外伝 ダングルテールの影
A. D. 6084 小隊隊長
深夜、黒く分厚い雲が空を覆い隠し、いつもは冴え冴えと大地を照らし出す月明かりはない。
上層部からの命令で疫病が蔓延している海辺の寒村ダングルテールを、住民も建物もすべてを跡形もなく焼き払う。
命令書によると、特に教会と妖しげなロマリアの女を念入りに焼けとの指示だ。
ロマリア人が疫病を持ち込んだのか、村人は偉大なる始祖ブリミルの威光で病気を癒そうとしているのだろうか。
今回の任務は普段の化け物退治とは異なり、腑に落ちない点が多い。
特にわからないのは妖しげなロマリアの女、特徴などは一切知らされていないのにどうやって特定しろというのだ。疫病などは嘘で本当は新教徒の焼き討ちではないだろうか。
副長と協議した結果、まずは調査を行い真実疫病ならば跡形も残さず焼くことにした。
村に潜入する。
実験小隊は火メイジ十名、風メイジ五名、土メイジ三名、水メイジ二名の計二十名からなる。
北は海、南は山に囲まれた村だ。西からわたしを含め五名、東から副長含め五名、八時の床入りの鐘を合図に進入する。
他に墓場の様子を見て異常を探る犬と梟を使い魔にもつ二名、東西に四名ずつ待機要員を残し、疫病の発生を確認すればどこかで火を熾して追加要員二名ずつが外周部から村を燃やす。
街道をあえて封鎖しなければ恐怖にかられた人々は疑問も覚えず東西どちらかに逃げるだろう。
そこで待機要員が奇襲をかける。
万一村人が山に逃げても追いかければ済むことだ。
熟達した火のメイジにかかれば、暗闇の中でも体温を感知することなどたやすい。副長はそちらの才能にあふれているよう感じる。
地の底から響いてくるような、不気味な鐘の音が響いた。
念入りにマスクを確認する。焼き討ちを行う予定である以上、無用の灰や死体から立ち込める瘴気を吸い込まぬよう必要な処置だ。
無言で杖を掲げ、その合図とともに全員が音も立てず駆けはじめた。
目指すは村の中心にある教会、ロマリア女と並ぶもう一つの不自然な点を探る。
闇夜とはいえ道の中央を進んだりはしない、極力姿を隠しながら足を進めるがどうもおかしい。
床入りの鐘が鳴った直後だというのに人がいない。カキを拾うしかないような寒村だとしても幾人かは床入りの鐘直後に船の様子を見に行くはずだ。
それに家から漏れるはずの灯りが見えない。村の中は全き暗闇に閉ざされていた。
夏も近いというのに村は底知れない冷気に覆われている。
唐突に霧が立ち込めはじめ、ただでさえ先のわからぬ漆黒の夜闇の中を行く私たちの視界をさらに妨げたのだった。
素早く方陣を組み耳を澄ませ、蠢いているようにも見える闇を凝視する。
特異的な温度変化はわからず、ぺちゃくちゃと奇怪な喋り声がどこからともなく聞こえる。ハルケギニアで広く使われているガリア語ではない、風メイジが教会の方角を指さした。
一分ほど襲撃に備えたが動く気配はない、その間にも霧は地の底から湧き出ているかのように濃くなっていく。
方陣を維持したままゆっくりと歩みを進める。村は狭い、五分もせずに教会へ着いた。
反対側から霧に紛れて人がやってくる、五名だ。油断なく杖をかまえるが、現れたのは副長たちだった。
「隊長、この村と霧は妙です」
「承知している、教会からも何か聞こえる」
声を潜めながらの会話よりも教会から聞こえる声の方が大きい。
地獄の深淵から響くような大合唱だ、念のため一部を記録しておく。
――いあ! いあ! ないあ×××××××!――
その時、私の隊の風メイジが猛烈に震えだす。
白目をむきながら奇妙なひきつり笑いを浮かべ、歯の根がかみあっていない。
いたるところから噴き出す汗は水たまりをつくりそうなほどの量で、明らかに正気を欠いた様子だった。
わたしと二名が介抱のために残り、他の隊員で教会の周囲を探索した。
おそらく樫で造られた教会の重厚な扉を睨みつける。
遠目にはブリミル教の様式にのっとっているように見える、しかしそれはまやかしだった。
双月を見上げる三本脚の奇妙な獣、奇妙な姿の人物に教えを賜う民衆、どことなく太った女性に見える何かが彫られ、まともな司祭が見れば怒り狂うだろう。元々あったブリミル教の教会を改造したものであるようだ。
教会の主は新教徒ではない、彼らは実践的なだけであって始祖ブリミルに唾吐くような存在ではない。
墓場の方から一度だけ犬の遠吠えが聞こえる。異常なしのサインだ。周囲を探索していた隊員も次々と戻り首を横に振った。
ダングルテールで疫病など発生していない、これは確定した。
しかし同時に新教徒の焼き討ちでもない。もっと狂気じみた何かだ。
これを見逃せばハルケギニアの滅亡につながると、奇妙な確信をわたしはもった。
不自然なまでに情報の少ない命令書も政治的判断などではなく、危険性が高すぎて最低限しか情報を確保できなかったに違いない。副長も同様の思いを抱いているのか、人相の悪い顔で病的な扉を睨みつけている。
二人頷き合い、近接戦闘に長けたアルビオン系風のラインメイジのチャールズ・ウォード、魔法の威力はトライアングルに迫るゲルマニア生まれの火のラインであるエーリッヒ・ツァンを突入部隊として残し、他の隊員は恐怖のしみついた村の各地へ送る。
調子の悪い隊員は一人だけつけて街道へ伏せるよう指示を出した。
おぞましく形容しがたい儀式の声はいよいよ大きくなっていく。
私は火球を生み出し空中で待機させる、副長も同じスペルを詠唱した。清浄なる始祖の火で祓われるかのように周囲を覆っていた霧は消え失せる。
辺りを赤色で染める炎を教会の正面にある民家にぶつけた。
光源としては十分だ、各地に散った隊員もこれを合図として村を焼きはじめるだろう。
異変を察知したのか、教会内部から這いよるように染み出ていた声は止み、まっとうなガリア語が聞こえてくる。
チャールズが素早くエア・ハンマーを詠唱し、エーリッヒも追随してフレイム・ボールを唱え出す。
一拍早く完成した風の大槌が妖しい教会の扉をぶち抜いた。空気の塊は余勢を駆って教会内にまで吹き込み、黒づくめの人々を数人打ち砕く。
開け放たれた正門から流れ出る空気は冷たさどころか纏わりつくような感触まであり、泥沼にひきずりこまれるような気持ち悪さがあった。
礼拝でなくとも普通は蝋燭を灯すというのに、教会内部に明かりはない。そこにエーリッヒの強烈なフレイム・ボールが、光を伴いながらも教会内を飛び込んだ。
真昼の太陽のような明るさで得体のしれない暗闇で満たされた室内を照らしだし、中にいた村人らしき黒づくめを慈悲のかけらもなく炎に包む。
それを松明として教会に踏み込むと、おおよそ五十名近くの長椅子に座った人々がこちらを驚いた様子で振り返る。
事前情報にあった村人の数と一致する、このダングルテールは邪教に染められていたのだ!
そして祭壇らしき大きな台座、そこには金髪の幼子が寝かされており、すぐ傍には妖しい女が佇んでいた。
なんというのだろうか、ハルケギニアにはない独特な顔立ちで遠くロバ・アル・カリイエのそのまた向こう、人の住めぬ東の果てから来たような印象を受けた。
黒いフードをかぶってその髪型などはわからなかったが、凄まじい色香を放つ美女だった。
しかしその本質は違う、この女は始祖の威光も届かぬ夜空の果てのさらに裏側から滴り落ちて形作られた存在だ。
私は一瞬で確信を持つ、命令書にあるロマリア女だ。
恐怖に責め立てられるように一瞬で炎を練り上げ、こちらへ奇怪なうめき声をあげながら襲い掛かってくる村人を無視して一条の炎を放った。
この時私は極度の興奮状態にあり、どのような詠唱を行ったのか一切覚えていない。
焔は確かにロマリア女を貫き黒い衣を聖なる炎で包んだ。焼かれながらもロマリア女は高々と狂笑をあげ、ついには床に倒れ伏した。
その瞬間のことだ、凄まじい勢いで女から溢れ出た漆黒の闇が、炎の灯りすら塗りつぶして教会内を満たした。
副長が素早く一歩前に進み出てフレイム・ウォールで村人と私たちとを遮断したが、暗黒はそれすらも食いつくすように襲い掛かる。
この世ならざる光景に足がすくみ絶望を覚える。
が、チャールズの“ウィンド・ブレイク”で四人は教会内からたたき出された。
蠢く闇は教会からは出られない様子で、誰よりも早く立ち直ったエーリッヒが恐怖を振り払うかのように火球を幾度となく叩きつけた。
私たちも様々な攻撃魔法を放ったが、闇はあらゆる魔法を吸い込み続け、やがて教会内へゆるゆると後退し、ついにはその姿を消した。
全周囲への警戒も忘れ四人でじっと教会の暗闇を見つめる。
しばらく様子を見たが、教会内からは人ひとり分の心音と呼吸音しか聞こえない、というチャールズの判断を元に私たち四人はそこいらの薪を松明がわりに教会内へ踏み込むことにした。
まずは火をつけた薪を教会内に放り込むが、赤々とした光に照らされるだけで何も反応はない。
注意深く踏み入ってはみたものの、残されたものは少なく石造りの教会はがらんとしていた。黒衣を纏った村人の姿はなく、まるで先の光景が夢であったかと錯覚しそうになる。
ただ祭壇で眠る金髪の幼子がここであったことは現実だと教えてくれた。
得体のしれない女が立っていたところには、腹部を貫かれ絶命した金髪のロマリア女が倒れていた。
ありえないことに、私が見た女とは顔がまったく違う。副長たちに確認をとったところ彼らは顔を見ていないようで断固たる確証は得られなかった。
さらに炎で焼かれたあとがない、腹部の傷も鋭利な刃物で貫かれるどころか、神の祝福を受けた一撃でなければこれほど綺麗な跡にはならない。
その死に顔はようやく楽になれるという、死を待ち望んでいた人が浮かべるものだった。
先のスペルを覚えていないこともあって、これは顔こそ違うものの不気味な女だったと判断した。
その時、死体を検分していた私の後ろで突如叫び声があがった。
瞬時に詠唱を終えるとともに振り返ると、例の漆黒が目元に纏わりつき狂ったような笑みを浮かべて副長が私に炎球を浴びせてきたのだ。
隣で見ていたエーリッヒとチャールズが止める間もなかった。素早く身を投げ出しファイアー・ボールを回避するも、首筋に炎がかすめる。
立ち上がると同時にごく小さな火球を容赦なく副長の目元に放った。
副長は正気を失ったかのように凄まじい叫び声をあげ、力を失ったように膝をついて倒れた。私は油断なく大きな炎を生み出して教会の内部を隅々まで照らし出す。
チャールズは手早く杖を奪って風のロープで副長を拘束し、秘薬で火傷の手当てにかかった。
一方エーリッヒは杖を幼子に向け、ブレイドを唱えた。
「待つんだ」
「ですが隊長、危険すぎます」
彼の制止を振り切って私は幼子に近づいた。
邪教の祭壇に捧げられた三つほどにしかない女の子だ、むしろ私たちブリミル教側の存在ではないか、とその時の私は考えたのだ。
服装は貧しい平民の子供そのもの、金髪も顔立ちも珍しいものではない。
しかし決定的におかしな存在が目についた、指輪だ。
「これは……すごいルビーですな」
私の後ろで身構えていたエーリッヒも思わず目をうばわれたほどだ。
邪悪な気配は一切感じない、むしろこれほど聖浄な指輪がこの教会にあったのか、と驚きを覚えるほどだ。
ロマリア由来の聖遺物に違いない、と二人で結論づけた。
「隊長、副長が目覚めます」
チャールズの言葉に私は振り返る。
エーリッヒは念のため幼子を警戒していた。
「面目ねえ」
口から飛び出したのはいつもの皮肉気な声だった。
だが油断はできない、杖を向けながら拘束はとかない。
「何があった、答えろ副長」
「オレにもわかりません。いきなり目の前が暗くなったと思えばいきなり隊長に焼かれた、ってとこですね」
やれやれと肩を竦めながら答える姿は完全に副長そのものだ。
しかしこの教会ではありえないことばかりが起きている、こうして喋っているのが副長であると断言はできない。
「悪いがまだ拘束を解けないな」
「それは承知してます、自分がふがいなすぎて死罪でもかまわんほどです」
うっすらと笑みを浮かべながら副長は肩を落とした。
彼は実力もさることながらプライドも高い。邪悪な存在に一瞬とはいえ乗っ取られた自分を情けなく思っているのだろう。
副長の監視はチャールズに任せ幼子の処置をエーリッヒと二人で考える。
私は幼子を連れて行くべきだと考えていたが、当然ながらエーリッヒは強く反発した。チャールズもこの場で殺すことに、もっと言えば命令書に従うことに賛成している。
副長は何も語らず目をつむっていた。
結局私が押し切る形で幼子を連れ帰ることにした。
副長が拘束されたまま先頭を歩き、真ん中に幼子を背負った私とチャールズ、エーリッヒが殿を務め燃え盛る村から脱出する。
村外れで合流した小隊は、正気を欠いた隊員も回復して、一人も欠くことなく揃った。
皆は拘束された副長に驚きの表情を浮かべ、次いで隊員は一様に奇妙な現象を報告してきた。
「村には人っ子一人いませんでした」
「路地裏から奇妙な笑い声が響くこともありました」
「墓場の探査では烏の群れにじっと観察されていました」
なんとも背筋が寒くなるような話だった。
ともあれ天まで届くような炎に包まれたダングルテールを背後に、小隊は帰路へ着いた。
ロマリア女の狂笑が耳元から離れなかった。
***
この任務を最後に、私は小隊を離れトリステイン魔法学院に奉職することとなった。
小隊隊長は副長メンヌヴィルが継ぐ、彼なら教訓を生かして狂気に耐え、困難もうまく切り抜けるだろう。
金髪の幼子、アニエスを育てながら来たるべき日を待っている。
*****
「リッシュモン様」
音もなく現れた小姓が白髪の老人の耳元でなにごとか囁く。
老人の顔はみるみる内に歪み、苛立たしげに舌打ちをした。
「追加要員をすぐに見繕え、金は一切惜しむな」
「御意」
用件を承った黒髪の小姓は再び音もなく部屋から出ていく。
その様子を対面のソファーに腰掛けたマザリーニ枢機卿は無表情で観察していた。
「何かあったのですかな」
「失踪だ、小隊のチャールズ・ウォード。手練れの風メイジであるヤツならあるいはと思ったんだがな」
リッシュモンはテーブルの上に赤ワインを注ぎ勢いよく飲み干した。それで激情を心の中に押しとどめたのか、マザリーニの正面にどっかと腰を下ろした。
だが顔に表れる焦燥感を隠すことはできなかった。
「ここ十数年動きが活発すぎる、どういうことなのだ」
「ロシュフォール家長女の誕生と重なりますな」
ロマリアとのパイプも太いマザリーニの諜報網は伊達ではない。が、そのマザリーニですらメアリーの誕生を最近まで知らなかった。
ジョン・フェルトンが幽閉塔に隠したのもあるが、理由はそれだけではない。彼女の近辺を探ろうとしたものはことごとく失踪、あるいは発狂していくのだ。
“ヤツら”から密かに民衆を守るため、幾度となく“ヤツら”と杖を交えた猛者であろうともそれに変わりはなかった。
「……王女にはいつ知らせるつもりだ」
「十七歳まではなりませぬな、王家の秘儀で精神を強くせねば、そうであってもシャルル殿の件があったのですぞ」
マザリーニの冷静な言葉にリッシュモンは苦い表情を浮かべた。
ガリア王家の失態はことを知る者にとって痛すぎる教訓だ。
「アルビオンもきな臭い、間者を潜りこませようにも発狂して終わりだ」
「その件には適任が、グリフォン隊隊長の『閃光』を差し向けようかと」
何気なく放たれたその言葉にリッシュモンは耳を疑った。
「正気か、スクウェアを使い潰すなど」
小馬鹿にしたような言葉にマザリーニは目を閉じて淡々と答える。
「彼はただのスクウェアではない、母君の意志を継いでおられる」
「彼女は、悔やんでも悔やみきれぬ。私の差配ミスだった」
「失敗を挽回してこそのリッシュモン殿でしょう」
それだけ言うとマザリーニはゆっくりと立ち上がる。夜も更けたので帰宅するのだ。
「そういえば、金子の方は」
「馬鹿にするな。何のために拝金主義者と呼ばれてまで賄賂を受け取っているのだ」
「はて、何故でしたかな」
マザリーニは苦労で老けきった顔を綻ばせる。数少ない事情を知る者、その中でも最も協力的なリッシュモンをからかうように。
リッシュモンは苦々し気な表情で言い捨てた。
「このハルケギニアを守るためだ」
マザリーニは満足そうに笑い、別れを告げた。
アンリエッタ姫が十七になるまであと一年。全力でトリステインを支えるためにも気合を入れなおすことを決意し、自宅への帰路に着く。
遥か遠くから、三本脚の獣がその後ろ姿を見つめていた。