誤字指摘、ありがとうなのです!
「貴様たちは本土に帰還しろ」
「そんな、社長!?」
基地について命令を伝達すると同時に『会社』の面々には本土への帰還を命じた。もちろん合州国本土だ。
「私のミスでこうなったのだ。貴様らにそれを押し付ける事はしない」
上司の無能を下がカバーするというのは最悪のケースだ。結局歪みが間に蓄積されて、いつか破綻する。
それになにより、これから実質的に皇国軍に与する事になる自分の立場を、本土の連中に把握しておいてもらう必要がある。
…いつか絶対亡命してやる…!
「貴様らには本土で準備を整えてもらいたい」
もちろん私の亡命準備だ。
「しかし…!」
「指示は下した。私はその実行のみを求める」
これまで整列している訓練生に向けていた視線をグランツに向ける。
それを受け、グランツは無言で走り去った。
ここで再度訓練生に向き直る。
…ふむ。ここはひとつ、適当に訓示でもたれておくか。
「さて、諸君ら訓練生には、まず一言、祝いの言葉を述べよう。訓練課程修了おめでとう。これで諸君らも国民の血税を食い潰すウジ虫から、皇国軍人に昇格だ」
そこで、微かに唇を歪める。
「だが、諸君らがその心血を捧げる皇国皇主陛下は、速やかなるリターンをお望みだ。投資分を返せと言ってきている。そこで、諸君らは臨時に独立増強魔導中隊を編成、このまま上都に送られる事になる。指揮官は、原野葉月魔導少尉とし、臨時に私が中隊の『傭人』としてつく事になる」
そう、『傭人』あくまでも指揮権を持たない、ただの雇われ者。軍属でも最低の位。三等兵にも劣る地位。
…はっ!石井の奴、人質という首輪だけじゃなく、最低辺の地位という足枷までつけてくれた。笑わずにはいられない。
「諸君らが誤った判断をしない限り、私はただその指示に従おう。だが、もし僅かでもミスをすれば、動揺した私が『誤射』する事は否定できない」
無能のミスで死ぬのは、まっぴらごめんだ。
「諸君らが、自らの有能を証明する事を期待する」
かつてなら、ここで訓示を終えただろう。
だが、ふとした気まぐれから、小さく一言付け加えた。
「…諸君らの、健闘と生還を祈る」
この瞬間、ターニャの教官としての特権は剥奪され、ただの軍属へと変わった。
かつて経験した事のない、最低辺の戦いが始まろうとしていた。
「諸君らに、司令部より命令を発する」
上都皇国軍司令部。
そこには、激しい中華国民軍部隊の対空砲火を無傷で切りぬけて司令部に到着した、精鋭魔導師部隊が集結していた。
しかし、その四分の一ほどが、どう見ても実戦経験すら積んでいない新任魔導師にしか見えないのはどうしてだろう。
そして、その列の末席に紛れ込むようにしている、明らかにこの中の誰よりも戦慣れした雰囲気を漂わせる小柄な外国人の少女は、いったい何者なのか?
予想を色々と裏切る増援の面々に、司令部から送られた参謀は若干動揺しながらも命令を伝達する。
「到着早々悪いが、諸君らには敵の砲兵陣地と兵站拠点の制圧を行ってもらう」
連中のこれまでの戦法などを見る限り、戦略予備や兵站への認識は近代軍隊として落第どころか、陸軍大学でこのような事をしたら、確実に在校歴まで抹消されるレベルの惨状を呈している。この作戦に成功しただけで、連中の作戦能力は地の底まで低下すると思われる。
だが、それを早急になさなければ、数で劣勢に立っている上都守備隊は数日で壊滅するだろう。
諸君らに、この上都の行く末がかかっている。
そう言われて、表情を引き締める魔導師達。
いや、一人だけ眉をひそめているのがいる。
「参謀殿、質問をよろしいいでしょうか?」
不満げな気配を漏らす少女に、何を言うのか不安に思いながらも参謀は発言を許可する。
「指示にあった敵拠点は、全て海軍の艦砲射撃で殲滅可能な位置にあります。我々がわざわざ出向く必要はないのではないでしょうか?」
まったくもって正論。だが、彼らにはそれが出来なかった。
「それは出来ん」
「なぜですか?」
「海軍の観測機は、敵の対空砲火に阻まれて満足な観測が行えない。対地砲撃で観測機がいないのは致命的だ。むしろ友軍誤射を招きかねない」
そう、建前はそうなっているのだ。
「それに、我々は『陸軍』だ。そこまで海軍の世話になるわけにはいかない」
だが、本音はこれだ。
ただでさえ地上戦で海軍陸戦隊の多大な支援を受けている現状、これ以上陸軍の威信を汚させるわけにはいかない。少なくともそういう事を言っておかなければ、上都の陸軍部隊は、その全員が本土の土を再び踏む事なく、この中華の大地に倒れ伏す事になるだろう。
それを聞いて、少女―――デグレチャフ―――は沈黙した。
それを見て、納得してくれたかと、安堵と共にひどい虚しさを覚える参謀
(我々は敵と戦っているのか、味方と戦っているのか…!)
だが、少女の沈黙は納得の沈黙ではなかった。
「でしたら、私が観測を行います」
決然とした表情で、参謀を見る少女。
「我々は『陛下』の軍なのです。陸軍海軍など関係ありません。陛下の赤子を無為に苦しめる事こそ、最大の敵対行為であり、軍法会議の場において、銃殺刑を下すにふさわしい物であると確信するものであります」
それを聞き、息が詰まる参謀。
見れば、彼女以外の魔導師達も動揺しているのが感じられた。建前を脱ぎ棄てて、ここまで真実国を思う発言を聞いては、誰も自らのこれまでの行為を思い返さずにはいられなかった。
だが、それでも彼は決断できない。
「…!だからこそ!私にも陛下の赤子たる部下達を、国に返す義務があるのだ!」
苦しい戦況にあって、面子に執着する司令部に対する怒りが、悲しみが、爆発した。
間違っても口にしてはいけない司令への侮蔑の言葉まで、彼はぶちまけてしまった。これで二度と参謀本部の要職などに着く事は無くなっただろう。
だが、これでいい気がした。
「…海軍との交渉は、私が直接行う。諸君らへの命令は敵兵站拠点と砲兵陣地の破壊だ。その方法まで指示されてはいない」
つまりそれは、海軍の協力を得て艦砲射撃で破壊しても構わないという事だ。
これがとんでもない詭弁である事は、誰もが理解している。それどころか、確実に独断専行を責められ、この参謀の将来を閉ざすであろうことも。だが、止めようとはしなかった。
「君の名前は何と言うのかね」
最後に、この決断を促した少女の、名前を尋ねる。
「はっ!ターニャ・デグレチャフ三等兵相当官であります。参謀殿!」
「分かった。進言、感謝する」
そのまま彼は司令部へと引き返して行った。
その背中は、覚悟を決めた男のものだった。
いやはや、危ないところだった。
ここに来る際にも、敵の警戒の薄いポイントを選んだというのに、旧式とはいえ帝国製の魔導観測機器を使った猛烈な対空砲火を食らったのだ。とてもではないが警戒厳重な敵拠点に突っ込む気にはなれない。
それに、地図を見てみれば河口付近に展開している海軍の艦隊の射程に余裕で入っている。これを使わない手はない。弾着観測の危険があると言えばあるが、直接弾幕に突っ込むよりはましだ。
こんなところでむざむざ死ぬ気は、私には毛頭ないのだ。
それに私とて、皇国国籍を手に入れた時点で、連中が守るべき『陛下の赤子』の一員なのだ。最低限の安全の追求ぐらい許されるだろう。
危険を避ける事が出来たと内心胸をなでおろしていると、独強魔導師隊の戦隊長にして、かつてターニャが教導を行った事がある安曇(あずみ)大佐が、真剣な表情でターニャに話しかけた。
「デグレチャフ教官。我々は、あなたの事を誤解しておりました」
「???当然の事をしたまでだ」
自分が生き残るために、手を尽くすのは当然の事だ。
それとも、こいつらは私が自分たちと同じ戦争狂だとでも思っていたのだろうか?なんとも心外な思いだ。
だが、答えを聞いた安曇は、より一層感じ入ったような表情と共に、本来階級差から絶対にあり得ない敬礼までよこした。
なぜだか背後の魔導師や、我が愚息まで敬礼を捧げてきているではないか。
…しかたない。軍隊という組織の中で規則に反する事は断固として避けるべきなのだが、この空気を壊すのもおかしいだろう。
ターニャは無表情で、答礼をした。
本人は気が付いていないが、あまりに異様で厳粛なその光景に、それを見ていた人間は、自らの周囲の人間にも伝えて行く事になった。
国民軍は、突如として連携の取れた陸海空の立体攻撃を開始した皇国軍を前に、急速にその戦力を摩耗させていた。
「敵重爆、東方より接近中!第九十七師団司令部を目指していると思われます!」
「味方戦闘機隊、敵空母より出撃した戦闘機に拘束されています。迎撃できません!」
「沿岸に新たな敵艦隊が接近中!海岸防御の第八十二師団、士気極めて低下!統制を維持できません!」
なぜだ、なぜなのだ!?
これまで敵は十分な航空、火砲支援を受ける事が出来す、こちらの数で押していたはずだ。
だが、これまで対地砲撃を控えていた敵艦隊が砲撃を開始してから全てが変わってしまった。地上の重砲に匹敵する重巡の八インチ級の主砲により、海岸線が見えないような内陸十キロ以上の場所まで正確な砲撃が繰り出され、戦線を推し進める原動力になっていた砲兵部隊は半日で壊滅した。
さらに、遅れて到着した敵母艦航空隊と皇国本土を拠点に出撃していると思しき重爆による猛爆。母艦部隊と共に到着した増援の地上部隊による、側面からの強襲揚陸。
これらによって、上都を包囲していたはずの国民軍各部隊は次々に各個撃破され、今や戦況の把握すらおぼつかなくなりつつある。
なぜだ、なぜなのだ!
連中の陸海軍は犬猿の仲のはず。実際この地でも、途中までは連中はバラバラに戦い、そこにつけ込む隙もあった。
それが明らかに変化したのは―――
「…!魔導観測より司令部!敵魔導師部隊を捕捉、おそらく増強中隊規模。『奴ら』です!」
「奴らが、奴らが全ての元凶なのだ!」
半ば恐慌状態で報告をする伝令の声を聞き、恐怖をにじませた声で叫ぶ国民軍将校。
奴らが出撃してから、連中は何かが変わったのだ!
正確な着弾観測を弾幕の中で行う冷静さ。それを妨害すべく出撃した魔導師部隊を、あらかじめ伏せておいた別働隊の一撃で葬り去る戦術眼。そして何より、発見した目標に向かって、対空砲火を気にも留めず一目散に突っ込んでくるその狂気に等しい蛮勇。その先頭にはいつも小さな少女の姿があった。
「魔導師どもを出せ!なんとしても殲滅しろ!」
指示を受け、司令部に隣接した陣地で待機していた魔導師部隊一個大隊が即座に離陸しようとする。
その時、先の報告を届けた魔導観測班から、今度こそ恐慌そのものの報告がもたらされる。
「敵魔導師、長距離砲撃態勢!この司令部を狙っています!」
「なんだと!?本当なのか!」
即座にたただす司令官。だが、周囲の人間はすでに我先に司令部から逃げ出している。
しかし、その努力が報われる事は無かった。
次の瞬間、司令部を呑みこんだ極太の光線に、離陸を開始した魔導師部隊ごと、司令部は全滅した。
連中は、中世かなにかの戦争と勘違いしているのだろうか?
命からがら砲撃を躱した敵魔導師に、中隊が突撃していくのを眺めながら、連中の思考を推察してみる。馬鹿になりそうので嫌なのだが、これも自分が生き残るため。手間暇を惜しんではいけない。
まず、重爆部隊が爆撃を仕掛ける予定の地域に露払いとして中隊が派遣されてみれば、そこには地方地主の屋敷を借り切ったと思しき家屋に、馬鹿みたいにでかい旗指し物がごっそりと刺されている光景。
しかも周囲には兵士が寝泊まりしていると思しき天幕に、理解不能な事に屋外に堂々と設置してある魔導観測装置のアンテナ。隣には発電機まで野ざらしで置いてある。
これで司令部の存在を疑うなという方が間違っている。少なくとも、何か重要な施設である事は子供でも分かる。
いや、もはやここまで来ると逆に怪しくなってくる。実はダミー施設でした、と言われたら信じそうだ。
しかも連中、海軍の艦砲射撃がよほど怖かったのか、観測機器のほとんどを海岸に向けていた。こちらが砲撃をチャージし始めて、初めて肉眼で観測しているありさまだ。
そしてそのまま砲撃。そばの兵舎ごとまとめて粉砕。
…うん。やっぱりわざわざ考える必要はないな。連中はただの無能だったのだ。
そして、旗指し物の絵柄から考えて、おそらく師団司令部クラスを殲滅したはず。戦況にも大きな影響を与えるだろう。
撃ち漏らしがいる可能性は否定できないが…
「後は連中に始末してもらうか」
視線を向けた先には、緊密な編隊を保ったまま機体の爆弾倉の扉を開きつつある、爆撃機の群れが映っていた。
地上でも、抵抗を試みる敵魔導師はあらかた始末できたようだ。
「…一応、一人ぐらいは始末しておくか」
砲撃だけでは、その後サボっていたと判断されかねない。爆撃開始までに速やかに始末しよう。
それに、さっさと始末して帰還命令を出してもらいたい。
…今の私はただの一兵卒にも劣る存在なのだから。
(嘘だろ…!なんなんだよあの砲撃は…!)
突撃する自らの背後から放たれた凄まじい威力の魔導砲撃に、頼もしさ以上に、戦慄を覚える葉月。
葉月は、今は自らの部下となっている母親に、大きな衝撃を受けていた。
家では自分の事を虫けらのように扱うのに、この戦場では常に真っ先に敵を発見し、危険な先導の役割を葉月に代わって行った。
攻撃でも、誰よりも先に敵陣を切り裂き、後方にいる敵を一人でなぎ倒している。
葉月達は、ターニャがズタズタに引き裂いた後を、子供のようについていく事しか出来なかった。無論戦果はあげているが、それも全てターニャのおかげである事は間違いなかった。
それに何より、上都に着いて最初に行った、あの参謀との対話。
普段国家の事など、これっぽちも考えていない。むしろ官僚組織の無能を嘲笑っているような母が、まさかあんな事を考えているなんて思っていなかった。生まれた時から皇国に住んでいる自分より遥かに強い、国家に対する忠義のようなものを感じた。
間もなく射程に入る敵魔導師に光学術式を準備しながら、脳裏では自らの母親が何なのかを考え続けていた。
(一体どうすれば、あんな人になるんだろう?)
自らの家族をゴミのように扱い、かと思えば、国家には比類なき忠誠を捧げる。それでいて、自分が危ない場面では、むしろ率先して危険を引き受けてくれている。
(もしかして、すごく不器用な人なのかもな…)
なんとなく、それは当たっているような気がした。
同時に、敵魔導師が射程に入る。
「撃て!」
号令と共に、中隊の全員が光学術式を敵魔導師に向かって叩き込む。何も言わなくても、一小隊四人で、一人の魔導師を確実に仕留めている。陣形もへったくれもない状態の敵魔導師は、孤立した状態で対多数の戦闘を強いられ次々と撃墜されていく。装備は悪くないが、戦術が未熟に過ぎる。これまで二週間の促成教育しか受けていない自分たちにも劣るだろう。
そのまま殲滅を継続する。
「大体始末できたかな…?」
そこで一度、全体を見るために空中で静止する。
その時、
「隊長!」
「!」
部下となった同期の、悲鳴のような叫び。
そして背後に微かな気配。
恐る恐る振り返る。
そこでは、葉月を奇襲しようと地上から急上昇してきた敵魔導師が、ターニャの魔力刃に串刺しにされていた。
心臓を一突きされた相手は、悲鳴を上げる事もなく息絶えていた。
「常に背後にも気を配れと言っておいたはずだが?」
「…!申し訳ありません、教官!」
ついでに今のターニャの地位は部隊で最低だが、教導を受けていた際の習慣によりあいまいに『教官』と呼ばれている。
「…以後、気をつけていただきたい」
一応は上官に当たるため、息子である葉月にも強く言えないターニャ。
だが、葉月としては十分以上に強い威圧を感じていた。これで母親が上官だったらどんな事になったか、想像したくもなかった。
「ありがとうございます!」
その時、ターニャの首筋に流れる、一筋の汗を見つける。
顔は上気した様子もなく、特に暑がっている様子もない。
(もしかして、冷や汗?)
自分が危ない目にあって、少しは緊張したのだろうか?
先ほどの自分の推測を裏付けるような事実に、なんとなく顔がほころぶ葉月。
それを見て、不審そうなターニャ。
「…?作戦目標は達成されたと判断されます。早急な撤収指示を具申します」
その眼は、これ以上呆けているのならこの場で射殺すると雄弁に語っている。すでに右手は腰の拳銃(魔導師は全員拳銃携帯。別名『自決ほう助銃』)に伸び掛けている。
「意見具申感謝します!総員、これより帰還する!」
指示を受け、即座に編隊を組み直した中隊は、そのまま上都の司令部に隣接した基地に帰還していった。
背後では、重爆部隊が死体もまだ生きている人間も関係なく、細切れにして大地に鋤きこんでいた。
時を同じくして、本土から輸送された中華派遣軍五個師団、総数十万余名が海軍の戦艦部隊の艦砲射撃と、空母部隊所属の航空機・魔導師のによる精密爆撃の支援下、上都近郊に上陸を果たしつつあった。
壮絶な攻撃を前に、士気が底辺まで落ち込んでいた国民軍はそのまま壊走しつつあった。
攻撃目標は、中華首都『南都』
上都にて主力を喪失した国民軍に、それを阻止する力は残されていなかった。