秒針が時を刻んでいる。エリスの腰まで届く髪は柔らかく、窓から差し込む陽光を浴びて淡い金色に輝いていた。この優しい髪色が好きだった。何度も丁寧にブラシを通して整えてから、リクエスト通りの髪型に編み上げていく。ドレスは淡い緑のAラインで、今朝方届いたばかりの品だった。大人びた黒と違い歳相応の可愛らしさのある色彩だが、すらっとした裁断は落ち着いた上品さと華やかさをも同時に演出していた。もちろん、背中は大きく開いている。
肩に落ちた糸屑を払い、ネックレスとポシェットを着けて完成だった。姿見の中の自分に満足したのだろうか。エリスも満足そうに微笑んだ。この後に控えた最終試験、それさえ受かれば合格だった。ようやくここまで来れたのだ。あと一つ。たった一つ。だからこそ、是が非でも通過しなければならないのだ。
「アルベルト。その……、心臓はもう、大丈夫?」
エリスが不安そうにおずおずと聞く。あの夜からずっとこんな感じだ。目の前で直接死にかけたのがまずかったのか。エリスは何かにつけて僕の容態を心配し、安静に休ませようとする。食事もベッドの上で摂らされる有り様だった。
しかし僕の身体に問題はない。あれから三日が経っている。心拍は完全に安定していた。それを証明してみせようと、エリスを腕の中に招き寄せた。
「大丈夫だよ。ほら、聞いてごらん」
「……うん」
胸に耳をあて、僕の鼓動に聞き入るエリス。その表情はとても真剣で、何かを祈るように厳かだった。しばらくの間そうしてから、ようやく安心したのだろうか、徐々に力が抜けていくのが分かった。
「もう、無理しちゃ駄目よ」
「善処するよ。これでいいかい?」
僕の返事を聞いたエリスは、何故か、泣きそうに顔を歪ませた。
ハンター協会の管理するホテル内部の巨大な部屋、最終試験会場で待ち受けていたのは、勝ったものが外れ、負けたものが次へ進むという実に変則的なトーナメントだった。発案はネテロ会長本人らしい。不合格者はたった一名。もはや選別するつもりがあるとは思えなかった。では、この試験は何を目的としているのだろうか。
わずか一名といえ十人の内の一割だ。能力を試して選別するには少なすぎ、余興で落とすには多すぎる。今年の新人戦力の一割を削ってまで、協会がやりたい事とは何だろうか。
今までの試験の目的は明瞭だった。基礎体力およびハンターとして最低限の自己防衛能力。観察力、情報収集能力、決断力。チームプレー時の能力及びより実戦的な環境下での総合力。そして対人ハントの実地試験。しかしこの試験には目的が見えない。それが少し不安だった。
考えているうちに名前を呼ばれた。はじめは僕とヒソカの対戦だった。
不合格┬┬┬┬┬アルベルト
││││└ヒソカ
│││└ゴン
││└ギタラクル
│└エリス
└┬┬┬クラピカ
││└ハンゾー
│└トンパ
└┬キルア
└レオリオ
アルベルト vs ヒソカ
マスタと名乗った立会人の指示に従い、部屋の中央に進んでヒソカを相手に向かい合った。これが第一試合という事もあって、周囲は固唾をのんで見守っている。受験者の中でも上位に入る戦闘力の持ち主同士の戦いという事情もあるのかもしれない。しかし、彼らが期待するような展開にはならないと断言できた。
率直に言おう。僕は負ける気満々である。エリスとの対決まで負け進み、彼女の合格を勝ち取ってから次の試合で勝利する。最終試合で当たる可能性がある受験者はクラピカ、ハンゾー、トンパ、キルア、レオリオ。彼らを侮るつもりは微塵もないが、例え五人が束になっても圧勝できるだけの実力差があった。エリスは確実に合格し、僕も恐らく合格できる。試験の空気は確実に白けるだろうが、もはやそれも些事でしかない。
ヒソカが一枚のトランプを取り出し念を込めた。振りかぶり、腕に例のオーラを張り付ける。試合開始と同時に仕掛ける気か。その準備も、楽しそうに笑うその笑顔も、もうすぐ無駄になるだろう。
開始の宣言と同時に僕は口を開き、ヒソカはトランプを投合した。なぜか、真横へ向けて。
マリオネットプログラムが軌道を予測する。その先にはエリス、着弾予測位置は頸動脈。間違いなく最悪の展開だった。理由を考えてる暇はない。オーバークロック2始動。安全係数の設定が全て解除され、処理速度のみならず筋力とオーラの体外顕在量を極限まで上昇させる。プログラムで再現した火事場の馬鹿力。それがこの設定の正体だった。
右足の硬で床を蹴り、飛翔するトランプに追い縋った。蹴り締めた床が爆砕される。遅い。速度差があまりに少なすぎた。空気の粘性が強すぎる。乱流が邪魔だ。念弾発射用意、目標撃破までコンマ八秒。却下。絶望的に遅すぎる。このまま何もできないのか。皮肉なほど緩やかな時が流れる中、トランプは吸い込まれるようにゆっくりとエリスに迫る。そして。
隠で張り付いていたオーラが収縮し、ヒソカの手元に戻っていった。
呆然としながらも床を殴り、反作用で軌道を修正、エリスとの衝突を回避した。勢いのまま天井に着地し、表面を盛大に削って減速する。
「まいった♠ ボクの負けだ♥」
間延びした声を確かに聞いた。誰も彼もが唖然としている。時間が凍った心地すらした。あの奇術師はこの瞬間、間違いなくこの場を支配している。それが無性に悔しかった。
オーバークロック2 解除
十分に勢いを減じさせてから、僕は床に降り立った。何が起きたか、考えたくもない愚かな失態。僕はあまりに間抜けだった。油断するにも程があった。なんで、一番重要な最終試験でミスをするのか。今すぐ頭を叩き割りたい気持ちだった。
「しょ、勝者アルベルト・レジーナ!」
静まり返った会場で、立会人が職務を果たした。周囲がざわつき、視線が飛び交う。この瞬間、僕の合格が確定し、僕の思惑は無惨に散った。なにも言わず、なにも問わず、心底嬉しそうに抱きついて祝福してくれるエリスの優しさが、今はとても辛かった。
クラピカ vs ハンゾー
その試合は順当に始まり、順当に破綻し、至極順当な結末を迎えた。
オーバークロック2を使用しつつ最大負荷での戦闘機動という、脳を物理的に損傷してもおかしくない無茶をした僕は、自己診断プログラムをセーフモードでゆるゆると走らせていた。実のところ、立っている事さえ好ましくない。オーラの残存量が四分の一を切っている。処理能力制限で思考領域が圧迫され、さっきから目眩が止まらない。しかし、ここで座り込んでしまったら、エリスは確実に動揺する。これから試合を控えた僕の最愛の妹に、そんな負担をかけられるはずがなかったから。
部屋の中央ではクラピカがハンゾーに打ちかかっていた。一対二本の木剣を長めの紐で繋いだ特徴的な武器を、縦横無尽に振るっている。あるときは鞭の如くしなやかに、あるときは槍の如く鋭い突きを。あれでは間合いが読みにくい。次々と繰り出される打撃は的確に体重を乗せており、木剣といえども一撃の重さは十分だろう。それを、ハンゾーは全て捌き続けていた。
分析機能は休止しているが、明らかにクラピカはハンゾーに勝負してもらっていた。クラピカに能力を見極めさせる為だろう。ハンゾーに受け身に廻ってもらえれば勝負が成立するほどにクラピカは強かった。しかし、だからこそ本人は実力差を実感せざるを得ないのだ。
「……頃合いだな」
呟いて、ハンゾーの動きが切り替わった。全身のバネを使った躍動感のある体術。それで後背に回り込んだ。恐らく、クラピカには消えたように見えただろう。慌てて振り向くクラピカの手中から、一対の木剣が弾き飛ばされた。ハンゾーが踏み込み、強めに腕を振り抜いたそれだけで。
「これだけやれば分かっただろ。オレ達の実力は違いすぎる。早いとこ降参しとかねーか?」
「断る!」
「おいおい、オレはお前さんを話の分かる男と見込んでこんな事をしたんだぜ? 分かるだろ、なあ? ここで体力の消耗を最小限に押さえておけば、あんたなら確実に合格できる。な? お互いその方が得なんじゃねーか?」
「……くっ」
理性では分かる。しかし納得は絶対にできないとでも言うように、クラピカが奥歯を噛み締める。そんな二人の様子を見て、会長がこの試験でやりたかった事を、僕はおおよそ推察できた。名付けるならそれは生け贄の宴。ちらりと会長を窺ってみる。外見は飄々とした老人だが、なんとも性格の悪い人だった。
「……なあ。オレもお前も、この場だけの強いとか弱いとかどうでもいいじゃないか。そりゃ、俺だって実力には自信があったけどよ、世の中にはどうしようもねー化け物がいるんだって思い知ったばかりだしな」
小指の先で耳の穴をほじくりながら、ハンゾーは僕に対して視線を向けた。否、むしろあからさまに睨んできた。なぜそこであえて僕なのだろう。返す返すも悔しい限りだが、先ほどの一戦は明らかにヒソカが上手だった。これでハンター試験中、彼にはしてやられっぱなしだった事になる。本当に、悔しい。
……いや、派手に動いたのは僕だったか。
なるほど、確かに分かりやすい例としては僕の方が適切だろう。しかし彼らは遠からず知る事になるのだ。念能力という、僕達が使った奇術の正体を。そうなれば、僕らも楽に勝たせてはもらえなくなる。
結局、クラピカが降参したのは、それから十秒ほど経った後だった。
キルア vs レオリオ
「っていうかさ! 組み合わせがぜってーおかしいって! 何考えてんだあの爺さん! ありえねーだろ!」
試合中だというのに、キルアは盛大に愚痴を撒き散らしていた。レオリオというお父さんにお菓子をねだる駄々っ子のようだ、とは僕だけが抱いた感想ではないだろう。エリスも隣でクスクス笑っている。
「うっせークソガキ! ちっとは真面目に戦いやがれ!」
「わかった、よっ! と」
「ってーな! 蹴る事ねーだろ!」
もうまるっきり漫才だった。会場のそこかしこから笑い声が漏れる。エリスは口元を隠しつつ、「淑女の笑い」の範疇で納めようと必死になって堪えていた。さぞかし腹筋が鍛えられる事だろう。
なんでも、キルアは弱い受験者とばかり当たるトーナメントの組み合わせが許せないそうだ。彼の見立てでは最初にレオリオ、それで負ければトンパ、最後に当たるだろう相手がエリスとの事で、ハンター試験に面白さを求めて参加した少年の目論見は、見事に崩れる事となったらしい。だって一番マシなのがレオリオだぜ!? とは本人の弁。クラピカがもうちょっと頑張ってハンゾーを叩き落としてくれてたらなー、とも言っていたが、すぐに何かに気付いたのかトンパを見て、わりぃ! と謝っていたりもした。トンパの頬がひくついていた。
二人はそうやって数分間、じゃれあいの戦闘を続けていたが。
「ま、いつまでも遊んでいてもしゃーねーか。オイ、キルア。次で最後にしようぜ! 攻撃を先に当てられた方が負け。四の五の言わずにまいったと認める。どうだ?」
「ん? ああ、いいぜ」
二人の間の空気が変わった。キルアが裏の人間の顔になる。鋭利なナイフを人型に産み、丁寧に研摩し育て上げた姿だった。少年の奥底にたゆたう純正の闇。それに正面から対峙できるレオリオも流石だ。武器、兵器、拷問具。鑑賞するにはいい。しかし使用する意志を持ってそれらを己に向けられたら、誰もが必ず怖気を抱く。
傷つけることに特化した道具から放たれる殺意はとても怖い。それが人として当然の感性だ。そうでない人間の方が異常だった。レオリオも確実に正常の側だろう。キルアの性能を感じ取れないほど、鈍い人間にも見えなかった。
しかし、彼は怯まない。
力も、技も、才も及ばない。もちろん念使いであろうはずもない。彼は特別な何かを何も持たず、自分の人格だけであれに立ち向かっていけるのだ。普通を許容できる人間はとても強い。それは、魂そのものの強さだから。
「はい、オレの勝ちね」
「だーっ、ちきしょー! おい審判! オレの負けだ! こんちくしょー!」
ほんの少し、彼の強さに憧れた。
無性にエリスを抱き締めたい気持ちだった。
不合格┬┬┬┬ヒソカ
│││└ゴン
││└ギタラクル
│└エリス
└┬┬クラピカ
│└トンパ
└レオリオ
ヒソカ vs ゴン
ヒソカが、とても、輝いていた。
なんとも楽しそうな顔だった。奴は少し、人生を謳歌しすぎている気がする。一方でゴンも楽しそうだった。釣り竿を握りしめ、ヒソカと対峙する表情が語っていた。オレは今、ゾクゾクするスリルに身を焦がしているのだと。
「やあゴン♣ 準備はいいかい♦」
「ああ。いくぞっ!」
愛用の釣り竿をゴンが振るい、重りと呼ぶには大きすぎる鉄球がヒソカを襲う。あやまたず顔面に飛来するそれを避けようともせず、ヒソカは優しく受け止めた。もとより当たるとは考えてなかったのだろう。次の瞬間、既に懐に潜り込んでいたゴンは、釣り竿のロッドで打ちかかる。棒術。いや。ただの子供の思いつきか。だが、それにしては腰がよく入っていた。自分の身体の使い方を、あの歳で既に感覚として得ている。
二撃、三撃と繰り出されるゴンの攻撃を、ヒソカはいなし、受け止め、存分に味わい遊んでいた。ヒソカの顔が愉悦に歪む。なんとも形容しがたい表情だった。まるで美味しそうなお菓子を目の前にして、食べたいがとってもおきたい少年のような。
「あっ!?」
ゴンの手から釣り竿が滑った。放物線を描いて飛んでいく。見学者が一斉に注目する。が、次の瞬間。
「え、消えた?」
「エリス、上だよ。ほら」
ゴンは高く跳んでいた。隙をつき、顎を狙った跳び膝蹴り。意図的な武器の放棄による意識の誘導か。それほど斬新な手ではないが、選択のセンスがかなりいい。そして素晴らしいバネだった。躱したヒソカも大喜びで、ネテロ会長も頷いていた。
「あーあっ。もうちょっとだったのに」
悔しがりながら着地した。これもゴンの強さだろうか。子供らしい自由で柔軟な発想を、実戦でどんどん試す事ができる好奇心。ゴンはきっと、戦闘そのものに何の他意も持っていない。だから無邪気に追求できる。彼が暴力に怒るとしたら、それは行為そのものではなく害意と結果についてだろう。
「クックック♥ やっぱりイイね、キミは♦」
ヒソカも大満足の様子だった。どうやら、僕が予想した以上に気に入ったようだ。無理もない。恐ろしいほどの素質。果ての見えない将来性。それはきっと、高みにいる人間ほど良く見える。僕よりヒソカの方がゴンに興味を抱くのも、至極当然なんだろう。
「さあどうした♠ 今ので終わりかい?」
「まだまだっ!」
言って、ゴンの攻撃が再開された。勝とうとしてる様には見えなかった。ヒソカという実力者から少しでも盗み、アイディアを試そうとする戦い方。まだ戦えてる事自体に喜びを見出し、自分の成長を喜んでいる。そんな推測さえ浮かんだ二人の戦闘は、やがてヒソカの芯を捕らえたアッパーにより、ゴンが優しく気絶させられた時点で終了した。
「もっと鍛えな♣ ボクにプレートを返せるように♦」
意識を失ったゴンにそう投げかけて、ヒソカが敗北を宣言したのだった。
クラピカ vs トンパ
「まいった。オレの負けだ」
開始して二分も経たないのに、トンパが突然降参した。試合のほとんどが間合いの駆け引きと小手調べの小競り合いだった。両者ともろくな有効打を与えていない。
「……いいのか?」
「ああ、お前とオレとじゃ地力が違う。格下だと油断していれば隙を見て勝負を挑むつもりだったんだが、そんな様子も全然なかったからな。せっかく三回もチャンスがあるんだ。これがオレの戦略さ」
「分かった。ならば私は何も言うまい」
立会人が勝者を宣言する。お互いに軽く頷きあい、歩み寄って握手を交わした。
「ハンター試験合格、おめでとさん」
クラピカを祝福するトンパの姿は、とても小さく、寂しそうに見えた。
不合格┬┬┬ヒソカ
││└ギタラクル
│└エリス
└┬トンパ
└レオリオ
ヒソカ vs ギタラクル
今日はヒソカの日なのだろうか。嬉しそうにギタラクルと対峙するヒソカを見て、僕は馬鹿な事を考えた。
二人は見つめあったまま何も言わない。オーラも静かに波打っている。
「まいった♠」
しばらくして、ヒソカが退いて試合は終わった。
しかし、それからが問題だった。ギタラクルは会長にこれで合格は確定かと尋ね、肯定されると何を考えたのだろうか、寛ぎながら観戦モードに入っていたキルアの元に訪れた。
「や。奇遇だね、キル」
「は?」
いぶかしむキルアを無視し、頭部の針を抜きはじめるギタラクル。軋み、変形していく頭蓋骨。おもわずエリスの目を隠した僕の判断は、きっと間違ってなかっただろう。死体などとは方向性の違う、常識を冒涜するようなグロテスクさを含んだ光景の後、一人の青年が現れた。後で知ったがこの男、本名をイルミ=ゾルディックといい、キルアの実の兄らしい。
立派に成長してくれててうれしい、それとなく様子を見てくるように頼まれた、など物騒ながらも家族らしい会話を繰り広げた後、ギタラクルはキルアに問い質した。なぜハンター試験を受けたのかと。
「別に、理由があった訳じゃないよ。ただなんとなく受けてみただけさ」
「……そうか、安心したよ。心置きなく忠告できる」
お前はハンターに向かない。ライセンスをとってしまったのは仕方がないが、天職は殺し屋だから家に戻れと告げるギタラクル。その言葉はある意味で正しいだろう。ハンターとしてのキルアの才能は未知数だが、殺し屋としては間違いなく一級品だ。門外漢の僕でさえ分かるのだから、真実は更に上かもしれない。だけど、僕はギタラクルの態度が気に入らなかった。エリスが僕の腕にギュッと抱きつく。彼女の頬に掌をあてた。
家族は、お互いに尊重するべきだと思うのだ。
二人の話は進んでいく。ゴンと友達になりたいという内心を吐露するキルア。頭から否定するギタラクル。その関係はきっと歪だ。しかし、彼らが殺し屋という家庭事情だから特別に見えるだけで、世の中にはもっと歪な家族関係が五万とある。部外者の僕が横から口出しする理由にはならなかった。
ただ、説得の技術として見た場合、ギタラクルの手腕は最悪だった。やらない方がマシだった。僕も職業柄、数々の交渉現場を見たり参加したりしてきたが、あれほど高圧的な態度はずぶの素人以外に見た事がない。恐らく彼は生っ粋の殺し屋で、それも実動専門なのだろう。本人としては兄として弟を導くべく精一杯頑張ってるつもりなのだろうが、力技以外でキルアの同意を得られるとは思えなかった。そもそもギタラクル自身にも、力技以外の落とし所が見えてなかった。
これではそもそも説得ですらない。相手の同意を得るつもりが全くなく、自分が何を実現させたいかも把握してない。それではキルアは傷付くだろう。それを見たエリスは悲しむだろう。妹が僕を見上げていた。瞳に宿る彼女の光が、濃いめのダークブルーの虹彩が、優しい悲哀に揺れていた。言葉はなにもなかったが、願いを断る術はなかった。
金の髪をそっと撫でた。エリスは一緒についてきたがったが、僕は首を振って諦めさせた。万が一戦闘になった場合、守り切る自信がなかったのだ。大丈夫、戦う気はないよ。そう囁いてから腕を離した。
ついにギタラクルはゴンを殺そうと言い出した。実にあっさりした決断だった。試験官の一人を殺しながら情報を聞き出し、隣の控え室へ向かう彼の目は本気だった。クラピカとレオリオ、そして黒服達が扉の前に集う。
オーラの残量が心許ない。マリオネットプログラムは戦力にならない。それでもいい。行こう。エリスが望んだ。それ以上の理由は必要なかった。
「クラピカ、レオリオ、すまないがここは譲ってくれ」
扉の前に立ち塞がる二人を宥めて下がらせる。たとえ実力差が明瞭でも、彼らは怯まず立ち向かうだろう。そして必ず死ぬだろう。
「ちょっといいかな」
「なに? 邪魔するの?」
「まあ、そうなるね。エリスが、ゴンを殺して欲しくないそうだから」
額に針を三本刺された。いや、気が付いたら針が生えていた。全く反応できなかった。セーフモードのマリオネットプログラムで戦えるレベルの相手ではなかった。脳神経の結節が三つ、的確かつ最小限に刺激されていた。自己診断プログラムに一時停止を命令し、バイパス経路を構築させる。与えられたダメージは面倒だが、得られた情報は重要だった。彼自身や試験官に使用した際の事も合わせて考えると、針を刺した対象を操作するタイプの能力だろう。暗殺に関わる何らかの技術、恐らく拷問術と念能力の組み合わせか。使い勝手はよさそうだった。
「気がすんだかな? 残念だけど、僕にこの手のものは効かないんだ。早い者勝ちだよ。知ってるだろう?」
余裕を装い、面倒くさそうに針を抜きながら言ってみる。僕の動揺は外部に漏れない。周りにいた人間が驚愕し、ギタラクルもわずかに目を見開く。固まっていたエリスが息を吐いた。だが、実際には厄介な攻撃だった。操作ではなく破壊主眼でこられらたら、今の僕には対処できない。今のうちに場の主導権を握りたかった。
「ネテロ会長、よろしいですか?」
「うむ、なにかの」
この場を預かる責任者だというのに、先ほどからずっと傍観に徹していたネテロ会長に話を振る。
「これから彼、ギタラクル……、は偽名だったよね」
「イルミ=ゾルディック。イルミでいいよ」
「どうも。イルミがキルアの為にゴンの殺害を試みるより、両者共に満足度の高い解決手段を提案したいと思います。そこで一つ、わがままを聞いて頂けませんか?」
「さて。どうだかのう……」
顎ヒゲをさすり、とぼける会長。だいたい分かった。部下を持つ身が故の優柔不断や世渡りの秘訣などではなく、この人はこういう性格だ。
「ご助力頂けるならプロハンターの方をお一人お貸し下さい。彼らの問題が平和的に解決できるなら、それが一番ではないでしょうか?」
「しかたないの、ワシが行こう。ブハラ試験官、この場を任せる。試験再開じゃ」
会長の案内で別室に移動する。張本人のイルミとキルアに対しては、あえて確認をとらなかった。キルアはともかく、イルミは現状で話し合いに応じるメリットは低いと思ってるだろう。ネテロ会長と僕が組んだ場合の戦力計算と、本当にゴンを殺すなら立ちはだかるだろうヒソカとの戦いの想定、後は単に話の流れだったからという理由だろうか。そのような状態の彼の前に、話し合いに応じないという選択肢をぶら下げたくはなかったのだ。
こうして会長と僕を交えつつ、イルミとキルアの話し合いが再開した。僕が司会を勤め、話す役と聞く役を明確に分けたのが良かったのだろうか。今度は相手の話に耳を傾け、お互いの立場を知る機会を得た。双方、目の前にいるのが言葉の通じる動物である事を再認識できたのだった。
元々、兄弟仲はそこまで悪くはなかったのだ。イルミがキルアを心配し、キルアがイルミに内心の願望を吐露できるぐらいには。用意してもらった甘いお菓子も、心をほぐすのに役立ったかもしれない。
結局、これから控えるイルミの仕事が終わり落ち着いた所で、彼らの父や祖父を交えてもう一度話し合う事でまとまった。
やっぱり、家族は仲良くするべきだと思う。
「会長、ありがとうございました」
「うむ。悪い結末ではなかったの」
「ええ、全くです」
彼らを部屋に残したままの帰り道、僕はエリスの事が気になっていた。トンパ対レオリオの戦いが終わったら次は彼女だ。対戦相手がヒソカに決まった時点ですぐに降参するよう言い含めておいてはいるけれど、本人は不満な様子だった。エリスなら、最終試合で確実に勝てると思うのだが。
嫌な予感がした僕は、会長にもう一つお願いをした。
トンパ vs レオリオ
「二時間以上外していたはずなんだけど……」
「ご覧の通り、レオリオの試合は続いてるよ。それよりキルアの件はどうなった?」
「エリスが来てから話すよ。ほら、向かってきてるから」
「わかった、頼む」
会場に入るなり寄ってきたクラピカに促され、僕は事の顛末を説明した。二人ともそれを聞いて大いに喜び、よくやってくれたと感謝された。レオリオもクラピカが見せたサムズアップで概略を悟って、殴られて腫れ上がった顔でサムズアップを返していた。そう、彼にはそれぐらいの余裕があった。
一方でトンパはぼろぼろだった。顔面こそレオリオ程は腫れてないものの、全身の動きが明らかに鈍い。医者を志望するレオリオならば、身体能力に響く部位へのダメージの与え方も押さえていたのだろうか。
しかし、僕は内心意外だった。トンパの話はトリックタワー内部を攻略中に、ポックルとポンズから色々と聞いた。十歳の時からハンター試験を受け続け、今年で三十五回目を数えるベテラン中のベテラン受験者。だがその実態は新人潰し。なにも知らないルーキーを潰し、他者の絶望を間近で眺める事を趣味として、攻略以上に精を出す異色の人物。いや、噂では既に合格する気もないらしい。聞けばエリスも一次試験前に怪しげな缶ジュースを勧められたという。
そんな人物が最終試験に残ったと知ったとき、僕は何かの作用でひょっこりと勝ち抜いてしまったのだと推測した。であるなら、勝利に固執する事はないとも思った。クラピカ戦の結果もそれを裏付けていた。
正直に言おう。僕は彼こそを不合格予定者として計算していたのである。
ところが彼らは二時間以上殴り合いを続けている。若く体格にも恵まれたレオリオは分かる。気力体力共に充実してるし、なにより彼にとってこれは勝てる戦いだ。しかしトンパは違う。四十路を廻って衰え始めた肉体で長時間、勝ち目のない戦いを続けている。何かを企んでいるにしろ、いないにしろ、合格を目指さない男がこれだけの事をできるだろうか?
「おらっ!」
レオリオの拳が鳩尾に突き刺さる。たまらずにトンパが崩れ落ちた。四つん這いになって床を睨み、体内に反響する痛みに耐えている。レオリオは息を荒くしながらも、隙だらけのトンパを追撃しない。
「レオリオはなんで強引に畳み掛けないのかな? 体力に任せれば可能だと思うけど」
「これは私の推測だが、お互いに満足のいく試合をしたいのだろう。いや、違うな。今の言葉は撤回しよう。奴のあれは性格だ。はじめからあんな戦い方しか頭にない。レオリオはそんな男だよ」
クラピカの返答に僕も頷く。レオリオとの付き合いは短いが、それが正しいような気がしたのだ。エリスが僕の手を握りしめた。
「っ痛! まったく、後から響く嫌なパンチしてやがるぜ」
「あんたもな。体中痛くてたまんねーよ」
「よせよ。そう効いちゃいないはずだぜ」
起き上がりながら軽口を叩くトンパに、レオリオも軽い調子で合いの手を入れた。
「本当はな、あんたとは十分以内にケリを着けるつもりだったんだ。十分以内ならオレが有利、三十分までならほぼ互角、それ以上時間がかかったらジリ貧だって見ていたんだ」
クラピカを見ると頷いた。実際の戦闘もそれとほぼ同じ推移だったらしい。正確な目算だったという事だ。これこそ、飛び抜けた実力もない男がハンター試験という舞台に立ち続ける事が出来た理由だろうか。
「それが、あと十分粘ってみよう、あと五分、あとパンチ一発位は、ってな。おかしいよな。最終試験に残っちまったからって、そこそこでやめておく方針は変えなかったはずなのに」
トンパの視線がレオリオの目を射抜く。レオリオは何をするでもなく、ただ正面から見つめ返した。
「なあ、レオリオ。教えてくれよ。何でオレ、オマエとまだ殴り合ってるんだ?」
それがトンパの問いだった。三十五年間試験を受け続けた男が洩らした、一つの小さな問いだった。それに答えられるのは、きっと本人だけだろう。他人がいくら賢しげに語っても、トンパの心には響くまい。しかし、レオリオは当たり前の様に口を開いた。
「んなの簡単じゃねーか。納得できてねーんだろ? ならしょうがねえ。オレで良ければいくらでも付き合うぜ」
その気持ちはよく分かるしな、と付け加えて、レオリオはどんと己の胸を叩いた。そして痛みに顔をしかめる。肋骨にヒビでも入っていたのか。そんな二人の戦いの様子に、会場の空気が少し変わった。もしかしたらだがレオリオは、ハンターより教師の方が向いてるのかもしれないと、僕は益体もない考えを浮かべていた。
トンパが降参を宣言したのは、それから三十分ほど経ってからだった。
試合が終わり、痛む身体を引きずって部屋の隅へ向かうトンパに、ずっと見ていたハンゾーが一つ尋ねた。
「なあおっさん。試験に合格したかったのなら、次の試合でエリスって女に勝てば良かったんじゃないか?」
トンパは立ち止まって少し黙る。振り向いた顔は腫れながらも、微かな笑みを浮かべていた。
「ハンゾー、これからハンターになるお前さんに、試験を三十五回生き延びたオレが一つ教えてやるぜ」
「あん? なんだよ」
「あのお嬢ちゃんが一番やべーよ」
不合格┬┬ヒソカ
│└エリス
└トンパ
ヒソカ vs エリス
とうとうこの時が来た。僕は会長に視線をやる。向こうも目を合わせて頷いてくれた。ヒソカの意思など確認するまでもないが、エリスの方はどうなんだろう。
「エリス」
「……ごめんなさい」
そのやり取りだけで僕には分かる。それでも確認せずにはいられなかった。
「戦う?」
「ええ」
「なんでか聞いてもいいかな」
「だって、アルベルトに守られてばかりいたら、またあの時みたいになっちゃうじゃないっ!」
エリスが僕を見上げて悲痛に叫ぶ。ヒソカに心臓を打たれた夜の事だろう。それを持ち出されると、正直辛い。エリスの為に命をかけるのは心の底から本望だったが、心配をかけてしまったのは、言い訳のできない事実だから。
「エリス、一つだけ約束してほしい。危なくなったらすぐ降参する事。これだけは守ってくれないか」
「……うん」
妹の体を抱き締める。エリスは小さく震えていた。覚悟を決めよう。携帯電話の電波状況は確認してある。この部屋は確実に圏内だった。
「会長、お願いします」
「うむ。そのようじゃな」
手はずの通りにお願いする。ネテロ会長はこの試合を特例とし、立会人は自らが勤める事を発表した。その上で、当人達以外は待避するよう命令した。理由は周囲の危険が大きすぎることを鑑みてである。それを聞いて、ヒソカの唇が釣り上がった。
「僕も残ってよろしいですか」
「無論じゃ。残りなさい」
ざわめきが会場に広がるものの、やがて僕達を除く全員が退出する。広い部屋ががらんとした。避難部屋への誘導はプロハンター達が受け持っている。今頃は隣室のゴンも移動されているだろう。
「いいじゃないか♠ 素晴らしいサプライズをありがとう♦」
ヒソカは上機嫌で笑っていた。既に室内には四人だけ。試合の準備は整っていた。
「アルベルト、ちょっと待って」
「どうしたんだい?」
「もう少しだけ、このままで」
断る道理はない。右手でエリスの肩を抱き締めて、左手で頭を優しく撫でてやる。見下ろす位置にある白い背中に、何故か、オーラが集まり波打っていた。
「……エリス?」
「大丈夫。平気よ」
纏が解かれた。淡い緑のドレスが軽やかに揺れる。背中が赤く発光している。そして翼が生えてきた。具現化された真紅の翼。美しくも不吉なエリスの発。大きさは片方三メートルほど。性別と色を別にすれば、天使の姿にも見えただろう。やがて翼が発光を始める。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
腕の中で微笑むエリス。まさかこれを使うとは思わなかった。しかしそれ以上に問題があった。発現があまりにスムーズすぎる。溢れてくるオーラの量も多すぎず、適切にセーブされていた。今までは、これほど気軽に発現できる能力ではなかったはずだった。エリスは明らかに成長していた。それも、ありえないほどのスピードで。ハンター試験という実戦の場に置かれたからだろうか。いや、それよりも。果たしてこの成長は、本当に喜ばしい事なのだろうか。僕は言い様のない不安に襲われた。
「驚いたよ。あまり無茶はしないでくれ」
「そうね、ごめんなさい」
頬を撫でて言う。エリスはくすりと小さく笑って、ヒソカと戦うために中央へ進んだ。肩からは例のポシェットが釣り下がっている。貧者の薔薇が仕込まれた卵の化石が。
「もういいのかい♣」
「ええ。待たせたわね。ごめんなさい」
対峙する二人。ネテロ会長が開始を告げる。その直後、動いたのはエリスの方だった。軽くかざした手が発光する。次の瞬間、ヒソカに向け赤い光が放たれた。無論、ただの光であるはずがない。床と壁が陥没する。あれこそが赤の光翼のもつ特殊能力、光の速さの念弾である。
ヒソカはそれを紙一重で躱した。相変わらずとんでもないセンスだった。湿原で一度見ているとはいえ、ほとんど初見に近いあの能力を、経験と勘だけで見破ったのだ。光を媒介にした生命力の授与。回避の叶わぬ絶対の暴力を。しかし、エリスの攻撃がそれで終わろうはずもない。
「このっ!」
太い光での薙ぎ払い。正面がガリガリと削れていき、無惨な状況に成り果てる。ヒソカはそれを跳んで躱した。悪手だ。空中で避けられるはずがない。だが、奴の能力なら例外である。
オーラを天井に伸ばし収縮、更に上昇して追撃を避ける。直後に天井を蹴り斜め下へ跳躍。エリスの光が天井をひび割れだらけにした。ヒソカの三次元機動は止まらない。床、壁、天井にオーラを縦横無尽に張り巡らせ、あるときは収縮させ軌道を変え、ある時は恵まれたバネで跳躍する。あの男の対G限界はどうなってるのか。そしてフェイント。動きに虚実を混ぜてエリスの思考を翻弄した。
しかしエリスも負けてはなかった。戦闘経験の無さを能力で補い、頑丈な会場を瓦礫の山に変えていく。両手から赤い閃光を迸らせ、ヒソカを追い詰めようと乱舞した。僕も会長も流れ弾の回避に大変だった。壁際に待避していて比較的安全とはいえ、直撃を喰らったら一大事だった。ホテルが崩壊するかもしれないと本気で思った。果敢に攻撃を仕掛けられるヒソカが異常なのだ。
いかに光速の攻撃とはいえ、エリスの思考速度は人間並でしかない。故に微かなタイムラグがあり、ヒソカはそこを上手くついていた。しかし反撃は尽く失敗した。投げ付けたトランプは蒸発する。エリスにオーラを粘着させても、発光する掌で千切られた。全身に大きなオーラ塊を被せ行動を制限しようともしたが、ひと撫でされて消滅した。
エリスの攻撃は逆二乗の法則により距離とともに拡散して威力が弱くなり、逆に近付けば強くなる。光をレーザーの様に集束させる事はエリスにはできない。能力を使う機会に恵まれず、熟達してないためだった。
「なら、これでどうだっ♦」
ヒソカが辿り着いたのはカタパルトだった。部屋中に転がる瓦礫をオーラで飛ばし、その運動エネルギーで攻撃する。なるほど。あれならエリスも対処しづらい。部屋中を飛び回りながら投石するヒソカと、迎撃と撃破を試みるエリス。圧倒的な展開で始まった試合は、徐々に拮抗に向け傾いていった。
だがそれでも、エリスにはエリスなりに秘策があった。翼を広げ、四隅の一角に陣取り構える。なるほど、飽和攻撃か。悪くはない。しかしそれは、穴一つあれば回避できる。いや、もしかするとエリスの真意は……。
「建物ごと吹き飛ばしてあげるわ。ヒソカ、降参しなさい」
「クックックッ、やってみな♥ と、言いたい所だけど♠」
脅迫としては、エリスの脅し方は三流だった。だが、ヒソカは笑って両手を上げた。
「まいった。降参するよ♣ これ以上やると殺しあいになっちゃうからね♦」
なんとも不吉なセリフだった。心中では殺しあいを望んでやまず、そんな意思を隠そうともしない。しかし、これで試合は終了した。エリスの背から翼が消える。良かった。とにかく良かった。エリスの合格が、やっと確定してくれたのだから。
不合格┬ヒソカ
└トンパ
ヒソカ vs トンパ
やむをえぬ事情により試験会場を別の大部屋に移してから、最終試合の運びとなった。両者、中央に進み出て相対する。トンパは緊張で脂汗を流していたが、ヒソカはつまらなそうにトランプをシャッフルして遊んでいる。どうやら、彼には全く食指が動かないようだった。
「最終試合、ヒソカ対トンパ。始め!」
再び立会人を勤めるマスタが告げる。ヒソカは動かない。冷たい瞳でトンパを見下ろし、無言で早く降参しろと促していた。
「毎年、この時期になるとな、お袋がパンケーキを送ってくれるんだ。果物の砂糖漬けがたっぷり入ってて、子供の頃からオレの好物でさ。ハンター試験を受けるのに最後まで反対した人だけど、受験し続けたら一番応援してくれた人なんだ」
俯いたまま、トンパがぽつぽつと語りだした。
「出発する日にはかみさんが気合いの入った弁当をこしらえてくれてさ。最近じゃ娘も一緒に手伝ってくれて。それがまた旨くってよ。だけどオレ、試験に受かる事を諦めてたんだよな」
これが、会長がやりたかった事だろう。今まで脱落し、踏み台になってきたものを分かりやすいスケールで再現し、脱落した者達に思いを馳せる。ある者は負ける側を体験し、あるものには踏みにじる側を体験させる。そう。最終試験は誰かを選ぶためのものではなく、一人を犠牲にして心構えを刻み付けるためのものだった。
「分かっちまうんだよなぁ。オレがここまで残れたのもただの偶然で、こんな機会、この先二度と訪れやしないって。その一度切りの最終試験が一人落ちるだけ、命の危険もないっていうんだからよ。……思い出しちゃったじゃねーか。合格を目差していた頃の気持ちってやつを」
トンパとて、ただの嗜好、ただの娯楽で三十五年間、受験し続けた訳ではないのだろう。衰え始めた身体を引きずり、日常生活と折り合いを付け、そこまでして欲しかった何かがあった。
「エリス、目を逸らしてはいけないよ」
「ええ、わかってる。……でも、こんなのって」
震えながらも、エリスの視線はトンパから片時も離れない。そんな彼女の手を握って、二人の体温を共有した。
「せめて、来年来る連中への土産話に、あのヒソカを一発ぐらいは殴ってやりたかったんだが、足がすくんじまって動かねぇ……」
顔をあげてヒソカを見つめる。怯えも恐れも見出せなかった。この瞬間、わずか数秒の間だけ、トンパはヒソカと対等だった。対等の気構えで対峙していた。そしてマスタに、ぽつりと降参を宣言した。
「勝ちたかったな……」
座り込み、静かに嗚咽を盛らずトンパ。静かに見守る者、胸に何かを秘める者、興味なさそうに立ち去る者。各人の行動はそれぞれだったが、笑う者だけは一人もいなかった。
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【色なき光の三原色(セラフィムウィング) 特質系・具現化系】
使用者、エリス・エレナ・レジーナ。
赤の光翼 ■■■■■■■■■■ 具現化した光に生命力を付与する。
緑の光翼 ■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■。
青の光翼 ■■■■■■■■■■ 具現化した翼に生命力を溜め■■■■■■■■■■■■。
長い■■をかけて鍛えられた、■■■■■■■■■ための能力の失敗作。
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次回 第一部エピローグ「宴の後」