俺の通う高校までは、駅から10分も歩けば到着する。
学校までの一本道は、登校時間帯ともなると生徒達で埋め尽くされ、逆行することが命がけと感じるほどだ。
駅の階段を下りると、俺は人の流れから外れて、裏道へと入った。
人混みに流されるのは好きじゃない。
自分のペースで歩きたいから、遠回りになるけど裏道を通って登校している。
「いてっ」
後ろからいきなり後頭部をはたかれた。
「おっはよー」
俺と同じような考えの奴は他にもいて、今日も俺の『通学路』には他に十数人の生徒が歩いている。
こいつもその一人。
赤澤瀬理奈。
いわゆる幼なじみ、ってやつだ。
中学2年生の時に引っ越していったので、一旦付き合いは途切れたが、偶然にも同じ高校へ入学し、クラスも同じだった。
以来、復活した腐れ縁は続いている。
「ボーっとしちゃって、どうしたのさ」
「うるさいな、考え事してたんだよ」
「考え事?うわー、全然似合ってないんだけど」
まあ、いつもこの調子だ。
ショートカットでボーイッシュな外見に加えて、女らしさとは無縁のがさつな性格。
正直、俺は瀬理奈を異性として見ることが出来ない。
友情で結ばれた男女、というなかなかお目にかかれないレアケースに該当するんじゃないか。
並んで歩きながら、何回目かの平手打ちを後頭部にくらったころ、『本流』への合流点が近づいてきた。
ビルとビルの間に流れていく制服の群れが見えてくる。
あと数メートル、という所で思わず足が止まる。
朝から会いたくない奴と顔を合わせちまった。
その相手も、おそらく同じ気持ちだったに違いない。
そいつは俺に視線を向けたまま、左から右へと俺の視界を横切る。
俺も立ち止まったまま、そいつの姿を目で追いかける。
ビルの向こうへ消えるまで、それは続いた。
「ねえ、まだ健吾とケンカしてんの?」
「ケンカなんかしてねえよ」
「嘘、嘘。だって、アレ以来、二人がしゃべってるところって、一回も見たことないもん。男の子ってさあ、もっとアッサリ、サッパリしてるのかと思ってたけど、案外根に持つところがあるのね。それとも、女が絡むとそうなるのかな?」
「いちいち、うるさいなあ」
掴みかかった俺の手をスルリとかわして、瀬理奈は人の群れへと飛び込んでいく。
同じクラスの女子グループと合流すると、そのまま流れに乗って行ってしまった。
残された俺は、ひとつ、ため息をついた。
「お前もいろいろ大変だな」
「ああ、まあな。あれやこれやで………って、なんでここにいる!?」
俺の隣に当然のようにヒナタが立っていた。
「なあ、あの男と何で揉めてるんだ?」
いや、そんなことは今、どうでもいい。
「絶対に家から出るなと言ってあるだろ!?」
俺の言葉にヒナタは冷静に反論してきた。
「昨日まではな。でも今日は何も言わずに出て行っただろ?ということは、今日から外出オッケーってことだよな」
俺は頭を抱えた。
ああ、そうか、それだったのか、言い忘れてたのは……
「いや、そういうわけじゃなく………」
訂正しようとしたが、俺の話など聞いちゃいない。
「まあ、丁度良かった。そろそろ外の調査も開始しないとな、なんて考えてたところだからな」
調査?
「何のことだ?調査って?」
「テレビとか、本とか、お前が教えてくれたネットとかでだいぶ情報収集は出来たけどな。やっぱり、自分の目で………」
そこで言葉が止まる。
歩いている生徒達にヒナタの目が釘付けとなる。
「どうした?」
「なんでみんな同じ服を着てるんだ?」
そう言って俺の方を向くなり、驚きの叫びを上げる。
「うわ、よく見るとお前も同じ服じゃないか!どうしたんだ!?」
いまごろ気が付いたのか。
「これは高校の制服だ」
「制服?」
「そう。規則で決まってるんだ。これ着ていかないと学校に入れてくれないんだ」
俺の話を聞きながら、独り言をつぶやく。
「そうか、学校へ行くには制服を着る必要があるのか」
一人で納得している様子だったが、なにやら悪い予感がしてきた。
「いいこと教えてくれた。じゃあな!」
言うが早いか、いきなり走り出す。
「おい、すぐに家へ帰るんだぞ!」
俺の言葉が聞こえたかどうか、俺にはわからない。
ヒナタの後ろ姿は、人の群れに飲み込まれてあっという間に見えなくなった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大きなあくびをした。
ここのところ寝不足が続いているから当然だ。
朝早く叩き起こされて、8人分の朝食と1人分の弁当と7人分の昼食を毎日作っているのだから。
かといって、夜、早く寝ることが出来るわけでもない。
やっぱり気になって、7人全員が寝付くまで待っていると、結局日付が変わってしまう。
彼女達がそんな時間まで何をしているのかというと、まずはテレビだ。
見ている番組に一貫性はない。
ニュース、ドラマ、バラエティー、スポーツ、アニメ………手当たり次第、といった感じだ。
それから本もよく読んでいる。
両親が共に学者だったから、俺の家には一生かかっても読み切れないくらいの本があるのだが、あらゆるジャンルの本を、それこそ貪るように読んでいる。
一体、何が目的なのか……
今朝、ヒナタが『調査』と漏らしていたが、何の調査なんだ?
1時間目の授業が終わった休み時間、だらしなく机に突っ伏しながら、そんなことを考えていたら、また大きなあくびが出た。
手で涙をぬぐいながら何気なく廊下の方を見ていると、数人の取り巻きを引き連れた一際目立つ女子生徒が通りかかる。
校内で知らない者はいないだろう、人気ナンバーワンの加賀美千都瑠だ。
羨望の眼差しを一身に受けて闊歩する姿を、俺は他の生徒とは違った思いで見つめる。
その感情は、後悔とか怒りとか悲しみとか、そういったものがごちゃ混ぜになって心の深いところによどんでいる。
教室前を通り過ぎる一団を、視線だけ動かして追いかけていた俺の視界に、あり得ない光景が飛び込んできた。
跳ね起きて教室から廊下へと飛び出す。
「おお、やっと見つけた。ここは広いな」
制服姿のヒナタは、屈託の無い笑顔で俺に話しかけてきた。
「何やってんだよ、こんな所で!」
「何って、お前を探してたんだけどな。見つかってよかった」
「いいから来い!」
ヒナタの腕を掴んで、大股で歩き出す。
とりあえず人気のないところへ連れて行って、話はそれからだ。
廊下を引きずるようにして行くと、階段の所でまたもやあいつと鉢合わせになる。
名前は若槻健吾。
瀬理奈と同じく、俺の幼なじみだ。
お互い、しばらく立ち止まったまま相手の顔を見ていたが、俺の方から視線を外して階段を下りていく。
「なあ、なんであの男とケンカをしているんだ?女が原因とか言ってたが、どういう意味なんだ?」
「そんなの、どうだっていいだろ。とりあえずついてこい」
こういった場合の定番は校舎の屋上なんだろうが、生憎と今日は何かの工事をしているらしく、関係者がたくさん出入りしている。
しかたがないので第二の定番、体育館裏へと連れて行く。
「聞きたいことは色々あるが、まず、その制服、どうしたんだ」
「どうだ、似合うか?」
そう言いながら、バレリーナのようにクルッとターンした。
チェックのスカートがふわりと舞う。
「そう言う問題じゃない!どこで手に入れたのかと訊いてるんだ!」
「私は天使だぞ。出来ないことは……無い訳じゃないが、だいたいのことは出来る」
またこの繰り返しか。
俺はひとまず追求することはあきらめ、校内から出て行かせることを最優先した。
「このまま家に帰ってくれ。頼むから」
「いやだ。せっかく来たんだ、もっと学校の中を見て回る」
そんなことされたら大変なことになる。
「頼む。どうしたら言うことを聞いてくれるんだ」
ヒナタは俺を横目で見ながら、意地の悪そうな笑みを浮かべて言った。
「うーん、そうだなー……じゃあ、さっきの男とお前のケンカの原因を教えろ」
「えっ、いや、それは……」
「教えてくれないんだったら、帰らん」
躊躇する俺にヒナタはきっぱりと言った。
結局、俺が根負けした。
「わかった、家に帰ったら話すから」
「本当か?約束だぞ?」
「ああ、嘘じゃない。約束する」
「よし、じゃあ帰る」
そう言うと、ヒナタは2メートルはある塀を軽々と飛び越えて、俺の視界から消えていった。
あっけにとられた俺は、しばらく立ち尽くしていた。
ひとまずは、これで安心だが、ヒナタとの約束を思い返してちょっと憂鬱になる。
他人にあの話をするのか……
家に帰るのが億劫になってきた。
だが、まあいい。
気持ちに区切りをつけるには、他人に話すのもいいかもしれない。
俺はちょっと前向きにそう考えることにした。