俺の家は豪邸とまではいかないが、標準サイズよりも広いと思う。
1階にはリビング、ダイニングキッチンの他、和室が二部屋ある。
そのうちの一つは、十二畳の広さに床の間、縁側、障子といった『お約束』が装備されていて、聞いたところでは来客はまずここへ通していたらしい。
部屋の真ん中に大きな座卓が置かれていて、床の間には高そうな掛け軸と、昔は母が花を生けていたのであろう、空の花器が置かれている。
今は閉められているが、障子の向こうには小さいながら庭が見え、縁側から降りていくことができる。
今、俺は座卓を挟んで男と向かい合って座っていた。
男はカナが入れたほうじ茶をうまそうにすすった。
なぜかヒナタだけ俺の隣に陣取って、あとの6人は締め切った障子に沿って横一列に並んでいる。
向かい合う俺たちを横から眺めている格好だ。
「この、お茶というのはうまいですな、うん。この香りがじつにいい」
カナがうれしそうに微笑んだ。
「えっと……とりあえず、何てお呼びしたらよろしいんでございましょうか?」
ぎこちない敬語に我ながらあきれてしまうが、男は気にする素振りも見せない。
「そうですね、キヨテルと呼んでいただきましょうか」
「キヨテル、ですか?」
「ええ、皆に倣って私も和風な名前をつけてみたのですが、おかしいですかな?」
「いや、おかしくはないんですけど、大人の人を下の名前で呼ぶのはちょっと……」
そう、向かい合っている男はどう見ても40歳は超えている。
いや、それよりも俺の伯父さんが確か52歳、それに近いくらいの年に見える。
「下の名前で呼べとか、呼べないとか、結局どっちなんだ?」
ヒナタの質問は無視したかったが、そうすると話が進みそうに無い。
「時と場合によるんだよ。同い年くらいだったらいいけど、さすがにこれだけ年上の人になるとさすがに下の名前で呼ぶのはおかしいだろ」
それでもヒナタは釈然としない様子だったが、それ以上は口を挟んでこなかった。
「そうですか、ならば佐渡と呼んでいただきましょうかな」
「はあ。じゃあ、佐渡さん。まず、共通質問事項としてお聞きしますけど、あなたも天使なんですか?」
「もちろん」
もう、こうなってくるとため息すらでない。
口を開きかけた俺の言葉は、横から割り込んできたホノカさんに遮られた。
「あなたがこちらに来たということは、もしや……」
我慢しきれない、といった感じのホノカさんの言葉からは、何だか切羽詰ったような感じを受ける。
「いや、ホノカ。心配しなくてもよい。私が来たのはあくまでも君らの様子を見てくるようにと命を受けたからだ。戦線は今のところこう着状態が続いている。もちろん、向こうの都合で止まっているだけだから、決して安心はできないが、今日明日にどうこうということはない」
その言葉に、ホノカさんはホッと胸をなでおろしているようだった。
ホッとしないのは俺の方だ。
戦線?
こう着?
なんだそれ?
「じゃあ、○×※は……」
「×○※はまだ……」
「それよりも※×○の……」
堰を切ったかのように、みんなの質問が飛び交う。
みんな焦っているというか、会話の中に俺には聞き取れない発音の固有名詞がいくつか混じっていた。
それが『向こう』の世界の言葉なのだろうか。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。置いてきぼりの俺に説明してくれる親切な人はいませんか?」
意味不明な会話に何とか割り込んだ。
「いや、申し訳ない。皆、向こうの様子が気になって仕方がないとみえる」
佐渡さんが俺の方へ向き直る。
「早い話が、神様が亡命なさるとしても、今日明日という切羽詰った状態ではない、まだ先ということです」
俺の頭の中は、
「???」
で満たされていた。
「まさか、ヒナタ、まだ言ってないのか?」
「あれ、言わなかったっけ?」
「………聞いてません、何も…」
神様?
亡命?
それこそ、なんだそれ?だ。
俺の想像の地平線を遥かに超えたところに答えがあったみたいだ。
見つかるわけがない。
「まったく、お前にも困ったものだな。その思い込みがなければ私の後継者として文句なしの人材なのに……」
「だって、言ったつもりでいたんだ。けど……」
はたから見ると、話の内容はともかく、二人は親子のように見える。
そんなことよりも、だ。
「あの、それはいいとして、子供でもわかるように、やさしく教えていただけたら幸いですが……」
「ああ、もちろん。私がご説明しよう」
佐渡さんは、ほうじ茶を一口飲んでのどを潤す。
「今、我々の世界では大規模な内紛が起こっています。いや、内戦と言ったほうがいい。神様に対して反乱を起こしているのです。そして残念ながら、我々は押されている。天使たちの大半がむこうの陣営に組していることから、神様は苦境に立たされているのです。そこで、万が一の時のことを考えて、亡命先としてこちらの世界が適当かどうかを調査するよう我々に命じられた。一旦、身を引いて再起を図るということですな。まあ、今のところ相手陣営の中での内輪もめで戦線がこう着状態になっているので、一息ついているところですが、いつ攻勢に出てくるかわからない。彼女たちは調査を命じられた、いわば先遣隊ですな」
「えーと、一つ質問、いいですか」
「どうぞ、どうぞ」
「神様って、あの神様のことですか?いわゆる、天にましますわれらの神よ、の神様?」
「あなたの言っているのがどの神様のことかわかりませんが、それはあなた方の信じている神のことですね。私達の神様とは多分違います。天使の中から選ばれし者のみがなりうる、我々の世界の統治者のことです。あなた方の世界でいうと、大統領みたいなものですね。我々は神様に仕える、いわば官僚のようなもの。ちなみに私は行政府である天宮庁の事務次官を勤めています」
「大統領みたいってことは選挙があるんですか?神様の?」
「いや、選挙ではありません。次期候補者から相応しい者が前の神様から指名を受けるのです。今回の内戦は、その次期候補者に成れなかった者が反旗を翻したことが原因で起こりました。詳しい話は追々するとして、簡単に事情を説明するとそういうことです」
全然簡単じゃないんですが……。
「えーと、あなた達の事情はわかりました。あ、いや、理解したわけじゃないけど、まあなんとなくはわかりました。俺、政治のこととかよくわからないけど、亡命とかそんな話なら政府とか政治家とかそっちに持っていく話だと思うんですけど?」
「いきなり我々がこの国の国家元首の所へ行って、神様が亡命を希望されています、と言って、果たして相手は信用してくれますかな?」
そういうところだけ常識的な判断ができるのが不思議でならない。
確かに言うとおりだ。
いきなり今の話をして、誰が信じるというのか。
門前払いどころか、門の前に立つ前に警備の警察官に追い払われるのがオチだ。
「まずはこの世界のことを調査し、そしてあらゆる手段を講じて我々が本当のことを言っていると相手を納得させ、その後、然るべき筋に話を通す。その為の先遣部隊であり、その拠点としてここが選ばれたのです」
「でも、なんで俺のところへ?」
佐渡さんはまず俺の隣のヒナタを見て、次に並んだ6人を見渡し、最後に俺を見て言った。
「それは、あなたが適任だから。それ以上の理由がありますか?」
その答えは想定の範囲内。
「いや、だから何故適任なのかと、そういったことが聞きたいんですけど……」
「適任というのは文字通り、その任に適しているということだとりかいしているのですが、違いますか?」
「違いませんが…」
「だったら、そういうことです。あなたはこの任務に適した人材だ。だから選ばれたのです」
「選ぶって、誰が?」
「神様です。神様が選ばれたことに間違いはありません。……大体は」
俺はそれ以上の追及を止めた。
やっぱり、そうなるのか。
どこか俺達とはコミュニケーションの取り方が違うのか?
10日間余り一緒に過ごしてきて何となくわかったことは、彼らは話の間が抜けていきなり結論ありき、となるところだ。
「どうした、カナ。眠いのか?」
突然の声に、みんなの目が一斉に声の主、ミズエさんの方へと向いた。
列の左端にちょこんと正座していたヒジリの体が大きく傾いて、ミズエさんに寄りかかっている。
その体をミズエさんの両手が支えていた。
トロンとした目は沈没寸前のように見える。
「ヒジリ、寝たかったら遠慮しなくていいんだぞ」
しかし首を横に振ると、背筋を伸ばして座りなおしたので、俺はそれ以上言うのを止めた。
時計は午後7時を回ったところ。
お寝むの時間にはまだ早いが、疲れているのだろうか。
そこで腹が鳴る派手な音が室内に響いた。
「腹減ったな、慎二。晩飯にしよう」
音の発生源は、恥ずかしがる様子も無く、カナに催促した。
「今日は鍋でーす。具材は全部準備してるし、すぐに食べられるよ」
「やった~!」
喜ぶヒナタは既に立ち上がっていた。
「佐渡、こっちの食べ物もなかなかいけるぞ。カナが作ってくれるから尚更旨い」
「おお、それは楽しみだな。後宮長の料理は久々だ」
「後宮長って?」
「カナは神様のお住まいで奥向きの仕事全てを取り仕切っていたのです。料理、洗濯、掃除……すべてをね。まあ、メイド長、とでも説明すればいいのですかな」
そういえば、今日から料理だけでなく家事全般をやってくれているが、すべてそつなくというか、完璧にこなしている。
「今日は佐渡の歓迎鍋パーティーだな!」
ヒナタの言葉を合図にして俺以外のみんなが立ち上がる。
ああ、だめだ、これ以上は頭が回らない。
メシ食って、ゆっくり風呂に入って、脳みそ動かすのはそれからだ。
いや、今日はもう無理。
ぐっすり眠って明日の朝になったら考えよう。
明日できることを、今日する必要は無い。
これくらいの現実逃避は許して欲しい。
ヒナタに腕を引っ張られて腰を上げながら、俺は切実にそう思った。