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No.30788の一覧
[0] 御神と不破(とらハ3再構成)[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:48)
[1] 序章[しるうぃっしゅ](2011/12/07 20:12)
[2] 一章[しるうぃっしゅ](2011/12/12 19:53)
[3] 二章[しるうぃっしゅ](2011/12/16 22:08)
[4] 三章[しるうぃっしゅ](2011/12/23 00:29)
[5] 四章[しるうぃっしゅ](2011/12/23 00:39)
[6] 五章[しるうぃっしゅ](2011/12/28 17:57)
[7] 六章[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:32)
[8] 間章[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:33)
[9] 間章2[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:27)
[10] 七章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:52)
[11] 八章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:56)
[12] 九章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:51)
[13] 断章[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:46)
[14] 間章3[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:30)
[15] 十章[しるうぃっしゅ](2012/06/16 23:58)
[16] 十一章[しるうぃっしゅ](2012/07/16 21:15)
[17] 十二章[しるうぃっしゅ](2012/08/02 23:26)
[18] 十三章[しるうぃっしゅ](2012/12/28 02:58)
[19] 十四章[しるうぃっしゅ](2012/12/28 03:06)
[20] 十五章[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:11)
[21] 十六章[しるうぃっしゅ](2012/12/31 08:55)
[22] 十七章   完[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:10)
[23] 断章②[しるうぃっしゅ](2013/02/21 21:56)
[24] 間章4[しるうぃっしゅ](2013/01/06 02:54)
[25] 間章5[しるうぃっしゅ](2013/01/09 21:32)
[26] 十八章 大怨霊編①[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:12)
[27] 十九章 大怨霊編②[しるうぃっしゅ](2013/01/06 02:53)
[28] 二十章 大怨霊編③[しるうぃっしゅ](2013/01/12 09:41)
[29] 二十一章 大怨霊編④[しるうぃっしゅ](2013/01/15 13:20)
[31] 二十二章 大怨霊編⑤[しるうぃっしゅ](2013/01/16 20:47)
[32] 二十三章 大怨霊編⑥[しるうぃっしゅ](2013/01/18 23:37)
[33] 二十四章 大怨霊編⑦[しるうぃっしゅ](2013/01/21 22:38)
[34] 二十五章 大怨霊編 完結[しるうぃっしゅ](2013/01/25 20:41)
[36] 間章0 御神と不破終焉の日[しるうぃっしゅ](2013/02/17 01:42)
[39] 間章6[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:12)
[40] 恭也の休日 殺音編①[しるうぃっしゅ](2014/07/24 13:13)
[41] 登場人物紹介[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:00)
[42] 旧作 御神と不破 一章 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:02)
[43] 旧作 御神と不破 一章 中編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:03)
[44] 旧作 御神と不破 一章 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:04)
[45] 旧作 御神と不破 二章 美由希編 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:53)
[47] 旧作 御神と不破 二章 美由希編 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:55)
[48] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:02)
[49] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 中編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:00)
[50] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:02)
[51] 旧作 御神と不破 三章 前編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:23)
[52] 旧作 御神と不破 三章 中編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:29)
[53] 旧作 御神と不破 三章 後編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:31)
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[30788] 十七章   完
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/01/02 18:10














 海鳴でもっとも有名な病院といえば、海鳴大学病院をこの街に住んでいる者だったならばあげるだろう。
 多くの市民が通っており、医師や看護師の対応も良く評判も良い。
 また、ただの病院というわけではない。日本でも有数の遺伝子科が存在し、高町家の長女的存在のフィアッセが通院している病棟もある。
 フィアッセだけではなく、心臓外科に通っているレン。さらには整体科の恭也や美由希と―――高町家の住人のほぼ全員が常連というお世話になりようなのだ。
 
 そんな海鳴大学病院の一室。数人で利用する大部屋ではなく、贅沢にも個室のベッドを占拠しているのは永全不動八門一派の葛葉弘之であった。
 数日前に救急車でこの病院に運ばれてきた時は出血多量で危険な状況だったようだが、本人の阿呆のような体力と気力―――そして医師の腕によって命には別状がなかったのは助かったと、目が覚めてから何度も考えていた。
 やはり今までの鍛錬は無駄ではなかったのだと実感でき、嬉しいのやら悲しいのなら微妙な気分にもなってはいたのだが、今こうしてここで生きていられるのだから嬉しいことにしておこう、と葛葉は丁度今気持ちに区切りをつけていたところだ。

 刃物で十数か所も切られているわ、腹部を刺されているわで、本来なら警察沙汰になるのは当たり前の状況だったが、そこは翼がどんな手を使ったか不明だが、黙らせたらしい。
 一応は命を救われ、その後の処理もして貰えたのだから、退院したら何か奢ってやらねばと、今のうちから考えている葛葉であった。

 全身包帯だらけで、まだ全くベッドから起き上がれない状態の葛葉は、本日何度目になるかわからない欠伸をする。
 これまで暇があったら鍛錬に時間を費やしてきた彼は、こんな時何をして時間を潰せば良いのか分からない。珍しく読書でもするかと思ったこともあったが、手も碌に動かないのだから本のページさえも満足に捲れない。
 大人しく寝て過ごすかと決めた丁度その時、病室のドアがノックされた。

 そのノック音に違和感を感じた。
 この病室を訪れるのは看護師か鬼頭水面くらいだ。二、三回は如月紅葉がきてくれただろうか。それに加えて一度だけ翼がきてくれたのだが、一分で帰ったのは流石に泣けた事件である。
 看護師は当然だが、水面は見舞い―――というより、暇つぶしの方が正しいかもしれない。病室にやってきては、見舞いの品を食い荒らし、包帯に落書きをして帰っていくのだ。屈辱的なことに、動けないためシモの処理は看護師に世話して貰っている身なのだが、ある日催した時、水面があろうことかズボンを脱がし―――爆笑して帰って行った事もある。しかも、処理は看護師さんに任せるという鬼畜の諸行。完治したら絶対ぶちのめすと心に決めた葛葉だった。

 これまで来た看護師とも、水面とも違うドアのノックの仕方に首を捻る。
 自分の交友関係の狭さは自覚しているし、別に広げようとも思っていないが、これ以上訪ねてくる相手を思いつかなかった。
 返事をしなかった葛葉に業を煮やしたのか、ドアを勝手に開き入ってきたのは―――。

「……お前が来るとは思ってなかったわ」
「一応は永全不動八門の同胞ですからね」

 意外そうにぽかんと口を開けて驚いた葛葉に、天守翔は不満そうにそう返した。 
 この海鳴にきた永全不動八門の者達で、一番相性が悪い二人。周囲からもそう思われ、本人達も自覚している。まさに水と油。
 一緒にいれば何かしらの口喧嘩をしていたので、絶対見舞いに来ない人物だと思い込んでいた。
 
 翔はドアの場所から動こうとはせず、その場所からジトーと葛葉を睨んできている。
 その視線にやや気まずくなり、頭をかこうとして―――手が挙がらないことに気づく。

「とりあえず、そこに椅子あるから座れよ」
「いえ、遠慮します。どうせすぐ帰りますから」
「お前もかよ!?」
「……お前も?私以外にもそういった人が来ていたのですか?」
「い、いや……なんでもねぇ」

 翔の冷たい発言に反射的に突っ込んでしまった葛葉は、どもりながらも返答する。
 彼女の姉である翼と似たような行動を取るのだから流石姉妹と納得する葛葉ではあったが、それをそのまま翔に伝えるわけにもいかない。翼は兎も角、翔は姉と比べられることを非常に嫌う。
 身動きできないこの状況でそんなことを言えば、下手をしたら傷口を開かされるような攻撃を喰らってしまう可能性もある。
 
 怪我人である葛葉に攻撃を仕掛けるなど、普通の人間ならばありえない話であろうが今彼の目の前にいる少女の気の短さと、姉への敵対心はどれほどのものか予想できない。
 
「……」
「……」

 沈黙が病室を支配する。
 二人とも仲が良いというわけではないので、話すための話題が互いに思いつかないのだ。

「あー。まぁ、なんだ。わざわざ来てくれてサンキューな」
「なんですか、気持ち悪い。貴方らしくないですね」

 礼を言って損した。
 冷たい返答の翔に、ちょっとむかついた葛葉の米神に青筋が浮かぶ。
 こうなったら自分からは話しかけてやるものかと視線を天井へとずらし、口を閉じた。
 一分が経過しても翔は何も話さなかった。そのうちに二分が経ち、病室の沈黙が重くなっていく。やがて三分が過ぎた頃には、居心地の悪さに逃げ出したくなる葛葉だった。無論逃げ出すことはおろか、動くとことすら侭ならないのだが。

「―――また、負けたのですか?」
「あ、あん……?」

 そんな時にタイミング良くか悪くか、翔が遂に声をかけてくる。
 相変わらずの無表情で翔は、葛葉を―――睨み付けていた。
 突然だったがために、聞き取れてはいたのだが、それが何の意味を指すのか分からなかった葛葉だったが、一拍置いて理解する。

「あー、負けた。見事にな」
「誰に、貴方は―――」
「この前屋上で会っただろ?鳳蓮飛。あのちびっこにやられちまったわ」

 何の恥ずかしげもなく、躊躇いもなく葛葉は語る。
 自分よりも何歳も年下の少女に敗北を喫したというのに、悔しさも羞恥も感じられない。ただ、満足そうに彼は笑っている。
 翔はそれが理解できない。この男は、葛葉弘之という男は何時もそうだ。
 誰よりも武を極めようとしているくせに、敗北を怖れない。我武者羅に、ひたむきに―――この男は敗北という物を乗り越えて突き進んでいく。   
 
「貴方は、何故怖れないのですか?貴方は、何故立ち止まらないのですか?貴方は―――」

 最後には言葉が詰まった翔の姿に、葛葉は一瞬だけ考える。
 彼女にかける言葉を。彼女が背負っている呪縛を解き放つ言葉を。彼女が抱いている劣等感をなくす言葉を。

 考えようとして―――鼻で笑った。

「俺とお前は考えた方が違うだろうしなー。幾ら俺が俺の持論を語っても意味はないけど―――俺は負けはしたが、敗北はしてねぇ」

 キョトンとした翔に、葛葉はごろんっと寝返りをうって顔を背ける。

「負けは負けだ。でもな、それは単なる戦いの結果だ。俺は―――まだ、諦めてねぇ。負けたからどうしたってんだ。他人の評価にびくついて、戦っても意味はないんだよ。今回は届かなかったが、次は俺が勝つ」

 諦めた時が、本当の意味での敗北だ。
 そう語った葛葉は、それ以上の問答を拒絶するように、目を瞑る。
 元々誰かに何かを語るのは得意ではない。そういった柄でもない。結局武の頂点を目指し続ける馬鹿者達にとって答えは他人に求めるものではないからだ。自分が悩み、苦しんで見つけなければならない。
 
 葛葉の拒絶を感じ取ったのか、翔は扉をあけて病室の外へ出る。
 扉がゆっくりと閉まっていく隙間から、幻聴ではない確かな彼女の声が聞こえた。

「―――わたくしには、分かりません。ですが、有難うございます」

 パタンと小さな音をたてて扉が閉まった。
 扉の前で逡巡していた気配は、やがて遠ざかっていく。やがて完全に翔の気配は、葛葉の勘違いへと消えて行った。

「俺じゃあ、お前の答えはだしてやることはできねーよ。もしも、その答えを出すことができる奴がいるとしたら―――」

 目を瞑った真っ暗な空間に、浮かび上がってくるのは高町美由希。
 数日前に屋上で見た、御神の後継者。その武はぞっとするほどに美しく―――鋼鉄の意志を宿していた。
 きっとアレは、鳳蓮飛と同じ類の怪物だ。僅かな期間で想定を遥かに超える存在へと変貌する理解し難いタイプの人間だ。
 
 だが―――きっとあの高町美由希は、天守翔の闇を払ってくれるだろう。

 理由はないが、きっとそうなることを葛葉は確信していた。
 このまま眠ろうとしていた葛葉の第六感が急に警報を鳴らし始め、嫌な予感が全身を包む。
 その予感通りに、病室の扉が開き―――。

「いやっほーう。葛葉!!見舞いにきてあげたよー」

 鬼頭水面がチャシャ猫のような笑みを浮かべ病室に侵入してきた。
 葛葉弘之―――多くの災難に見舞われた彼の平穏は、どうやらまだ訪れないらしい。
  
























「美、美由希さん大丈夫ですかー?」

 夢の世界へと旅立ちかけていた美由希の意識を引き戻したのは、親友の声だった。
 びくっと反応をした美由希が声のした方向を見てみると、ぼやけて見えるがそこには神咲那美の姿があり、心配そうに美由希を窺っている。目の焦点がなかなかあわなかったので、制服の袖で眼をこすった。
 
 それでようやく世界は何時も通りの光景に戻ったが、我慢できずに手で隠しながら欠伸をする。
 なにをしていたのか、と思い出そうとするが、それはあっさりと分かった。目の前の神咲那美は正座をしていて、手元には小さい弁当を持っていたのだから。
 自分の左手にも弁当箱があり、右手には箸を持っている。意識を飛ばしかけていたにしては、どちらも落としていなかったのは不幸中の幸いであった。

 現在は昼休みの最中で、今いる場所は屋上だ。
 空を見渡せば雲ひとつない。まさに晴天という単語が相応しい。
 四限目が終わってから、一学年年上の神咲那美と合流して屋上へと御弁当を食べに来て、座ったところまでは確かに覚えていたのだが、そこからの記憶がどうも曖昧な美由希だった。
 予想するに、食事の途中で眠気に負けてしまったのだろう。

「あ、あははは。すいません、那美さん。お見苦しい所をお見せして」
「い、いえ~。全然そんなことはないんですが……どうかされたんですか?」

 心配そうに美由希の顔色を覗き込んでくる那美が聞いてくた。
 毎夜毎夜御神雫との戦いのために。雫の世界を訪れている美由希は全く熟睡できていない。
 疲労がピークに達しているのか、少しでも気を抜けば爆睡してしまう状態になっている。

「いえー。あの、兄との鍛錬が夜遅くまで最近続いてしまっていて……」
「そうなんですか……」

 那美には美由希と恭也のことを多少は話している。
 自分が剣術を習っていることは幼い頃に友達に話し―――裏切られた時以来誰にも教えたことはない。しかし、数年ぶりに出来た親友には隠し事はできればしたくないというジレンマに苛まれていた時期もあった。
 それで苦しんでいた時に、恭也は那美の人柄なら大丈夫だろうと、至極あっさりと背中を押してくれたことがあったのも忘れられない。あの一言がなかったらもしかしたらまだ苦しんでいたかもしれないのだから。

 恭也と美由希の予想通り―――神咲那美という少女は、美由希の真実を知っても態度は変わらなかった。

 ―――ほぇー美由希さんって強いんですね。

 その一言にどれだけ美由希は救われたことだろうか。おもわず涙を見せそうになってしまった事件だった。
 勿論美由希の真実と言っても、本当に全てを話したわけではない。
 御神と不破の一族のことはまだ内緒にしている。それを話すということはもしかしたら、那美にも魔の手っが及ぶかもしれないからである。もう十年以上も前に起きた事件ではあるが、危険が皆無かといわれればそうではない。
 憎しみには限りがなく、復讐心には過ぎた時間は関係ない。
 未だ御神と不破への恨みを抱いている輩はどれくらい存在するのだろうか。ましてや、【龍】の連中が嗅ぎつけてこないとも限らない。だから、那美にはまだ全てを話していないのだ。

 それでも何時か。近い未来に、話すことになるかもしれない。そんな漠然とした予感を美由希は感じていた。

 二人は弁当をたいらげると、互いに持ってきた水筒に入ったお茶を飲んで食後のひと時を過ごす。
 美由希の意識がとんでいたのも一瞬だったようで、時間はもう少しあるようだ。
 予鈴まで後十分と少しくらいの時間だ。その時間はお茶を飲んで過ごそうかと思っていた美由希であったが―――。

「あのーもしお疲れでしたら、マッサージしましょうか?実はこう見えても私得意なんです」
「い、いえ。そんな申し訳ないですよー」
「気にしないでください。下宿先の人にもしてるんで、結構慣れてるんです、私」

 美由希の遠慮を気にせずに、那美が両手を肩に置く。
 ぐっと指に力を入れて美由希の肩の筋肉を揉み解すように両の親指が円を描いた。
 美由希の筋肉は女性にしては硬く―――しなやかだ。それなので、マッサージを受ける場合相手が女性の場合だと満足できないことが多い。といっても、それはマッサージ歴が短い人の場合で、長い人なら十分に気持ちが良いのだが。
 那美はというと、お世辞にもマッサーッジが上手いようには見えない。ましてや高校二年生で上手いとか、どんな日常生活を送っているのかと疑問に思う程だ。どうやら下宿先の人に相当揉まされているのだろうことは予想がつく。

 だがしかし、那美のマッサージの気持ちよさは不可思議なほどであった。
 今まで経験したなかでもダントツの一位。兄の恭也はマッサージというより整体といったほうが正しいし、やっている最中に気絶させられるほどにとんでもない。終わった後はすっきりしているのが謎で仕方ないのだけれども。

 今の美由希が疲れているのもあるのかもしれないが、技術や経験を超越した、快感が身体中を支配していた。
 あまりの気持ちよさに美由希の意識が再び夢の世界へと旅立とうとしていた。
 カックンカックンと首が前後に揺れる。夢うつつとなっている美由希を見て、那美はくすっと笑う。

 もしもその現場を凝視している人が居たならば気づいたかもしれない。
 那美の両手が淡い光を発していたことに。その光は暖かで―――悪意や害意といったものとは無縁。
 だからこそ、美由希も那美にされるがままにされていたのかもしれない。

 そうこうするうちに十分程度の時が流れ―――予鈴が校舎に響き渡る。
 予鈴の音の大きさにビクリと反応して再び現実の世界へ戻ってきた美由希は、慌てて口をハンカチで拭った。
 あまりの気持ちよさに涎が垂れそうになっていたのだ。

「あ、有難うございます。那美さん。凄く気持ちよかったです」
「いえー。そういっていただけたら嬉しいですよ」

 満面の笑顔で那美はそう答え―――二人は屋上の扉を潜り、階下へと降りていく。
 途中で那美と別れ、自分の教室へと戻っていこうとした美由希だったが、ピタリとその足が止まる。
 美由希の正面から歩いてくる学生がいた。それは、その学生は―――天守翔。

 美由希とは視線を合わせずに、気配を感じさせぬまま、彼女は横を通り過ぎる。

 その時―――。

「……今夜。十二時。この学園でお待ちしています」

 美由希にしか聞こえない大きさで囁いてきた。甘い匂いが美由希の鼻をくすぐる。そのまま、その匂いを残し、翔は美由希から遠ざかっていく。
 遂に来たか、と美由希は拳を強く握る。
 先日の手痛い結果となった戦いを思い出す。あの時は、御神雫が力を貸してくれた。
 だが、今度は借りるつもりはない。今の自分の力で必ず戦ってみせる。
 前回のように、心が負けることだけは、決してしない。


「―――覚悟を決めるよ、私も。天守翔さん―――」


 そして、高町美由希と天守翔の最終決戦が幕を開ける。



































 夜御飯を終え、夜の帳が降りた時間帯。
 時計の短針は八時を指している。今夜は桃子とフィアッセも早く帰って来れたようで、珍しく家族全員で食事を取ることができた。
 晶とレンも相変わらずで―――何時も通り喧嘩をして、何時も通りなのはに怒られる。
 皆が何時も通りの時間を過ごしている。それが何故かとても嬉しく感じる美由希。

 昼間であれほど感じていた疲れはない。今にも寝てしまいそうだった眠気もどこかへ行ってしまっている。
 神咲那美のマッサージがよほど効いたのだろうか。今度改めてお礼を言わなければならないと感じた。

 食事も終わり、一息ついたこの時間―――これから始まるのは恭也との鍛錬だ。
 何時も通りの鍛錬をして、何時も通りの修練を積む。本来であったら十二時までには帰って来れない。
 どうやって十二時までに時間を作ろうかと考える。上手い言い訳を思いつかない。美由希はそもそも恭也を説得できるほど、口が立つわけではない。
 それなら真正面からぶつかっていくしかないのだ。

「あ、あの。恭ちゃ―――師範代」

 決心した美由希は、鍛錬の準備をしようと二階の自分の部屋へと戻っていく恭也を階段の途中で捕まえる。
 あげかけていた足を元に戻し、階段の途中から階下の美由希を見下ろす形となった恭也が振り返ってきた。 
 
「どうした美由希?」
「そ、その……今夜の鍛錬のこと、なんだけど……」

 それでも言いにくいのは仕方ない。
 特に最近は、夜の鍛錬を休みにして貰ったり、朝寝過ごしたことも忘れてはいない。
 やる気がないのではと考えられても仕方のない状況で、更には突然今夜の鍛錬を休みにしてほしいとは、簡単には言い出せない。

「―――お休みに、してください」

 言った。言ってしまった。美由希は、ぐっと手を握る。
 正直怖い。恐ろしい。兄に失望されてしまうことが。兄の期待を裏切ることが。
 返答はない。恐る恐る上目遣いで、階段の途中にいる恭也を見上げた。どんな表情をうかべているだろうか、怖くてたまらない。それでも自分から言い出したことだ。しっかりと受け止めなくてはならない。

「ああ、分かった」

 美由希は我が耳を疑った。
 たった一言だけの返答。何故ともどうしてとも恭也は問わない。怒らせてしまったのかとも思ったが、見上げる恭也は何時も通りで―――。

「あ、あの―――何も、聞かないの?」

 思わずそんな質問が飛び出ていた。
 剣に命を賭けている自分達が、鍛錬を休むということはそんな簡単な意味をもつことではない。毎日の気が遠くなる鍛錬の果ての果てに、今の自分達がいる。これからの自分達がいる。
 一日休んでしまえば、それを取り戻すのに更なる時間を要するのだ。
 今までの鍛錬を無駄にしてしまう行為だというのに、何故恭也はそれをすんなりと受け入れてしまうのか。

「やはり馬鹿弟子だな、お前は」

 言葉は辛辣に聞こえるかもしれないが、確かに恭也は笑った。
 いや、苦笑かもしれない。なんてことを聞いているんだと、そんな印象を受ける笑みだった。

「お前が鍛錬を休みたいと俺に言ってくるくらいだ。何か大切なことがあるんだろう」

 恭也が背を向けて階段を登っていく。

「お前が、鍛錬を嫌って休む奴じゃないことくらい俺が誰よりも知っている。自分を信じて、為すべきことを為してこい」
「―――!!」

 やはり、やはりそうだ。やはり、兄は凄い人だ。尊敬に値する人だ。
 高町恭也という人間は、一番大切なときに、一番必要としていることを伝えてくれる。 
 美由希が、目元に浮かび上がってきた涙を指で散らす。光の粒となって、空中に飛び散って消えていく。
 
「―――有難うございます」

 既に自室へと戻った恭也には聞こえなかっただろうが、感謝の言葉を送る。
 負けられない理由がまた一つ。高町美由希は一人ではない。彼女は、高町恭也の想いを背負っているのだから。

 恭也に続いて美由希も部屋へと戻っていく。
 服を戦闘用へと着替え、小太刀と飛針、鋼糸を用意する。服の中へと飛針と鋼糸を収納し、戦いの準備は整った。ただ、不安なことが一つだけ。今用意した小太刀は自分が普段使っている愛用のものではないのだ。つい先日刀剣専門店【井関】に出したばかり―――まだ取りに行っていない。本当は今日学校の帰りに寄ってみたのだが、間が悪いというか、本日は休みだった。
 その時ドクンっと心臓が強く鼓動する。一度だけではない、二度三度と、胸を叩く。

 それは恐れなのか、怖れなのか、畏れなのか―――。

 数日前手も足もでなかった相手との再戦。それが、恐ろしい。
 電気を消す。真っ暗となった部屋の中で、美由希は床へと座り込み―――両膝を抱え体育座りの体勢となった。
 
 今までの鍛錬を思い出せと自分を叱咤する。 
 イメージの中の翔の刃が自分を貫く。

 今までの死闘を思い出せと自分を叱咤する。
 イメージの中の翔の刃が自分を斬り裂く。

 ドクンドクンと、心臓の脈動は収まるどころか更に加速していく。
 数日前の戦いのときに植え込まれた恐怖が、敗北が、脳裏でフラッシュバックを繰り返す。
 あの時よりも強くなった。強くなったはずだ。夢の世界でとはいえ、幾度となく死闘を繰り返してきたのだ。
 御神雫の力を思い出せ。天守翔とは比べ物にならない領域の剣士を思い出せ。
 そんな相手との命のやり取りを繰り返してきたのだ。数日前とは、必ず違う結果を作り出せるはずだ。

 だが―――。

「負けない。負けたくない。私は―――絶対に負けられない」

 暗闇が支配する部屋の中で、美由希がぼそぼそと呟き続ける。 
 自分よりも格上である翔との戦いを前に、美由希は完全に気負っていた。かつて一度為すすべなく敗北を喫したというのが大きいだろう。そのため、必要以上に美由希の精神状態は追い詰められていた。  
   
 どれくらい暗闇の中で座っていただろうか。
 その時コンコンとドアを叩く音が聞こえた。その音は別に大きかったわけではない。だが、その音にビクンっと驚いた反応をすると、慌てて部屋の明かりをつけて、扉をあける。
 
 廊下にいたのは―――恭也だった。
 相変わらずの表情の読めない彼ではあったが、美由希が口を開くよりも早く、手に持っていた何かを渡された。
 呆然と渡されたものを見る。間違いなく、見間違いようのない、井関に預けていた筈の自分の愛刀だ。

「え?あの……恭ちゃん、これって……」
「井関さんに無理をいって店を開けてもらった。もう受け取るだけにしてくれていたみたいで運が良かったな」
「―――」

 時計を見てみる。先ほど恭也が自室に戻ってからそれほど時間は経っていない。
 考えるに、恐らくはあれからすぐに井関に行ってくれたのだろう。幾ら恭也といえど美由希の事情を全て知っているとは思えない。
 直感で、恭也は動いた。動いてくれたのだ。美由希にはこれが必ず必要になるのだと。
 
 ぶるりと全身が震えた。
 悪寒といったものではなく、ただ嬉しくて―――。
 己が愛刀を両手で胸に抱き、美由希は心からの笑顔を浮かべた。

「有難う、恭ちゃん。多分今の私は―――誰にも負けないよ。きっと今の私は―――」

 ―――最強だ。

 声なき声がそう言った。心の叫びが恭也に届いた。
 それを聞いた恭也は、やっぱり何時も通りの表情で―――。

「―――十年早い」

 デコピンを美由希に放って、恭也は一階へと降りていった。
 きっと今から鍛錬をするために八束神社にいくのだろう。それを見送った美由希はあることに気づく。
 あれほど高鳴っていた心臓の鼓動が止んでいた。普段通りの自分を取り戻していたのだ。
 
 きっとこれからどれだけ強くなっても兄には敵わない気がする。
 そんなことを考えながら美由希は高町家のリビングへと向かい、時間まで家族とともに過ごすことを選んだ。
 なのはと一緒にテレビを見て、晶とレンの喧嘩が始まって、桃子とフィアッセと最近の恭也のことに話して―――。

 そして、時間はやってくる。
 約束の時間の少し前、美由希は万全の状態で、完全の装備をして、決着をつける場所へと向かう。

 夜色の空には星が幾つも見える。歩いている途中に通り過ぎた家々は、灯りがまだついているところもあれば、既に真っ暗な家もある。身体が軽い。足が何の躊躇いもなく歩んでくれる。
 高町美由希の状態はまさに―――これ以上ないほどに最高であった。

 時間が時間だけに通行人とは誰もすれ違わずに風芽丘学園へと辿り着くことができた。
 巡回している警察に見つかったら、約束の時間に間に合わないので細心の注意を払ってきたのだが。もっとも、こんな大量の武器をもっていたら銃刀法違反に漏れなく引っかかって警察署に直行だろう。
 当然校門は閉まっているが、それは美由希に意味はなさない。

 手を校門にひっかけると同時に地面を蹴り跳躍した。音もたてず、校門の上へと飛び上がった彼女はあっさりと乗り越え、内部へと侵入する。
 周りから見たら泥棒にしか見えないのが怖い。もし見られていたら銃刀法違反と同じく不法侵入で捕まってしまう。
 
 時刻は十二時。決戦の時は来た。
 砂を踏みしめる音が聞こえる。美由希の足がたてる音だ。ざっざと、砂が鳴く。まるで悲鳴をあげているかのようだと少しだけ場違いのことを考える。
 眼鏡は既に外している。それは高町美由のスイッチだ。剣を学んではいるが、基本的に美由希は人を傷つけることは好まない。武の比べあいならば話は別だが、普段からそうというわけではない。
 そういうわけで美由希は、意識して自分を戦闘態勢へと導くために眼鏡の有り無しでスイッチを切り替えることにしている。
 
 ゆっくりと、辺り一帯の警戒を高めていく。
 御神流の気配察知―――【心】で周囲を掌握していく。鳥や小動物、虫の気配さえも逃さぬように、集中力を高めていった。
 だが、見つからない。今夜の己の相手である天守翔の気配を掴み取ることができない。
 まだ来ていないのかと推測するも、違うと否定する。
 いる。いるのだ。周辺のどこかに。気配はないが【視】られている。
 どこにいるかはまだ分からないが、僅かな気配を発することなく、彼女は確かにここにいる。

 緊張感が風芽丘学園全域を覆っていく。
 小太刀に手をかけ、いつでも抜けるようにしながら、美由希は呼吸を止めてすり足となって歩んでいく。
 校舎へと近づいたその時―――最高頂に高まっていた集中力が第六感を呼び起こす。己へと【死】が迫っているぞ、と告げてくる。
 小太刀を引き抜き、反射的に頭上に構えた。

 ギャンっと金属同士が噛み合わさる音をたてて夜の校庭へと響き渡る。
 想定していたよりも、若干重い衝撃を両腕に伝えてきた。
 視界の端で、正面に広がる巨大な校舎。その二階のある場所の窓が開け放たれて、カーテンが夜風に揺らされているのが見えた。
 とてつもない斬撃の重さ。二階からの重力を加えたその一撃を一瞬とはいえ受け止めることができたのは奇跡―――いや、実力であることには間違いない。構わず両断してこようとする剣圧を横へと流す。

 流した際に生じた火花が視界に舞った。
 そして、今度は美由希の小太刀がゆらりと揺れる。二振りの刃を振りぬくよりも早く、美由希の前に風が巻き起こる。
 逃すものかと、左足を引き、身をよじりながらも袈裟懸けに右の小太刀を薙ぎ振るう。だが、小太刀には何の感触ももたらされない。ただ空気を引き裂くだけに終わった。
 視界に映るは漆黒の長い髪。その髪を翻しながらも、剣ではなく、拳が妙な軌道を描き迫ってくる。
 咄嗟に腕を上げて、推測される着弾地点である顔を庇った。刹那の後、ミシリと腕が軋む。伝わってくるのは内部破壊の浸透撃。無論、ただで喰らったわけではない。衝撃を【流す】。本来ならば腕の骨を折ることができたであろう衝撃を、美由希は完全とはいえないまでも、流し捌いていた。

 ばさりと音をたてて再度翻る黒い髪。
 一気に決めようとしていた、人影はこれ以上は無理だと判断したのか、美由希の懐から離れて眼前で身構えた。
 その人影は予想通りの人物―――天守翔。

 確実に決めたと思った奇襲の連撃をほとんど無傷で捌ききった美由希に、翔は驚きを隠せない。
 完全に気配を消しての死角からとなる奇襲。これをこうまで捌くとは、数日前の彼女からしてみれば規格外の動きだ。

 一方奇襲を受けた美由希は、内心で安堵する。
 本当にギリギリのところでかわしきることが出来たのだから。いや、正確には一撃拳を受けてしまったのだからかわしきったというのは語弊があるかもしれない。
 それでも、防御に使った腕はまだ十分に、役目を果たしてくれる程度のダメージしか受けてはいない。
 そして、突然の奇襲にも美由希は特に文句はない。非難するつもりもない。
 別に正々堂々と戦うと約束したわけでもなく、本来殺し合いとはそう言ったものだ。真正面から戦いを開始するほうが珍しい。

「正直に言いましょう。私は貴女が―――恐ろしい」

 柄を両手で握り締めた翔の声が震えた。
 冷静沈着。感情が見えない翔にしては珍しいと美由希は感じたが―――違うのだと理解した。
 
 目の前の少女は、天守翔は決して感情がないわけではない。冷静沈着というわけでもない。
 彼女は殺しているだけだ。自分の感情を。自分が冷静であることを心がけているだけだ。

「貴女は―――貴女はたった数日で一体どれほどの、高みに達したというのですか」

 先ほどの奇襲を避けきることは決してまぐれでできるものか。
 確かな経験。確かな速度。確かな技術。そのどれもが足りなかったらあっさりと決着がついていた。
 数日前の美由希では、決して為しえなかったその全て。
 それでも―――。

「私は、貴女を乗り越えましょう。私は、決して負けはしない!!」

 刹那の悪寒が迸る。
 返事をする余裕もなく、口から出掛かっていた言葉を飲み込んで、後方へと身を逸らす。
 瞬間の遅れもなく、美由希の顔があった場所を横一文字に刀が切り裂いた。風斬り音だけが、耳元に響く。
 
 たたらを踏んで後退する美由希が態勢を整えるよりもはやく、地を這う黒い人影。
 凶悪な勢いで切り上げられる白刃。銀色の刃が圧倒的な速度と破壊力を振りまいて空を断ち切る。
 その一撃を身をよじってやり過ごす。だが、それだけでは終わらない。
 
 先ほどとは真逆。今さっきは右の拳で。今度は左拳で。
 ピタリと静かに美由希の腹部に押し当てられていた。
 
 ドンっと激しい音が聞こえた。それは翔が大地を踏みしめる震脚の激音。重く冷たい、踏み込みの音だった。
 地が揺れた。いや、違う。揺れたのは美由希自身だ。腹を突き抜ける巨大な衝撃。

「っく!?」

 後ろへと弾き飛ばされる美由希の口から肺に残っていた空気が搾り出された。焼けるように腹部が痛む。
 車にでも撥ねられたら、こんな衝撃なのかと感じながら、己へと追撃してくる翔を視線で追う。
 追い詰めているはずの翔を襲っているのは、焦燥だった。今のは限りなく完璧に近いタイミングだったはずだ。それなのに、決められなかった。
 今の一撃は【透】を込めた一撃必殺。衝撃を内部に伝え、内臓を破壊する。だから、本来ならばその場に倒れるはずだ。【後ろ】に弾き飛ばされるということはありえない。
 ならば考えられることは一つだけ。高町美由希があの瞬間、自ら後ろに逃げた。
  
 一方美由希も必死だ。何せ、呼吸が出来ない。
 腹部への【透】を逃がしたとはいえ、それはつまり殴られたことに変わりはないからだ。
 息がつまって空気を吸い込めない状況。一時的に呼吸困難に陥った。無理に呼吸をしようとしては、駄目だと本能が即座に優先事項を組み立てていく。 
 呼吸を諦め、小太刀を構えなおす。
 美由希から溢れんばかりに放出される、形なき刃。向かってくるものを威嚇するように膨れ上がる。
 しかし、それで止まるような相手ではないのは百も承知。
 
 何時の間にか両手に持ち直した日本刀が全力を持って振り下ろされる。
 咄嗟に頭上へと小太刀を交差させて、迫ってきていた刀を受け止めた。

 流石に一撃の威力でいえば、翔の刀は小太刀を遥かに上回る。
 呼吸ができずに力が入らない美由希にそう何度も受け止められるとは思えない。それを理解しての容赦のない連撃が夜空を彩っていく。時間と間合いを取ろうと、隙をついての近距離から突きだされた刃を、一足飛びで後退してかわされた。
 しかし、後方へと逃げた翔は間をおかずに、再度突撃。
 ばさりと音をたてた長い髪の隙間から、燃え滾った両の瞳が、美由希を見据えている。
 瞬き一つせず、油断もせず、慢心もせず、刀に狂った剣士は刃を振るう。
 
 厄介なのは流れるが如くの剣の技だけではない。
 数日前の邂逅の時にも体感したが、翔の真に恐るべき所は剣での連撃の合間に入れてくる、【透】にある。
 拳然り、蹴り然り。それらを巧みに、自然な連携で叩き込んでくる翔の攻撃は非常に読みにくい。

 思考を遮る刺突が顔へと迫る。身体を開き、やり過ごす。
 視界に映ったのは、何時の間にか片手で自分の得物を持つ姿。自由となっていた左手が、蛇のように美由希へと喰らいつく。
 再度大地を揺らす震脚。激しい音が耳を打つ。
 反射的に下ろしていた腕で今度は腹部への打突を防御する。だが、それだけでは駄目だ。瞬間、襲い来る衝撃の荒波。
 無理矢理に身体を捻って、その衝撃を流す。直撃はさけたが、ダメージは少しずつ蓄積されていく。
 
「っ―――しぶ、とい!!」

 苛烈な声が空気を震わす。これでもしとめられないのかと、僅かな苛立ちが篭っていた。
 だが―――。

「っけほ、く……はぁっ!!」

 美由希の時間稼ぎは終了した。
 呼吸困難に陥り、止まっていた肺が、ようやく新たに酸素を迎え入れることができたのだ。
 身体中が歓喜の声をあげる。一瞬で隅々にまで行き渡る。血液が指先にまで巡り渡った。両腕に力が篭る。
 
 だが、翔の刃は止まらない。空気を引き裂き、袈裟懸けに迫る。
 その切っ先の狙いは、頚動脈。確実な死を連想させる、恐怖を纏わせた刃だった。以前の美由希だったならば恐怖に縛られたかもしれない。しかし、今の美由希を縛るには値しない一撃だった。
 
 右の小太刀が撥ねあがる。迫る刃に向かって滑らせた。
 徹を込めたその一撃は、相手の日本刀を叩き切る勢いで振り切られる。
 
 二つの刃が激突。互いの徹が込められた威力は相殺された。
 それにぎょっとした顔で驚くのは翔だった。己の技術に迫るほどに、美由希の技は高められていたのだから。
 
 それでも翔は諦めはしない。互いに弾きあったその状態から刀を戻した一撃が再度振り下ろされる。
 今度の軌道は水平の斬撃。半円を描き、美由希の腹部へと牙を剥く。

 美由希の左の刃が、その牙を弾き上げる。下からの掬い上げるような縦の斬線だ。それによって、翔の軌道は捻じ曲げられた。
 ぶつかり合い、弾きあう。やはり二人の徹の技術は拮抗している。

 死が二人の間を支配する中、一瞬の油断が生死を分ける中、美由希の脳裏に響き渡るのは御神雫の嬉々とした声。

 ―――そう。それでいい。素晴らしいぞ、小娘。いや、御神美由希!!それこそが、妾でさえも為しえなかった実戦での御神流【裏】!!

 喜んでいた。いや、狂喜していた。夢の中ではあれほど駄目だしを繰り返していた御神雫が。嘗てない興奮で打ち震えていた。

 ―――目の前にいる肉体を凝視せよ。彼奴の呼吸と筋肉の配置。そして動作を予想し、分析せよ。彼奴の目を、口を、頬を、首を、手を、胴を、腿を、足の動きを見逃すでない。どのような攻撃も、どのような技にも対応できるように意識を張り巡らせよ。お主の肉体には【それ】が可能とされる鍛錬が積んである。今まで積み重ねてきた全てが、今このときのためにある!!

 ガンガンと雫の声が頭に鳴り響く。
 それに気を止める暇もない。一瞬でも油断すれば死が訪れるのだから。
 しかし、御神雫はそれを気にも留めない。

 ―――く、くははは―――不破の小倅め。全てがお主の予想通りか!!全てがお主の計算どおりか!!全てがお主の掌でのことなのか!!恐ろしいぞ、お主は本当に恐ろしいぞ!!まるであの人を見ているようだ―――否、否、否!!お主はまさに―――あの人そのものだよ!!御神の極限!!

「―――うるさい!!黙れ!!」

 びりっと夜の校舎に響いた美由希の怒声。
 それに訝しげな視線を向けた翔だったが、止まるはずもない。互いの全力は、休みなくぶつかっていく。
 翔の切り払い。切り落とし。切り下げ。息を吐くまもなく放たれる刃を、時には防ぎ、払い、避け、二人の舞は永遠と続く。

「―――これは、私の戦いだ!!貴女が出てきて邪魔をするな!!」
「っ―――」

 御神雫を意識の下へと追放する。
 特に不満もないようで、不気味な笑いを残し、彼女は消えて行った。
 美由希の裂帛の叫びに何か予想がついたのか、翔は大きく距離を取った。油断なく日本刀を構えたままだ。

「……何故、貴女は【それ】を解放しないんですか?」

 それは素直な疑問だった。
 御神美由希に宿る【何か】。それに翔が気づかないはずがない。得体の知れない、底が知れない怪物を、美由希のなかに感じ取っていた。だからこそ疑問だったのだ。その力を解放すれば、ここまで拮抗した戦いにならないはずだ。

「これは【私】の戦いです。誰かの力を借りて、勝ったとしても私は納得できない」
「……」

 ぎりっと歯軋りの音が聞こえた。
 憎憎しげに美由希を睨みつけているのは、翔唯一人。

「―――その力を使わずに負けたら、馬鹿じゃないですか。戦いは、勝たないと意味がない!!認めてもらえない!!」

 翔の空気が重くなる。深くなる。
 今までよりもさらにさらに―――深遠の気配を発し始める。
 だが、美由希はそれ以外の印象を受けた。まるで今の翔は、子供のようだと。どうしようもないほど苦しんでいる、意地になっている子供だと。
 
「―――わたくしは勝たないと駄目なんです!!勝たないと!!勝たないと―――認めてもらえない!!」

 ズンっと両足が大地を踏み込み、震動する。

「貴女のように!!平和に生き!!愛され!!平穏に暮らして!!使えるはずの力も使わない貴女なんかに―――負けるわけは行かないんですよ!!」

 怒りに顔を染め、翔は疾駆する。
 これまで以上の速度で間合いを詰めてくる。数メートルはあった間合いを一瞬で殺す。それは本当に驚くほどの雷の如きスピードだった。
 そんな翔の動きを見ていた美由希だったが―――。

「―――ごめん。流石にちょっとむかついたよ」

 二振りの小太刀が複雑な軌跡を描く。
 ほぼ同時にしか思えないタイミングで、四撃が眼前にて展開し、襲い掛かってくる。
 驚愕―――咄嗟にその四撃が描いた軌道を尽く逸らしてゆく。幸いにもその軌道は考えていたほどの破壊力を秘めてはおらず、奇跡的にも防ぐことを可能とした。
 もしも、完全に近い形の刃の群れであったならば、それは不可能だったことだろう。

 突撃の初速を殺され、慌てる翔にとって印象的だったのは―――笑顔でぶちきれているだろう、御神美由希の姿だった。

「―――ねぇ、私が平穏に暮らす?」

 これまでとは異なる、死を内包した刃が振り下ろされる。
 その一撃を弾き落とす。しかし、手に感じるのは痺れるような衝撃。

「―――私が、平和に生きる?」

 二振りの刃は止まることなく、翔にとって、防ぎがたい軌道を描き闇を渡ってくる。
 それは、久しく感じたことがない死の予感だった。

「―――私の一族は皆死んだ。殺された。残されたのは私と恭ちゃんと、とーさんと本当のかーさんのたった四人だけ。一歩間違えれば私も殺されていたんだ」

 刃が舞う。一撃二撃三撃と。
 その全てが鋭く、速い。天守翔へと届く必殺の刃。
 戦いの中で響くのは歌うような美由希の思い出語り。

「―――その日私のかーさんは多くの人を殺した。私の目の前で。全く無関係だった人を、私を赤ん坊の頃から面倒を見てくれていた看護師さんも、斬り殺した!!」
「―――っ」

 ごくりと翔は、美由希の連撃を捌きながら息を呑む。
 鬼気迫る美由希の斬撃は、少しでも気を抜いたら間違いなく【送られる】。

「―――日本を放浪して、友達も作らず、作れず!!それでもたった二つの刃を携えて!!あの人を追いかける毎日!!それでも良い!!それが私の生きる意味だから!!」

 回転があがっていく。
 既に二人の距離は密着に近い。美由希がその距離まで踏み込んできていたのだ。
 これほどまでの近距離となれば小太刀の方が有利なのは自明の理。

「―――それは私の意志が決めた!!だからいいよ、幾らでも受け入れる!!でもね、それ以上にむかついたのが―――」

 弾丸乱雨となった超々連斬。もはや翔の捌ける限界を超えかけていた。
 死ぬ。殺される。敗北する。恐怖がひたひたと這いよってくる。絶望が心を支配する。
 ギャギンと激しい音が鳴った。二刀の小太刀が翔の刀を弾き上げたのだ。残されたのは無防備な状態の翔。
 呆然と、己に迫る死を見つめている。
 
「―――貴女が【私】を見てないことだよ!!」

 美由希は―――歯を噛み締め、思いっきり力を込めて無防備な翔の頭に自分の頭を叩き付けた。
 
 互いの視界に火花が散った。グワングワンと、二人ともが衝撃に身体をふらつかせる。
 激痛というか、鈍痛に両者とも痛みの発生源である頭を手で抑えた。
 美由希は兎も角、翔はパニックに陥っていた。今のは間違いなく完璧に斬る事ができたタイミングだった。防ぐことなどできなかった。死を覚悟したというのに―――何故生きているのか。いや、この痛みは何なのか。というか、痛すぎる。

「―――ねぇ。なんで貴女は【私】を見てくれないの?貴女が、何を背負っているのか分からないし、知らないよ。それがとんでもなく重いモノなのかもしれない。でも、今ここで貴女の前にいるのは私―――高町美由希だよ」

 ドクンっと翔の心臓が声をあげた。
 
「貴女の刃に乗っているのは―――怒り、悲しみ、虚しさ。色々な感情が乗っていたよ。でも一番強かったのは―――認められたいという気持ち」
 
 パキィと何かが音をたてた。

 その気持ちに気づいたのは美由希だからこそだろう。
 彼女もまたそうなのだから。たった一人だけで良い。その人にさえ認められたならば十分だ。そういう気持ちを常に持っているのだから。
 頭突きの痛みがようやく治まってきたが、生理的現象は抑えきれず、涙がちょっと浮かんでいるが―――それでも彼女は続ける。

「きっと貴女は貴女を見てもらえなかったんだね。それがどんなに辛いことか、悲しいことか、分からない。でもね、今此処で貴女と戦っているのは私なんだ。他の誰でもない高町美由希なんだ。貴女は―――自分が今までされてきたことを相手にしているんだよ」

 頭を抑えながらペタンと地面に座り込んだ翔は―――見下ろしてくる美由希を見上げる。

「―――ねぇ、私を見てよ。私と刃をかわそう。今此の時―――私も貴女だけを見ているよ」

 そして―――殻は破ける。
 今まで天守翔を覆い囲んでいた強固な殻は音をたてて砕け散っていった。
 高町美由希という人間と会って、想いをぶつけられて―――翔は、クスリと笑った。

「全く本当に馬鹿ですね。今さっきで勝負は決まったというのに、そんなことを言いたいがために、見逃したんですか?」

 痛みで浮かんでいた涙をふき取る。いや、果たしてそれは痛みだけのためだったのだろうか。
 落としていた刀を拾い、一振り。風切り音が高鳴った。だが、その音はこれまでよりも遥かに美しい。一切の迷いがない。不思議なほどにぞくぞくとするほどに美しかった。

「私は―――本当の【貴女】と戦いたい。そう思っただけ。全力で戦ってこそわかることもあるよ」
「そう。そうですね―――そうかもしれませんね」

 翔が刀を構える。何の変哲もない正眼の構え。基本に忠実な、その構えを見た美由希の背中に電流が走る。
 恐ろしい。これまでのどの斬撃よりも、打撃よりも、それはとてつもないほどに恐怖を纏っていた。
 にこりと彼女は笑う。だが、それに美由希も笑い返す。何故か、凄く楽しい気分だった。 

「―――もう一度」
「うん?」
「―――もう一度、貴女の名前を教えてください。貴女の口から教えてください」

 擦れるような懇願。
 それに力強く、美由希は頷いた。

「―――永全不動八門御神真刀流小太刀二刀術。高町美由希」

 有難うございます。そんな呟きは夜に溶けた。
 翔が地面を蹴りつける。それと同時に美由希も疾駆する。
 二人の集中力が限界にまで高まっていく。集中力が、互いの動きの全てを相手に伝えた。
 腕の動き、脚の動き、足の動き、目線、それら全てを二人は完全に、完璧に視覚が捉え、脳へと送る。
 
 限界を迎えた集中力が―――限界超えた。

 二人同時に、互いの理解を超えた世界へと足を踏み入れていた。
 【そこ】は世界がモノクロに染まっていた。見渡す限りが全て、色をなくしていた。それを不思議と思わない。
 自分達ならばそれが当然だと、不思議とそう思えたのだ。それに世界がどうなろうと互いにやることは一つだけ。

 翔の刀が、美由希の小太刀が斬閃を矢継ぎ早に繰り広げる。
 一手でも間違えたならば、互いの刃が急所を貫く。一ミリの誤動作が、致命傷と成り得る。
 そんな生と死の狭間。至高の戦場の空間で、二人は刃を弾きあう。

 三枚の鋼の刃が不協和音を奏で、耳に打つ。
 だが、それは不協和音であると同時に、何故か酷く心に残る。
 少なくとも二人にとって、そこは生涯最高となる一瞬となっていたのだ。
 
 一瞬の空間で何十と弾きあった刃が限界を迎える。
 それと等しくして、互いの肉体も軋みをあげ続けていた。本来ならば二人とも【そこ】にいるにはまだ早い。
 武の頂を求める者達が生涯をかけて到達することを目指す領域。常人とは異なる時間外領域へと導く超速技。

 御神と天守において、流派不出とされ、その世界に辿り着けるものは、一握りとされた必殺となる世界。
 彼らはそれを―――【神速】。【天翔】と呼ぶ。

 その異空間に入れたのは翔と美由希だったからだろう。
 どちらか片方だったならば、不可能だった。互いの意識が、想いが、集中力が二人の限界を突き破った。
 だがしかし、限界を突き破るということは―――限界を迎えるということにも等しい。

 二人の肉体が、精神力が悲鳴を上げ、音をたててモノクロの世界は崩れ去る。
 そして、噛み合っていた刀と二振りの小太刀もまた、耐久の限界を向かえ、耳障りな金属音を残し、砕け散った。

 それでも二人は止まらず―――。

 翔の右拳が。美由希の右拳が、激しい衝撃を残し、互いの頬を殴りつける。
 たたらを踏み、両者とも一歩だけ後退するも、歯を食いしばり、次に放つのは左拳。
 それも同時に互いの頬に着弾。血が飛び散る。二人の間の地面を濡らす。
 二人にもはや余裕はなく最後の一手として選ばれ、放たれたのが―――。

「ぁぁあああああああああ!!」
「っぁあああああああああ!!」

 皮肉なことに、ぶつかりあったのは互いの頭同士だった。
 翔の額が、美由希の額が。鈍い音をたてて激突。
 その状態で―――二人の動きがピタリと止まった。

 十秒ほどたって、止まっていた時間は動き出す。二人はふらりと離れ、同時に仰向けとなって倒れた。
 意識はあるようだが、どちらも動き出す様子は見られない。数分が経過し―――。

「……痛いです。石頭です、ね。高町さん」
「いやいや。天守さんも負けてないと思いますよー」

 
 寝転がった体勢のまま、二人は話し始める。
 
「―――こういう場合、勝敗はどうなるんですしょうかね」
「どうなんでしょうかねー。早く立ち上がった方が勝ちとか漫画ではありますけど―――引き分けにしませんか?」
「……そうですね。それが良いと思います」

 美由希の提案をあっさりと受け入れた翔は、ゆっくりと上体を起こす。
 殴りつけられた両頬は赤く腫れ上がり、額も真っ赤に染まっている。日本人形みたいに綺麗な顔をしているだけに、腫れ上がった状態が少し間抜けに見える。
 勿論それは翔だけではなく―――美由希もであるが。

 パンパンに膨れ上がった両頬に手をあてて、痛みに眉を顰める。
 激痛がはしっているが、それが不満には思わない。逆に、何故か心からすっきりとした―――心に広がっていた暗闇の雲が払われたような気分だった。

「……わたくしは、姉が嫌いでした」

 ぽつりと翔が呟く。

「いえ、違いますね。一族の者に良い様に言い包められて、姉を勝手に恨んでいただけです。本当に身勝手な逆恨みです」

 翔の発言を美由希は黙って聞いていた。
 きっと、翔は聞いて欲しいのだろう。誰にも今まで吐露することができなかった想いを。

「あの人は―――わたくしを見てくれなかった。見て欲しかった。だから、わたくしは天守当主の座に立とうと思いました。そうすることによって姉を超えられる。そうすれば姉もわたくしを見てくれると思ったんです」

 人間とは思えぬほどの強さの姉。人の限界を超えていた姉。
 その圧倒的な強さに、憎むと同時に剣士として憧れを抱いた。揺らぐことのない孤高の強さに少しでも近づきたいと思った。

「当主の座につくために―――負けてはいけない。負けられない。常にそう考えて生きてきました。そうやって私は生きてきました。でも、あの人は―――姉は遠ざかるばかりで」

 独白を遮るように、美由希はくすりと笑った。
 何故笑われたのかわからないのか、翔はキョトンとした様子で美由希を見るのだが―――。

「天守さんはきっとお姉さんのことが嫌いじゃないんですよ。好きで、大好きで仕方ないんです」
「―――へ?」

 間の抜けた声が翔の口から漏れる。

「だって、嫌いの対義語は無関心って良く言いますよ。お姉さんのことが好きだから、そんなに苦しんで、悲しんでたんじゃないですか?」

 思いがけないことを指摘され、それを理解した途端、翔の頬が瞬間湯沸かし器のように真っ赤に染まった。

「え?え?え?え?」

 パニックに陥っている翔が、とてつもなく可愛かった。
 初めて歳相応な姿をみることができて、心が弾む。顔だけではなく、そんな様子も日本人形に見えてしまう。

「一度お姉さんとゆっくりお話したほうが良いと思いますよー。きっとそうしたら色々と変わってくる筈です」
「―――は、はい」
 
 コクコクと頷いた翔に満足して、美由希は立ち上がる。
 頬と額が激しい痛みを主張してくるが、今此の場ではどうしようもない。
 早く帰って治療しなければ、悪化して明日学校へはとても登校できる状況ではなさそうだ。

「それじゃあ、私帰りますね。お姉さんとの関係―――頑張ってください」
「あ、あの―――」

 背を向けた美由希を呼び止める。
 翔の心のなかに様々な思いが湧き出てきた。出会ってから酷いことばかりしていた気がする。間違いなく、美由希には嫌われることしかしていないが、彼女はそんな様子は微塵もみせていない。
 本当に不思議な人だと翔は思った。でも、とても温かい人だと―――そう思った。

「―――有難うございました!!」
「どういたしまして」

 最大限の感謝を込めたお礼に、美由希は笑って答えてくれた。
 そして、ふらふらと足元がおぼつかない状態ではあるが、そのまま風芽丘学園から消えて行く。

 残された翔も、ふらりとよろけながら立ち上がり―――夜空を見上げた。
 夜空に瞬く星々が、これまでの人生で一番美しく見える。
 美由希に言われたこと―――きっとそれは正しいのだろう。だが、これまでの自分を否定するのも難しい。
 直ぐには変えられないだろう。だが、それでも変えていこう。少しずつで良い。今の自分から変わっていこう。
 
 天守翔は、瞬く星々にそう誓った。
 
  
 
 



 


  


 
 






 
  

 
 
  

 

 

        ---------えぴろーぐ---------------









 美由希と翔の戦いから一週間が過ぎた。
 当然といえば当然だったのだが、殴られた頬の腫れが次の日に引くことはなく―――暫く学校を休むことになったのが記憶に新しい出来事だ。
 本日は日曜日。普段だったならば、恭也と美由希は一日中道場なり、八束神社の裏手で打ち合ったりしているのだが、今日は珍しく二人で買い物に出かける流れとなった。
 といっても、砕けてしまった小太刀を新調するためなので色気もへったくれもない。更実は既に注文はすんでいるので、取りに良くだけでもある。

「あら、恭也じゃない。どうしたの?」

 恭也と美由希が並んで商店街を歩いていると―――突然後ろから声をかけられる。
 こんなシュチエーションが以前もあったなと思いつつ背後を振り向く。
 
 するとそこには、天守翼と天守翔の二人が並んで立っていた。
 翼は動きやすい服装―――黒尽くめという極端な色合いだが。翔は和服姿と、相反する服装ではあったが、二人の容姿は互いにとびぬけている。街行く人の視線を集めていても仕方ないだろう。

「あれ、天守さん。お久しぶりです」
「はい。高町―――いえ、美由希さんもお元気そうで」

 恭也がいるためだろうか、高町という苗字ではどちらかわからないと判断した翔は美由希の名前を呼んだ。
 そして隣に立っていた翼を思い出し、頬を赤くしながらちょんちょんっと両手の人差し指を合わせながら隣の翼の紹介を美由希へとする。翼が翔の姉だと知った美由希は改めて、長身の彼女を見てみるが―――。

 ―――うわぁ。天守さんが、劣等感みたいなの感じるのも無理ないなぁ。
 
 こんな人が姉妹として傍にいたら、確かに翔みたいになってしまうのも無理はないかもしれないと美由希は少しだけ、彼女に同情をする。恐ろしいほどに強い。目を縫い付けられるほどに美しい。こんな人もいるんだと、美由希は内心でため息を吐いた。
 唯一勝っているところがあるとすれば―――胸の大きさくらいだろうか。
 
 そんな邪なことを考えた美由希に。翼が冷たい視線を向ける。
 幾らなんでも考えていたことを読むとか、そんな摩訶不思議な能力があるわけはない。ないはずだが―――。

「恭也。丁度よかった。少し話したいことがあるんだけど時間くれないかしら?」
「ん……」

 ちらりと美由希の様子を窺う恭也。
 本日は一応美由希の付き添いではあるが―――井関に刀を取りに良くだけといえば、それだけだ。一人で行かせても問題はない。
 それに美由希と一緒にいるというのに、ここまで強引に誘ってくるのならば余程重要な内容かもしれない。
 
 ―――多分。

「美由希、すまんが一人で井関まで行ってくれ。何かあったら携帯に電話しろ」
 
 ガーンと美由希の頭の中で鐘の音がなった。 

「さて、翼。どこで話す?」
「良いカフェを最近見つけたのよ。そこにしましょう」

 すっと自分の腕を恭也の腕に絡めると―――半ば強引に恭也をつれてこの場から立ち去っていく。
 去り際にふっと勝ち誇った笑みを残して。

 取り残される形となった美由希と翔。
 翔は姉の傍若無人ぶりに既に諦めてしまっているのか、行ってらっしゃーいと二人の後姿に手を振っていた。
 ようやく我を取り戻した美由希は―――。

「ごめんなさい。天守さん。私―――貴女のお姉さんのことちょっと苦手かも」
「え、ええーー!?」

 商店街に響く、翔の雄叫び。
 そして今日も時間は過ぎてゆく。

 恭也を筆頭として、あらゆる猛者や人外が蠢く都市海鳴。
 
 本日も―――平穏也。





 




 
 
 
 

 

 


 



 







------------atogaki---------------

 長かった永全不動八門編終了です。本当に長かった……履歴を見ると6/16~なので半年くらいですかね。
 実際はほとんどこの一週間で書き上げたものですが><

 読み返すと色々と残念な箇所もあります。風的 小金井 秋草の三家が全く活躍してない。途中でフェードアウトしてますね。
 実際に永全不動八門編は書きたいことが全く書けなかったなぁ……と反省ばかりです。
 特に美由希と翔の戦い。もっとかきたかったのですが、頭のイメージに私の筆力が全く追いつかず、残念な戦闘となってしまいました。
 虎熊童子とかとの戦いは省略されたのではなく(省略されてますけど)、間章にて補完予定です。
 果てさて、次の話は―――迷っています。
 
 久遠&那美(大怨霊編) 晶&レン編 フィアッセ&美沙斗(龍編)

 正直な話、どれを先に書いても問題はなかったりします。ただし、間章との関係もありますし、迷い中です。
 とりあえず一気に書いたので、ちょっと燃え尽きました。モチベーションが持続できたら続編は投下したいと思います。というか、モチベーションが全てですね><

 最後に半年以上も長い目で読んでいただいた皆様に感謝を致します。有難うございました。
 また、感想が力になり、一気に書き進めることもできたので、感想を書いていただいた方々にも、御礼もうしあげます。


 そして、年の最後に完結できてよかったです。皆様良いお年を!!(十六章でもかきましたけど


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