「日本帝国軍内に不穏な動きあり? この時期に、かね?」
「はい、大統領閣下」
ホワイトハウス――恐らく世界で最も有名な権力者・アメリカ合衆国大統領の住む場所。その一角の、ウエストウイングにある大統領執務室に、緊張を含んだ声が流れた。
現在、アメリカの上層部は長年の悲願であった、オルタネイティヴ5成立を祝い、我が世の春を謳歌……してはいなかった。
これからが大変であるということを理解できない者に、大統領府のポストは与えられない。
窓から差し込む穏やかな初春の陽光も、室内に横たわる緊張を溶かせはしなかった。
そんな中に持ち込まれた懸案。安全保障担当補佐官のうちの、アジア担当者の説明はこうだった。
在日国連軍及び米軍と帝国軍との合同演習の際に引き起こされた『イーグル・ショック』。
その影響で、帝国軍の戦術機行政に軍内の注目が集まった。普段は、まったく見向きもしない者達も、主装備絡みといえば注意を引かれる。
そして、連鎖的に軍に留まらない広い範囲での、これまで隠されていた問題が次々と露呈した。
特に、政府及び軍上層部と軍需大企業の不透明な関係は、若手将校達の疑惑の視線に晒される。
だが……帝国の内閣や議会は、予算成立を優先して噴出した問題を棚上げ、あるいは先送りしてしまった。
この事に、潜在的な不満――戦略方針の対立、軍内派閥の軋轢――が刺激され、かなり過激な言辞を吐く将校が増えている、という。
予算に注目した将兵達の疑惑を目立って呼んでいるのは、在日国連軍やその『付属研究機関』に様々なルートで流れ込んでいる、莫大な資金や人材。
これが『秘密計画』に対する知識が無い、一般的な日本兵には「日本国民の血税を、アメリカの傀儡である国連に献上し続けている」と見える。
事態をややこしくしているのは、『秘密計画』やそれにまつわる工作の性質上、事実を公にして理解を求めることが出来ない点。
疑惑を膨らませるな、というほうが無理だ。
「……しかし、いくら国家に不満があるとはいえ、具体的な行動に出る可能性は低いのではないのですか?」
疑問を口にしたのは、大統領の事務補佐官の一人だ。主に米国内の仕事を担当しており、日本の事情には疎い。
安全保障担当補佐官は、自分より若く席次も下の事務補佐官に、静かな視線を向けた。
「――仮に、我がアメリカ軍の将兵が……仮に、だぞ? クーデターまがいの行動に出たら、どうなる?」
不吉といえば、これ以上はない不吉な質問であったが。
安全保障担当補佐官は、意味無くこのような台詞を吐く人物ではない。
事務補佐官は即座に、
「無論、法によって即座に反乱と認定され、全軍が鎮圧にかかるでしょう」
と、断言した。
常にいくつもの非常事態を想定し、あらかじめプランを用意してあるのがアメリカだ。
その中には、対外戦争勃発以外に、国内の騒乱に備えたものもあった。
仮に大統領が何者かに殺害されようと、すぐさま副大統領らに権限が委譲され、反乱者は討伐されるシステムが出来上がっている。
このような非常事態用の備えは、多くの国にも存在するはずだ。
「日本帝国では、違う」
安全保障担当補佐官は、そう重々しく告げる。
「……何ですと?」
「日本帝国の場合、皇帝もしくは将軍の名で認定がされぬ限り、反乱軍とはならない。
たとえ、総理大臣が殺されようと、国民が何人も害されようと、だ」
「馬鹿な……いかに高位とはいえ、個人の判断が法に優先するなど……」
「無論、皇帝や将軍が英明ならば、違法な活動は間髪いれず反乱と断じるだろう。だが、そうならない可能性も十分ある。
このために、クーデターはじめとする違法行為に対する日本帝国軍人の心理的ハードルは、外から予想するよりはるかに低い」
「…………なぜ、そんな国家が民主主義陣営の先進国の一つとされているのですか?」
「決まっている。その方が、我が国はじめとする西側の利益になったからだ。
日本帝国と同じように遅れた体制を持ち、実際の統治面ではより酷い国家でも、親米であれば友好国として容認している現実を、思い出せ」
事務補佐官は、黙り込んだ。その目には、納得があった。
反米の、国家制度がしっかりしていて国民が福利を得ている国家より。
親米の、国民を泣かせている独裁国家を重んじる。
それが偽らざる現実であった。
「日本帝国に通報しても……逆効果になるね」
大統領の口調は、ほろにがい。
オルタネイティヴ計画の並立で、米日は微妙な間柄となった。
ただでさえ、日本帝国には反米感情の土壌がある。
憎まれる行為ばかりをしてそうなったのならともかく、最新兵器のライセンス生産許可・その技術の解析黙認などの好意的な動きをしても、なのだ。
アメリカが一方的に損害を受けたような事件ですら、『何か別の目的があっての、アメリカの自作自演だ』と決めてかかる言説が流れるほど。
忠告しても、アメリカが工作のアリバイ作りにそんな事を言ってきた、と捉えられかねない。
感情的な問題には、計算された政略や外交術は通じない。
手を打てば打つほど逆効果になるため、対日外交担当らは辟易していた。
アメリカ人は日本人の情けを乞い、ご機嫌伺いをする立場ではないから、自然とアメリカの側の潜在的な反日感情が刺激される。
本来は両国の関係に何の責任もない、在野の日系人または日本からの移住者に対する嫌がらせの件数が年々微増しており、これも大統領府としては軽視できなかった。
日本人からすれば、アメリカこそ理不尽な反日感情をもっている、と見るのだろうが。
「いっそ、我々が日本の不穏分子を支援し、利用しますか?」
大統領に向き直った安全保障担当補佐官の言葉は、大統領自身より周りにいた側近達をぎょっとさせた。
露骨なまでの、背信行為の示唆だ。
米日は、ごたごたが間にあるとはいえ、同盟国だ。安全保障条約が存在する。
自ら『守る』と約束した事を破れば、相応のデメリットやリスクを負う。
弱肉強食の風が今でもある国際社会だが、だからこそ国家間の信頼という無形の『力』は重いのだ。軽視すれば、大国といえど足元を掬われるのは、歴史が証明している。
「駄目だ。金が無い」
平然と応じた大統領の台詞は、短かったがそれだけに本音を吐露している。
善悪、理非、成功率……そういった話より前の、アメリカ自身の問題を指摘したのだ。
アメリカ合衆国の財政は、赤字だらけだ。
世界の兵站センターとして、大量の物資を前線諸国に供給し続けている。
多くは有償援助だが、払うものを本当に払っている国家は少数。国土を失った国家などは、完全に踏み倒し状態だ。
流入してくる難民のための金もまた、馬鹿にならない額になっていた。
これに、オルタネイティヴ5実施の負担が重なる。
空気さえない宇宙空間で、大規模な船団を建造するというのは、人類初の試みだ。
作業に要する費用と時間がどれほどの物になるのか……一応、試算は出ているが、まず予定をオーバーするだろう。
また、BETAが宇宙戦闘を仕掛けてきた事例はないが、その危険性を排除する事はできない。護衛用の戦闘部隊を、宇宙軍より派遣する経費もかかる。
国連からの支援は出るが、予備計画であるから微々たるもの。
将来の地球脱出船団に搭乗出来る権利を、オークションにかけて資金集めしようか、と冗談でも何でもなく検討されるほど、厳しい懐事情があった。
既に、極東戦線強化のために部隊の抽出を続けて、弱体化しつつある在日米軍への戦力補充を見合わせる案が出ている。
経費削減のためだ。
他の地域においても、激戦中の前線地域は別として、後方待機兵力は削減する方向になっている。
いざとなったら、G弾や核兵器といった大量破壊兵器で、通常戦力の低下を補わなければならなくなるが、やむを得ない。
(早々にG弾を実戦で試したい連中は、むしろ渡りに船と考えるだろうが。そのG弾を造り、落とすにもやはり金がかかるのだ)
日本帝国に手を出すにも予算がいるが、そのあてが全くない。
最低でもあと三、四年は待ち、オルタネイティヴ5が軌道に乗るまでは、大掛かりな出費を要する行動はなるべく控えたい。
(もっとも、その頃には選挙でアメリカの政権が変わり、戦略もまた変更されている可能性もあるが)
皮肉なことに、財政安定のための条件の一つが、競合相手でもある日本帝国の安定だ。
軍事行動費以外も支出は削れるだけ削っているが、どうしても手をつけられない分野がある以上、限界が存在した。
特に、星条旗の下で倒れた無数の将兵達の遺族への年金、傷病兵への恩給。このあたりは削ることができない。
「そうですな」
安全保障担当補佐官は、あっさり提言を引っ込めた。その口元は、笑っている。
大統領を試した感があった。
謀略は万能薬では決して無い。使いどころが難しく、副作用が大きい劇薬。
これを自国の状況を省みず行使しよう、というのは愚者の業だ。
「……そうだ、国連本部経由でこの情報が日本に流れるようにしよう。
日本に工作を行う可能性があるのは、我々だけではないからな」
大統領は、そう結論づけた。
ワンクッション置けば、印象が大分違うものになる。
……国連内部にいる超国家主義者達が、妙な事を考える可能性もあるが。
彼らは、機会を捉えては既存の国家の枠組みに収まりきらない不満と力を吸い上げようとしている。
国連軍に出向した善意の日本人将校に、『国家に反逆するよりは、国連に行こう』という論法を吹き込むぐらいは、やっている連中だ。
これ自体は決して批判される意見ではないにせよ、根っこにあるのは国連独自の戦力を持とうという動きの一環。
理屈を教えた者が悪意の存在であっても、底意のない善人の口を通せば、その意見は違った響きを持つ。逆もまた、ありえた。
が、いちいちそこまで気を回していては、一歩も動けなくなる。何事も、見切り割り切りが肝心だ――特に、政治や外交の世界では。
「利益が見込めれば、唾棄すべき馬鹿にも支援をやろう。尊敬すべき人物さえ、罠に嵌めよう。
だが、それは今ではない……」
そんな大統領の呟きを潮に、補佐官達は次の議題へと移っていった。
現代の人類の宇宙開発分野は、他の方面がそうであるように、対BETA戦を重視した軍事に偏っている。
1950年代と比べると、軍事利用に転用できない技術を抱えた企業は、軒並み倒産か他業種への転換を余儀なくされていた。
宇宙軍に食い込む仕事を取れるかどうか、が企業盛衰の分水嶺。
ところが、だ。
ここ数週間で変化が起こっているのに俺は気づいた。
ストール中尉に勧められた習慣で毎日目を通している新聞の、ある企業の株価上昇を伝えるベタ記事によって。
その企業は、人型の宇宙船外活動装置(機械化歩兵装甲、さらには戦術機の祖先といえる存在だ)の日本におけるパイオニア的企業であったが。
BETA大戦勃発以降は、倒産しないのが奇跡と言われるほど経営が悪化していた。
純然たる宇宙作業に適した機材ばかりを開発し、戦闘用技術の研究が遅れたためだ。
『宇宙を戦争の場にするな』
という企業理念のためだそうだが……それが今日の世情に合わないのは言うまでも無い。
人類同士なら正論だろうが、今の戦争相手はBETAなのだ。
にもかかわらず、紙切れ寸前を行き来していた株価が、急速に跳ね上がった。
某国と大口の契約が結ばれている、と言う情報を経済アナリスト達がキャッチしたためだ。
「…………」
俺は、事務室のデスクに座りながら、端末のキーボードを引き寄せた。
TAKERU=SHIROGANEと打ち込み、パスワード認証をクリア……ああ、防諜のためとはいえめんどくさい……。
国連のデータベースにアクセスし、世界経済の情報を画面に映し出す。
あちこちの地域で、広く人材の募集がかけられていた。
ターゲットは、宇宙開発競争が華やかだった時代に、実際に虚空の中で作業を体験した人々。インストラクターとして、宇宙での作業員を育成する仕事が提示されていた。
破格の待遇でだ。
さらに、今日の状況では使い道があまり無いと思われる、倉庫で埃を被っていたような中古の宇宙作業機材も、高値でリサイクル業者がかき集めている。
いずれも、米系の企業が主だ。
「はじまったのか……」
宇宙空間でモノを作る、というのは大変な作業だ。
まず、人員や資材を地上から打ち上げるだけで、莫大な費用がかかる。
人を生かすための酸素や水、食糧は全て人工的に供給しなければならない。
一人分の計算ミスも許されない、シビアな世界だ。
作業を行う者は、高度な技能と資質を求められる。
だから、どんな国家でも宇宙に関わる人材というのは、選抜された精鋭だ。それが使う装備も。
まして宇宙の対BETA戦争行動を行うとなれば、人類の存亡そのものを握っているといっても過言ではない。
こんな時代に、一般人の目にも隠せないような大規模な宇宙開発関連の人員・機材調達が必要と思われるのは……。
オルタネイティヴ5の準備が始まった事以外、俺には考えられなかった。
つまり、一部人類の惑星間移民とワンセットになった、G弾による全面攻撃――
「どうする……?」
空調の響きに掠め取られそうな小さな俺の呟きが漏れる。
自分でも、声が震えている自覚があった。
『イーグル・ショック』以来、俺は訓練兵時代から作り上げた、ささやかな人脈の手入れを怠っていた。
やはり、心のどこかでは庇ってくれなかった高官達に対する恨みがあったのかもしれない。
明らかに筋違いの嫌悪とわかっていても、人間の心は自分のものでさえ自由にならない……。
が、時間は容赦なく進んでいく。
このままいけば、来年には日本帝国に住まう人々のうち、約四千万の命が失われる。
生き残った者達にも、茨だらけの道が残される。国土の過半が戦場になり、農業工業の区別無く一切の生産力が破壊されるからだ。
俺に出来るのは、在日国連軍の一兵士として戦うのみ――それで、いいのか?
因果情報と言うアドバンテージを持ちながら、今までに俺がやった人類勝利への貢献は、ほとんど無い。
せいぜい、現行OSのアップグレードに必要なデータをささやかに出したぐらいだ。
SES計画、という過大な名前に相応しい成果は、お世辞にも上げられていない。
不知火改修案のほうは、整備班の尽力に拠る所が大きいしな。一応、試案の内容は帝国軍に流したそうだが、さてどんな反応を呼ぶか……?
希望があるとすれば、例のバイオコンピュータ。
俺が模擬戦で動かしたデータを収集した結果、研究にそれなりの進歩があったらしい。
開発を担当した企業からいい話が聞こえてきていた。
バイオチップの自己学習能力を利用した、新時代の制御システム開発だ。
Intelligent Fight Control System。略称、IFCS。
日本語に訳せば、『知的戦闘制御システム』ってあたりか。
リアルタイムで機体及び衛士を監視し、トラブルを認識すると自動的に対処してくれる操縦システムだ。
例えば、装備や装甲の排除で機体の重量バランスが変わった際には、衛士の指示を待たずに補正を加えてくれる。
衛士が負傷したり急な体調不良に見舞われた場合、操縦補助や自律行動を最適化する。
在来の制御系では、事前にプログラミングされていたトラブル対応能力しかないのに対し、これはあらゆる状況に即応可能だという。
衛士の負担が減れば、その分生存率は上がる。
本来なら、ニューラルネットワークという専門のソフトウェアとそれを動かす機材が必要な機能だが。
このソフトとハードを代替できるバイオチップを実用化させられれば、簡単な改修で既存機に組み込めるらしい。
XM3が衛士の操作・戦術的自由度を向上させるプラスのものなら、こちらはマイナスを打ち消すシステムだ。
話を聞いて、俺が真っ先に考えたのが、ブレイザー少佐ら戦傷兵の助けにならないか、という事だ。
傷病の後遺症ゆえに、高い技能と得がたいキャリアを持ちながら、衛士適性に低下を見た者でも、このシステムの支援があればまた一線に立てるかもしれない。
――酷い目にあった衛士達を地獄に送り返す、という事になってしまうかもしれないが。
もちろん、それほどの物を開発するために必要なデータを、俺だけが出しているわけじゃない。
アメリカ本土には、IFCSの実験・実証専門に改修したF-15 IFCSという機体もあり、そちらでも研究が進んでいた。
先日見たXE-10もそうだが、概念の方向性は『既存機や衛士の能力を最大限発揮させるための支援・補助を行う』というものだ。
最近、この手の技術を見聞する率が高くなっている気がする。
新型戦術機開発や配備が、予算制約や戦略方針のために停滞している影響か? 戦術機以外の兵器にも活用できそうだからな。
因果情報による記憶を探る限り、オリジナル武の世界でこういった技術が実用化され活躍した話は、思い当たらない。
この世界では、俺という要素が加わったために加速した――と、考えるのは自己憐憫って奴だろうか……?
俺の黙考を破ったのは、昼を告げる壁掛け時計のチャイムだった。
ひとつ息をつくと、PXに向かうべく部屋を出る。
『食事時に、それまでのわだかまりを全て流せないなら、人生は地獄だ』
と、あるドイツ軍人はいったそうだ。それに習い、気分を切り替えよう……。
「……ん?」
PXへ移動する途中、普段は格闘技訓練などに使われている、室内運動場に差しかかる。
何気なく中に視線を送った俺は、思わず足を止めた。
二人の男が、対峙していた。
一人は、老人といっても差し支えない年齢の、白人風の米国軍人。
もう一方は、国連軍の制服に身を包んだ、日本人らしい青年。
いずれの顔にもどこか見覚えがあったが、咄嗟には思い出せなかった。
……格闘技訓練としては、妙な取り合わせだ。お世辞にも、友好的な雰囲気は感じられない。
俺の視線が、青年の肩口を流れ、その手先に吸い寄せられる。
青年の手には、木刀があった。それも、かなり太い赤樫のような材質でできたものだ。
木刀の先端が、すいと上に上がった。青年が、上段の構えを取る。
その構えは、木刀の切っ先から爪先まで一本の筋が通ったような、均整の取れたものだった。
米国軍人は、無手だ。
青年の口から、気合の声が迸った。離れた位置にいる俺の腹にもびりびりと来るような、強烈な気迫が空気を震撼させる。
俺は、背筋にさっと寒気が走るのを感じた。
「っ! やめ……!」
上げかけた俺の声が合図になったかのように、木刀は重い風切り音を伴い、振り下ろされた。