感想を見て一言
確かに参謀が指揮統制を行うのは命令系統上ダメですが、ここでは参謀が全体の状況を把握して、空の指揮官に伝える役目を負っていると考えて下さい。
大戦中の海軍でも、対空戦闘時、艦長は露天艦橋に上がり陣頭指揮、副長がCICで情勢把握に努めるという事はよくあったそうです。
中華沿岸都市『上都(しゃんと)』
列強諸国の居留地が密集するこの地は、今や繁栄を謳歌するのではなく、戦禍にむせび泣いていた。
「国民軍師団、前進再開!やはり目標は我が国の居留地に絞っています!」
「市長との交渉は意味がありません!こちらから打って出るべきです!」
「連合王国、ならびに共和国居留地での民間人の保護要請、拒否されました!」
居留地保護の皇国軍司令部は、事態の収束に奔走していた。
とはいっても、彼らには何が何だか分からない。
最近になって北華と中華の国境地帯で小規模戦闘が頻発している事は聞き及んでいるし、緊張緩和のために皇国中華両政府の閣僚級会談も繰り返されている。
だというのに、これはなんだ!?
租界の皇国人居留区には、帝国製の最新兵器を装備した中華国民軍の精鋭の群れ、総数二万以上が迫り、上空からはどう考えてもまともに照準されてない爆撃が、皇国居留区のみならず、他国の居留区にも誤爆の嵐となって降り注いでいる。
上都周辺二十キロにわたり設定された非武装地帯など、もはや何の意味もない。
対する皇国側は、海軍陸戦隊が二千ちょっと。重砲は皆無。他国の警備隊は知らぬ存ぜぬを貫き通している。
「本国からの増援はいつ到着するんだ!?」
司令の叫びが司令部に木霊する。
その時、満面に喜色を浮かべた通信兵が司令部に駆けこんできた。
「司令、援軍です!すぐそこまで来ています!」
「どこの部隊だ?このあたりには我々以外の部隊はいないはず…」
「陸戦隊が第三艦隊から揚陸されたのか?」
どちらにしても、重火器を持たない軽装歩兵だろうと思う参謀達。ありがたいが、状況を激変させるだけの威力はないと。
だが、報告はそのどちらでもなかった。
「いいえ!北華方面軍より派遣された、第十三独立強襲航空魔導戦隊と、臨時編成の増強魔導中隊です!」
さて、冷静に状況を整理してみよう。
まず、皇国軍からの部隊訓練支援要請を受けて北華入り。
そこで部隊訓練開始。大体二カ月かけて訓練生は最低ライン、強襲部隊は及第点までは到達。司令部の奴ら、訓練費をケチりやがった。
国境紛争は知っていたが、こちらはただの傭兵もどき。命じられた仕事だけして、後はトンズラすればいいと高をくくっていた。
そして、今。
「…石井参謀長閣下、今何とおっしゃられましたか?」
「すまないが、君には上都に行ってもらう」
上都、上都ね。今まさに、第二次上海事変らしき紛争の舞台になっている場所。
そんな所に行けと?
冗談ではない!
私は戦争のような非効率的で危険な行為には、二度と関わりたくないのだ!
無論、それが利益になるのなら、自分に危険が及ばない前提で賛成なのだが。
「申し訳ありませんが、契約内容にはそのような事は…」
「入っていたさ」
石井はそう言って懐から封筒を取り出し、ターニャに向かって机の上を滑らせる。
契約内容は必ず隅から隅まで確かめているターニャ。間違っても、石井が言った様な条項は入っていない。かつて会社の秘密保持がらみで、部下の一人がとんでもないミスをやらかしてくれたおかげで、そう言った事を自分で確認する習慣が根付いている(もちろんそいつは首にした)。
「………」
封筒から出て来たものを、無表情に見つめるターニャ。
そこに入っていたのは、ターニャ達が訓練していた訓練生と葉月が、このまま臨時編成の増強魔導中隊に改編され、上都に送られるという命令書。
それをめくる。
睦月と皐月、癒月の望遠写真があった。
さらにめくる。
そこには、契約内容が更新された新しい契約書があった。
すでにターニャがサインすればそれでいい様に体裁が整えられている。
「契約内容はあっているかね?」
笑顔で問いかけて来る石井。
…はっ!笑わせてくれる。
机の上のペンを手に取る。
この程度の事で、私が揺れるとでも?
書類の内容を確認。
皇国国籍を手に入れるためだけに結婚したというのに、いまさらその程度の事に執着するとでも?
帝国語の筆記体で、すらすらと自らの名を記す。
この男は、私を何だと思っているんだろう?
最後に、これだけは漢字で記された、常に携帯している『原野』の印鑑を押す。
「…これでいいか?」
殺気の籠った目で、石井を睨みつける。
…私は一体何をしているのだろう?
自分の死刑執行命令にサインしているようなものだというのに。
サインを確認した石井は、満足そうな笑みを浮かべている。
「君とは、いいビジネスパートナーになれそうだね」
「その通りだと思います。参謀長閣下」
そう、そうだ。ビジネスパートナーだ。
石井の背後の窓からのぞく司令部庁舎の一つ、その屋上に魔導砲撃を叩きこむ。
その一撃で、ターニャに照準を合わせて待機していた狙撃兵と観測手を引き金を引く暇も与えずミンチにし、石井と同じ穏やかな笑顔を浮かべて石井に告げる。
「適度な緊張感と狂気に満ちた、素晴らしい関係だと思います」
急な呼び出しを受けて新都の北華方面軍司令部を訪れているターニャとは違い、『会社』の主力は基地にとどまり部隊の訓練を続けていた。
もっとも、そこら辺は経験を積んだベテランの采配で、ターニャがいるときに比べてかなり甘い訓練である。軍隊で大切なのは適度な手の抜き方である。これを知らないとあっという間に全滅する。
「それにしても、うちの社長は厳しいですよね…」
演習場の一角で、待ち伏せ攻撃の訓練をしているグランツに、合州国に来てから入社した魔導師が愚痴を言う。戦後帝国で連邦による魔導師狩りが行われる中、亡命した人間の一人だ。終戦時点でまだ訓練生だったというから、かなり幸運な部類に入る男だ。
「馬鹿を言え。以前に比べれば大分丸くなられたんだぞ」
それに対し、軽い口調で答えるグランツ。もちろん警戒は怠らない。いつ彼の敬愛すると同時に恐怖の対象でもあるデグレチャフ社長が戻ってくるともしれないからだ。
「あれで丸くなったんですか!?」
グランツの言葉に唖然とする男。彼にしてみればデグレチャフ社長は、ホラー映画に出て来るチェーンソウを抱えてホッケーマスクをした怪人よりも恐るべき存在だった。
「ああ、そうだ」
グランツの脳裏に浮かぶのは、自分達を合州国の亡命させる手配を終えて、後はデグレチャフ大佐が来るだけというときに、突然に皇国への移住と、現地での結婚を決めた時の事だった。
はじめは部隊一同、大佐殿が発狂したのではないかと心配したが、数年間の音信不通の後、皇国からご長男を連れて合州国を訪れられた時、大佐殿はこれまで見た事がないほど柔らかい表情をされておられた。
合州国で合流した他部隊の者たちにはただの無表情にしか見えなかったかもしれないが、長年の付き合いのある彼らには、その変化が明白だった。
それ以降、会社では社長の地位に着き、仕事にも参加するようになったが、その給料のほとんどを皇国の学資保険に使っている事を経理を担当しているグランツから耳打ちされている。
丸くなっている事にご本人は気がついていらっしゃらないようだったが、それが逆に初めて大佐殿に年相応の感情を与えているように見えて、古参の連中全員で支えて行こうと誓いあった。これまでにため込んだ資金と伝手を使って、まっとうな商売だけを行う商社の設立計画も順調に進んでいる。これで体力の衰えた古参の受け皿も出来る。もちろん社長は大佐殿だ。
「…デグレチャフ社長は、もう十分に戦われた。これからは貴様らの時代だぞ」
会社設立時の目的である、帝国軍の訓練ノウハウの継承は順調に行われている。すでに帝国の再軍備が進みつつある現在、自分達が帝国に戻る日も近いだろう。
そして、デグレチャフ大佐殿が、それについてくる事はないだろう。
大佐殿は、すでに自分の幸せを見つけられたのだから。
三十六時間に及ぶ待ち伏せ攻撃の訓練を終えて、グランツ達『会社』の面々や、他の訓練にあたっていた独立強襲航空魔導隊、それに『会社』の面々による待ち伏せを切りぬけていた訓練生の面々は、隊舎に戻った直後、北華方面軍の参謀を伴ったターニャの、氷のような視線にさらされる事になった。
「任務だ」
簡潔に告げたターニャの隣で、無表情な参謀が命令を伝達した。
「諸君ら、第十三独立強襲航空魔導師隊は、本日を持って訓練課程を修了する第四十三期、後期訓練生により編成される臨時増強魔導中隊と共に上都に向かってもらう」
彼の地にて、同胞(はらから)を害さんとする中華の害虫を駆逐せよ。
命令を受ける彼らの目は、読み上げる参謀よりも、その隣で静かに拳を握りしめているターニャに向けられていた。
唇を噛みきらんばかりの感情をその無表情に浮かべたターニャは、何も語る事はなかった。