大変お待たせしました。最近オリジナルの投稿も初めて、本家の作品の終結が予想より早そうなのですこし沈黙していました。
これから少しずつ、続きを投稿していきます。
南海群島 オーランド植民地ボラニー島
その密林の中に設けられた豪邸の中から、ドレス姿の少女が窓を突き破って飛び出してきた。
そのまま首から下げた胸元のネックレスに紛れた魔導宝珠で飛行術式を最低限起動。落下速度を殺しながら着地。即座にスカートの裾を破り捨てると、舗装もされていない地面むき出しの道へと走る。
「急げ!」
その時、森の中に隠しておいた逃走用の車両から、運転手の男の叫びが聞こえた。
そんな事言われなくても分かっていると叫びたくなったが、それを堪えて後部座席に飛び乗る。
それを追って、いままでターニャが潜入していた森の中の豪邸から、赤い国で製造されたライフルを持った連中がわらわらと飛び出してくる。
「逃がすな!」
「撃ち殺せ!」
頭の弱そうな台詞を吐きながら追いかけて来る連中を尻目に、ターニャが乗った車両の運転手は即座にアクセルをべた踏み。そのまま後輪を空転させながら、舗装もろくにされていない森の中の一本道に飛び出す。
それを追って、追跡者たちも機銃を積んだトラックで走りだす。
上空を飛行する魔導師の姿まで確認し、ターニャは深くため息をついた。
これで七回連続潜入作戦失敗。しかも失敗の度に歓迎してくれる連中は増員傾向。とうとう魔導師まで出て来た。ここまで来ると結論は一つしかない。後部座席に隠してあった二十ミリ対魔導師ライフルを構えつつ呟く。
「…内通者がいるな」
小さく、だが確信と共に呟かれたその言葉に、運転席の男は険しい顔をして沈黙を返した。
それは暗に、ターニャの言葉を肯定していた。
密林に、銃声が木霊した。
初めてみる南海群島の姿に、葉月達は圧倒されていた。
ここまでの貨客船での旅の間、葉月達は南海群島は皇国の南西諸島などと同じく、ただ海がきれいな程度の何もない所だと思ってたのだ。
だが、実際に甲板から見える港の様子は、そんな予想を木端微塵にした。
気温と湿度の高い港で働く、日に焼けた肌の労働者達。その背後で出港の警笛を鳴らす大型貨物船。入港した船舶が横付けする岸壁には無数の物資が積み上げられ、荷降ろしと並行して積みこみが行われている。
その港の奥には、この地を保有する列強の本国と見誤らんばかりのレンガ造りの家々が立ち並び、その豊かさを誇示していた。
「…なあ原野。俺はずっと密林の奥に潜んで、どっかの野蛮人みたいに戦うもんだとばっかり思ってたぜ…」
「…俺もだよ…」
中隊一同、呆然としたまま目の前の光景を眺めている。
ついでに全員、今回の任務のための変装として洒落たシャツとズボン姿である。最初は完全に服に着られていたが、今では慣れた様子でいかにも育ちがいい青年に見える。特に葉月は外見が白人のため非常によく似合っている。
その時、船室に繋がる扉が開き、中から一人の少女が姿を現した。
現れたのはもちろん、彼らの鬼教官ターニャ・デグレチャフ・原野である。薄い黄色のサマードレスを身にまとい自然に微笑んでいる、どこをどう見ても良家の令嬢といった見た目だが、目だけが全く笑っていない。
「…君達はここで何をしているのかね…?」
「!教官ど…!」
とっさに振り向いて敬礼しそうになった一人の唇に、ターニャが人差し指を突き付ける。傍目にはうるさいから静かにといった風だが、実際には指先に超小型の魔力刃が生成されており彼を凍りつかせていた。
そのまま少年の胸にもたれかかるようにして、その表情を周囲に見られないようにするターニャ。
「…こんな人目のある所で私に敬礼しようとするなど、何を考えているのだ?」
用心して他に聞こえないように唇を動かさずに胸元でささやかれる声に、背筋を振るわせる少年。傍目には彼女にすがられている男のようだが、実際は死神の鎌が首元に突き付けられているに等しい。
「…まあいい。間もなく接岸する。各自荷物を整えておけ。魔導宝珠は私に預けろ。下手をうったら私が『事故死』させることになる」
それに対し、凍り付いて答えられない一同に、朗らかに反応を求めるターニャ。
「どうしたの?しっかりしてよ。返事は?」
「「「はい、姐さん!」」」
一斉に大声で返事。それを近くの老夫婦がびっくりしたように見つめている。
やってしまった。
凍り付くようなターニャの目に、一同が失敗を察した時には、すでに遅かった。
表情だけはそのままに、静かに船室に戻っていくターニャが、内心激怒していることは明白だった。
これ以上の失点を重ねないために、葉月たちは空元気を振り絞って、船室へと戻るのだった。
上陸は、あっさりと成功した。
葉月たちは、オーランド人のターニャの友人としてここに招かれたことになっており、持ち物も一般的な着替えなどを詰めただけで危険なものは無かった。唯一魔導宝珠だけは持ち歩いていたが、それはターニャが自分のネックレスに擬態することであっさりと突破した。誰だって、可憐な少女が首に物騒な武器をぶら下げているなど想像しない。
さらに、そこで待ち構える車に、葉月たちは唖然とした。
合州国製の高級大型車が四台も連なり、実に品のいい白人の初老の男性が運転手を務めている。
「ご苦労様。彼らが私の『親友』よ」
「お待ちしておりました。どうぞ、お乗りください」
まるで本物のお嬢様のように振る舞うターニャに内心衝撃を受けながら、全員が促されるままに車に乗り込む。もしかして、南方での任務は、それこそスパイ物の映画や小説の中でしか見ないような、優雅な、それでいて刺激的なものになるのではないかと思ったのだ。
甘かった。まったくもって甘かった。
車は海岸沿いの傾斜地の邸宅群―――を通り過ぎ、どんどん寂れた方向に走り続ける。その間、車内では一言の会話もない。特にターニャと同乗した連中は、早く目的地に着かないと胃に穴が開きそうな気分だった。
たどり着いたのは、一軒の古びた屋敷。
そこに降り立った葉月たちにターニャが放ったのは、どう見ても港湾労働者の作業服だった。
「貴様らは、任務に先だって肌を焼くことすらしなかったらしいな。まったくもって信じがたい。甲板にいるのはそのためだと思っていたが、ただ真新しい服を着たかっただけか」
完全な無表情で告げるターニャ。服装は船のままだが、まとう空気は完全に教導時のそれだった。
「お前たち、こいつらを連行しろ。死なないのならどんな仕事をさせても構わん。ほどよく焼けるまで叩き込め」
葉月たちの工作任務は、港湾労働から始まることになったのだった。
原野輝は一人、合州国首都特別区のポドマック川を見ながら、空調の利いたカフェでお茶を楽しんでいた。
しかし、その気分は冴えない。
世界は明らかに、不穏な方向に進んでいた。
西州では新生帝国と連邦のにらみ合いが激しさを増し、かつては皇国と合州国の協調体制が敷かれていた中華大陸ではその乖離が著しい。かねてより連邦との懸案である北華方面でも両国軍がその動きを増している。
また各陣営は、その勢力圏の囲い込みを強め、確実に世界を分割しつつあった。
…戦乱の時は、近いのかもしれない。
その時、唐突に輝の向かいの席に一人の男が座った。
「失礼します」
そういうが、まだほかの席も空いている。どうしてここに座るのか?
一人でリラックスする時間を邪魔された輝は、どいていただこうと考える。
だが、その前に男が一枚の写真を差し出した。
「…!」
「大きな声を出さないでもらいたい」
言われなければ出していた。
そこには、愛すべきわが娘の姿が映っていた。
「…私は皇国の国益を背負う外交官だ。何と言われても、どのような要求であれ、聞くことはない」
「まさか。私たちもそのような事は思っていません」
強張った声で告げる輝に、どこか嬉しそうな皇国語で答える男。
この男は今『私たち』と言った…。つまり、何らかの集団という事か…。
「こちらがお願いしたいのは、合州国の方々と親睦を深めていただきたいだけです。そして、そのお手伝いもしたいと」
…表面上は、何も要求していないに等しい。だが、それだけで終わるはずがない。
「ただ、こちらも『より』親睦を深めたい方々がいらっしゃるので、そういった方々を優先していただきたいと思います」
ほら来た。
「残念だが、本国の方針以外、私を縛ることは出来ない。どうかお引き取り願いたい」
そして、固く断ると、相手は小さくため息をついた。
「…いやはや、想像以上にお堅い方だ。わかりました。今回はリストだけお渡しします。お子様の安全は『当面』こちらで確保いたします。またこちらから顔を見せますので、その時はどうかよろしくお願いします」
そういうと、特徴のない顔をした男は、薄い封筒を差し出し、凍り付いている輝を残し立ち去った。
二人は気がつかなかった。窓に面したカフェの外。ポドマック川のほとりから、彼らを見つめる一対の目に。
「…これは、報告の必要があるな」
その目の持ち主は、静かにその場を立ち去った。