「ほんっとうにごめんなさい! 今度からルイズに心配かけるようなことはしないから!!」
「……ほんと?」
「うん、絶対しない。約束する」
「……じゃあ今回だけは許してあげる」
泣いたルイズをなだめて笑わせようとして土下座して、才人はなんとかルイズの許しを得ることができた。
彼女の頬には涙の筋がまだ残っており、じくじくと才人の良心を抉っていく。
――こんなちっちゃい子を泣かせるなんて。
才人はルイズの年齢を聞いていなかった。
彼は授業中のルイズに対する野次の子供っぽさから、ここトリステイン魔法学院を地球でいう中学校相当だと考えている。
当然ルイズの年齢も十三歳から十五歳くらいだろうと思い込んでいた。一つしか違わないなんて夢にも思っていない。
「ほら、可愛い顔が台無しだぞ」
ルイズから与えられたレースのハンカチで彼女の顔をやさしく拭ってやる。彼女はベッドに腰掛けたまま不平不満を言うでもなく、されるがままになっている。
その様子は使い魔とご主人様というよりも、優しい兄と少し甘えたがりの妹のように見えた。
「よし、少し目が腫れてるけど一晩寝れば大丈夫だろ」
うん、と才人は満足そうに頷く。
「……その、サイト」
ルイズは上目使いに才人を見つめる。
少し目元が腫れぼったかったが、その破壊力は才人のハートを打ち抜いた。
――こ、これが『萌え』というヤツか!!
ずきゅーん、なんて音がリアルに才人の脳内で響いた。
一瞬固まって、コホンと居住まいを正す。
「なにかな?」
俺は紳士、英国紳士と頭の中で唱えながらできるだけ爽やかな笑みを浮かべてみる。
才人の思惑通りとはいかず若干ぎこちない笑顔だった。
「……ごめんなさい」
「へ?」
「あなたを召喚して、ごめんなさい」
ルイズはペコリと頭を下げた。
才人は戸惑うしかない。
なんでそんな話になるんだろうと頭をひねってみる。
よくわからなかった。
才人は現代日本の価値観ではかっていたが、これはとんでもないことだ。
公爵家のご令嬢が平民に頭を下げるなど本来あってはならない。まかり間違って他の生徒に見られてしまえばその日からルイズに対するアタリはさらに厳しくなるだろう。
学院ならまだ笑い話で済むが、これが一般社会に出てからという話になれば彼女のみならず、ヴァリエール家の権威の失墜につながる。
例えまだ一介の学生に過ぎないとはいえ、自室とはいえ、やっていいことではない。
勿論才人はそんな背景知ったこっちゃない。
ただシンプルに、可愛い女の子が自分に謝っているだけだ。
「そんな気にしなくってもいいよ」
「でも」
「いいから、確かにボコボコにされて痛かったけどもうへっちゃらだし」
実際三日間も眠りっぱなしだからどれほど痛かったか、すでに彼は忘れつつある。
これは平賀才人の適応能力か、それとも別の理由があるのか。
とりあえず心底申し訳なさそうな顔をしているルイズを慰めるため思いついたことを並べ立てる。
「それに帰る方法も探してくれてるんだろ? だったらルイズのためにちょっとくらい体張るさ」
「……」
それに対してルイズは何も言わなかった。
握り拳を膝の上に置いて、うなだれたままだ。
「ごめんなさい」
「だから! 謝らなくったっていいんだよ」
才人はかがみこんでルイズと視線を合わせようとする。
ルイズは俯いてその顔をのぞかせなかった。
「わたしには、サイトにあやまらなきゃ……いけな、い……ぅ」
「わー! 泣かないで泣かないで!!」
とうとう彼女は泣き出してしまう。
握り拳の上にはぽたぽたと彼女の涙が滴り落ちた。
――泣いた子が泣き止んでまた泣いて、どうすりゃいいんだよ!?
才人は持てるだけの知識を漫画から引っ張り出してみる。
――あーもうどうとでもなれ!
彼の知る漫画の主人公はあまりそういうことに強くなかった。
とりあえず、後で怒られることを承知でルイズを抱きしめた。
――怒るかな、怒るだろうな。でも今は泣き止んでくれたらそれでいいや。
ルイズは押しのけることもなく、ぐすぐすと才人の胸で泣き続けている。
なんとなく才人は彼女の髪を撫でてみる。さらっさらで自分のものとは全然違う。
左手で彼女の背中をトン、トン、と叩いてみる。
きっとこうすれば安心する、と確証もない予感からの行為だ。
しばらく続けていると、ルイズのしゃくりあげるような泣き声がおさまってくる。胸元は涙でぐっしょり濡れていたけど才人は文句を言わない、言えるはずもない。
「落ち着いた?」
耳元で優しく囁く。ルイズは小さく頷いた。
「……もうちょっと、こうしてて」
「ん」
才人はルイズの髪を撫でたまま、ルイズは才人の腰におずおずと手を伸ばしてかるく抱きつく。
二人の間に会話はない。そのまま、優しい時間は過ぎていく。
それを破ったのは無機質なノックの音だった。
二人は慌てて跳ねるように距離をとる。
「ど、どうぞ」
「失礼しますミス・ヴァリエール。いつもの梟便です」
部屋に入ってきたのは才人も知るシエスタだ。
彼女はルイズの顔を見て、次に才人を見た。
最初顔を見ていたのがすすすと視線が下がって胸あたりでとまる。
あ、と才人は思い当たった。
ぼんやりとした灯りの室内、黒い服ならまだ誤魔化せたかもしれない。
でも彼が着ていたのはハルケギニアにやってきたときと同じ青いパーカーだ。
濡れれば当然色が変わる。そしてそれは薄暗くても容易にわかるほどだった。
シエスタはそのまま何も言わずルイズに封筒を手渡し、一礼してから部屋を出て行った。
―――きゃー! 御主人様と使用人の禁断の愛ですかアレ!?―――
『……』
二人は互いの瞳を交差させ、溜息をついた。
「えっと、シエスタに明日説明しとくよ」
「ええ、そうして」
ルイズは封筒の蜜蝋を、虫眼鏡まで使って確認してから開く。
「……そう」
「どうしたんだ?」
「貴族の事情っていうヤツよ。あなたにも関係しているけど」
はしたなく寝巻の袖でぐしぐしと目元をこする。
そうして、ルイズは貴族の顔になった。
「サイト。わたしはあなたにとてつもなく重い責務を負わせるわ」
「……」
今度は才人が何も言えなかった。
それはルイズが口にした重い責務という言葉に対してか。
それともこのハルケギニアで成し遂げなければならないことがあると感じていた自分に対してか。
「許してくれ、なんて言わない。言えないわ」
「いいよ」
軽い一言。
「きっとサイトは事の重大さをわかってないからそんな風に言えるの」
「いいんだよ」
まるで自分が喋っているわけではない。
自分の心がそのまま声になっているような奇妙さを才人は感じていた。
「……サイト」
「口にすると陳腐だけどさ、ルイズに召喚されたのも運命とか奇跡とか、そんなことだと思う」
その言葉は紛れもない自分の本心だ。
ただ彼自身が何よりも思っていたのは。
「だからさ、そんな自分を責めないでくれ」
「……ッ!」
この少女にこれ以上辛い思いをさせたくない、というだけだった。
ルイズの大きな眼から涙が零れ落ちる。
才人はやさしく彼女を抱きしめ、鎧で覆われたその心を包み込んだ。
*****
A.D. 6104 ルイズ・フランソワーズ
いよいよ明日は使い魔召喚の儀式だ。
正直に書くと、わたしは怖い。
どのような使い魔が召喚されるのか、ひょっとしてシャルル殿下が召喚したような極めて異様なモノが来るかも。
だけど姫さまのご期待に応えるためにもがんばらなければ。
今日はもう寝よう。
**
結論から書こう、わたしは成功した。
天候は最悪だったというのにわたしの気分は晴れ晴れとしていた。
けれど、今では暗澹たる思いで日記を書いている。
召喚されたのは奇妙な服装の平民だった。
見たこともない衣装からは出身地がつかめない。ちょっとだけ警戒しながらコントラクト・サーヴァントを行う。
熱さにのた打ち回る彼の左手には“ガンダールヴ”のルーンが浮かんできたの!
思わず飛び跳ねそうになった。
これでわたしが虚無であるという第二の確証ができた。
来るべき日への備えができたともいえる。
ミスタ・コルベールに言って彼を鍛えてもらわないと。
でも浮かれていたのはそこまでだった。彼の話を聞けば聞くほど落ち込むしかない。
わたしが召喚した平民、サイト・ヒラガは争いも何もないところから来たという。
それどころか魔法を見たこともないというのだ。
詳しく聞いてみると彼はそもそもハルケギニアではなく「チキュウ」という星に住んでいたらしい。
そこではカガクが発展していて魔法を使わずとも色々できる、とか。
半信半疑だったけどのーとぱそこんとかいうキカイを見て確信した。
そして同時に後悔した。
この哀れな異星の平民を、サイトを恐るべき輩との戦いに投じなければならない。
本来ならハルケギニアに住む、もっと言えば始祖ブリミルの血をひく貴族の使命に彼を巻き込むなんて。
わたしは召喚の儀式を軽く考えていたのだ。思わず涙がこぼれそうになった。
わたしが泣きそうになっているというのに彼はのんきな顔で「大変なことになったなあ」なんてぼやいている。
何も知らない彼が可哀そうで、そんな彼に戦いを強いなければならない自分が情けなくて。
今思い返せば余計に辛くなってくる。
それでもサイトが“ガンダールヴ”として召喚された以上、わたしたちはその力を利用するしかない。
彼が気分を害さないよう最大限の、なおかつ周囲が不自然に思わない程度の配慮をしないと。
朝食は使用人と一緒に、寝床はソファーを自室に運び入れさせた。
とりあえずハルケギニアでの最低限のマナーを教えて今日は眠ろう。
**
二日目にして我が使い魔は色々とやらかしてくれた。
理性的かと思いきや何も考えていないのか、彼が全然わからない。
ただ、少し彼の気遣いが嬉しくもあった。
看病するから今日はこれでおしまい!
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サイトは目覚めない。
怪我自体は治っているから心配ないみたいだけど……。
心が拒否すれば戻ってこないこともありうる、なんてことを聞いたことがある。
彼からすれば当然かもしれない。
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今日もサイトは目覚めない。
本当に彼の心がハルケギニアを拒絶しているのかもしれない。
看病しながら目覚めを待つしかない。
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今日もダメ。
お願い、目覚めてよ。
もう利用するだなんて考えないから、おねがい……。
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サイトが目を覚ました!
こっちがあれだけ心配していたのにけろっとした顔で「おはよう」なんて。
一瞬殴りたくなってしまった。
けれど、嬉しくて嬉しくて彼の目の前でわんわん子どもみたいに泣いちゃった。
そして彼の境遇を思って、また泣いてしまった。
サイトは優しい。その優しさにもう一回泣かされたほどだ。
そんな彼を残酷な戦いに導かなければならないなんて。
始祖ブリミル様、彼をお導きください。
願わくば、サイト・ヒラガに祝福を。