「人からもらった食べ物というのは、具体的にどの程度を示すのか聞いてもいいかな」
「あー。そうだな。最低でも、何も混入されてないとオレが確信できるのが条件だな。できれば食材の段階から自分で選びたいんだけどよ」
「それなら多分問題ないよ。ホテルの一室、キッチン付きのスイートルームを借りて皆で持ち寄る型式だから、ハンゾーも好きにやればいい。なんなら、もういくつか部屋を借りてしまってもいいだろうしね」
「おっ、そうか! そいつはありがたいが、いやー、すまんなー! オレまで誘ってもらっちゃって!」
「気にする事はないさ。僕達は同期になったんだ。お互い変な遠慮は無しで気持ちよくいこう。じゃ、開始は二十時の予定だから」
喜び勇んで駆けていくハンゾーに手を振ってから、携帯電話を取り出した。ヒソカとイルミは、特にヒソカは誘うなと事前に強く念を押されているので、これで全員に声をかけた事になる。それにしても陽気なスパイだ。ニンジャとやらの特徴なのだろうか?
「エリス、僕だ」
「アルベルト、どうだった?」
「打ち上げ、ハンゾーは参加するそうだけど、トンパには残念ながら断られたよ。何度か誘ったんだけどね。一人でやけ酒に浸りたい気分なんだそうだ」
「そう、残念ね……。こっちはもうポンズ達と合流できたから、これから買い出しに向かう所よ」
「わかった。会計は僕名義で構わないからね。じゃあ僕は先にホテルに向かってるよ」
「ええ、お願いね」
ちなみに会場は最終試験の舞台となった協会のホテルではなく、あえて別の場所を選んでおいた。試験が終わった後でいつまでもその気分を引きずるのもどうかと思ったからだった。どの道ライセンスさえ提示すれば冗談みたいな割り引きが受けられるので、反対意見は誰も出さなかった。
それから数時間後、ホテルに集まったメンバーは僕とエリス、ゴンとキルアとクラピカとレオリオ、そしてハンゾー、落選はしたもののポックルとポンズの九名だった。広いスイートルームのあちこちに料理と飲み物を沢山並べ、思い思いに寛ぎながら交流を深めるという趣旨だった。
料理の中でも目を引くのは、飴色に焼けた七面鳥だった。ゴンが市場で見つけてきたもので、野生に極めて近い状態で放し飼いにされていたという。色艶も匂いも格別だが、味こそがまさに絶品だろう。これの腹にトリュフを真ん丸になるまで詰め込んでオーブンで焼いたものを、今宵は五羽も用意してある。これらはポンズの力作だった。
それだけではない。山鼠と豚の肉を合い挽きにして塩と胡桃と香辛料を加え生地で包んで揚げたものはクラピカの出身部族がハレの日に食す伝統料理だったし、ハンゾーは練った中力粉を太く切断した麺にとぐろを巻かせた一本うどんというものを始めとして様々なジャポンの民族料理を並べたてた。僕が担当したのは魚料理だった。本当に質のいい魚は蒸すべきだというのが僕の持論である。焼くより時間も手間もかかってしまうが、なんと言っても旨味が逃げない。素材が秘める滋養分を口中で堪能するためには、それが一番合理的な方法だと信じている。エリスに調達してもらった素晴らしい大きさの舌平目は、塩を振られリーキの葉で編んだ草篭に包まれて、柔らかく弾力に富む状態に仕上がった。
キルアの料理は豪快だった。どこからか生きた子牛を連れてきて、瞬く間に解体してしまったのだ。血がほとんど流れない妙技だった。それぞれの部位について下ごしらえが施され、後は食べる際に順次焼いていけばいいという。ホルモン焼きは鮮度が命だというが、ここまで新鮮なのは珍しい。テールだけはエリスが譲り受けて、圧力鍋でシチューにしていた。僕の好物を憶えていてくれて嬉しかった。
ゴンは野性味溢れる品々を用意した。ドングリをたっぷり食べて肥えたリスの干し肉パイ、テラスで燻した川魚、海水を模した塩水で茹でた手長エビ。これは大鍋でざっと茹で上げて、熱々のところにレモン汁を付けてかぶりつくのである。島を訪れる漁師達が好む食べ方だという。それが大皿に山盛りだった。
レオリオは料理というより酒の調達がメインだったが、彼の披露したサラダは好評を持って迎えられた。飛行船乗りのサラダという、かつての戦争で軍の飛行船乗り達が出撃前に好んで食べた事から名がついたというそれは、レオリオの国では男の料理の代表格なのだという。
木製の大きなサラダボウルを用意して、新鮮なロメインレタスを手で千切っては次々と放り込む。更に数種類の野菜を入れ、こんがりと焼き目のついたクルトン、すり下ろしたチーズ、ベーコン、少量のハーブ、オリーブオイルにワインビネガーとレモン果汁、刻んだアンチョビを加えて混ぜ合わせた。こうして瑞々しいサラダがボウルから零れそうなほど溢れた所で、半熟にしたゆで卵をいくつも割って上から落とした。ほとんど生に近い状態のそれがロメインレタスをとろりと滑り、てらりと濡らした瞬間は、周りで見ていた皆が思わず息を呑むほどだった。
ポックルが自慢げに振る舞ったのは、故郷に伝わる伝統的なパンの一種だった。小麦粉を練り、発酵をさせずに平たく伸ばして多種多様な具材と合わせる。本来はこれに油を塗ったものを縦穴式の竃の内側に貼付けて焼くのだそうだが、今回はないためにオーブンを使った。注目すべきは具の多様さだった。羊の挽き肉にトウガラシとトマトを刻んで混ぜ、辛さと酸味が際立つものもあれば、腸詰めやチーズ、ピーマンなどを加えて香辛料で味を調えたものもあった。小麦の生地はぱりぱりに焼け、香ばしい油の匂いが広がった。
エリスは主にオードブルやデザートといった小品を精力的に量産していた。色とりどりの野菜と果実のジュースを若干固めのゼリーに仕立て上げ、味付けした柔らかいゼリーに投じたゼリーサラダ。一度焼いたリンゴにパイ生地をかぶせ、てっぺんの砂糖が溶けかかるまで焼いたタルト・タタン。桃のシロップ煮をバニラアイスとホイップクリームで飾り立て、ラズベリーのジャムをたっぷりとかけて冷やした甘い氷菓。これは周りにもブラックラズベリーが転がされ、賑やかで可愛らしい盛り付けになった。
キルアの思いつきが発端となったこの企画は、想像以上の熱意をもって開始に至ろうとしていた。
「いや、作りすぎでしょ。これ」
呆れながらポンズが言う。広いガラステーブルに料理が所狭しと並べられ、それでも全く足りないのでホテル側に頼んで追加で借りる必要があったほどだった。それぞれの皿の間には色鮮やかな草花を生けた花瓶が置かれ、小瓶に入ったキャンドルが料理を官能的に燻らせている。確かに、普通の人間の基準では九人で食べ切るのは無理だろう。しかし目を輝かせる欠食児童達の前では、その心配も無意味なはずだ。
「大丈夫だよ、ほら」
ゴンやキルア、レオリオなどの面子を見渡し僕は言った。ハンゾーなど今にも七面鳥にかぶりつきそうな勢いだった。忍の習性はどうしたのか。まあ、そんな揶揄は不粋だった。
「……マジで?」
「たぶん、マジで」
目を丸くしていたポンズは、しかし第2次試験の光景を思い出したのだろうか、苦笑しながら椅子に座った。そうこうしてるうちに飲み物が配られ、乾杯の準備が進められる。僕はエリスに冷たく煎れたフラワーオレンジペコを手渡すと、自分のために手近な位置にあった白ワインを用意した。ついでにとポンズにシャンパンを頼まれる。
エリスはアルコールを飲めないし、僕は飲んでも意味がない。飲んでも酔わない上に、飲まなくてもいつでも酔えるからだ。しかし、こういう席で酒を飲まないと、面倒な事になりかねない。今日集まった人間ならそのような問題はないだろうが、念のため、エリスはともかく、僕は飲んでおくべきだと判断した。
「よーし。それじゃあお前ら準備はいいな! ハンター試験終了と皆の無事を祝してー!」
ビールジョッキを片手にレオリオが乾杯の音頭をとり、ささやかな打ち上げパーティーが開始された。美味しい食べ物は舌の動きを滑らかにする。ハンター試験が終わったという開放感も手伝って、宴は大いなる盛況を見せた。
「二人とも、残念だったね」
こちらに歩いてきたゴンがいう。彼が手にする皿の上には、切り分けた七面鳥とほぐしたヒラメの身が乗っていた。僕の手掛けた品も皆に好評だったようで喜ばしい。
「あ、ん、た、が! あんたが言うかこんにゃろー!」
「ご、ごめんごめん! 悪かったってホントごめん!」
「私のプレートを返せー!」
……まあ、好評だったようで喜ばしい。
「ポンズはまだいいよ。オレなんかさ、4次試験最後の夜にあいつが現れて」
手長エビを肴に、舐めるようにワインを楽しんでいたポックルが、どこか遠い目をして呟いた。レオリオが訝しげに反応する。
「あいつ? 誰だよ」
「……ヒソカが」
「よく、殺されなかったな」
クラピカがごくりと唾を飲む。皆も同じ意見らしい。この試験の間に、ヒソカ脅威の認識はすっかり定着したらしかった。しかし見方によっては彼らは幸運だと言えるのだ。あれほどの実力者の存在を、プロになる前に肌で感じる事ができたのだから。僕はエリス作のテールスープを舌の上で愛でながら、そんなどうでもいい事を考えていた。
「気分がいいからおまけで見逃してやるって……」
プレート一枚とられて気絶させられただけで済んだよ、と肩を落とすポックルを、皆が次々と慰めている。そうか、僕達と戦った後にヒソカが入手した最後のプレートは、彼から奪ったものだったのか。
ふと横を見ると、エリスが少し気まずそうだった。
そんな一幕もあったものの、時間はおおむね賑やかに流れていく。そしていつしか、話題は自然に今後の展望についてとなった。
「オレは故郷に帰って受験勉強だな。やっぱり医者の夢は捨てきれねぇ」
山鼠と豚の包み揚げを飲み込んでから、ソファーに身を沈めるレオリオがいう。
「今までハンター試験に集中してたからな。これからは猛勉強しねーとなぁ」
「うん、がんばってね」
「おうよ。絶対合格してやるぜ」
国立医大の高額な授業料は、受かりさえすればライセンスの特権で全額免除されるそうだ。彼がハンター試験を志した主な目的がこれだった。エリスもその決意に耳を傾け大きく頷く。どうやら、彼の目標に大きな共感を得たようだった。
「オレは、まあ。里に帰ってから巻き物探しの旅の準備だな。長老連中に挨拶回りもしなけりゃならんし、これから忙しくなりそうだぜ。お前らも隠者の書についての情報があったら教えてくれや」
そういってホームコードの記された名刺が配られる。雲隠流上忍とあるが、恐らく所属する組織だろう。なんとも自己主張の激しいスパイがいたものだ。あ、そうだ、ホームコードといえば。
「クラピカ、いいかな」
「私か?」
「ああ。ヒソカからクラピカのホームコードを教えてくれってメールが届いてるんだけど、どうしようか」
「……黙殺してくれ」
凄く嫌そうに返答された。そこまで嫌なものだろうか。僕など、エリスの事がなければ彼本人にはそれほど悪感情を抱いてないのだが。
「それはそうと、私は雇用主を探すつもりだ。幻影旅団に近しい人物に接触するためにな。皆も旅団について情報があったら教えてくれ。これが私のホームコードだ」
「幻影旅団。クモかな?」
「知っているのか?」
「人並み程度には。ただ、これでもアマチュアのブラックリストハンターとしては繁盛してる方だからね。掘り下げることができそうな心当たりのいくつかはある。その程度で良ければ後でホームコードに吹き込んでおくけど、軽い気持ちで手を出していい相手じゃないよ」
「無論、わかっている。しかし私には必要な事だ」
ハンターになってまで追うとすれば、それはもちろんそうだろう。僕は軽率だった事を謝罪し、クラピカからも情報について礼をいわれた。
「ブラックリストハンター? あなたが?」
ポンズがぱちぱちと瞬きをしていた。凄く意外そうな顔だった。他も大体同じようだった。ゴンはよく分かってなさそうだし、キルアは全く驚いてなさそうだったが。
「意外かな?」
「ちょっと、見えないわね」
そこまで真剣に頷かれると少し困る。エリスが少し拗ねていた。危険な仕事をしてるという自覚はあるが、そこまで危惧されるほどの事でもないと思う。まあ、ブラックリストハンターという仕事も世間では誤解されてる場合が多いから、これも仕方がない事なのだろうか。
ブラックリストハンターといっても、ドラマのように凶悪犯とカーチェイスをしたり銃撃戦を繰り広げるのが全てではない。そういう戦闘力に優れた連中と直接戦闘を繰り広げるのは、アマチュアの極一部とプロの半分程度だ。僕のようなのはむしろ、指名手配を受けた人間の居場所を突き止めるのが主な仕事だった。
どこにでもある街の、どこにでもあるアパートの、どこにでもある一室に住む、どこにでもいる顔の犯罪者。それを探し出すのが僕の仕事だ。そういった業務内容だと、戦闘は止むをえない場合の緊急措置でしかなく、大抵はその国の司法機関か元請けのプロハンターに場所を報告して終わりである。
そんな説明を皆に行い、だいたい納得してもらえたのを確認して、アイスティーで喉を潤す。同じような話は何度もエリスにしているのだが、未だ本心からの同意は得られてない。曰く、もっと安全な職業はいくらでもあるそうだ。それは正真正銘の事実だが、実入りは良いしやりがいもある。そして何より、師匠が若い頃にしていたこの仕事は、僕にとって特別なものだった。
「オレは、二月ぐらいに一度実家に帰る他は決まってねーかな。ゴン、お前はどうする?」
「オレ? うーん、やっぱり特に決まってないや。やりたい事は沢山あるけどね。親父を探したり、お世話になった人達に挨拶にいったり、ヒソカにプレート叩き返したり!」
「ヒソカに!?」
ゴンの当面の目標は凄まじかった。いつかきっと顔面を殴って、お情けで渡された44番のプレートを受け取らせる。傍から見て、それはあまりにも無謀だった。だがそれでも、不可能とは思わせないから心地がいい。ヒソカも上手い事やったものだ。
「じゃー特訓だなー。どっか適当な場所探して修行すっか」
「え? 遊ばないの?」
「おまえなあ」
じゃれあう二人。仲がいいようで微笑ましい。ゴンと友達になりたいと語ったキルアの願いも、このままずっと、壊されずに続けば幸福だろう。
「オレも特訓だな。特に戦闘力を鍛えようと思ってる。今年の試験で思い知ったよ。オレは弱かった。だから負けた。もし何かの拍子で今の状態のままハンターになれたとしても、その弱さがネックになるだろう」
「あ、じゃあオレ達と一緒に行こうよ! 人数は多いほど面白いからさ。いいよね、キルア?」
「ん? ああ、いいぜ。よろしく」
「こちらこそよろしく頼むぜ」
ポックルはゴンたちと同行する事に決まったようだ。輝かしい才能を持つ彼らの成長は、ポックルにもいい刺激となるだろう。それに、今回は僕も思い知った。今までは強さより便利さこそ自己の性能として追求するべきだと考えていたが、強い暴力は、時に全てを駆逐する絶大な便利さを発揮すると。
「あ、私も一緒にいいかしら。最近伸び悩んでて困ってたのよね」
結局、ポンズも加え、四人で当分一緒に行動する事に決まっていた。
「わたしは、うーん。アルベルトがいてくれるならどこでもいいかな」
「はいはい、ごちそうさま。で、あなたは?」
「僕も同じだよ。エリスがいてくれるならどこでもいい。ただ、当面の指針としては、プロとして活動の基盤を再形成する事に力を注ごうと思う。まずは人脈や情報網の見直しかな」
僕の答えは、あまり面白みのないものだったらしい。ゴン達からは一緒に来るよう誘われたし、ハンゾーにも技術指南という名の引き抜きのお誘いを受けた。なんでも、僕ならニンジャとしても十二分にやっていけるとの事だった。それらを丁寧に断ると、話題はやがて別のものに移っていく。
皆はまたまき直しに食べた。食べて、飲んで、大いに寛いで会話を楽しんだ。ポックルが弓を弦に狩人の唄を披露する。ふけていく夜にぴったりの、楽しくもどこか物悲しい調べだった。あれだけあった料理もいつしか皆の腹へと消えていて、しかし、宴の空気は冷めそうにない。誰かが空きっ腹を訴えた。
「へへっ。そう来ると思って、実はな」
ハンゾーが得意げにもってきたのは、米に具をのせて緑茶をかけたものと、オニギリライスボールに大豆の醗酵ソースを付けて焼いたものだった。お茶漬けと焼きおにぎりという、彼の国の料理らしかった。寂しくなり始めた腹の底に、しんとしみる旨さがあった。
ハンゾーが皆の喝采を浴びた事は、もちろん言うまでもないだろう。
翌朝、集った皆はそれぞれの志を果たすべく、別れを告げてホテルを後に旅立った。
「まずは師匠に報告かな」
「そうね。父さんも心配してるだろうし」
手を繋いだままに大通りを歩く。エリスが楽しそうに笑っていて、それだけで僕は幸せだった。海のそば、丘の上の小さな白い家。子供が二人に犬が一匹。それはきっと無理だけど、いつまでもこの手を繋いでいられたらいいと思うのだ。
次回 第二部プロローグ「ポルカドット・スライム」