犯人グループのアジトとして特定された場所は、俺たちの街からしばらく車を走らせた先にある漁港だった。漁港に隣接している倉庫街の一角に、犯人たちが潜んでいるらしい。
この倉庫街は、主に海貨業者や漁業就業者たちが利用している。しかし棟の一部は、個人や企業に貸し与えるためのトランクルームであり、陸で仕事をしている人間も頻繁に寄りつくという。
犯人グループが立て篭もっている倉庫は、管理人の趣味により音楽スタジオとして改造されている。要するに、一般的な倉庫よりも防音に特化しているということだ。音を遮断するという必要上、壁は厚く、小窓の類は一切設けられていない。入り口は、正面に一つ、裏に一つの計二つ。犯人の逃走経路を潰しやすいのは利点だが、侵入経路が限定されているのは難点。犯人を取り逃がす可能性は限りなく低いが、攻略戦を展開するのも、また面倒ということだ。
俺たちは黒塗りの高級車から降りたあと、参波さんの指示に従い、移動を開始した。
ずっとソファで眠りこけていた託哉は、こんなときなのにも関わらず、のんきに欠伸をかましていた。こいつがどうして俺たちと一緒に来たのかは分からないし、参波さんがどうして託哉の同行を許可したのかも不明だ。きっと参波さんには、彼なりの考えがあるのだろうけれど、俺にはいまいち意図が掴めない。
犯人グループのアジトから、直線距離にしておよそ百メートルほど離れた位置に、俺たちは待機していた。
「封鎖班、観測班、救護班の連携完了を了解。以後、私の指示があるまで、そのまま待機」
参波さんは、大型のトランシーバーで部下と連絡を取っている。
トランシーバーは通信機同士で直接電波をやり取りするので、電話機と基地局との間で電波を送受信し合う携帯電話よりも、この場合は確実なのだろう。携帯電話は周辺一帯の周波数を少しいじるだけで使えなくなってしまう。よって、盗聴・妨害される可能性の低いトランシーバーは、今回のようなスポットミッションには最適と言える。
「おもしれーぐらい大掛かりだな。なんか男として、血が滾るっつーか、不謹慎な言い方をすればワクワクする感じだよな」
俺のとなりにいる託哉が、普段とまったく変わらないおどけた口調で言った。
「おまえな……」
「なんだよ夕貴。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいじゃん」
「……いや、なんでもない」
本当ならば文句の一つぐらい言いたかった。
菖蒲が誘拐されたってのに、どうしてそんなに余裕でいられるのか。俺なんて、この戦場を思わせるような独特の緊張感に苛まれて、胃の中のものを戻しそうだっていうのに。
託哉は「美少女に危ない真似をさせちゃ駄目だろ。つーわけで、俺が代わるわ」などとふざけたことを言って、ナベリウスの代理として、この救出作戦に参加した。
つまり助力を買って出てくれたというわけで、そういう観点から見れば、託哉は俺たちの味方という認識で間違いないが――
「なあ託哉。おまえ、格闘技の経験とかあったっけ?」
「いんや、自慢じゃないが喧嘩すらあまりしたことがない」
「…………」
「そんなオレに比べて、夕貴は空手やってたから腕に覚えはあるよなー。なんせ全国二位の腕前だもんな」
「俺のことはいいんだよ。それよりおまえ、喧嘩もしたことないなら、大人しく家に帰ったほうがいいんじゃないか? 無理言って連れてきてもらった俺が言うのも何だが、足手まといはごめんだぞ」
「うーん、まあ大丈夫じゃない? こう見えてもオレ、とっても恐ろしい殺人鬼って呼ばれたこともあるんだよーん」
「こんなときに冗談はいらねえよ……」
「あ、バレた?」
これっぽっちも気負っていない様子の託哉は、にしし、と人懐っこい笑みを浮かべて頭を搔いた。
この緊迫感漂う状況において、託哉の奔放さが疎ましいのは確かだが、それと同じぐらい、託哉の無邪気さが俺の緊張を紛らわせてくれているのも否定できない。
ほどよい緊張は悪いものではない。緊張という名の刺激は、人間の五感を研ぎ澄まし、鋭敏にさせる。それは緩んだ筋肉を引き締め、警戒心を増幅し、次の一手を素早く打つためのキーとなる。
転じて、過ぎた緊張は人間の体を縛る鎖となってしまう。これまで何度か大舞台に立ったことがある俺は、それを経験から理解していた。
そうした意味では、託哉がこの場にいることは決して無駄じゃなかった。こいつがとなりにいるだけで、俺はプレッシャーに呑まれることなく、軽口を叩く余裕を失くさずにいる。もしかしたら参波さんも、それを計算に入れていたのかもしれない。
「夕貴くん、玖凪の。事態に大きな変化がありました」
トランシーバーを通じて部下から情報を得たのか、参波さんが言った。すかさず託哉が返す。
「仕事って、どういうことだい? 参波さんよ」
「観測班より『城から人間一人が外出するのを確認した』と緊急連絡が入りました。外見の特徴から照合した結果、対象を王子の一人と確認。姫を連れていないところを見ると、恐らくは長丁場になると判断して、食料調達にでも出たのでしょう。どうやら私たちに補足されていることを知らないようです」
ちなみに”城”は犯人グループのアジトを指し、”王子”は犯人グループそのものを指し、”姫”は俺たちが救出するべき対象である高臥菖蒲を指す。
「舐められたものです。暴力団と繋がりがあるとは言っても、彼らは裏社会のことを知らなさすぎる。私たちの情報収集能力を侮ってもらっては困りますね」
「おいおい、参波の。あんたらに気にする体裁なんてあったのかい?」
「それはもう。なにせ、裏では力が全てでしょう?」
参波さんはスーツのネクタイを緩めながら、口端を歪めた。彼はこんなときでもスーツを華麗に着こなしている。オールバックの髪型と、右目のあたりに入った大きな切り傷が、この闇に呑まれた漁港と嫌に合っていたけれど、それも銀縁の眼鏡が生み出すインテリな雰囲気が、なんとか参波さんを堅気のように見せている。
「……参波さん。つまり、これはチャンスってことか?」
俺が躊躇いがちに問うと、彼は頷いた。
「察しがいいですね。夕貴くんの言うとおり、これはチャンスです。まずは危機感の足りない”王子”から、お話を伺うとしましょうか」
要するに、食料調達に出たと思しき男から、犯人グループの内情や、アジトの内部構造、そして菖蒲の様子を尋問しようということ。
それにしても、一つのミスが勝敗を決しかねないこの状況下において、単独で外出するとは迂闊すぎるにもほどがある。あの男たちには危機感がないのか、もしくは自分たちの位置が特定されているとは想像していないのか。まあ両方だろうな。
晴れ渡った夜空の下、月明かりに照らされた漁港の中を俺たちは移動する。今ばかりは月光も疎ましく思えたが、僅かに残った宵闇に身を隠すようにして、俺たちは気配を殺しながら、間抜けな王子様に接触するのだった。
結論から言うと、俺たちは目下の目的を成し遂げた。
つまり犯人グループの一人を補足し、襲撃し、拘束したというわけである。それを成し遂げたのは、参波さんだった。俺たちが行動しようとするよりも早く、すべては終わっていた。
いかなる歩法か、足音どころか震動すら立てずに王子の背後まで忍び寄った参波さんは、躊躇うことなく相手の喉に一撃を見舞った。無力化された王子は、うめき声を発することも出来ず、その場に転倒し、意識を喪失。
俺たちが拘束した男は、かつて菖蒲をナンパした三人組の一人だった。筋肉と脂肪が半々ぐらいの肥満体型の男。顔の表面にはニキビ跡やほくろが目立つ。あのとき、紙コップのジュースを持っていた男だ。
少しはダイエットをしたほうがいいんじゃないか、と文句を超えて説教してやりたくなる重い体を引きずり、俺たちは物影まで移動。
身動きできないように拘束されて寝転ぶ男に、参波さんがバケツ一杯の水(さっき参波さんの部下が持ってきた)を勢いよく顔面にぶっかけると、水分が気管に入ったような反応と共に、男が目を覚ました。
両手両足を縛られている肥満体型の彼は、どうやら状況を飲み込めていないようで、呆然とした顔で虚空を見つめていた。
それは間抜けと笑うに相応しい姿だったが、菖蒲に危害を加えたこいつらを前にして浮かべる笑顔など、あいにく俺は持ち合わせていない。
「私の声が聞こえますか」
参波さんが声をかけるも、男は反応を示さない。しかし男は、参波さんを見て、託哉を見て、そして俺を認めた瞬間、ようやく事態を理解したようで、一気に冷や汗をかき始めた。
「お、お前っ! あのときの!」
「騒がないでください。また、私の許可なく声を発することを禁じます」
「まさか菖蒲ちゃんを取り戻しに来たのか!? い、言っとくけど、菖蒲ちゃんはお前なんかのものじゃなくて、俺のものなん……」
「騒ぐな、と言いました」
ゾッとするほど冷たい声。
同時に、ポキッ、と小気味よい音がした。
男の背後に回った参波さんが、指を折ったのだ。
その耐え難い激痛により、男は『騒ぐな』という命令を無視して絶叫したのだが、参波さんが男の口元を布で抑えて声を封じたので、くぐもった呻き声しか漏れなかった。
「見かけによらず荒っぽいねえ、参波の」
「荒っぽいっていうか、これは……」
託哉は感心したような声色だったが、俺はそうもいかなかった。
人間の指を折る。そんな荒い芸当は、まず間違いなく俺にはできない。参波さんは、手馴れた様子だった。【高臥】の家令であり、家人のボディーガードも務めているという参波さんは、卓越した戦闘技術と、人を壊す覚悟を、当たり前のように備えていた。
「本来ならば爪を剥いでもよかったのですがね。専門的な器具がなければ、効率よく痛みを与えることができませんから、今は『骨』で代替させていただきます」
瞳に涙を浮かべて悶える男を見下ろし、参波さんは告げる。
「もう一度だけ忠告しておきましょう。私の許可なく、声を発するな。死ぬぞ」
その宣告には、もはや暗示にも似た強制力が内包されていた。男は壊れたおもちゃのように、何度も首を縦に振る。こいつも暴力団と繋がりができる程度にはアウトローを気取っていたのだ。弱肉強食という摂理を、いちおう理解しているのだろう。
「私の指示に従えば、命までは取らないと約束しましょう。ただし、私の指示に背けば、その違反した分に見合っただけのペナルティを科します。よろしいですか?」
ブリザードに直面したように体を震わせながら、男が頷く。
「ご理解いただけて結構です。ではお聞きしますが、あなたは坂倉健太さんで間違いありませんか?」
高臥家の組織力か、あるいは参波さん独自の情報網により、男たちの身元は割れている。これは、その確認だろう。男は戦々恐々としながら頷いた。
「……は、はい」
「ふむ、それでは次にお聞きしますが――」
そうして参波さんは、次々と男から情報を聞き出していく。
暴力を背景にしているとはいえ、淀みなく尋問を進めていく参波さんは、明らかに馴れた様子だった。相手を脅すだけではなく、時には慰めるような優しさを見せ、恐怖という殻に閉じこもっていた男の心を開いていく。
犯人グループ内の情報を漏らすことには若干の躊躇を見せたものの、それも長くない沈黙だった。参波さんを前にして、坂倉健太は閉ざす口を持たない。
彼らの計画は、アウトローが考えたにしてはよく練られていたが、【高臥】という家系を敵に回すとなれば話は別だ。
男たちの計画は、せいぜい『一般人に警察が味方したぐらいの戦力』が相手ならば、まあ運がよければ成功するんじゃないか、という程度のものでしかない。……と、酷評はしたが、警察を相手取れるかもしれないレベルの計画を立てているあたり、こいつらのリーダーは油断ならない男なのかもしれない。
犯人グループのアジトは、音楽スタジオ、居住スペース、キッチンスペース、シャワールーム、トイレと少なくない空間があるらしい。
まだ俺たちに包囲されていることも知らない彼らは、思い思いに寛いだり、交代で睡眠を取ったりしているようだ。誘拐を実行したときは極度の緊張に包まれていたらしいが、時間が経っても追っ手が来ないことに気付き(まあ気付かせていないだけだが)、今は金の使い道について談笑する余裕さえあるという。
菖蒲は居住スペースに監禁されているが、見張り役は一人だけ。表と裏の入り口には鍵をかけているものの、特にバリケードを築くこともしていない。他にも男たちの持つ武器、道具などを事細かに聞き出し、城のレイアウトも聴取した。
「……おまえら、よくそれで誘拐なんかしたな」
無謀としか言いようのない計画に呆れて、俺はかぶりを振った。まあアウトローとしては失敗なしの人生だったらしいので、こいつらは不良行為に躊躇いはないし、成功するとしか考えていない。
自信とは厄介なものだ。過剰な自信は、分析能力の欠如に繋がり、情報の正確性を見失い、誤った意思決定と戦略に信頼を寄せてしまい、結果として高いリスク負担をしてしまう。こういった輩の行動は、大体がリスク・リワード・レシオに基づいていない。
俺の発言が気に食わなかったのか、坂倉健太は参波さんに向ける目とはまた違った、どす黒く濁ったような目で俺を見た。
「……うるさい。お前なんかに、菖蒲ちゃんを渡すもんか」
「え?」
「うるさいって言ったんだ! どうせお前、菖蒲ちゃんとヤリまくってんだろ!? いいよなぁイケメンは! 菖蒲ちゃんだって、しょせんは顔のいい男にしか興味はないんだ! 菖蒲ちゃん、普段は清楚に振舞ってるけど、夜になると男に喜んで股を開くような淫乱に違いないんだ!」
参波さんは何も言わなかった。それよりも早く、俺が坂倉健太の胸倉を掴み上げていたから。
「てめえ……菖蒲の悪口言ってんじゃねえよ」
殴るどころか、殺してやりたい気分だった。でも無力化されている男に暴力を振るうほど、俺は喧嘩が好きじゃない。
「一つだけ聞くぞ。おまえら、菖蒲には何もしてねえだろうな」
自分でも驚くほど底冷えした声。ひっ、と息を呑んだ坂倉健太は、俺から視線を逸らした。まるで何かを隠そうとするかのように。
「……な、何もしてない、けど」
「正直に言えよ。人間の嘘なんて分かりやすいもんだ」
「……お」
そして彼は、小さな、小さな声で呟いた。
「……お、犯そうと、した」
このとき、こいつをぶん殴らなかった俺は、自分で言うのもなんだが、よく耐えたと思う。
「ち、違うんだ! 確かに菖蒲ちゃんに、その……しようとしたけど、結局は何もしなかったから、俺は悪くない!」
「じゃあ……菖蒲は無事ってことか?」
「無事だよ! 無事だから、もう放してくれ!」
言われて、俺は坂倉健太を解放した。菖蒲に乱暴しようとしたこいつは許せないけど、菖蒲が無事だってことが分かっただけで、俺はもう何でもいいような気がしたんだ。
作戦に必要な情報は、もう全て得た。
なおも言い訳を繰り返す坂倉健太を参波さんの部下に引き渡し、俺たちは本格的な救出作戦を展開するためにブリーフィングを開始。
元々、参波さん一人で犯人グループは制圧できる目算だったので、俺と託哉は過ぎた戦力というか、むしろ邪魔者になってしまう可能性のほうが大きい。
遠まわしに、参波さんは俺に『夕貴くんの手を煩わせるまでもなく、私が単独でお嬢様を連れ戻してきますよ』というようなことを言ってくれた。それは俺を足手まといと見なしての言葉ではなく、純粋に俺の身を案じてくれた上での発言。
それでも、俺は頭を下げて、参波さんに懇願した。菖蒲を助けるって約束したから。あいつの言う未来を信じてやるって誓ったから。俺は行かなきゃならない。
一時間ほど前、車の中で菖蒲と電話したとき『萩原夕貴が死ぬ』という未来を視たと、彼女は言っていた。一生のお願いだから来ないでください、と。
でも逆に言えば、これはチャンスだと思うのだ。今回の『犯人グループ制圧および高臥菖蒲の救出作戦』を無事に成し遂げることができたならば、それはすなわち、菖蒲の視た未来が変わった、ということになる。
俺が生きて、あいつを助け出すことができればいい。あいつの見ている前で、あいつの視た未来が変わったということを、俺の生存という事実によって、示すことができればいい。それは最高の結末だと、俺は愚考するのだ。
救出作戦の概要は、至極単純なものだった。
表口と裏口から同時に城へ侵入。俺たちの包囲にすら気付いていない王子は、突然の襲撃に混乱すると予想されるが、そのパニックに乗じて犯人グループの制圧に乗り出す。時を同じくして、姫の身柄を確保する。
以上が、大まかな作戦内容。
優先順位としては、何を置いても姫の救出が先にくる。菖蒲さえ助けてしまえば、あとは何とでもなるし、どうにでもなる。
城の内部は明かりもつけず、ランプのみを光源としているらしく、月光に照らされた漁港よりも室内は薄暗いと思われるが、それを事前に理解していれば、あらかじめ目を闇に慣らしておくことで対処できる。
ここで問題は、突入メンバーの編成だ。
菖蒲が監禁されている居住スペースは、裏口から入ってすぐの位置にあると坂倉健太が証言した。それを踏まえた参波さんは、託哉が表口から、俺と参波さんが裏口から、という異色の構成を告げた。
いや、このメンバーなら、どのような編成になっても異色なのは違いないのだが、それでも喧嘩すらしたことがないと自白する託哉を一人にさせるのは、いささか無理がありすぎるような気がする。
参波さんの戦闘技能は、間違いなく俺よりも遥かに上だ。それは、さきほど坂倉健太を捕える際の一連の動きを見ていれば分かる。
また、自分で言うのも自惚れであるような気がして憚られるのだが、俺は喧嘩は好きじゃないけれど、対人戦闘ならば自信がある。相手が悪魔とかなら苦戦どころじゃ済まないが、タバコや酒を嗜む不健康なアウトロー程度だったら、例えナイフを持たれたって何とか対処してみせる。
でも託哉は、どうなんだ?
作戦は長くても二分かからない、と参波さんは予想している。つまり速攻で奇襲をかけて、一瞬で犯人グループを無力化するだけの格闘能力が要求される。
かくいう俺も、参波さんに言わせれば『ギリギリでつれていけるレベル』だという。むしろ俺が菖蒲と懇意という事実がなければ、参波さんも無理をして同行を許可したりはしなかっただろう。
それでも、参波さんは迷わず言うのだ。表口は、玖凪託哉に任せますと。まるで託哉を一つの戦力として認めているかのように。分からない。一体どういうことなのか。
「託哉、おまえ……大丈夫なのか?」
「もちろんさ。オレが死ぬわけないだろ? むしろ夕貴ちゃんは、オレが犯人たちを殺さないように心配しとけよ」
もう作戦開始十分前だ。
そろそろ託哉が表口のほうに周り、俺と参波さんが裏口のほうに周らなければいけないため、これが託哉を説得できる最後のチャンスだった。
相変わらず微塵も緊張していないような託哉に、俺は言う。
「……おまえは女好きで、アホで、バカで、玖凪とか変な名前してて、いつも俺のことを夕貴ちゃんって言って、挙句の果てには俺の母さんを口説こうとするぐらいどうしようもないやつだけど」
「オブラートに包まれていない事実が耳に痛いっ!」
「だけど、おまえは俺の親友なんだよ」
「…………」
普段は人懐っこい笑顔を浮かべている託哉が、無感情に目を細めた。
「菖蒲を助けることができても、犯人グループを制圧することができても、おまえが死んじまったら意味がないんだ。だから」
「大丈夫。オレは死なねえよ」
そう笑って、託哉は身を翻した。
「まあ、夕貴は菖蒲ちゃんを助けることだけに集中しとけばいい。オレはそれまで時間を稼ぐぐらいのことはしてやるよ」
明るめに脱色した髪を風に遊ばせながら、託哉は漁港の闇に消えていった。
俺は参波さんに促され、指示されていた位置に着く。
城は防音機能に特化した建築方式だ。遮音性能はその材料の重さや厚さに比例する。事実、城の壁は容易には突き破れない。それに比べて、表口と裏口のドアはアルミ製で、壁に比べるとそれほど厚くはないし、重くもない。常人ならば突き破るのも難しい扉だが、参波さんにとっては障害にもならない。
参波さんは最後の定期連絡を、トランシーバーを通じて行っていた。
「封鎖班、観測班、救護班の連携完了を了解。突撃班のバックアップは不要です。今回の作戦には、《玖凪一門》の助力が確認されています。よって、制圧自体は容易でしょう。むしろ救護班は、犯人グループの人間を死なせないようにしてください」
……なにか、見逃してはいけない違和感があったが、俺はそれを『作戦開始前の緊張』ということで片付けた。
作戦開始スタート位置についた俺は、まだ春先なのにも関わらず、全身を伝う嫌な汗を不快に思いながらも、デジタル時計を眺めていた。
もう俺と参波さんの間に会話はない。必要な情報や注意点はすべて叩き込まれた。だから、あとは各自で作戦開始を待ちながら、コンセントレーションに集中するだけ。
デジタル時計が午後九時を指す。重圧が加速する。ここに菖蒲の救出、および、犯人グループの制圧という、一つの作戦が開始した。