未来視の魔人が翠屋を去って暫く固まっていた恭也だったが、桃子に呼ばれ厨房へと戻る。
できるだけ表面上はとりつくい、普段通りの自分を演じるように努力をしているが、内心様々な想いが渦巻いていた。
彼女が語った大怨霊という存在。その全てを鵜呑みには出来ないが、存在の危険さは伝わってきている。
数百年の悪意の塊。結晶。そんな悪霊が現世に出現すれば、一体どうなるだろうか。
彼女が語った内容によれば、必ず天敵というものが存在し、滅ぼしてくれるようではあるが―――果たしてその天敵がいつあらわれるかが問題だ。
国が傾いてからでは遅い。できるだけ死者がでない早い段階で倒さなければならない。
確かに、最後に囁かれたように、封印されたという依り代を斬るのが一番有効な話であり、被害がでない方法なのかもしれない。
だが―――不安もある。
この情報を伝えてきた相手が相手だ。
どれが正しく、どれが間違った情報なのか今の恭也では判断できない。
依り代を斬ったからといって本当に復活を阻止できるのかも分からない。下手をしたら復活を手助けしてしまう状況に陥ってしまうかもしれない。
とりあえずこういった情報に詳しい人に話を聞いてみようと考えた彼だったが、はたっと困る。
自分の人脈の中で残念ながら霊に詳しい人はいない。HGSならばいるのだが、それも畑違いだろう。
可能性として最も高い相手ならば、やはり人とは違う存在。
仕事が終わったら水無月殺音あたりに少し話を聞いてみるかと、決断して気持ちに一区切りをつける。
「―――いや」
そんな時に思いつく。そして思い返す。
未来視が語った大怨霊の出現周期について。
『ああ、そうそう。私は大怨霊がこの世に現れるのは数百年に一度といいましたよね?あくまで【数百年】ですよ?五百年現れないこともあります。ですが、二百年で現れることもあります。そこら辺はランダム性が強いですね』
天眼はこう言った。数百年に一度だと。
『六百年前の抑止力は、【青年】でした。三百年前の抑止力は―――【神咲】の一族でした。もっとも、当時は壊滅的な被害でようやく封印が可能だったようですけどね』
六百年前と三百年前。その二回だと。
それはつまり―――。
御神流創設の時代から生きながらえて来た御神雫。
彼女が存在し得た可能性がある時代だ。ならば、聞いてみる価値もある筈だ。
「恭也ー。もう大丈夫みたい。なんとか乗り越えられたわー」
厨房に入れば桃子が笑顔で恭也を迎えてくれる。
見れば、シフトの時間の入れ替わりは来たのだろうか、レンと晶と変わって普段良く見るアルバイトの人になっていた。
そしてそれは恭也にも言える事で、夕方から夜にかけての店内担当の学生のバイトの娘もやってきている。
「ああ。それならあがっても大丈夫そうか?」
「うん。本当に有難うね~。多分夜は普段よりちょっと帰れるかもしれないって言っておいて」
「わかった。かーさんと一緒に御飯を食べることができるならなのはも喜ぶ」
翠屋の制服を脱ぎ、店内の従業員に挨拶をしてから退店する恭也。外に出てみれば、まだ陽は落ちていない。夕陽が眩しい時間帯だ。
高町家へと帰路につきながら、夕飯までの時間までなにをしようかと考える。
鍛錬をするにはなかなか微妙ではあるし、どこかへ買い物に行くのもまた微妙。実に中途半端な時刻だ。
とりあえず盆栽の世話でもしようと結論をくだし高町家の門をくぐった丁度その時、ガラっと扉が開き晶となのはの二人が出てきた。
いくら暖冬といっても流石に夕方以降は寒くなる。二人を見れば上着を羽織り暖かそうな格好をしていた。
「あ、師匠お疲れ様です!」
「おかえりなさい、おにーちゃん!!」
「ああ、ただいま。どうした、どこかへ出かけるのか?」
「うん。八束神社に晶ちゃんと行くの」
「八束神社?珍しいな」
聞き返す恭也の疑問も当然だろう。
恭也や美由希ならまだわかるが、晶となのはの二人が八束神社に行く理由が考え付かない。
遊びに行くにしても、もっと良い場所が幾らでもある筈だ。
「うん!!今日こそくーちゃんに食べて貰うの!!」
笑顔でなのはは両手で持っていた袋の中に入っている油揚げを恭也に見えるように前に出す。
くーちゃんとは何ぞや、と一瞬考えるも、油揚げを見て、そのくーちゃんなる存在に推測がついた。八束神社に行くと、時折感じる何者かの視線。その視線の主である―――神咲那美の飼い狐。
その子狐の名前が久遠だったはず。その愛称として、くーちゃんと呼んでいるのならば、なのはが見せてきた油揚げにも納得がいく。
果たして狐が本当に油揚げを好むのか恭也は知らないが、狐=油揚げと幼いなのはが考えても仕方ないことだろう。
「あ、良かったら師匠も一緒に行きませんか?」
「うん!!おにーちゃんも一緒に行こう」
「―――む」
即答できずに一瞬返答に困った恭也だった。その理由としては先ほど恭也が愛する盆栽の世話をしようと決心したばかりだ。もしなのは一人だけだったならば即決しただろう。だが、一応は晶も保護者として一緒に行くならば安心できる。
用事が他のことだったら躊躇い無く二人についていっただろうが、盆栽と天秤にかけると見事にその秤は平衡を保っている。
恭也が迷っているのを感じたのか、なのはの表情が一瞬曇る。それを見た恭也の天秤の秤が凄まじい勢いでなのはへと傾いた。
「よし。一緒に行くか」
「ありがとー、おにーちゃん!!」
語尾にハートマークがつきそうなほどに、嬉しさが混じった甘い声でなのはがにっこりと笑う。
そんな二人の様子を見ていた晶が、師匠ってやっぱなのちゃんには激甘ですねーと若干呆れていたようだが―――所詮盆栽ではなのはと比べるまでも無かったようだ。
盆栽と遠くから別れを告げた恭也と晶となのはの三人は、早速八束神社へと向かう。
そこまで遠いというわけでもなく、なのはのペースにあわせて歩いてもすぐに到着することが出来た。
厄介なのは百段以上にも及ぶ階段。恭也と晶にとっては大した事無いが、なのはにとっては中々に大変な試練かもしれないが、久遠に会うという目的がある彼女には壁とはならなかったようだ。
小走りとなって階段を駆け上る姿を見て少し心配になる恭也。
「なのは。転ばないように気をつけるんだぞ」
「はーい!!」
返事だけは元気が良かったが、登っていくペースには変化は無かった。
恭也と晶よりも少し早く、八束神社の境内へと到着したなのはは、キョロキョロと久遠の姿を捜し求め視線を移動させる。
残念ながらすぐには見つからず、森の方をじっと見つめているなのはに、恭也達が追いついた。
「見つからないのか?」
「うんー。何時もは居るんだけどなぁ」
少し落ち込むような様子を見せたが、それも一瞬。
久遠を探すなのはを視界に入れながら、恭也と晶は傍にあったベンチに腰をおろす。
「何時もは、ということは―――何度か来ているのか?」
「あ、はい。結構前から仲良くなりたいって話はよく聞いてたので、結構来てたみたいですよー。一応俺かレンのどちらかがなのちゃんには着いて来てたんで心配はなかったと思います」
「そうか。わざわざなのはに付き合ってもらってすまなかったな。助かった」
「いえ!!俺も、狐とか見たかったですし!!」
恭也にお礼を言われた晶はえへへっと照れたように笑い、頬をかく。
しかし、相変わらず晶は一人称に俺という単語を使ってることに若干の不安を感じしてしまう恭也は、それを指摘するべきかどうか一瞬迷う。だが、別にいいかとあっさりと思いなおした。
確かに晶はショートカットで、服も男物を良く着る。スカート類といった女性用の服を着たのを最後に見たのは何時以来だろうか。そういえば恭也の勧めで空手を始めさせる前は時々着ていたかもしれない。それを考えると少し責任を感じる恭也ではあるが、自分のことを俺と呼ぶのも、それもまた晶の個性だ。
別に誰に迷惑をかけていることでもないし、本人も男の子と間違えられることをさほど気にしていない様子なので、暫くはこのままでもいいだろうと恭也は考えている。
レンから聞いたことだが、同学年の男子からは結構な人気があるらしい。運動しか出来ないように思われているが意外なことに成績も優秀であり、クラス委員も務め、人望もある。男子と女子との間を取り持つ晶が人気が出ないほうが確かにおかしい。もっとも―――男子以上に人気があるのが女子の方らしいが。
この前は一個下の学年の後輩に告白されて非常に困っていたとレンが爆笑して話していた。
てっきり晶は、自分のことを男だと勘違いして告白してきたと思っていたらしいが、どうやら相手はしっかりと晶が女だと知っていたらし。最近の中学生は進んでいるなと、少し年寄り染みたことを考える恭也。
「晶。最近明心館での調子はどうだ?」
「そうですね。えっと、結構調子良いと思います。この前の大会でも優勝できましたし」
「優勝したのか。それは凄いな」
「師匠にはまだまだ及ばないですけど―――最近結構組み手するのに良い相手ができたんです」
恭也に少しでも褒められると照れてしまう晶だったが、ふと何かを思いついたように、ポンっと手を叩く。
「山田太郎っていう風芽丘の二年の先輩なんですけど。この人空手の経験は浅いのに、かなり強いんですよ」
「―――そ、そうか」
聞き覚えがある名前を聞いて恭也も一瞬どもってしまう。
あの男も頑張ってたのか……と自分が明心館に連れて行った身でありながらすっかりとそのことを忘れていた、意外と酷い恭也。
「毎日館長にぼっこぼこにされてるんですけどね。それでも毎日頑張ってるみたいです」
ぼこぼこにされてるんですよーと山田太郎の近況を伝えてくる晶の笑顔が痛い。
すまん。山田太郎と心のそこから謝る恭也だったが、巻島の英才教育を受けているならば彼の実力は凄まじい勢いであがっていっているだろう。こんど見に行ってみるかと夕陽の空に浮かぶ山田太郎の姿を遠い眼で見た。
「っあ!!」
その時なのはの声があがった。
山田太郎の幻影を消し去って、声のした方向を見てみるとなのはが油揚げが入っているパックの蓋をあけ、地面に置いているところだ。良く見てみれば、確かになのはから少しはなれた草々に紛れて、金色の衣を羽織った子狐が顔だけ出している。
警戒しているのか、そこから出ようとせず何時でも森の中へ逃げ出せる体勢を取っているようだ。
油揚げから離れたなのはは、ドキドキと緊張しながらも久遠の様子を窺っている。
久遠は油揚げとなのはを交互に見ていたが―――その視線が突如恭也に向けられた。
鍛錬のために八束神社に来ると時々感じていた視線。その視線が、やはり何か違和感を感じる。
久遠は子狐だ。野生の動物である。だが、その視線はまるで人間から見られているような、そんな違和感を受けるのだ。そしてそれだけではない。久遠の視線にのせられている、複雑な感情。正と負が綯い交ぜとなった、恐らくは当の本人でもよく理解できていないだろう、そんな感情だ。
ついに緊張感に耐え切れなくなったのか、なのはが久遠の方へと一歩を踏み出す。
じゃりっと彼女の足が地面の砂を踏む音が境内に響き渡った。その音に反応して久遠は小柄な体を翻し、森の中へと消えていった。
「ぅぅ……今日も失敗しちゃった……」
しょぼんっと落ち込んだなのはは地面に置いていた油揚げを回収し、袋に戻す。
そんななのはの様子に、恭也は気になったことを晶に問い掛ける。
「そういえば何度もとさっき言っていたが、何回くらい餌付けに来ているんだ?」
「えっと俺が一緒に着いて来たのはこれで―――六回目くらいですね。レンはわからないですけど多分同じくらいだと思いますよ」
「そんなに挑戦していたのか。珍しいな」
「ですよねー。あのなのちゃんが、ここまで懐かれないなんて信じられないです」
恭也の台詞に晶も同意する。
高町家の人間は基本的に動物に好かれやすい。猫でも犬でも、とにかく直ぐに懐かれることが多いのだ。
特になのははそれがずば抜けている。純粋故にか、動物とは心をすぐに通わすことができる。
そんななのはが、二桁を超えるくらい通いつめているというのに、未だ警戒されているというのが正直信じられないのが恭也の感想でもあった。流石は野生動物と思ったが―――良く考えれば那美に飼われているのだから野生動物とは言い難いのではないかとふと思う。
しょんぼりと言う言葉が良く似合う落ち込んだ雰囲気で恭也の元へと戻ってきたなのはの頭を軽く一撫で。
「また付き合おう。諦めないんだろ、なのは?」
「―――うん!!」
パァっと花が咲く笑顔でなのはは力強く頷いた。
そして三人は八束神社の境内から階段を降っていく。その途中―――表現できぬ悪寒。圧倒的な邪気、そういった不穏な気配を感じた恭也は反射的に後ろを振り返った。
「どうかしました、師匠?」」
「おにーちゃん?」
その恭也の様子に、晶となのはが声をかけてくる。
それに答える余裕は恭也にはなかった。これまで戦ってきた強き者は数多い。そんな強敵をも遥かに上回る殺気や戦気、闘気といった気配ではなく―――純粋な悪意。
この世の全てを呪っている憎悪が少し離れた山の中で膨れ上がり、そして次の瞬間には消えていた。
それは一瞬だった。一秒にも満たぬ、一瞬の悪意。
だが、恭也は気づいた。その悪意を発する、あまりにも常軌を逸した、この世にあらざる存在の気配に。
口から吐いた息が震えていた。この時恭也が感じたのは予想でも予感でもない。
それは確信だった。未来視の魔人が世界を壊したがっているように―――この気配もまた、人間すべてを滅ぼそうとするほどに、憎んでいるのだ。ここまで何かを憎んでいる存在を恭也は―――たった一度しか感じたことは無い。
「―――いや、何でもない。さぁ、帰ろうか」
何かを聞きたそうにしている二人を連れて階段を降りて行った。
こんな時の恭也には何を聞いても無駄だとしっている二人は、大人しく恭也の背中を追って八束神社から高町家へと戻る帰路につく。
夕陽は既に沈みつつある。街灯も己が役目を果たすために、光を発し始めていた。
十数分程度歩くと高町家へ戻る途中の道に翠屋が見える。そろそろ夕飯を取るであろう時間帯ではあるが、まだまだ翠屋は盛況ぶりを発揮していた。軽食もやっているため、それで夕御飯を済ませてしまおうという人も多いのだろう。
翠屋の入り口に差し掛かる少し手前で、そのドアがカランカランと鈴の音をたてて開けられた。
中から出てきたのは二人の少女。といっても見知った二人だ。何せ美由希と那美が連れ立って出てきたのだから。
「あれ。どこか行ってたの、恭ちゃん?」
「ああ、八束神社に少しな。お前は那美さんと翠屋にいたのか」
「うん。といってもさっき来たばかりだけどね」
成る程と恭也は頷いた。どうやら恭也があがってから直ぐに美由希達は来たようだ。
那美も恭也達三人に気づいたようで、ペコリと頭を下げてくる。
「こんばんは、高町先輩。それに晶ちゃんとなのはちゃん」
「こんばんはです。神咲先輩!!」
「那美さん、こんばんはー」
そんな那美を倣ってか、二人も礼儀正しく頭をさげて、挨拶を交わす。
「いつも美由希がお世話になっています。ご迷惑をお掛けしていませんか?」
「い、いえそんな!!私の方こそ美由希さんにお世話になってばかりで……」
「恭ちゃんじゃあるまいし、私だってそんなに迷惑かけな―――」
パチンと音が響く。美由希が最後まで言い切る前に、恭也のデコピンが炸裂。
今回は徹を込めていなかったので、そこまでの衝撃は感じず額を押さえるだけで済んだようだ。
ちなみに、この場でその動きを見えたものはいなかった。晶となのはは何時もの事なので何が起きたかある程度予想できているようだが、那美は勿論妙な音が鳴ったなーくらいしか感じ取れてはいない。
デコピンを受けた美由希は少々恨みがましく睨んできていたが、知らぬ存ぜずを通すつもりの恭也に諦めたのか、唇を尖らせるだけで抗議は終わったようだ。
「あーそうだ。今日晩御飯を那美さんも一緒に食べることになったんだ。一応レンにはもう連絡済みだよー」
「レンに連絡入れているなら特に問題はないな。翠屋に居たということは、かーさんにも話したのか?」
「うん。なんか妙にテンションあがってたよ。デザート作って持って帰ってくるってさ」
「―――そうか」
美由希に出来た随分と久々の友人。その那美が高町家に晩御飯を食べにきてくれるということで、桃子も嬉しいのだろう。
もっとも恭也も美由希のことをどうこう言えるほど友人がいるというわけではないが、赤星勇吾や月村忍といった友がいるため、美由希よりはまだマシといったところだ。
五人はそのまま高町家へと戻り、なのはは部屋で御飯まで宿題を開始する。晶はキッチンで料理を作っているレンの手伝いにいったのだが、相変わらず口喧嘩をしつつ―――ついでに足もだしながら、合作料理を作り始めている。
恭也と美由希と那美の三人はリビングのソファーにて、談笑に勤しんでいた。
談笑と言っても基本的には美由希と那美が話をして、恭也はそれに相槌をうつといった感じである。
「そういえば、美由希さん。以前頼まれていたこれなんですけど……」
「あっ!!有難うございます。見てみたかったんです」
那美が鞄から何やら重そうな箱を取り出す。それほど大きくもなく、精々数十センチ程度の長さだろうか。那美がその箱をテーブルに置き、蓋をあける。中に入っていたのは樫造りの柄と鞘に、赤い飾り紐がついている短刀であった。
美由希はその短刀を落とさないように丁寧に取り出すと、鞘から引き抜く。
「―――うわぁ」
「……これは、なかなか」
美由希と恭也の二人同時に感嘆の声があがった。
その短刀は不思議な魅力があり、見ているだけで魂が吸い込まれそうになる美しさと危うさを秘めている。
恭也が持っている八景も名刀ではあるが、この短刀も負けてはいない。相当に古くに鍛え上げられた年代物に間違いない。
刀に関しては並々ならぬ興味を持つ、刀マニアの美由希は頬を赤らめながら魅入っているようだ。その光景は少し怖い。
「銘は雪月といいます。私の宝物なんです」
「―――確かに、これは素晴らしい短刀ですね」
完全に魅入ってしまっている美由希に代わって、恭也が答えた。
別にお世辞というわけでもなく本当に心からそう思っただけだ。名刀と呼ばれる刀は数有れど、実際に手に入れるには相当のお金と運と人脈がいる。八景とて、古く不破の一族に伝わる刀であり、父の遺品として恭也が受け継いだに過ぎない。
その他に所有している刀は、あくまでも安価で手に入る刀なのだ。
「有難うございます。恥ずかしながら私が見つけたものではなくて、姉から譲り受けたものなんですけど……」
手放しの称賛に那美は恥ずかしそうに俯いた。
照れているのは矢張り、自分の宝物を褒められたためだろう。普通は短刀を宝物ですと言われても、反応に困る人が大半だ。だが、恭也は心から返答してくれた。それが那美には少し嬉しかった。
「姉、ですか?確かに那美さんはお姉さんがいそうな雰囲気ですね」
「あはは……おっとりしてるせいか、他の人にもよく言われるんです。一応双子の弟が一人と、兄が一人。それと姉がいるんです」
「意外と御兄弟が多いんですね。しかし、お姉さんから譲り受けたものですか―――これほどの名刀。たいした目利きをしていると思います。何かそういった方面のお仕事をされているのですか?」
「えっと……はい。一応刀を扱ったお仕事をしています」
「―――そうですか。そう言えば少しお聞きしたいのですが、あの子狐……久遠と仲良くなる方法はないでしょうか?」
どことなく言いづらそうに答えた那美に気づいた恭也は、あまり深く聞かないほうが良いと判断すると、その話題を打ち切り他の話題へと話を変える。
「うーん。久遠は人見知りをしちゃいますから……何度も会って馴れるしかないかもしれません」
「―――そうですか。なのはがどうにも懐いて貰えないようなので。また行ってみます」
「はい。私も神社にいるときはご協力させていただきます」
どうやら簡単に久遠と仲良くなる方法はないようで、暫くなのはと一緒に通いつめるしかないかと思う恭也だった。
その時、あちらの世界へ旅立っていた美由希が、ふぅというため息とともにこちらの世界へ復活。雪月は相当に美由希のお気に入りとなったようだ。
満足した美由希が雪月を鞘に納めようとテーブルの上に手を伸ばしたその時―――短刀が美由希の手から零れ落ちる。
びくっと反応した美由希と那美を尻目に、横にいた恭也の手が雪月へと伸び、パシリと片手で掴み取った。その光景に二人とも唖然とするもそれも一瞬のことだ。
「ぁぁぁあああああああああ!?た、たか、高町先輩さん!?手、手、手、手ーーーーーーー!!」
パニックになった那美があわあわと恭也の顔と短刀を掴んでいる手を凄い勢いで見るのを繰り返す。
確かに真剣を素手で掴んだのだ。那美の驚きようも無理はないことだろう。
しかし、当の本人である恭也は特に顔を顰めるでもなく、掴んでいた短刀をテーブルへと置く。そして、手を開いて見せた。その手のひらは傷一つついておらず、全くの出血もない。
那美は恭也の手を取ると、本当に怪我がないのかまじまじと見つめる。真剣を素手で掴んで傷一つついていないことに驚きを隠せれないようだ。
「うわぁ、初めて見たかも。それって【刃取り】だよね?」
「ああ。お前は真似をするなよ?技術的な面では問題ないと思うが、握力が決定的に足りない」
「はーい」
「それより、お前は短刀を落としたことに反省をしろ」
「っう……ごめんなさい」
素直に謝罪をする美由希に、デコピンを打ちこもうととするが、片手を那美が握っていたため一旦諦める。
「今のは刃取りといいまして。言ってしまえば片手での白刃取りみたいなものです。失敗すると片手が使い物にならなくなりますので、実戦ではあまり使い道のない宴会芸にしかなりませんが」
「し、白刃取りですか……はぁ、凄いですね。吃驚して心臓がとまりそうでした」
「実際に止まらなくてよかったです。ところで、怪我は大丈夫ですので―――あの、そろそろ手を離していただけたら」
「え?ぁぁああああ!?ご、ごめんなさい!!」
男性の手を握っているという事実に顔を赤くして勢い良く立ち上がった那美が、ソファーに引っかかりバランスを崩し、そのまま後ろへと転がり倒れた。
そうなることは流石の恭也も予想だにできず、助けることは不可能だったのだが、床で涙目になっている那美を見ると、なんとなく凄く申し訳ない気分になる。
美由希が那美の手を取って立たせると改めてソファーに座りなおす二人。
「そういえば恭ちゃん。まだ、そのリストバンドつけてるの?」
「ん、ああ。これはこれで中々良い鍛錬になるぞ」
「ふーん。そうなんだ。良く普通に生活できるね」
若干だが呆れた様子を美由希が見せる。恭也の両手首にまかれた黒色のリストバンド。
それは晶から送られた誕生日プレゼントだった。多少の重りが入れられており、恭也が晶と戦うときのハンデみたいなものだと思って、日常生活でもこれをはめているらしい。
「ただいまー!!」
「今帰ったわよー」
その時玄関の扉が開く音が聞こえ、フィアッセと桃子の声が響いてくる。
「あ、こっちも丁度いいタイミングで御飯できました」
狙ったかのように、晶も御飯の準備が出来たと声をかけてきた。
こうして何日ぶりかによる高町家全員と神咲那美を含んだ大勢で、楽しい食事が始まることになった。
高町家での食事が終わった後、美由希は那美をさざなみ寮という、彼女がお世話になっている場所へと送りにいっている。
送った後直接八束神社に来るように言い含めたので、恭也は直接鍛錬場所へと向かった。
高町家とさざなみ寮は結構な距離離れているため、美由希が来るまで多少の時間がかかるかと考えながら、八束神社の階段を登りきり、軽く一息。
既に二十時を回っている。時間も時間のため、神社には人気はない。
むしろこの時間帯に人気があったことがあったためしがないが、それも当然の話だろう。逆にこの時間で繁盛していたらそれはそれで怖い。
もしかしたら久遠に会えるかもしれないと心の隅で考えていたが、現実はそう甘くないようで、姿は見当たらない。
仕方ないかと諦めると、軽く柔軟体操から始める。これは怪我をしないためにも必要なことだ。
体が温まってくると恭也は、両足で大地を踏みしめる。
大地が揺れる錯覚。震脚の音が境内に響き渡り、鋭い呼吸の音が口から漏れる。
そして、演舞を開始する。御神流にも当然と言えるが、演舞なるものは存在した。何でも、目出度い行事等で時々披露されていたらしい。恭也も記憶にある限り、父の士郎が正月に御神と不破の宴会にて披露していたこともあった。
どれだけ正確に正しい演舞の型なぞれるか。これがなかなかに難しい。逆にレンは特にこういった演舞を得意としている。レン曰く、人を傷つけないから気が楽らしい。
パチパチパチ。
「―――っ」
静寂を破る拍手の音が聞こえた。
人の気配など全くしていなかったはず。それは恭也が誰よりも知っていた。
拍手の音がしたほうを見れば、そこにはあまりにも場違いな女性がいる。いや、服装だけを見ればこの場所には相応しいだろう。だが、こんな時間にこの場所に居るには相応しくない。
拍手をした人物。それは女性だった。見る感じ年齢を推し量るには難しい。黒髪細身の長身。瞳は薄茶色。肌は日本人らしい、白と黄色の間くらい。相当に髪は長いのか、神社の賽銭箱の前にある階段に座っている彼女の髪が、下までつきそうなほどである。
服装は闇夜に光る金色の着物。珍しいのだろうが、最近は和服姿の女性に良く会うせいか、特にそういったことを思わなかった。
「うむ。素晴らしいな、剣士殿。お主の演舞は美しい。長年生きる我とてそう思うぞ」
突然現れた女性は、恭也にそう言って笑いかけた。
何の裏もない、単純に心のそこからそう思った。だからこそ、恭也の演舞を褒めている。そう感じ取れた。
綺麗な女性だった。美しい女性だった。恐ろしい女性だった。
綺麗どころの知り合いは実際恭也には多い。誰もが忘れて息を呑むほどの美貌の持ち主も何人かいる。
そういった美しさとは一線を画す容姿。言うならば、危うい美しさ。
「―――貴女は?」
「ふむ。人に名を尋ねるときは自分からとは教わらなかったのではないか?」
「―――失礼。高町恭也と申します」
「さて、名乗らせておいてなんだが、我の名は多少有名でな。あまり名乗るわけにもいかないのだよ。だが、お主に名乗らせておきながら我が名乗らぬと言うのも礼に反するか。ふむ―――空(ソラ)とでも呼ぶと良い。今の我には相応しい名だ」
「空、さんですか。しかし、このような夜更けに貴女のような方が出歩くのも危険だと思います。もし宜しければ、ご自宅の近くまでお送りしますが?」
空はくくくっと面白そうに笑う。恭也を馬鹿にした笑いではない。
まるで恭也の姿を誰かに重ね合わせているかのように、どこか懐かしい視線なのだ。
「なかなかに優しいではないか、剣士殿。姿はあ奴と瓜二つではあるが、我に対する気配りはお主の方が遥かに上だ。いや―――良く考えればあの時の我の姿ではあ奴の対応も仕方なかろうか」
「……」
「それに心にも思っていないことを言うのはあまり頂けないと我は思うぞ?我に【危険】などという事態が訪れると思うのか?」
流し目を送ってくる空に、恭也は返答に窮す。
目の前の女性―――本人の語った名を信じるならば空というらしいが、彼女の【底】が見切れない。
強いか弱いかでいえば、強い。勝てるか勝てないかでいえば、間違いなく勝てる。百度戦っても百度勝てる自信はある。
だが―――どこか底が見えない。まるで巨大で強大な怪物が、人の姿を取っているだけのようにしか、恭也には見えなかった。
「なに、我のことは気にするな。さぁ、好きに鍛錬を始めてくれ。我はここで見学させて貰おう」
「いえ、その。あまり人に見せれるものではありませんので」
「そのようなこと気にするほどではあるまい。【御神】の剣士殿。我はお主達のことをそれなりに知ってはいるぞ」
瞬間、森が慄いた。夜の闇に支配している木々が、風が吹いてもないのに、ざわざわと音を立て始める。
カーカーっと木々を寝床にしていた鳥達が飛び去っていった。不可視の殺気が恭也の全身から滲み出て、空に襲い掛かる。
その圧迫感を受けた空は、僅かに驚いたのか軽く眼を見開き、先ほどと同じく手を叩く。
「ほう、驚いた。これほどの純粋な殺気を感じたのはどれくらいぶりか。素晴らしいぞ、お主」
「―――驚くのはこちらの方です」
恭也の気当たりを受けて平然としている。それがどれほどにとてつもないことなのか。
言葉に出したとおり、驚かされたのは威嚇した筈の恭也の方であった。
「世界がざわめいておった故に、封印から出てきてみたが、どうやらあまり心配しなくても大丈夫のようだ」
空は階段から立ち上がるとパンパンと尻についた砂埃を落とす。
恭也に背を向けて、階段に向かうと思った彼の想像を覆し―――八束神社の後方へと広がっている森の方へと足を進めていく。
「恐らくはお主が戦うであろう存在は文字通り次元が違う。この我とて全力で挑まねばならないほどの怪物よ。封印されて本来の力が出せぬ我が身でどうやって対抗しようか考えていたが―――どうやら我がでなくても問題ないようだ」
森の中へと侵入する空の足元の草が音をたてる。
「お主があの怨念を蹴散らす様を楽しみに見学させて貰うぞ。それとは別にもし、もしも我の力を借りたくなったならばあそこに来るとよい」
遠く離れた国守山の方角を指差して、空は笑う。
「お主の頼み事ならば大抵のことは叶えて見せよう。もっとも―――何もなくても話し相手になってくれるのならばそれも歓迎だが」
それだけを言い残し、空は森の中へと姿を消していった。
これが近い未来、恭也の運命を大きく変える女性―――空との初めての出会いだった。
八束神社での鍛錬を終え、高町家へと戻ってきた恭也と美由希は軽く汗を流し、明日へと備えて寝床へと入っていた。
季節は冬。あまり汗をかかないとはいえ、何せ鍛錬の量が半端ではない。そのため汗を流すのは必須となっている。
美由希は鍛錬に疲れているため、すぐに寝入ることができたようだが、恭也は不思議と眼が冴えてしまってなかなか寝付くことが出来なかった。
それも、今日は様々なことがありすぎたのが原因だろう。
昼間には久しぶりに未来視の魔人と翠屋であい、夜は八束神社で得体の知れない人外と思われる女性【空】と出会う。
ただの日曜日であるはずが、随分と密度が高い一日だった。
自分の部屋で、机に向かうと―――鍛錬の様子を細かく書いたノートを開く。
それは美由希の成長記録。御神流を習い始めた時から恭也がつけている膨大な量の記録であった。
これくらい学校の勉強も真面目にやれば、或いは学年でトップを取ることも可能なのだろうが、興味があることとないことでは非常に差が大きい例と言えるだろう。
その最新の記録のノートを開けようとした時、音もなく恭也の部屋の襖が開いた。
既に日が変わってかなりの時間が経っている。こんな時間に誰がきたのかと思えば、入ってきたのは美由希だった。
ただ、普段の美由希ではない。足音もなく、襖をあけられるまで恭也に気配を感じさせることもない。そんなことがまだ美由希にできるはずもない。
そうなると彼女は美由希ではなく―――。
「雫さん、ですか?」
「……」
返ってくるのは沈黙だ。だが、間違いなく彼女は御神雫だ。
その身に纏っている鮮烈な気配。美由希ではまだ到達できない絶対領域。空と同じ様に彼女もまた底が知れない。
雫は静かに歩いてくる。無表情ではあるが、何故か少し怒っているようにも見えた。
そして彼女は恭也の傍まで歩いてくると、彼の腕を握る。瞬間、世界が回転した。
どうやら掴んだと同時に恭也を投げ飛ばしたようだ。恭也は、相手に殺気がないのを確認すると、そのまま投げ飛ばされる。とりあえず、受身だけとったが、着地した場所はひいてある布団の上。
ぽすりと軽い音がしただけで、特に痛みはつたわってこない。
「いきなりなにをするんですか、雫さ―――」
「……」
恭也の声が詰まった。
相変わらず沈黙を保った雫はあろうことか、布団に倒れている恭也に覆いかぶさるようにしなだれかかってきたのだから。
息が吹きかかるほどに近い、互いの顔。雫の瞳が赤く光っている。普段の美由希と同じ顔だというのに、得体の知れない色っぽさが全身から滲み出ている。少女ではなく、【女】の顔をしていた。
「―――お主、何をしていた?」
「っえ?」
「お主なにをしていたのか、と聞いておる」
雫の指が優しく恭也の頬を撫でる。
だが、赤い瞳には苛烈な狂気が宿っていた。知らず知らずのうちに溜まっていた唾液を、ごくりと飲み込む。
「―――お主の身体から匂うぞ。あの、あの魔性の人外の吐き気を催す、匂いが」
そこでようやく雫の異変に思い至った。
昼間に翠屋にて出会った未来視の人外。そういえば、この前雫は異常なまでに天眼に敵意を燃やしていたことを思い出す。
「昼間に、翠屋にて会いました」
「―――っ!!」
頬に鋭い痛みが走る。何かが垂れる感覚を感じ取った。
雫が爪をたてて、恭也の頬を軽く切り裂いたらしい。たらりと恭也の頬を垂れていく真紅の血液。
その赤い血液を視線に捉えた雫は―――。
ピチャリ。
ぞわっと恭也が感じる悪寒。
近づいていた雫の顔がさらに近づき、滴り落ちそうになった血液を舌で舐め取っていた。
ピチャリ。ピチャリ。
静かな部屋に響き渡る、雫の舌が奏でる淫靡な音。
対応に困るのは恭也だ。何時もの泰然とした姿からは想像もつかない姿。
「―――あの女は、決して許さぬ。妾から、父を―――あの人を奪ったあの女を。必ず、どんな手を使ってでも、妾が細胞一つ残さず、滅ぼしつくす」
深い、闇色の怨念。憎悪と憤怒と、そして嫉妬。
様々な感情が入り混じった、決して許さぬ、そして揺るがぬ敵意。
「不破の小倅―――いや、恭也。お主はあの女に決して騙されるでないぞ。決して信じるでないぞ。決して心を許すでないぞ。あの女は、全てを犠牲にしてでも己の願いを果たすとする、ただの破滅だ」
人でもない。人外でもない。ただの【破滅】だと雫は言った。
きっとそれは正しいのだろう。恭也はたった二度しか会ってはいないが―――天眼から感じるのはどこか異常な雰囲気。
【今】を生きていない。生を感じていない。世界に何の価値も見出していない。アレはそんな怪物だった。
だが、問題はそれよりも―――。
布団の上で、恭也と雫が絡み合っているこの状況からどうやって抜け出すかが一番の問題だった。
-----------atogaki---------------
空の正体は多分読んで頂いてるかたならピンときてそうですね。
他の話とはちがって、この話の彼女はボンキュッボンです。
一月下旬に引越し予定なので、できれば早めに完結させたいなぁ