結局のところ、菖蒲は三着の下着を購入することに決めた。しかも全部、俺が選んだやつである。
購入する下着が決まると、俺はひとまず先に店を出た。さすがにあのファンシーな雰囲気には辟易していたし、店内にいた女の子たちの視線にも参っていたからだ。
突き抜けるような青空には、白い綿菓子みたいな雲がいくつも寝そべっている。快晴とは言えないが、そこそこいい天気だった。
まだ菖蒲が出てくるまでは時間がありそうだったので、俺はトイレに行っておくことにした。女の子と二人きりで買い物なんて初めてだったので、トイレに行くタイミングが分からず、わりと我慢していたのだ。
近場にあったトイレが清掃中だったので、少し離れたところにあるコンビニまで足を伸ばした。用を足すと、繁華街の人込みを縫うようにして、俺はランジェリーショップまでの道のりを急ぐ。
遠目に菖蒲の姿を見つけた瞬間、俺はトイレに向かったことを激しく後悔した。
菖蒲は美しい少女だ。男を惹きつけて止まない、蟲惑的な身体の持ち主でもある。考えてもみろ。彼女が一人で所在なさげに立っていたら、声をかける男がいても何らおかしくない。
ランジェリーショップの店先でたたずむ菖蒲の前には、逃げ道を塞ぐようにして三人の男が立っていた。そのポジション取りや、立ち居振る舞いを見るに、男たちは相当にナンパ慣れしているようだ。
幸い、まだあまり注目はされていないようだが、これ以上目立つとなると、菖蒲の正体が周囲に露見することも考えられる。それだけは避けたい。
見たところ、菖蒲は目立った抵抗をしていなかった。ただ俯いて、顔を隠しているだけ。声も出さないのは、やはり自分が女優の『高臥菖蒲』だと看破されたくないからだろう。
そんな菖蒲の態度を、気弱な女、あるいは押せば堕ちそうな女と見たのか――どんどん男たちの行動はエスカレートしていく。
無意識のうちに舌を打ちながらも、駆け足で菖蒲の元に向かった。近づけば近づくほど、やたらと気のよさそうな男の声が聞こえてくる。
俺はナンパする男たちにではなく、ああして菖蒲が男に言い寄られてしまう状況を作り出した、俺自身に憤慨していた。奥歯をかみ締め、拳を固く握りながら、両者のあいだに割って入る
「待てよ」
言いたいことはいっぱいあったのに、言葉になったのは一つだけだった。
あまり喧嘩は好きじゃないし、誰かと対立するのも出来れば避けたいのだが、いまだけは保身を考える余裕はない。
「ゆ、夕貴様……?」
背後から菖蒲の声が上がる。その悲痛な声を聞いて、俺はさらに菖蒲の身体を背中で隠すようにした。
「……チ」
舌打ちがあがる。
露骨に不愉快そうな顔をする、三人の男。
一人は、陽気そうに笑う優しそうな顔立ちの男。ただし目が笑っていない。こういう表情をしたやつこそが一番危ない。
一人は、肥満体型が目立つ男。腹回りには脂肪がついているが、それと同じだけ筋肉も見受けられた。顔の表面を、にきび跡やほくろが覆っている。こんなときでも糖分が欲しいのか、手にはジュースの入った紙コップが握られていた。
一人は、長い金髪が特徴的なホスト風の出で立ちをした男。三人の中でも比較的整った顔立ちをしている。
三人とも俺より背が高く、ガタイもいい。なによりこちらが怒気を垣間見せながら割り込んだのに、彼らにうろたえた様子はない。それは、誰かと争うことに慣れている人間特有の度胸。
どうやらこの男たちは、ただ女に声をかけて回るだけのチャラチャラした連中とは一線を画すようだ。
「はぁ? おまえなにしてんの?」
剣呑とした声。
口火を切ったのは、長めの金髪をしたホスト風の男だった。時間のかかりそうな、整髪料をふんだんに使ったヘアースタイルをしている。こういう男は大体プライドが高く、ナルシストであることが多い。その証拠に、暇さえあれば手で髪を弄っている。きっと神経質でもあるんだろう。
「なにしてんの、じゃねえだろ。女の子一人に、おまえら三人でなにやってんだよ。この子が嫌がってるのが分かんないのか?」
丁寧語で対応して、相手の気を逆撫でしないように意識して、穏便に事を運ぶのが理想なんだろうけど、そんなの冗談じゃない。
エゴだと言われてもいい。頭の悪いやつと罵られてもいい。ただ、これだけは言える。俺の応援している女優さんを困らせる野郎は、どこのどいつだろうが敵だ。
「その子が嫌がってるぅ? おいおい、おまえこそ見て分かんねえ? おまえが来るまで、俺らは楽し~くお喋りしてたの」
金髪ホスト風の男がそう言って、
「そうだ! その女の子には、俺たちが最初に目をつけたんだ! 関係のないおまえは、どっか行けよっ!」
肥満体型の男が、ジュースを飲み込んだあと、そう続けて、
「あはは、そゆこと。いやいや、ごめんね。キミ、女の子には困ってなさそうだし、今回は譲ってよ」
陽気でチャラチャラした男が、これで話は終わりだと言わんばかりに締めくくった。もしかして、こいつら俺がナンパの同業者だと勘違いしてるのか?
「……そうか。言ってなかったっけ」
「あ?」
俺は菖蒲の肩を抱いた。これでもかと密着した体勢。頬と頬がくっつくほどの近距離。ふわり、と風に乗って、淡い柑橘系の香りが鼻腔を掠めた。
「こいつは俺の女なんだよ。つまり、あんたらは人の女に手を出したってことだ。どっちが引き下がるべきなのか、分かるよな」
これみよがしに菖蒲の肩を抱く。横目に見れば、菖蒲は顔を真っ赤にして俯いている。彼女はなにかを言いたそうに俺をチラチラと見ているが、目が合った途端に唇を引き結んで、やはり俯いてしまう。こんなかたちで、公衆の面前で菖蒲を抱きしめるなんて思ってもみなかった。
狙っていた女を、まずお目にかかれないほどの美少女を、よこから出てきた男に抱かれたのが許せなかったのか、男たちの空気が変質した。険悪な雰囲気が増し、暴力的な緊張が生まれる。それはどこか、張り詰めた糸にも似ていた。
人間は、殺意や敵意には敏感なもの。それが自分に向けられていなくとも、自分の存在する空間に放たれた悪意には誰だって警戒するものだ。
ランジェリーショップの店先で、俺たちの間に流れる一触即発の空気を感じ取ったのか。今までは足を止めずに行き交っていた人々も、少しずつだが集まり始めているようだった。
でも頭のいいやつならば、ナンパした女に彼氏がいると発覚した時点で、手を引いてくれるはずなのだが。
「……やっべ、おれ久々にキレそうだわ」
何事も楽観視するのはよくないらしい。神経質そうなセットをした金髪を指で弄りながら、ホスト風の男が前に出る。いつ殴り合いになっても構わないように、菖蒲を背後に回す。
菖蒲は何かを言いたそうにしていたが、俺は人差し指を唇に当てて『静かに』とジェスチャーをした。
「おいおい、そんなことでキレんなよ。自分の彼女に触れることのなにが悪いんだ?」
「あー、出た。ほら出た。それだ。俺はよぉ、そのスカした口調にキレそうなんだよ。え? なに? 余裕のつもり? 女の前だから格好つけたいわけ? 女みたいな顔してるくせに、なに調子に乗っちゃってんの?」
女みたいな顔。その言葉に苛立ちを感じた。菖蒲に手を出されたことだけが怒りの原因だったのに、今はちがう。馬鹿にされて反論の一つもしないほど、俺は出来た人間じゃない。
「調子に乗ってねえよ。自分の女を抱くのは当たり前だろうが。それに文句をつけるってことは、つまりおまえたちが俺に嫉妬してるってことだろ」
肥満体型の男が一歩前に出た。やはり手には中身の入ったジュースを持ったまま。
「そ、そういう口調が調子に乗ってるっていうんだ! おまえ何様のつもりなんだよ!」
その語彙の足りない煽り文句に続くようにして、陽気でチャラチャラした男が言った。
「あんさぁ。キミ、本当に止めといたほうがいいよ? おれらの顔、見たことない? このあたりじゃ結構有名なんだけどなぁ」
「知るかよ。成功率ゼロパーセントのナンパ師みたいな宣伝で売ってるのか? だったら悪いな。見たことも聞いたこともない」
金髪のホスト野郎が、拳を握り締めた。
「ちょー無理だわ。おれ無理だわ。マジで無理だわ。なあ健太、陽介。もうコイツ殺してもいいよな? 海斗には止められてんけど、暴れちゃってもいいよな?」
「こんなことでキレんな。さっきまでは長そうな舌で長広舌を振るってたくせに。人の女が羨ましいからってよ」
仮にだが『緊張』が糸だとして、それを断ち切るハサミを『敵意』だとするなら。
「てめえぇぇぇぇっ! まじぶっ殺すぞコラぁぁぁぁーっ!」
その金髪の男が響かせた咆哮こそが、という糸を切断するハサミだったのだろう。ホスト野郎は、ほとんど遮二無二に殴りかかってきた。
すでに周囲には人だかりが出来ている。誰も喧嘩を止めようとしない。暴力とは、それが己の身に降りかからないかぎりは一種の娯楽として機能する。格闘技という種目にファンがつき、試合に観客が押し寄せるのがいい証拠。
「夕貴様!」
背後で菖蒲が声を荒げた。手で制し、離れていろと指示する。
素早く間を詰めてきた男は、腕力だけに任せた殴打を繰り出してきた。とても格闘技を習っているようには見えない動き。しかし男の拳は、迷うことなく俺の顔面に向かってきた。躊躇いもなく相手の急所に攻撃できるということは、すなわち暴力を振るい慣れている証。
腕の振りだけに任せた一撃は、足腰の力を伝えていない分だけ威力が低くなり、隙も大きくなる。それはつまり拳を振るっているのではなく、拳に振るわれている状態に近い。ホスト野郎は、暴力を振るうことには慣れていても、暴力をコントロールすることに関しては素人だと思えた。
こういう輩には正面から抵抗せず、相手の力を受け流すようにして戦ったほうがいい。
「死ねやクソ野郎ぉぉっ!」
俺に向けて、力任せのパンチが振るわれた。やや横から襲いくるような、フックに近い殴打。
選択肢はいくつかあった。攻撃を受け止めるか、攻撃を避けるか。いや、その二つは上手くない。防御しても回避しても、結果は一つ前の局面に戻るだけ。
俺は姿勢を低くして、男の腕の下を掻い潜るようにして、自分から前に進んだ。
ひゅん、と景気のいい音がする。それと同時、攻撃に失敗した男の身体が傾いだ。重心を定めておらず、軸足も無視していたら、そうなるのは当然。
男の背後にまわった俺は、すぐさま腕を極めにかかった。だが相手も喧嘩慣れしているだけのことはある。俺が関節に加える力から逃れようと、男はほとんど無意識のうちに重心をずらし始めた。
それに俺も抵抗――しない。むしろ応援してやる。
人間は関節を極められると、本能的に重心をずらして痛みから逃れようとする。だから、その肉体の反射とも言うべき動作に、俺からも力を加えてやることで――
「うわっ!?」
相手はバランスを崩して、面白いぐらい簡単に転ぶのだ。
顔立ちには似合わぬ間抜けな声を上げて、男はひっくり返った。それだけならばよかったのだが、ホスト野郎は、肥満体型の男とぶつかってしまった。ここで問題は、肥満体型の男が紙コップのジュースを持っていたことだ。
ぶつかった衝撃により、肥満した男は紙コップから手を離してしまう。宙を舞った紙コップが落下地点に選んだのは、金髪の男の、頭の上だった。
ジュースは、まだかなり残っていたらしい。あれほど整髪料で固めていたセットは跡形もなく崩れ、金髪の男のプライドをズタズタに引き裂いた。
くすくす、と周囲から笑い声が上がる。しりもちをつき、頭からジュースを被った男を見て、俺たちの様子を遠巻きに見守っていた大勢の人たちが失笑したのだ。
あれだけ神経質そうに髪を弄っていた男にとって、今の自分を笑われるのは最大の恥だろう。これで引き下がってくれればいいのだが――
「……殺してやる」
ホスト野郎が、ポケットから何かを取り出した。美しい銀色の煌めき。それは折りたたみ式ナイフだった。
周囲で笑っていた人たちも、男がナイフを取り出したのを見て表情を一変させた。慌てて逃げ出す者もいれば、警察に電話をかけようとしている者もいるし、中には俺に「逃げろ!」と叫んでくれる人もいる。
それにしても、こんな公衆の面前で刃物を取り出すなんて……こいつ、俺が思っていた以上に狂ってる。保身を考えるだけの余裕がなくなっているのか頭、それとも荒事が日常茶飯事なのか。
「はーい、ストップストップ。キミたち、ちょーっと血の気が多すぎるでしょ」
そのとき、よく響く女性の声が、半ば恐慌状態に陥っている場に響き渡った。
視線が集中した先は、ランジェリーショップの入り口、自動開閉ドア。淡いブラウンの長髪をアップにした女性、肆条緋咲(しじょうひさき)さんが立っていた。
面倒くさそうに頭を搔きながら、緋咲さんは俺たちの間に割って入った。
「なんだてめえはぁ!? 俺はよぉ、いま最高にキテんだよぉ! その女みてえな顔した野郎をぶっ殺してやらなきゃ気が済まねえんだ! 邪魔しやがったら、てめえ犯してやるからなぁ!」
まずい、怒りの矛先が変わった。
俺が慌てて緋咲さんを護ろうとしたとき――その必要はないとでもいうように、緋咲さんは肩越しに俺を見て、小さくウインクをした。
「あっはー、最近の若者は怖いねー。でも残念。あんたみたいな外面だけ気にするチンケな男に、あたしを満足させるのは無理よ。それに、あんたは顔でも、この子に負けてるよ」
「んだと……!?」
「大体さあ、ここって女の子が下着を買うお店の前なんだよねー。もう少し暴れる場所を選んでくれたのなら、あたしも干渉しないんだけど、さすがに今回のケースは無視できないでしょ」
「てめえ、調子に乗るのもいい加減に……」
「あっ、ちなみに言い忘れてたけど、もう警察には連絡したよ。交番自体はこの繁華街にあるからさ。おまわりさんが来るまで、あと数分ってところじゃないかな」
つまり緋咲さんの余裕は、すでに犯罪の抑止力たる警察を呼んであったからなのか。
「まあ、あんたたちがどうしてもって言うなら、この子の代わりにあたしが相手をしてあげてもいいよ。こう見えても、ちょっとだけ剣道とかやってたからさ。あんたがハンデをつけてくれるっていうなら、いい勝負が出来るかもね」
飽くまでも緋咲さんは余裕を崩さない。もしかして、この人はある意味で大物なんじゃないだろうか。大人っぽい感じの美人だし、スタイルはいいし、なにより下ネタも豊富だし。
ホスト野郎はナイフを構えたまま、俺たちを怨めしそうな目で見つめていた。しかしリスクを計算するだけの冷静さは残っていたらしく、数瞬の躊躇の後ナイフをしまい、身を翻した。
恐ろしいほどの敵意が篭った瞳。人を呪い殺せそうな目で、ホスト野郎は最後に俺を睨んだ。
なにか言い残すかと思ったが、予想に反して、彼らは最後まで無言だった。ただ時折こちらを振り返りながら、繁華街の人込みに紛れるようにして走り去っていった。
「夕貴様、お怪我はありませんか!?」
俺が男たちの背を見つめていると、菖蒲が大きな声を上げながら駆け寄ってきた。さすがは女優。発声がしっかりしているからか、その声は繁華街に強く木霊した。ふと、ホスト野郎が振り返った。ちょうど菖蒲が大声を発したのと同じタイミングだったが……まあ正体を気付かれてはいないだろう。
そうこうするうちに事態は収束した。喧嘩が終わったことを察した周囲の人たちは、名残惜しそうな気配を見せながらも、やがては散り散りになっていった。
「んー、なんだか呆気なかったねえ」
「それより緋咲さん。本当に警察呼んだんですか?」
「いや、呼んでないわよ。ただでさえ女の子は喧嘩嫌いなんだし、これで客足が遠のいたりしたら嫌でしょ。一従業員としては、あまり面倒を大きくしたくないからさ」
つまり警察を呼んだ、という話はブラフだったってわけか。
「なにより、菖蒲ちゃんがいるんだから、警察沙汰にするわけにはいかないでしょ?」
その温かい気遣いが、いまはすごく嬉しかった。
「夕貴様ぁ……!」
腕を強く引っ張られる。力を抜いていた俺はよろめいてしまった。胸の中に、菖蒲が飛び込んでくる。小さな身体が、震えていた。男たちに言い寄られても、気丈な態度を崩さなかった菖蒲。逃げ出すこともせず、ただ俯いてじっとしていた菖蒲。
名前も知らない男たちに口説かれる恐怖は、女の子にとって身の危険を想像せずにはいられないのだろう。
「大丈夫か? あいつらに、何もされなかったか?」
菖蒲を優しく抱きしめながら、菖蒲の甘い匂いを感じながら、なるべく優しく問いかけた。返答はない。ただ彼女は小さく、何度も頷くだけ。
「ごめんな。俺がちゃんと店先で待っていれば、こんなことにはならなかったのに」
「……いいえ、夕貴様は悪くありません」
嗚咽の混じった声で、菖蒲は言った。ちょっとだけ泣いてしまったようだ。
このままいつまでも菖蒲を抱きしめていたかったが、さすがに公衆の面前ということもあるので、そうもいかない。しかも緋咲さんがニヤニヤしながら俺たちを見てるし。
「いやぁ、青春だねえ。若いっていいねえ。でもあたしがいるんだから、もうちょい自重してほしかったかなぁ」
わざとらしく拍手をしながら、緋咲さんが含みのありそうな目で俺を見てきた。
「……言っておきますけど、俺は緋咲さんには怒ってるんです」
「ありゃりゃ、どうして?」
「どうしてもなにも……さっきの金髪の男は、いざとなれば女にだって手を上げたでしょう。それぐらい緋咲さんにだって分かってたはずです」
「まあね。だって彼、あたしのことを犯すとか言ってたし。でもあたし的には、夕貴くんにだったらなにされてもいいんだけどなー」
冗談交じりの、さばさばとした口調。でも俺は、それを冗談としては受け止められなかった。
「ふざけないでください。言っておきますが、俺は怒ってるんだ」
「怖い顔だねえ。もしかして夕貴くんってば、あたしがピンチになったら助けてくれたりした?」
そんなわけないよねー、と苦笑する緋咲さん。返す言葉なんて、もちろん決まってる。
「なに当たり前のこと言ってるんですか。俺は女の子を見捨てるほど恥知らずな男じゃない」
言ってから、これは格好をつけすぎかな、とも思った。
緋咲さんは大きく目を見開いて、じっと俺のことを見ている。それは、いつもペースを崩さない彼女にしては珍しい。
「……あたし、本当に夕貴くんのこと気に入っちゃったよ」
とても楽しそうな、とても嬉しそうな笑顔を緋咲さんは浮かべた。
結局、緋咲さんは「もう危ないことはしないよ」と約束してくれた。それと同時に「あたしが危なくなったら、夕貴くんが助けに来てくれるもんね」と約束させられてしまったけど。
仕事に戻る緋咲さんを見送り、帰路につく俺たちは逆に見送られた。
今日からしばらくの間、菖蒲と一緒に暮らす生活が始まるんだ。しかもナベリウスという核弾頭が萩原邸には設置されているのだから、締めてかからないと色んな意味で危ない。
俺は明日から訪れるであろう、新たな日々に想いを馳せながらも、菖蒲と二人並んで帰路を辿った。
****
男たちは憤慨していた。
このままでは絶対に済まされない。自分たちは舐められたら終わりだ。力を誇示することこそが生き甲斐であり、畏怖されることこそが生きている価値なのだから。
確かに、あの女性的な顔立ちをした男は、自分たちより強い。それは認めよう。
だが復讐する機会と手段がないわけじゃない。
長い金髪と、ホストのような出で立ちが特徴的な男――新庄一馬は、一つの事実に気付いていた。帽子を目深に被った、類稀な美少女。一馬は、彼女に「どこかで会ったことあるよね?」と問いかけたが、それは本心から出た声だった。あの少女を見たときから、言い知れぬ既視感があったから。やはり一馬は間違っていなかった。
あの女は、女優の高臥菖蒲だ。
いつも仲間内で話題に上り、いつか抱いてみたいと夢見ていた少女。可憐な顔立ちもそうだが、なにより男の情欲をかきたてて止まない蟲惑的な身体が、堪らない。
「おい、海斗に連絡しろ」
一馬は夢想していた。これこそが最大の復讐になるのだと、そう信じて疑わなかった。ここに、一つの悪意がカタチを成した。