ミス・ロングビルに安全を
A.D. 6104 マチルダ・オブ・サウスゴーダ
今年もまた新しい学生が入ってくる。
瞳は希望に輝きこれからの三年間何が起きるかわくわくしているに違いない。
彼ら彼女らを見るたび故郷アルビオンを、もっと言えばティファニア姫のことを思い出す。あの心優しい少女は元気にしているだろうか。
トリステイン魔法学院でオールド・オスマン付きの秘書になってから三年、なかなかアルビオンに戻る機会は得られない。
学院の仕事はやり甲斐もあるが、非常に忙しい。でもアルビオンの情勢もきな臭いから気を付けなければならない。
いざとなればトリステイン王室とオールド・オスマンに救援要請を行わなければ。
でも水キセルはダメです。
あとセクハラもダメです。
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昨年からだが、オールド・オスマンはどこか疲弊されているように見える。
私は現状一介の秘書に過ぎない。彼がこぼさない限り何故かを知る権利はないのだ。
だが世の中が良くない方向に加速しているようにも思え、彼の疲労がいざというとき決定的なナニかを引き起こすのでは、という懸念もある。
イヤイヤだけど肩もみをしてあげましょう。あとマルトー料理長に言って軽めの料理に。
でもやっぱり水キセルとセクハラはダメです。
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いよいよアルビオンが危ない。
ナイアルラトホテップ教団はどこまであの美しい大陸を蝕めば気が済むのだろうか。
オールド・オスマンを通じて王室へ救援要請を出す。近いうちに私自身もアルビオンへ向かう必要があるだろう。
仕事を済ませて、引き継ぎも行わねばならない。
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フリッグの舞踏会にあわせてミス・ヴァリエールが王城へ向かった。
おそらくアルビオンの件だろう。そのくらい重要なことでなければ彼女の性格からして学校行事を欠席しないからだ。
さて、その舞踏会だが奇妙で気味の悪い出来事があった。
見られているのだ。
私はトリステインとアルビオンとの密約により、公的には貴族の籍を捨てたものとされている。
そんな女に目をやる物好きな貴族はあまりいない。
だが見られているのだ。
慎重に視線を探ると、いた。真っ白な髪に黒いドレス、ロシュフォール伯爵家の長女、ミス・ロシュフォールだ。
彼女は不思議なことに私を見つめている。
次の瞬間、全身に鳥肌が立つかと思った。
視線の質が如実に変わった。何でこいつが、という訝しげな視線から女体を舐め回すような、下卑た視線。彼女以外に私を見ているものはいない。
何故?
なぶるようなその目つきに凄まじい悪寒が全身を襲い、座り込んでしまうかと思った。
女性ができる眼ではない、もっと違う何かが、彼女の内に何かが潜んでいるような、そんな感じがした。
そしてオールド・オスマンの険しい顔。
じっとミス・ロシュフォールを観察しているようにも見えた。
ミスタ・コルベールもあり得ないことに彼女にダンスを申し込んだのだ。
しばらく踊っていると足をもつれさせてこけていたが、傍目からは緊張してというよりも疲労して、という印象を受けた。
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なんということだろうか!
信じたくない、信じられない情報が入った。例のごとく虚無の曜日に城下で落ち合った人物から聞かされた。
教団によってモード大公領が落ちた。
さらに間一髪ニューカッスル城に落ちのびたらしいティファニアを除いて、モード大公の縁者は家臣も含めすべて討たれたということだ。
なんてことだ、ありえない。
父上、母上。私がその場にいればどうにかできたかもしれないのに。
後悔しかできない。
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ミス・ヴァリエールから話が来た。
来週アルビオンに向かう。旅支度と引き継ぎを終えねばならない。
三年間、魔法学院にはお世話になった。
最後の奉公と思いがんばろう。
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静謐な王宮にはほとんど人の気配が感じられない。
白亜の宮廷で働くメイドたちは物音一つたてず動くことができる、というのもあるが現実に人が少ないからだろう。
そして最も警戒を密にすべき場所、王女の私室に才人とルイズは呼び出されていた。
「ルイズ・フランソワーズ。貴女にトリステイン王国王女として命令を下します」
「はっ」
片膝をついたルイズの横で才人は混乱していた。
先ほどまでこの二人はじゃれあっていた、ただの幼馴染に見えた。
だというのに空気が一変して、ここにあるのは王女とその家臣になっている。
とりあえず彼はルイズのマネをして片膝をついた。
限界まで引き絞られた弓のように、場の雰囲気は張りつめていた。
「今から十日後、アルビオンに向かいティファニア公女、ウェールズ皇太子を亡命させなさい」
「謹んで拝命いたします」
「情勢は逼迫していますが急いで事を起こすと敵に気取られます。十日後の明朝、マザリーニとリッシュモンから信頼篤い衛士を護衛としてつけます。学院に潜伏しているロングビルと共に可能な限り早くアルビオンへ」
なんだか大変そうなことになった。
才人は誰に言うでもなく心の中でそう呟いた。