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No.29710の一覧
[0] 【R15・原作変容】 始祖ブリミルの祝福を 【転生オリ×Cthulhu世界観】[義雄](2012/06/19 21:32)
[1] ジョン・フェルトンに安息を [義雄](2012/06/19 21:13)
[2] オスマン老に安らぎを[義雄](2012/06/19 21:15)
[3] シャルロットに安心を [義雄](2012/06/19 21:15)
[4] サイト・ヒラガに祝福を[義雄](2012/06/19 21:16)
[5] 外伝 ダングルテールの影[義雄](2012/06/19 21:16)
[6] 番外編 マルトーに沈黙を[義雄](2012/06/19 21:16)
[7] ルイズ・フランソワーズに栄光を[義雄](2012/06/19 21:17)
[8] シエスタにお昼寝を[義雄](2012/06/19 21:17)
[9] アニエス・コルベールに静養を[義雄](2012/06/19 21:17)
[10] ミス・ロングビルに安全を[義雄](2012/06/22 21:57)
[11] アルビオンに鎮魂を[義雄](2012/06/19 21:18)
[12] メアリー・スーに祝福を[義雄](2012/06/19 21:18)
[13] 後書き+If 編[義雄](2012/06/19 21:28)
[14] 動乱のはじまりを[義雄](2011/11/05 01:21)
[15] 誓約の口づけを[義雄](2011/11/08 02:07)
[16] 泡沫の正夢を[義雄](2011/11/15 22:36)
[17] 公爵の杯を[義雄](2011/11/20 18:57)
[18] 烈風の調練を[義雄](2011/11/26 01:51)
[19] 開戦の狼煙火を[義雄](2011/12/18 20:56)
[20] だから、今だけは[義雄](2012/03/06 01:26)
[21] 焔雪舞う戦場で[義雄](2012/03/06 01:55)
[22] おやすみ、ヒーロー[義雄](2012/03/06 05:45)
[23] おわりのはじまり[義雄](2012/03/07 22:36)
[24] 中書きと人物&用語紹介(4/08)[義雄](2012/04/08 20:19)
[25] 始祖は座にいまし[義雄](2012/03/24 08:55)
[26] 少年は救いを求め[義雄](2012/04/08 19:45)
[27] 安らぎなき魂は悲鳴に濡れ[義雄](2012/04/15 15:16)
[28] 無貌の神は笛を吹き[義雄](2012/05/05 18:36)
[29] 意志の炎は再び燃え[義雄](2012/05/27 22:46)
[30] 外伝 ポワチエの手記[義雄](2012/06/02 00:44)
[31] ただ、陽は沈む[義雄](2012/06/02 01:07)
[32] Recall of Valkyrie[義雄](2012/06/13 23:16)
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[29710] 焔雪舞う戦場で
Name: 義雄◆285086aa ID:b6606328 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/03/06 01:55
平賀才人、後世に残したかった語録その二十八

『カタルシスとカタストロフィーって似てると思う。両方とも意味知らないけど。カタパルトの親戚?』





―――焔雪舞う戦場で―――





 ハルケギニアの初夏は日が早く、六時の鐘が鳴らないうちに太陽は遠く山間に顔を出しはじめる。決戦当日であっても朝焼けは変わりなく大地を染め上げ、広大なる大地は邪神になど負けないと、多くの兵に希望を与えるものだった。
 それからおおよそ四時間後、トリステイン軍が布陣するタルブ平原に差し込む陽光を遮るように西の空から現れたのは、五隻のフネだった。形は一般的なもので大きさもロイヤル・ソヴリン号のように大きくはない。ただ帆が黒いだけ。竜騎士をはじめとする飛行部隊を偵察に出すでもなくゆっくりと近づいてくる。この上なく不気味な軍勢が乗っているにも関わらず、その存在感は大したものではなかった。
 対する連合空軍は二十八隻。帆に大きな白百合があしらわれたトリステインの最新大型艦『フィリップ三世』をはじめとし、ゲルマニア、アルビオン、クルデンホルフの各国常備軍が戦列を並べている。武装よりも船足を重視して揃えられた艦隊間では油断なく旗で交信が行われており、急ごしらえの連合軍とは思えぬ錬度を垣間見ることができる。
 ホーキンスは単眼鏡をおろし、誰に言うでもなく呟く。

「来たか……」

 戦いは『当たらずに当てる』ということが基本となる。その基本にのっとれば、空の戦いは諸々付随するところはあれど、位置取りに集約される。単純に相手より高いところをとれば、発見を遅らせることができる。重力を味方につけることができる。他にも風向きや太陽の位置も関与してくるがこの二つの利点を無視することはできない。
 そう、普通はできない。ナイアルラトホテップ教団側の動きを見ていた兵が声をあげる。

「敵艦隊、着陸態勢をとります!」

 常軌を逸した行動だ。
 ハルケギニアにおいて、国家間戦争の初戦で開戦宣言が行われることは珍しくない。そう遥か昔に書かれた史料にはある。だがその宣言は艦上で風魔法の“拡声”を用いて行うか、地上に降りるとしても竜を使う。全ての艦隊を一度着陸させるなどまったく意味がない。風石の無駄だ。そもそもタルブ平原にはフネを収容する施設はない。着陸させればそのまま横倒しになり、もう一度空へ上がるためには多大な時間が必要となる。フネの規模、強度によっては損傷も免れない。
 まして現在教団を指揮しているのは、かつて空軍にも所属していた元アルビオン貴族、ジョン・フェルトンである。そんな当たり前のことがわからないはずもない。だというのに相手は悠々と、これから戦争を行うつもりなどないように高度を落としていく。もしホーキンスが何も知らされていなければ、首を傾げただろう。

「連合艦隊、対地隊形に移行!」
「アイサー! 高度落とせ!!」

 これはもし正気を保てているならば、極力教団の不利になるような戦況をつくるようにという、アルビオンへ赴く前にジョン・フェルトンとド・ポワチエ将軍が会談した結果の行動だった。

「フェルトン殿は今のところ上手くやっているようだ」
「ええ、わたくしたちも」

 本陣からその動きを見守っていたウェールズはかたわらで待機している風竜の背に上った。アンリエッタに手を貸してエスコートし、その後ろからアニエスがするすると上る。最後に才人が音も立てず飛び乗る。
 ここまでの行動は事前打ち合わせ通り、だがそれはフェルトンが狂気に落ちていないという保証にはならない。
 才人は首にかけられたペンダントを握りしめ、今まさに大地へ落ちようとしているフネを睨みつけた。邪神に連なる者と相対したときの感覚はなく、ワルドのペンダントにも反応はない。
 ワルドの母の肖像画がおさめられたロケットは、いかなる原理かはわからないが邪神の眷属に反応して振動する。コルベールが調べても精密にカットされた風石と様々な宝石が散りばめられていることしかわからなかった。

「今のところそれらしき感じはしません。これだけ離れてるからかもしれませんけど」

 才人のどこか頼りない言葉にウェールズは力強く頷いた。

「いざというときは援護を受けつつ戻ればいい。行こう」
「では、行ってきますわ」
「御武運を」

 ルイズとティファニアが見守る中、黒い風竜はその翼を大きくはためかせ、大空へと舞い上がった。それに合わせてタルブ平原各所からアンリエッタとウェールズを護衛するための魔法衛士隊のグリフォン、マンティコア、ヒポグリフが躍り上がる。
 教団のフネが地に着いたのは丁度そのときだった。絶命した蝶のような、あるいは垂らされた糸のように静かな墜落。抵抗することもなく落ちていく様子は一種不気味さが付きまとう。
 竜骨が地面にめり込んだ瞬間、どのように待機していたのか黒い影の群れがフネから飛び降りた。沈没する船から逃げ出すネズミのように無秩序に、けれど一定の幅以上に広がらないようにしながら続々とフネから湧き出てくる。
 フネが姿勢を保っていたのは五分もなかった。その短時間で五隻のフネから、ナイアルラトホテップ教団五百名が欠けることなく全員抜け出し、整然と列をなした。やがてフネは傾ぎ、土煙を伴いながら横倒しに倒れた。一拍の後、火薬か何かに引火したようで爆音とともに炎を噴き出す。
 青空を犯すように昇る黒々とした煙と、徐々に勢いを増す火炎を背後に、教団に動揺した様子は見られない。フネに未練がないだけでなく、人間らしい感情が抜けて落ちているかのように、東を向いたまま、隊列を正方に保ちながら黒の一団は粛々と行進する。服装は頭まで覆うようなローブで統一されており、鉾、槍、大鎌など雑多な長柄武器を持っている。長柄武器はその性質上両手がふさがるので好んで扱うメイジは少ない、平民がほとんどなのだろう。
 その一団から一人歩み出た人影があった。往年の輝きを失った白髪とやや濁った碧眼、他の者と違ってローブではなく、黒地に赤と青の宝石があしらわれた貴族らしいマントをつけている。ジョン・フェルトン、決戦の立役者であり、今は教団を率いる男であった。その後ろには未踏の地の原住民めいた肌の色を持つ司教、ボニファスとフェルトンに古くから仕えているバザン司教の二人が、三本脚の獣が描かれた巨大な教団旗を掲げついていく。
 ウェールズは単眼鏡でその姿を確認してから風竜の高度を旋回しながら徐々に落としていく。アニエスはアンリエッタに万一のことがないよう背後に控え、才人はペンダントを握りしめながら左胸に手を当てている。
 鈍痛は、かすかにある。けれどそれはケティと相対したときのように弱く、ニューカッスル城で覚えたあの痛みには及びもつかない。

「ちょっと痛むけど、いけます」

 その声でウェールズは決意をかため、風竜を着地させた。
 黒の一団は、近づいてみればその異様さが際立ち、百メイル近くの距離をとっているにもかかわらず名状しがたい圧迫感が一行を襲った。それに構わず才人たちは風竜から降り、風竜の脚にくくりつけられていた大きな国旗を手にする。アニエスは左側によせられた白十字が青地に栄えるトリステイン国旗を、才人の右手には白地に赤い十字のアルビオン国旗、左手に赤白青のレコン・キスタ旗を、それぞれ高々と掲げて王族二人の前に立つ。フェルトンたちがいる教団の五十メイルほど前まで、言葉一つ口にせず粛々と行進する。才人がジョン・フェルトンを目にしたのは、この時がはじめてだった。
 くたびれている。
 率直な感想はその一言に集約される。顔に生気がなく、白髪どころか髭まで真っ白になっていて、事前情報ではまだ四十にもならないというのに、マザリーニ枢機卿やひょっとしたらオスマン老に並ぶほど年をとっているように見えた。中学生のころに見たことのあるファンタジー大作映画、それに出てきた魔法使いに操られている王様みたいだと才人は思った。二つ、違う点があったすれば、口元には彼の娘たるメアリーの面影があったし、その瞳にはまだ力が残されている。

「久しいですな、アンリエッタ殿下、ウェールズ殿下」

 外見より遥かに若々しく、覇気に満ちた声。現ナイアルラトホテップ教団を率い、妻のため、娘の罪滅ぼしのため、命を賭した男は確かにそこに立っていた。

「久しいなフェルトン殿。ラグドリアン湖で会って以来だったかな」
「ええ、あの園遊会がはじめで最後でした」
「今投降すればまだ減刑はかないますよ、フェルトン殿。トリステイン王国王女として保証します」
「ご冗談を。私の後ろには我が娘を信仰する五百名の教団員がいるのです。今更投降などと、タニアリージュの劇ですらありえない展開でしょう」

 三人の話し口は軽やかで、才人は一瞬ここが戦場であることを忘れてしまった。そのくらいなんでもないことであるよう、三人は会話を交わす。
 だが、じくりと痛む胸と左手が思い出させてくれる。ここが戦場であることを、目の前には邪神の尖兵がいることを。

「宣戦布告はこちらから行った。つまり、慣例通り我々から大義を述べさせていただきましょう」

 フェルトンは軍杖でウェールズたちとの間に線を一本引き、十歩後ろに下がる。ウェールズも同じく線を一本引き、アンリエッタたちをうながして十歩、後ろに下がる。杖線と呼ばれる、ハルケギニアに古来より伝わる戦の儀礼の一つである。これよりはじまる開戦宣言において、いかに卑劣な挑発を行われたとしてもこのラインを越えてはならない。このラインを越えるものは、矢であれ魔法であれ両軍を率いるものが止めなければならず、そのような無作法を行ったものは末代まで卑怯者のそしりをまぬがれない。
 そして紡がれるスペル、“拡声”。個人の声を術者の力量に応じた距離にまで届かせることのできる、比較的用途の限定される『風』系統の魔法。

『諸君、私はナイアルラトホテップ教団大司祭のジョン・フェルトンだ』

 のびやかで張りのある声は遮るもののない平原に広がり、もしかすると遠くラ・ロシェールの山岳地帯にまで届いているかもしれなかった。とてもラインクラスの風メイジが使う“拡声”とは思えない。

『此度の戦、そもそもの非はアルビオン王国側、ひいては現在のハルケギニア国主たちにある。殉教されたクロムウェル大司祭はブリミル教の司祭という出自だ。そこで彼のお方はブリミル教の腐敗を目にし、それを浄化する必要があると考えられた。その考えが教皇庁に漏れ、ロマリアから遠ざけられアルビオンに来てもその意志は潰えることはなかった。我がフェルトンの領地で彼は古文書を読み解く日々を送っていた。そこで彼は見つけたのだ、我らが神の、ナイアルラトホテップの存在を』

 両腕を広げながら、朗々とジョン・フェルトンは言う。

『始祖ブリミルに虚無を、系統魔法を授けたのはナイアルラトホテップ様だったのだ!』

 才人にとって、こんな演説はどうだっていい。これは嘘だと知っているからであり、また日本人らしい神様なんて心底どうでもいいという思いもあったからこその余計な思考だった。両軍の兵士たちは静かに、おそらく隣の者とひそひそ話をする程度に聴いている。

『六千年もの間、それをあたかもブリミルが授けたかのようにロマリアは教え広めてきている。それは、ブリミルの血統と弟子フォルサテの血に王権の正統性を持たせるためであり、この事実が洩れれば彼らと貴族が不利益を被るからである。「我が神から生まれ落ちた生命は平等である。平民、貴族などの種族身分を問わず、我が身にとって大切な存在であり、我が神の祝福を受けたものである」。ナイアルラトホテップ様はブリミルにこう説かれたと古文書にある。我らが目指すはこの文書通り、平民、貴族、など身分出自に囚われない新しき世界だ。王族が自国民を見捨てて逃げるような真似をするならば、既存の勢力をすべて破壊しつくして新たな世を創出するしかあるまい!』

 その理想は非常に耳触りのよいもので、聴いていたいくらかの兵は心が揺れ動いたかもしれない。才人の背後から聞こえてくるざわめきが一瞬大きくなったような気がした。

『故に、ここに私は今一度宣言する。腐敗に満ちたハルケギニア諸国に対し、真実をもたらすための聖戦を行うと!!』

 その言葉が終わると同時、二人の司教は教団旗を大地に突き立てた。拍手や喝采は一切なく、フェルトンの後背に控えている黒の教団はしわぶき一つ漏らさない。沈黙を、静寂を保つのみである。
 ウェールズが一歩踏み出た。

『笑止』

 フェルトンの“拡声”と同じくらい、しかし込められた熱量は比べ物にならないほどその声は轟いた。

『アルビオン王国皇太子であり、レコン・キスタ盟主のウェールズ・テューダーだ』

 その表情は後ろの才人にはわからない。涼やかな顔なのか、憤怒に満ちているのか、声の様子からもそれを察することはかなわない。

『確かに、我らアルビオン王族は愛する臣民を見捨てトリステインへと亡命した。それは隠しようもない事実であり、恥ずべきことであり、否定できる材料はどこにもない。我が父、ジェームス一世が命と引き換えに貴様らの足止めをしたことも言い訳にならないだろう』

 この発言にレコン・キスタ兵は驚愕した。王族は絶対であり、その施策に間違いがあってはならない、あるはずもないのだ。しかし、ウェールズは真っ向から相手の主張を飲み込んだ。

『しかしながら、それは後の世のため必要な戦略的撤退である。貴様らのよりどころである邪神の巫女を確実に倒すため、そして虚無の血統を後世に残すための』

 その言い分は、確かに理解はできる。だが理屈として理解できるのと感情で納得するのはまた別の話だ。
 しかし、兵は大きなざわめきもなくウェールズの言葉を受け止めた。言葉の端々からウェールズの、王族の本意ではないという感情、悔しさ、無念さを感じ取ることができたほど、その声が生々しく響いたからである。

『ここにいるアルビオン王国軍人は目にした者もいるだろう。巫女が歩いた跡、我らに慈しみを与えてくれた天空の大地が黒く犯されていたのを。我らに安寧を与えてくれた穏やかな風が腐臭を帯びていたのを。夜ごとまた陽が昇るのを祈らなければならなかった幼子たちを』

 激情を秘めた声に、戦場は静まり返った。一拍の間を置いて、アルビオン軍人が右足を持ち上げ、一斉に踏み鳴らした。鼓動は規則的に、そしてうねりを帯びてトリステイン、ゲルマニアをはじめとする諸国に伝播していき、レコン・キスタは得も言われぬ熱情に包まれた。
 才人も、その一体感を味わっていた。
 無慈悲なまでに命が奪われていった光景を覚えている。弾け、燃え上がり、焼け落ちたニューカッスル城を覚えている。邪神に踏みにじられた少女を、覚えている。

『生命を奪い、大地を穢し、今また争いの引き金となろうとしている。そのような者が、そのような者が神の巫女であるはずがない!』

 ウェールズは、ハルケギニアの人々は邪神の前にはちっぽけな人間に過ぎない。だけど、だからこそ、心を一つにして立ち向かうことができる。

『失われし家々を、人を、大地を思え! 今こそ教団を滅ぼし、国土を復興するときである!!』

 ウェールズの大喝とともに、才人とアニエスは国旗を大地に突き立てた。その感触は、突き立てた音は腕に残り、山々から強い風が吹きおろして四つの旗を激しくなびかせ、墜落したフネから上がる黒煙を吹き散らした。
 フェルトンはウェールズの眼を見ながら頷き、何も言わずに背を向けた。ウェールズも、無言でフェルトン達に背を向け、アンリエッタたちを促した。
 四人が風竜で本陣に戻ったと同時、教団から一つの大きな火球が打ちあがった。準備は整ったとの知らせである。
 無言でアンリエッタはメンヌヴィルに目をやり、頷いた。盲目のはずの彼はその動きで悟ったのか、杖に大きな火球を宿らせ、空に打ち上げた。

突撃行進曲チャージド・マーチを打ち鳴らせ!!」

 ウェールズの指令に従い、軍属楽士のホルンがタルブ平原に鳴り響いた。その響きに応じて平原の各所から、さらにはフネの上からも伸びやかなホルンが十度、お互いの音に合わせるように調べを統一させていく。

「さて、ヒラガ殿。どう感じた?」

 戦場にふさわしい勇壮な音楽を流しながら、ウェールズは才人の眼を見た。口にこそしないものの本陣に控えている、この戦が始まる前から邪神知る面々は彼を注視している。

「たぶんだけど、あの人は染まり切ってません。でも後ろの二人のどっちかは、ヤバかったです」
「そうか……」

 フェルトンは、言ってしまえば普通の年寄りであると才人は感じた。問題は後ろに立っていた二人の司教だ。どちらかはわからなかったが、左手が、心臓が、ワルドの遺したロケットが激しく反応していた。メアリーと相対したときとは違ったものの、それでも危機を感じるレベルの邪悪さを才人は感じ取っていた。
 ウェールズは口元を手で覆い隠しながら十秒近く黙考し、言った。

「作戦はこのまま、長弓隊と一部艦隊で牽制しながら騎兵突撃。他のフネは広く布陣して索敵につとめる」

 ラ・ロシェールと太陽とを背にして連合軍は鶴翼の陣(緩やかなくの字型の陣形)を敷いており、本陣はその中心に、層を厚くして配置していた。ここ数日の土地改造によって教団が低位置をとるように、そしてレコン・キスタが高位置をとるように配置されている。加えて言えば反対側、西方にトリステイン王国の諸侯軍をもって形成される小さな鶴翼の陣が形成されていた。南北にはぽつぽつと諸侯軍の陸上戦力が布陣していた。
 教団の構成員を一人残らず討ち果たすためには脱出の困難な、人目の増えるような陣形を組む必要があったのでレコン・キスタはこの陣形を選んだのだ。
 さらに、ハルケギニアと地球の近世の戦術は等号で結ぶことができない。

「対地陣形のまま推移か。攻撃準備!」

 何より大きな違いは、航空戦力の有無だ。地球では、二十世紀に入るまで空を飛んで攻撃するという概念は存在しえない。精々小高い丘や切り立った崖を利用した戦術や、メリットとデメリットの差が激しいが、山上に陣するということが考えられる。
 その点ハルケギニアでは昔から大型の猛禽類にとどまらず、ヒポグリフやグリフォン、マンティコアに代表される幻獣類から、竜を利用したメイジ戦力、さらに風石を利用したフネが存在する。単純な話、フネから石を落としたとして、下にいる人間に命中すれば甲冑を装備していたとしても重傷を負い、下手をすれば死んでしまう。地球の物理法則を無視するメイジという存在がある以上、土メイジ一人をフネに乗せれば陸上戦力にとって大きな脅威となりうるのだ。
 他にも竜に限らず空を飛ぶことのできる大型の幻獣は、それ単体で平民メイジ問わず損傷を与えることができる。それにメイジが騎乗すれば遠距離からの一方的な攻撃まで可能になる。
 人と人との戦争に限定してしまえば、強大な航空戦力は単純な兵数差を覆してしまう。そしてアルビオンは竜騎士隊や各種のフネに代表される航空戦力を保有している。それが国土が限定されているにもかかわらず、アルビオンが強国として知られている理由である。

「長弓騎兵隊作戦行動開始!」

 空軍は結果としてアルビオン王国の武力の大半を担うこととなる。結果、平民貴族に変わる軍内部限定の階級という概念が広く知られるようになり、ことアルビオン軍に限って言えば平民貴族の境界線があいまいなものとなっていた。その空気は陸軍にも伝播していき、平民のみで構成された部隊が出来上がるのにさして時間は必要とされなかった。
 長射程を誇る長弓部隊も古くに設立され、徐々に規模を拡大しながらアルビオン陸軍において一大勢力を築き上げる。訓練を受けたメイジ部隊よりも、その機動力を活かして戦場を縦横無尽に駆け巡る長弓騎兵隊の方が活躍した戦場も数多い。騎馬は魔法に慣らされた馬のみにとどまらず、落下時のことを考慮して通常メイジしか扱わないヒポグリフをも部隊に取り入れ、アルビオン王国竜騎士隊と並んでアルビオンの象徴にまで至っている。

「胸甲騎兵隊、出るぞ」

 本陣を含む巨大な鶴翼の両端から駆けだした長弓騎兵隊とは別に、もう一つの小さな鶴翼も動きを見せていた。ゲルマニアの胸甲騎兵隊である。メイジに似つかわしくないキュイラス(頭を含め前半身を強力に保護する鎧)を身に着け、長大なランスを右手に、大きな丸型盾を左手に陣形を整えながら歩みを整えている。ハルケギニア六千年の歴史はありとあらゆる武器を杖とする技術を獲得するまでに至っている。無論、彼らが装備しているランスも突撃用杖槍という正式名称を持っていた。砲亀兵によって敵方のゴーレムを打倒した後、A字型の中央横列のメイジに防御を担わせながら杖槍にブレイドを纏わせ突撃する、圧力と突進力の凄まじいゲルマニア陸軍の得意とするスタイルだ。彼らは陣形を整え、ゆっくりと歩幅を揃えて突撃の時を待っている。

「士気は上々のようだな」
「“共感”を使った甲斐がありましたわ」

 士気を効果的に上げるため、先ほどの開戦宣言ではアンリエッタはトリステイン王家の秘伝水スペルの一つ、“共感”をウェールズにかけていた。かけられた者の言葉に共感しやすくなる、ただそれだけの水のトライアングルスペルである。しかし、使うべきところで使えばこの上なく効果的なスペルだった。
 単眼鏡ごしに兵たちの熱気が伝わってくるようだ。

「弓、引けぃ!」

 隊長の指揮に従い、教団と正面から対峙しながら馬上で長大な弓をきりきりと引く一団があった。黒い群れとの距離はおおよそ百メイル、精強で知られたアルビオン長弓騎兵隊にとって全く問題のない距離である。

「放て!!」

 この攻撃をもって、レコン・キスタとナイアルラトホテップ教団との戦がはじまった。
 放物線を描いた百の鏃が日光に煌めきながら敵を貫かんと殺到し、教団を率いるフェルトンの風魔法がその攻撃を薙ぎ払った。二手にわかれた騎兵隊は巧みに馬を操りながら教団の横手を走りつつ、水平射撃でもって連続的に攻撃を加えた。
 時に長柄武器を振り回しながら、時に数少ない大型盾を持った者が防ぎながら教団はまっすぐに東進する。
 長弓騎兵隊が教団の横を駆け抜け、後方で合流した直後にアルビオン小型快速艇とトリステインのヒポグリフ隊、マンティコア隊が空中攻撃を教団に仕掛けはじめた。一見こちらの攻撃に相手は防御しかできていないように見えるが、真相は少し異なる。

「……やはり、か」

 モード大公が敗れた理由は、教団が神出鬼没で進行速度、規模がまったく予想できなかったのと、今ウェールズが目にしている光景が関係している。

「通用していないな」

 染まり切った教団には、いかなる原理か攻撃が通じない。今も空中からの魔法攻撃を、ハエでもはらうように各々の不揃いな武器を振り回して応戦しているが、倒れ伏した黒ローブは一枚もない。その有り得ない光景を、ウェールズは冷静に分析している。
 才人はやることもなく、ここでじっと精神を研ぎ澄ませていた。
 リーヴスラシルの狂気緩和効果を存分に活用するため、布陣は才人のいる本陣を基準点として行われている。彼が移動してしまうと、若干の誤差が出るのでとにかく今は動かないことが仕事だった。
 ルイズとティファニアもすべきことなんて一つもない。いざというとき“爆発”を唱えるだけで、今は動く必要がない。
 天幕も張らず太陽の下にある本陣には矢継ぎ早に報告が舞い込んできているが、いずれも位置取りの変化ばかりで、被害を受けただとか、討ち取ったという話は全く聞こえてこない。長弓隊が後方から打ち込んだ矢が、陽光をきらきらと反射し教団に降り注いだが、フェルトンが唱えたと思わしき風魔法に吹き散らされた。

「トライアングル……ですな」

 実験小隊から魔法学院に移ったジャン・コルベールは様々な戦場を渡り歩き、多種多様なバケモノを討伐し、今はたくさんの生徒を指導する身である。メイジの技は人一倍見てきたこともあって、行使された魔法がなんなのか、どのくらいの力量のメイジが使ったかは大体見当がつく。彼の持つ知識によれば使われたのは“ウィンド・シールド”、ドットから使える汎用性の高いスペルであり、『風』の系統を足し合わせるにつれ、大きな風の盾を生み出すことができる。最初にフェルトンが使ったのは目測で半径十メイルほど、おおよそ三つの『風』で発言する規模だ。付け加えれば、開戦宣言での“拡声”の規模もトライアングルクラスであった。

「この短期間にラインからトライアングルに成長したのか、それともなにかカラクリがあるか……」

 ジョン・フェルトンは平凡な男だ。得意とする系統はアルビオン人らしく『風』、大体の貴族がそうするようにロンディニウムの魔法学院に進み、卒業後は空軍に籍を置いた。一つだけ人と違ったのは、トリステインにわざわざ婿入りに行ったことぐらい。あとはほとんどのメイジがそうであるようにラインクラスのメイジであった。
 一般的にメイジのクラスは二十歳までに完成するとされている。フェルトンは四十近くで、その年齢でクラスが上がったというのはほとんど報告例がなかった。
 なんらかの魔法補助具を使っているか、それともクラスが上がる機会があったということになるが……コルベールの呟きに応じたオスマンにもこの場では判断しえなかった。
 学究の徒が議論を交わしている間にも戦況は推移していく。黒衣の一団は手にした長柄武器を振りかざしながら、しかし隊列を乱すことなく本陣めがけてまっすぐに侵攻していく。才人が見ている先でゲルマニアの胸甲騎兵隊が突撃していき、紙を裂くようにやすやすと教団を蹂躙していった。だが、彼らが通り過ぎた後、何事もなかったかのように起き上がり、再び歩みを進めていく。
 幾度矢が黒衣を貫こうと、空中から投下された炸薬が直撃しようと、杖槍に纏ったブレイドが引き裂こうと教団は五百の人員を減らすことなく、じりじりと本陣を、ラ・ロシェールを、その後背にあるトリスタニアを目指している。攻撃は時間稼ぎになっているものの、太陽が傾きはじめる頃には本陣に到る可能性が高い。

「皇太子殿下、このままではらちがあきやせん。いっちょ小隊が一当てしてきましょうか?」

 以前から邪神に連なる者を排除する任務に就いていたメンヌヴィルはウェールズに進言した。

「それはダメだ。戦場ときみたちの任務は環境が違いすぎる」

 リッシュモン子飼いの実験小隊を送り込めばなにか情報が得られるかもしれない。ただ、戦場は普段彼らが活躍する市街地戦や森林での遮蔽物を活かした戦闘や、情報収集の勝手がまったく違う。下手を打てば邪神に連なる者との戦闘経験をもつメイジを一気に失いかねない。ウェールズも当然、メンヌヴィルの言葉を否定した。

「ですが、このままだとよろしくありませんわね」

 ぽつりと、アンリエッタは遠くの一団を見ながら呟いた。
 こちら側に被害が出ていないとはいえ、不気味な集団が相手だ。高揚していた兵が徐々に冷めていくのが肌で感じられる。いつそれが恐怖に転化するか、本陣の人間にはわからない。
 戦端が開かれてからじきに一時間が立つ、だというのに損害報告はなく、また打撃を与えたという報告も入ってこない。通常の戦場とはまったく異質であり、なんと表現していいかこの場にいる者たちにはわからない。アルビオンの亡きバリー老がいたのなら「この世ならざる戦場」とでも評したかもしれない。

「ガリアから借り受けてきたミドガルズオルム隊を出してみては?」
「ミドガルズオルム隊の攻撃手段はさほど多くないらしい。もっと違う手段に頼るべきだ」
「ビーフィーターも攻撃手段という観点からすれば却下になりますね……」

 発言の少ない作戦参謀の提案も、一般的な相手なら採択したかもしれない。
 だが、今問題となっているのはこちらの攻撃が通らないということだ。ガリアの北花壇騎士団所属のミドガルズオルム隊の精強さはウェールズもジョゼフ王から聴いている。ただし、攻撃手段は物理的なものがほとんどだという話なので今ここに投入するべきではないと、ウェールズは考えた。アルビオンの王都、ロンディニウムを守護する隊として知られるビーフィーターも同様の理由で却下だ。
 考え悩むウェールズの視線はある一点で止まる。

「オールド・オスマン」

 総大将、ウェールズ・テューダーは一つの決断を下した。

「あなたの魔法を見せていただけませんか?」

 トリステインが誇るハルケギニア最高のメイジ、『五大』のオスマンを投入することだ。椅子に腰を下ろして、呑気に白ひげをしごいていた齢百を超える老人は、ほほ笑んで言った。

「喜んで。プリンス・オブ・ウェールズ」

 ウェールズの決断を受けて、本陣では情報伝達の鳩とメイジが飛び交っていた。“伝声”は混線がひどいため指令所では滅多に使われない。アルビオン、ゲルマニアの両騎兵隊は後方に下げられ、トリステインの遠距離攻撃を得意とするメイジ部隊が前方に出る。さらに反撃がないのをいいことに教団の真上を陣取っていた空中艦隊も南北に展開した。
 その間も足止めのために矢と、精神力を消耗しにくいドットスペルが空を覆い隠さんばかりに放たれ、五メイルくらいのゴーレムが行き交う黒衣を踏み散らし、教団はその進行速度を大きく落としていた。 
 もうしばらくで部隊の配置が終わろうかという頃、かくしゃくとした動きでオスマンが立ち上がった。

「さて、皆様方。この老いぼれの話にちと付き合っていただけませんかの」
「最高のメイジと名高い『五大』のオスマンの話なら、喜んで」

 オスマンは伝令の行きかう場からほんの少しだけ離れたところで足を止め、彼の背より少し短い杖を正面の大地に突き立てる。ところどころ節くれだっているが、オスマンとともに歩んできた歴史があるのか独特の風合いを持った杖であった。
 コツ、コツと一定のリズムを保ちながらオスマンは杖を突く。集中するためにある動作をとる、というのはよく知られた手法ではあり、杖を一定の間隔で打ち鳴らすというのも書を紐解けば載っていることが多い。ただ、詠唱のときにまでそのようなことをするメイジは数少ない。そのようなことをせずとも魔法を唱えることはできるからだ。

「ときに、ウェールズ殿下。北部ゲルマニアに行ったことはおありで?」
「ありませんね。一度だけ、ウィンドボナに」

 そのまま、オスマンは会話を続ける。その所作は何気なく、とても集中を高めているように見えない。

「わしがそれを見たのは、三十年ほど前じゃ。メンヌヴィルくんやコルベールくんは覚えているかもしれんが、寒さの厳しい冬じゃった」

 その時代を思い浮かべているのか、より深く心中に没するためか、オスマンは瞳を閉じる。

「当時ゲルマニア北部にある都市、オースロにわしは滞在していての。高級宿ではあったがあちこちから沁み込む冷気がつらかった」

 本陣自体は相変わらず伝令の怒号が飛び交っていたが、オスマンが支配するこの場は奇妙な静寂が訪れていた。

「本来は新魔法の創造を行うため色々見聞を広めなければならなかったのじゃが、あまりに寒く、吹雪も激しくて宿からでることすらできんかった」

 コツ、コツと一定の間隔で刻まれる杖の音とオスマンの低く、心地よい声に包まれながら、一同は戦場であることを忘れつつあった。

「やることもなし、ブランディを舐めながら暖炉の火を眺めていたわしに、店主は変わったものをもってきてくれた」

 才人も老人の珍しくも懐かしい感じのする話にすっかり心を捕らわれつつあった。まるでこのお話自体が魔法であるような、不思議な感覚に彼は揺られていた。

「皿の上に乗せられていたのは一見何の変哲もない、小さな四角い氷じゃった。店主はそれにくべられていた小枝を近づけての、普通に考えれば氷はとけるもんじゃろ?」

 オスマンの問いかけには誰も答えない。ただただ場の空気は老人の話の先を望んでいた。

「違ったんじゃよ。氷はじっくりと融けながら、燃えはじめたんじゃよ。小さいながらも確実に炎を宿しておった。周辺地域でとれる『燃える氷』と言ったらしい」

 誰もが目を閉じてその情景を想像している。想像させられている。老人の声がそうした方がいいと、彼らの心を動かしていた。

「それを見てわしは決めた。これを魔法で再現してやろうと」

 それがはじまり。『五大』のオスマンと呼ばれる五つの偉業の一つ、四番目の魔法。

「それから十年ほどじっくりと試行錯誤しての、当初考えていたものとはだいぶ違うカタチになったが、まあこれも始祖の思し召しじゃろうて」

 一際強く杖が打ち鳴らされた。

「名をつけるなら“フレイム・スノー”とでもすべきか。ま、わし以外誰も使えんし、普段は“焔雪”と呼んでおる」

 その音で目を開けた一同はオスマンに注目する。当の老人は魔法学院でいつもそうであるように、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。
 そして、もう一度目を閉じて今度こそ、ゆっくりと謳うように詠唱をはじめた。

「イス・アース・デル……」

 オスマンの周囲、直径にして約三メイルの地面がほのかに光りはじめる。“錬金”を行ったときと似た輝きではあったが、一同はもっと違う何かを感じ取ることができた。光は地面にとどまらず、陽光の下にあってすらわかる、どこか神々しさを感じる輝きをもってホタルのようにふわふわと中空を舞っている。

「ラグーズ・ウォータル・イス……」

 続くルーンで大地に変化が現れた。白い結晶質の物体が伸び出て、赤子の手ほどの大きさになると折れ落ち、下からせりあがるものに押し上げられ静かに堆積していく。雪が空から降って積もるものであるなら、オスマンの足元から生まれ出る物体はなんと呼べばいいのだろうか。

「イル・ウィンデ・ハガラース……」

 杖を中心に風がゆるやかな螺旋を巻き上げ、純白の結晶を空へ解き放っていく。一切の激しさもなく、ただしんしんと空に降り注ぐその光景はとても美しく、本陣から見下ろすことのできる黒衣の集団とはまた違った意味でこの世ならざる情景であった。結晶は空高く、フネのある高度にまで舞い上がり、重さを感じさせない動きで再び地に還ろうとちらつきつつあった。
 レコン・キスタの面々は真夏の雪ともいえる光景に束の間戦場を忘れ、誰もが天空を見上げた。結晶はやがて地面に落ち、融けることもなくその場に残る。ある兵士がそれを手に取ってみても、雪のような外観と冷たさを感じながらも水になることはない。神聖でありながら不可思議な物体だと、あるものは感じた。
 そして、最後のルーンが唱えられる。

「ウル・カーノ・マンナズ・ウンジュー」

 降り注ぐ結晶にぽつぽつと焔が宿りはじめた。その動きは炎に変わろうとも変わらず、風に揺られながらタルブの大地に降り積もる。地面に落ちた焔は燃え上がることなく、優しい光を放ちながらしばらく残り、跡形もなく消え去った。
 レコン・キスタ兵の肩や装備に乗ったものも同様に光を灯したが、周囲に火が移ることはなくその兵は熱を感じることすらなかった。騎兵が扱っていた馬やグリフォンなどの獣も、訓練されているとはいえ普通火を恐れる。だというのにこの結晶には怯えを見せず、燃え上がったとしても全く気に掛ける様子を見せなかった。
 大半の結晶は燃え上がることもなく、タルブ平原に降り積もっていく。土の露出した地面や草木も関係なしに、その白で平原を染め上げていく。

「アニエスくんのおかげで威力はいつもより高いじゃろうな。さてさて、どうなるかの」

 ただ一点、この神聖な光景にふさわしくない、そして周囲の穏やかさをかき消してしまうような集団がタルブ平原に存在した。
 ナイアルラトホテップ教団である。
 彼らは降りしきる結晶を目にも止めず、粛々と東進を続けていた。風魔法で薙ぎ払い、あるいは長柄武器を振り回して風を起こし、大地を踏みしめ本陣を、その背後に暮らす人々を狙って歩みを進める。
 だが降り続け、大地を埋めようとしている結晶すべてを避けることなど不可能だ。とうとうある者のローブに結晶が触れた。
 瞬間、その者に触れた結晶は烈しく燃え上がり、黒衣を大きな火柱の中に呑みこんでしまった。教団はこのときはじめてこの戦場で素早い動きをとった、燃える者から大きく距離をあけたのだ。それから動くこともなく、手を貸すこともなく火の様子を観察している。
 轟々と音を立て火は燃え続け、中にいる者は身じろぎ一つとれず地面に倒れ伏す。戦場のすべてが固唾をのんで注視する中、焔はその身体を黒衣もろとも、この世に最初から存在しなかったかのように消し去った。あとには灰すら残らなかった。

「やった!」

 どっと戦場の各所から歓声が沸きあがる。戦がはじまってようやく一人を倒すことができた、小さく、されど大きな戦果であった。
 雪はなおも降り続ける。密度こそ小さいものの、戦場を埋め尽くすのはもはや時間の問題であった。

「流石です。オールド・オスマン」

 ウェールズの言葉にオスマンはにっこり笑って返した。彼の周囲からまだまだ結晶が伸び落ち、空に舞い上がっている。
 オスマンの創造したスクウェアスペルの一つ“焔雪”。結晶の基となる物質を生み出し、氷とともに成長させ、風で空に舞い上げ、焔と化す。一つの魔法で四つの段階を踏む不可思議な魔法、ハルケギニア六千年の歴史にあってはじめて『土』『水』『風』『火』の系統を足し合わせた他に類を見ない系統魔法であった。その特性は虚無の“爆発”に類似したところがあり、攻撃対象を術者の任意で切り替えることができる。また多大な精神力を必要とするものの、持続時間は非常に長く、天候に左右されるが効果範囲も数リーグではすまない。オスマンがハルケギニア最高のメイジと謳われる理由の一つ、虚無に最も近付いた男の造り上げた最高位のスペル、二番目に虚無に近い魔法。
 雪はなおも舞い上がり、降り積もる。
 ここにきて教団は明確な反応を、意思を見せた。遠目からもわかるほど統率を失いはじめ、東進もままならないほどの混迷の極みにある。ひたすらに雪を避けようとして逆に倒れて焔に包まれる者も出はじめていた。

「ここが勝負どころだ! 一人残らず殲滅せよ!!」

 ウェールズの指令を待つまでもなく、功に逸った部隊が突出をはじめていた。元からろくな反撃もできない相手で、今は混乱状態にあり、この戦争の最終目標は敵を一人残らず倒すことだ。攻撃を仕掛けない理由はどこにも見当たらない。
 ブレイドを唱えて斬り込んでいく部隊もあれば、風魔法を唱えて降り積もった雪を誘導して効果的な援護をしていく部隊もあった。混戦を嫌ってゴーレムは下げられ、“フレイム・ボール”はじめ殺傷力の高いスペルは封じられている。
 教団は兵の斬り込みや風スペルに翻弄され、組織だった反撃をできずにいる。フェルトンと二人の司教がかろうじて統率を取り戻そうと声を張り上げてはいるが、それに応じることのできる教団員はいない。
 もはや戦の趨勢すうせいは雪が降りやむのを待たずとも見えていた。

「敵指揮官のジョン・フェルトンは生かして捕らえよとの旨を再度通達なさい。これは最優先命令であり、破ったものには罰を与えます」

 場の勢いを読んで捕獲も不可能ではないと判断し、アンリエッタは改めて指令を下した。戦場の各所、特に猛攻を仕掛けている最前線めがけて伝令役のメイジは飛び出していった。

「姫さま、彼は……」
「当初の予定通り、捕らえて斬首刑に処します」

 ジョン・フェルトンを生け捕りにして公開処刑にかけるのはアンリエッタのみならず、各国首脳陣すべての一致した考えであった。教団の影は深く、暗い。この場に現れた五百名がすべてであるとは限らないのだ。その燻りだしのため、フェルトンを利用しつくす。処刑の日程や収監場所を広く知らしめてネズミ捕りのエサにし、メンヌヴィルたちを配置して一人残らず殲滅する策だった。
 ひとつ、またひとつと黒いローブが燃え上がっていく。戦場の一角は野火のように激しい火炎が上がり、遠くに布陣している者はその光景をただただ見つめていた。

「これで次の段階に移行できる、か」

 レコン・キスタの方針は大きくわけて三つ。
 その一、ナイアルラトホテップ教団の殲滅。その二、邪神の巫女であるメアリー・スーの撃破。その三、壊滅状態にあるアルビオン市街の復興。
 これで第一段階は終わる。大事をとって百対一という圧倒的な戦力差をもってことにあたった。オスマンがいなければその戦力差すら覆されたかもしれない、溜めに溜めてきた“虚無”を解放する事態になっていたかもしれない。でも、それらは杞憂に終わった。
 集められた兵の大半は働くことなく帰ることができる。それでいいと、ウェールズは思う。戦争で無駄な命を落とす必要はない。無事是名馬という言葉もあるし、なによりアルビオン王国軍にはアルビオン市街の復興に力を振るってもらわねばならないのだ。
 あれほど苦戦していたのがウソのように燃え尽きていく教団、残るは目測で半数ほどか。この消耗の少なさなら終戦の訓示を行い、隊を組んでラ・ロシェール近郊に帰還、次の軍行動を早めに起こすことができると、ウェールズが次の段階に思いを馳せはじめた。
 才人も初の戦場が終わりつつあるのにほっとしていたし、ルイズとティファニアも指が白くなるほど握っていた杖から手を離すことができるほど緊張が解けていた。

「まだです」

 弛緩した空気に活を入れるかの如く、厳しい声でコルベールが言った。

「『そろそろ終わる』『もう大丈夫だ』。そう思った瞬間ヤツらは這い寄ってきます」
「俺が隊長に目をやられたときもそのタイミングでしたね」
「今はきみが隊長でしょう」

 コルベールの話をメンヌヴィルが自身の顔を指さしながらつないだ。
 邪神に連なる者を討伐してきた二人の言葉は重く、緊張を解いていた一同は気を張り直した。ウェールズもアンリエッタも、アディールで修練を積んだアニエスでさえも程度の大小はあれど気をぬいていたのだ。本陣の空気は兵にも伝わる。再度緊張感を取り戻した首脳陣に、伝令たちはより急いで各所の情報を伝達するようつとめた。
 残るはおおよそ二百。何事もなければこのまま終わる。
 焔の中戦うメイジを多数の将兵が見守る中、雪は密度を減らしながらも降り続ける。流石のオスマン老も色濃く疲労が顔に浮きはじめていたが、弱音を一つも漏らさず集中を続ける。
 残るはおおよそ百。
 “焔雪”は雪が止んでも翌日の朝日を浴びるまでは大地に残り続ける。オスマンが中断するか考えはじめたとき、変化があった。

「……なに?」

 地を照らしていたはずの日光が薄れている。コルベールは思わず空を見上げた。

「……バカな」

 日が陰っている。この現象を彼は知っている。知っているからこそありえないと、杖を落としそうになるほど愕然とした。

「今日この時日食が起きるなど、ありえない!」

 ハルケギニアの天文学は近世の地球と比してそん色ない、それどころか一部は凌駕しているほど発展している。日食という現象は高精度での予測が可能であり、それによれば少なくとも今年は日食が起きないはずであった。
 陰りはじめた陽光の下、一陣の強い風が吹き荒れた。空気には色などつかないはずだというのに、それは黒い風だったと後にどの将兵も口にした。
 そして、才人の眼には偶然、あるいは必然か、あるものが留まった。
 本陣の後方、石造りの建築物が建ち並ぶ場所に佇んでいる。かぶる者などほとんどいない羽根つき帽子。灰色の口髭と髪の毛、レイピアに近い形状の杖剣。
 その人物を、平賀才人は知っている。
 マントを翻し、その男は東の方に駆けて行った。
 才人は、追わずにはいられなかった。気づけば足が動き、眼にもとまらぬ速度で駆けだしていた。

「ヒラガ殿!」
「サイト!」

 呼び止める声はいくつも聞こえた。それでも止まらない。この目でもう一度確認するまで止まるわけにはいかない。
 人影はどんどん後方に走っていき、周囲に木々が残る開けた場所で立ち止まった。
 訓練の成果でさほど荒くなっていない息を整えてから才人は声を発しようとした。
 人影が振り返ったのはその瞬間。

「久しぶりだな」
「ぁ……」

 涼やかに、出会った時と変わらない様子で男は喋る。

「子爵さん……」

 あの夜優しい笑みを投げかけてくれた男が、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドがそこに立っていた。





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