俺と若槻健吾は親友だった。
過去形を使うのには、勿論それなりの理由がある。
そして瀬理奈が指摘したとおり、それは女の子が絡んでいた。
幼稚園から一緒の俺達は、揃って同じ高校に入学した。
クラスは違っていたが、それまでと変わらない付き合いを続けていた。
入学して間もなく、俺は健吾のクラスの女の子を好きになった。一目惚れってやつだった。
その子は入学前から噂になるほどの美少女、名前は加賀美千都瑠。
そう、今でも校内ナンバーワンの人気を誇っている女子生徒だ。
競争率は非常に高い。
古くさい方法かも知れないが、俺は敢えて手紙を書くことにした。
その方が目立つだろうという計算もあった。
そして健吾にそのラブレターを託した。
その日から俺は返事を心待ちにしていたが、いつまで経っても音沙汰がない。
不安になって健吾に確認したが、手紙は渡したと言うだけで、後のことは言葉を濁して要領を得なかった。
そして一週間、二週間が過ぎたある日、俺は瀬理奈から信じがたい話を聞いた。
健吾と千都瑠が付き合っている、というのだ。
それも、俺がラブレターを託したその日から。
健吾の方から告白して付き合うようになったと瀬理奈は言った。
千都瑠本人から聞いた話なので間違いないという。
俺は疑心暗鬼に陥った。
健吾は俺の手紙を本当に千都瑠に渡したのか。
あいつのことは信じたい、でも信じ切れない自分もいた。
その間で葛藤していた俺は、健吾を呼び出した。
噂は嘘だと言って欲しかったんだと思う。
だが、健吾はひと言、
「すまん」
と言うだけ。
いくら問いつめても、それ以上は何も口にしなかった。
それ以降、俺達は何となくお互いを避けるようになり、口をきくことも無くなった。
1ヶ月が過ぎた頃、健吾と千都瑠が別れたという噂を耳にしたが、そのときには何の感慨もなかった。
ざまあみろ、という思いが全く無かったといえば嘘になるが、もうどうでもいいというのが本音だった。
今となっては、本当に千都瑠のことが好きだったのかどうかすら怪しいもんだと考えている。
周りのみんながチヤホヤする雰囲気に飲まれて、自分でも一目惚れしたかのように錯覚していたのかもしれない。
だが、俺と健吾の間に出来たわだかまりは消えないまま、今に至っている。
なるべく会わないように避けているし、今日のように顔を合わせても一切会話は無い。
「……と、まあ、あれやこれやで現在に至るってわけだ」
話し終わると、隣で俺の話を聞いているはずのヒナタの方を向いた。
「カナ、ヒジリ、いいだろ?これが制服ってやつだ。このリボンのところがかわいいよな」
って、聞いてねえし……。
「……俺の話を聞けえ!」
カナとヒジリを相手に、自分の制服姿を見せびらかしているヒナタに向かって怒鳴った。
「心配するな。ちゃんと聞いてる」
クルッとターンして俺の方を向き直ったヒナタが言う。
「要するに、だ。自分が失恋した原因を友達に押しつけて、未だに未練がましくウジウジしてる、ってことだろ?違うか?」
「……間違ってません。的確なご指摘、ありがとうございます……」
自分でもわかっているつもりだったが、いざ改めて他人に言われると、ちょっと落ち込む。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「えっ?」
俺の目を真っ直ぐに見つめながらの質問に、一瞬たじろぐ。
「だから、お前はそいつとの関係をこれからどうしたいのかと聞いている。このままでいいのか、それとも仲直りしたいのか、どっちなんだ?」
「それは……」
正直言って、自分でもどうしたいのかわからなくなっている。
健吾との接触を避けているのは、このままでいいと思っているからじゃない。
問題解決のための真摯な努力を怠っているだけだ。
まあ、そう言うと聞こえはいいが、要するに面倒なことを避けてきた結果が現状な訳で。
今でも俺の中には、健吾を信じたいという気持ちと、やっぱり許せないと言う気持ちが半分ずつあって、どちらにも決めかねている。
「即答出来ないってことは、つまり迷っているということだな。そんなときは自分ではわからないかもしれないが、他人に背中を押して欲しいと思っているんだ」
「え、そ、そうなのか?」
自信たっぷりに断言され、思わず自問してしまう。
「よし、私に任せておけ」
ヒナタは、これまた自信に満ちた表情で宣言した。
「どうするんだ、いったい?」
不安を隠せない俺の言葉を、ヒナタは切って捨てる。
「だから任せておけと言ってるだろ。どうするかは、これから考える。ええと、そうだ、大船に乗ったつもり、って言うのか?お前はそんなつもりで待っていればいいんだ」
手こぎボートで太平洋を横断させられるくらい不安な気持ちになるのは何故だろう。
「……晩飯の支度しなきゃ……」
俺は現実を見つめ直すことにした。
重い足取りでキッチンへ向かう俺の後から一人ついてくる。
この子は、そう『カナ』だ。
ようやく顔と名前が一致するようになった。
俺がシンクで米を研ぎ始めると、カナはダイニングテーブルから引きずってきた椅子にちょこんと腰掛けて、俺の手元を熱心に見つめている。
手の動きを追って視線が動くたびに、頭の左右で結んだ髪が揺れている。
「カナは料理が好きなのか?」
昨日からヒナタ以外の6人とも出来るだけ話をするようにしている。
「うん、大好き。向こうじゃ毎日作ってたんだよ」
「『向こう』か……」
基本的な思考回路は他の6人もヒナタと同じなんだな。
そう考えながら、研ぎ終わった米を炊飯器にセットする。
しかし。
今の俺って、ちょっとヤバイ状況になってるんじゃないか?
みそ汁に入れる大根を切りながら、改めて7人の顔を思い浮かべる。
『ホノカ』と『ミズエ』は、見た目も態度も落ち着いているし、20歳を超えているのは間違いない。
『ツキコ』は成人しているかどうか微妙なラインだが、俺より年が上なのは確かだろう。
この3人は年上ってことで、無条件で『さん』を付けて呼んでいる。
『ヒナタ』と『イツキ』は、俺と同い年くらいか。
ヒナタのことは呼び捨てだが、イツキは何故だか『さん』付けだ。
そうしなければならないような、よくわからない威圧感のようなものを感じるのだ。
ここまではいい。
問題は、あとの二人。
俺よりも年下なのは確実。
『カナ』は中学1年生くらい、『ヒジリ』に至っては、どう見ても小学6年生くらいにしか見えない。
これって、何かの犯罪にならないのだろうか?ふと、そんな疑問が頭をよぎったのだ。
そういえば、家でした小学生を連れていた男が逮捕されたニュースをテレビで見た記憶がある。
そんなことになったら、両親も悲しむだろうな……。
だからといって今更どうすることも出来ないが……。
そんなことを考えながら付け合わせのキャベツを刻む。
相変わらずカナは俺の隣に座って、観察を続けていた。
「今度、料理してみるか?」
軽い気持ちで言った言葉に、カナは大袈裟に反応した。
「えっ、いいの?やったー!」
無邪気に笑う顔を見ていると、不思議と『まあ何とかなるか』という、根拠のない安心感が沸いてくる。
「私、頑張るからね」
その言葉を話半分に聞き流しながら、俺は唐揚げの仕込みに取りかかった。
「今日の晩飯は何だ?」
ファッションショーにも飽きたのか、制服姿のヒナタがキッチンへ入ってきた。
「今日は鶏の唐揚げと大根のみそ汁、それにごぼうサラダ」
冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注いでいるヒナタに答える。
「唐揚げはいいな。熱々を食べるのがたまんないな」
腰に手を当てて牛乳を飲む姿に、それは風呂上がりにやることだ、と心の中でツッコミを入れつつ、さっきの話を思い返してみる。
正直、ヒナタはどうするつもりなんだろう?
聞いてみようと一瞬思ったが、やっぱりやめた。
どうせ、『どうするかは、これから考える』という答えしか返ってこないだろうし。
まあ、今日会ったばかりで話をしたこともない相手に、いきなり何かやることはないだろう。
ヒナタがどうするのか決めてから、意見を言えばいい。
俺は鶏肉についた余分な片栗粉をはたき落としながら、そうすることに決めた。