夕暮れ時。
アリアス村の北西門を、左右から挟むように立って、見張りをしている兵士に声を掛ける者がいた。
「おつかれーっす。交代だぜ?」
頭以外を鎧で覆った青年が二人だ。それまで見張りをしていた二人は軽く笑って、
「おお、やっとかぁ。あー疲れた疲れた」
するともう一人も似たような表情を浮かべて、
「助かったよ。俺、昨日はの不足でさ。戦時が終わってすぐ、この魔物騒ぎだからな。正直、勘弁してほしいぜ」
交代の兵士が軽く笑って答える。
「ははっ。確かにあの魔物はヤベェけどよ、あんま頭良くねぇし、人里までやってこねぇだろ? だから俺ら、あのクソ重てぇ兜も被らず、だべったりトランプやったり、本読んだりしながら警備ができるんじゃねぇか。しかもクレア団長公認だぜ?」
「まぁ、確かにな。その点だけは魔物に感謝してるさ。―――あれ、奴らが居るせいで見張りやらされてんのに『感謝』は変か?」
ハーハッハッハ―――軽い笑いと共に、それまで見張りをしていた兵士達が村へと入っていく。
さっそく新しい見張りの兵士が村の外―――カルサア山道へと目を向けると、遠くに人影が見えた。
「うおっ!? こんな時間に人が来たぞ!?」
「……いや、待て。遠くに居るから人影にしか見えんが、ひょっとしたら魔物かもしれない。人型―――となれば『代弁者』か『断罪者』か……」
「………ッ!!」
片方の兵士が、顔を真っ青にする。
『星蝕の日』と呼ばれた日から、各地に魔物が現れた。
『星蝕の日』とは、『卑汚の風』と呼ばれる、良く分からない風が、上空で吹いた日である。その風を身に受けた生物は見たことも無い怪物へと変身する。またその怪物は常に一種の波動のようなものを放っているらしく、長時間その波動を身に受けた生物もまた怪物化する―――例え人であっても。
最初に怪物化したのは、アカスジガ(赤筋蛾)と呼ばれる、かなりの高空を飛ぶ昆虫だった。
そしてそれに近づいた獣・人間が、次々と魔物へと変貌してしまったのだ。
その『星蝕の日』から三日。幸い、彼らの習性として『群れを作らない』、『特に広範囲で活動しない』、『人里にまで近づかない』という特徴があり、ここの見張りの兵士にとって更に幸いなことに、カルサア山道では魔物が全く目撃されてない。
だが遠くに見えるのは、その魔物かもしれなかった。
魔物の中で一番弱いのはジャイアントモス(先ほどのアカスジガが怪物化したもの)だが、これがとんでもなく危険だ。強酸性の燐粉をばら撒くのと、同じく強酸性の弾丸を吐き出してくる。燐粉は吸引すると即死するし、触れるだけでも大怪我、最悪の場合は一生傷や手足の切断という結末が待っている。そして酸の弾丸は人体をあっさりと貫通する。
それより強い魔物となると、メデューサ等を筆頭としたのがあるが、中でも生身の人間が勝利できないのが数種類いる。
『代弁者』、『執行者』、そして『断罪者』。以上の3種類は、特に危険な存在として、近寄ることができない。
見張りの兵士の片方は、ぶるぶる震えながら、相方に問い掛ける。
「お……おい! やっぱクレア団長に報告したほうが――――」
「………」
「って、聞いてんのかよ!?」
「いや、報告はナシだ。あれは人間だよ」
「あ? 何だ、驚かしやがって……」
自分よりも遥かに目の良い同僚の言葉に、彼は心から安心した。
「おーい。俺たち、ペターニの街まで向かう旅の途中なんだ。この村、宿屋って無いのか?」
美しい夕焼け空の下、そろそろ松明が村のあちこちで焚かれ始めていた。この村は数週間前まで戦争の最前線となっていたため、今でも多くの兵士の姿が見える。
二人組みの旅人夫婦―――に変装したユリウス・デメトリオとフィエナ・バラードは、アリアス村に到着し、見張りの兵士と2~3言だけ話して村の中へと入った。戦時中ではないので、特に怪しまれることはなかった。
ユリウスは素顔と私服姿で、フィエナは手荷物の中から地味な上着とスカート(ミニでもロングでもなく、極一般的な)の上から、顔を隠すようなフード付きのマントを身につけていた。
「よかったな、フィー。宿屋、あるってさ。三日ぶりにベッドで寝れるぞ」
ちなみにアリアス村に着くまでの三日間、ずっと野宿だったりする。
だが軍にいた頃から野宿に慣れているのか、フィエナは嫌な顔ひとつせずに、
「うん。正直、宿屋が空いてなかったら、兵士の宿舎しか泊めてもらえそうなところが無いしね。シーハーツは女性兵士も多いから、部屋には困らないけど、あたしの場合、けっこう顔が広いから危なかったよ」
「それもそうだな。―――あ、でも教会とかに泊めてもらうってのもありじゃないのか?」
「それだと石の床に毛布―――なんて上等なものは無いか。たぶん床に藁(わら)でも敷いて寝ることになるでしょ?」
「あ、なるほど」
「ま、強いて言うなら―――この村は酒場が無いのが欠点なのよね」
「はは……そりゃ仕方ないさ。でも谷底に居たときは、酒なんて無かっただろ?」
フィエナは気まずそうに視線を逸らし、申し訳無さそうに言った。
「……ごめん。本当はあったんだよ? お酒」
「あったの!?」
「うん……村の中に、一軒だけお酒を造ってる家があってね、そこに酒樽がたくさんあったの。長い年月の間に熟成されてて、とっても美味しかった……」
「もしかしてその酒って―――」
「うん。ユリーが来る数日前に、全部無くなった」
がくっと、ユリウスが肩を落とす。
フィエナは慌てて、励ますように声を掛けた。
「だ……大丈夫だよ! ペターニまで行ったら、お酒なんてよりどりみどりだって!!」
と、二人並んで話しながら歩いてると、先ほどの見張り兵士(夜勤)が声を掛けてきた。
「なぁんだ。あんたら、酒が飲みてぇのか?」
と、言いながら、大きな荷物袋から一本の瓶を取り出した。
「じゃじゃーん♪」
ユリウスと、そしてフィエナの目が驚愕に見開かれる。
「おお、それは……ッ!!」
「かなり強い酒でありながら、特に女性に好まれることで有名な、アクア・クレスティアよねっ!?」
アクアベリーと呼ばれる果物がある。その果物から作られた酒が、アクア・クレスティアだ。他にもブルーベリーやブラックベリーから作られたブルー・クレスティアやブラック・クレスティアなどもあるが、中でも特に人気の高いのが、かの聖女クレスティア・ダインが愛飲していたからとも言われている、このアクア・クレスティアだ。
名前に『クレスティア』が付いているのも、その辺に由来する。
もう一人の見張り兵士が、こちらも荷物袋から、数種類のジャーキーやチーズを取り出した。
「この村に酒場が無いのは変わらないが、酒やツマミなら、定期的に行商人が持ってくるようになったんだゼイ?」
―――どうも、彼らの見張りとして仕事は、かなりいい加減なようだった。
結局、宿屋は取ったものの、ユリウスとフィエナは夜遅くまで彼らと宴会することとなった―――アリアス村の門前で。