side:篠ノ之束
やあやあ前回振りだね。歌って頭も冴える皆のアイドル、篠ノ之束さんだよ~。
もしかしてこの私が時間が来るまで大人しく部屋に籠ってるとでも思ったかい? ところがぎっちょん! そうはいかないんだな~、これが。
こんな娯楽も何もない密閉空間でじっとしてられるほど束さんの知的好奇心は枯れてはいないのさ! むしろ旺盛すぎて持て余しているくらいなのだよ!
そしてそんな溢れんばかりの探究心が燻っているというのに扉の向こうには建築物がご馳走とばかりに待ち構えているというのに探検しない訳がないじゃないか!
「というわけでレッツらごーなのだ!!」
ドアを勢いよく開け、缶詰状態からの脱出を図る。
建物の構造についてはここに来るために予習してきたからばっちり把握してあるのだ! こういう時の下準備の良さは自分でもびっくりするよね。
ところでさっきから誰に向かって話しかけてるんですか?ってな野暮な質問はコンクリートに固めて東京湾にでも沈めてね。そういうことは分かってても言っちゃ駄目なんだぞ! お姉ちゃんとの約束だぞ!
「んで、ここがそうだねえ、第二整備室。いやー、金かけてるだけあって施設は上等なものだね」
流石国立、ビバ国立。下手なIS関係の施設よりも上等なものがちらほらある辺りお金をかけている。
「ただ、この施設の使い手がヒヨッコの学生ってのも勿体ないよねえ。束さんに貢いでくれるんだったら十全に使ってあげられるっていうのに」
そのお金も結局は新しいものを作るための軍資金にするつもりだけど。
そういえばそろそろ軍資金の調達に行かないと拙いかな。ゴーレムの開発費もそうだし、箒ちゃんの機体も思いのほか費用がかさんじゃったし、それにしーちゃんの機体のためにもお金集めないといけないかなあ。
「んー、まあそれはくーちゃんに任せておけばいっか」
あの子、なんだかんだで株の運が凄いし。
五万円分の株券を一晩で十倍にした時は、この子は未来視でもしてるんじゃないかってぐらいに驚いたね。今頃、上げたお小遣いは始めの何倍になってるだろうなあ。
「そして今夜ここでフィッテイングするんだね。箒ちゃんの専用機、紅椿が」
感慨深くポツリと呟く。
紅椿は箒ちゃんに合うように束さんの持てる技術の粋を尽くした最高傑作だ。
面白半分興味半分で弄った白式やまだ試作段階のゴーレムとは違い、最高傑作である紅椿は最高傑作に相応しい出来となっている。
完璧において十全でなければ意味がない。それは篠ノ之束の持論であり、紅椿はそれを体現していた機体と言っても過言ではない。
ただし、大前提として箒ちゃんにはあることをしてもらう必要があるが、それも些細な問題。きっと箒ちゃんならすぐに乗りこなすことが出来るだろう。
「しっかし、誰もいないなあ。ご飯時だからかなあ。束さん、暇すぎてイタズラしたくなってきちゃうよ」
いくらこの学園で力のあるちーちゃんが人払いをしてくれたとはいえ、その時間まではまだまだある筈なのにこの時間帯に既に人がいないのはちょっと異常だ。
まあ、ちーちゃんがノーと言ってることに口出し出来る生徒がこの学園に何人いるかなんて片手で数えられるほどだろうけど。
誰かいないかなあ、とキョロキョロと探していると整備室の奥の方に少女A―――名前なんて知らないし知ったところでどうでもいいのでとりあえず呼称として少女Aとしておく―――がいた。
遠目からではあったがISの調整らしいことをしているのが見て取れる。
ISのこととあれば束さんの出番。ぶっちゃけ旧型のデータマップなんかに興味なんかはないが、なんとなく好奇心に惹かれ忍び寄ってひょいと彼女のパネルを除き見たが、
「うーん、中々に酷い数値だね。どうしたらこんな数値が出るのか全くもって凡人の弄り方は理解出来ないよ」
気が付けばその言葉は自然と口からぽろりと出ていた。
side:更識簪
「うーん、中々に酷い数値だね。どうしたらこんな数値が出るのか全くもって凡人の弄り方は理解出来ないよ」
聞き捨てならない言葉に振りかえると、変な人がいた。
何が変というとまず格好が変だ。ウサミミカチューシャを付け、青いワンピースを着ている一人メルヘン状態な女性。しかもワンピースもサイズが合ってないのか胸の部分がきりきりと引っ張られている。
この学園では見かけない……いや、外でも絶対に見かけないような不審人物だ。
「駆動系はまだマシだとして、推進系、出力系はこのままじゃ稼働に悪影響をが出るね。それに、適正値もかなり酷いね。一体この子にどんな装備させるつもり?」
私のディスプレイを見ながら次々と駄目出しをしていく。お互いに初対面で何も知らないのに辛辣言葉をお構いなしにぶつけてくる。しかもその言葉が実に理に適っているので余計に言い方が腹立たしい。
「……貴女、誰?」
「おやおや。君はこの私、篠ノ之束を知らない? これだからゆとりは……」
その言葉に息を呑む。
目の前の彼女が? 世界的天才にしてISの産みの親、篠ノ之束博士?
だがよくよく考えれば、ISを発表して少し経ってからに姿を眩ませたのだから私たちがその姿を知らなくても仕方ない話かもしれない。
―――この人に手伝ってもらえば、打鉄弐式をトーナメント前に完成させられるかもしれない。
そのような希望が頭を駆け巡るが、一瞬でその考えを放棄する。
この人に指摘してもらえば確かに機体の完成に近づくことが出来るだろう。
しかし、それは私の為すべき事と矛盾している。
一人で作り上げなければならないのに、篠ノ之博士に手伝ってもらえば本末転倒もいいところだ。
「この子のことをよく知らないのにとやかく言われたくない……」
「駄目なことに駄目って言って何が悪いのかな。そんな数値じゃいつまで経っても完成する日は来ないよ?」
束の言葉に下唇を噛み締める。
「……分かってる。今のままじゃ、駄目だってことは自分が一番、分かってる……」
「ふうん。だったら、どうして自分の手に余るものを自分でしようとするのかな? ISの弄り方も碌に知らないトーシロが弄って完成する代物じゃなんだよ?」
「……そうしなきゃ姉さんの後を追う資格すらない、から……。だから、今は上手くいってなくても、いずれ一人で完成させてみせる……」
「今は、ねえ。だったらいつになったら出来るのさ?」
「いつになったら……?」
その言葉が胸にチクリと刺さった。
「それを完成させる期限だよ。今月末の個人別トーナメントまで? 年内? 卒業するまで? それとも一生?」
「そ、それは……」
捲し立てるように束から矢継ぎ早に質問攻めされ言葉に詰まる。
いつになったら?
完成させることに焦点を置いていたため、何時という期限を設ける言葉は完全に盲点だった。
「教えてよ。いつになったらそれが完成するのか。それとも、本当に完成させる気があるのかな」
「そんなのあるに決まってる……! だから、私はこうして……!」
「だから現に出来てないじゃん。出来ないんだったらどうして他人を頼ろうとしないのかな。ザコは群れてこそその真価を発揮できるんだよ。イワシの映像とか見たことないのかな。あっちのほうがよっぽど賢いよ」
昔、テレビで見たことがある。
イワシは海を何万匹と群れて泳ぎ、それはしばしばマグロなどの回遊魚を凌ぐ大きさになることもある。
そして魚とぶつかりそうな時は大きな魚を避けるために散り散りに分かれ、また元の大きな群体となる。
イワシは字の如く魚に弱いで鰯。一匹一匹では弱い、他の魚にとってはあまりに取るに足らない存在。
だからイワシは本能的に群れなければ身を守れないことを知ってる。群れなければ生きていけないと知っている。
しかし、人は知性をもってしまったがためか時に群れることを望まない。それが更識簪という人間である。
群ではなく孤。個性ではなく孤独。
群れることなくたった一人で宛もなく大海を泳いでいる孤独なイワシ。その航海はなんて寂しいことか。
「群れてしか何かを為せないザコがたった一人で何しようが無理、無駄、無価値。出来ることも出来ないよ」
その言葉に反論することが出来なかった。
「で、君のいう姉さんってそんなに大層すごいわけ? 興味ないけど、一応耳に通しといてあげるよ」
「…………姉さんは、ロシアの国家代表、だから……。私より、ずっとすごい……」
姉、更識楯無は代表候補生ではなく、代表なのだ。未来の国家を担うのではなく、今の国家を担う猛者。
代表候補生の自分と比べてもずっと遠い存在。私がイワシならば姉さんはクジラだ。その差はあまりにかけ離れすぎている。
「ふぅん、学生のくせに国家代表とかちーちゃんレベルならともかく、ここで一番てだけで代表になれるなんて世も末だね」
そんなことも興味なさそうにただ聞き流した。
「そもそも姉より優れた妹なんて存在しないんだよ。賢姉愚妹とはよく言ったものだね」
「私が出来が悪いのは分かってる……。でも……、せめて姉さんと同じことが出来ないと認めてもらえない、と思うから……」
「ちゃっちいプライド。そのせいで君は貴重な467分の1のコアを私欲のために遊ばせるのかい?」
その言葉が我慢ならなくてキッと睨みつける。
「貴女に何が分かるの……!? 姉さんと比べられて、追いかけて、届かない悔しさが……!」
啖呵を切ったように彼女の知ったような物言いに不満が爆発する。
これでも姉に負けないように努力はしてきたつもりだ。必死に縋りついてために弛まずに鍛錬を積んできたと胸を張って言える。
それでも、才能の差なのか姉との距離は年を重ねる毎に開いていく一方で、気づけば姉とは既に手を伸ばしても届かないほどに姉は先へと進んでいた。
ずっと姉の背中を追いかけて来た。その埋まらない実力差に嫌気が差してその姿を直視出来ないほど精神が鬱屈してまでも、健気に追いかけ続けた。
憧れや羨望ではなく自分も姉のようにそうあらん、と言い聞かせ直向きに直向きにただ姉の掻き分け作ってきた道をがむしゃらに追っていった。
この気持ちが分かる訳がない。姉と比べながらもその道を歩まなければならないのは。そのレールを歩み続けなければならなかったのは。
「はあ?何言ってるんの? そんなの分かる訳ないじゃないか、君じゃないんだから。それとも、君はその苦しみを私に分かってもらいたいのかい?」
束は私の言葉を否定するがそう意味で言ったんじゃない。
ただ、私の気持ちの知らずに私の思いを踏みにじられるのが我慢ならないのだ。
「それに比べられて当然だよ、姉妹だもの。比べない方がおかしいよ。人は比べる生き物なんだよね。大きい小さい、善い悪い、長い短い、高い安い、男女、姉妹。別に比べようととしなくても無意識にその善し悪しを比べる。オンリーワンだなんだって言ってるけど、結局は優劣を決めたがる生物だよね人間って」
煩わしそうに束は言葉を吐いて捨てる。その口調は人間自体を鬱陶しがっているかのようでもあった。
「そして劣等生のレッテルを張られた人間は劣等感を昇華するために努力したり思考を置き換えたりする殊勝な人も中にはいるけど、大抵は自分より劣る連中を見下したり、諦めたり、環境のせいにして擦り付けたりする。君は諦めた人間だよね」
「私はまだ諦めてない……! 何も、何も知らないくせに……!」
「知らないからなんでも言えるんだよ。ま、赤の他人の心情なんて知ったこっちゃないけどね。興味ないし、そこまで考えを及ばせるの疲れるしめんどいし。それはそうと君自身はISを一人で組み立てられると思ってるのかい?」
その一言にドクンと心臓が撥ねる。
「え……?」
「いや聞くまでもないか。そんなことは自分自身が一番分かってるもんね。自分一人では組み立てることは出来ないって」
その一言に得も知らぬ恐怖が体中を支配する。
先ほどまで渦巻いていた怒りは熱を失い、今は零下の恐怖が全身を襲われている。
「そんなこと、ない……。無理だなんて、私は……」
「ふうん、見てみぬふりするんだ。だから、今の今まで完成しなかったんだよ」
「ぃ、や……。言わないで……」
それは絶望の呪文。
今まで胸の内で飼い慣らしていた劣等感が檻を食い破り感情の中に這い出てくる。
「絶対に出来ない無駄なことを無駄と分かっているのにやり続けるの、これって無能って言うだよね」
不意に重なる。
『簪ちゃんは何もしなくてもいいの。全部、私がやってあげるから』
面影が。
声が。
瞳が。
どうしようもなく届かない完全無欠の楯無の姿と重なる。
その掴みどころのない口ぶりが似ているのか、完璧無比なところが似ているのか―――自分でもどうしてそう思ったのか分からないが、ただ目の前の女性の言葉が全て楯無の代弁されているように聞こえてしまう。それがたまらなく恐ろしい。
そんな訳ないのに、何故か姉に否定されているようで、その実力差を知らしめさせられているようで、どうしようもなく自分が惨めになる。
簪は未熟故に恐怖の感情を撥ね返す術を知らない。そんな自分の未熟さをよく知っているためこの場から一目散に逃げ出してしまいたいのに足は地面に縫い付けられたかのように動かない。
「だから、」
『だから、』
「『貴女(きみ)は無能なままでいなさいな』」
耳を塞いでも意味をなさないかのように彼女の言葉が頭に直接染み込んでくる。
どれだけ拒絶しても、彼女の言葉は私の背中に這い寄ってくる。
まるで影。見えないもう一人の自分の姿に得体の知れないを覚え恐怖に歯がかちかちと鳴る。六月の始めだというのに背中に寒気が走る。
そんな目の前の彼女の口元は悪意に溢れた弧を描いたような半月が嘲笑っているかのように見えた。
「止めて……! そんなこと、言わないで……!」
「どうして? 仕方ないじゃない、これが現実だもの。一人でどうにか出来るだなんて夢見てないで、さっさと人に手伝ってもらって作ってもらえばいいじゃないか」
甘い毒が私の弱い心をゆっくりと侵す。それが出来ればどんなに早く打鉄弍式が完成するだろうか。それが許されればどれだけ後れを取らずに済んだのだろうか。
そんな甘い理想をふるふると頭を振って彼女の言葉を拒絶する。それだけは譲れない。それをしてしまったら、人に頼ってしまったらきっと私は一人では立ち上がることが出来なくなってしまう。
そんなのは、甘えだ。姉さんはこの苦しみの中、一人で完成させたんだ。ならば、同じ所業を自分もせねばならない。
それが更識に生まれた私に背負うべきこと。楯無の名を冠する姉を持つ私の必要なこと。
「馬鹿だねえ。そうやって人の話を聞かないでどんどん一人になっていく」
『気付けば周りに誰もいなくなる』
「そして思考の坩堝に嵌って」
『ますます私の背中に届かなくなる』
ぐるぐると楯無と束の声が交互に聞こえてくる。聞こえる筈もない楯無の声が心をおかしくしていく。
気を確かに持たないと、すぐに気が触れてしまいそうなそんな雰囲気に眩暈すら覚える。
いや、いっそ気を失ってしまえればどれほど楽なことか。
「止めて……。私が、一人でやらなくちゃ……。そうでないと、お姉ちゃんに追いつけなくなる……」
「誰にも頼ることの出来ない君なら一生かかっても無理だよ。そもそも、君の鼻っからおかしいんだよ。一人で出来る筈もないことを一人でやれと誰が決めたんだい?」
誰が……? そんなの、自分が……。
「そうだよ。自分で決めた。自分でそう決めつけた。誰かにそんなこと強いられたわけでもない。誰かにそうしろって命令されたわけでもない。誰でもない自分が自分にそうしろって強要してるんだよ。勝手にルールを作って、やれとも周りに強制されていないのに自分でそうだと脅迫されて追い込んで。そういうことしてるんだよ?」
彼女の言葉が私の心を暴く。自分でも知らないような―――知っていたが見てみぬふりをしてきた闇を腸から引き摺り出し曝け出す。
姉と同じことをせねば届かないと思っていた。そうでなければ楯無の影を踏むことさえ敵わないと思っていた。
だからたった一人独力で完成させようと思った。完成させなければならないと思った。
けどそれは全部自分が勝手に強いてきたこと。
全て、私の思いこみ……?
「分かったでしょ? 全部、君の被害妄想なの。君が自分で勝手にそう思い込んで、どんどん背負い混んでるだけ」
「そんな筈……、ない……。私、一人でやらなくちゃ……」
彼女の言い分を否定するが、己の闇を暴かれた私はもう弱々しい言葉しか出なかった。
「自分一人ではそれがどうにもならないことを知って尚も続けるっていうんなら無理強いはしないよ? 結果が見えてるんだもんね」
束は言葉を続ける。
「自分でどうにか出来るかもって楽観してやってるわけじゃない。自分もやらなくちゃって思ってる。そして、自分では出来ないことも分かっている」
私の行き着く結論が彼女の中には既に見えている。トリックの割れた推理物ほど退屈なものはない。
そして、そのネタバレを彼女は平然とするような人間であることはこの短いやりとりのなかで熟知させられた。
直感的に嫌な予感が走る。
その言葉を聞くなと体中がアラートを発する。それは自分を壊すと警告が響く。
だが、止める術はない。耳をふさいでも、目を閉じても、口を噤んでもその言葉はどこからともなく私の中に入り込み、私を壊す。
そう分かっている筈なのに対抗策がまるでない。どうしようもない。
そして、彼女の口は開かれる。
「そんなの届きたくてそうやってるんじゃなくて、」
―――自分ではどうしようもなく届かないって諦めたくてやってるんだよ。
その言葉が私の全てを否定した。
ふっと自分の体を自分の意思では支えきれなくなり思考と共に崩れる。
立っているのもやっとだった状態なのだ。そんな状況であんな一言を突きつけられれば、心がそれほど強くなくても挫けてしまう。それが弱ければ尚更だ。
もう、心も体も耐え切れなくなったのだ。
「こら、束。うちの生徒を泣くまで虐めるんじゃないの」
声がすると同時、体が崩れ落ちるのを誰かに支え留められる。
涙で滲んだ目でスーツ姿を仰ぎ見ると、支えていたのは紫がかった黒髪のよく映える女性―――世界大会の第二回大会の総合優勝者、露崎沙種だった。
「やあ、さっちゃん。お久だね」
「何を呑気にやあ、じゃないわよ。千冬に部屋で大人しくしてろって言われたんでしょうが。一人にしておけば脱走するだろうと思ってたけど、案の定脱走したか。千冬もこういうときこそ仕事押しつけてでもずっと監視してろってのに……」
沙種は珍しく愚痴を零す。千冬や束の対応に手慣れているようで、過去にも同じようなことが何度もあったのだろう。
「ちーちゃんも仕事が忙しいのだよ。だから束さんは大人しく一人遊びと若者への薫陶をだね……」
「だったら私の手も煩わせないでください。阿呆なこと言ってないで部屋に帰るわよ。この子送ってったら後でカツ丼持ってってあげるから先に、一直線に帰ること。いいわね?」
「束さん、カツ丼じゃなくて親子丼がいいな! カツ丼ってムショに突っ込まれてるみたいじゃない?」
はいはい、また考えとくわねと適当にあしらいながら整備室の見回りを始める。私の目の前にいた脱走犯は気が済んだのかテテテテと去って行った。
「ごめんね。束に変なこと吹き込まれなかった? あのウサギ、赤の他人には容赦なくズバズバ言うから気にしなくていいわよ」
優しく声をかけられる。辛辣な言葉の後だからか不思議と安心させられる。
「い、え……」
一縷の涙が頬を伝う。
その目の端に流れ落ちる涙が情けなくてぐしぐしと拭う。
「じゃ、今日はここ夜は使用禁止になるから早めに帰ってね。出来れば一緒に出てもらえると助かるけど、他に使ってる人とかいる?」
「いえ……。私、一人です……」
「ん、そう? じゃ、行きましょうか。立てる?」
「え……。ぁ……」
立とうとするが腰砕けになってしまっってうまく足に力が入らない。何度か立とうと試みるがいずれも失敗だった。
「負ぶっていくわ。捕まって」
沙種はくすりと笑ってしゃがむ。
その背中に抱きつくと沙種は何の苦もなく立ちあがる。体重は軽い方だと自覚しているがこんなに簡単に、しかも女の人に運ばれてしまうと少し悲しくなってしまう。
だが、それが彼のジャンヌダルクならば仕方ないと納得してしまう自分もいた。
「あ、あの……」
「ん? なに?」
「さっきは……その、ありがとう、ございました……」
「ああ、気にしなくてもいいわよ。私の役割ってこういうのばっかだしもういい加減に慣れたわよ。千冬に泣かされたファンを宥めたり、束にボロクソ言われた子のアフターケアをしたり」
うんざりしたように沙種は語る。
なんでもないように彼女は言うが、それはさりげなく凄いことだろう。何せあのブリュンヒルデと世界的天才とが起こしたいざこざの事後処理役を一手に引き受けているのだ。
彼女はいつだってこうなのだろう。さりげなく気をつかい周りを円滑に回すために潤滑油の役目をする―――こういうフォロー役は虚さんに似ている。
そのさりげなさが誰からも好かれる。誰からも信頼される。誰からも人気を集める。
その姿が今の私には眩し過ぎた。
「けど……、あの人は間違ったことは言ってないんですよね……?」
そんな彼女の眩しさに嫌気が指して思わず卑屈な質問をしてしまう。
「んー、まあそうなるのかね? 多少、言葉が暴力的ではあるけど束が間違ったことを言ってたような記憶はないかな。大体は極論で言い過ぎだけど」
「そう、ですか……」
予想していた答えが返って来て短くそれだけ返事を返す。
薄々感づいてはいたんだ。あの人の言ってる事はそれほど間違ったことではないということを。
たぶん、間違っているのは私の方なのかもしれないということを。
けど、それを認めることが出来なかった。認めてしまったら私の今までの在り方を壊すことになるのだから。
しかし、彼女の言葉はどうしようもなく認めざるを得なかった。
自分の考えはあまりに一人よがりで、幼稚で、利己的で。
―――自分ではどうしようもなく届かないって諦めたくてやってるんだよ。
そんな筈ない、そんな筈ないと何度も自分に言い聞かせるが、彼女の言葉が耳について離れない。
それは一人では完成させることが出来ないと言われた悔しさよりも、自分の駄目さに嫌気が指した。
「……何か、気に触ることでも言われた?」
「………………いえ」
長い沈黙の後、彼女の心配の言葉を否定した。代わりにきゅっと回した手を強く締める。
結局、部屋の入口まで連れて行ってもらった。その時にはちゃんと自分の足で立てるようになっていた。
部屋に入ると心身共に疲れ果てた身体を休めるために一直線にベッドに横たえる。
余程疲れていたのだろう、身体を横にするとすぐに眠気が襲ってきた。抗うことなくそれを受け入れて瞼を閉じる。
全ては悪い夢であってと願いながら。
side:織斑千冬
「てなことが昼間にあったんだけど」
その一部始終を聞いていて頭が痛くなった。あの部屋を逃げ出すことは予想出来ていたが、まさかまたうちの生徒に迷惑をかけるとは。
やはり縄で縛ってその上から簀巻きにしておかなければならなかっただろうか。これからは甘やかす必要はなくなったな。
時は少し流れて時間は9時手前。第二整備室にいるのは束と私の二人だけだ。沙種は箒を呼びに行っている。
「しかし、親子丼を頼んでたのにカツ丼持ってくるなんてさっちゃんも酷くない?」
それは部屋から出ることを許されない―――いや、その気になれば出ていけたがそれを怠った束に対してののささやかな嫌がらせだろう。
「自業自得だ」
「ちぇ。それにしても知らない人間に見られながら調整するのってうざったいからさー。人払いしてくれたちーちゃんには感謝感激雨霰だよ!」
束の極度の人嫌いのために締め出したのもあるが、あまり公にしたくないという事実もあった。
「それに神秘ってのは知る人間が少なければ少ないほどいいんだよ。その方が希少価値が上がるからね」
「貴様は既にそれを独占してるじゃないか。ISのコアの作り方。今の世界においてこれほど希少なものはないぞ?」
「ん? ああ、そうだね。別に作り方さえ分かれば大量生産出来るんだけどね。その作り方が分からなくて躍起になって探してるんだよねえ。いやあ、愉快愉快」
束は楽しそうにころころと笑う。
「何が愉快愉快だ。そのしわ寄せが全部、表側の私たちに来るというのにお前は一人で優雅な隠居生活をしおって」
「だいじょぶじょぶ。時が来ればちーちゃんも一緒に暮らせるようになるから」
時が来れば、か。
束のことだきっとまた世界をひっくり返すようなロクでもないことを考えているのだろう。
それこそ、今度は世界征服だとか言い出すのだろうな。
「にしても待ってる間暇だね。久しぶりにちーちゃんと組んず解れずあんなことやこんなことを……」
「するか馬鹿者」
バシンと出席簿を束の頭に振り下ろす。だいたい、そのようなことをしたという記憶の改竄を勝手に行う束の頭の中身を見てみたいものだ。
「千冬、箒ちゃん連れてきたよ」
そんなちょうどいいタイミングで沙種が箒を連れてきた。
「ご苦労だった、沙種」
「ん、別にいいってことよ」
「……姉さん」
束と対面した箒の表情はどこか固い。
「やあやあ箒ちゃん、久しぶり。こうして面と向かって合うのは何年ぶりかな、大きくなったね。特に胸が……」
「姉さん、遺言はありますか? ないのならそのまま斬りますが」
束が言い切る前にシュインと日本刀を抜き、束に向ける。目が本気と書いてマジと読みそうなほどにアブナイのは私からしてもよく分かる。
「おおう、いきなり日本刀を向けるなんてちーちゃんでもこんなバイオレンスな愛の表現方法はしなかったよ?」
「貴方にはそうされるだけの理由がある筈です」
「んん~? そうだっけ。まあ、いいや。パパッと済ませちゃおうか」
そうとぼけて何事もなかったかのように話を進めると部屋の奥を照らし出す。
奥にはいつ運び込まれたのか分からない真紅の機体が姿を見せる。学園の訓練機は打鉄とラファールの二つを採用しているが、こんな鮮やかなISはここで見たことがない。
その趣は白式と同様に無駄なものを一切に排除した至ってシンプルなデザインになっている。
「これが、紅椿」
「そう。近接戦闘を基礎とした万能型。現行の全てのISを上回る束さんのお手製のISなのだよ」
現行のIS全てを上回る。白式も中々に高スペックだったが、これはそれすらも上回るという。これは篠ノ之箒が持つ力としては充分過ぎる。
「束、初期化と最適化はどのくらいかかる?」
「んー、私が手を加えればざっと三分くらいで済むかな」
「そうか。では篠ノ之、最後に問う。これを受け取る覚悟はあるか?」
箒に向き直り、問いかける。
「専用機を持つということはそれ相応の責任が付き纏う。力を手にするという責任がな。それにコイツは束の作りだした最新鋭機だ。他の専用機持ち以上に責任がかかることがあるだろう。それでも、お前はこれを欲するのか?」
それが最後の問いだ。
篠ノ之箒がこれほどの力を欲するその覚悟の程を私は知りたかった。
半端な気持ちでこれを受け取ることは非常に危うい。この機体に秘められている技術は世界に狙われるレベルのものだ。
それを選ばざるをえなかった私や一夏と違い、彼女はまだ戻れる場所にいる。
だから先人として修羅の道を進む覚悟があるのどうか、それを聞き確かめる必要があったのだ。
「はい。姉さんに頼んだ時からそのことは承知の上です」
澱みなく私の目をまっすぐ見据えて答える。
「それに、私はもう守られてばかりいるのは嫌ですから」
―――私も、誰かを守れるようになりたいんです。
「……そうか」
箒の覚悟を聞き、それ以上追求しなかった。理由としてはあまりに弱いが、その瞳は曇りのない真っ直ぐな決意に溢れた目だった。
箒は束のことを嫌っていた。
束がISを発表したせいで家族が離れ離れとなり、一夏とも離ればなれとなった。一夏に恋心を抱いていた篠ノ之にとっては辛い出来事だっただろう。
そして要人保護の名目で何度も転校を繰り返したという。その窮屈さというのはきっと私の想像をはるかに超えるものの筈だ。
その嫌っていた束に頼み込んでまで力が欲しいと言わせるのであれば、先日の事件はそれほど箒の中で大きかったのだろう。
ならば、私がこれ以上口を出したところで考えを変えないだろう。
「束、始めてくれ」
「おっけー。かしこまり~」
そう言って紅椿の調整を始める。
「じゃあ、まずフィッテイングを始めるね。あらかじめ箒ちゃんのデータはだいたい入ってるから後は最新のものに更新して調整するだけだね」
そう言って六枚ものキーボードを展開する。そしてそれら全てを使い、処理を開始する。
それら一つ一つは刻一刻とリアルタイムで変化しているのに対応しながら束はそれに合わせてキーを叩いてるのが驚きだ。
「そういえば私はまだ会ってないけど、いっくんとか変わってなかった?」
「……はい、一夏は相変わらず馬鹿のままですよ」
「んーそっかそっか。じゃあ会うのが楽しみだなあ」
会話の間も手を休めることなくキーボードを弾き続ける。並列処理の速さは流石、天才といったところか。
「仕種は」
「ん?」
「仕種は大分、変わってしまいましたけど」
「そう? 話してみた感想からすると、変わったのは見た目だけだと思うけどなあ」
「根は変わってないのは自分でも分かってるんです。でも昔は、もっと違ったような気がしてならないんです」
「それはきっと箒ちゃんが忘れてるだけだよ。それか、勘違いしてるだけなのかもね」
「勘違い、ですか?」
「そそ。先入観とも言うね。箒ちゃんの記憶をもっとちゃんと思い出せばその謎も解けるよ」
「………………」
その言葉きり、二人の会話は途絶える。箒が束の言葉の意味を探ろうと記憶を辿っているのだろう。
その後も束は何枚ものコンソールを叩き続ける音だけが響く。
そして、三分が経った。三分間の待ち時間というのは長いようで短いものだ。
「ん、これで終了だよ。お疲れ様。じゃあ、これから試運転でもするかい?」
「どうせそう言いだすと思って第二アリーナが取ってある」
「さっすがちーちゃん! じゃあ、行こうかってその前に」
入口の方に目を向ける。
「そろそろ出てきたらどうなんだい? 盗み聞きなんて趣味の悪い」
観念したのか、姿を晒す。
姿を現したのは、ラウラだった。
「ボーデヴィッヒか。この時間帯はここの使用は禁止だと言った筈だが」
「納得出来ません。身内というだけで最新鋭機が与えられるなど。優れた兵器は優先して強い人間に与えられるべきです」
ラウラの言い分も理解できる。しかし、束がそんな一般論で怯む筈もない。
「おや、知らないのかい? 有史以来、世界が平等であったことは一度もないのだよ?」
「だからといって肉親に最新鋭機を渡すか。ISランクCの出来損ないに。いや、足してプラスマイナスがちょうどゼロか」
「ホント、いちいちムカツクよね。ちーちゃんにちょっと見てもらったからっていい気になっちゃってさ。元は落ちこぼれの出来そこないのくせに」
「っ!!」
その言葉が琴線に触れたのかラウラはISの腕部を部分展開する。
「ボーデヴィッヒ。学内でISを展開するのは禁止されている」
「……すみません」
私に指摘されたため部分展開を解く。
「丁度いいや、箒ちゃんの試運転の相手やってよ」
「束」
「いいじゃない。ちーちゃんの監督の元だから何の問題もないし、対人戦のデータも欲しいんだよね」
「いいだろう。いくら貴様の最新鋭機といえど、乗り手が素人では使い物にならないことを証明してやろう」
ボーデヴィッヒも束の物言いが気に食わないのか戦うことに乗り気だ。
止めておけと言ったところでやる気満々の二人は聞きはしないだろうし、宥めすかすより実際に束の言うとおり戦わせて吐き出させたほうが手っ取り早い。
はあ、と溜め息を一つ落とす。
「では、十分後。第二アリーナで模擬戦を行う」
それが長い夜の始まりだとはこの時、知る人などいなかった。
* * *
月二回の更新が出来てホッとしている作者の東湖です。いいタイトルが思いつかなかったので前と合わせて前後編ということで。
というか自分で書いてて思うのだが、束がただの原作キャラの行動原理を否定するただのアンチ野郎(野郎じゃないけど)になり下がってるような気がするけどどう卍解しようか。
まあ、元が元で他人の考えなんて知ったこっちゃねえを地でいく人ですから仕方ないのかもしれませんけど。いろいろ関わらせすぎたかな……。