「―――ごめんなさい。もう一度いってくれる?」
西欧のある国にある辺境の地。一般人ならば近づくことさえ許されないナンバーズの本拠地。
空に向かって高くそびえる円塔の頂上付近にある部屋で、ナンバーズの司令官補佐のアインが、書類が積まれた机の前に座りながら、電話の受話器にそう語りかけていた。
冷静沈着で滅多に表情を変えないアインが、通話先の相手に―――何を言ってるんだこいつは、というように眉を顰めている。
『信じられないことかもしれないけど……事実よ。アンチナンバーズがⅥ。不可視の魔人―――その正体はただの人間』
「寝言は寝てから言いなさい」
容赦なく通話を切ると机の隅っこの電話の定位置に受話器を戻した。
やらなければならないことは山のようにあるというのに、無駄な時間を使ってしまった。後悔してもしきれない。
エルフやゼクスならともかく、真面目なツヴァイが冗談を報告してくるとは考えてもいなかった。
アインが書類を一枚手にとって眼を通していると、電話が音を鳴らす。
はぁ、とため息をつきつつ、受話器を取り上げた。
『ちょっと、いきなり電話きるなんて酷いじゃない!?』
「……そう思うなら真面目に報告しなさい」
『だから、何度も言ってるじゃない?私の監視対象キョウヤ・タカマチが伝承墜としだったって!!』
「……」
今度は無言のままに受話器を叩き付けるように母機へと戻す。
先程からこれの繰り返しである。ツヴァイは決してふざけて報告をしているわけではないが、何せ内容が内容だ。
誰もが恐れ、怖れ、畏れる、人外の頂点の一角が、まさかただの人間だったとは誰が信じるだろうか。
もし、逆の立場だったならば間違いなく、ツヴァイとアインの対応は真逆になっていただろう。
何故ならば、アンチナンバーズⅥの先代は【人形遣い】と呼ばれた古き時代から生き抜いてきた吸血鬼。【真祖】と呼ばれる吸血鬼の一体だった。真祖とは、文字通り始まりの吸血鬼のことを指す。
吸血鬼の王族の一人として何不自由なく暮らすことができたというのに、それを認めず殺戮の日々に生きた女性。夜の一族の中でも吸血鬼が恐れられたのは人形遣いが原因と言っても過言ではない。
血を吸った者を己の配下とし、次々と死者の軍勢を増やしていき、ナンバーズに真正面から戦争を仕掛けてきた唯一の存在。戦いではなく、【戦争】。それほどに悲惨な戦いを繰り広げてきた。
驚異的な数で人間社会を滅ぼそうとした人形遣い。驚異的な力で人間社会を滅ぼそうとした魔導王。
この二人はナンバーズ最凶最悪と言い伝えられていた。決して滅ぼすことは出来ぬ魔人として。
「―――それを滅ぼしたのが、ただの人間?」
有り得ない。信じられるわけは無い。
伝説を墜とすことができるものは、同じ伝説の存在のみ。
伝承級の化け物を滅ぼすことができる人間。それはもはや既に―――。
「人間を超えた―――真なる魔人」
人外という種としてではなく、HGSという突然変異というわけでもなく―――人の身と技。
それのみで伝説を穿ち滅ぼした。それを本当の化け物と言わずしてなんとする。
アインの空恐ろしい思考を割るように、また電話の音が鳴り響く。
間違いなくツヴァイだろう。でなくてもわかるが、万が一他の相手からだったら非常に困る。
緊急事態であったら尚更だ。仕方なしにアインは受話器を取った。
『人形遣いを滅ぼして、イレインを瞬殺して、猫神を倒した伝承墜としは、誰が何と言おうとキョーヤ・タカマチだから!!』
ツヴァイはガッーと一息で告げる。
アインに反論させる暇も与えず、今度はツヴァイから電話を切った。ツーツーという虚しい音がアインの耳に響いた。
かけなおす気にもならないが、あそこまでいうからには事実なのだろう。
フュンフをして勝ち目がないと判断し、ツヴァイがここまで断言する。
ならば、アンチナンバーズがⅥ。伝承墜としは―――人間なのだ。
これからどう動こうか。
それを決めねばならないが、うまく頭が回らない。
普段の疲れが、ツヴァイの報告で一気に出てしまったのかもしれない。
兎に角、伝承墜としの正体が判明したのだ。【上】に報告しなければならないとアインは思い立ち、椅子から立ち上がった。
アインはこれから行く場所を思い描き深くため息を吐くと、円塔を降りていく。
途中すれ違った三人の職員は、アインに対して敬礼をしてその場から動かない。
歳若い二人の職員は尊敬を込めてだが、もう一人の歳を取った職員の目には複雑な感情が浮かび上がっていた。
相手をする暇も無いので、アインはご苦労さま、と一言だけ投げかけて素通りする。
職員の態度は他の数字持ちへするものとは全く違うが、それも仕方ない。
基本的にアインは戦闘を苦手とし、前線にでることは無い。飛び抜けすぎた【力】を見せつけたことが少ないため、アインを恐れる人間は、ナンバーズという組織において随分と少ない。
そして、あまりに美しすぎる容姿と、ナンバーズの運営を一手に引き受ける優れた能力。ナンバーズの若き職員の憧れとなっている。
アインの姿が曲がり角の向こうへと消えると、年配の職員は止めていた呼吸を再開させた。
その姿に、若い職員二人は首を傾げる。
「隊長。どうしてあんなに緊張してたんですか?」
「……そうか。お前はあの人の戦う姿を見たことは無かったか」
「ええ!?アイン様って戦ったりするんですか!?」
本気で驚く部下に苦笑しかできない。
だが、それも仕方ないかと思い直す。確かにアインが前線に出ることはあまりにも少ない。
戦場に出て戦うよりも、アインはナンバーズの運営に力を入れなくてはならない理由が出来てしまったからだ。
ナンバーズの最高司令官にある男が就任してしまったが故に……アインは前線から身を引かなくてはならなくなったのだ。
その最高司令官を思い出した隊長は―――アインの前でした緊張とはまた別の、重いため息を吐いた。
そんなことを話しているとは知らないアインは円塔を降りる。傍にあったエレベーターで建物の一階まで降りると、中庭に出た。
中庭の隅っこに歩いて行くと、壁の色に似たスイッチがあったが、注視しないと間違いなくわからないだろう。
そのスイッチを押すと、ガコンと大きな音がして地面が動いていく。
カモフラージュされていたが、地下への階段がその場に現れた。
黴臭い匂いがアインの鼻につくが、躊躇いなく階段をおりる。
相変わらず地下に広がっているのは、ゲームのダンジョンの様相を呈していた。
視線の先は暗闇が支配しており、おもわず引き返したくなる空気をかもしだしている。アインの手が横壁を探り、何時もの如くボタンを押すと、パァと天井から光が降り注ぐ。
地下は一直線で、両脇には扉が幾つも並んでいたが、通路はどこまでも続いているようだ。
カツンカツンと通路に響く足音。
三分程度歩いただろうか。足を止めた先、錆付いた鉄の扉があった。
両開きの扉には何故か近代的な暗証番号を入力する画面がついており、一から九までの数字のボタンがその横には備え付けられている。
それを無視してアインは鉄の扉に掌を当てると軽く押す。すると、軋んだ音をたてて鉄の扉が開いていく。
如何にも暗証番号をいれないと開かないように見せかけて、実は何もしなくても開くという無意味な仕組みだ。逆に何かしらの番号を一つでも押すと鍵がかかる。
鉄の扉の先には、一目で研究室とわかる部屋が存在した。
なにやら怪しい液体が一杯に入った巨大なポット。ビーカーやフラスコが散乱している。
難しい計算式が書かれた紙が床のあちらこちらに放り出されていて、足の踏み場もない。天井や周囲の壁は薄汚れていて、何やら赤黒い色で塗りたくられている箇所もある。
あまりの不衛生さに即座に背を向けたくなるが、そこをぐっとこらえて研究室に踏み入れた。
「ド、ド、ドリルは―――漢の、浪漫だねぇえええぇえええええ」
男の叫び声が聞こえた。
室内に声が反響して、どこから聞こえたかわからないが、居場所はわかっている。
知らない人間がここを訪れたならば、室内の様子と空気と叫び声で逃げ出したに違いないが、生憎とアインは叫び声の主に用事があるのだ。
室内の奥、高さ二メートル、幅十メートル、厚さ十センチを超えた分厚い強化ガラスの向こう側に聳え立つ湾曲したガラスのポット。
巨大なポットが数個も置かれていたが、そのポットの中の一つには得体のしれない液体と共に、頭から二本の角を生やした裸の男性が入れられていた。
強化ガラスの前の台座に設置されている尋常ではない大きさのパソコンのモニターの前で一人の男性がキーボードを指が霞む速度で叩いている。
高級なスーツだというのに皺が目立つ。その上に白衣を羽織っていたが、はっきり言って薄汚い。
紫に近い色合いの髪。アインと良く似ている、色だけだが。
見掛けは極上の色男。外見さえどうにかすれば、黙っていれば幾らでも女性が寄ってくる。それほどの美形だった。
問題があるとすれば―――狂喜に歪んだ口元と、叫び声の二つだ。
「いいぞぉおお!!実験体第九百二十五号!!出力をあげるぞぉおおおおお!!」
キヒヒと不気味に笑いながらカチャカチャと音をたてて何かを入力する。
それと連動して強化ガラスの奥にあるポットに入った男性の身体がビクビクと痙攣し始める。
激痛が襲っているのか、必死になって外に出ようとポットを殴りつけるが、液体の中ということもあり威力がでないようだ。
「まだだぁ!!貴様の力はこの程度ではないはずだぞぉおお!?アンチナンバーズの二桁ナンバーの底力を見せてみろぉおお!!」
角を生やした男性の顔が歪む。ゴポゴポと口から気泡が漏れていく。
苦しむ姿よりも、モニターに表示される数字にしか興味はないのか、どれだけ苦痛に顔をゆがめようが一切の情け容赦はない。
この男性は明らかに―――狂っていた。人間といってはいけない【何か】であった。
「……ドクター」
「うん?ああ、アインかい。久しぶりだねぇ……元気だったかい?」
「はい。ドクターは研究の調子は如何ですか?」
「順調だよ、とは言えないのが悲しいねぇ……ぼちぼちといったところかな」
この男性は通称ドクター。本名は不明。長い付き合いのアインでさえも知らない。
ナンバーズの最高司令官にして、世界でも有数のHGS研究者。
現在の数字持ちと呼ばれるナンバーズの育ての親と言っても過言ではない男だ。その割に娘達にはあまり好かれていないのだが。
最高司令官という地位にいるのだが、仕事はほぼ全てをアインに丸投げしている。そして、本人は研究に没頭しているのだが、これは有名な話であり、そのうち首になるのではないかという噂も流れていた。
アインと話している様子を見ると、一見まともそうだが、一度研究に没頭すると狂人染みた性格に変化してしまう。
それが娘達に嫌われている原因なのだが、本人はそれに全く気がついていない。
「それより聞いてくれ、アイン。流石はアンチナンバーズのLXXX(80)。これだけの電流を流しても、まだ生きている!!凄まじい生命力だ!!」
「……確かこの前連れてきた四桁の人外は一瞬で黒炭になっていましたよね?」
「くっくっく、その通りだ。それを考えるとやはり、アンチナンバーズの上位は素晴らしい!!いじりがいがあるというものだ」
悪人笑いをするドクターはアインに向けていた視線をモニターに戻し、表示されている数字を注視する。
どうやらズィーベンとツェーンが捉えてきたアンチナンバーズのLXXX(80)に夢中なようで、こちらにあまり時間を割いてはくれないようだ。
研究に没頭するのは結構だが、これが親とは幾らなんでもあんまりだ。そう語っていた妹達の気持ちも少しわかるアインだったが、兎に角用件を済まさねばならない。
「―――伝承墜としの正体が判明しました」
「……」
「日本の海鳴という地に住む男。名をキョーヤ・タカマチ。信じがたいですが、ツヴァイ達の話を信じるならば、ただの人間です」
「人、間?HGS能力者かい?」
ピタリとキーボードを叩くのを止め、身体をアインに向けた。
食いつくようなその様子に、僅かに驚くも、首を横に振って否定する。
「報告によれば二振りの刀を操り、その身一つで猫神をも打倒した、と」
「猫神を?人形遣いに引き続き、あの猫神をかい?」
「―――はい」
呆然とするドクター。
アインの報告を少しの疑いも持たず信じている。
アインは信頼するツヴァイの報告を最初は全く信じられなかった事を考えると、ドクターのアインへ対する信頼は相当に高いようだ。
呆然としていたドクターの眼に、奇妙な光が宿る。その光は―――新しい玩具を見つけた子供のようなキラキラとした瞳だった。
「ふひひ、ははははは、へへへ!!人間!!神にも、化け物にも届かぬその身で、人外の頂点を打ち砕いた!?くひひ、はははははははは!!」
興奮が臨界点を突破したのか、ドクターはガンとおもいっきりパソコンのキーボードを叩く。
モニターの画面が目まぐるしく変化していき―――DANGERという赤い文字と、室内に警報機の音が鳴り響いた。
「―――あっ」
間の抜けた声がドクターからあがった。興奮しすぎて、押してはならないボタンを押してしまったのだ。
強化ガラスの向こう側のポットの蓋が徐々に開いていく。
それを逃す相手ではなく、角を生やした男性はポットの縁に手をかけて一気に這い上がる。
ザバンと水しぶきの音が警報の音に混ざって響く。ギラギラと殺意に輝く視線で二人を―――いや、ドクターを睨み付けていた。
『―――コロス』
一切の余分のない純粋な殺意。
己の身を散々弄んだ人間を殺すためだけに、アンチナンバーズのLXXX(80)―――ガルガンチュアと呼ばれる化け物が死の行進を開始した。
ポットを蹴りつけた反動で粉々に砕け散る。そのままの勢いで、拳で強化ガラスを殴りつけた。メキャという何かと何かがぶつかりあった音がする。
十センチもの厚さの強化ガラスは罅一つはいらず、ドクターはガルガンチュアを応援するように拍手する。
警報が響く室内でパチパチという音が妙に場違いだ。
だが、ガルガンチュアは諦めることを知らず。
殺意だけを動力として、ひたすらに強化ガラスを殴り続けた。
連打。連打。連打。連打。止むことのない、拳の連打。その時、ピシリと何かが音を立てた。
僅かに生じたガラスの罅割れ。それが広がっていく。ピシピシと音を立ててどんどんと割れてゆく。
とどめと言わんばかりに大きく振りかぶった一撃が―――強化ガラスを砕き割った。
ガルガンチュアは、その穴からゆっくりと研究室へと侵入してきた。
己を苦しめた怨敵を、敢えて恐怖させようと考えていたガルガンチュアだったが―――ドクターの態度は全く変わっていない。
「いやぁあはぁああああああ!!素晴らしいぞぉお!!流石は実験体九百二十五号!!この強化ガラスを破壊するとは!!」
「……御自重ください、ドクター。貴方の戦闘力は一般人とかわらないんですよ」
「おお、そうだったね、アイン。流石に私も死にたくない―――君に任せよう」
ドクターとアインの会話に、ガルガンチュアの殺意が一層濃くなる。
彼は負けたとはいえ、ナンバーズが有する数字持ちである【切り裂く者】と【狙撃者】の二人相手に善戦をした。
一対一ならば間違いなく負けなかった戦いだ。そのガルガンチュアの目の前に立ち塞がるのは、とても戦えるとは思えない女性一人。
「―――久々の戦闘ですので、お手柔らかにお願いします」
アインの言葉が終わった時には、すでにガルガンチュアの拳がアインの眼前に迫っている。
そのまま拳を振り抜き、アインの顔面を破壊した―――筈だった。
ぐるりと視界が回転する。強かに背中を地面に叩きつけられ、衝撃で息が止まった。
ぐにゃりと歪む視界には、何の感情も見せずに自分を見下ろしているアインの姿。
屈辱を感じるより早く、アインの柔らかな拳がガルガンチュアの顔面に叩きつけられる。グチャリと、奇妙な音をたてて二本の指で片眼を抉っていた。
熱い激痛。脳を直接掻き回されるような痛み。ブチブチという音が耳に響き、残り一つしかない片目でガルガンチュアは見た。
抉り取ったガルガンチュアの片目を床に落とし、躊躇いなく踏み潰す姿。
人とは到底思えない冷酷さ。残虐さ。果たしてこの人間は、本当に人間なのだろうか。
感じた恐怖を振り払い、片手でアインの足を払おうとするが、それを見越していた動きで踏み潰す。
ボキンと骨が砕ける衝撃が腕にはしった。あがりそうになる悲鳴を抑え、全身の力を解放して、アインの身体を弾き飛ばすようにして起き上がる。
軽く弾かれたアインは、足音もたてずに床に着地。
虫けらを見る視線で、ガルガンチュアの全身を観察する、
腕を折られ、片目を抉られながらもガルガンチュアには諦観の念は見えず。
雄叫びをあげ、アインに突進する。残された片手でアインの首を折ろうとした刹那、その姿はガルガンチュアの視界から消えている。
交差する瞬間、懐から抜き逆手に持った短剣でガルガンチュアの首を掻っ切っていた。
視界が真っ赤に染まっていた。自分の血だと認識することもできず、ガルガンチュアは研究所の床に無様に倒れ、二度と動くことは無かった。
ナンバーズという組織において最強の戦闘部隊である【数字持ち】。
その中でも【アイン】の称号を与えられているのは伊達ではない。戦闘特化型HGSというわけではないが、それでも、ドライやフュンフに匹敵する力を持つ。ナンバーズに在籍する古株だけが彼女の恐ろしさを知っている。
数字持ちが恐れられる理由。それは、そもそもツヴァイとドライを含む三人で、数多のアンチナンバーズを殲滅してきたからだ。
フィーア以降は数字持ちでも第二陣でしかない。アンチナンバーズとの交戦が激しかった十年前を生き抜き、多くの人外を沈めてきたのはアイン・ツヴァイ・ドライ。この【始まりの三人】である。
「ご苦労だったね、アイン。でも、君ほどの使い手ならば生かして捕らえる事はできたんじゃないかい?」
「予想以上に手強かったですので、生け捕りは無理だったかと」
「そうか……まぁ、死んでいても使い道はあるか」
不気味に笑いながらドクターは事切れたガルガンチュアの髪を掴み、引き摺りながら研究室の奥へと運んでいく。。
ドクターの発言どおり、恐らく殺さずとも捕らえることは可能だったろう。だが、これ以上の地獄を見るよりは、と判断し容赦なく殺した。ようするに情けをかけたのだ。
だが、死してなお、その身を弄ばれることになるガルガンチュアは敵であったとしても、憐憫を僅かに抱く。
「ドクター。伝承墜としにはどう―――」
「アイン、君に任せるよ。好きに動けばいい―――だが、出切れば会いたいね、彼に!!きっとイカレタ、私の同類なんだろうしね!!」
それだけを返答し、ドクターは研究室の奥へと消えていく。
薄気味悪い笑い声。ドリルやらロケットパンチやら、不穏な単語も聞こえたが―――聞かなかったことにした。
もしも、精神構造が今よりもマシだったならば、彼は優れた研究者として名を残していただろう。
だが、歴史に【もしも】はない。今この時が全てだ。アインもドクターも時の流れにだけは逆らえないのだから。
「―――伝承墜とし。貴方は私達の敵か味方か。見極めさせて貰います」
木々は生えず、不毛な大地が広がっている北米の片隅。
見渡す限り草木一本も見えず、乾いた土地が延々と広がっている。
さんさんと太陽の光が地上を照らすが、それが余計に大地に住む生物を苦しめていた。
そんな大地のある場所に、大地がぽっかりと半球状に抉り取られている、月面のクレーターともいうべき陥没した場所が存在する。
そこの丁度中心に一人の女性が大の字になって倒れていた。
胸部が僅かに上下している様子から死んではいないようだが、この炎天下の中で倒れているというのは自殺行為にも等しい。
女性は己に降りかかる灼熱の光など全く気にも留めていないのか、静かに眠り続けている。
不思議な女性だった。いや、少女と表現したほうが相応しいかもしれない。
日本の女子学生が着ているセーラー服。はっきりいってこの場所には場違いすぎる格好だ。履物も洒落っ気が一切無い黒いブーツ。
見かけだけならば、二十。いや、もっと若いだろう。美人というよりは、可愛いといった形容が似合う少女かもしれない。
肩まで伸びた髪が外に撥ね、砂に塗れている。
そんなクレーターへとゆっくりと近づいてくる女性がいた。
降り注ぐ太陽の熱に若干辛そうに歩いてきたのは、世界の敵の一人。夜の一族の王。アンチナンバーズがⅡ。未来視の魔人だった。
鬱陶しそうに太陽を見上げ、疲れたため息を一つ。太陽が弱点というわけではないが、基本的に夜行動が多い天眼にとっては、日の光というものは嬉しいものではない。
珍しく笑顔を曇らせ、汗を滴らせながらクレーターの前で足を止めた。
眼下を見下ろせば、随分と下の窪みにセーラー服の少女が寝転がっている。
それを視界に入れた天眼は汗を拭いつつ、珍しくも忌々しげに舌打ちをした。右手を天に挙げ、人差し指と中指の二本で空に向ける。
見る見るうちに、雲ひとつ無い晴天だったのが、薄暗い雨雲に支配されていく。
雨雲に浮かぶのは巨大な五芒星。雨雲とは対極の光を放つ―――だが、不吉な輝きの、魔方陣が遥か上空にて構成された。
それを為しているだろう魔人は、右手を振り下ろし、眼下に寝転がる少女へと指先を向ける。
「―――神雷」
鼓膜を破る程の大激音が周囲に響き渡った。それによって魔人の唇から漏れた言葉を聴けたものは、本人含めて居なかっただろう。
魔力のこもった言霊が、少女の周囲に光の檻が出現させ、膨大な紫光の奔流が天空から降り注ぐ。
何十もの雷撃が、何の容赦もなく、光の檻に囲まれた少女を穿ち、滅ぼす。
雷の雨は、十数秒も落とされ―――巻き起こされた煙と砂塵が天眼の視界には広がっていた。
何時の間にか、跡形もなく消え去った雨雲のかわりに、胸がすくようなスカイブルーが広がっている。
煙が治まっていくなかで、先程よりさらに深くなったクレーターの中心で―――セーラー服の少女は、服を所々を焼き焦がしながらも、無傷で胡坐をかいていた。
どのような人間でも、人外であろうとも、消滅させるであろう魔術の極限を受けてなお、平然としている少女。
そんな尋常ではない光景を見ていながらも、天眼の表情には変化は無い。再びさんさんと照らしてくる太陽の光に、参ったようにため息だけをついた。
「……いきなり、何を、する?」
「こうでもしないと休眠状態の貴女は目を覚まさないでしょう?」
殺されかけたというのに、少女は天眼にどうでもいいことを聞くかのように、質問する。
ただ、少女の言葉は所々、外国人が日本語を話す時のようにカタコトで、聞き取りずらい。
それは、天眼の魔術を受けたからなのか、元来こんな話し方なのか―――その答えは、実は後者であった。
「起こすためだけに、さっきみたいな大魔術を、放たないで欲しい。流石の私も、【一度】死んだ」
「一度で済んだことに驚きますよ。それはそうと、こんな太陽の照りつけるところで居眠りできる貴女を、少しだけ尊敬しますよ」
「……それで、何か用?」
天眼の言葉を全くといっていいほど無視して、少女が何の用なのかと質問する。
相変わらず会話のキャッチボールができない相手なのを再確認した天眼は、頬を滴り落ちる汗を手の甲で拭う。
自分が育て上げた人外の頂点の一人。人や人外が持つのが当たり前だった多くのものを捨て、戦闘に特化するためだけに己を創り上げた、生粋の化け物。
戦闘以外には一切の興味を持たない。戦闘にしか興味を持てない。
伝説に名を残す化け物達のなかで、最も多くの強者を屠った三百年の時を渡り歩く魔人。
人は少女をこう呼ぶ―――アンチナンバーズがⅦ【百鬼夜行】、と。
「朗報を伝えに来ました。最も貴女にとっての朗報ですけど」
「―――朗報?」
ペロリ舌で赤い唇を湿らせた天眼は、薄気味悪い眼で百鬼夜行を見下ろしながら―――。
「アンチナンバーズがⅥ【伝承墜とし】が猫神を単騎にて撃破しました」
「……え?」
百鬼夜行の口から、間の抜けた疑問が飛び出す。
そんな姿に天眼はここまで来る事になったために感じていた溜飲をさげ、言葉を続ける。
「しかも、猫神覚醒状態の彼女を―――です」
「……」
呆然。その単語が相応しい姿で、百鬼夜行は口をぽかんとあけて天眼を見上げていた。
数十秒の間はそのような光景が続いていただろうか、百鬼夜行は己を取り戻したのか、酷く楽しそうに犬歯を剥きだしにして笑う。
既に間の抜けた表情は影を潜め、未知なる敵に対する興味があふれんばかりに発散されていた。
「伝承、墜とし……噂には聞いてたけど、それほど?」
「ええ。幾ら貴女に軍勢の殆どを殲滅されていたとはいえ、仮にも死者の女王である人形遣いを屠り―――さらには猫神をも撃破する。二つの伝説を崩した唯一の【人間】です」
「―――な、に?」
天眼の放った衝撃の事実に百鬼夜行は眼を丸くする。
それは当然だ。人形遣いも猫神も、一度は戦ったことがある相手だ。
どちらも尋常ではない相手。心が戦いの興奮で打ち震えた、数少ない好敵手だった。
化け物の中の化け物。伝説に名を刻む人外の二人を打倒したのが―――ただの人間だったということに驚きを隠せない。
そして、人間という存在で、伝説を降すことができるモノを百鬼夜行は一人だけ知っていた。
百鬼夜行の知る限り生涯最高にして、最強にして、最凶にして、最狂。あらゆる人外の頂点に立った剣士。人にして人を超えた―――究極の生命体。
「……まさ、か。【彼】?」
「いいえ。残念ですが、【彼】ではありませんよ?」
「―――そう」
己の予感が外れたことに酷く肩を落とす。
期待が膨らんだだけに、己の想像が異なったことに失望を禁じえない。
ですが、と天眼は影を背負った百鬼夜行に語りかけた。
「―――限りなく【彼】に近いのは事実です。」
「……!!」
「似て非なる存在ですけどね。実際に貴女の目で見てそこは確認してください」
「……」
ニタリと百鬼夜行は嬉しさを隠し切れず、嗤った。
天眼の言を信じるならば、どうやら【彼】ではないらしい。
【彼】に会うためだけに己を磨いてきた百鬼夜行だったが、【彼】ではないと伝えられて感じたのは僅かな失望感だった。それもすぐに心から消える。
理由は簡単だった。今の自分ではまだ【彼】には及ばないと判っているからだ。百鬼夜行の憧れであり、目標であった【彼】。故にまだ会えなかったとしても構わない。【彼】を殺すのは己なのだから。
再び会えるという言葉を信じて戦いに身を投じてきたが―――何時しかその心は磨耗していった。
三百年という気が遠くなる年月の果ての果て、残されたのは闘争のみを求める、心を砕かれた百鬼夜行という容れ物だけ。
「それで、伝承墜とし。そいつは、どこにいる?」
「教えるかわりに、例の【種】を回収させていただきますよ?」
「……わかった」
百鬼夜行は腹部に手をあてて―――躊躇いなくズブリと抉りこませた。
ビチャリと嫌な音をたてて鮮血が滴り落ちるも、百鬼夜行は眉一つ動かさず、手をさらに奥へと侵入させ、ぐちゃぐちゃとかき回す。
目的のモノを探し当てたのか、腹部から手を引き抜き、赤黒く染まった不気味な宝石を取り出した。
百鬼夜行はそれを天眼に向けて投げつける。放物線を描いて手元に落ちてきた【種】を眼を細めて満足そうに確認した天眼は、懐から輝きの鈍い新たな【種】を取り出すと、百鬼夜行に放り返した。
受け取ると、先程とは真逆で腹部にズブリと埋めていく。
己の身体の奥底に【種】を埋め込んだのを確認すると、手を引き抜いた。
すると、それはどんな魔術なのか。気がついたときには、大きく開いていたはずの腹部の穴が、跡形なく消え去っていたのだ。
確かにあいていた筈の穴が、一瞬で癒えていた。それを証明するのは、セーラー服を汚す鮮血のみ。
「よくぞここまで育ててくれたものです。貴女と【魔導王】が最も優秀ですよ、【種】を育て上げることに関しては」
「よく、言う。私が知らない、とでも思ってる?魔導王は、腰抜けだった。私と、並べないで欲しい」
「……」
「さあ、【種】は渡した。伝承墜としは、どこにいる?」
「―――日本の海鳴という地を訪ねてみるといいですよ。かの魔獣。ざからが封印された地です」
「……わかった」
聞くことを聞けた百鬼夜行は、満足気な笑みを浮かべ天眼に背を向けてクレーターから這い出していった。
その背を視線で追っていた天眼だったが―――蜃気楼のように、その姿が掻き消える。
果てしない悪寒を感じ、天眼が両手を眼前へと突き出す。それと時を同じくして直径にして一メートルにも達する巨大な黒い甲羅型の盾が出現した。
バキィンと何かが黒き盾を叩き付ける音が聞こえる。黒き盾を殴りつけたのは、想像通りの化け物―――百鬼夜行。
防がれたにも関わらず、相変わらず不気味な笑みを湛え、無造作ともいうべき連撃を黒の盾に叩きつけてきた。
大魔導が使用する絶対防御ジ・アースには劣るとはいえ、天眼自慢の完全防御。
それを只の力だけで破壊しようとしてくる戦鬼は、純粋に恐ろしい。
破壊できないことに諦めたのか、百鬼夜行は天眼から大きく距離を取る。
「お前は、何でそんなに、強い?不可思議だ」
「―――長い間生きていますからね。たかが三百年程度しか生きていない小娘に負けては立つ瀬がありませんよ」
「……六百年の時を生きる、魔人。私は、お前が怖い。恐ろしい。本当に六百年しか、生きていないのか?」
「―――忘れましたよ。私がどれだけ生きてきたかなんてね」
百鬼夜行は左拳を前にするように、半身になって構えると、右手を大きく後ろに引き斜め下へと向けてピタリと空中で止める。
ミシリと、荒れ果てた大地が罅割れる。百鬼夜行が踏みしめた大地に恐怖が伝染したかのようだった。
見かけはセーラー服を着た少女だというのに、その背後には理解し難い異様な鬼気が立ち昇る。
ただ、黒く。ただ、暗く。ただ、重く。
ズンと激しく大地を揺らした百鬼夜行が猛然と迫る。
十分に力と速度を込めた―――何の変哲も無い拳が再度黒の盾に叩きつけられる。
拳が砕ける音が周囲に響きつつも、拳と黒の盾が一瞬拮抗する。
そして、瓦解した。
「―――っな!?」
驚きの声があがるのと、砕け霧散する黒の盾を潜り抜け百鬼夜行が血みどろになった拳を天眼の腹部に叩きつけてきたのは同時であった。
骨を折り、粉砕する感触が伝わってくるも、それで止める百鬼夜行ではない。
吹き飛ばされ、地面に激突。跳ね上がった天眼に追撃をかけ、空中に飛び上がると叩き潰すように重力にのった足刀が首元に迫った。
痛みに耐え、足刀に合わせて黒の盾を発生させる。間一髪で防ぎきることに成功したが、百鬼夜行が拳を振り上げるのを天眼の視界に映る。上からのしかかるようにしている百鬼夜行と、地面に仰向けになって倒れている天眼。その光景を見たものは自分の目を疑ったことだろう。アンチナンバーズのⅡ。未来視の魔人が為すすべなく襲われているのだから。
拳が黒の盾を殴りつけ、ピシリと罅が入った。それに続けて左右の拳の乱雨が振り続ける。
圧倒的な力を秘めた、単純な暴力。それに晒されていた天眼に焦りの表情が浮かんで―――いなかった。強いて言うならば若干の驚き。そして、賞賛。
やれやれ、と。そんな呟きが、黒の盾を破壊されると同時に漏らされた。
百鬼夜行の拳が天眼の顔面に振り下ろされるも、新たに生成された盾がその拳を阻む。
再度破壊しようとする百鬼夜行だったが、ピタリと拳を振り上げた体勢で固まった。まるで時を止められたかのように。
いや、百鬼夜行は動いてはいた。ぶるぶると動かない身体を無理に動かそうと、震えていた。
注意して見てみて初めてわかる。超極細の白銀に輝く無数の糸状の閃光が、百鬼夜行の身体に巻きつき、身動きを奪っていたのだ。
閃光は百鬼夜行を取り囲むように縦横無尽に広がっており、幾何学的な網目模様を中空に描きながら半円球となって固定され、二人を中心に覆いつくしていた。
閃光の糸を力で引き千切ろうとしている百鬼夜行だったが、幾らもがいても千切れる様子も見えはしない。
それでも必死に呪縛から逃れようと、四肢に力を入れるが―――糸が食い込むだけに終わった。
天眼は立ち上がると身体についた砂埃を払い落とす。まるで蜘蛛の巣にかかった、獲物に見えるその姿を嘲笑う。
伝承級の中でも鬼王に次ぐ破壊力を持つ百鬼夜行の拳をまともに受けたというのに、全くダメージを受けていない様子に、やや呆れた視線を向けた。
「……相変わらず、尋常じゃない。お前は、何だ?」
「私は未来視の魔人。それだけですよ。でも、貴女もまた身体能力をあげましたね。まさか私の防御を、ああも容易く破壊するとは……」
視線だけではなく、言葉に賞賛をのせて天眼はパチパチと拍手をおくる。
賞賛しておきながら、小馬鹿にする感情を裏に潜めている。それに気分を害したのか、舌打ちを一つ。
「お前は、強い。強すぎる。だが―――私の心は、蘇らない。お前では、震えない。私の心は、【剣の頂に立つ者】とともに死んだのだから」
「―――黙れ、小娘」
その瞬間。世界は確かに悲鳴を上げた。
助けてください。止めてください。許してください。
そんな助けを求める雄叫びを、大地があげる。空間がギシギシと軋みを立て始める。
草木一本生えていない不毛の大地はまるで空間ごと塗り替えられたかのように、死の大地へと変化した。
笑顔を絶やさぬ未来視の魔人は、激しい怒りを湛え、百鬼夜行を射殺さんばかりに睨みつける。
「―――【剣の頂に立つ者】を語っていいのは私だけです。小娘―――お前が【彼】を、語るな!!」
急変した天眼は激しい憎悪と憤怒を言葉に纏わせ、百鬼夜行をも震え上がらせる【何か】を身体中から発していた。
「―――風神」
その呟きと共に、死の大地の全体を覆いつくす暴風が発生。
砂が、石が、岩が、舞い上がり、時には砕け、横殴りの風が百鬼夜行に襲いかかる。
糸が引きちぎられ、百鬼夜行を捕らえた暴風が直上方向へと吹き上がる竜巻となった。地上数十メートルの高さまで一瞬で上昇させられた百鬼夜行。
大地が上に、天空が下に。真逆となったその世界で―――百鬼夜行は己へと迫る絶対的な死を冷静に見つめていた。
荘厳で、優雅。だが、圧倒的な死を内包した絶対死の魔術の極限。
空中ということもあるが、竜巻に巻き込まれ、身動きを封じられた百鬼夜行の周囲には―――数百にも及ぶ、深緑の刃。そのどれもが、二メートルを超える巨大さ。
それは、空を裂き、大地を破壊する、終焉の一。必殺必中。まさにその言葉が相応しい、防ぐことも避けることもできない絶望の世界だった。
「……私の、負けか」
虚ろな吐息とともに出た言葉は暴風で本人にさえ聞き取れなかっただろう。
だが、天眼は暴風の中でどうやってか聞き取っていたのか。眼を細めて、口元を歪めた。
「―――【種】は回収してしまいましたからね。新たな【種】では貴女のストックは精々二個程度です。日本に行く前に、喰い散らかして補充することをお勧めします」
「―――わかった」
その会話を合図に森羅万象を殲滅せしめる絶対死が発動した。
深緑の刃の軍勢が、音もたてずに百鬼夜行に突き刺さっていく。
腕を切り裂き、足を分断し、腹を貫き、肩を抉り―――そして、首を斬りおとした。それで止まることもなく、死体となった百鬼夜行をさらに蹂躙していく。
切り刻まれ、さらに粉微塵にまで降り注ぐ断罪の刃。雲霞の如き狂乱の剣閃。
遂には、竜巻に吹き飛ばされ細胞一つ残らず、百鬼夜行だったモノは消え去った。
いや、百鬼夜行は消滅したが唯一残されたものが存在する。先ほど天眼が渡した【種】。人の心を、感情を、欲望を喰らって力へと変換させる過去の遺物。それが鈍い輝きを発しながら、空から地上へと落ちていき、クレーターの底へと音を立てて転がった。
天眼は無感情にその光景を見ていたが、百鬼夜行が完全に消滅したのを確認すると、手を掲げスッと横に振る。
それだけで、死の大地へと塗り替わっていた世界が通常の、不毛の大地へと一瞬にて戻っていった。
不毛の大地が更に荒れ果ててしまっていることが、先ほどまでの光景が夢ではなかったことを示している。
尋常ではない超魔術を行使したというのに、当の本人は疲れを一切見せず、今しがたまで見せていた怒りの感情を霧散させ、普段通りの笑顔でその場から歩み去って行った。
荒廃した大地には生命の息吹は見えず。風のみが時折砂埃を舞わせていた。
どれくらいの時間が流れただろうか。太陽が翳りを見せ、地平線の彼方に沈んでいった。闇が支配する時間帯になったころ、突如としてソレは起きた。
鈍い輝きを放つ【種】が黒い瘴気を発し始める。初めは僅かだったが、発する瘴気は段々と増していき、ついにはクレーターを覆うほどに膨れ上がった。
しかし、それも僅かな時間。急速に瘴気は治まっていき―――【種】があった筈の穴底には、怪我一つない百鬼夜行の姿があった。
それは一体どんな魔術か。奇跡か。完全に消滅させられた筈の百鬼夜行は、確かに己が両足で大地を踏みしめていたのだ。
「……あそこまで、完璧に殺されたのは、久しぶり。やっぱり、お前は強いな、流石は、剣の頂に立つものが、唯一認めた同胞。異邦人。でも―――」
―――覚えた、ぞ―――。
呪言を読み上げるかの如く、百鬼夜行は虚空に語りかけた。今は立ち去った天眼に届けと、深い狂気を漂わせ。
ざっと砂を踏みしめる音を立てて百鬼夜行はクレーターから這い上がる。
次の目的地は決まっている故に、彼女の足取りに迷いはない。
新たな強者を求めて百鬼夜行は猛進を続ける。次の彼女の闘争の相手は―――伝承墜とし。
不幸と惨劇を撒き散らす人外が、アンチナンバーズがⅦ。破滅を届けるために、【不死身】の百鬼夜行が動き出した。