一心に拳を振りぬいた。

「これは、あいつの分だ!」

 迎撃も硬で行なわれた。二つの拳が打ち合わされ、弾かれて辺りを揺るがせる。威力はほとんど互角だった。観測した全員が戦慄する。単純な基礎能力の応酬といえ、いや、だからこそそれは異常だった。強化に近い系統であろう団員の硬に、十二の子供が拮抗して見せたというのである。

 怯えがなく思い切り良く攻めるゴン。他意なく逃げるからこそ戸惑いがないキルア。その二人が織り成す連携が、冗談じみた戦力の上昇を実現している。なにより二人が信頼しきって、心を預けているのが大きかった。

「くそっ、まだまだか!」

 着地し、地面を削りながら悔しがるゴン。激しく高ぶる感情が、更に素晴らしい練をさせる。体が纏うオーラの鎧が、より一層分厚く滑らかになった。彼は成長しているのだ。生と死の狭間で戦いながら。次の拳は確実に、先のそれより重いだろう。そしてまた、レオリオも自身の成長を実感していた。ほんの少しでありながら、今の自分は紙一重で強い。

 が、旅団ははるか上を行く。金髪を揺らす青年が、途方もない速度で滑り込んだ。レオリオが急襲を告げようとしたときには遅かった。軌跡すらろくに見えぬ走行速度で駆けつけて、その男は横合いからゴンを蹴り飛ばした。信じられない脚力だった。ゴンはレオリオに衝突して、二人とも軽々と吹き飛ばされる。そんな彼らを確認もせず、青年は、一直線にキルアへと向かった。構えた右手の中からは、針状の金属が覗いて見えた。一回の攻防で見抜いたのだ。三人の連携の中核を。

「逃げろ! キルア」

 怒鳴りながらレオリオは立ち、ゴンもまた、優れた瞬発力で親友へと向かう。それでも二人は遅すぎた。怖気を感じて全力で逃げるキルアさえも、金髪の青年よりも一段遅い。戦闘能力に限っては、比べることも馬鹿馬鹿しかった。数瞬もせずにキルアは捕まり、オーラの移動速度と体技によって、ろくな抵抗もできずに取り押さえられた。わざと殺してないのだとレオリオには分かった。蝙蝠をあしらった針がキルアを襲う。死よりも恐るべき致命的な何かが開始される。キルアに逃れる術はなかった。

 ゴンとレオリオの正面に、先ほどのジャージの男が瞬動してきた。これが彼の堅なのか、非常識な量のオーラが敵の全身を覆っている。眼光だけで圧殺されそうな迫力があった。それでもゴンは止まらない。それが無駄だと知りながら、少年は大声でどけと叫んだ。レオリオは命を捨てる覚悟で加速した。ここで自分が殺されれば、あるいはゴンなら間に合うかもしれない。そんな道理は、なかったのだが。

 金髪の青年がキルアに針を突き刺す寸前、雷光の如き突然の蹴りが、後背から彼に襲い掛かった。辛うじて振り向いて防がれる。その、彼が防御に回った隙に、キルアは青年の下から脱出した。

 闇を纏って出現した人物、彼こそがアルベルトその人であった。右腕一本でありながら、隻眼となっていながらも、旅団の警戒が明らかに上がる。彼ら二人にしてみれば、有象無象の三人より、アルベルト一人のほうが手ごわいのだろう。

 ジャージの男へアルベルトが踏み込む。彼の戦いは舞踊に近い。速度も遅く、腕力もなく、奥の手の能力も発現しない。そもそも、纏すら行なう徴候がない。しかし、敵の拳が打たれるとき、彼の一手はそこにある。あらかじめ置いてあるかの如き拍子の調和。既知ですらこうはいかぬであろう神がかった先読み。そしてなにより、ミリ単位で構築される綿密な計算。

 が、旅団とて知性を捨てた猿ではない。虚実を織り交ぜる打撃の果て、わずか三秒の時の狭間、実際に放たれた技はたったの三十。レオリオには流れとしか見えない三者の動き。だがその裏では、千を超す読み合いが展開された。その全てでアルベルトは死を防いだ。血糊が飛び散り闇が撒かれる。

 レオリオもうかうかしてはいられなかった。ゴンとキルアも再び駆ける。彼らの戦力は微小だったが、決して無力ではないと理解していた。優先できるほど強くはないが、完全に放置できるほど弱くもない。結局のところ、この場ではそれで充分なのだ。なにしろ、ほんの少しの完全な隙、たった一つの判断ミスにつけこめたなら、アルベルトは一歩有利に進められる。

 が、直後、最小限の介入を終えたと見たのだろう。アルベルトは敵の拳を利用してバックステップを強く刻んだ。この場を離脱し、別の蜘蛛の下へと闇に潜るように消えていく。

「っの野郎!」
「待て、オレが行く! フィンクスはそいつらを始末して!」

 金髪の青年だけが後を追い、フィンクスと呼ばれたジャージの男は、額に青筋を浮かべながらもゴンたち三人に向かって振り返った。

「レオリオ」
「お、おうっ……!」

 キルアのアイコンタクトにレオリオは応えた。腹を据えて先陣を切る。地面を叩き鳴らすだけの不恰好な疾走で接近し、泥だらけに汚れたスーツを引き千切るように脱ぎ取った。雨水をたっぷり吸って重いそれを、気合一閃、顔面に向けて投げつける。敵は至極つまらなそうに、右腕を振る風圧だけで布を砕き、迫るレオリオの顔面を乱雑に掴んだ。超重の握力が彼を苛み、頭部が今にも爆ぜそうになる。だが、オーラを死ぬ気で集中して、レオリオは辛うじてだがそれに耐えた。

「ほぅ。……だがな」

 相手は少しだけ感心を示したが、すぐに横目で誰もいないはずの場所を見る。肢曲という名の高等歩法で、音もなく、気配も完全に断ちながら、銀髪の少年がそこにいた。

 しかし、キルアは間合いより数尺遠い。攻撃する意志も感じられない。

「丸分かりなんだよ、お前ら」

 左腕を伸ばしただけで牽制を済ませ、フィンクスと呼ばれた男は別所へ向いた。苦悶するレオリオがオーラを撒き散らす後ろ、そこには、より一層磨きがかった硬を握るゴンがいる。十二分に時間を稼ぎ、思う存分練った脅威のオーラ。

 しかし、当たらなければ意味がないのだ。ゴンが全霊をこめた体術を、フィンクスは容易く細部まで見切った。右腕のレオリオをあっけなく捨てて、そのままの動作でゴンをいなした。彼の右手には硬すらない。ただの流麗なオーラの移動で、完全に無理なく受け流された。

 悔しがる時間はゴンにはない。左腕という名の死が迫る。スローモーションのように流れる時間、レオリオは悪足掻きで蹴りを放つが、フィンクスを揺るがすこともできなかった。ゴンを殺す左手が瞬き、手刀となって突きを穿った。

 何事も、当たらなければ意味がない。

 迸ったのはキルアの体躯だ。完全に無防備だったフィンクスの顎を、渾身のとび蹴りが完璧に捉えた。衝撃が、怒りが、脳を揺らす。そこへ更に、レオリオが体ごとぶつかっていった。体当たりとも呼べない乱雑な一撃。しかし、今度はフィンクスを弾き飛ばした。そして、受け流されただけのゴンの硬は、威力を失わずに生きていた。

「よっしゃいけ、ゴン!」

 宙を落ちながらキルアが叫ぶ。レオリオは期待を込めて仲間を見た。怒りに燃えた黒髪の少年が歯を食いしばり、一人目の旅団に肉薄する。当たらないはずがない。外れていいような理由がない。その拳は、運命のように劇的に、ジャージの男の腹へと決まった。

 叩き付けるように殴り飛ばされ、地面を削っていく敵の体。キルアとレオリオが歓声を挙げ、手の平を高く打ち合わせた。ゴンは額を汗で濡らしながら、確かな手ごたえを確かめていた。

 五十メートルも掘られた溝の向こうで、フィンクスが再び立ち上がるまでは。

 眼光が怒気で血走っている。口の端から一筋の血が流れている。オーラの猛りが猛獣のそれだ。だが、それだけだ。あれだけの攻撃を食らいながら、四肢は無事で、胴体は潰れず、痛みと怒りだけで済んでいる。しかも、彼の本領はこれからだった。

 遠く、立ち上がった場所で右腕を回す。ぐるぐると、巨大な産業機械の回転のように重々しくも雄大に。壮絶な笑みを浮かべながら、彼は腕を回していた。

 何故か、致命的な危機の予感がした。



 五十メートルほどの間隔を開けて、男が二人、対峙していた。岩棚が立ち並ぶ砂岩の谷間には、余人の気配は近くには無かった。

 一人は黒い、長めの外套を纏っている。大きな白いファーが逆立っていて、背中には逆十字の紋様が描かれていた。髪と眼はどちらも黒かった。濃い茶色としての黒ではない。底暗い闇夜を切り取って、人間の体に埋め込んだかのような暗黒だった。彼は右手に大きな本を開きながら、泰然ともう一人の男を観察していた。

「上手くやったな、ヒソカ」

 クロロは言った。もう一人、道化師風の男は薄く笑った。端整な筋肉のついた長身を包むのは、トランプの愚者のような奇抜で派手な衣装だった。顔にも、星と涙滴がポイントのメイクを施している。体を覆うオーラは未熟に拙く不規則に揺れ、時折、愉快そうに弾んで震えていた。

「なるべく早く終わらせる……、と言いたいところだが、そうはさせてもらえないらしい」
「つれないね♥ キミだって、本当は楽しみたいんだろう?」
「……嫌いじゃないさ。だがな、立場上、私事を優先させるわけにはいかないんだ。まして、仕事前なら尚更だろう」

 目を伏せ、楽しげに苦笑してクロロは言った。ヒソカもトランプを取り出して、上機嫌で弄びながら笑っている。

「それでも、たまには遊んだっていいじゃないか♠ こんな時ぐらいは、ね♦」
「……言うなよ。オレまでその気になりそうだ」
「クックッ♥」

 ヒソカは手にしたトランプの束を、何気なく前方に放り投げた。クロロが堅を展開し、左手を本のページに添えて構えた。

 トランプは花びらのように大きくばらけて広がったと思うと、宙に浮かび、くるくると水平方向へ一様に回転して踊り始める。黒と赤の紋様が入った沢山のカードは、クロロからヒソカを隠すように、一枚の壁の如く舞っている。トリックは凝で見れば明らかだった。無数の細やかなバンジーガムが、個別のタイミングに従いながら、規則正しく収縮を繰り返していたのである。器用な奴だとクロロは思った。

 回転を続けるトランプの隙間の向こう側で、奇術師が二本指を振って踵を返した。去り行く寸前のジェスチャーに、クロロは眉をひそめていぶかしんだ。

 ぱたぱたとカードが回転を止め、隙間が尽く閉じていく。次の瞬間、トランプの壁が消失した。いかに夜間の雨中とはいえ、派手な紋様を見逃すほどクロロの視力はやわではない。しかし、そこには確かにヒソカが立っていた場所の背景が見える。不明な状況をそのままに、彼はマリオネットプログラムを起動した。頭の中にアラートが鳴る。それに従い、クロロは左手を前方に伸ばした。流でオーラを集中させた人差し指と親指が、飛来したカードを受け止めた。キャッチしたそれはトランプだった。既に周も跡形も無く解け、カラフルな模様をあらわにしている。

 先ほど、この一枚は見えなかった。すさまじく高度な隠が施された、透明に近い不可視の攻撃だったのだ。十中八九、何らかの能力による光学欺瞞。マリオネットプログラムが解析し、結果がすぐに提示される。彼の奇術の正体は、異常なまでに繊細な、恐ろしく高度な迷彩であった。

 クロロは楽しげに頬を緩めた。そして突然、何の躊躇もなしに後ろへ振り向く。その場所にヒソカの影が舞った。至近距離。ガムで自分を飛ばしたのだろう。右の拳を振りかぶり、疾風の如き速さで迫っている。スピードの乗り切った攻撃は、既に躱せる間合いではない。だが、もとより躱そうなどとは考えてなかった。スキルハンターのページは既に、ドラゴンヘッドの箇所を開いて発動している。クロロの左腕が突き放たれる。人類最高に迫るオーラの凝集密度、老いてなお研鑚を詰んだが故の念能力が、奇術師の硬を迎撃した。

 インパクトの瞬間、ヒソカの体躯が、腕が、不自然に鋭く加速し、ずれた。体に巻かれたバンジーガムが、外付けの筋肉として作用して、威力を底上げしつつのフェイントだった。しかしクロロも負けてはいない。純然たる体術でそれに応じ、己が視力だけで軌道を見切る。右と左、二人の拳が衝突し、夜に一輪の閃光が咲いた。衝撃波が地面を抉り飛ばし、周囲の全てが吹き上がる中、二人の男が笑っていた。

 お互いの体が弾けて別れる。が、ヒソカの周辺に浮かぶ飛礫の群れが、突如としてクロロへ向けて射出された。同時に、クロロの体も引き寄せられる。左手に付着していたバンジーガムが、ヒソカの右手との間で収縮したのだ。待ち受ける左手には硬がある。タイミングは完璧。踏みとどまることもできはしない。パワーでは相手が勝るのだ。特質系の能力者では、同水準の変化系に筋力で勝つのは困難だった。

 絶体絶命の窮地だったが、クロロはそれに攻撃で応じた。左腕の龍を射出しつつ、無数に分裂させて正面の尽くを飲み込ませる。至近距離からのドラゴンダイブ。圧倒的な面制圧力をもつその攻撃に、眼前の全てが吹き飛ばされた。

 バンジーガムが千切れたのを見て、クロロは慎重を期して後ろへ跳んだ。暗雲立ち込め星明りもない雨の夜を、もうもうと土煙が立ち昇っている。無人の荒野には照明もない。その中では、たとえオーラで強化しても、自分の手さえも見えないのだ。気配を頼りに戦うことはできるものの、それだけで完璧と思えるほどには、クロロの自惚れは強くはなかった。まして、相手はあのヒソカなのである。実力的にも性格的にも、がむしゃらな深追いは悪手でしかない。

 数秒して、何者かが土煙から進み出てきた。ファッションショーのモデルのように、気取った上機嫌な歩き方。特徴的なシルエットは、サーカスの道化も思わせる。ヒソカだった。

「やはりな。仕留められるとは思わなかったが」

 くつくつとクロロは愉快げに笑った。一方、ヒソカの右腕はずたずたに傷ついていたのだが、おそらくそれも表面だけだ。機能に影響するほどのダメージは、とうてい、負っているように見えなかった。

「やっぱりあなたは最高だ♥ 壊してしまうのがもったいないよ♥」

 とろけた瞳で紡がれる言葉は、間違いなく彼の本音だろう。それから、ヒソカは己の右手に滴る血液を啜って、陰惨に歪んだ笑みを浮かべた。

 黒いオーラが二人からこぼれる。まだ、お互いに軽い小手調べだ。本気の一分も出していない。クロロの胸中に楽しさが踊った。命のやり取りは嫌いではない。一対一の殺し合いは、決して嫌いではないのである。

 仕方がないなとクロロは思った。ああ、本当に、仕方がない。

「しばらく待ってろ。すぐに済ませる」

 言って、彼は右手の書物を閉じて消した。ヒソカの攻撃を懸念もせず、岸壁の近くへと歩いていった。攻撃されない事などは、確認せずとも分かっていたのだ。そしてクロロは、幾分窪んだ岩陰を見つけ、コートを脱いでそこを目掛けて放り投げた。そして、雨水の染み込んだ黒い髪を、右手で一度かき上げた。

「あいつらには言うなよ」

 冗談めかしてクロロは言った。セットしたオールバックの髪に両手の指で手櫛を通して、水で洗うように自然に下ろした。それから、二回ほど首を振って水滴を飛ばすと、黒い髪を掻き分けて、少年のように実に明るく朗らかに笑った。タイトな黒衣はぐっしょりと濡れ、引き締まった肉体に張り付いていた。今や、彼は完全に開放されていた。あらゆる束縛から自由だった。

「照れてるのかい?」
「言うなよ」

 クロロは微かにはにかんで、力を抜いた自然体で、息を深く吸い込んだ。しばらくの沈黙が訪れて、そして。

「はっはー!」

 クロロは大声で笑いながら、無邪気な、風のようなオーラを噴出させた。それはまるで子供のようで、この世の何よりも純粋だった。ヒソカの顔面が邪悪に歪んだ。

 クロロは大地を蹴ってヒソカへ跳ぶ。両手は無手のままである。燃え盛るオーラも楽しげだった。ヒソカもまた、至福の表情で応戦した。間合いは一瞬で詰められて、猛然としたラッシュが相互に打たれた。荒野に火花が連鎖する。

「いいよ! いいよいいよ! 楽しんでるね、クロロ!」
「お前ほどではないさっ! ははっ! はははっ!」

 拳と拳を打ち付けあう、少年じみた殴り合い。されど技量は天に届く、至高を越える舞踏であった。虚空の油断で終わる極限の攻防。呼吸という概念すらも既にない。ヒトの至れるはずの領域ではなく、しかし彼らは、誰よりも人間らしく戦っていた。パワーはヒソカが上回ったが、スピードではクロロが上手だった。二人とも完全に笑っていた。

 打撃と迎撃が一体となった高度な肉弾戦を繰り広げながら、彼らは単純に楽しんでいた。

 ひときわ鋭い右ストレートが、ヒソカの腕から放たれた。体重の乗り切った一撃が、風を切り裂き、クロロへと迫る。まともな防御は不可能だった。変化系の相手の肉体強化は、特質系より二段上だ。が、彼はその拳のタイミングを完全に見切り、渾身のショートアッパーを下から鋭く精密に当てた。右ストレートの軌道は跳ね上がり、クロロの肩を掠めて裂いた。血霧が吹き出し、ヒソカの顔がグロテスクに笑う。お互いに温まってきた頃合だった。準備運動は終わりである。

 瞬時、ヒソカの腕が引き戻され、オーラが弾性を持って大きく弾んだ。腕には、筋繊維を思わせる幾本ものガムが、一瞬にして既に張り付いている。

 そして、夜の空気が破裂した。

 音の壁を容易く破り、豪腕が彼に迫り来る。これまでとは違う、ゴムの収縮を用いた加速。直撃すれば即ち詰む。圧縮された時間の中でクロロは見切った。拳に集う濃密なオーラに、偏執的な粘着力があることを。だが、それを把握した上で彼はなお、左の掌で受け止めた。凝では足りず、左腕の骨が幾重にも折れる。衝撃が伝わって腰が沈み、踏みしめた地面が陥没した。足元の泥が大波めいた波紋を作り、空中の雨粒が弾け飛んだ。

 クロロの右手の中には既に、盗賊の極意が具現化していた。否、拳を受け止める前に済ませていた。今までにない速度である。テンションが上がってるせいだろうか。過去、これほど好調だった戦いなど、聡明な彼でも憶えがない。

 クロロは笑った。ヒソカも笑った。盗んだ能力が発動する。突如、左手のオーラが渦を巻いた。形状は螺旋。性質は旋回。形状と性質の複合変化による念能力。【渦潮太鼓】。渦流はバンジーガムの粘着を捻じ切り、ヒソカの右手を弾いていた。反動でお互いの体勢が大きく崩れる。次の刹那、ヒソカの足元からオーラの竜巻が吹き上がった。

「っ!」

 奇術師の顔が驚愕に染まる。稼げた時間は一瞬に満たない。が、そ吹き荒れるオーラの拘束が晴れた時、クロロは折れた左腕に旋風を纏い、ヒソカの腹部を殴り飛ばしていたのである。拳は確かに芯を捕らえた。長身が面白いように吹き飛んでいく。

 クロロはそれに追従する。足に渦を履いて車輪の如く扱いながら、泥水の荒野にしぶきを上げて、飛び去る獲物を追いかけていった。

 空中でヒソカがつぶてを放った。岩石の破片をゴムで捉え、収縮性をもって飛ばしたのだろう。丁寧に周で強化され、機関銃以上の破壊力で襲ってくる。が、今のクロロを前にしては、あまりに脆弱な飛沫でしかなかった。彼の周囲、四方八方に渦が浮かぶ。辺境の国の雷神の如く、背負う太鼓の絵図が如く、彼のオーラが回転を始めた。石の弾丸は尽く弾かれ、あるいは砕かれて消えていく。

 そこに、透明な何かが飛来した。大量のトランプであると理解した。恐ろしく高度な隠を施されたオーラが塗られ、精密な迷彩がリアルタイムに動いて、完璧に風景に溶け込んでいる。無駄に精緻な技術だった。だが、この戦いにおいては有効である。闇夜の高速戦闘の只中では、あらかじめ知っていても見分けがつくまい。必殺の刃の群れであった。だが、凝などしなくてもクロロには、直感だけで全てが知れた。トランプの位置も、狙いも、たわけた奇術師の稚気さえも。

 あいつは遊びだ。そう、クロロは正確に看破した。渦流でカードを塵に帰しながら、にやりとするかつての四番と視線を合わせた。ここまで悪辣な暗殺の技も、あれにとってはジョークでしかない。仕方ない奴だと、頬が緩むのを自覚した。

 放物線を描くヒソカに追いつく。左手には一層激しい渦が牙を剥き、破砕の顎門を開けている。着地の瞬間を狙って一閃を穿つ。正面から押し付けるような掌底は、風を貫いて容赦なく一直線に迸った。

 ぞぶりという手ごたえ。人体ではない。刹那、割り込んできたのは幾抱えもあるような岩石だった。バンジーガムで引き寄せたのだろう。宙に浮かぶ物体に、左腕は深々と埋まっている。が、邪魔になるような道理はない。直後、内側から渦流が荒れ狂い、大岩は脆くも砕け散った。ショットガンの如き破片が飛ぶが、縦渦で保護ざれたクロロには、掠り傷さえも与えられない。

 ただ、ヒソカが右腕を振りかぶる時間はあった。

 奇術師の肉体が唸りを上げ、バンジーガムが収縮する。遠くから、稜線近くの背景から、一筋のオーラが飛来する。瞬間でキロメートル単位の伸縮である。彼の念技は熟練を越え、壮大の領域で一人優雅に遊んでいた。星の大気が引き裂かれ、真空の尾を引いてオーラが迫る。クロロが避ける間隙はない。クロロが避け得る理由はない。

 腹に吸い込まれるオーラの弾丸。渾身の硬でガードしながら、クロロは確かに視認した。どこにでもあるだろうただの小石に、空前絶後の周が為され、あれだけの動きに耐えたのだと。今度は、クロロが吹き飛ばされる番であった。

 沼地のような泥に埋もれて倒れながら、クロロは掛け値なしに感嘆した。愉快さに笑う。口中の血と泥を吐き出して、汚れてしまった手の甲で拭った。遠くで佇む奇術師も、今では無残に泥だらけだ。それが可笑しくてたまらなかった。

 あの時、別の能力を使えば逃げることはできた。あるいは防ぐこともできたかもしれない。だが、それをする気持ちは湧かなかった。渾身の一撃が嬉しかった。殴られてみたいと心から思った。恐らくは奴も同じだろうと、彼はごく自然な結論を己に与えた。例えばそれは竜巻の時、クロロから離脱する手段はあったはずだ。だというのにあれは、あえて拳を味わったのだ。手加減ではない。それが楽しさであるが故に。

 ある意味で恋愛のような戦いに、クロロは愛しく悲しく切なくなった。戦いも殺人も好きだったが、これほど浮かれる一時は、あいつ以外にありそうにない。終わらせてしまうのが惜しかった。

 それでもクロロは立ち上がる。終わらせるために。ヒソカにこの手で止めを刺して、命を収穫するために。あるいは敗北して死ぬために。いずれ来るその時を予想すれば、喪失感が胸を満たし、例えようのない歓喜が踊った。病み付きになりそうな美食だった。団長という役割があったから、ずっと押さえてきたというのに。

 新たな発を発動させた。【魂の静穏の聖油(オイル・アタラクシア)】、オーラを癒しの薬液に変化させる能力である。たちまちのうちに痛みが和らぎ、全身の傷が癒えていく。体が格段に軽くなった。クロロ=ルシルフルは特質系の能力者である。強化系との相性は悪い。だが反面、全系統中最も異色な念を保有している。故に、正面からの肉弾戦では分が悪くとも、こうした技で補える。

 ヒソカが上機嫌で口笛を吹いた。体を反らし、親指を下ろし、勃起した股間の膨らみを誇示している。彼の動きはしなやかだった。流血はあっても致命傷はなく、決闘はまだまだ終わりそうにない。

 クロロはさらにページを進めた。次の能力が発動する。眼前の虚空から出現したのは、反りのある細身の刀剣であった。素朴な拵えに納められ、柄と鞘の表面には、様々な種類の獣の姿が、独特の浮き彫りにされて祀られている。彼がそれを手に取ると、彫刻のはずの獣神たちが、秘めた気配だけで鼓動を始めた。



 レオリオは圧倒的な格の違いを痛感していた。嗜虐的に歪むフィンクスの顔が、魔王の形相にさえ見えてくる。右腕を包むオーラの量が、今までの男の比較ではない。顔を流れた脂汗が、顎の先から数滴落ちた。意地も根性も関係なく、人であるが故の生物の部分が、どうしょうもなく足を竦ませた。喉の奥が粘ついていた。

 これが、本当の、発。

 小手先の小細工とは隔絶する、真の意味での必殺技。念能力の奥義。これまでの半生を結集し、今後の半生の礎となる、人間の生命を象徴する異能。レオリオは初めてそれを感じた。実際に殺意を持って向けられて初めて分かる、魂による感覚の理解だった。ゴンはおののき、キルアは驚愕で動けない。恐らく、それは二人が強いからだ。レオリオよりはるかに優れているから、見えなくていい場所までも見えてしまう。

 だから、彼は笑った。

 引きつった笑いにしかながなかったが、そんな些事は無視をした。これは笑いだ。喜びだ。奥歯をきつく噛み締めながら、震える両手を握って誤魔化して、彼は己が笑っていると定義した。いいじゃないかとレオリオは思う。分からないが故にまだ動ける。鈍感が故に愚かになれる。数歩歩き、ゴンより、キルアよりも前に出た。今、窮地に陥った仲間を前に、弱いということはこんなにも強い。

 稼げる時間はどれだけか、稼いだ後にどうなるのか。それは考えるべき事柄ではなかった。一秒先の出来事も、現在を乗り越えてから初めて心配するだけの価値がある。

 精一杯の虚勢を張って、レオリオは右手の親指で胸板を叩く。来いよ、と言葉にしないで口にした。狂気に近い絶望と恐怖が、脳の内部で電流を流す。それは痛みを伴う感情だったが、レオリオは表に出すことをしなかった。誰にでも分かる、滑稽なやせ我慢でしかなかったが、彼は意固地になって演技を続けた。遠く離れてフィンクスが笑った。

 眼前に敵が出現する。レオリオはそれを眺めていた。戦いの前は視認もできなかったであろう敵の動きが、辛うじて目に映るまでに成長したのだ。故に、彼は確かにそれを見た。圧縮された時の狭間で、金色の髪が流れたのを。独特の青い民族衣装。右手には鎖。膨大なオーラの篭った復讐の枷。

 クラピカ。単身で旅団と渡り合っていたはずの友人が、戦いを投げ出して滑り込んだ。

「テメェ!」
「させん!」

 豪速で唸るフィンクスの拳。それを受け止めるクラピカの左手。強大なオーラがぶつかり合って、視界が白く染められた。直後、吹き飛ばされるクラピカの体を、レオリオは渾身中の渾身で受け止めていた。威力が重くのしかかり、地面を削りながら減速する。腕の中のクラピカが右手を振るい、フィンクスへ鎖で反撃した。彼はそれを辛うじて回避し、続く、頚動脈を狙うキルアの手刀を紙一重で避ける。ゴンが果敢に攻め駆けた。今度は両手に硬を振り分けている。他愛ない工夫だ。フィンクスの技量であれば敵ではあるまい。しかし、多勢に無勢と見たのだろう。忌々しげに舌打ちして、彼は一旦間合いをあけた。

「お、おい。お前。その腕!」

 腕の中の友人を見てレオリオは叫んだ。クラピカの左腕はひしゃげている。それは幸運な結果にも見えた。あの攻撃を正面から受けて、片手の骨折で済んだだけでも驚愕である。だが、理性では納得できても感情は別だ。

「くそっ! ここじゃ応急処置もできやしねぇか!」
「いや、問題ない。完治した」

 クラピカはてらいも見せずに即答した。彼が言い切ったときには既に、砕けた骨は治っていた。親指の鎖が発動し、自己治癒力の強化で復元したのだ。あまりに非常識な現象だった。決して念に詳しいとは言えないレオリオだが、クラピカの才能は怖いほど分かる。平凡な能力者が真似した場合、それ一つに全霊を注ぎ込んで、ようやく実現できるかという強力な発。だが、彼にとっては、五つあるうちの一つでしかない。

「……お前達こそ、あまり無茶はしてくれるな」

 レオリオの腕から解かれる寸前、クラピカはぼそりと呟いた。直後、壮絶に鎖が薙ぎ払われ、旅団への牽制が再開された。そんな、鬼神の如く戦う男が、不思議と儚く弱々しく見えた。

 戦場ではアルベルトが舞っている。着流しの剣士の居合から逃れ、穴だらけの男の具現化をいなし、横殴る鎖の上を駆けて、念弾の掃射を牽制していく。闇を纏い、夜に紛れ、あらゆる事象を把握しているとしか思えない動きで、最低限の介入を全ての箇所に続けていく。戦域を支配しているのがクラピカなら、戦況を調整しているのがアルベルトだった。およそ、纏もできない人間のとれる挙動ではない。

 レオリオは思う。クラピカとアルベルトに任せれば、拮抗はこのまま続くだろうと。だが、拮抗できるだけだ。死闘には永遠に余裕がなく、ほんの小さなつまずきだけで全体が即座に瓦解する。旅団は強い。クラピカは強いが小さく脆い。

「このまま千日手にかまけても仕方がねぇ! オレが死ぬ! 後のことは頼んだぜ!」

 痺れを切らしたような大声で、巨大な筋肉の大男が吼えた。妨害するアルベルトを無視しながら、これ見よがしの突進でクラピカへと迫る。中指の鎖が直撃するが、肉体の強度だけを頼りに大男は耐えた。規格外のオーラが迸る。鎖という長鞭は単発ではない。蛇のように舞い、波のようにうねり、連続する打撃を与えるだろう。それでも、何発何十発と食らおうと、突進し続けるという覚悟なのだ。どれほど致命的な攻撃でも、命のある限り耐えようと。後ろから駆けてくる旅団たちが、彼らの目的を果たすと信じて。そう、そのはずだった。

 鎖の真価は拘束にある。足止めのための打撃ではなく、クラピカは大男に鎖を巻きつけた。見る間に全身が覆い尽くされ、その瞬間に異常は起きた。あれほど猛っていたはずの敵のオーラが、強制的に閉じ込められる。絶。有無を言わせぬ封印に、さしもの巨人にも焦りが見えた。

 もう一本、新たな鎖が戦場を伸びる。剣状の先端をもつ一筋の鉄鎖が、獲物を求めて煌き駆けた。【律する小指の鎖(ジャッジメントチェーン)】。掟を律する裁定の念。

 だがその時、間に割り込む人物がいた。長い髪で顔を隠した小柄な男が、身を投げ出すように大男を庇う。ところが、仲間を庇う蜘蛛の行為も、鎖の勢いは止められなかった。小さな体躯にあやまたず刺さり、心臓に先端が埋め込まれる。今のクラピカに迷いはない。彼もまた、仲間を背負って戦っているのだ。

「死ね」

 冷酷無比にクラピカは命じた。一拍を置いて、断罪の鎖が発動する。死ぬという動作をしなかったが故、心臓が無慈悲に圧壊された。逃れる術は唯一つ、裁定前の自害しかなかった。

 もし仮に、あの体が本人自身のものだったら。

「やったか!」

 レオリオは叫んだ。順番こそ変わってしまったが、まず、一人目。彼だけがこの場で誤解していた。

「違うっ! 念人形だっ!」

 キャロルと同じ手応えに、クラピカは即座に全容を見破った。即死せしめる能力とはいえ、全身の細胞は直ちには死なない。ところが、あれは完全に生命がない。そう、肉体は具現化された偽物だった。本人は空へと跳んでる。複製は盾と同時に囮でもあった。その隙に仲間が巨人へと向かう。アルベルトが阻止せんと乱舞するが、所詮彼は一人でしかない。着流しの剣士が真っ先に抜け、大男を拘束する鎖を剥いで、速やかに仲間を救出していた。絶好の機会を逃した痛恨のミスに、クラピカは奥歯を砕けそうなほどに噛み締めた。

 戦いが途切れ、アルベルトが四人の場所まで戻ってくる。血を喪失しすぎた彼の顔は、蒼白いを超えて土気色だ。レオリオは止血しようとワイシャツを脱いだ。これで上半身は裸である。熱くなった筋肉に雨が当たり、心地よく冷やして流れ落ちる。

 怪我は簡単な処置しかできなかった。泥だらけの面を外側に、左肩の傷口を圧迫し、上からネクタイできつく縛る。気休め程度にしかならないだろうが、やらないよりはましだった。アルベルトは、ありがとうと穏やかに言った。平常すぎて苛立ちすら抱いた。この異常な地獄の戦いの場でも、レオリオの精神は一般のそれを維持している。

「強制絶に、命令を破れば即死の枷か」

 旅団の一員、顔に傷のある念弾の男が、後方から冷静に評価した。

「反則くせぇな。どれも一級の能力じゃねぇか」
「ああ。だが、だからこそ大きな弱点があるはずだ。あれだけ激しい意志ならば、偏りが生じぬはずがないだろ」

 全身に穴を持つもう一人の男が、無情な経験則を指摘した。レオリオは思わず低く唸る。念と触れていた期間が違いすぎる。今も、看破されたというよりも、対処法が身に馴染んでいるに近い。

「とにかく、あいつはここで殺しておこう。強いだけならほっとけばいいけど、今も肌で感じるオレたちへの妄執、きっと旅団の妨げになる」

 ともすれば団長との合流よりも優先度は高いと、金髪で美形の青年が言った。

「ウボォー、どうやらあたしの方が適任みたいだ。あんたは生きな」

 驚くほど容易く女が言った。そこに思いやりの欠片は滲めど、悲壮な覚悟は全くない。呆れるほどに日常的に、彼らは、己を死ぬものとして位置付けている。

 そして、その場の光景が一変した。

 突如として念糸の大河が出現した。糸で紡いだ天の川。逆しまの滝の如く吹き出る大量のオーラが、空高く大樹のように全てを覆い、夜空を輝ける生命力で塗りつぶし、世界の有り様を変えていく。それはやがて大地に突き立ち、巨大なドームに変容した。

 著しく大規模な念糸の繭。壮大すぎる個人の異能。その内側に囚われて、レオリオは旋律に飲み込まれた。空を見上げて喉を震わす。どれほどの糸を紡げたら、ここまでの奇跡が織り成せるのか。この広い世界を括れるほどか。いや、もしかしたらそれでも足りないのか。

 なりふり構わぬ奥の手だろう。奥の手でないといけないはずだ。これが、命を賭したが故の出力でなかったら、旅団など人類が挑める存在ではない。レオリオは己も知らぬ間に、信仰にも似た畏敬の念を、相手に対して抱いていた。

 これが、蜘蛛。

 対抗して、クラピカの瞳が光り輝く。それはさながら業火の如く。一族を惨殺された怒りを糧に、奪われた未来に手を伸ばして、ありとあらゆる自己に関する喜びを捨て。羅刹の如き凄惨な殺意が、破壊と殲滅へ向けた強烈な飢えが、かつてない力となって鎖へ集った。

 中指の鎖から感じる威圧は、この星さえも裂けそうである。

 繭を構成する糸がほつれ、轟音を奏でて圧縮が始まる。鎖が唸り、破滅が始まる。四方八方から念糸が襲い、オーラの激流となって押し寄せてくる。クラピカが鎖でそれを粉砕する。クラピカの鎖が蜘蛛へと迫り、念糸の束で逸らされた。女は奥歯を噛んで汗を流す。クラピカは奥歯を噛んで汗を流す。お互い、意地と維持のぶつけ合いだ。威力はクラピカが辛うじて強く、手数は相手が一手多い。

 蜘蛛の面々が援護する。唐突に巨大な木星が現れたが、鎖のひと薙ぎで消滅した。津波の如き土壌の流れは、たった一撃で相殺された。念弾が猛烈に掃射されたが、クラピカは意にも介さない。

「まずい、クラピカ! 抑えろ!」

 珍しく大声でアルベルトが叫ぶ。が、クラピカに言葉を聞くような余裕はない。悔しげに渾身の鎖を振りかぶり、がむしゃらに旅団の方向目掛けて叩き付けた。それが最後の一撃だった。ついにオーラが尽きたのだ。全ての力を絞りきり、クラピカの意識が断絶した。体がぐらつき、そのまま地面へ崩れ落ちる。レオリオが慌てて支えるが、最早、先ほどまでの猛者はそこにはいない。生命力の井戸は枯れ果てて、纏が解けてもオーラがほとんど漏れ出さない。気絶し、病的な発熱が始まっていた。

 失念していたとレオリオは悟った。確かにクラピカの戦力は凄まじかった。だが、激しい怒りと緋の目で出力は増大したとしても。根本的な体力までが増えていたのではないのである。いかにエンジンが強力になったとしても、燃料タンクの大きさは全く無関係だ。潜在オーラの総量は、純粋に細胞の生命力だけに比例している。まして、あれほどの奮戦。蜘蛛と正面からぶつかって、互角以上に展開した戦い。湯水の如くオーラを使わず、織り成せるはずがなかったのだ。

「やっとか。……ふざけてくれたね」

 荒く息をつきながら女が言った。今にも内臓を吐き出しそうな、瀕死にも近い息の荒さ。空を覆う念糸は消失している。本人が回収したのだろうが、そんな些事はどうでもよかった。

「テメェら……」

 歯軋りしても、現実は何一つ変わらない。クラピカを肩で支えつつ、レオリオはオーラを込めて拳を握った。幻影旅団が近づいてくる。油断なく歩み寄る彼らの姿は、暴力的に厳かだった。

「レオリオ、待てよ」

 隣に並び、敵を見据えたままのキルアが、密やかに彼に囁きかけた。

「……逃げようぜ。こうなったらもうそれしかない」

 レオリオは驚いて振り向いた。取り乱した様子は全くない。銀髪の髪の少年は顔色が悪く、ぐっしょりと脂汗に濡れながらも、平静なままでそこに在った。暗い、刃の如き気配だった。

「おい、本気か?」
「冷静になれよ。オレは、……ゴンを殴り倒してでも連れてく。アンタにはクラピカのことを頼んだぜ」

 冷静で利口な判断だ。その冷静ぶりを苦々しく思った。オレは利口にはなれそうもないと、レオリオは口の中だけで呟いた。

「それがいい。同じ可能性ゼロならば、逃走が一番芽があるだろう。時間は稼ぐよ。ようやく、慣れ親しんだ状態に近づいたところだ」

 アルベルトが穏やかに頷いた。キルアの判断を賞賛し、囮になって死ぬと言った。穏やかに佇む優男の顔で、片目も片耳も片腕もなく、平然と無茶を言ってみせる。

「今の僕なら、旅団全員と戦って二秒はもつ。自分の全てを使い切ったら、十秒稼ぐのも不可能じゃない」

 恐らく彼なら成し遂げるだろう。クラピカが鬼神ならアルベルトは幽鬼だ。即興の連携、致命的な地力の格差を埋めていたのは、アルベルトの功績に他ならない。思えば、彼は常にその場にいた。連係の穴が開いた時、力が足りずに窮地になる時、彼は戦場の急所にいた。あるときは団員の一人をひきつけて、あるいはクラピカの代わりに他を抑えた。

 しかし、だとすれば少なくともここ数日、瀕死に慣れるような状態にいたのか。本人は平気な表情だったが、つくづく、化け物の一人だとレオリオは思った。こんな状況でなかったら、小一時間は説教してやりたい気分だった。

 だが、それでも。

 背中に友人の重さがあれば、レオリオも逃げの一手を切り捨てられない。

 幻影旅団が近づいてくる。油断も隙も驕りもなく、慎重に包み込むように歩いてくる。あと二十メートルもありはしない。奴らにとっては一足の間だ。もう、時間の余裕は残っていない。

「ゴン、待て!」
「大丈夫。キルアは逃げて。オレがちゃんと守るから」

 突然前に出たゴンが言った。黒い瞳を暗く燃やし、右の拳を抱えるように構えている。敵の間合いで既に硬。右手以外は完全な無防備。いや、それより。あの手に集う絶大な光は。

 いったい、どれほどのオーラを圧縮したら、あれだけの気配をかもせるのだろう。あれではまるで旅団級。そう、威力だけで考えるなら、蜘蛛の一撃にすら匹敵する。

 旅団が迫る。ゴンは頑としてその場所を動かなかった。大量のオーラを注ぎこみ、唯一の技の硬だけを武器に、怒りを糧に。さながら、己が子を守る母猫の如く。

「おうおう、怖いことするじゃねぇかよ、坊主」

 短い顎鬚を擦りながら、着流しを羽織った男が言った。少年の死力を意にも介さず、むしろ楽しげに観察している。居合の初太刀の間合いは広い。卓越した身体能力とあいまって、ゴンでは絶対に先手はとれない。

「ノブナガ、相手が欲しいなら僕がなるぞ」

 アルベルトが言う。この距離まで近づけてしまったら、いくら彼でも全員から庇うのは不可能である。まして相手は速さに長ける。アルベルト本人ですら先読みできても、放たれてからの回避はできない。だからこその挑発だった。しかしそんな思惑も、進み出た新手によって露と消えた。顔に傷の目立つ念弾の男が、お前はオレだと無言で告げた。念弾が爆ぜ、アルベルトは否応なく戦いの渦中へいざなわれた。

 ゴンを目掛けて閃光が煌く。神域に達した抜刀速度。居合は無慈悲に鞘を滑り、軽々と音速を突破した。手心など最初から期待できない。彼はそこまで器用ではなく、そもそもそこまで愚者ではない。切っ先は少年の首筋に吸い込まれ、たった一人の一つの動作が、戦場の空気を凍結させた。

 キルアだ。最後の刹那に滑り込んだ彼が、刀身を両手で止めていた。

 白刃取り。水平に斬り払われた刀のしのぎを、上下から挟んで受け止めた絶技。それは完全な偶然だった。億より稀な空前の奇跡。本人にとっては、なぜ体が動いたのかすら不明だろう。それでも、キルアはこの瞬間に間に合った。そして、誰もが止まった時の狭間で、ただ一人動いた者がいた。レオリオだった。

 生来の単純さに物を言わせ、クラピカを肩に担いだままで、全力の拳を振り下ろした。頬を殴られた着流しの剣士が、地面に埋もれるほどに打ち付けられる。泥が盛大に飛び散った。

「いい土産話だ! 旅団を殴り倒してやったってな!」

 上半身を晒した不格好な姿で、彼は大声で叫び上げた。旅団が一斉に我に返る。明らかに敵を利する悪手だったが、結論から言えば、彼は何も考えてなかったのだ。そして、ここには何一つ考えてない馬鹿がもう一人。ひたすら自己に埋没し、一身に機会を待っていた。

 ゴン。彼の右手には、硬がある。

 拳が唸る。居合の男を守ろうと、毛皮を着た大男が迫ってくる。ゴンのオーラが爆発した。知っていたのだ。なによりも本能で嗅ぎとっていた。彼女を殺した団員を。空前絶後のオーラが込められ、二人の硬が正面からぶつかる。ゴンの体が弾かれた。それでも彼らは終わらない。絶妙に軌道を読んだキルアに容易く受け止められ、少年は無傷で復帰した。

 起き上がった剣士が激昂して駆ける。今度は止められるはずがない。そこにレオリオが立ちふさがった。彼では決して奇跡もおきない。レオリオもそれは承知していた。泥を跳ね上げる様に蹴りを放つ。だが、その程度は児戯も同然である。レオリオを両断しようと刃が滑る刹那、間を潜り飛来したアルベルトの蹴りが、男を上空から急襲した。

 ゴンとキルアが戦場を駆ける。死の運命は覆せない。こんな健闘では時間稼ぎだ。それでも、例え数秒後に死ぬと分かっていても、彼らは全力で戦っていた。

 ———そのはず、だったのだ。



 バンジーガムが収縮した。体が遠くへ引き寄せられる。はるか彼方、クロロの背後の岩塊まで、ヒソカは一直線に飛んでいく。風が、雨が、頬に当たる。自然の幼い悪戯に、ヒソカは穏やかに目を細めた。クロロが地上で見上げていた。その上空を過ぎ去っていく。

 無論、このまま飛び行くつもりはない。大地にガムを突き立てて、彼は勢いのままに急降下した。骨が加重で軋んでいる。空を破いて引き裂きながら、人の目で追えぬ速度に至る。接近しながら、四肢に幾筋ものガムを巻きつけていく。最適な量で、最適な運動ができるように、外付けの筋肉を装着していく。長身が故の手足を伸ばし、卓越した柔軟性に任せてしなやかに力を溜めていく。

 地面の上でクロロが見上げる。手にした刀の鞘が砕けた。それはきらめく光の破片になって、持ち主の体に吸い込まれていく。彼の体に紋様が現れ、刺青の如く燐光を発した。白く濁った刀身が、左手の中で鎌首をもたげる。ヒソカは歓喜に破顔した。汗をかいた拳を握る。コンマ一秒にも見たぬ視線の交差で、相手の全力を察知したのだ。あの人の命を、もうすぐ狩れる。

 稲妻の如くヒソカは落ちて、クロロは明星の如く切り上げた。拳と切っ先が触れ合った。肉と鉄とが拮抗する。この領域の現象では、材質などもはや関係がない。オーラの加護がなかったならば、物体は固体としても振舞えない。

 衝突の瞬間、一筋の光が、オーラが天地を貫いた。それだけだった。音はなく、風も微塵も動かない。天変地異の如き静けさをもって、二人の激突は迎えられた。意味することは唯一つ、世界の有り様の変容が、彼らについていけなかったのだ。例え全人類がこの場にいても、全容を見抜けたのは十人とおるまい。

 だが、それほどの絶技を競いながら、彼らは全く無頓着に次へと移った。今度は、更に速かった。

 荒れ狂うショートアッパーの連発をクロロが放った。刀剣は既に見限っている。悪夢のように濃密な左の拳の弾幕は、単純なスピードによるものである。拳からは念弾が掃射され、天よ憎しと上空をつんざき迸る。ヒソカはそれを紙一重で避けた。体躯をガムで強引にねじり、手足の回転を伴い空中で大胆に横転した。

 この伸びやかな心身こそ、ヒソカの強さの源流であった。生まれながらの性質から、万事において自然体に、彼は念の奥義に合致している。仙人じみた滑稽な領域、必死めいた無我に自らを追いやることもなく、生来のままに邪悪だった。だからこその最強。だからこその遊戯。能力の強弱すらも関係ない。彼はヒソカであるが故に無敵なのだ。

 対して、クロロは正真正銘の天才であった。ヒソカの本気を即座に見切り、性能を正確に把握していく。理論と直感を高度に伴い、異常識の慧眼で看破していく。反則的な能力量を礎に、最良の技を、最適な機会に、持ち主以上の応用力でもって当てはめていく。最強は彼に必要ない。クロロにとって、強さなど勝利を掴む材料のひとつにすぎなかった。

 地面に着地してヒソカが迫る。間合いは既に至近である。お互いに必殺の距離だった。ヒソカの体をガムが覆う。クロロは使用した能力の事後硬直を、ページの切り替えで強制的にキャンセルしている。

 刹那、機関銃の如き攻防が咲いた。バンジーガムを存分に活かし、ヒソカの両腕が弾雨を奏でる。クロロの身体に粘着し、行動を絡めとろうと束縛していく。が、クロロは異様に精密な動作でその尽くに正確無比に対処していく。ヒソカが仕掛けたガムを切り、起動を完全に予測して、左手一本で全てを防ぐ。のみならず、ヒソカの攻撃のムラを利用し、致死威力の攻撃を頻繁かつ果敢に挟んでくる。クロロの眼光からは人間味が消え、オーラは機械的に整っている。ヒソカはその能力を知っていた。対処法は誰よりも把握している。

 ヒソカの長躯が捻られ歪んだ。今筋の筋肉で右腕を絞り、健在可能な全てのオーラを集中し、超絶の筋肉として貼り付ける。クロロの漆黒だが無機質な目が、されど驚愕に見開かれる。これほどの異形の体勢をとって、なおも彼の介入が不可能なほど、その動きは能力の隙をついていた。回避する術はもはや無かった。使用する側では分かるまい。マリオネットプログラムの戦闘システムは優秀で、だからこそ優等生的な回答ばかりを弾き出す。演算に余裕を持てる格下か、常識的な敵ならそれでもいい。

 しかし、世の中には例外もいるのである。望んで非効率に走るような、摂理に逆行するどうしょうもない奇人が。卓越した能力を持ちながら、救いようのない愚行しかしない狂った輩が。クロロとてあの能力を使っていなければ、その程度は百も承知だったはずだ。

 最大限の瞬発力で、ガードの上から殴り飛ばした。クロロの体が吹き飛んでいく。最良の手応えをヒソカは感じた。腕の一本は確実に砕けた。否、衝撃はそれ以上深くまで揺るがしたはずだ。

 ところがその時、ヒソカの腹部が灼熱した。気付き、さすが貴方だ、と彼は微笑む。あの刹那、クロロは防御を最小限に、念弾を無防備な腹部へ向けて撃っていたのだ。かつてアルベルトが得意とした、超高密度の小さな念弾。その残留と思しき気配が、ヒソカの背後へ消えていく。内臓が破け、血がこみ上げてくるのを実感した。とても愉快な気分だった。

 雨がそぞろに降っていた。

 お互いに残すオーラは少なくなり、深刻なダメージを負っている。終わりが近い。ヒソカは舌で唇を舐めた。体中、血の滲む傷の一つ一つが、生娘の如く切なく痛んだ。クロロでの遊びはいくらやっても飽きる徴候さえもなかったが、だらだらした幕の引き方はごめんだった。ならいっそ、次で終わりにしようじゃないかと、ヒソカは絡みつく視線でクロロに問うた。相手は見透かした顔でにやりと笑った。

 お互いに最高の一撃にするのが、暗黙の了解以前の前提としてあった。後を考えずオーラを練る。黒い目を深い闇色に輝かせて、クロロは、爛々とヒソカを見つめていた。ヒソカは彼を惜しいと思った。恐怖にも似た肉の愛が、心身を激しく痙攣させる。かつてない力が出せそうだった。愛しさと切なさが混ざり合って、ヒソカの肉柱を硬くした。その頃には、彼ら二人のかんばせには、子供らしい無垢な微笑さえもが表れていた。

 激しい力が噴出してくる。あと五秒。それだけあれば、両者のオーラが練りあがり、どちらかが確実に命を落とす。二人ともそれを知っていた。

 だが、五秒後はついぞ訪れなかった。



 どれほどの時間が経っただろうか。ポックルが次に目覚めた時、体のどこかが鋭角に痛んだ。まどろみに似た緩慢な死が、未だに脳裏に張り付いている。やがて、ぼやけていた視界がゆっくりと晴れた。

 懐かしい気配がそこにあった。どこからともなく現れたもの。粉雪のような数多の光。それは、蜂の姿をした念弾であった。ここに至り、彼はようやく、彼女の能力の真価を知った。

 ポンズの能力。それは、術者をも置き去りにする独立性だ。ただ、蜂のようにありなさいと、彼らは、そう願われて生み出された。故に。彼らは、一つの個として独立して、蜂であることを優先したのだ。擬態にすぎぬと知りつつも、母の望んだそのままに、この大空に群れていた。

 念弾がポックルの体に染み込んでくる。このオーラの群れは妙に痛い。全身の神経が発火している。これまでの鈍痛とは違う鋭さ。笑い出したくなるほどの痛さだった。額を右手で押さえながら、彼は再び立ち上がった。

 左手はある。両足も。水塊は今にも崩れそうで、辛うじて流れ去ってないだけだったが、形だけはどうにか残っていた。それだけでよかった。自分の中に埋没する。残存する無念を集めようと、彼は自己の深窓へ向けて潜行した。だが、その時にはたと気がついた。彼の心に寄り添うように、弱々しい意志が漂っていると。左腕のスライムの真ん中に、誰かの無念が灯っていた。

 無念。そう、無念だ。彼が夢中で開眼した念は、無念をつがえて水の矢を放つ。であれば、既に死の境地に踏み込んでいる今の彼ならば、他の死者の無念をも汲み取れるのではないか。ポックルの頭に浮かんだ発想は、すぐに実地で試された。

 呼びかけるように瞑想する。まずは最も手近に感じた、銀髪の少女の無念から。ややあって、彼女ははるか暗い深遠から、驚いたように顔を見上げた。そんな気配が確かにあった。

 お互いに再び活が入った。スライムの手足がしゃんとする。ポックルも負けていられるはずがない。より深く、より遠くまで、貪欲に他者の念へと心を広げる。一つでも多く、共感する存在を探そうと。なにせ、これで確実に最後なのだ。自らの終焉を眼前にして、ちっぽけな存在と自覚しながら、彼は全霊以上のものを注いでいた。結果は驚くべきものだった。

 荒野の片隅に無念が集う。虐げられたものたちの残した悲哀が、大地にこびりついたやり切れぬ想いが、ポックルを目掛けて飛び込んできた。それら多くの死者達は、共通する死因を抱えていた。

 戦いで散ったマフィアがいた。無意味に潰された婦人がいた。恋人ごと殺された青年がいた。虐殺された大衆の恐怖が、赤子を殺された親の憎悪が、拷問に果てた激痛の記憶が、あの町に降り積もった沢山の無念が、たった一つの目的のため、善悪も忘れて殺到していく。ポックルは彼らの全てに向き合っていく。誰一人として拒まずに、心身の全てを開け広げ、惨憺たる無念を受け入れていく。体に染み込んでいた念弾が、よく知った仕草でくすりと笑った。

 これは一つの反逆である。圧倒的な力に対する、ちっぽけな個人たちの反逆であった。

 無念を糧に水が集う。ポックルが何かしようとしたのではない。集わせようとほんの微かに気を抜いただけで、自ずから空中に渦を巻いてきたのだった。

 水が集う。生命力の粒子にいざなわれて。いつしかそれは球体となった。洪水のように大量の水が、分子の大きさ、電磁気力の反発を容易く無視して、一握の空間に吸い込まれていく。渦巻くオーラで紫電が生じ、水はプラズマとなってなおも集う。

 ところがポックルはたじろいだ。今さら臆病風に吹かれはしない。が、皆と願いを共同する故、誰よりもそれを為したいが故、見抜いてしまった欠落を、無視することができなかった。確信したのだ。これだけの念の奔流は、彼の才能では扱えないと。

 悔しかった。歯がゆかった。ポックルとて、有象無象の凡愚ではない。むしろ天才と呼ぶに十分な、世界に羽ばたけるだけの素質があった。否、それ以上に才能があった。しかしそれでも、常識という一線を超えてはいない。

 やめてくれ、ここまでにしてくれと彼は焦った。たった一度しかないこのチャンスを、生涯最後に放つ一矢を、こんな形で終えたくない。生半可な力で太刀打ちできないことは身にしみていた。だが、このままでは触れることすらできはなしない。天賦の才は役に立たず、水球を矢に変えることも不可能だった。

 雨水は無常に集まっていく。治まる様子は欠片もなかった。余命は少なく、躊躇していられる時間はない。一か八か、ポックルは一歩前へ踏み出した。半ばやけになりながらも喉を鳴らす。無謀な挑戦だとは分かっていても、少しでも規模の小さい段階で、水球に触れる覚悟をした。

 その時、大きな掌が肩に触れた。優しく、力強く、さばけた様子で、ぽんと叩いて感触は消えた。陽気な忍者の声が聞こえた。それは完全な幻聴だった。振り向いても誰もいなかった。そのはずだった。

 風が、動き出した。

 水球から怖さが消失した。迫力はある。暴力的な現象は際限がない。なお一層に勢いを増し、竜巻そのものとなって周囲の水を貪飲している。半径およそ二百メートル、雨の染み込んでいた大地は乾き、地下水は枯れ、宙を舞う雨粒は跡形もなく、空の黒雲は消失し、きらびやかに輝く星々が見えた。ありとあらゆる水分が、円筒状の空間に限り存在しない。絶大な力の胎動が聞こえる。しかしそれでも、恐怖だけは全く感じなかった。むしろ、頼もしい安心感さえ匂っていた。

 そしてついに嵐がやんだ。今、一本の矢が静かに空中に浮いている。内部には七色に光るプラズマが流れ、風を凝縮した表皮に覆われ、凍ったように美しかった。ポックルはその矢にそっと触れた。氷のように静かだった。呼応して、左腕の水塊も異形の強弓へ変形していく。手首からリボルバーの如く出現する、三対六腕の星型大弓。弦はない。これは弾力で打ち出す武器ではなく、心で放つ祭器である。

 ここから先は得意分野だ。稜線の彼方の超遠距離、生命の欠如で衰えた視力、邪魔をする地形。それでも、問題は何一つとして存在しない。戦いの気配から方角は分かる。地形は土が、角度は夜風が教えてくれる。

 矢をつがえて、祈りを捧げながら引き絞った。渾身の力を使い切り、最後までオーラを込めながらも、完成された挙動は無造作に近い。額にふつふつと汗が湧いた。右手の筋肉が断裂を始め、脊髄が刻一刻と壊れていく。胃の腑の奥に死の味がした。彼は既に死に始めていた。辛うじて意識らしいものを保ちながらも、睡眠寸前のまどろみのように、頭が甘く溶けるのを自覚していた。だが、ポックルは終ぞ焦らなかった。鋭敏になりすぎた神経が、指先に全てを集中させた。

 狙いを定めて指が離れる。矢はゆっくりと滑り出し、唐突に光の速さに加速した。それは蜂のように鋭く飛び、水塊のように純粋に、風を切り裂く手裏剣のように、あの空の向こうまで消えていった。

 終えてみれば、なんとあっけない出来事であろうか。後に残ったのは静寂だけだ。ポックルは倒れながら空を見上げる。左手と両足は飛沫になって、ただの水へと返っていった。背中を打った暗い土が、彼の常しえの寝床となろう。最良の気分で眠れそうだ。

 天候は徐々に戻り始め、雨雲の穴が塞がっていく。彼は最後に星を眺めた。吸い込まれそうな無数の星が、金貨のように大きな月が、雲の切れ間に輝いていた。終わりゆく今のポックルにとって、それは絶対的な救いに見えた。たとえ人の内で殺しあっても、人類は月を殺さなくていい。あれだけはいつも見下ろしてくれる。あれだけは遠くに見上げていられる。海に漂っているように錯覚して、無性にシイラを食べたくなった。

 こうして、彼の生命は停止した。その死は決して悲劇ではなかった。駆け抜けた果ての価値ある到達。生まれ持った命を使い尽くし、彼は正しく終わったのだ。



 胸に穴が空いていた。



 最初に察知したのはマチだった。予知能力じみた勘のよさで、徴候が現れるより刹那に早く、恐るべき形相で荒野の方向を睨みつけた。彼女はその瞬間に走り出した。

 直後、アルベルトのオーラが明らかに変わった。延々と垂れ流されていた生命の力が、彼の体に纏わりつき、力強く庇護して留まっていた。機械の如き精密さで、全身に微塵の歪みもない。そしてまた、彼も即座に疾走した。あれだけの重症を負っていながら、その事実を全く感じさせずに駆け抜けていった。

 旅団の面々がそれに続く。誰もがオーラを全開にして、必死の形相ではるか彼方へ走り去っていった。駆ける以外、彼らは何も考えていない。自分や仲間の生死どころか、敵の無事さえ無頓着で、全員が一丸となって荒野の彼方へ消え去っていった。オーラの軌跡を後に残して、何かに吸い寄せられるようにその場から消えた。

「なっ……、おい、何が起こった……?」

 クラピカを肩に抱えながら、レオリオが呆然とした様子で呟いた。ゴンもキルアも唖然としていた。レオリオには何も異常は感じられず、少年二人も、強いて言えば微かな違和感をどこか遠くに認める程度の知覚しかなかった。彼らは皆、旅団とアルベルトの反応から、あの荒野で致命的な何かが起きたのを知ったのである。

「……終わった、のか?」

 レオリオが尋ねた。それは事実の確認ではない。突然訪れた幸運を、誰かに肯定して欲しいが故という心情が内心から色濃く浮き出ていた。

「ああ、終わりだと、思う」

 低い声でキルアは言って、ゴンの顔を窺った。彼もまた実に慎重に頷いて、戦いが終わったことに賛意を示した。まるで、少しでも大きな声を出せば、旅団が舞い戻ってくるかのようであった。

「勝ったんだ、よね?」

 ゴンが尋ねて、キルアとレオリオが無言で首を縦に振った。しばらく、誰も何も発言しない。物音の一つもたてなかった。だが、やがて。

「勝ったぞー!」

 思い切り仰け反ってゴンが叫んだ。歓声が歓声を呼び起こし、彼らは叫びながら抱きしめあい、背負った友人の肩を抱いて、足を踏み鳴らして狂喜を示した。そのために体力を使い果たし、すぐにふらふらと倒れそうになる。だが、これで少なくとも街は守れた。程度の浅い勝利だったが、旅団を撃退できたことだけは事実である。

「信じられねー。なんで生きてんだろ、オレたち」

 その場に座りながらキルアは言った。今さらながら、額にどっと汗が吹き出ている。それを手の甲で拭ってから、彼は仰向けに倒れこんだ。大の字になり、降り続ける雨を眺めている。ゴンもまた、彼の隣に座り込んだ。

「ってか強すぎだろ、旅団。まるっきり化け物じゃねぇか」
「怖かったね。……アルベルト、大丈夫かな」
「まぁ、元気に走り去っていったし平気だろ。つーかもう心配してもしょうがねぇよ」
「ああ。うん、そっか」

 ゴンとキルアの語らいを横目に、レオリオも地面に座ることにした。いずれ街に帰らなければならないだろうが、今はとにかく休みたかった。意識を失ったままのクラピカも、命に別状はなさそうだった。レオリオは思わず口を開いた。

「あー、安心したらなんか涙出てきた」

 情けない台詞が飛び出てくる。ゴンは面白そうに笑っていたが、キルアはやや間を空けてから目じりを拭った。

「やべ……、オレもだ。おいゴン。オレ明日から戦えないかも」
「なに言ってるのさ。キルア色々凄かったじゃない。刀とかバシっと受け止めちゃって」
「頼まれても二度とあんなことしねぇよ。つーかぜってーできねーっての!」

 二人は軽口を叩き合う。それはいつもと同じ光景だった。先ほどまでの死闘も、もはや過去の一部となり、彼らの血肉となったのだろう。レオリオはそんな歳若い友人たちの生き方を、微笑ましくも恐ろしい気持ちで見守っていた。ところが、しばらくしてゴンが右手を握り、拳を無言で見つめ出した。

「ゴン、どうした?」

 レオリオは尋ねた。キルアは何か思い至ることがあったようで、複雑な表情で彼の様子を観察している。

「うん……。少しは、浮かばれたかな、って」

 レオリオは詳しく知らなかったが、ゴンの仕草から大体悟った。事情をではない。心情をである。なによりも思い出したのはポンズの顔だ。レオリオは奥歯を噛んで沈黙した。口だけなら、ゴンの疑問に応えるのは容易い。だが、真実は誰にも分からないのだ。

「おーい、勝ったぞー」

 寝転んだまま、キルアが無責任に声を上げた。それは大気に吸い込まれ、雨の振る中に消えていった。ゴンとレオリオは顔を見合わせ、やがて、空を仰いで息を吸った。

「おーい」



 荒野。ヒソカの肉体を右肩で支えて、アルベルトは旅団と対峙していた。胸に大穴の開いた奇術師も、命までは喪っていない。心臓の代わりにガムを使い、その弾力で血液を流し、辛うじてだが、彼はいまだに長らえている。

 クロロはウボォーギンに抱えられて、旅団のメンバーに守られている。円陣は強固に固められ、壮絶な警戒心があらゆる方向へ牙をむいているのだった。

 雨の中、両者は無言で睨みあった。仮に旅団が攻撃に来れば、彼らは必ず勝てるだろう。だが、それを為すことはできなかった。アルベルトに団員を殺す力はないが、抱えた弱点が致命的すぎた。能力の戻った状態であれば、瀕死のクロロを充分に狙える。

 現在、アルベルトには能力が戻っていた。視界には浮遊ウィンドウが幾つも並び、様々なデータを示している。オーラの残量ゲージはゼロ寸前で、体はレッドアラームだらけである。だが、そんなことすら微笑ましくなるほど、全てが彼にとって懐かしかった。

 マリオネットプログラムが分析する。謎の攻撃はヒソカを背中から貫いて、一直線にクロロへと向かった。頭部を吹き飛ばすはずだった一撃を、恐らく彼は右腕でいなした。とっさの、無意識による判断だろう。とほうもない水準の反射であるが、凝縮された生命力が、そこで一気に爆発した。結果、盗賊の極意はそのイメージごと粉砕されて消失し、右腕を伝った余波が血液を伝い、心臓の内部で致命的に爆ぜた。

 アルベルトはクロロを見つめていた。彼もまた、おぼろげな瞳で見返していた。黒い、吸い込まれそうなほど深い透明な闇。やがて旅団はその場から消え、アルベルトも、ヒソカを抱えて帰路についた。

 胸に抱く感傷は多かったが、言葉は何一つとして掛けなかった。誰もが終始無言だった。全員が理解していたのである。また、すぐに会うことになるだろうと。

 終わりは近い。それは終演の前兆であった。



 ドリームオークションは眠らない。ネオンの瞬く大きな通りを、アルベルトは、ヒソカを肩で支えて歩いていた。夜は未だに暗かったが、雨脚はだいぶ控えめになっていた。あまり多くない数の通行人が、遠巻きに奇異の目で眺めていた。血と泥で汚れた男が二人、重症を負った体を引きずり、支え合うように歩いているのを。

 ヒソカの体が重かった。

 胸に大穴を明けられても、彼の命は終わらなかった。残り少ないオーラを用いて、辛うじて、穿たれた傷を塞いでいる。それでも、分析せずともアルベルトには分かった。もう、永くはない。

 ヒソカの太い腕の力が、だんだんと弱弱しく抜けていった。重力に負けて体が落ちる。アルベルトは自らの腰を一旦下げて、力を込めて抱えなおした。左手がないのを不便に感じだ。

「戦いたかったんだ、クロロを♠」

 独り言のようにヒソカが言った。熱に病んだ目つきで地面を見つつ、雨水の滴る前髪をたらして、蒼白な顔色で白い吐息を洩らしていた。アルベルトは隣に視線をやることも叶わずに、ただ、ああ、とだけ小さく頷いた。

「殺したかったんだ。この手で♦」

 壊したかったと、止めを刺したかったとヒソカが言った。獲物に想いを馳せると同時に、筋肉に生命が戻ったのだろうか、恐ろしく強い、瀕死とは思えぬ腕力が、アルベルトの肩を軋ませた。戦ったじゃないか、とは言えなかった。その言葉はとても蒙昧で、あてつけがましく、そして何より酷薄だった。

「クロロは、壊れちゃったかな♣」
「……生きては、いるだろうけどね」

 下手な慰めはできなかった。詳しい観察こそはできなかったが、死んでないことは確かだろう。なにしろヒソカが死んでない。だが、これからどうなるかは不明だったし、再び戦闘できるほど回復するかはさらに未知数だった。盗まれた能力の帰趨も含めて、アルベルトとしては、是非とも命を断っておきたかった。しかし、今はそのような些事よりも。

「なあ、ヒソカ」

 アルベルト自身の呼吸も弱い。肉体に力は残っておらず、オーラの残量はあまりに少ない。それでも、彼はヒソカに問い掛けた。

「決闘しないか、僕と」

 立ち止まって、男たちは至近で顔を見つめ合った。ヒソカは目を丸くしていたが、やがて、玩具を見つけた子供のように、嬉しそうな瞳で陶酔して笑った。

「殺し合おう。いつかの約束のとおりに、さ」
「ああ、そうだったね♥」

 アルベルトを見上げてヒソカは笑う。今年の初め、初めて会ったあの日のように、とても歪でよこしまで、あまりに綺麗な微笑みだった。その眼は色鮮やかな未来に輝き、無邪気な期待感に満ち溢れていた。

「さぁ、戦おうじゃ、ないか♠」

 それっきりだった。それっきりヒソカは何も言わず、肉体から、あらゆる存在感が抜けていった。胸元を塞いでいたオーラがほどけ、こぽりと、鮮血の塊が地面に落ちた。水溜りが赤く色付いて、通行人の悲鳴が上がった。体温はまだ少し残っていたが、ヒソカは二度と動かなかった。

 夜の街並みをアルベルトは歩く。物言わぬ友人を支えながら、たった一人で、一歩一歩と歩いていった。警官たちが駆けつけてきたが、ライセンスを提示して黙らせた。邪魔されたくはなかったのだ。アルベルトにとって、彼は確かに友人だった。ひどく奇妙な関わり方で、一方的な憧れにすぎなかったが、友情らしき好ましさを感じていた。……だからこそ。

 ヒソカは、戦いの中で散ったのだと、アルベルトは己の心に深く刻んだ。



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【渦潮太鼓 変化系】
オーラを渦状に変化させる念能力。
術者からオーラが離れた際は、最大射程は十メートル。

【魂の静穏の聖油(オイル・アタラクシア) 変化系】
オーラを癒しの薬液に変化させる念能力。
万障に効くが、外用薬のため体表面の傷や疾患に対して特によく作用する。
自然治癒しない症状の場合、ある程度の緩和に限り可能である。

【虎杖丸(クトネシリカ) 強化系・具現化系】
神話を模した一子相伝の護り刀。
最長で一秒という短い時間に限り使用者の身体能力を著しく上昇させる特性がある。
反面、刀としての性能はありふれた名刀並のそれでしかない。

【我流天昇(ランページキャノン) 強化系・放出系・操作系】
瞬間的に乱打される喧嘩アッパーとそれに附随する放出攻撃のコンビネーション。
威力こそ高いが、動作が定型として決まっているため、発動中は正面上方以外に対して無防備となる。

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次回 第四十一話「ヒューマニズムプログラム」


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