合州国首都ワトンソンDC皇国大使館。
原野は国務省での会談の結果に危機感を募らせていた。
(最近の合州国はどうにも不穏な気配がする…)
皇国は、先の大戦で膨大な利潤を得、それを原資に大規模投資を繰り返し戦後世界二番目の大国として君臨している。また、大海洋を挟んで隣り合う合州国とのつながりも強化し、中華派兵でも歩調を合わせる事が出来た。広大な大陸の利権は、皇国一国では確保できないほどの物だからだ。
だが、その協調姿勢が乱れ始めている。
先だって合州国は皇国からの移民排除法を電撃的に成立させた。
さらに、報道では中華で合州国駐留軍に対する攻撃を仕掛けた共産党軍が、皇国製の小銃と魔導宝珠を装備していると報道されている。これ自体は事実だが、その理由は拿捕したこちらの装備を適当に使っているだけ。合州国製の装備も転用されているし、メインは連邦製の代物だ。非難されるいわれはない。
そして、政府高官の皇国への蔑視発言の連続。
危機感を覚えない方がおかしいが、大使はこの事態をそれほど深刻には思っていないようだった。
(…本当に、何も起こらないのだろうか…)
みなさんおはようございます!今朝は北華大安令山脈より、ターニャ・デグレチャフ・原野がお送りします!
さて、この大安令山脈は、無計画な伐採で視界は最高!二キロ向こうの隣の山頂から対魔導師狙撃銃が余裕でヘッドショットをかませる理想的な環境です。
さらに、鉄砲遊びが大好きな、大きな子供が多数生息。正直、私のような女性が出歩く土地ではありません。
今日お送りするのは、そんな山中でピクニックをしている新人兵士の一日です!
どうそ、ご覧ください!
ヒュウゥゥゥン――――!
早朝の晴れ渡った空から聞こえてくる金属的な叫喚を耳にした瞬間、葉月は寝ていた落ち葉の上から飛び起き、飛行術式を起動しただの林にしか見えない野営地を一目散に逃げ出した。
みると、生き残りの訓練生も一斉に逃げだしている。
そして次の瞬間、野営地で逃げ遅れた訓練生を図太い砲撃術式の光が吹き飛ばし、同時に上空から襲いかかってきた急降下爆撃機が二百五十キロ爆弾を次々と投下してくる。
訓練生達は光学ダミーまで生成して、爆撃機の目をそらすと同時に超低空飛行で必死の離脱を図る。
そこに、
「お前達、同じ方向に逃げるなと何度言えば分かる?無意識に密集しているのでは一発で全滅だ」
そして、その言葉通りに、同じ方向に逃げだして無意識に密集していた訓練生三人が空間爆撃を食らい『全滅』した。
もちろん、下手人は彼女だ。
その氷のような美貌に何の表情も浮かべず、ただ淡々と無能とみなした訓練生を撃墜している。
「状況想定は敵地に浸透突破中、野営地を発見されての逃走戦だ。どんな手段を用いてでも逃げ切って見せろ」
同時に周囲から、急速接近してくる魔導反応を感知。どうみても戦闘態勢に入っている。
「さあ、今日も楽しいピクニックを始めよう!」
朝日を背後に背負う神々しいまでの姿で、今日も地獄の始まりを告げるターニャだった。
ふむ、やはり単調な隊形戦闘訓練より、こちらの方が効率がいいな。
光学欺瞞術式で、背景の空に完全に溶け込んでいる輸送機。その開け放たれた扉から砲撃術式を地上すれすれを飛ぶ訓練生に叩きこみつつ、自らの訓練方式に満足感を覚えるターニャ。ついでに訓練生に撃たれては面倒なので、遠隔操作の光学ダミーを展開している。朝日を背景にしているからまず気がつかないだろう。
そして、同乗している北華方面軍の参謀達は、眼下で行われている機動に目を見張っている。
「素晴らしい…!」
「軍の教本に乗せたいくらいだ」
葉月を含み訓練生の生き残り達は、爆炎に包まれる隠蔽陣地から抜け出すと、一糸乱れぬ動きで四組のロッテをくみ上げ、さらにそこから砲撃で一撃で全滅しない程度の距離を取ってシュバルムを組み上げている。
周囲から即座に襲いかかる皇国正規軍の魔導師に、捕捉すら許さず逃走を図っている。
「さすがは精鋭の独立強襲航空魔導隊」
「いえ、あれは違います」
参謀の言葉に、訂正を入れるターニャ。
「あれは一週間前から本格的な訓練に入った訓練生によるものです」
「なんだと…!」
素人に毛すら生えていないような訓練生が、たった一週間の訓練であれだけの動きを身につけるだと!?
衝撃を受ける参謀達。
その時、地上の一角から砲煙が立ち上る。
「独立強襲部隊の連中は、あちらです」
そこでは、緊密な編隊を組んだ独立強襲魔導戦隊が、降り注ぐ榴散弾の雨の中を三百ノット以上の高速で駆け抜けながら、光学術式で自らへの直撃コースの砲弾だけを迎撃している神がかった光景が繰り広げられていた。
砲兵の方も、演習とは思えない勢いで速射しており、皇国軍が想定する戦場での消費弾薬量を大きく上回るレベルの砲撃を繰り返している。
唖然とする参謀達。
魔導師とは、ここまで出鱈目な存在だったか?
「…なるほど、このために予備砲身を手配していたのか」
それを見ながら、唯一納得の表情を浮かべるのは、北華方面軍参謀長、石井だ。
司令部に要求された演習資材はもはや師団レベルの演習に使うべき量であり、野砲一門あたり四千発の『実弾』と予備砲身を二セットというのは常軌を逸していると言っても過言ではなかった。もはや大会戦のレベルである。
皇国陸軍の砲兵の聖地である大都(おおと)砲兵工廠は、急な予備砲身の払底に、大わらわで増産に取り組んでいる。
「…これが、先の大戦で恐れられた『サラマンダー戦闘団』の訓練かね?」
ターニャに小声で聞く石井。
おそらく彼女は自分の素姓が知られているとは思っていないはずだ。実際、自分もこれを調べるのにかなりの時間を費やした。一時は合州国のスパイを疑って特務機関に監視させようと思ったほどだ。
しかし、石井が精神的奇襲をもくろんで行った発言も、ターニャを動揺させるには至らなかった。
「はい閣下、いいえ。あの時の中核部隊は精鋭を集めたとはいえ、実質的な訓練期間は一月に過ぎませんでした」
歩兵部隊に至っては、戦線への移動中に僅かの訓練を行っただけです。
予想を遥かに上回る言葉と、その動じない姿を見て、改めて彼女を欲しいと感じる石井。
(これは、搦め手から行くか…)
その懐には、原野葉月の配属に関する書類が仕舞い込まれていた。
(くそ、葉月の奴、あの高度では対空機銃の的になるというのに…!)
ターニャは葉月の訓練を見て、内心はらはらしていた。
(どうせなら地上すれすれで射界から一瞬で消えるか、高度を取って避けるかにしろ!)
胸元の魔導宝珠に手が伸び掛ける。どうせなら私が撃ち落としてやる。
だが、葉月の機動が戦術上有効であることを、ターニャは認めざるおえなかった。
一人が囮になっている隙に、他が対空砲陣地を攻撃するのは十分理にかなっている。
おまけに演習想定では、ここは敵地のど真ん中。
高度を上げれば、高射砲が熱烈な歓迎をよこしてくれるだろう。ダンスパートナーの戦闘機も連れてきてくれるかもしれない。
それを考えれば、この機動も有効なのだろう。
葉月とは別の訓練生が、配置してあった対空砲の標的を撃破するのを見ながら、本人の気がつかないうちに葉月を心配するターニャ。
だからこそ、石井が言った重要な言葉を上の空で聞き逃してしまった。
もっとも、逃れられるほど甘い策を、石井が用意しているはずもなかったが。