夢を、夢を見ていた。
パソコンの修理に秋葉原へ行って、変な鏡をくぐって、呼び出された先はよくわからない異世界で。自称ご主人さまがつんつんしながらも面倒見てくれて、自身もそれに反発しながらもうまくやって。そんな、幸せな夢を見ていた。
けれど、夢は夢でしかない。いつか醒めるときがくる。
目覚めは、地面を打つ雨音とともにやってきた。
「……ここは?」
見覚えのない部屋に、ぼんやりと眺めるだけだった。
しばらくして、魔法学院のルイズの部屋に似ていることに気づく。大きさやこまごまとした家具は違うけれど調度品のセンスが似ていると。
ずきりと頭が痛む。
自分が寝る前、何をしていたのか思い出すことができない。ぽっかりと、記憶に空いた落とし穴は気持ち悪く、才人は必死に頭の中を整理するがうまくいかない。
がちゃりと、ドアを開けて誰かが入ってくる。その音に気づくことができないほど、才人はなくした記憶を探るのに集中していた。
「サイトさん、目が覚めたんですね」
「シエスタ」
学院のものとは少し意匠の違うメイド服に身を包んだシエスタが、洗面器とタオルを持っている。
「ここ、どこ?」
「トリスタニアにあるラ・ヴァリエールのお屋敷です。サイトさんが運ばれてからもう二日ほどたつそうです」
つまり丸二日間才人は眠りっぱなしだったことになる。それは記憶も簡単に出てこないはずだと変に納得することができた。
「ルイズは?」
「ミス・ヴァリエールは王宮の方に呼び出されているとか。忙しいみたいで、どうやってか親戚の店で働いてたわたしを探し出して、サイトさんのお世話を任せてほとんどお屋敷に戻ってません」
服、こちらに置きますねと、シエスタはベッドサイドに魔法学院の制服を置いた。。
戦後処理をはじめ、虚無としてもルイズは王宮ですべきことがある。いつもべったりと一緒にいたルイズがいないのは、才人にとって非日常で、変な違和感を覚えてしまいそうだった。
「俺ってなんでそんな寝てたの?」
「ミス・ヴァリエールが言うには大けがをしたって」
質問ばかりの才人にシエスタはタオルを絞りながら答える。どうやら才人の身体を拭くためのものらしかった。
けがをしていたと言われ、ぐっと体を伸ばしあちこち身体に痛みがないか才人は確かめる。特に変わりない。
「大けがって言われても……」
ハルケギニアに来たときからお世話になっているガンダールヴのルーンもあるし、最近刻まれたリーヴスラシルのルーンも健在だ。
他におかしなところがないかぺたぺたと目に見えないところを触って、頬にかさぶたがあることに気づく。
かさぶたに触れながら、なんでこんなけがをしたのか考えて、すべてを思い出した。
タルブであったこと、ワルドと戦ったこと、そして胸を貫かれ血を吐いたこと、あの日あったことを思いだしてしまった。
「タルブは、タルブはどうなったんだ!?」
気を失ってからあの戦場がどうなったのか、才人は知るはずもない。
だけど、シエスタの曇った顔でわかってしまった。否応なしに理解させられてしまった。
「……タルブは、しばらく立ち入れません。箝口令が敷かれているけど特別にって、今どんな風になってるのかミス・ヴァリエールに教わりました」
レコン・キスタは、ハルケギニアを護る五万の軍勢は、たった一人の邪神の巫女に敗れたのだ。
行き場のない罪悪感が身体中を暴れまわり、今はもうどうしようもない過去を悔やむしかできない。
「ごめん、シエスタの故郷を」
「サイトさん?」
「俺があのとき油断しなけりゃ、きっと」
相棒は精神が弱いと、デルフリンガーには何度も指摘されていた。しかし心は技、体を鍛えるのと比して遥かに難しく、時間がかかる。それを放置していた自分の責だと、才人はぐっとシーツを握る。
「なんでサイトさんが悪いんですか?」
平民には才人が虚無の使い魔であると知られてはならない。これはマザリーニが教えたことだった。
言えば否応なしに巻き込まれると、ナイアルラトホテップのもたらす狂気に触れざるを得なくなると、老いて見える枢機卿は静かに言っていた。
「大事な、大事な仕事があったんだ……けど、できなかった。肝心な時に俺は気絶してた」
口にすればするほど激情は体内を駆け巡り、できることなら才人はシエスタにすべてを話してしまいたかった。
けれど、そうすればシエスタも巻き込まれる。こんな普通で、優しくしてくれる女の子が過酷な運命に踊らされるなんて、才人には許すことができない。
だから何も言えない。ぼやかして言うことしかできない。
そんな才人に、シエスタは何気なく言う。
「サイトさんは悪くないですよ」
「え?」
「数えきれないくらいの貴族さまが戦ったって聞いています。それでもやっつけられない敵なのに、なんでサイトさん一人の責任になるんですか」
違う、俺はガンダールヴだから、リーヴスラシルだから。選ばれてしまって、子爵さんに託されたから。
吐き出してしまいたい、けれど言ってはならない。
シエスタの優しさが今の才人にはむしろ辛かった。
―――始祖は座にいまし―――
ウルの月三十二日、トリスタニアは冷たい雨に包まれている。
メアリーの放った液体窒素は地表を急速に冷却し、そのことから大気の流れが不安定化、この時期には珍しいほど雲は多く、この雨は長引きそうだとトリスタニア市民は感じていた。じっとりと、乾燥した気候のハルケギニアには珍しいほどの湿度が覆い、しかも底冷えするとあって外を往く人々の足は自然と速くなる。
王宮でも速足どころか駆け足で文官武官が行きかい、雨を憂う暇もないほどの慌ただしさに満ち満ちていた。原因は無論、二日前のタルブでの戦、そこに現れたメアリーであった。
アルビオンが最も接近するスヴェルの月夜に巫女は降り立つという予測は見事に外れ、今までの行動傾向から日中現れることはないという判断も覆され、大規模な攻撃手段はないという希望的観測は破壊された。大きな被害を出して手に入れた教訓はすぐさま諸国に通達され、トリステインは勿論、ハルケギニアの諸国はその対応に頭を抱えている。
まず、出現予測が立てられない。巫女はその気になれば、何百リーグどころか遥か天空の大地からトリステインのタルブに移動することができる。昨日はどこそこに現れた、なら次はここに来るはずだという考え方ができない。これは大軍での攻略を困難にするどころか、虚無の主従を集結させての殲滅をも不可能にしていた。どの国も亡びたくはない、自国の保有する対抗戦力をみすみす手放すはずもなかった。
次に大規模な攻撃手段。メアリーはニューカッスル陥落をはじめ、アルビオンの様々な都市に現れてきたが、いずれも大した反撃を行ってこなかった。その点を、防御力だけは高いバケモノだと考えていたメイジたちはその楽観を完膚無きまでに破砕された。半径四リーグ強、面積にして二十アルパン(約六十平方km、山手線の内側面積ほど)もの土地を覆う“逃げ水”と派生した気体窒素の連続爆撃は、レコン・キスタの将兵を逃げる間もなく殺し、今わかっているだけでも全軍の二割、人数にして一万もの命を奪い去った。それぞれの被害報告はまだまだ続いており、もしかすると二万に届くかもしれないと、ある文官は報告している。二万という数字が正しければ、軍編成は陸軍戦力四万と空軍戦力一万からなっていたので陸上戦力の五割が被害を受けたことになる。アルビオンの平民義勇軍をはじめ、諸侯やゲルマニアが錬度の低い傭兵部隊や、ひどいところは領民を動員してきているところもあったのでここまで凄まじい被害人数になったと各将軍は考察している。また二日の内に脱走兵も数多く出て、部隊再編はいずれの隊も遅々として進まない。
さらには日蝕がある。あの日、どうやっても日蝕は起きるはずがなかった。そのことから「巫女は天体すら操るのでは」と密かに囁く者もいる。
ミドガルズオルム隊の正確な報告を受けて、レコン・キスタ盟主のウェールズは珍しくため息をついた。
「風石を吸収、か」
「それならばあの大地震も説明がつきますわね」
「……なるほど、ワルド子爵の母君の研究結果、その意味がようやくわかりました」
彼女の研究成果は多く、どこで狂気に触れたか今まで不明であったが、これでようやく理解できた。彼女の遺した手記に純度と予測埋蔵量をびっしり書かれたものがある。それを地図に起こせば、ロシュフォール領を中心に歪な円形が描かれ、メアリーが幼少のころより風石の力を吸収していたことがうかがわれる。おそらく確認のためロシュフォール領に向かい、そこで呑まれたのだろうとマザリーニは故人をしのんだ。
「邪神がもれた経路も判明した。クロムウェルは復活したがあの状況では」
「いかに不死身と言えど逃れられぬでしょうな」
しかし謎が解けたとゆっくりしている暇はない。トリステインの抱える問題はメアリーのことに留まらないのだ。
虚無の使い魔、平賀才人の件である。
「わたくしはなんらかの罰則を加える必要があると」
「ですが姫さま、あの攻撃はサイトがいても防げたとは思えません」
「それは結果論です」
「なら、サイトがいなければ巫女が本陣を急襲して被害が増大した可能性を」
「本陣にいればそもそもサイト殿が気を抜くこともなく、虚無の主従の力をもって撃破できた可能性の方が高いでしょう。これが虚無の使い魔でなければ敵前逃亡で死罪とするところです」
ルイズの言葉にアンリエッタはぴしゃりと返した。アニエスは二人の会話に口をはさむことなく、ウェールズは口に手を当ててじっと考え込んでいる。
アルビオンとトリステインの影の首脳部とも言っていい人々が一堂に会したのはタルブ以降ではこれがはじめてであった。みななにがしかの職責をおっており、そのせいで今まで忙しすぎたのだ。
「それは予測でしかありません!」
「ならルイズの言葉も予測でしかないでしょう。大体が本陣を出る前にワルド子爵を見かけたと一言誰かに言えば、もっと良い結果を得られたに違いありません!」
ルイズもアンリエッタも互いに感情的になっている。予測の上にさらに予測をたてた未来を見て、客観的な事実が見えていない。
そこに今まで黙っていたマザリーニ枢機卿が口をはさんだ。
「お二人とも、この場ではかまいませんが他の貴族の前でそのようなことは言ってはなりませんぞ。特に殿下は感情に踊らされやすいのですから」
「言われずともわかっています、マザリーニ」
口ではそう言ったアンリエッタだが、幼少から面倒を見てくれた枢機卿の言葉もあり、一度深呼吸をしてからルイズの眼をまっすぐ見た。
「ルイズ、あなたがサイト殿のことを大事に思っているのは知っています。ですが国を担う者として、彼を大事にするあまり大局を見過ごすことは許せません」
「姫さま……」
ゆっくりとした口調にルイズも落ち着きを取り戻した。
アンリエッタの言うことは正しい、間違えれば罰を与えなければいけないのは当然の話だ。母親が厳格なカリーヌであったルイズはよその貴族よりもよっぽどそのことを知っていた。
けれど、同時にルイズは才人の慟哭を聴いている。あの悲痛な叫びを、胸で泣いた才人の小ささを知っている。そんなに辛い目にあった彼をもっと追い込むなんて、そんなことは許したくない。
理解はしたけれど納得はできない、それが彼女の正直な気持ちだった。
「しかし彼は異星の人でしたからな。罰則を与えて後に響かねばよいのですが」
マザリーニはルイズと違った角度で才人のことを案じている。
彼自身ロマリアからトリステインに移り、そこで国が変われば様々なことが変わると身を以て経験している。才人に至っては国どころか星が違う。その気苦労はじめ、慣習、価値観の違いは、下手をすれば小さな英雄を押しつぶすのではないかという危惧を持っていた。
「罰則はどの程度のことをお考えで?」
「敵前逃亡にワルド子爵の撃破を加味して、今は地位がないから……どのくらいかしらアニエス」
「敵前逃亡は死罪、子爵の撃破は『閃光』ということを考えれば勲章もの、平民一般兵に対するなら罪を減じて鞭叩き五程度でしょう」
「無断行動の線で処分できませぬか?」
「そうね、鞭叩きは死人もよく出るそうだし……」
「無断行動ならば功罪相殺といったところか、むしろ少し功績が上回るかと」
「あの……」
才人の処分について話し合っていたトリステインの三人は、今まで黙っていたティファニアが喋ったことを意外に思いながら振り返り、視線を集中させた。
いきなり注目されたことにティファニアは怯み、それでも気丈に声を出す。
「サイト、はわたしの使い魔でもあります。アルビオンから褒章を与えてそれでなんとか……」
話はおさまりませんかと、小さく呟いた。
ウェールズがティファニアの肩に手を置き、安心させるように笑顔を投げかけ、それからアルビオン王国の代表として発言する。
「アルビオンおよびレコン・キスタはニューカッスルで国主、ウェールズ・テューダーを救った件でまだ論功を行っていない。それに信賞必罰も大事だが、今はそれより手を打たねばならないことがある」
「と、言いますと?」
「再発防止だ。子爵はおそらくもう出ないだろうが、また同じような攻め方をしてくる可能性は高い。ヒラガ殿に直属部隊をつける必要がある」
「……首輪をつけるということですかな?」
「言い方は悪いがそうなるね。もっと言えば彼の足りない部分を補助させたい」
マザリーニの確かめるような言葉にウェールズは頷いて返す。
今回の件は何故起きたのか。
才人が何も言わず行ってしまった。次に、すぐ彼を追いかけることができなかった。最後に隙を突かれてやられた。
一つ目は才人本人をなんとかするしかないが、二つ目三つ目はウェールズたちに対処することができる。いついかなるときも才人の行動に付き従う集団がいればよい。本陣の指令よりも才人自身を最優先として行動できる隊を設立すればよいと、ウェールズは言う。
「問題は名目と選抜方法、規模でしょうか」
「銃士隊を回すのは?」
「戦力不足です。サイトの、ガンダールヴの直属ともなれば真っ向から邪神に立ち向かう部隊、精鋭と言わずともメイジでなければ話になりません」
「難しい問題ですぞこれは。各国を自由に動き回れて、邪神に対しては最前線に立ち、しかもヒラガ殿に従うとあっては……」
「従う必要はありません。任務だと割り切ることができれば」
「ビーフィーターから数名回せるだろうが、国籍も問題になってくるな」
「いっそグリフォン隊の隊長に回すのはどうでしょう? 今現在は隊長不在なのですし」
「それでは現隊員の反発が出るでしょう。ガンダールヴと言えど平民で、しかも今はまだ機密なのです。魔法を使えない者が衛士隊に入るなどと言われれば」
「それに衛士隊隊長となると広く平民にも知られます。不審に思われるかと」
アニエスはそこまで言って、うむぅと唸ってしまう。
「我々がここで議論しても埒があきません。情報開示して広く募ってみるのは?」
「……危険ね」
平賀才人がガンダールヴであると知る者は、実はさほど多くない。各国首脳をはじめ、トリステインに属する大貴族の当主や軍のトップ、一部特殊な機関に属する部隊に限られ、本来ギーシュたちも知ることができなかったのを才人がうっかり漏らしてしまったという。
彼がガンダールヴであると知られれば、その主人が誰であるか、魔法学院の使用人に金を握らせれば知ることは容易だ。情報が教団に伝わってしまえば暗殺者を幾人も送り込まれる可能性が高く、タルブ戦以前は公布することができなかった。
本来の予定であれば、アルビオンでウェールズの命を救い、またタルブの戦場でウェールズの付き人をした才人を、論功の場で一堂に会した貴族を前に、平民かつ異星人であるという事実に対して是非を唱える間もなく知らしめ、相互監視を行わせるはずであった。ダメ押しに教皇直々に騎士位を与えるという権威づけをする予定でもあったが、あの大敗北とメアリーの情報でヴィットーリオはロマリアから身動きがとれず、レコン・キスタも論功の場を設けられるはずもない。
さらにタルブ戦で才人が意識を失うほどの重傷を負ったのも問題で、虚無の使い魔ですら巫女に勝てないという悲観論を招きかねず、彼が目覚めるまではお披露目することができない。
完全に機を逸していた。
「このことに関してはグラモン元帥やド・ゼッサール殿ともよく話し合いましょう。信仰心の篤く強い者を集めることも、場合によってはできるでしょう」
「いや、急ぐべきだ。小規模でもいいから今ここで決めてしまいたい」
マザリーニの慎重案に対し、ウェールズは即断を求める。
メアリーはあれからどこにも現れていない。次に出没するのがどこか、いつか、それは誰にも知ることができないため、一刻も早く部隊編成を行い、連携を試すべきだと自身の知識と経験から述べていた。
しかし条件は中々シビアで一向に決まる気配はない。
まず絶対条件にメイジであること。これは狂気に犯されにくいというのと戦術の幅とを考慮すれば当然の話であった。
第二に才人と行動を共にすること。才人の直属部隊をつけるという話の経緯からも当然であり、できることなら戦地でなくとも一緒に行動してほしい。そうなるとプライドの高い貴族は難しくなる。
「おとう、失礼。我が父であるジャン・コルベールはいかがでしょう」
日頃のくせで、お父さんと言いかけたアニエスは慌てて咳払いしてごまかし、彼女の養父を推した。
「彼か……経験も豊富であるし、言うことはない」
「本音を言えば大部隊を指揮していただきたいのだけれど……この世ならざるものとの戦いに慣れた人材は貴重ですし」
「そういう意味ではメンヌヴィル殿をそろそろ表に出す機会でしょうか、リッシュモン殿に話を通しておきましょう」
「ビーフィーターからウエイト分隊長を回そう。ラインだが判断力に優れていて、ヒラガ殿の補助にはぴったりだろう。他にも何人か探さなければな……」
「戦後のことを考えるとロマリア、ガリア、ゲルマニアからも受け入れねばなりませんな」
「気が早いけれど、そうね。そのことは追々考えるとして、三人で部隊を名乗るわけにもいきませんわね」
『炎蛇』ことコルベールと『流水』の二つ名をもつウエイト、共に強力なメイジではあったが、部隊の目的が才人の護衛、補助という性質なので数と質両方が求められる。
「部隊長をサイトにするのは反対です。軍内でのやっかみもありそうですし、隊長は貴族の血統にした方がいいと思います」
「なら名目上は副隊長にしよう。問題はない」
「しかし、コルベール殿やウエイト殿を隊長に据えてしまっては部隊内で派閥ができるかもしれませんな」
マザリーニはコルベールが有能な男だと知っていて、ウェールズの推薦する男が優秀でないはずがないと理解している。そんな男を頭にしてしまっては彼に隊員の信頼は集まり、才人のための部隊が最も彼を排斥することになるのではという思いがあったのだ。
その意見ももっともだと同意したみなは、隊長をどうすればいいか悩みこむ。
「となると、若くてサイトと仲が良いというのが条件ですか」
しかもメイジでなければならない。そんな都合のいい人間がいるだろうかとアニエスは考える。
「あ」
はっと、ルイズは気が付いた。
「どうしたのルイズ?」
「心当たりがあります。サイトと仲良くて、しかもメイジ」
「で、何の用だい?」
タルブの戦で倒れたオスマンは今トリスタニアの屋敷で眠りについている。家名を捨てた賢者の世話になったものはトリステイン国内に数多く、老若男女問わずみな忙しい間を縫って見舞いに来ていた。
ルイズはオスマン邸とグラモンの屋敷が近いから先に見舞いに行こうとして、運よくかちあった形になる。三人はオスマン老の屋敷の庭園、雨のせいもあってあまり人の来ない一画、パラソルの下でマリコルヌが“サイレント”をかけて話していた。
「あなたたちとギムリとレイナールってサイトと一緒に訓練してたわよね?」
「訓練……うん、まあそうだね」
果たしてあれを訓練と呼んでいいのかとギーシュは首をひねる。マリコルヌは当時を思い出しているのか、喜悦とも悲壮ともわかりにくいような、なんとも名状しがたい表情をしていた。
「いや、それよりもきみには珍しくサイトを連れていないじゃないか」
「そうだ、サイトはどうしたんだい? 今からきみの屋敷に行って、噂で聴いた店へ飲みに誘おうと思ってたんだが」
壮絶な記憶を思い出したくないという風に、二人は露骨に話題を変える。奇しくもそれは平民である才人を気にかけて、さらには飲みに誘うというものだった。
――自分で推薦しておいてなんだけど、だいじょうぶかしら。
二人のお気楽な様子を不安に思いながらもルイズは話を続ける。
「後で話すわ。それより姫さまが、ギーシュに今度新設する近衛隊の隊長をどうかって」
「あ、アンリエッタ姫殿下の!?」
「冗談だろ!?」
「冗談じゃないわよ。まだできること以外ほとんど決まってないけどね」
ルイズの言葉にギーシュは溢れ出る嬉しさを隠す様子もなく「これはまさか姫さまとのいけない恋……いけません、姫には国が!」と脳内で小芝居を繰り広げている。マリコルヌはマリコルヌでぽかんと口を開き、ルイズから聴いた話を信じられないでいた。
「部隊規模は?」
「部隊規模は小隊から中隊。ミスタ・コルベールと、ウェールズ殿下のご厚意でビーフィーターから数名、あなたの下につくそうよ」
「ビーフィーターだって!? ロンディニウム守護の精鋭じゃないか!」
「それにミスタ・コルベールか、こりゃぼくらにかかってる期待もホンモノだぞ!」
アルビオンの軍において、攻を担うのがアルビオン竜騎士団と長弓騎兵隊とするなら、守を担うのがビーフィーターだ。そのことは勿論二人とも知っている。
さらにコルベールは学院で、オスマンを抜いての話だが、ギトー教諭と一、二を争うほど強く、彼こそが最強だと主張する生徒も数多い。彼の『火』の授業は実戦的であり、しかも他系統がいかに『火』に対処するか、『火』はさらにどう打ち破ればいいかなどかなり高度な内容をも取り扱い、卒業後軍属を目指す生徒に人気がある。
そんな人材がサポートに回ってくれると聴いて、これはますます喜ばしいことだと二人してひゃっほーいと歓声をあげる。
“サイレント”をかけているとは言え、見舞いに来た先で不謹慎この上なかった。
「名前は、名前はなんになるんだ!?」
「それも未定。今はとにかく急いで編成して連携を鍛えるのが急務ですって」
「ひょ、ひょっとしたら命名権がぼくらに与えられるなんてことも」
「あるかもしれないわ」
すげーやったーと叫びながら二人は抱き合った。
男二人の抱擁をルイズは冷めた目で見守っているが、二人の歓びも無理はない。自分の名づけた部隊名が近衛隊としてトリステインの歴史に残るのだ。普通の貴族ならまずありえない奇跡だった。
「め、命名権がきたらどうしよう。どうするギーシュ?」
「やはり飛び切りカッコいいのじゃないと。星光薔薇騎士団とか漆黒薔薇騎士団とか竜王薔薇騎士団とか」
「……ぜんぶ薔薇じゃない。しかもカッコ悪い」
「嘘ぉ!? 薔薇はぼくの象徴だし、全部カッコいいじゃないか!」
「いやないわギーシュ」
「ぼくもそれはひくぜギーシュ」
なおも食い下がるギーシュに二人はぱたぱた手を振りながら否定する。
「な、なら……星光漆黒竜王騎士団とか」
「さっきのぜんぶつなげただけでしょ」
「なんて言うか、まあいきなりは難しいよな!」
マリコルヌの視線に込められていたのは同情や励まし。ギーシュにはそれが痛いほどわかってしまって、むしろ気遣われた方がきついということを才人とは違った角度から体感していた。ルイズの容赦ない言葉のほうがまだありがたい。ギーシュは濡れた芝生にがっくりと膝をついて、るるるーと涙を流していた。
さっきの不安がむくむくと大きくなって、やっぱり断ろうかと思いはじめる。
そんな彼女の内心をよそに、気を取り直して立ち上がったギーシュが言った。
「しかし光栄な話だが、いいのかい?」
「いいって、なに?」
「だってぼくは実戦経験があるわけじゃない。タルブでだって指揮をとっていないし」
タルブでの戦いで、ギーシュはグラモンの陣で飛び交う報告を見守っていただけだ。この年頃なら当然の話だが、戦功も武功もあげたことがない。
うんうんとマリコルヌも腕組みしながらギーシュの言葉にうなずく。
「そうだ、ギーシュは確かにそこそこやるけどもっといろんな人が軍にいるだろ」
「……色々と事情があるの。サイトがここにいないことも関係あるんだけど」
「どういうことだい?」
マジメなときは思いの外頭が回る二人を見て、ルイズはなにから話すか頭の中で素早くまとめ、とつとつと語りだした。
「サイトは意識がないの」
「へ?」
「そ、そりゃほんとかい!?」
「ええ、タルブで少しあって。だから今回の話も本当はサイトの護衛隊の結成が目的よ」
ギーシュはいかにもわからないといった顔で首を傾げている。
「……なんだってそういう話になるんだ?」
「そりゃサイトがアレだからだろ」
「アレって?」
「アレだよ、アレ」
「だからアレってなんだい?」
「ガ、からはじまるアレだよ」
「ガ?」
一方のマリコルヌはガンダールヴの重要性、機密保持の大切さを理解しているようで、“サイレント”をかけているとは言え言葉を濁した。
いい加減ボケボケなギーシュにじれたルイズは耳に口を寄せて、傍から見ればルイズが頬にキスしようと見える体勢で、「ガンダールヴ」とだけ囁く。
「あ、ああそういえばそうだった。なんだか彼といると忘れてしまってね」
ギーシュはうろたえるように後退して、少しあわてた表情で取り繕うように言った。それがまずかった。
「……へぇ、そう。そうなのギーシュ」
「というか、ヴァリエール先輩もそうだったんですね」
「え?」
「あ」
マリコルヌはやれやれと、多大な嫉妬をその身にこめつつ“サイレント”を解いた。
いつの間にかすぐ近くに顔をうつむかせてわなわなと肩を震わせる金髪の乙女と、面白いものを見たとちょっぴり腹黒さを感じさせる笑みを浮かべる栗毛の少女が佇んでいる。
さらにその後ろには――。
「おちび、よそ様のお庭でえらく愉快なことをしてるじゃない」
「え、エレオノール姉さま……」
「ちびルイズゥ……!」
これ以上ないほど男らしく、仁王立ちした金髪の女性がいる。ロングヘアーに眼鏡をかけた女性の名はエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。アカデミーに勤める才媛であり、ラ・ヴァリエール家の長女、つまりはルイズの姉である。
オスマンの庭先にルイズとギーシュの情けない声が響いた。
窓の外で若者が騒いでいることを場違いだと憤りつつ、リッシュモンはオスマンのベッド傍にある椅子に腰かけ、マザリーニもそれに倣い腰を下ろした。枢機卿と高等法院長の来訪とあって、余人が立ち入れないよう二人の連れてきた護衛が“サイレント”と人払いをしている。
密談にはこの上ない環境で、二人の老人の顔は暗い。意識もないオスマンを含めた三人は、邪神との戦いを長年支えてきたトリステインの三巨頭であった。弱きものに知られては余計な事件のもととなるとあって、他の者に知られることなく、密やかにトリステインを護ってきた老人たちであった。
「まさかオールド・オスマンがこうなるとは」
見た目相応の歳であり、男性用の化粧をして見栄えを整えているリッシュモンはじっと、オスマンの顔に視線を落とした。重々しい口ぶりの裏には惜しむ色合いが込められている。
正確な歳を外見からあてられたことのないマザリーニは、同じようにオスマンの寝顔を見つめた。日常を感じさせる安らかさは老人がまとっていた常のものであり、今にもウィンクをして飛び起きそうなほどだった。
忙殺されることには慣れているマザリーニは一瞬の隙を見出して王宮を抜け出し、リッシュモンは不穏な噂が立っていないか高等法院長としての役割を果たすため貴族街の屋敷を回っていた。この場をもったのは面会の時間が偶然かぶったからであった。
病室は初夏に見合わぬ寒さから部屋を暖めるマジックアイテムが使われている。厚着をしていたマザリーニには少し暑いくらいで、ハンカチで浮いた汗を拭いてからリッシュモンに手紙を渡した。
「オルレアン公夫人からの書簡、その写しです」
「ふむ」
素早く数枚の紙に目を通し、リッシュモンは唸る。
「……スペル・ジャックとは古いものを持ち出してきたものだ」
オルレアン機関を統べる女傑、オルレアン公夫人が機関のものと共にアルビオンへ潜入し、見事『地下水』という工作員との接触に成功した。
その結果わかった事実、メアリーは系統魔法を反射ないし乗っ取ることができるという情報は、伝わるのがあと少し早ければ犠牲者を減らせたに違いない。
「あと三日、せめて二日早くわかっていればよかったのですが」
「結果はかわらなかったでしょうな。ヘクサゴン・スペルが乗っ取られるなど誰しも信じたがらん」
ハルケギニア六千年の歴史の中でもヘクサゴン・スペルは謎が多く、まだまだ研究が進んでいない。それだけに神聖視する者も多く、あの場では強行せねば士気が保てなかっただろう。
「それで、流言飛語の類は」
「今のところないようだ。だがポワチエや取り巻きのウィンプフェンはかなり不満をため込んでいると見える」
「平民層への浸透は」
「商人はタルブの立ち入り禁止令を真実だと思っている者が多い。タルブの一件は邪教殲滅のためであり、大勝利に終わったとしている。額面通りに取ったものは少ないであろうが、巫女の存在までは知られていない。しかし一部大商人はわかったものじゃない」
現在タルブ村に続く主要な街道をはじめ、細い山道までもが完全に封鎖されている。破壊しつくされた塹壕、建造物や始祖の恩恵が存在せぬかのように生物の絶え果てた大地、不自然なまでに濡れて沼地のようになっている平原を見せぬためであった。
もともとタルブに住んでいたものは同じアストン領でなく、真実の暴露を懸念して遠くグランドプレ領に引き取られることになっており、もしくはトリスタニアや他の地方都市の親戚を頼る者も多い。
それもこれも巫女が現れたからだと憎々しげにリッシュモンは舌打ちする。
タルブで教団を殲滅して、それで終わっていればなにもかもが違っていた。ガンダールヴは英雄として迎えられ、情報統制も今よりはずっと楽になっていた。
「高等法院で今しばらく貴族を抑えていただきたい。平民の方は衛士隊であたりましょう」
「銃士隊はまだか?」
「晴れの場を設けるにはまだ情勢が安定していません。来月の上旬、中旬程度になるでしょうか」
「後手にまわっているな。生き残った兵の口もずっと閉ざしているわけではあるまい」
「ええ、あの場で巫女が現れてからすべてが狂っております」
苦さすら通り越して無表情で二人は淡々と情報を交換する。箝口令を敷いていても、それを厳守することは難しい。酒の席で、家族との会話で、そういったものが街中に拡散するのに、さして時間はかからぬかもしれない。
リッシュモンは立ち上がり、窓に近づいてしとしとと泣く空を見上げた。
「ガンダールヴは?」
「まだ寝ているようです。信頼できるメイドを一人つけておいたから問題ないと」
後ろ手を組みながら、マザリーニの言葉をリッシュモンは吟味する。
「大丈夫なのか。今回の重症と言い、ハルケギニアの未来を託すに足る存在なのか?」
「……なんとも言えませぬ」
その言葉に、むぅとリッシュモンは黙り込んでしまった。
じっと窓の外を見ていても、そわそわと浮足立った様子で、腕組みをしたり後ろ手を組んだりといつもの落ち着きがない。
ここまであからさまな焦燥感を漂わせていては、寝不足で注意力の落ちているマザリーニにすら気づくことができる。
「どうされました?」
その言葉にリッシュモンは振り返り、彼には珍しく微笑みながら言う。
「私も長くないそうだ」
「それは……」
「医者によると、あと一月ももたないと」
「急すぎる。その医者は信頼できるのですか」
「ウィレットという医師の見立てだ。名医として聞いたことはあるだろう」
それに、と雨のしずくを眺めながらリッシュモンは続けた。
「私自身長くないことは予期していた。まさかこんな急だとは思わなかったが、日ごろの摂生に努めなかったツケがまわったな」
軽い語り口には万感の思いが込められており、マザリーニもかける言葉を失った。化粧で誤魔化しているが、顔色も本来相当悪いのだろう。
知覚すれば堕ちる可能性があるとあって、邪神の存在は並みの者に教えることはできない。枢機卿がロマリアから来た当初、トリステインでナイアルラトホテップを知っているのはオスマンとリッシュモンと子飼いのものたち、それと昨年末に亡くなった前元帥のみであった。
王族の側近である魔法衛士隊にも教えられず、国の中枢に近い四人だけで秘密を共有した。政務と軍部と学生と人心、この四つを四人だけで統制するのは並々ならぬ苦労があった。特にリッシュモンは実動部隊として小隊を率いていたのだ、その仕事量たるやマザリーニに引けをとるものではない。
表面上は見せていなかったが、身体の中身はボロボロになっている。我が身にも当てはまることだと思い、マザリーニはため息をついた。
「もっと早く教えていただければ」
「医者にかかる暇もなかったのだ。先週倒れて、そこで発覚した」
その情報は初耳だと言わんばかりに、枢機卿はじろりと高等法院長を睨んだ。背中でその気配を感じ取っているのか、リッシュモンは何も言わない。
「リッシュモン殿が逝くとすれば、私一人になってしまいますな」
「そうなる前に先を託すに足る若者を見つけたいものだ」
自分の命脈尽きるときが近づいているというのに、表面上は変わらぬ声音であった。
だが長年の付き合いがあるマザリーニにはわかる。彼は確かに焦っている。後進の育成は邪神関連において非常に難しく、昨年亡くなった元帥の後釜を見つけられないでいたのだ。
ここでリッシュモンが倒れれば、残るはオスマンとマザリーニだけ。しかもオスマンはいつ目覚めるともしれない。
これから星を護る戦いがはじまるにも関わらず、深い知識を有しているのがアンリエッタを含め二人だけとは、頼りないどころか絶望的ですらある。
「ガンダールヴの少年が英雄足れば、それで良いのだが」
「私の見たところ、彼には時間が必要でしょう」
マザリーニの見立てでは、平賀才人は精神的に魔法学院の生徒となんら変わりない。むしろそれよりも幼いところがある。
あの年頃の平民が同年代の貴族よりも幼いとは、本来あるはずもないことだが、才人はハルケギニアの人間ではない。理性ではわかっていても、中々不思議なものだと傍目には老いて見える枢機卿は思う。
「追い込みをかけたほうがいいだろうか」
「……潰れる危険性を考慮せねば」
「新たに召喚すればよい。それに別れが良い方向にもたらすこともある」
「逆もまた然りでしょう」
リッシュモンは生来正義感の強い男だ。
オスマンの下で学んだ魔法学院時代も、王宮に上がってからもそれは変わりない。しかし邪神との戦いを任されるにあたり、与えられる予算では対応が不可能になって、賄賂を受け取ってから彼は変質した。
トリステインを護るためならば多少の犠牲もやむなしと、頑なになってしまった。
そういった彼の変化を知り、またリッシュモンの言葉にも一理あるからこそ、マザリーニは強く言えない。
「くれぐれも早まった真似はされぬよう」
「ああ、わかっているとも」
静かな雨はまだ止む気配を見せない。
「で、おちびはなんであんなところであんなことをしてたの。そもそもあの金髪は何? あなたの恋人って言うのならわたくし、あなたを殴る覚悟があってよ」
「エレオノール姉さま怖いです」
ブルドンネ街の大通りを望む喫茶店、『カッフェ』と呼ばれる店にルイズとエレオノールは来ていた。
マジックアイテムのランプがこういった店としては珍しいほど多用されており、白くて清潔な店内は雨の日でも十分に明るかった。客層は立地条件もあってか身なりの良い平民層から、たまに貴族も混じっており、それぞれが最近製法の確立されたという『お茶』を楽しんでいるようだ。
ついでに言えばマリコルヌたち四人まで一緒についてきており、席こそ別ではあるものの、モンモランシーへ必死に弁明をしているギーシュをよそに聞き耳を立てている。
エレオノールは自身を落ち着けるように深緑のお茶に口をつけ、その変わった風味に少し驚いた様子を見せた。
彼女の怒気がおさまったのを見て、ルイズはひとまず事情を説明することにした。
「あの男子はギーシュ・ド・グラモンっていう名前で」
「グラモン? あなた遊ばれてるんじゃないそれ」
「いえ、だから恋人とかそんなんじゃないです」
ぱたぱたと手を振りながらルイズは否定した。
どうにも目の前のエレオノールは、ルイズが進学する前と比べてやさぐれたように見える。
「まあいいわ、覚えておきなさいおちび。男なんて所詮男よ」
「……はい、エレオノール姉さま」
なにが言いたいのか、意味がわからない。
以前はもっとこう、ヒステリックなところはあったものの、理路整然とした話し口で、子どもながらに姉さまは頭がすごく良いのだと思っていた。
でも今はなんだかやさぐれている。
ぐびぐびとお茶を飲み干したエレオノールは、まだ弁解しているギーシュをキッと睨みつけた。
――姉さまマジで怖い。
思わず才人の喋り方がうつってしまうくらい、今の彼女はアレだった。
睨まれたギーシュも、結構遠くに座っているはずなのに威圧感を察知してビビりにビビって口をつぐんでいる。
「まったく、ヴァレリーも男にうつつをぬかしているようだし……」
嘆かわしいことこの上ないわとのたまいつつ、エレオノールはお茶を飲み干して、外の人ごみに目を向けた。
所作の一つ一つがいちいち男らしい、憂いを帯びた表情も女性的というより男性貴族の見せるそれに近い。実家にいたときはもっと淑女然としていたはずだったのにと、ルイズは思う。
そこではたと気づくことがあった。
――そういえば、姉さまはバーガンディ伯爵と……。
つい二週間ほど前、実家に戻って次女のカトレアと会話していたことを思いだす。目の前のやさぐれ姉貴は、確か婚約破棄されたという話だった。
当年とって二十七歳、ハルケギニアでは婚期遅れというレベルじゃない姉は今度の結婚を非常に楽しみにしていたはず。なのに……。
思わずルイズはだばーっと泣きそうになってしまう。
「エレオノール姉さま、わたしは何があっても姉さまの味方です」
「おちび、あなたとんでもなく失礼なこと想像してるわね」
「いひゃいいひゃいいひゃいでふぅ」
ぎゅむうとルイズはほっぺをつねられる。
手を離してから、エレオノールは大きなため息をついた。
「最近いいことがないわね……アカデミーもなんだかおかしな雰囲気だし」
「アカデミーが?」
赤くなった頬をさすりながら、姉が何気なくこぼした言葉をルイズは拾う。
アカデミーはトリスタニア西部にある研究者が集う塔、機関の名称である。研究内容は一般的に知られておらず、口さがない者は兵器を開発しているともただの貴族の道楽とも言う。
一部貴族のみが知る彼らの研究は、実はその両方である。神学として深く始祖の御心を知るための研究と、邪神に抗するためという名目を伏せられての新規魔法の開発が行われている。
これからの戦にも関わりかねない話の内容に、ルイズは先ほどよりも話に集中した。
「ええ、アルビオンの一件が知れ渡ってから評議会の連中がこそこそなにかやっているみたいね。余計なことして高等法院に目をつけられて予算を削られなければいいんだけど」
「アルビオンから……」
「悪いわね。ただの愚痴よ」
より詳しく聞こうとした矢先、エレオノールは話を切った。
メイド服を装飾したような制服に身を包むウェイトレスを呼び止め、お茶のお代わりを頼み、再び人ごみに目をやる。
先ほどより憂いの濃くなった顔は何を思っているか、ルイズにはわからない。
その内心を推測することしかできない。
――結婚がダメで、職場の空気も悪かったら……。
ひょっとしたら、将来的に姉は実家に戻ってくるかもしれない、一人身で。
毎日毎日顔を合わせた親に結婚のことをぐちぐち言われ、それで部屋に引きこもるようになってしまったら。そんな不穏な考えがルイズの中に立ち込めてくる。
――ダメよエレオノール姉さま! 戦わなきゃ現実と!
「そういえばルイズ」
「ひゃ、はい!」
心の中で非常に不名誉な妄想のネタにされ、なおかつ同情されていたとバレては、おそらくほっぺたを思いっきりつねられる。さっきとは比にならないぐらい。
ドキドキしながらルイズは、ぼんやりと外を眺める姉の言葉を待つ。言葉を選んでいるのか、エレオノールはしばらく何も言わなかった。
肩の力が抜けてきたルイズに、彼女は向き直り、淑女然とした微笑を投げかける。
「おめでとう」
「え?」
「魔法、使えるんでしょ」
ぽかんと、意外すぎる言葉が来てルイズはちょっとの間放心してしまった。
「父さまから手紙が来たわ。本当に嬉しそうで、だからわたしも直接会って言おうと思っていたの」
「え、ね、ぇ……」
目の前で微笑む姉は、いつもルイズに厳しかった。できるはずもない魔法をいつまでもやらされた。屋敷のすぐ近く、池の小舟に逃げ込んだのも数回では済まない。ほっぺたをつねられたことも数えきれない。
それはエレオノールがルイズを嫌いだからだと思っていた。嫌いだからこんなに辛く当たるんだと思い込んでいた。
「おめでとう、ルイズ。わたしのかわいい妹」
だけど違う。そんなのは自分の勘違いだと、優しい微笑みが教えてくれる。エレオノールは、ルイズの姉は心底彼女のためを思ってしていてくれたのだと。
すっと雫が頬をつたう。父親の前で認められたときと同質のうれし涙が零れ落ちる。
「ほらほら、レディーがこんなところで泣かないの」
「だっで、だっでねぇざまが」
「ほら、これで涙を拭きなさい」
手渡されたハンカチでルイズはずびーっと鼻をかむ。それを苦笑いしながら見守る姉には、確かな愛情があった。
「良いお姉さんですね」
「そうね……わたしも少し、姉がいたらと思ったわ」
遠くで聞き耳を立てる野次馬の耳にも話の内容はきっちり入っていて、背景こそわからないものの麗しい姉妹愛に二人の乙女はため息をついた。
「うぅぅ、良い話だなー」
「ぼくも感動したよ……」
だばだばとギーシュが滝のような涙を流している。この男、涙腺が極度に弱いらしい。
だが隣のマリコルヌも若干涙ぐんでいて、トリステインの男どもは情に弱いことがうかがえる。
「こんなところで泣かないでよ」
「だっで、良い話じゃないがー」
「もう、仕方ないわね」
情けない奴めという顔をしながらモンモランシーがギーシュの涙と鼻水をぬぐってやる。
ぬぐわれた本人はきょとんと、目を白黒させている。
「も、モンモランシー?」
「言っておくけど、まだあなたのこと許したわけじゃないから」
言って、ツンとそっぽを向いた。
「ああ、なんてきみは優しいんだ。こんなふがいない僕に情けを与えてくれるなんて」
「ちょっと、許してないって言ってるでしょ」
「それでもいい。ほんの少しでもきみが心をむけてくれるならぼくはそれで満足さ」
「ギーシュ……」
マリコルヌはいらっと来て、それから何かを期待する目でケティの方を見る。
「ないですから」
「そう言わず」
「ありえませんから」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
「サイトさま以外の男性に触れたくありません」
「……くそっ!」
マリコルヌは違う意味で泣いた。
***
雨のやまぬトリスタニアで少年が嘆いている頃、ネフテスの首都アディールに存在する図書館で頭を抱える者がいた。
さらさらとした金髪をなびかせながら本の海を彷徨う男の名はビダーシャル。ハルケギニアの虚無会議にも出席し、シャイターン対策委員会の副委員長も務めるエルフであった。
彼が悩んでいるのはトリステインから来た書簡、その内容のせいだ。
「巫女が出たとは……」
想定外に過ぎると呟きながら、長机に片っ端から積み上げた本に目を通す。過去の史料にはじまり、異界の書物まで、その種類は多岐にわたる。
他の種族とエルフとの英知の結集とも言える書物群は、ハルケギニア以外の言語で書かれたものも多く、ビダーシャルにはすべてを理解することができない。それでもニューカッスル以来、かすかな手がかりを求め、寝る間も惜しんで情報を得ようと図書館に日参している。
しかし努力の甲斐なく、メアリーに対する有効な手立ては見つけられないでいた。
「根を詰めているようだな」
本棚の間から老いたエルフが彼に声をかけた。歳月を閉じ込めた白髪にゆるやかなエルフの民族衣装をまとっている。
「館長」
ビダーシャルは立ち上がり敬意を示した。図書館長である老エルフは長命のエルフの中でもさらに長生きで、また博識であることからビダーシャルも尊敬している。
彼のあいさつに手で答えながら正面に座り、館長は積み上げられた本から一冊を抜き取った。
「ずいぶんと古い書を漁っている」
一枚一枚、慈しむように老エルフはページをめくる。過ぎた年月を懐かしむような表情であった。
「シャイターンが現れたのです」
端的にビダーシャルは言う。館長はさして驚いた様子も見せない。
「……わたしが子どもの頃にも現れたと聞く。また来たのか、かの邪神は」
「此度はある少女としてハルケギニアをおびやかしています」
「ふむ」
ぱたんと閉じた本をそっと置き、館長はまっすぐにビダーシャルを見つめる。
「詳しく聞こうか」
その力強い視線に、ビダーシャルはこれまでの経緯を説明した。
ティンダロスの猟犬が呼ばれたこと、ニューカッスルが落ちたこと、そしてタルブでの戦のこと。言葉にすればかなりの時間がかかり、話が終わるころにはビダーシャルの喉はからからになっていた。館長のこだわりで図書館は飲食禁止となっており、乾きも我慢するしかなかった。
「猟犬に巫女、つきつめればこの二者をどうにかすれば良い」
「ええ、ですが猟犬を殺す手段はなく、巫女の攻撃を防ぐ手立てもなく、立ちいかぬ状態です」
「物事は一つずつ解決するべきだ。まず猟犬」
そう言って、本の山から歴史を感じさせる装丁の書を取り出し、よどみなくページをめくり、ビダーシャルに手渡した。
「この章によれば、あれらは万物溶解液というもので撃退できるらしい」
「それは」
「しかし万物溶解液はハルケギニアで生成することができない。単純に原料が手に入らないのだ」
新たな情報にビダーシャルは食いついたが、続く言葉に気を落とした。
そもそも遥か昔にアディールは猟犬の襲撃を受けており、そのとき大損害が与えられ、結局は標的を殺されて猟犬は帰っていった。倒す手段があるのならそのときに撃退している。
気落ちしているビダーシャルには目もくれず、老エルフは続ける。
「本来、あれらはこの時空にいつまでも存在できない。猟犬を繋ぎ止める存在を倒し、縁を断ち切ってやればいいのだ」
「つまり巫女を倒せば」
「ああ、おそらく元いた空間に帰っていくだろう」
しかしそれこそが難しいと、二人は口にせずとも理解していた。
「次に巫女の攻撃、“逃げ水”への対処だが、これは難しくない。オスマンの研究によれば、“逃げ水”は『風』で極限まで空気を圧縮して、なおかつ冷やしたときでなければ形成されない。非常に危ういものだから、形作る前に場を乱してやれば良い」
「形成される前に……しかし遠距離に現れては攻撃も届きますまい」
「そこのところは若者の発想に期待しよう。“逃げ水”でなく単純な力押しで来られると打つ手がないのが困り者だがな。スペル・ジャックに関しては、原理は“反射”と系統魔法との混合だから、先に土地の精霊をこちら側にひっぱりこめば何の問題もない」
「戦場を選ばせるなと」
「自分の都合に相手を付き合わせる。戦いの基本にすぎんよ」
ひとつひとつ、答え合わせをするように館長は淡々と口にする。
「最後に、攻撃が通じないということだが……わからない」
「館長の知識をもってしても不明ですか」
「歴代の災厄はおしなべて攻撃が通じにくかったとあるが、原理はわたしも知らないのだ。ましてや剣撃や系統魔法がすり抜けるくせ相手の攻撃は届くなど、史料にもないし想像もつかない。どうすれば倒せるだろうか……」
お手上げだと言わんばかりに館長は肩をすくめた。
「しかし助かりました。攻撃への対処がわかっただけでも僥倖でしょう」
「なに、ハルケギニアが滅んでは読書もできなくなる」
「感謝を」
ひょうひょうとなんでもないことのように振舞う老エルフに、ビダーシャルは今一度感謝の意を示した。
「早速マギたちに伝えなければ」
「ああ、がんばりたまえ。本はわたしが片づけておこう」
帽子をかぶり、さっそうと駆けていくビダーシャルを、図書館長ことアーミティッジは目を細めて見送った。