はるか大昔、アマト(amat)という愛の神が信仰されていた。アマトは太陽神ソロの妹であり妻で、月を象徴する女神だった。月は満ち欠けをするので、アマトは誕生と死を司る神でもあった。
アマトは人々に死への愛を与えた。アマトの神殿では、巫女たちが聖なる力で死病を患った者を癒し、痛みを和らげた。女神官は老人のいる家を回り、死期が近いことに悩むものが居ればその話を聞き、死は不幸な終わりではなく、その先に喜びの再生が続く一つの過程点であると説法を解いた。
アマト信仰は、ターミナルケアのような役割を持っていた。アマトの力によって人々は来るべき死を受け入れ、苦痛を緩和し、生きてきた道筋をより豊かにすることができた。
アマトを信仰していたのは大河文化で栄えたツヌルメ人であった。ツヌルメ文明では大理石に神の絵と言葉を刻んだものを聖体として信仰し、アマトの神話を刻んだ石碑も多く作られた。大理石は丈夫なため、不変・不死・永遠の性質を持つと考えられた。
アマト神話には、糞の話がでてくる。生として口から入った食べ物は、糞として死を迎え、糞は植物の栄養となり新たな食べ物に蘇る。人糞には魂が宿るとされ、ツヌルメ文明は高度な下水整備が整い、排泄物は肥料として再利用されていた。
ツヌルメ人は、紀元前620年に大陸西方からマッシャ人がやってくるまでの約1200年間繁栄を築いていたが、アマト信仰はマッシャ文明後のスピクカ文明のさらに後にオロマ帝国があたり一帯を版図とする紀元前約250年頃まで続いていた。
オロマ帝国が領土内の多民族を中央集権で統治するために、各藩で信仰されていた宗教から一頭神への改宗を進めるようになったのが、紀元前229年の排像頂書令である。古い神々の信仰は容認されたが、役人になるためには一頭教への改宗が必要であった。紀元前250年に偶像を拝むことにかかる税制の拝像税が課せられ、実質的な一頭教以外の宗教への弾圧が始まると、下火になりかけていたアマト信仰はさらに細くなった。
それでも、聖人信仰という形に姿を変えた古い神々は、一頭教に取り込まれながら信仰を集めていた。アマトは聖乙女アマトー(ammato)に姿を変える。
信心深く清らかな乙女アマトーは、石を食べて糞を出し、糞からオリーブやオレンジの木が生えてきたという伝説が残っている。アマトーの糞で荒野は果実に溢れる林となり、アマトーの両親は豊かになるのだが、アマトーの秘密が漏れる事を恐れた父親によって殺されてしまう。アマトーの父親は娘の四肢をバラバラにし、頭を家の北側に、体を東側に、脚を南側に、手を西側に埋めた。すると北からはとう胡麻、東からは馬なつめ、南からはせんだんの木、西からは象牙の木が生え、使い切れないほどの財を成したという。これらはすべてミイラを作る材料ともなり、アマトが死者とその再生を司った女神であった名残である。
皇帝イオムノアヌスが神聖の時代を宣言し、これより前を紀元前、以降を紀元後と定めてから600年後、オロマ帝国は帝国から分離したオレンツ王国と覇権を巡ってだらだらと続くいさかいに頭を悩ませていた。オレンツ王国の王家はオロマ帝国で14代続いた直系の皇帝家であるハルジョン家で、法王と皇帝どちらが国のトップかモメに揉めた末の分離であった。
イオムノアヌスの時代、皇帝と法王は同じ意味であり、帝国のトップが一頭教のトップも兼ねていた。皇帝は、神の代行者故に皇帝であり、地上に神がいて人々を治めるのだから神聖の時代なのである。
紀元560年ごろから東方貿易が拡大すると、教会はそれまで軍事遠征で使用されていた為替のシステムを貿易に拡大するようになった。帝国の端から端まで、教会はそのまま銀行として機能するようになり、神の家をもじって金の家と言われるほど財力を持つようになる。
肥大化した教会は強い発言力を持つようになり、権力者としての法王が皇帝から分離したのである。この争いにより、オロマ帝国は様々な国に分かれ、領土は最盛期の1/4以下にまで縮小した。
法王が支配するオロマ帝国から分かれたオレンツ王国は、国内で教会の力を削ぐため、聖書の改正を行った。
聖書は紀元前800年頃に原型が出来たといわれ、紀元1世紀に真書聖書が発行された。その後も解釈が変更になり、多彩な異伝・外典が作られた。聖書改正は、皇帝=神の代行者であった真書聖書のみが正典であり、ほかは全て偽書とされた。
これにより、聖人信仰に姿を変えた古き神々の多くも、正典には存在しない邪流のものとして、一転し悪魔に分類される事となった。
聖乙女アマトーは削除され、かわりに異教の神アマトが奈落に降りて死者の王デーアマトー(deamato)となった。
紀元783年発行された「悪魔典」では、デーアマトーは人糞や死体にたかり伝染病を運ぶ蝿の化身とされた。肥溜めの地獄を支配し、魔術師に召喚されるときは美女の姿をしている。死体を動かして奴隷を作る術を授け、望めば不老不死も与えてくれる。ただし魔術師がデーアマトーの機嫌を損ねると、便秘の呪いをかけ、呪われたものは口から溢れるほど体内に便が溜まり死に至る。
トトメリストスの秘儀では、人糞を金に変える術を知っている悪魔とされ、錬金術師に信仰された。
愛と女性の守護神であったアマトは、その性質から愛を以って信仰された。聖乙女アマトーになってからも、死者が財となって蘇り、残されたものを潤すとして、先祖供養と結びついて祭られていた。
アマトの愛は死と結びついていた。死を通した生への愛がアマトの力の源であった。アマトのもたらす奇跡は、死と生のサイクルを祝福していた。
デーアマトーに形を変えられたことにより、アマト信仰からは、死と生への愛が失われてしまった。
人糞は汚物とされ、命へと蘇るものから、不浄の象徴に変わった。これは、農村と都市の格差が進み、都市で排出された人糞が農村で肥料として使われなくなったことが原因である。さらに、人糞の処理として街の中で豚が飼われていたが、これが法律で禁止されたため、都市部では排泄物の再生が一切出来なくなった。
下水の概念がなかったオレンツ王国では、排泄物は全て雨水の排水溝に流された。大雨が降れば排水溝は溢れ、街の中に無数の汚物が浮かんだ。汚物は伝染病をもたらし、毎年のように多くの人が亡くなった。
こうした悪循環を惹き起こすのがデーアマトーであるとされた。デーアマトーは汚穢と死を撒く魔王として恐れられた。
人々は戸口に魔除けを飾り、デーアマトーが家に害を成さないようにした。しかし、しばしば聖なる守りは魔王によって破られた。人糞というモノそのものがデーアマトーの偶像となり、人々の排泄物を通して、家の中から結界を侵したからである。
偶像には、それ自体に宿る力はない。あくまでモノでしかない偶像を人が拝むことをいましめた一頭神は、教えの中で神の偶像を禁止した。偶像は人に神を思い出させるものである。人々が偶像を通して神を認めることにより、神の力を繋ぐものである。人糞という偶像により、デーアマトーは広く知られるようになった。
街の中で豚を飼うことが出来なくなった養豚家は、郊外に牧場を持った。しかし、郊外から都市までの移動によって、肉の鮮度は落ちてしまう。そのため必要となったのが香辛料である。
香辛料は防腐に使用されたが、大陸の反対側でしか産出しないため、大変に貴重なものだった。香辛料を求め商人たちは海を渡るようになる。人の流れが世界上を巡るようになると、まだ広く知られていなかった世界の富が、情報として共有されることになった。
富を持った弱いものが居ると知れば、それを奪おうとするものが出る。
盛んに領土の拡大が競われ、植民地を持つことが流行になった。
近世になると、オロマ帝国は崩壊し、ストレリア、ネーデン、ボーアなどの国々に分かれた。オレンツ王国も皇帝の血筋と共に消滅し、国の荒廃と隆盛が繰り返された。遠く海の向こうの大陸では、独立を巡って植民地と列強が戦争を続けていた。
国々の優勝劣敗は血肉の戦いであり、宗教の戦いでもあった。この頃植民地政策を取っていたストレリア、トールガル、オレンス、シリアは、征服先に教会を立て、原住民を改宗させていった。
一頭教と共に、デーアマトーの信仰も影響範囲を広げていく。
紀元1800年代の後半になると、下水の発達により汚物は生活を脅かす恐ろしいものから、人目につかず廃棄されるものへと変わっていった。デーアマトーもまた、人々から忘れられていった。
あらゆる分野の学問が飛躍的に発展する中、自然科学では、人は神によって作られたのではなく、動物から進化したという進化論が発表され、人々の心のよりどころに大きな衝撃を与えた。
歴史学でも、地上の神皇帝イオムノアヌスの人としての姿を論じたバスチアン・オイレの「主の起源」が発表され、歴史学宗教学のみならずあらゆる分野に影響を及ぼした。
一頭神は、ただ唯一であり全てである神である。多くの古い信仰が、完璧ではない神、どこか人と似た弱さや愛嬌を持った完璧ではない神々を持っていた。それに対し、ただ一つ完全な存在である神がいて、その神に作られたのだから人もまた完全な存在であるというのが一頭教の主柱であった。
それ故に、一頭神は決して間違ってはいけない神であった。完璧でなければならない神が間違いを犯すということは、神が神である資格を失ってしまうということである。
神は、多くの信仰を集める事により、規模に応じた奇跡を起こすことが出来た。一頭神も海を割ったり、血をワインに変えるなどの奇跡を与えてきた。しかし、矛盾をきたした一頭教の教義に人々は疑念を抱き、奇跡ではなく導きを与えろという気風が高まった。
古典懐古がブームとなり、失われた古い神々の再発見に、人々は一頭教に代わる新しい心のよりどころを求めた。
魔王デーアマトーも、女神アマトの姿を取り戻した。しかし、長い時間の間に、本来のアマト信仰は人々に理解されなくなっていた。
人々の生活と死が近かった時代、死は家の中で迎えられ、死者は家の近くに葬られた。
近代化により、死は病院で迎えるもの、墓地は遠く郊外に建てられるものへと変化した。生活から死が遠ざかると、人々は死を、生とは切り離された無縁のもの、不浄ゆえに触れてはならないものと見るようになった。死は生の終わりだけを意味し、火葬が広まり死者が土に帰ると言う考えはなくなった。
死は孤独、忘れ去られることを意味した。死の先に新たな生が蘇ることはなく、人の生きた証は風化し、死はそれまでの生を否定し破壊するものになった。
再び神として信仰されるようになったアマトも、死を愛する教えはなくなり、死なない幸福、不老不死をもたらす神としてのみ信仰されるようになった。
メディアの取り上げ方も歪んだアマト信仰を助長した。アマトは、死を恐れる人の心、死後忘れ去られてしまうことを恐れる心を司る神である、と。アマトのもう一つの形であったデーアマトーの信仰が、アマト信仰と交じり合って理解されたものだった。
かつて人々に死と向き合う勇気を与えたアマトは、死から人々の目を逸らし、死を感じさせないことで不安を取り除く神に変貌していた。
アマトの信仰は多くに広まったわけではなかったが、アマトの力そのものは強くなっていった。アマトは人が誰でも抱え持っている死への恐怖の神格化とされ、それによってすべての人々の心にアマトの一部が存在することになったからである。
大陸をまたいだ大きな戦争を経験した人々は、巨大な死の恐怖を感じた。そしていつ大国同士が戦争をはじめるかもしれないという緊張の中、アマト信仰はひっそりと人々の心を集めた。
そしてあるとき、一つの奇跡が起こった。
17歳のクレエール・メイカブチェは、人生で一番美しく楽しい時を生き終わってしまったので、この先下り坂しかない人生をやめることを決意した。親友のドレヌーブ・バロテアと二人で手首に赤い毛糸を巻きつけお互いの腕を結び、ハイスクールの屋上から身を投げた。
ドレヌーブは頭を地面に撒き散らし即死したが、クレエールは傷一つ負うことなく生きていた。
一人生き残ったことに苦しんだクレエールは、鋏で動脈を突いて自殺を試みたが、やはり傷一つ負う事が出来なかった。それからもクレエールは度々自殺を試みては失敗した。
入水自殺のさなか、クレエールは海中で天啓を授かった。
クレエールはアマトの巫女と名乗って集会を開き、アマトの奇跡によって死なない体を授かったこと、アマトを信仰すれば死なない体を得られる事を説いて回った。
絶対に死なないアマトの巫女の話はたちまち話題になり、不死という圧倒的な奇跡のパフォーマンス性により世界中のメディアで取り上げられた。
誰もが核戦争の恐怖を感じていた時代、不死を得られる方法に人々は飛びついた。
医療、宗教など人々が不死になると困る方面がアマトの巫女を止めようとしたが、殺すことの出来ない相手にどうしようもなかった。
多くの信仰を集めたアマトは、多くの奇跡をもたらし、更に多くの信仰を集めた。
不死になった人々は、死の恐れから開放され全ての欲が抜けきったかのように穏やかになった。不死になった人々は財産を全て投げ捨て、子供も大人も多くが山に入り瞑想に暮れた。
あまりに多くの人々が一斉に社会からドロップアウトしたため、社会情勢は混乱し、不死ではない人々は生き難くなった。それが一層、生の辛さからの開放、死に追われるだけの生き方からの逃避を人々に求めさせた。
死を恐れる老人が不死になり、老人が居なくなった穴を埋める事になった大人たちが生きる辛さに負け不死になり、大人の代わりを勤める事になった若者たちが責任から逃がれたくて不死になり、保護者が誰も居なくなった子供たちが絶望して不死になった。
不死になった人々は、穏やかに愛や理性について語り合い、食べず眠ることがなく性欲もなかった。
だんだん時間がたつにつれ、人と語り合うこともなくなり、不死の人々はただじっとしていた。動くことも喋ることも物を考える事もなくなった。
生き物が活動することは、すべて死なないために行うものである。子孫を残すのも、死んでしまう場合に備えてであり、あらゆる行動には「死の回避」が動機付けとして存在していた。
死ななくなるということは、生きるために食べる必要がなく、生きるために戦う必要がなく、生きるために考える必要がないということだった。「意思」とは、生きていく上でより有利に働く要素として残っていった、生存テクニックのひとつに過ぎなかった。頑張って生きる必要がなくなったとき、「意思」もまた必要がなくなった。
それまでにも不死を与える神や悪魔は多く存在していた。それらの信仰が今まで広がらなかったのは、特定の地域内でのみ信仰され、その地域の信者からすべて「意思」が消えたとき、その信仰も消滅していたからだった。
世界中が情報網でつながっていたため、今までになく広大に不死信仰が広まった。不死になるのを免れたわずかな人々は、不死こそ「生の終わりだけを意味し、新たな命に再生しない末路」であることに恐怖を覚えた。不死になった人々の体は、何年たっても腐って土に返ることがなかった。
わずかに残された不死ではない人々も、共同体が老いて弱くなり、子供が生まれにくくなり、最後の一人が居なくなった。
世界中から「意思」が消え、アマトの信仰も消滅した。信仰を失ったアマトは奇跡を起こす力を無くし、世界中の不死者も消えた。
人々が消えてから1億2000万年後。地上には再び高度な知能を獲得した生命が現れていた。
アマトと共に消えた人々と同じく、新たな人々は、街を築き国を建て、文化を育んでいた
新たな人々は、1億2000万年前の地層から、ツヌルメ文明の遺跡を発掘した。大理石に残されたツヌルメ文字を解読した新たな人々は、女神アマトを知った。
再び神を知る者を得たことにより、アマトは蘇った。そして、失われた力もわずかに取り戻した。
考古学者たちがアマトの石碑を囲む中、アマトの奇跡のひとつが、彼らの前に現れた。
不老不死の巫女が。
かくて再び”不死”を見出した人々により、女神の姿をした不浄と不死の化身は姿を現した。