アルビオンの激戦から避難船、イーグル号は無事脱出してラ・ロシェールに漂着した。
異形の咆哮は凄まじく、一人残らず平民の意識を刈り取っていた。
メイジが全力で仕事に取り掛からなければ墜落していたに違いない。
到着後すぐにルイズは竜籠を呼び寄せ、トリスタニアに直行した。
乗せるのはウェールズ、ティファニア、才人と彼女の四人だけ。
マチルダは残って平民の介抱やアルビオン亡命政府として何をすべきか、という方針をあらかじめウェールズに同行させる予定だった若き家臣団とたてている。
馬車が確保できればすぐ王宮に向かうとだけ告げて彼女はフネに戻っていった。
竜籠に乗って、才人にはそこから先の記憶がない。
疲れ果てて深い眠りに落ちてしまったのだ。
ルイズもウェールズもそんな彼を無理に起こそうとはしなかった。
ウェールズは彼の活躍を目にしていたため、ルイズもティファニアも直接見たわけではないが、彼が人智を超えた戦いに身を置いていたことをわかっている。
今はただ英雄に休息を、という思いで子どものように眠る彼を見守っていた。
次に才人が気づいたのは魔法学院に着いてから。
やわらかな日差し、近づく夏の薫を運ぶ風、楽しげな喧騒、のどかな日常の光景に才人はそれだけで涙がこぼれた。
しかし、同時に激しい動揺にも襲われる。
メアリーが、一人の女子生徒が行方知れずとなっているにもかかわらず、変わらない同級生たち。
あたかも彼女が最初からいなかったように振舞っているそれはどこか作り物めいていて、彼がいなくなった高校のことを連想させ、とてもではないが平静を保てなくなった。
それから、才人は鍛錬に励むでもなく、厨房を手伝うでもなく、ぼんやりと抜け殻のように時を過ごした。
彼とよく喋っていたシエスタはじめ、誰が話しかけてもどこか気のない返事をかえすだけ。
ルイズは彼にニューカッスル城で何があったかを決して聴こうとはしなかった。
ウェールズからすべてを聴いていたこともあるし、目の前で戦友を失った彼の悲しみを慮ることがかなわないということもある。
たまに小さな勇気をかき集めてルイズが話しかけても上の空でロクな返事もしない。
ルイズもルイズで亡くした婚約者のことで整理がついていない。
ワルドに対して抱いていたこの気持ちが憧れだったのか、恋心だったのか。
それも今ではわからない。
握りしめたワルドのペンダントは何も教えてくれない。
死者に向けるべき心が、幼い彼女には想像できなかった。
アルビオンに行く前は、二人で夜の会話をゆったりと楽しむこともできていた。
それが今やほとんど沈黙を保った関係。
そんな、同室にありながら他人のような距離感で、才人とルイズは時の流れに身をゆだねていた。
互いに時間を必要としていた。
――動乱のはじまりを――
「諸国会議?」
「ええ、サイトにも出てもらわないといけないの。むしろあなたが来ないとはじまらないわ」
三日間、才人がようやくマトモに動けるようになったのはそれからだ。
疲労や肉体的な損傷のせいもあったが、精神的にやられていたせいで回復に時間がかかっていたのだ。
「それってトリスタニアで?」
「違う」
彼の復活を待っていたように飛び込んできた会議の知らせは、入り口でじっと待っている青髪の少女、タバサがもってきたものだ。
人形めいた、どこか無機質な瞳に射抜かれて才人はたじろいた。
「は、はじめまして」
「……はじめまして」
ペコリと才人が一礼すればタバサも軽く頭を下げる。
「なにやってんのよ」
「いや、なにってあいさつかな?」
「挨拶」
ルイズに視線をうつさずタバサは答える。
すぐに沈んでしまったが、その眼に小さな好奇心と期待感、極々わずかな敵意が浮かんでいたのにルイズは気づいた。
「サイトに何か用?」
「別に」
素っ気ない返事だが、視線はしっかり固定されている。
ルイズからすれば何か用があるようにしか見えない。
才人はなんとなくひらひらと手を振った。
タバサも無表情のまま、杖を抱えていない左手でぱたぱた返した。
ルイズは常の彼女をちょっとだけ知っている。
こんな誰かの仕草を真似ることはしなかったはずだ。
ためしにルイズも手を振ってみる。
「……」
「どうしたんだルイズ?」
タバサは何も反応しない。
じっと才人を見つめている。
その視線に気づいた才人が人差し指で頬をかけば、彼女もそれにならった。
まるで親の行動をなぞる子どもみたいだ、とルイズは思う。
「仲いいわねあんたら……」
「そ、そんなことないぞ?」
「そんなことない」
才人が返せばタバサもすぐそれに追随する。
ピクリとルイズの心がうずく。
「へぇ、そうなの、ふぅん、そう」
「ホントどうしたんだよルイズ」
「別に、ご主人さまそっちのけでずいぶんと仲が良いなぁって思っただけよ」
「やきもちやき」
「違うわよ!」
ルイズは反論したが、タバサの指摘は正しかった。
この三日間ほとんど会話をしていない使い魔と、初対面の少女が仲良さそうに見えたのが気に入らなかっただけだ。
ほんのささやかな、才人を召喚したのは自分だという幼い独占心のあらわれにすぎない。
「サイトが変なことするから話がこじれたじゃない」
「俺かよ!?」
ちくっと使い魔に文句を言う。
才人から帰ってきた言葉がアルビオンに行く前のような生き生きとしたもので、ルイズはそれに少し安心した。
「それよりもその諸国会議だっけ、どこでやるの?」
「そうだわ、リュティスまでどうやって行くのよ。竜籠でも呼んでるの?」
「わたしの使い魔に乗っていく」
タバサが窓を指させば、遠くで青い竜が気持ちよさそうに空を舞っている。
イルカのような鳴き声が聞こえた。
「キュルケを連れてくるからそれまでに支度して」
「ツェルプストーを?」
実家がお隣の、お世辞にも仲が良いとは言えない女子生徒の名前にルイズは眉をひそめた。
「なんでツェルプストーが諸国会議に出るのよ」
「諸国会議は関係ない」
「じゃあなんでよ」
部屋から出て行こうとしたタバサはくるりとルイズに向きなおり、言った。
「ここは、彼女にとって危ない」
「なにそれ?」
答えることなく、青髪の少女は退室する。
「つぇ、ツェルなんとかって?」
「ゲルマニアの留学生よ。派手でイヤな奴」
「はぁ」
あれ、と才人は首をかしげた。
ルイズは良い子だ、理由もなく他人を貶めるようなことは言わない。
「平民貴族は平時に効率的なのは認めるけど、ゲルマニアは先のことを考えてないわ。始祖ブリミルを軽んじるにもほどがある……!」
ギリギリと歯ぎしりしてルイズはすごい形相だ。
なにか事情があるのかしら、と考えていると当の本人がやってきた。
「ハァイ、邪魔するわよ」
褐色の肌が健康的な長身の美女だ。
胸元なんてルイズや隣に立つタバサとは比べ物にならない。
――確かに派手な感じはするけど。
ルイズの同級生が放つバカにするような、嫌味な雰囲気を一切感じない。
「邪魔だから帰って」
「つれないわね、ヴァリエール」
それどころか気安そうにルイズにしなだれかかってみたり。
「そんなツンケンしないの、部屋も領地もお隣じゃない」
「部屋がお隣だからこの程度ですませてやってるっていうのに!」
ぎゃーぎゃーわーわーと騒ぎ出す始末だ。
才人はこっそりタバサの傍に近寄って聞いてみる。
「……なんか、仲いいな」
「お互い照れ屋だから」
なるほどと合点した瞬間、二人がばっと振り向いた。
『違うわよ!』
重なった声にお互い顔を見合わせて、悔しいやら腹立ちやらごちゃごちゃとした感情を顔に浮かべた。
「なかよし」
タバサは一人満足げ。
――この子は将来大物になりそうだ。
見た目幼い彼女は二人の横を通り抜け、窓を開け放つ。
甲高い口笛の音が響き渡り、遠くで遊ぶように飛んでいた風竜がやってきた。
「乗って」
少し強制力を込めたその言葉に三人は大人しく従う。
才人は手ぶら、大きな荷物は何もない。
ルイズもキュルケも少し大きな革カバンにおさまるくらいしか持ってこなかった。
「荷物それだけ?」
「ええ、何日も向こうにはいないし、風竜で移動ってことは急ぐんでしょ?」
タバサは振り返らずコクリと頷いた。
「ところで、なんであたしを呼んだのよ」
「友達だから、危険なところにはおいていけないわ」
キュルケの問いかけに、彼女は少しだけ長めに返す。
微熱の二つ名を持つ少女はきょとんとして、タバサの言葉が何を意味するのかまったく理解できない。
「シルフィード」
使い魔に声をかけ、空の旅がはじまった。
青い竜はすごい速度で空を進む。
――ジェットコースターみたいだ。
流れていく景色に目をうばわれながら才人はそんなことを考えた。
手はしっかりとシルフィードの背にある出っ張りをつかんだまま、ルイズとキュルケは比較的リラックスしているが彼にはマネできそうにない。
シートベルトが欲しい、と思いながら無理やりあぐらをかいた。
タバサの使い魔は才人が想像していたよりもずっと安定した飛行を見せ、馬車の方がよっぽど揺れを感じるほどだった。
それに移動するときに必ず起きるはずの風は、かなりの速度と裏腹にあまり感じない。
風防みたいな魔法があるのかな、と才人は一人考えた。
しばらく飛べば遠くに輝く大きな湖が見えた。
そんな中、キュルケはずりずりと膝立ちになって才人に近づく。
「あなた確かルイズの使い魔よね、名前は?」
「平賀才人。こっち風でいうとサイト・ヒラガなのかな。好きに呼んでくれ」
「へぇ。見ない髪の色と顔立ちだと思ったらハルケギニア出身じゃないのね。サイトって呼ばせてもらうわ。あたしはゲルマニアのキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。特別にキュルケって呼んでもいいわよ」
大体の貴族がそうであるような、平民を見下した喋り方ではなかった。
才人を観察する目も陰湿なものを感じない。
三角座りをしたルイズがじとっと横目で釘を刺す。
「サイト、そんなヤツと喋っちゃダメよ」
「あら、心の狭い主人を持つと大変ね」
口元に手をあててキュルケはころころと笑った。
「あんた男漁りはやめたんじゃなかったの?」
「自己紹介しただけで男漁り扱い? ヴァリエールはホントお高くとまってるわね」
「淑女は紹介されるまで待つものよ」
「そんなだからヴァリエールからは男が逃げていくのよ」
「あんたらが奪っていってるんでしょ!」
「奪った覚えはないわ、向こうから勝手に来るんだから」
――なんで俺を挟んで口論しだすんだ。
才人は視線でタバサの背中に救助信号を送ってみた。
彼女は背中に目がついているわけではないのでまったく気づく様子がない。
黙々とページをめくっている。
「そもそも初対面の男に名前呼びを許すなんて、信じられないわ」
「実力を認めた殿方だもの、いいじゃないそれくらい」
「なによそれ」
「サイト、確かギーシュを倒したでしょ?」
ルイズはようやくキュルケにまっすぐ顔を向けた。
「それがどうしたの」
「それがどうしたの、ですって! 平民でしょ? 平民がメイジを倒すってすごさをわからないっていうの!?」
あ、とルイズは盲点を突かれた気がした。
才人がガンダールヴである、と知る人物は少ない。
魔法学院ではコルベール、アニエス、オスマン、タバサの四人だけだ。
トリステイン中という話になっても両手の指で数えられる。
ルイズの父親であるヴァリエール公爵すら知らない秘中の秘だ。
それ以外はただの平民だとしか思っていない。
「サイト、こんなご主人様よりあたしに仕えない? 今なら恋人としてでもかまわないわよ」
――ああ、腕に! 腕に!
右腕がキュルケのやわらかい二つの物体に挟まれている。
思わず突起にしがみつく力がゆるんでしまう。
「あててるのよ」
続いてふっと耳元に囁きかけられ、才人は耳まで赤くなった。
「ちょっと!」
流石にルイズもこれ以上は黙っていられない。
左腕を自分のほうに抱き寄せようとし、ついとキュルケと見比べてしまった。
「……」
「な、なによ」
「……いいわよ、まだ成長の余地があるに違いないんだから!」
彼女はおっとりとした姉の姿を思い描いた。
自分もああなるはず、という根拠のない自信に満ち溢れている。
ルイズが胸に手をあてた瞬間、ワルドのペンダントが微かに震えているのに気づいた。
「来た」
一行は湖の直上に差し掛かる。
パタンと本を閉じ、タバサが硬さを感じさせる呟きを放ったのはその時だった。
シルフィードがその声に合わせて大きく右に傾いだ。
「なッ」
その動作に、三人は慌てて竜の背に抱き着く。
続けざまの急降下で喋る余裕はない。
視界の端を炎が過ぎ去っていくのが才人には見えた。
必死にしがみつきながら後ろを見れば黒っぽい竜と、黒いローブで全身を包んだ二人が見えた。
距離はおおよそ三十メイルほど。
――どこから沸いて出たんだ!
「魔法は!?」
「無理!」
ラインスペルやドットスペルであろうと、魔法というものは直撃すれば大けがを負う。
連続した魔法に大きな体のシルフィードは回避する他ない。
純粋なスピード勝負なら青い風竜が圧勝しただろうが、荷物の量が違う。
振り切るのも曲芸飛行で後ろを取るのも難しい。
「キュルケ!?」
「ムリ!」
使い魔に指示を下しているタバサも、その背中に焦燥をまとわりつかせているように見える。
上昇と下降を繰り返しながら徐々につめられるのが才人にもわかった。
彼我の距離は十メイルほどに狭まっていた。
間断なく放たれる魔法はいよいよ激しさを増していく。
――どうすりゃいいんだよ!
才人の内心を意に介さず、敵は交互に炎と氷を放つ。
「来た」
耳に入ったタバサの呟きは歓びに溢れていた。
「……鳥?」
ぽつぽつと空を染めるのは黒い点、才人はそれを鳥の群れだと最初は思った。
だがジグザグ飛行をやってのけるシルフィードの上で目を凝らしているとどうも違うように感じる。
翼を広げても大きすぎる、人間の大人くらいはありそうだ。
先行した一体が急ターンして青い風竜と並行する。
『シャルロット様。虫を払います』
「よろしく」
果たして、それは翼をもつ石人形だった。
続いて何十体もの黒い影がすれ違っていく。
ここで不安定な飛び方をやめ、シルフィードはまっすぐに姿勢を戻した。
「ガーゴイル?」
「そう、もう大丈夫」
後方についていた黒い竜はガーゴイルにたかられ、すっかり速度を落としている。
才人が振り返ったとき、丁度湖の上に墜落していくのが見えた。
「ああもう、聴きたいことが多すぎて頭がこんがらがっちゃいそう」
キュルケは首を一振りして言った。
タバサは振り向いて彼女の瞳をじっと見ながら答えた。
「リュティスについたら全部説明する」
*
それからは襲撃もなく、一行は無事リュティスに着いた。
途中で幾度か休憩をはさんだせいで夕焼けの美しい時間になっていた。
石造りの建物が立ち並ぶ街の様子は、トリスタニアとさして違わないように才人は感じる。
強いて言うなら道幅が広く少し古びているくらいだった。
タバサは一言も喋らず人の流れをぬって進む。
小さな彼女を目印にするのは普通ならばしんどかったに違いない。
だが特徴的な青い髪がちらちら人ごみの合間に見えるので道に迷う心配はなかった。
――どういうことからしね。
キュルケは一人考える。
タバサは、彼女の友だちはそもそも名前からしておかしい。
人形やペットの類につけるような、ありふれすぎた名前なのだ。
そして目印になるほど目立つ鮮やかな青髪。
あれほどの髪色が出るのは、彼女がガリア王家に近しい存在だからではないかとキュルケは考察している。
――もう少し待ってあげる。
友人の内心を知ってか知らずか、タバサは歩調をゆるめることなく街を歩く。
やがて貴族街にさしかかり、それでもずんずん進んでいく。
長い影を踏みながら振り返れば、才人の目に眩い夕日が突き刺さった。
「どこに行くんだ?」
「宿泊場所、会議は明日の朝から」
才人の質問にもそっけなく答えた。
ふむ、となんとなく彼は呟いて、考えても仕方ないから黙々と歩くことにした。
ルイズもキュルケも喋る気配はない。
周りの景色が建物一色から緑地や庭園が混じりだしてからしばらくたち、タバサは立ち止まった。
目の前には威圧的な城壁と堀にかかった跳ね橋、門番をつとめる全身鎧を身に着けた衛士が四名長鉾を交差させている。
タバサはゆうゆうと彼らに近づき、一言声をかけた。
「戻った」
それだけで四人の衛士は微塵のぶれもなく鉾を引いた。
その間をタバサは何事もなかったように歩き、三人もそれに続いた。
――え、ナニコレ。
才人は信じられないものを見た気分だった。
――もしかして、タバサってめちゃくちゃ偉い人?
気安く接してきたのを軽く後悔してしまう。
だが彼のご主人さまも地位が高いということに気づいていない。
城壁の内部はここが都市であると信じられないほど美しい庭園だった。
芝生は綺麗に刈り込まれ、見事な花をつけた植え込みが等間隔に並んでいる。
近くを歩けば香りが鼻に届いてなんともいえない穏やかな気分にさせてくれた。
――ま、それもあとちょっとで話してくれるだろ。
十分も歩いただろうか、薄桃色の建物が目に入る。
一流の建築家が設計したであろう嫌味のない華美さをもつ小宮殿で、いわゆる「屋敷」のようなもっと質実なものを想像していた才人はまたも驚いた。
「従姉妹のイザベラが、王女が待ってる」
振り返ったタバサの平坦な瞳は才人だけを見つめていた。
*
「おまえがガンダールヴか」
――意地悪姫さま。
才人の脳裏に浮かんだのはそんな単語だ。
大国ガリアの王女、イザベラは確かに美しい少女だ。
だが目つきがとんでもなく悪い、胸も薄ければデコも広いと才人の評価は散々だった。
「何考えてるのさ?」
その上言葉づかいまで悪かった。
タバサと全く同じ色あいの髪と冠、青いドレスがなければ街の居酒屋で働いていても違和感がない。
――いや、居酒屋の店員さんだってもっと愛想いいだろ。
とにかく才人のイザベラに対する第一印象は最悪に近かった。
なんせ彼女は攻撃的な態度を隠そうとしていない。
隙あらばぶん殴ってやりたいという気持ちが、少し鈍いところのある才人にもわかるくらいだ。
タバサからこの部屋の前に案内され、他の三人はどこかへ行ってしまった。
残された才人は渋々ドアをノックし入るしかない。
入った瞬間そんな敵意をぶつけられれば誰だって不機嫌になる。
「俺はガンダールヴなんて名前じゃない。平賀才人だ」
「平民の名前なんてどうだっていいさ」
嘲るような言葉がさらにイライラを募らせる。
「それで、俺に何の用なんだ」
「王女相手にその言葉づかい、まったくこれだから平民は……」
「いい加減にしろよ」
流石にカチンときた。
「呼んだのはそっちのくせになんだよ」
「わたしは王族よ。平民は呼ばれたら尻尾振って駆け寄ってくるもんでしょうが」
「それが王族らしい人ならそれらしい扱いしてやるさ」
「ハァ?」
才人が思い出したのはトリスタニアの王宮と、風の国での一幕。
「ウェールズ皇太子や姫さまを見習えよ」
思わず口に出た才人の言葉でイザベラはさっと表情を変えた。
獰猛な笑みが消えてどこか冷めた目で才人を見ている。
「は、アルビオン王族を救ったからって英雄気取りか」
これ以上ここにとどまる意味を才人は見いだせなかった。
「待ちな」
無言でドアに向かう才人をイザベラは制止した。
だが彼はそれを無視してドアノブに手をかける。
「待ちなさい」
びくっと肩が震えた。
それは先ほどまでの声とは全く違う、威厳に満ちたものだった。
「話はまだ終わってないわ」
才人がゆっくり振り返ると、イザベラは幾分か穏やかな、しかしどこか自嘲するような笑みを浮かべていた。
そのとき、彼は初めてこの少女の姿を直視したように感じた。
仮面をかぶっているのだ、それが誰に対してのものかはわからないが。
「あんだよ」
ドアから少し離れ、話を聞く気があることを示す。
イザベラは無言で背が低いテーブル前のソファーを指さして才人に座ることを促し、彼はそれに従った。
彼女もその対面にある一人用の豪勢なソファーに腰掛ける。
「アンから聞いたけど、おまえ違う星から来たって本当?」
「ああ、俺がいた星じゃ月が二つもなかったし、大陸も空を飛ばない。そもそも魔法なんて空想上のお話だから間違いない」
「そう……星の名前は」
「地球」
イザベラは五秒ほど口を閉ざした。
「ユゴスという星に聞き覚えはない?」
「ねーな」
「ちゃんと思い出せ、本当にないのか?」
「……やっぱりない」
「じゃあコレに見覚えは」
イザベラがそういって机の下から持ち出したのは、金属製の円筒だった。
高さは三十サント程度、直径はそれよりも少し小さい。
つるんとした外観に三つの妙な穴が開いていた。
「缶詰?」
「知ってるのか!」
机越しに身を乗り出したイザベラは、年相応の少女の顔をしている。
必死な表情だった。
才人はその心に応えようと、円筒を持ち上げ観察した。
「ごめん、やっぱり違う。大きすぎるし缶詰ならこんな穴いらない」
「……そうか」
イザベラは力なくソファーに体を落とした。
三角形をつくるよう配置された穴は、パソコンなど電子機器のソケットみたいだと才人は考える。
しかし、これはそういったありふれたものではなく、もっと恐ろしい秘密を秘めているように感じられる。
「それは模造品よ。本物があればわかったかもしれないね」
「いや、多分無理だ。さっき言った缶詰と似てるけど違う。コレ何に使われてるんだ?」
「……わからないわ」
唯一の希望が潰えたような落ち込んだ声だった。
「最後にこれを見て」
再び机の下から取り出した一枚の羊皮紙には、奇妙なモノが描かれていた。
「なんだこれ」
「それを知りたいのよ」
それを何と表現すればいいのか、才人にはわからなかった。
ザリガニのような、あるいは他の水棲甲殻類じみた胴体とそこから生えている鉤爪のついた脚は三対、それも昆虫のようなものだ。
背中と思しきところからは数対の広い背びれか、見る人によっては飛膜と判断する物体。
既存の生命体ならば頭が存在するであろう場所には渦巻形の楕円体がのっていて、そこから多数の短い角か毛のようなモノが突き出ている。
地球人ならば「アンテナのようだ」と感じる人もいるだろう。
直立したその絵姿はなんとも名状しがたく、才人の心に気持ち悪い感触を残した。
「シャルロットとジョゼットの父、オルレアン公の使い魔で彼が失踪、いえ、死亡ね。その原因よ。手がかりはその絵とユゴスという星、そして模造品の円筒しかないの」
公的には病死となっているけどね、とイザベラは言った。
その声はこの場にいない少女たちを心底案じたものだった。
「なんで、俺に直接聴こうとしたんだ?」
思考が口からそのまま漏れてしまう。
そこが才人にはわからなかった。
王女ということは目の前の少女は偉いはずだ。
自分とは比べ物にならないくらい忙しいはずだ。
こんな問答なんて誰かに押し付ければそれで情報は手に入る。
それこそもっと聞き上手な人が王宮にはたくさんいるだろうし、そういった人物を使うこともできただろう。
「機密だからに決まってるじゃない」
呆れたようなイザベラの声、しかしその表情に若干の恥じらいが混じっているのに才人は気づいた。
「そっか」
――コイツ、本当は優しいヤツなんだ。
才人にはぼんやりとイザベラの内心がわかった。
従姉妹のために、自分で何かせずにはいられないのだ。
強気で傲慢でいけすかなくて、でも少しだけ彼女のことを好きになれそうな気がした。
「お前、いいヤツだな」
「ハァ? 当たり前でしょ」
気のせいだった。
――ホントに優しいのかコイツ?
わかったと思っていた内心はひょっとしたら全然違うのかもしれない。
ただ自分をいじめたかっただけかも、と才人は考え直した。
「まぁ、聴きたいことは聴けたから一応お礼を言っておいてあげる」
「……全然感謝されてるような気がしない」
「気のせいよ、それと」
イザベラは一拍ためて。
「アルビオンの件は感謝しておくわ」
ツンとそっぽを向いて言った。
視線だけがちらちら才人をうかがっている。
――やっぱいいヤツだ。
最初は何故あれほど攻撃的だったのか、よくわからないがそれもどうでもよくなった。
「だから忠告しておいてあげる」
だが、向き直ったイザベラの表情は最初感じた意地悪姫さまそのものだった。
「父上と叔母上は、ガリア王家はおまえのことを評価しているけど嫌っているわ。せいぜい明日は気をつけなさい」
――俺、嫌われるようなことしたっけ?
才人は明日に不安を覚えた。