人目につかない路地裏に入り込んで、僕はあたりを見回す。
「いいみたい」
「……りょーかい。戻れ」
彼女が一言唱えると、とたんに彼女の体は純白の光に包まれる。数秒間の後、そこに立っていたのは別人だった。
胸を申し訳なさげに覆うだけの、おなかを大きく露出させる紫色の服。魔法使いのローブにも似ていて、その証拠として手には大きな白い杖を持っている。全体的に華やかな格好で踊り子のように色気に溢れているけど、いやらしはくない。それどころか、大きなウェーブのかかった明るいブロンドの髪の毛は、なんとなく清楚さを感じさせた。
僕は彼女の名前を知っていた。ナミール・ハムサンド。僕のパートナーだ。
なぜ彼女が僕のパートナーなのかというと、話は半日ほど遡る。
「ひのふのみの、確かに」
宿屋のロビー。マルデさんが一枚一枚丁寧に数えてから、にっこりと微笑んだ。
「期待以上ねー。今日中に返してくれるなんて」
資格迷宮からようやくメダルを持ち帰った僕は、マルデさんの宿に戻ってきていた。迷宮にあった財宝のおかげで、都市滞在中の宿泊料ぐらいはまかなえるようになった。
「ところで、パートナーは見つかった?」
痛いところを突いてきたマルデさんの言葉に、僕は首を振る。横に。
「それは残念」
「大丈夫だぽん? もう締め切りが近いぽん」
と、マルデさんが脇に抱える狸が言った。名前はトコトン。マルデさんの夫なんだそうだ。つくづく都会は広い。とりあえずそう納得していた。さまざまな事柄について、理解の及ばぬ場合は理解を放棄する。そうでなければ頭が沸騰して死んでしまうと冗談抜きで考えていた。この都市は不可解な出来事が多すぎる。
さてそれはともかく。
「はは……」
僕は苦笑いを浮かべる。パートナーは、いまだ見つかっていないのだ。
「あたしは人妻だからパートナーになれないしねー。困ったわねー」
と、マルデさんは歌うように言った。他人事だからかあんまり困ってる風には見えないが、確かに僕は困っていた。あれから数人の女性に声をかけてみたけれど、やはり無理だった。数万Gを要求されるか、にべもなく断られるかのどちらかだ。そんな大金、僕が数日で稼げるわけがない。どだい負ければ重大なペナルティの課せられるパートナー、しかも僕のような子供のパートナーに無料でなりたがる人などいるわけがないのだ。
「まずいよなあ」
シュリさんに聞いたところ、もう出場枠はほとんど埋まっているらしい。いくら資格を持っていても、パートナーがいないと出場できない。リミットは刻一刻と迫っている。
「とりあえず、これから探してきます」
「じゃあ剣はかえすぽん」
僕はうなずくと机の上の剣を取り、目の前にかざす。照明の光を反射して、刀身が美しくきらめいた。念入りな装飾の施されたその剣を握ると、なんとなく勇気が沸いてくる。
「……ん?」
と、その刀身に見慣れぬものが写っていた。僕の背後に、階段を下りてくる女の子。宿泊客だろうか。大きな白い杖を右手にして、ゆるやかな足取りでこちらに近づいている。僕は振り返る。長い髪の綺麗な女の子が、そこにいた。
「あら、ナミールさん」
「……む」
ナミールと呼ばれた女の子は、マルデさんの声に反応せずじっとこちらを見つめている。その間もつかつかとこちらに近づいてくる。近づいてくる。というか迫ってくる。
思わず後ずさる僕だが、後ろは机だ。
「……むむ」
女の子は僕のすぐそばにまで近寄ってきた。そして見つめる。僕ではなく、僕の剣を。
「じいーーーーーー」
なぜかそんな声を出しつつ、女の子は剣に息が吹きかかりそうなほどに近寄り、目を凝らして剣をじっと見つめていた。美しい刀身に反射する女の子は、とても整った顔立ちをしていた。なんだかどきどきしてくる。
と、女の子が無表情のままつぶやいた。
「……やっぱり……みつけた……」
いきなり顔を上げ、僕と視線を合わせる。
「こっちこい」
僕の襟首をぐいと掴み、ずるずると引っ張る。
向かう先は階段のようだ。
「ちょ、なに?」
「ぽやぽや……説明はあと、なのです」
ずるずるずる。女の子はどんどん進んでいく。
というか僕、拉致られてる? えー!?
「いやよいやよも好きのうち……ですよ?」
「わけがわからないからっ」
「おたっしゃでー」
「マルデさん!? たすけてー!」
僕の悲鳴をものともせず、片手で僕を引っ張っていく女の子。乱暴に抵抗するわけにもいかず、僕は女の子に引きずられていく。そうこうしているうちに、女の子は最初の扉の前で立ち止まった。そしてノックもせずに扉を開ける。
「はいるがよい」
言葉と同時に背中を押され、僕はドアの中に叩き込まれた。
「へ!?」
中には、女の子がいた。二人目。僕をこの部屋まで引っ張ってきた女の子とまったく同じ格好。衣服も髪型も顔もまったく同じ、踊り子のいでたちをしたかわいい女の子。
その女の子は、ベッドにあおむけに決まり悪そうに倒れこんでいた。が、僕と背後の女の子の姿を見て取るとすぐに跳ね起きる。びっくりした顔で、その子は言った。
「お姉ちゃん?」
「……ぱんぱかぱーん」
気の抜けたファンファーレが背後から聞こえる。
「妹の失敗を華麗に取り返すため、剣を探して三十七秒と二分の一。ついに剣二号はっけん」
そう言うと、女の子は袖に隠れていた手を腰にやり、得意げに胸を張った。胸が紫の覆いごと突き出された。かなり大きいなあ。ってそんなことどうでもいいんだ。
「ど、どーゆーこと?」
正直言って、展開にまったくついていけない。
「正直言って展開についていけないという顔をしている少年よ」
「わかるの!?」
「わかるよ? なので……」
僕を連れてきた方の女の子が両手をぱっと広げた。
「説明しよーう」
「いや、なにがなんだか」
「ぽやぽや……いいから黙って聞くのですチェリーボーイ」
「んなっ」
いきなりの信じがたい毒舌に絶句する僕。
「ふふふ」
それを目にして得意げに笑うと、女の子は棒読みで説明を始めた。
彼女たちの名前はナミール・ハムサンドと、ルミーナ・ハムサンド。杖を持った方がナミールで、寝転んでた方がルミーナ。ルミーナは僕と同じ闘神大会の出場者。既に予選は通過済みらしい。
ルミーナは凄腕の二刀流の剣士で、それでもって大会で勝ち進むつもりだったんだけど――切り札である一双の剣のうち一本が盗まれてしまったのだそうだ。
「道端に置き忘れたところを置き引き」
「ぽっぷこーんを持ちきれるだけくれるって……剣が邪魔で……」
ばつが悪そうに呟くルミーナ。
泥棒を探してみたけど見つからない。お金は豊富に持っているので、代わりの剣を探してもみたけれど、元の剣ほど付与スロットの付いた強力な物は闘神都市にすら売っていなかった。
ルミーナは剣に特定の素材を付与しなければ、真価を発揮できないのだそうだ。そこで目をつけたのが僕の剣。魔法使いとしてのナミールの目で見たところ、僕の剣は付与素材として最高なのだという。
「ふーん……」
ところどころであいまいな部分はあったものの、事情は理解できた。でもだからといって――
「だからその剣。ゆずってもらいます」
「えーと」
どう断ろうかなと迷っている僕に対し、ナミールは更に話を進めていく。
「もちろんただとは言いません。ただより高いものはなし。聞くところによるとあなたはパートナーに不足しているもよう」
「はあ」
どこで聞いたの――ってロビーでマルデさんと話してたもんな。
「貸すのです」
「は」
「わたしを、パートナーとして」
「へ」
「ただし剣と引き換えです」
いきなりとんでもないことを言い出した。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん!?」
「妹。今は大事な話をしてます」
「でも! 二人分もゴールド持ってきてないし!」
「ふふふのふ。その点はぬかりなし。こんなこともあろうかと、なのです」
ちょいちょい。と、ナミールは妹を手招いて、部屋の角を指差した。
「こっち」
ナミールは自身、部屋の角に近寄ると妹をこいこいと手招く。不思議そうな顔をしながらも、ルミーナはそれに従う。ナミールが僕に振り返って言った。
「今から内緒話をするので、聞かないようにするのです」
「は?」
「聞くと呪いが降りかかります。ぼうけんのしょが消えますよ。三番ぜんぶ」
「う、うん」
なにがなんだかわからないが、とにかく頷く。
二人は僕に背を向けて身をかがめ、薄暗い部屋の角で密談をはじめた。悪巧みでもしているかのようだ。というか実際している。
「……ごしょごしょ……だから……で……」
「うん?」
「……最後に……もしも…………すれば…………信用も……」
「ええっ!?」
妹の方が不安げにこちらをちらちらと覗き見る。なんだろう?
「どうしました?」
「できないよそんなの……いくらなんでも……」
ちらちらとこちらを見ながら、ルミーナは小さな声で抗議をする。話が断片的に聞こえてくるんだけど、まずいんじゃないか。それともわざと聞かせてるんだろうか? 何のために?
とうい僕の思いをよそに、ナミールは話を進めていった。
「妹よ。いくらあなたの脳みそが胸なみに小さいとはいえ手段を選んでいる場合ではないことは理解していると思っていましたが」
ナミールがいきなり流暢にひどいことを言い出す。
妹さん――ルミーナは、別に胸は小さくないと思うんだけど。
「で、でもさすがに外道すぎ……」
なおも食い下がる妹に対し、ナミールはやれやれと手を返して呆れのポーズを取った。
「そうですか。ルミーナは二年油でギトギトに煮込みきったくどくどカツにおはようのコーヒーを口移しで飲ませたいのですね」
「え゛」
「そうですか。ルミーナは悪臭ふりまく腐りきったカツとたらこのアンサンブルに唇を捧げ吸い寄せられさながらカービィのごとく淫猥にまるごとインサートされたいのですね」
「うわああ! ごめんなさいごめんなさい!」
実姉が遠慮なくぐさぐさと突き立てた言葉の刃に耐え切れなかったのか、ルミーナはがくりと崩れ落ちた。
「……ぶい」
「ボクが何をしたって言うのさ……」
「食にかまけて剣を盗まれやがりました」
「うあっ!」
追い討ちをかけるナミール。ナミールは妹にあわせてしゃがみこむと、口調を変えずに言った。
「ほむ。このとおり。あなたもわたしもこの人も、かぞえきれない理不尽に晒されて生きています。ならば理不尽を覆して生きましょう。それが世界の選択です。決定事項なのです」
「……お姉ちゃん……」
うるうると瞳に涙を溜めて姉を見上げるルミーナ。ナミールは妹と目線を合わせ、わずかに微笑むと、ゆっくりと頭をなでた。ルミーナはなんとなく気持ちよさそうだ。
なんだか感動的な光景だけど、にもかかわらず僕が背筋に冷や汗が伝うのを感じるのは、いったいどういうわけだろう。
「ふう……」
ナミールが立ち上がる。
「さあ交渉は成立しました。剣をいただくのです」
「いやいや」
成立もなにも僕はなにも返事をしていない。パートナーとして立候補してくれるのはもちろんありがたい。でもレメディアの剣をもう一度手放すのはとても抵抗がある。はっきり言って、不安だ。
「これは大切な人からもらったんだ」
ただ思い出の品というだけではない。この剣はいわば、僕の心の拠り所なのだ。
――父さんもレメディアも超えて、誰にも負けない戦士になるために。無力だった僕と羽純を守ってくれた二人を、逆に守れるようになるために。
果てしなく困難だろう。僕が一生かかっても、二人の足元にも及ばないかもしれない。むしろ及ばない可能性のほうが高い。でもこの剣を持っていると、それがなんとなく不可能ではないように思えるのだ。僕は父さんの息子でレメディアに認められた剣士だという自信が沸いてくるのだ。
そのことをかいつまんで説明してみたけども、ナミールはゆっくりと首を横に振った。
「猫に小判的な意味で、あなたと妹ではまだ妹の方が剣が達者に見えます。価値あるものはあるべき場所に。当然の摂理です」
「で、でもさ」
「てごわいですね……ぽやぽや……」
食い下がる僕に対し、ナミールは頬に手をあて考え込む仕草を見せる。そして言った。
「うん。このように考えるのです。まずは剣に頼らず剣に負けない戦士に、剣に恥ずかしくない戦士になるのが先と。もちろんそのためなら私たちは協力を惜しまないのです」
ナミールは畳み掛けるように言うと、妹の肩をひっつかみぐいと前に押し出した。
「特にこの妹が協力します」
「へ」
「剣技はこの妹が教えられますので」
「へえっ?」
聞いてないよ、と言い出しそうなルミーナに対し、ナミールは言葉を繰り返す。
「教えられますので」
はかない印象を受けるぽやぽやな声なのに、やけに強制力を感じる。
「わ、わかったよ」
答えたのは僕ではなくルミーナだ。この姉妹の力関係はとてもわかりやすい。ナミールは妹の返事に満足げに頷くと、僕に振り向いて言葉を続けた。
「大会が終われば剣は返しますし、代わりは買ってあげます。悪いようにはしないのです」
「……」
その言葉にうそは無い、とは感じる。だけど――
「ぽやぽや……。あなたは、わたしたち姉妹を信じるべきです。……大会が終わったころには、きっとあなたはたくましく成長している筈なのです。……いろいろな意味で、です」
――結局僕は彼女の条件を飲んだ。パートナーと剣術の教師、二人と引き換えに剣を貸す。パートナーが必要だったのはもちろんだけど。ぽやんぽやんな口調ではあっても、ナミールの言うことはもっともだと思った。
資格迷宮では何人もの出場者とすれ違った。一番モンスターに苦戦していたのは僕だった。強くならなければならない、剣の力だけに頼るのではなく、あらゆる意味で強くならねばならない。
そうでなければ父さんやレメディアに追いつくなど夢物語なのだろう。
僕の気を知ってか知らずか、ルミーナ達は剣を手にはしゃいでいる。
「お姉ちゃんて、口先の魔術師だったんだねえ」
「しっけーです」
なんとなく丸め込まれたような気はしたけど……。
納得はした。僕自身が強くなるためだ。剣に負けないように。
魔法で変装したナミールを連れ登録を済ませてから、僕達は宿屋に戻った。そして三人で部屋に集まり魔法ビジョンを囲む。マルデさんが作ってくれた美味しい料理を夜食にしながら、番組を見ることにしたのだ。どうも闘神ダイジェストという番組が、この大会の目玉の一つでもあるらしい。
「はむはむ、もぐもぐ」
でも画面を見ずひたすらに食べ続けてる女の子が一人。ベッドの上に座り込んで、何枚もの皿をそのへんに置いて料理をほお張っている。ルミーナだ。
「……太らないのかな」
「食に関して、あれを人類と見るべきでない……のです」
「お姉ちゃんこれおいしいよー?」
骨付き肉をナミールに差し出すルミーナ。その間も豆のスープを飲み続けている。すごい食欲だ。
『ぱうぱう、闘神ダイジェストのお時間でーす』
と、そうこうしているうちに、番組が始まったようだ。
『この番組は司会のクリちゃんと、助手の切り裂き君でお送りしまーす』
『助手じゃねえ解説だ!』
『でも「切り裂き君はつっこみばかりであんまり解説してない」って聞いたよ?』
『誰から』
『酒場のポポリテさん』
『ほおう』
『今大会犠牲者一号さんなーむーなの。さて! 今日は開会式とトーナメント表の発表がありました。今大会の開会式は、闘神様四人による開会宣言。でも闘神様ってボルト様以外はあんまりトーク慣れしてなくてつまんないんで、ぶっちゃけボルト様以外のときはクリちゃん寝てました』
『うおい! いきなり何ほざいてんだこのアマ!』
『うー、正直に言っただけだもん』
『……また局長のクビが飛ぶんじゃねーだろーな……』
『開会宣言のあとは選手宣誓! 今年は予選トップ通過だったアルス選手が宣誓しました。正義と名誉と誇りを持ち、パートナーのためせーせーどーどーとスポーツマンシップにのっとって戦うそうです』
『正統派だな。このアルスって奴は有名な魔法戦士で、実力的には優勝候補の一角なんだが……闘神大会で正義にスポーツマンシップ、ねえ』
『ぱうぱう、死亡フラグ満載の宣言でした』
『……言ってやるなよ……』
『それでは続いてトーナメント表のはっぴょー!』
『予選通過者三十名とシード一人。熱い戦いになりそうだぜ』
『ぱうぱう。シュリさん情報によると、今回の出場選手はおおむね五つのタイプに分かれるそーです。戦士系、魔法系、ビーム系、変態系、ドラゴン系』
『なんだよビームと変態て』
『しかも変態系の中には、二段変身ができる人が三人もいるんだって。たのしみだねー』
『変態ってそっちのかよ!?』
『こうご期待! それではまたあした~』
『……真面目な大会になってくれよ、頼むから』
「三回戦」
ナミールが言った。姉の名前で登録してるけど、ルミーナの名前は僕のすぐ下にあった。もしも二人とも順調に勝ち進んだ場合、僕とルミーナは三戦目で当たることになる。
「意外と近くなっちゃったねぇ」
確かに近いけど、今の僕が初戦以降のことを気にしている余裕はない。名前は魔法一号。
魔法一号って明らかに人間の名前じゃない。ルミーナと同じように偽名なのかな。それともすごい魔法を使うモンスターなんだろうか……。
「まほー……このピンキーには荷が重そうな相手かも」
ちょ、それはないんじゃ。しかもその場合危ないのはパートナーのナミールの筈なんだけど。
「さ、先のことはわからないよ。ただ」
僕は気を引き締めて言った。
「……僕は誰にも負けない。そのためにここに来たんだ」
「む。ボクだって負けないよ」
「じゃあライバルだ」
「うん、そーだね!」
「このさわやか僕っ子どもが……なのです」
言葉とは裏腹に、ナミールは薄く微笑んでいた。感情は微笑みの奥底に沈んでいて見えないけれど、なんとなく満足げに見えた。それは僕の気のせいではないと信じたかった。たとえ経緯がどうであったとしても、彼女はいまや僕のパートナーなのだから。