数日後の早朝、ペターニの南側門前。
ユリウスとフィエナが目指すグリーデンは、ペターニの東側門から出て行くしか道が無いのだが、今は封鎖されている。通ろうにも門番に追い返されるため、一旦南門から街を出て、東側の大川を渡り、道無き道を通って東門の外を目指すつもりである。
二人の旅の荷物は、ずいぶんと軽くなった。
ユリウスは騎士の―――副団長として配給された鎧と槍と剣(ミスリルソードではなく、別の剣)、フィエナも同じく武器以外の装備一式を売り払い、同時に谷底で手に入れた金品の数々も高値で売り捌いた。
代わりに別の装備を一通り揃えた。軽くて私服としても使える、施術が組み込まれた衣服やアクセサリーなどである。そして、それだけの支出をしても、莫大な金銭が手元に残っていた。
旅の準備は順調に進んだ。
途中、ユリウスの知り合いの薬剤師・ゴッサムが『わしの作った惚れ薬が~!!』と嘆いていたが、その光景を目にした日は、ユリウスもフィエナも半日分の記憶が吹き飛んでおり、なぜか思い出すことができなかった。
風の噂によると惚れ薬のせいで街中が大パニックになったそうだが、街中の誰もがその効果にかかっていたため、誰も事件の真相を覚えていなかったのだ。当然ながら自分達もその効果にかかっていたのかと思うと、二人とも進んで過去を知ろうとは思わなかった。
そして今は、また違った意味で鬱(うつ)になっていたりする。
「やっぱ旅の道具は減らせないもんなぁ……」
一応は少なくしたつもりではあるが、それでも重量は相当なものだ。
もちろん持って歩くどころか、持ったまま猛獣や盗賊を相手に戦うくらいはできるのだが、街を出て最初に川を渡るつもりでいたために、どうしてもその荷物が邪魔になるのだ。
フィエナが言う。
「ねぇ、やっぱりグリーデンへの道が開通するまで待ったほうが良いんじゃないかしら?」
「いや、それだと街中で知り合いに出くわす危険性があるだろう?」
「うーん……でも、もう戦争は終わってるし、魔物騒ぎも終わっちゃったし、それに―――私の知り合いって『お願い! この人と駆け落ちするの! だから誰にも私を見たことを言わないで!!』っていうのが通じる人しか居ないのよねぇ……。ユリーはどうなの?」
「あー……確かに、俺もそんな気がする」
「でしょ!? だから無理して渡らなくても、気長に待ちつづければ―――」
「フィエナ・バラード! ユリウス・デメトリオ!」
「「は……はひっ!?」」
二人して気をつけのポーズになって返事をしてしまった。振り返って見ると、そこには長い銀髪と紅い瞳の美女が、白いブラウスに紺のロングスカートを身に纏い、腕組しながら仁王立ちしていた。
フィエナは思わず叫んだ。
「お、脅かさないでよレイラっ!!」
レイラ―――元・代弁者に、フィエナが飲み会の席で付けた名前である。それ以来、彼女はレイラという名前で定着している。ちなみに苗字はフィエナと同じ『バラード』で、出身はペターニということにしている。広い街なので、現地人にそうそう疑われることはないだろう。
レイラは余裕のある笑みを浮かべながら言った。
「あら? グリーデンに行くのに川越えするなんて、よっぽど気合があるのですわねぇ……」
わざとらしいお嬢様口調。ユリウスは否定した。
「それは今、思いとどまったところだよ。……それよりもお前、グラハムさんの養女になったんだろ? あの人、今日くらいにはシランド城に向けて出発するんじゃないのか? だったらちゃんとオヤジさんの手伝いをだなぁ―――」
行商隊のリーダー・グラハムは数年前、病気で妻と娘を無くしている。そんな時、ひょっこり天涯孤独な立場のレイラが現れ、しかもそれが亡き娘の顔と性格(ツンデレなところがそっくりらしい……)が似ていたことから、彼女は養女となったのだ。
レイラは言った。
「ああ、それ? 実はパパはサンダー・アローをシランド城まで持っていく密命を受けてたんだけど、途中でペターニに駐屯していたシーハーツの兵隊さんと、そこの研究者さんたちに引き渡すことになったの。……で、パパは個人的にグリーデン方向にまで商売しに行きたくなって、運良く今日からグリーデンへの道が開通されるのよねぇ……。あら、その物欲しそうな目は何かしら?」
意地悪な笑みを浮かべるレイラ。……何となく彼女の義父の呼び方が『パパ』なのに衝撃を感じる。
と、その時、ちょうど3台の馬車が、三人の前を通り過ぎ、そしてすぐに止まった。
その先頭馬車の後部から、幼い少女が顔を出した。
「お姉ちゃーん!」
「シャルちゃん!?」
「俺もいるぜ!」
ピートがシャルの横から顔を出した。
「は…ははは……。みんな行くところは同じってか。でもアストール達は居ないんだよな……」
「ところがどっこい! もちろんいるぜぇッ!!」
ヴァンが早朝なのにも構わず、元気に叫んだ。近所迷惑という言葉を知らないのだろうか? その横からアストールと、そして―――フィエナの幼馴染みであるネル・ゼルファーが顔を出した。かつてユリウスをフィエナのいた谷底へと蹴落とした張本人である。
彼女に対しても、不思議とユリウスの胸中には怒りが湧かなかった。そもそも彼女のお陰でフィエナと出会えたのだ。それに相棒ゼノンの死は、ネルのせいではない。
フィエナが乾いた声で言った。
「あ…アハハハハハ……ネル、どうしてあなた達が馬車に乗ってるの?」
ヴァンが答えた。
「そりゃ、あれだ! 馬車に偶然乗せてもらってる旅人になりきって、グリーデンでスパイ活動をするために決まって『ゴンッ!』ぐぼぁッ!?」
ネルの肘が、おしゃべりな部下の鳩尾に鮮やかにヒットする。
「私たちも、いますよぉー!」
「……ファリン、声大きすぎ」
更にネルの直属の部下であるファリンとタイネープまでもが、馬車から顔を出した。
レイラが言った。
「……で、どうするの? あたし達はすぐにでも出発したいんだけど、乗りたい?」
迷う必要も無かった。
「「乗りたいっ!」」
レイラがニィっと笑った。
「乗りたけりゃ、さっさと乗りな! 遅れるんじゃないよ!」
そう言って彼女は先頭馬車に飛び乗った。
「フィー、行こう」
「うん……!!」
ユリウスがフィエナの手を取り、二人は走り出した。