アニエス・コルベールに静養を
A.D. 6104 アニエス・シュヴァリエ・ド・コルベール・ド・ダングルテール
明後日で最後かと思えば一面の海にも感傷を覚えてしまう。
私の生まれ故郷も海辺の寒村だから、潮風に何か呼び起されるものがあるのかもしれない。
アディールでの三年間は確実に私を成長させてくれた。
この力で父と並び立ち戦うことができるか、それはまだ未知数だ。学べば学ぶほどにおそるべき輩の強大さに慄き、鍛えれば鍛えるほどにその凄まじいまでの力量差を感じてしまう。
今はただ牙を研ぐのみ。
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最後の夜、ルクシャナとアリィー、そして偶然帰郷していたビダーシャル殿が宴席を設けてくれた。
ルクシャナは文句を言いながらも何かと私に話しかけてくれた得がたき友人だ。トリステインに戻っても手紙を書くと約束した。
アリィーと私の仲は、まさに切磋琢磨というのがふさわしいだろう。お互い鍛錬を忘れぬよう誓い合った。
この二人は婚約者で、見ていると少し寂しくなってしまう。
だがいい。
祝福の子たる私の使命は重い。家族に恵まれただけでも十分だ。うん……十分なんだ。
ビダーシャル殿はアディールでも上等な店で奢ってくれた。「何があってもくじけぬよう」との助言を頂いた。
三年間、辛く苦しいときもあったがアディールに来てよかった。
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早朝にも係わらずルクシャナ、アリィー、ビダーシャル殿が見送りに来てくれた。
若干涙ぐんでしまう。
しかし、いざ出立しようとしたとき一匹の鷹が降り立った。見覚えがある、というよりも父の鷹だ。脚にくくつりつけられた手紙に素早く目を通し、さっと体温が下がるのを感じた。
無言でビダーシャル殿に手渡すが、彼も渋い顔だ。
この特徴は間違いない、ティンダロスの猟犬だ。
まさか地獄の深淵で常に飢えているような獣を召喚するとは。それどころか召喚者、ロシュフォールの娘は完全に支配下に置いているらしい。
ありえない。
手紙を読んだビダーシャル殿も顔を青ざめさせている。
とにかく牛や豚の頭部の発注数を密かに増やすほか、犠牲者を出さない手段はない。取り急ぎその場で返事を書いた。
他の使用人には知らせてはならないということも、普通の平民がはっきりと認識してしまえば狂気に陥ることも。
鷹に託そうとして、もう一通の手紙に気付く。
こちらは朗報だった。ミス・ヴァリエールが“ガンダールヴ”の召喚に成功したとのことだ。
足場が崩れるような絶望感から多少持ち直した。例え猟犬が相手でも、多数のメイジと“ガンダールヴ”、それに父とオールド・オスマンがいれば撃退も可能だろう。
だが、これは異常事態だ。今年確実に何かが起きる。
ビダーシャル殿どころかルクシャナもアリィーも同じ意見で、早急に老評議会に報告するようだ。シャイターン対策委員会副委員長としてやらねばならぬことがこの瞬間一気に増えたのだろう。平素の表情が読みにくい顔ではなく、未来を案じる真剣な顔になっていた。
私も馬車で帰還するつもりだったが取りやめだ。非常に高くつくが、竜籠で急ぎトリステインに戻る。
今夜はリュティスで宿泊した。
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三年ぶりのトリスタニアだ、非常に懐かしい。
エルフ領との違いから逆にとまどうこともあるくらいだ。人の多さに数年前まで通っていたリュティスを思い出した。あのワガママ姫は元気だろうか。
一刻も早く学院に向かいたかったが、ここで万全の支度を整えることにした。サン・フォルサテ大聖堂で祝福を受けた剣、銀の銃弾、目の細かい頑丈なチェインベスト。鍛えた甲斐あってこの程度なら問題なく動ける。
それらを装着したまま懐かしい場所を訪れた。魅惑の妖精亭だ。
三年もたっていれば当然人も入れ替わる。特にスカロンさんの一人娘、ジェシカはよく気の利く愛されるべき少女になっていた。これはチップもとりたい放題だろう。
時折立ち止まっては私とお喋りするジェシカ、そんな彼女の肩を大きな手が掴んだ。暴漢か、と思い剣を抜こうとした瞬間、顔を見て脱力した。
メンヌヴィルおじさんだったのだ。この人は相変わらずだ。
二階の個室に通してもらってお互いの近況と魔法学院について話し合う。
どうやら姫殿下が虚無の主従を召喚したがっており、明日の舞踏会に乗じてそれを行うつもりらしい。
明日の昼ごろ、鋭角をなくした丸い馬車で魔法学院へ向かう。途中でメンヌヴィルさんが降りて別ルートから様子を伺う。
討てそうなら猟犬を討ち、無理ならばメンヌヴィルさんは即刻退避。舞踏会ならアディールで仕立てたドレスを着れば私も自然に溶け込めるだろう。
……少し自分の年齢に悲しくなった。
明日に備えて寝る。
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トンでもない化け物だ、なんだアレは。
まず私は父の研究室に向かった。再会の挨拶もそこそこに、耳や目がないことを確認してから手筈を話す。
問題がないことを確かめ、次に厨房へ向かった。
厨房の皆は三年間もトリステインを離れていた私を暖かく迎えてくれる。正気を失ったものはいないようで一安心だ。十五の頃から働いているシエスタも女らしくなったものだ。
そんな中キョトンととぼけた見慣れない顔。話を聞けばミス・ヴァリエールの召喚した使い魔だという。
なんとも頼りない顔の“ガンダールヴ”だ、とは思ったが何事も見た目で判断してはいけない。
青銅の剣で七体の青銅ゴーレムをぶった切ったと聞いたときはたまげた。そんな芸当化け物じみた傭兵にもできない。腐っても“ガンダールヴ”ということか。
厨房を離れて今度は猟犬を探す。風向きに注意しながら臭いをかげばすぐにわかる。
見つけた。
過去に猛威を振るった個体と比べてかなり小さい、アレらにそういう概念があるのかは不明だが、どうやら子犬だ。しかしその威圧感たるや並のものではない。
慎重に機会を狙っている内に夜が近づいてきた。
舞踏会も近いので仕方なくドレスに着替える。そろそろミス・ヴァリエールたちも手筈通り馬車に乗っていることだろう、と窓の外を眺めた。
全身の血が流れ出て崩れ落ちるかのような感覚。猟犬が今まさに彼らが乗り込もうとしている馬車を見ているのだ。
まるでお前たちの目論見など看過している、と言わんばかりに。
考えすぎかもしれないが、これは危険すぎる。今は無理だ。
メンヌヴィルさんに連絡する手段はない、彼が先走らないことを祈るしかできない。
舞踏会がはじまる。
私は壁の花に徹した。生徒も私のような部外者になど注目しないだろう。
そう思っていたのだ。
視線を感じた。ぞわり、と胸元を虫が這い回るような嫌悪感、気持ち悪さを感じた。
気取られないよう会場を観察すると、私を見ている生徒がわかった。
病的なほど透き通るような白さの肌に絹糸のような白い髪の毛、そして赤い瞳。手紙で聞いていた生徒、悪臭をまき散らす不浄な猟犬の飼い主、ミス・ロシュフォールだ。
最初は部外者を見ているのかと思っていたが違う。
明らかに観察している。私の心の奥底を見透かそうとする目が、体中をまさぐろうとする視線が例えようもなくおぞましい。そして私は見てしまった、彼女の右目が青く染まる瞬間を。
息が詰まるかと思った。
竜のような細く黒い瞳孔に恐怖した。
その表情は名状しがたく、狂気じみた笑顔であるよう感じられた。それに気づいた父が私をかばうかのように、彼女にダンスを申し出た。この事態を予想していたのか、他の教員と違って父はタキシードを着ていたのだ。
父の気遣いがありがたかった。かなり鍛えたと思っていたが未だ未熟。その父ですら長期間彼女と接することは難しいらしく、途中で極度の疲労感から崩れ落ちてしまった。
ミス・ロシュフォールが手を差し出すが、それが冥界からの誘いのように感じられた。
結局、父は手助けを得ることなく起き上がり私の下へ戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、なんとか……しかし凄まじい」
父は汗でびっしょりだった。
ちらりとミス・ロシュフォールを見れば違う相手と踊っている。
彼女のダンス相手の瞳は遥か星海の彼方よりも昏く、なかば正気を失いつつあるように思えた。
しかし今の私たちには力が足りない、彼らを助けることはできない。歯を食いしばって、父に肩を貸しながらダンスホールを後にするしかなかった。
*****
メアリー・スーに幸せを
ちょりーっす、俺の名前はメアリー・スー・コンスタンス・ド・ロシュフォール。
トリステイン王国のロシュフォール伯爵家長女だ。
神様の力で皆おなじみ「ゼロの使い魔」の世界に転生した元男、現女の子なんだ。
俺の今の体のチャームポイントはずばり、脚だね、すらっとした脚。べ、別に貧しい体型とかそんなんじゃないんだからっ!
ま、いいや。
前に忙しい現代社会に比べるとすごく時間がゆったりしてていいって言ったじゃない?
やっぱアレ撤回するわ。
貴族めんどくさい、なんか色々と事情があるんだねみんなの話を聞いてると。いや、俺は父上が親バカでよかった。
*
さて、本日はフリッグの舞踏会。
昨日フーケ来ると思ってたのに、どういうことなんだ? マチルダさん「ミス・ロングビルですから」なんて顔しちゃって!
どんな顔だって?
クール気味なドヤ顔だと思ってくれればいいよ。
人によっては微笑にとれるかもしれんが、俺は騙されんぞ! 「これだからお子様体型は」なんて心の中で嘲笑っているに違いない、そうに決まっている!
ドレス姿をじっくりねっとりなぶるように見つめてやるから覚悟しとけ!
いや別に貧乳でいいんだけどね。だって男の感覚残ってるんだぜ?
走るたびにぶるんぶるん揺れたら気持ち悪いじゃないか。今でも股間がスースーしてるのに慣れないというのに。
おっと女性読者が見てたら悪かったな。ま、体は女、心は男ってことで許してくれ。
あといつの時代だって男子高校生はエロいことばっか考えてるってこともな!
それはさておきマチルダさんだよ。ダメだ、マチルダさんだとなんか違うキャラみたいに聞こえてしまう。やっぱりフーケさんだな。
そう、フーケさんなんで泥棒しないの?
あ、ああ! そっか!! ルイズの爆発でヒビいったからやろうと思ったんだっけ。
確かそんな気がする。今の性格じゃルイズもやらかさないだろうしなあ、昨日なんて才人トリスタニアに行かずシエスタ手伝ってたし。
てかお前使い魔だろ。ルイズは寂しがりだからもっとそばにいてやれよ! そして俺をニヤニヤさせてくれよ!!
まったく、俺の親愛なる使い魔、ドン松五郎を見習ってほしいぜ。
一応魔法学院の宝物庫見に来たけど、こりゃ無理だね。実はつい昨日スクウェアになった俺でも無理だ。
え?
スクウェアになれた理由?
……才人とシエスタのニヤニヤで感情が振り切れたせいかな。
レモンちゃんとかこの目で見たらペンタゴンやらヘキサゴンまでいけそうだぜ。
*
るんたったーるんたー
るんたったーるんたー
なーんてリズムで踊ってみたり。
フリッグの舞踏会は新入生に配慮してか、少しお気楽なんだよね。
別に女同士が踊っていようと問題なしっつーか。
とりあえずこっちはいつも一緒にいるチームのヤツらと踊ったよ。いつもキラキラしてる眼がダンスの時はもーヤバいくらいになってて「大丈夫?」って思わず聞きそうになった。
なんか、俺にカリスマでも感じてるのか? そんな素敵能力神様にお願いしてないんだがなあ。
ひょっとして転生で俺の隠された能力がッ!
……んなこたねーか。
意外なことは三つあったんだ。
一つはコルベール先生にダンスを申し込まれたこと。
いやびっくりした。ふつー教師が生徒に申し込むはずないんだよ。そんなこと許されたら毎年オスマン無双になっちまうぜ。
でもほかの先生方は何にも言わない、いいのかそれで?
俺伯爵家の長女だよ?
ていうかキュルケ誘えよ。
このころのキュルケはコルベール先生を臆病者ってバカにしてたか。
アレかな、俺が魅力的過ぎたのか?
いやー罪なオ・ン・ナ♪
その魅力にやられたのか、コルベール先生はダンス中ころんじゃったんだけどな。よっぽど恥ずかしかったのか手を貸そうとしても断られたほどだ。
汗で後頭部まで侵食した地肌がてらてら輝いてたし、ホールが暑かったのかもしれない。確かにあの人正装になれてなさそうだしなあ。
タキシード姿カッコよくて、思わず「誰!?」って叫びそうになったけど。
次の一つ。
お前ら絶対驚くと思うよ。
そう、アニエスさんがいたんだ!
おいおいおい、原作どこ行ったよなんて思ったんだが、問題ない。
あの人のドレス姿、超やっばい。鍛えてるからかスタイルも超絶いいし、背筋がしゃんとして凛々しい。
男装の麗人なんて言葉はよくあるさ、ヅカって感じの。いやドレス姿であそこまでカッコいい人見たことないわ。
さらに俺はつつましい、肌の露出があんまりない黒いドレスを着てたんだが、アニエスさんは違う。もう肩とか丸出し、胸もがんばったら見えるんじゃない? ってレベル。
久々に眼福ですよこれは。思わず身を乗り出しちゃったね。
鼻血出そうでヤバかった、まあ俺の顔面筋肉さえあれば鼻血なんて抑えられるけどな。
てか平民ってこの舞踏会に参加していいのか?
まあいいか、アニエスさんその内シュヴァリエもらうし、カッコいいし。
三つ目、ルイズと才人いないの。
ちょぉぉぉぉおおおおおお!! って感じ。
舞踏会はじまる前にいないないないな、と思って探してドンの視界共有まで使ったら二人して馬車に乗り込んでるの。
え、駆け落ち? 愛の逃避行ですか、そうですか。
なんだよ才人め馬車に先に乗ってルイズに手を貸しちゃったりして。
英国紳士気取りですかァ!?
ニヤニヤできたからいいんだけど。まあ二人はその丸い馬車(シンデレラのかぼちゃの馬車みたいだった)に乗ってトリスタニアの方に行った。
どこ行く気だったんだろ、てか公爵家三女が学校行事サボっていいのかよおい。
まあ舞踏会はそんな感じで概ね楽しかったよ。
ただ気になったのは、そうだなあ。
去年食った子牛の脳みそ料理、ゲテモノだけど美味かったのに最近見ないの。マルトーさんに言ったら用意してくれるかなあ。