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No.30788の一覧
[0] 御神と不破(とらハ3再構成)[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:48)
[1] 序章[しるうぃっしゅ](2011/12/07 20:12)
[2] 一章[しるうぃっしゅ](2011/12/12 19:53)
[3] 二章[しるうぃっしゅ](2011/12/16 22:08)
[4] 三章[しるうぃっしゅ](2011/12/23 00:29)
[5] 四章[しるうぃっしゅ](2011/12/23 00:39)
[6] 五章[しるうぃっしゅ](2011/12/28 17:57)
[7] 六章[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:32)
[8] 間章[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:33)
[9] 間章2[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:27)
[10] 七章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:52)
[11] 八章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:56)
[12] 九章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:51)
[13] 断章[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:46)
[14] 間章3[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:30)
[15] 十章[しるうぃっしゅ](2012/06/16 23:58)
[16] 十一章[しるうぃっしゅ](2012/07/16 21:15)
[17] 十二章[しるうぃっしゅ](2012/08/02 23:26)
[18] 十三章[しるうぃっしゅ](2012/12/28 02:58)
[19] 十四章[しるうぃっしゅ](2012/12/28 03:06)
[20] 十五章[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:11)
[21] 十六章[しるうぃっしゅ](2012/12/31 08:55)
[22] 十七章   完[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:10)
[23] 断章②[しるうぃっしゅ](2013/02/21 21:56)
[24] 間章4[しるうぃっしゅ](2013/01/06 02:54)
[25] 間章5[しるうぃっしゅ](2013/01/09 21:32)
[26] 十八章 大怨霊編①[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:12)
[27] 十九章 大怨霊編②[しるうぃっしゅ](2013/01/06 02:53)
[28] 二十章 大怨霊編③[しるうぃっしゅ](2013/01/12 09:41)
[29] 二十一章 大怨霊編④[しるうぃっしゅ](2013/01/15 13:20)
[31] 二十二章 大怨霊編⑤[しるうぃっしゅ](2013/01/16 20:47)
[32] 二十三章 大怨霊編⑥[しるうぃっしゅ](2013/01/18 23:37)
[33] 二十四章 大怨霊編⑦[しるうぃっしゅ](2013/01/21 22:38)
[34] 二十五章 大怨霊編 完結[しるうぃっしゅ](2013/01/25 20:41)
[36] 間章0 御神と不破終焉の日[しるうぃっしゅ](2013/02/17 01:42)
[39] 間章6[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:12)
[40] 恭也の休日 殺音編①[しるうぃっしゅ](2014/07/24 13:13)
[41] 登場人物紹介[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:00)
[42] 旧作 御神と不破 一章 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:02)
[43] 旧作 御神と不破 一章 中編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:03)
[44] 旧作 御神と不破 一章 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:04)
[45] 旧作 御神と不破 二章 美由希編 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:53)
[47] 旧作 御神と不破 二章 美由希編 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:55)
[48] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:02)
[49] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 中編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:00)
[50] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:02)
[51] 旧作 御神と不破 三章 前編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:23)
[52] 旧作 御神と不破 三章 中編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:29)
[53] 旧作 御神と不破 三章 後編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:31)
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[30788] 間章0 御神と不破終焉の日
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/02/17 01:42


















 時は御神と不破の一族が健在だった頃にまで遡る。
 御神の一族が暮らす地方の然程大きくない街。大した名物や土産もなく、観光客も滅多に訪れないため、かなりの確立で街の人々が知り合いという、ある意味町人同士が仲が良い街である。
 唯一の名物といえば、街の外れにある巨大な山々。その山を全て所有している御神家が、中腹に構えている巨大な屋敷。街からでも見通せるその屋敷が、この街の名所といえなくもない。

 そんな街の片隅のホテル。大通りから少し外れた場所にあり、すぐ隣に大きな公園があるため、窓をあければ子供達の遊び声が聞こえてくる。
 逆に窓を閉めれば防音設備がしっかりしているため、子供達の声は聞こえなくなり、それなりに宿泊客は快適に過ごすことができて割りと好評だ。

 部屋の中は通常のホテルと特に代わり映えがせず、ふかふかの布団が敷かれているベッドが二つ置いてある。
 その片方のベッドに胡坐をかいて座っている一人の男性がいた。黒スーツ姿で、坊主頭。身長は百七十程度。見た限り日本人というわけではなく、中国系。そんな男性がテレビを見ながらケタケタと笑っている。
 そしてもう一人その部屋の窓際には男性がいる。二メートル超の身長の黒スーツ姿で、坊主頭というほどの短くはないが短く刈り込まれた髪は空にむけて立っている。黒いサングラスをかけて、不思議な威圧感を醸しだしていた。

「いやー日本のテレビって面白いのが多いな。うちんとこも真似してほしいくらいだぜ」
「……そうか」
「どうしたん、白陰の大将?今日は何時にもまして、言葉数少ないじゃん?」
「……普段通りのお前がおかしいんだ」
「そうかねぇ。まー気持ちはわからないでもないけど。御神の一族ってあれっしょ。日本最悪の殺戮一族って話だし。下手したら俺達死ぬんじゃね?」
「可能性はなくもないな」

 白陰と呼ばれた男性は、自分達が死ぬという言葉にあっさりと同意する。彼の返事を聞き、嫌そうに表情を歪めた坊主頭の男性は、見ていたテレに背を向け白陰へと振り返った。

「おいおい、白陰の大将がそんな弱気でどうすんの?あんたが負ける相手だったら俺達なんか瞬殺されちまうぜ」
「それは言い過ぎだと思うが……それほどに厄介な相手だということだ、黒陰」
「たっはー。幾ら金払いが良かったからといっても、少しは上の連中も考えて欲しいよなぁ。一応は作戦通りにいけば俺達のやることは残党狩りくらいしかないとはいえ、失敗したら洒落にならないどころの話じゃないしさ」
「―――あの男に限って失敗はあるまい」
「劉、雷考か」

 黒陰と呼ばれた坊主頭の男性が表情を歪ませる。ここにはいない、誰かのことを思い浮かべているようだった。
 その誰かに向ける感情は一目で好意的なものではないと推測でき、どこか嫌悪感を滲ませている。

「よりによってあいつが出てくるなんて、気分が良いなんてもんじゃないぜ」
「仕方あるまい。俺達【六色】だけでは、御神の一族を壊滅させるなど難しいことだ。それを見越して上も奴を引っ張り出してきたのだろう」
「それはわかってるけど……俺はあいつが気にくわねぇ」
「―――黒陰」

 同じ組織に属している相手を名指しで気に喰わないと言い切った黒陰に対して、多少厳しさを込めて白陰が注意を飛ばす。
 だが、黒陰はそれでもどこか不満そうな感情を消しはしなかった。

「はっきり言うけど、俺だって碌な人間じゃねぇ。殺してきた人間の数は百じゃたりねーよ。とても人様に自慢できるような道を歩んでは来てない。でも、あいつは―――まともじゃねぇ」
「……」
「人を殺すことをなんとも思っていない俺達が、まだ普通に見えるくらいのいかれ具合だ。今回の任務だってそうだ。【あんな】作戦どうやって考え付く?どんな頭の構造をしてたら、あんなことを思いつくんだよ」

 黒陰の言葉には深い嫌悪が込められている。
 その相手は劉雷考。中国最大最強の闇組織【龍】が有する最強戦力。既に二十年以上も組織に身を置いている白陰が知らぬうちに何時の間にか突如として現れた男。
 龍の傘下の組織を率いているわけでもない。多くの部下を連れているわけでもない。龍の幹部というわけでもない。彼はただの個人でしかない。だが、龍の人間は皆が劉雷考という男を怖れている。
 彼は組織の上―――つまり龍の長の命令しか聞かず、それに対する拒否権も持っている。彼は自分の気がむいたままに行動をし、頼まれたことをこなす。
 それが許されるのは単純な話、彼が強いからだ。組織の前では個人の力などたかが知れている。本来ならばそうであるのだが、彼は別格だった。別次元の強さだった。
 裏世界の人間達にとって最悪の敵である香港国際警防部隊とも渡り合う。個の力で組織の戦力を凌駕する彼だからこそ、龍という大組織でも許されてしまう。

 そしてもう一つ。龍の組織の人間に煙たがられる理由としてあげられるのは―――彼の残虐性。
 目的のためならば女子供はおろか、幼児や赤ん坊さえも躊躇いなく殺してしまう。目的の人物一人を始末するために、百人だろうが千人だろうが死んでも気にも留めない、正真正銘の狂人。
 それ故に、裏の人間で構成されている龍でさえも、劉雷考という男を嫌悪する人間は多い。
 無論、【六色】と呼ばれる黒陰と白陰も劉のことを嫌っていた。六色とは、龍の内部から選任された猛者六人。名称にそれぞれ色が与えられ、主に暗殺方面の仕事をこなす。数多の人材がいる龍の中でも選ばれただけあり、六人全員が優れた戦闘技能を持っているのだが―――それでも、劉雷考という怪物に勝てるとは思っていなかった。
 それほどに彼は格が違うのだ。戦闘者としてではなく、生物としての格が。

 そんな劉が考えた今回の作戦。それに反対したのは白陰だった。
 だが、御神と不破の一族という最強の剣士達を相手取る作戦の代替案を考え付けずに、劉の作戦が遂行されることになってしまったのだ。
 失敗したら失敗したで、新しい作戦があると言っていた劉の禍々しい笑みが目の前に浮かび上がる。
 白陰も黒陰も、本心では最初の作戦が失敗することを祈っていた。それと同時に、恐らくは成功してしまうだろうという気持ちも奥底に眠っている。

 残りの四人の六色のメンバーはそれぞれの役目があり、このホテルにはいない。
 黒陰と白陰の役目は彼らの会話にあったように残党狩り。それに気分を重くしながら、作戦決行の時間が近づいてきていた二人は、部屋から静かに立ち去っていった。

 御神と不破の最後の日―――来る。























 今日この日、御神本家は皆が慌しく走り回っていた。
 普段は純和風の家らしく、この家に務める家政婦も御神や不破の人間も落ち着いて行動をしている。だが、今日は御神宗家長女の御神琴絵―――彼女の披露宴がこの本家っで行われるということもあり、準備に追われているところであった。
 
 本来ならばどこか立派なホテルや会場を借り上げようという話もあったのだが、産まれついての病弱な琴絵の身体を気遣い慣れ親しんだ本家で結局は行われることになった。
 普段御神本家に住んでいる人間だけではなく、あまりこの場所に近寄らない分家の人間も例外なく集まってきていた。
 それが御神琴絵という女性が如何に多くの人間に愛されているかの証明している。

 そんな琴絵は、着替えをする部屋にてどこかそわそわとした様子を隠さずに、視線があちらこちらに向いていた。白無垢姿は大層に美しく、使用人たちが思わず息を止めてしまうほどのものだ。
 そして、全く集中していない琴絵の姿にため息をつくのは二十代半ばの青年だった。
 彼こそが御神静馬。御神当主にして、現在の御神最強の剣士の一角と名高い男だ。御神宗家の長男―――つまりは、琴絵の弟にあたる青年だというわけだ。

「姉さんももう結婚するんだから、いい加減に恭也君離れしたらどうですか?」
「結婚と恭也ちゃん離れは別の話だから!!」

 静馬の問いかけを一蹴して、琴絵は時計の長針を―――いや、秒針を注視している。
 まるで時よ止まれと念じているのではないかと察すことが出来るほどに、彼女の目は真剣みを帯びていた。
 駄目だこの人は、と自分の姉のことながら頭が痛くなる思いを抱く静馬は、指で両方の米神を揉んで和らげようとしている。琴絵の不破恭也へ対する異常なまでの無償の愛情は御神一族では有名な話だった。

 御神宗家の長女という立場にあるのだから、この歳まで結婚の話が出ていなかったわけではない。
 それこそ山のように、縁談話が持ちかけられてきていたのだが、自分が病弱の身であることを言い訳として、全てを断ってきていた。今回ついに年貢の納め時となったわけだが、恐らく自分の姉は、夫となる男よりも恭也のことを優先するだろうと、静馬は少しだけ旦那となる男に同情をした。
 
 そして何故御神琴絵ともあろう女性がここまで集中力を欠いているのかというと、それは単純な話だ。
 不破恭也が未だ御神本家に到着していない、ただそれだけの話だった。恭也は父である不破士郎と供に日本全国武者修行の旅に出ている―――というよりも、士郎に無理矢理連れて行かれているというほうが正しいのだが。
 しっかりと披露宴の日にちと時間を随分と前に士郎に伝えてはいたのだが、すっかりと忘れていたらしく、昨日から慌てて本家に戻ってきている最中なのだ。
 幸い滞在していた街がそれほど遠くなかったためすぐに帰れるという話だったのだが、披露宴の時間が差し迫ってきている現在でも恭也と士郎が到着してはいない。

「琴絵様。不破恭也様がご到着されました」

 そろそろ痺れを切らして暴れるんじゃないかと、内心で焦ってきていた静馬の願いが通じたのか、襖を一枚隔てた廊下から使用人の声が聞こえた。
 グッジョブ恭也くん―――とガッツポーズを心の中で決めた静馬とは裏腹に、琴絵は動きにくい花嫁衣裳姿でその場から跳躍。襖を勢い良く開け放つと、廊下へと飛び出した。

 ダダダっと駆け音を残して去っていった姉の姿を見送りつつ、はぁっと深いため息を静馬は再度ついた。

「……いやいや。花嫁衣裳で神速を使う女性ってのも、我が姉ながらシュールな光景だ」 

 そんなことを静馬が漏らしているとは露知らず、琴絵は一直線に玄関へと繋がっている廊下を疾走する。
 病弱だというのに神速の世界へ突入したまま玄関まで駆けつけた琴絵は、今まさに靴を脱ぎ廊下へとあがった恭也を発見し、そのままの勢いで抱きついた。

「―――っ!?」
「恭也ちゃーーーーーーん!!」

 まだ神速を認識できない恭也からしてみれば突然現れたように見える琴絵が、両手でがっちりと自分を抱きしめているのだから、子どもながら落ち着いているという評判の彼といえど目を丸くするのも当然の話だった。
 恭也を胸に抱いた琴絵はひょいっと軽々と抱き上げると頬擦りをする。

「恭也ちゃんのほっぺ相変わらず赤ちゃんみたいにすべすべしてて気持ちいいよぅ」

 至福の表情で何度も何度も頬を擦りつけてくる琴絵に対して、恭也は流石に恥ずかしいのか、若干顔を赤くしていた。
 その猛攻を防ごうにも琴絵にがっちりと身体をホールド―――もとい抱きしめられているため両腕が使用不可の状態となっている。そこから抜け出そうにも、病弱の身とは思えぬ力で恭也の身体を抱きしめていた。
 もはやどうすることも出来ない恭也は琴絵の為すがままといった状態で頬擦りをされていたが、数分もたってようやく彼女も落ち着いたのか、頬摺りを止め視線を合わせてにっこりと極上の笑顔を浮かべる。
 
「久々の恭也ちゃんパワーを充電できて幸せ~」
「は、はぁ……」

 相変わらず意味不明な発言をする琴絵に、曖昧な返事の恭也。
 その光景は、御神本家では誰もが一度は眼にしたことがあり、その傍を通った人間達は特に突っ込むこともなく通り過ぎていく。

「その、そろそろ解放していただきたいのですが……」
「え、なんで?」

 キョトンと疑問を浮かべる琴絵に、恭也は静馬と同じ様に頭痛を隠せない。
 頬摺りを止めてくれたとはいえ、両手は恭也を抱きしめたままだ。流石に憧れの女性に抱きしめられているというのは、まだ子供の恭也といえど、羞恥心を感じる。しかも琴絵は花嫁衣裳の姿。
 遠慮なく抱きしめてくる琴絵に対して、皺にならないか心配する気持ちも羞恥心とともに感じていた。  

「もうちょっとこのままいさせてね。まだ恭也ちゃんパワーが最大まで充電できてないもん」
「ええっと……」
「駄目、なの?」
「……いえ、駄目ではないです」

 眼を潤ませて懇願してくる琴絵にノーとはいえず、恭也は彼女の願いを受け入れた。 
 それも当然だろう。琴絵の願いを断ることが恭也にできるだろうか。いや、できるはずがない。
 どんな些細な願いでも、どんな無茶な願いでも―――不破恭也は、御神琴絵の全てを叶えてしまう。そうしてしまうほどに、恭也は彼女から無償の愛を受け続けてきたのだから。

「あ~、もう可愛い奴めぇ!!」
「……はぁ」

 また我慢出来なくなったのか、琴絵が自分の頬を恭也の頬にあててグリグリと摺り合わせる。
 先程よりもさらに強く激しいその姿に、部屋からでてきた静馬が生暖かい視線を向けていた。静馬に気づいた恭也が、視線が合った静馬に対して無言で語り掛けた。

 ―――何とかしてください。

 ―――いいや、無理だね。邪魔されたら俺が殺されるよ。

 ―――大丈夫です。静馬さんならきっとなんとかなります。

 ―――いやいや。姉さんは恭也君に関係することは俺よりも強くなるからね。

 ―――最悪俺だけでも無事に助け出してもらえたら結構です。

 ―――え、俺は怪我すること前提なの?まぁ、それよりも美由希を嫁に貰ってくれないか?

 ―――突然すぎますね。そういうことは美由希が大きくなってから本人に聞いてください。

 互いにアイコンタクト。一瞬でそう語り合った二人は、まさに以心伝心。この二人は士郎よりもよっぽど親子っぽく見えると実は評判であった。一部には静馬の隠し子ではないかという話も流れており、琴絵の異常な愛情もその噂の信憑性に拍車をかけた。
 それを聞いた時の美沙斗の笑顔ほど恐ろしかったものはないと、御神本家では語り草になっている。もっとも、静馬の年齢と恭也の年齢を考えると、静馬の子供というのは有り得ないのだが―――御神本家の人間も半分以上は面白がっていただけというのが事の真相だ。
 
 その時、静馬の視界に銀の飛翔物が映る。避けようとする間もなく、彼の横顔を通り過ぎ、スコンと木の柱に何かが突き刺さる音が聞こえた。
 静馬の後方の柱に飛針が突き刺さっている。今まさに刺さったいうことを証明するように、ぶるぶると揺れていた。
 
「―――ねぇ、静馬?」
「は、はい!!」
「私を差し置いて、恭也ちゃんと何話してるのかな?」
「な、なにも話してないと思うんですけど」
「私には聞こえたよ?」 
 
 笑顔の琴絵が怖い。心底そう思った静馬の足が一歩後退する。
 まさか口に出していない、目での会話を悟られるとは想像もしていなかった。むしろ、それを聞き取るとか我が姉ながら既に人間業ではない。むしろ本当に自分の姉なのか疑いたくなる静馬だったが―――【これ】が御神琴絵という女性なのだと改めて認識できた。

「というか、その姿のどこに飛針を隠していたんですか」
「んー、それは幾ら静馬でも内緒だよ」
「むしろ、今日くらいは暗器を置いておいたらどうですか?」
「それもそうなんだけどね。何か持ってないと不安で……」
「まぁ、その気持ちは非常によくわかりますけど」

 琴絵には武器を持つなと言っておきながら、相馬も数年前の自分の結婚式の時に暗器を結局隠し持っていたことがあるのでこれ以上は強くは言えなかった。
 生まれながらにして小太刀と暗器の技術を叩き込まれる御神と不破の一族にとって、武器を持たないということに不安を抱くというのももっともな話である。特に琴絵は病弱なため小太刀を使用した鍛錬はあまり積んではこれなかったが、飛針や鋼糸といった暗器の腕前は一族でも群を抜いて上手い。それ故に、彼女にそれらを持つなとは言い難い。

「そういえば、士郎さんは一緒じゃなかったのかい?」
「途中までは一緒だったのですが、街に入る手前で美沙斗さんに会いまして。病院までついていくといってとーさんとはそこで別れました」
「ああ、美由希が熱をだしてしまってね。診て貰いに行くとこだったんだよ。それにしても士郎さんも今帰ってきたら美影さんに殺されるとでも思ったのかな」
「ええ。電車の中で震えていましたから」
「それはもう自業自得としか言えないかな。まさか結婚式の日にちを忘れているとは思わなかったよ……」

 親馬鹿を除けば御神の一族の中でもまともな静馬が疲れたように肩を落とす。
 落ち込んでいたのだが、暫くすると何かを思い出し上着のポケットから手紙を一枚取り出した。

「あ、それより珍しい人からお祝いの品が届いてましたよ」
「珍しい人?」

 琴絵が部屋を飛び出してから家政婦に伝えられた情報を思い出した静馬に聞き返した琴絵は、頭の中で珍しい人を頭に思い浮かべる。
 珍しいというからにはあまり縁がない人物なのだろう。永全不動八門のどこかとも考えたが、琴絵自身そこまで見知った人物はいないので想像が難しい。
 首を捻っている琴絵に、静馬はどこか複雑そうな笑みを口元に浮かべた。

「兄さんからです。小包が一個姉さん宛に届いていました」
「相馬から!?それは確かに珍しいね……」

 本当に驚いたのか、ポカンと口を大きく一瞬開けるも、琴絵も苦笑を浮かべる。
 静馬と琴絵の話題にあがった人物は御神相馬。本来ならば御神流当主の座を受け継ぐことになるはずだった剣士。静馬の兄であり、琴絵の弟でもある御神宗家長男だ。
 ただし、彼は幼い頃から勝手気ままに行動し、御神の【上】の命令を全く聞くことはなかった。そのため、つい最近に御神家から追放されてしまったのだ。
 静馬があまりにも当主として相応しい人格者だったこともあり、一匹狼のきらいがあった相馬は御神と不破の一族から良く思われていなかったことも追放を後押ししたのかもしれない。
 追放された人物からの小包など本来ならば琴絵の手元に届くはずはなかったのだが、それを受け取った人物が気を利かせて静馬に報告したことによって、無事受け取ることが出来た。

「ああ、それと恭也君にも兄さんから手紙が一枚届いていたよ」
「相馬さんからですか?」
「うん。御神家から出ても、やっぱり唯一の弟子のことは心配でしょうがないみたいだね」

 今はここにいない兄の相馬のことを思い出して、笑いが我慢できなかったのかくすくすと静馬が楽しそうに微笑む。
 誰とも馴れ合おうとしなかった相馬が、数ヶ月前から突然恭也に剣を指導するときがあった。相馬と供に鍛錬に励む恭也は、よく彼から罵声を浴びていた。それ以上に御神と不破の誰よりも厳しい指導だった。
 その光景を見た多くの人間が、静馬や士郎にやめさせた方が良いと忠告していたのだが―――実際にその鍛錬している時に行った静馬が我が目を疑った。確かに言葉や態度は褒められたものではなかったが、相馬は誰よりも恭也の願いを真摯に受け止め叶えようとしていただけだった。恭也に幾ら厳しくしようとしても結局は限界がある士郎や静馬、美影や美沙斗では決してできない鍛錬を相馬がしていただけのことだ。
 それを証明するように恭也は決して相馬の元を訪れることを止めようとはしなかった。御神の屋敷にいるときは、時間を作っては相馬に修行に付き合ってもらっていたのだ。
 そしてそんな相馬も、恭也の相手をするときはどこか嬉しそうにしていたのも事実だ。だからこそ士郎や静馬は恭也の好きなようにさせていた。

「はい、これがそうだよ」
「あの……」

 手に持っていた相馬の手紙を恭也に手渡そうとして、両手が使えないように琴絵にガッチリとホールドされていることに気づく。ちらりと琴絵を見てみるが、ブンブンと勢いよく首を横に振って、まだ離れたくないアピールをした姉に呆れつつも、仕方ないと判断して恭也のポケットに手紙をねじ込んだ。

「ふにゅぅ……恭也ちゃん、良い匂いがするよ」
「で、できれば匂いを嗅ぐのは勘弁してほしいのですが……」
「気にしない気にしない」
 
 頬擦りをストップさせ、今度はくんくんと犬のように恭也の頭に顔を埋め匂いを嗅いでいる琴絵の姿に戦慄を隠せない静馬が、うわぁっと本気で嫌そうな声をあげた。
 恭也君フェチがどんどん酷くなっているなぁ、と小さく呟いた静馬の言葉は誰の耳に届くこともなく消えてゆく。

 そんな混沌とした三人を置き去りに―――人の底知れぬ悪意は来訪した。















 山の中腹に聳え立つ御神本家。そこに至るまでにゆうに百を超える階段をのぼらなければならない。
 見通しが良いため、誰かがのぼってくればすぐに目に付く。天気が良い今日この日も例外ではなく、御神の屋敷の門前で披露宴客を出迎えていた御神の一族の男性も、階段をかけのぼってきている一人の子供に気づいた。
 息を乱しながらも、必死で階段を駆け上がってくる年の頃十を超えるかどうかの少女は、止まることなく門前へと辿り着く。

「あ、あの。こ、こんにちは」
「ああ、森さんの所のお嬢ちゃんか。入院してたと聞いてたけど、退院したのかい?」
「は、はい。たいした怪我じゃなかったので。先日退院できました」

 普段から御神の屋敷に住む男性にとって、階段を駆け上ってきた目の前の少女は見覚えがあった。山の麓にある近隣の普段から付き合いがある家の娘だったのだ。
 少女の手には彼女が自分で摘んできたであろう、綺麗な花々が握られている。それを胸の前で大事そうに抱えた少女は、上目遣いで男性を見上げた。

「その、琴絵さんを……お祝いしたくて」

 断られるかもしれない恐怖に脅えながらも、そう言い切った少女に男性は少しだけ考え込む。
 今日は御神琴絵の結婚式ということもあり、殆どの御神と不破の一族が集まっているため、警戒だけは厳重にしている。来た客は例え御神と不破の一族であろうともしっかりと身元の確認をし、身体チェックもしていた。といってもチェックするのはあくまで爆発物や毒物をもっていないかだけだ。

 本来ならば確実にこの少女も身体チェックをしなければならないのだろうが、見た感じ武器を隠し持っているわけでもなく、手にもっているのは確かに花のみ。それにこの少女のことは昔から良く知っている。琴絵にも可愛がられていたので、お祝いをしにきたというのも頷けた。
 そのため男性は、たいした疑いもなく少女を御神の屋敷に招き入れることにした。それは、油断があったのかもしれない。見知った少女。武器も何も持たない少女なのだから、心配はないだろうと。御神琴絵の結婚式ということもあり、それで気が緩んでいたと責められても仕方のないミスだった。しかし、この場に他の誰がいたとしても、恐らくは同じ結果になっただろう。
 それほどに、人の底知れない狂気が、その少女に纏わりついていたのだ。
 
「有難うございます」

 ぺこりと礼儀正しく頭を下げると少女は御神の屋敷の敷地へと入っていく。
 それを見送った男性は、再び眼下へと注意を戻すのだった。
 
 少女は御神の屋敷を訪れたことは一度しかない。それ故に、うろ覚えの敷地の中を迷いつつも、歩いていき屋敷の玄関へと辿り着いた。
 確かここから屋敷の中へ入れたと思い出した少女は、玄関の扉を軽く叩く。
 
「あの、すみません。こんにちは」
「はいはい。少し待っててね」

 恥ずかしさのため、然程大きな声ではなかったが、玄関を挟んだすぐ近くから男の声が返って来た。
 緊張をしつつも、扉が開くのを待っていた少女の前で、ガラっと音をたてて扉が開く。開けた人物は御神静馬。残念ながら少女は静馬と面識はなかったために、一瞬口ごもる。
 静馬も扉を開けてみれば見知らぬ少女が一人。特に殺気を放っているわけでもなく、何かしらの害意があるわけでもなし。敵ではないだろうと咄嗟に判断して、少女が口を開くまで待とうと考えた。

「あの……琴絵さんはいらっしゃい―――」
「あれ、裕子ちゃん?」

 言葉の途中で静馬の背後で相変わらず恭也を抱きしめていた琴絵が少女の存在に気づいたのか、彼女の言葉を遮った。
 静馬の後ろに琴絵がいることにきづいた少女―――裕子は、ぱぁっと緊張で強張っていた表情から一変し、自然な笑顔を取り戻す。
 そして、手に持っていた花を琴絵に向けて―――。

「あ、あの。琴絵さん。ご結婚おめでとうございま―――」

 ―――くひっひっひ。おめでとう。そして、さよならだ。

 悪意に塗れた男の声が、聞こえた気がした。
 それは聞こえるはずのない言葉だ。本来ならば数キロも離れた場所にいる劉雷考という狂人が放った台詞だったのだから。
 だが、この場にいた琴絵と静馬、そして恭也には何故か聞こえた。あらゆる人間を馬鹿にした、害意を極限にまで凝縮した男の声が―――。

 カチリと何かの音がする。
 そして、静馬さえも反応を許さず―――世界が弾けた。
 圧倒的なまでの大爆発。超火力と衝撃が、一瞬にて膨れ上がり、爆発する。
 発生源である玄関の周囲を融解、破壊。人の耐え切れる限界を遥かに超えた殺戮の兵器が数百メートルに渡り炸裂した。
 幾ら御神の一族でも防ぎようのない、超広範囲に渡る破壊兵器。そもそも戦争ではなく、ただの人間達に使用される域を遥かに逸脱した物。
 御神の屋敷はその兵器―――爆弾の破壊によって、見るも無残に破壊され、跡形残さず吹き飛ばされた。
 静馬がどれだけ強かったとしても、個人で最強の力を持っていたとしても、それでもこればかりはどうしようもなく、防ぐことも避けることもできない。
 もしも、ただ爆弾を仕掛けられただけならば御神と不破の一族ならば気づくことは出来た。
 最小限の被害でこの危機を乗り越えることは出来たはずだ。だが、爆弾が仕掛けられていた場所が悪かった。
 誰もが予想もできない場所。それは人体の内部。琴絵に花を持ってきた少女の中に埋め込まれていたのだ。
 兵士が行う神風アタックではない。何も知らない、つい最近退院した少女の身体の中に爆弾を埋め込み、御神の一族を潰す兵器とさせた。それは決して許されない行為だろう。誰もが理解を示さない行為だろう。人間が行ってはいけない最悪の行為だろう。
 だが、劉雷考はそれを実行に移した。僅かな罪悪感もなく、躊躇いもなく。  
 故に彼は【龍】からも怖れられる。人を殺すことに、壊すことに、喜びしか見出さない彼だからこそ、龍にて最強戦力とも最恐戦力とも噂されているのだ。

 御神の屋敷があった場所は、白煙に包まれ、僅かに残された建物の残骸もパチパチと燃え焦がされている。
 昼間に行われたあまりにも突然の惨劇は、御神の屋敷にいた人間全てを焼き滅ぼし、落命させた。日本にて最強とも噂されていた御神の一族はあまりにも呆気なく滅びを迎える―――はずだった。

 爆心地となった、もはや見る影もない玄関だった場所。
 破壊の中心となったそこは他の場所よりも、さらに酷く焼失し、消失していた。
 そこに残されていたのは【二人】の姿。いや、正確には一人と【一つ】。

「―――っ、かふっ」

 その時、咳き込みながらそのうちの一人―――不破恭也が、意識を取り戻す。
 まるで世界が回っているかのような錯覚。ぐるぐると視界が回っていた。それだけではなく、全身が熱い。激しい痛みが絶え間なく襲ってくる。皮膚が焼け付くように激痛がはしった。いったい何が起きたのか。全く恭也にはわからない。
 記憶を整理しようとしても、頭が混濁している。先ほどまでなにをしていたのかすぐには思い出せなかった。
 深呼吸をして心を落ち着けようと試みたが、肺の中に入ってきたのは灼熱の酸素。咳き込むことも出来ず、新たな激痛が身体の芯から襲い掛かってくる。
 
 徐々にだが、恭也の視界の揺れが収まっていく。
 そんな彼の目に映ったのは到底信じられない光景だった。倒れている自分が上空に見上げるのは空。
 そして、白煙と灰が晴天に向かって立ち昇っている。周囲はもはや何があったのかもわからないほどに崩壊し、焼失していた。ただ、未だ残っている屋敷の残骸がパチパチと音をたてながら燃えている。

「……ばく、だん?」

 周囲の様子から恭也の口からそんな言葉が漏れた。
 それくらいしかこの現状を証明する方法がありはしない。どんな方法か理解できないが、御神の屋敷は圧倒的な破壊力で焼き払われたのだと、彼の脳が答えを導き出した。

 そして、恭也は気づく。
 何故自分は生きているのだろう、と。周囲の様子からして、自分が生き残れる確立は皆無に等しいのは明確だ。
 いや、本当は恭也は気づいていた。理解できていた。ただ、認めたくなかっただけなのだ。

 自分に覆いかぶさっている―――【一つ】のモノのおかげなのだと。

 モノの正体は何ということもない、御神琴絵その人だ。
 ただ、恭也の記憶にある彼女とは全く異なっていた。数分前までは、誰よりも美しい花嫁衣裳の琴絵だったのに、今の彼女は―――。

 黒く長い髪は焼け焦げ、恭也ほどの短さになっていた。白磁のように滑らかだった白い素肌は火傷で爛れ、無事な場所を探すほうが難しい。片腕が半ばから消え失せていた。純白の花嫁衣裳がほぼ全てが焼失し、残されたのは前面の極僅か。それも煤で汚れている。
 もはや琴絵の面影も残さない―――だが、確かに御神琴絵が恭也の腹部に顔を埋めるように倒れていた。

 それで恭也は理解できてしまったのだ。何故、自分が生き残れたのかを。
 爆弾が起動する瞬間、その悪意に唯一反応できたのは御神琴絵だけであり、彼女は一秒にも満たぬ時間で、咄嗟に恭也を庇うという選択を取った。

 無論ただ庇っただけではない。自分の霊力を最大限にまで発動させ、盾としたのだ。
 御神琴絵は、他の人間に比べて霊力が異常に高い。噂に名高い神咲一族には劣るとはいえ、その霊力は並大抵のものではなかった。それは【御神雫】を宿す最低限の資格ともいえた。
 既に精神体だけとなった彼女を宿すにはある二つの条件がいる。

 一つは御神宗家の血筋の者であるということ。
 一つは御神雫をその身に宿しても耐え得るだけの霊力を備えているということ。

 御神琴絵も例外ではなく、その身に宿す霊力をそれなりに使いこなすことが出来ていた。精神世界にて、剣術だけではなく霊力の使用方法まで指南を受けていたということが、今日この時の【恭也】の窮地を救ったともいえる。

「……こと、え、さん?」

 ガクガクと全身が震える。痛みではなく、恐怖で。
 口から出た言葉が、恐ろしいほどに遠くに聞こえる。自分が眼にしているのは、一体何なのか。
 ガチガチと耳障りな音をたてているのは何かと思えば、己の歯が鳴らしていた歯が噛み合わさる響きだった。
 
 何故、自分は五体満足で生きている? 
 決まっている。御神琴絵が身体を張って、命をかけて庇ったからだ。

 そう認識した瞬間視界が真っ暗に染まった。
 何故だ。どうしてだ。そんな言葉がぐるぐると頭の中を廻り続ける。
 誰よりも愛を注いでくれた人が。誰よりも優しかった人が。誰よりも幸せにならなければならなかった人が。
 
 ―――何故、こんな姿になっているのか。
   
 ぶちりと震えていた歯が唇を食い破る。血が流れるが、そんな痛みなどもはや気にならない。
 全身に負った火傷の痛みも、心奥から湧き出る怒りによってかき消される。

 全てが【逆】なのだ。
 御神琴絵を守らなければならなかったのは、不破恭也でなければならなかった。病弱だった彼女を守らなければならなかったのは誰でもない、恭也でなければならなかった。
 それなのに、あろうことか不破恭也は琴絵に命を投げ出され庇われてしまったのだ。
 その愚かしさ。無様さ。愚鈍さ。それら全てを―――不破恭也は己に感じていた。
 
「……きょう……や……ちゃん?」
「―――っ」

 かすれた琴絵の声が耳に届く。
 その声はあまりにも頼りなく、今にも途切れそうな小さなつぶやきだった。
 幻聴かと勘違いしそうな琴絵の恭也を呼ぶ声に、はっとして彼女の瞳を覗き込む。その瞳には生気がなく、力もなく、もうすぐ彼女の命が潰えるのは恭也から見ても明らかであった。

「琴絵さ、ん!!琴絵さん!!」

 大丈夫ですか、などとは口が裂けても言えない。
 もし琴絵が恭也を庇わずに、自分のことだけを考えていたら恐らくはここまで瀕死の重傷を負うことはなかった。恭也は幼いながらもそう理解出来ていたのだから。

「……ああ、よかった……無事、だったんだね……」
「喋らないで、ください!!今すぐ、病院へ、連れて行きますので!!」

 もはや碌に目も見えていない。琴絵は恭也の姿を見て無事だと発言したわけではなかった。
 恭也の言葉が聞こえてきて、初めて安堵したかのように頬を緩めた。視線は恭也ではなく、その遙か向こうを見据えている。
 
「……私は、もう……だめ、だから……恭也ちゃんは……はやく、ここから離れて……」
「そんなことは、ありません!!すぐに、すぐにここから―――」

 全身を襲う激痛に耐えきり立ち上がろうとして、琴絵の身体を触った恭也はぬるりとした異様な感覚を手に感じた。
 見てみれば手を真っ赤に染め上げる血。琴絵の背中は焼けただれているだけではなく、飛び散った破片が突き刺さり内臓にまで到達していた。ガタガタと震えそうになる両手を必死に抑えつつ。背中に琴絵を担ぐ。
 女性とはいえ、琴絵の身体は幼い恭也よりも随分と重い。それでもどこからそんな力が沸いているのか、恭也は緩やかに一歩ずつ足を踏み出していく。

 軽い。軽すぎる。
 普段の琴絵よりも遥かにその身体は軽かった。
 
 何故だ。何故なんだと幾度目になるかわからない疑問が浮かんでは消えてゆく。
 どうしてこんなことになったのか。【誰】がこんな破滅を作り出したのか。御神琴絵をこのような姿にしてしまった犯人はどこの誰なのか。バキリと奥歯が砕けて散った。
  
 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。
 琴絵をこのようにした【誰か】が。琴絵を守ることができなかった【不破恭也】が。
 こんなことが許されるのだろうか。世界はこんな悲劇をどうして許すのか。この一瞬―――確かに恭也は世界中の誰よりも、底知れぬ悪意をその身に宿した。

 ―――殺してやる。

 到底子どもがしてはならない、してはいけない世界の全てを呪った瞳。憎悪と悪意と害意と怨恨。殺意に塗れた暗い、闇い、正気を失った醜い視線。
 一歩踏み出すごとに恭也が纏う憎悪が深くなっていく。濃くなっていく。琴絵の仇を討てるのならば、この世の全てを犠牲にしてでも構わない。それほどの冷たい殺意を背負い、歩いて行く。

 ―――それでこそ、我が依り代よ。

 どこからかそんな声が響いた。
 それを不思議に思わない。恭也はまるでそれが当然のことのように受け入れて、歩みを止めない。
 恭也はお前は誰だとも問わない。お前が何だとも問わない。

「……お前を、受け入れれば。俺は……琴絵さんの仇を、討つことができるのならば……もう、何もいらない」

 ぞわりと恭也の影が地面から這い上がってくる。
 ゆっくりと。だが、確実に恭也の身体を蝕んでいく。
 そんな異常事態にも関わらず、彼は歩き続けた。

「琴絵さんの……仇を討てるのならば、そのついでだ。世界くらい、滅ぼしてやる」

 ―――くっはっはっはっはっはっはっは。面白い人間だ。

 男か女かもわからない不気味な声が鳴り響く。
 恭也の発言を気に入ったのか、その声は本当に愉快そうに笑っていた。
 影はみるみるうちに恭也の肉体を染め上げ、身体中に幾何学的な紋様を描き始める。足も脚も、胴も両手も肩も。
 残されたのは顔だけ。その顔も埋め尽くそうと、首から紋様が広がっていく。

 ―――共に世界を滅ぼそうぞ。我/俺/僕/私/余の名は―――。

「駄目、だよ。恭……也ちゃん……」
「―――っ!?」

 唐突に背負っていた琴絵の呼びかけに、残り僅かとなった顔の部分への浸食がピタリと止まる。
 はっと我を取り戻したのか、前へと進んでいた恭也の足が初めて歩みをとめた。

「恭也ちゃん……駄目、だよ。怒りに……身を任せちゃ……駄目。こんな……ことをされて……人を憎むのは、仕方ないと……思う」
  
 か細い声で琴絵は続ける。
 残りの全ての力を込めて、これだけは伝えなければならない。

「でも……世界を、憎んじゃ……だめ、だよ。これから……さき……恭也ちゃんが……生きていく、この世界を。どれだけ、残酷で……救いようがない……そんな世界でも、恭也ちゃんが……好きになって、守りたいって思える人が……必ず、現れるから」
「わかり、ましたから。お願いです、もう喋らないで下さい……!!」

 途切れ途切れでもはや聞き取ることも難しい。
 その言葉は琴絵が残された命を削り、振り絞り伝えてきている。
 それを理解できてしまう。これ以上琴絵に無理はさせたくない。涙声となった恭也の制止にも、琴絵は口を止めなかった。

 琴絵は虚ろな思考のなかで先ほどの瞬間を思い出す。
 爆弾が炸裂するあの一瞬。琴絵は自分だけを守ろうと思えば五体満足に助かった確信はある。それだけの霊力を普段から身体の底に練り上げているのだから。
 だが、琴絵が取った行動は恭也を救うというものだった。
 弟である静馬でもなく、年端も行かぬ少女でもなく、自分でもなく。
 【恭也】のためだけに命を投げ出した。誰もが狂った行いだと断じるだろうその行動。
 それを思い出した琴絵に浮かんだのは―――微笑。
 よくぞ、守って見せたと。自分が生きながらえてきた二十八年の歳月で、死の間際もっとも己を誇りに思えることを為せたと。

 我慢できなくなった涙が、つぅっと恭也の眼から流れ落ちた。
 視界が涙で揺れ続ける。歩みを再開させた恭也の足が、何かにひっかかり地面に倒れる。せめて琴絵には衝撃がいかないように、庇った彼は強かに地面に身体を叩き付けた。
 
「すみま、せん……琴絵さん」

 謝罪を述べて背中を振り返った恭也の眼に見えたのは、虚ろに微笑む琴絵の顔。
 彼女は最後の力を込めて、もはや僅かにしか映っていない恭也に―――口付けた。
 からからに渇いた唇。煤で汚れた琴絵の顔。それでも、彼女は何時も通りに美しく、恭也が愛して止まない尊敬し、敬愛する御神琴絵にしか見えなかった。
 恭也の初めての口付けは、甘い味わいではない。それは御神と不破という呪われた一族らしく―――血の味がした。
 ドクンっと恭也の心臓が波打った。本来ならば有り得ない、琴絵に残された最後の霊力、即ち命そのものを口付けを通して恭也へと流し込む。

 やめてください―――そう言いたかった。だが、言えなかった。
 口付けを通して伝わってくる琴絵の想いを無駄にできない。彼女が残された命を賭して、恭也へと乗り移った悪霊へと枷をつけようとしているのだ。
 パキリと恭也の深奥で音がする。彼の全身を覆っていた幾何学的な紋様が徐々に消えていく。
 あれほど明瞭に世界を呪っていた悪意の塊の意識が消えていった。そしてはっきりと理解する。自分の奥底に、底知れぬ悪意の結晶が封印されたということを。脳内に嫌というほど響き渡っていた暗い声が、断末魔をあげて沈んでいった。
 自分の力ではなく―――琴絵の最後の命の一滴を持って、大怨霊と呼ばれし悪夢は、深き眠りに誘われる。

 たっぷりと十数秒の口付けからようやく離れた琴絵は、恭也が知る限り最も美しい笑顔を浮かべて―――。

「……できれば、その世界に……私もいたかった……なぁ」

 トスっと、頼りない音をたてて琴絵は恭也へと倒れ掛かった。
 呼びかけようとする恭也だったが、琴絵の名前を口に出すことはできず―――もはや、それが無駄なのだと悟った。

「……ぁぁぁ」

 ミシリと骨がなるほどに強く琴絵の身体を抱きしめる。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁあああ」

 世界が真っ赤に染まった。
 何時しか流していた涙には赤い血が混じり―――。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 そして世界は―――己自身を滅ぼすに至る剣鬼を創り出した。 
  
 
 
 




















「……こいつは、また凄まじいぜ」
「……」

 未だ白煙や煤が舞い飛ぶ御神の屋敷の跡地に黒陰と白陰の二人が辿り着いていた。
 先ほどあがった爆発音と衝撃は凄まじく、山の麓には近隣の住民が野次馬に集まっている。そのうちに警察もくるのは明らかなため、生き残っている人間を速やかに探索し、排除しなければならない。

 もはや門の役割を為していないその場所で、白陰は言葉では言い表せない不快感を隠し切れずに、近くに残っていた壁を蹴り砕く。蹴りつけられた壁はあっさりと粉々になり、飛び散っていった。
 それを見ていた黒陰は、ガシガシと坊主頭を掻きながら、白陰から離れていく。

「大将はそこで待っててくれや。俺が一通り見て回ってくるぜ」
「……ああ、頼む」

 片手をあげてヒラヒラと振っていた黒陰の姿が遠ざかっていき、やがて見えなくなった。
 それを見送った白陰は、陰鬱なため息をつく。何故こんなことになってしまったのか、と。

 白陰は二十年以上という長きに渡って龍という組織に身を置いている。
 この組織が出来たのは実はそれほど昔の話ではない。僅か二十年前に設立され、急拡大してきた闇組織だ。つまり、白陰は設立当初からの構成員でもある。
 昔はこんな組織ではなかった。確かに裏世界で生きる以上、真っ当な者達ではなかったが、それでもこれほどの悲劇を産み出してはきていなかった。
 理由は簡単だ。【龍】という組織は―――巨大になりすぎた。
 もはや形振り構っていられないというのが現状なのはよく理解している。
 だが、それでも―――。

「……胸糞、悪い」

 昔の龍ならともかく、今の龍では白陰のほうが少数派となってしまっている。
 こんな悲劇を、皆が皆受け入れてしまえるように、造りだしてしまえるほどに、龍という組織は狂い始めていた。
 普段あまり吸わない煙草を取り出すと、火をつけて煙を肺の中に満たし吐き出す。匂いが染みついてしまうため、暗殺者としては煙草を吸うのは愚かな行為としか言えない。
 だが、煙草や酒を飲んで気を紛らわせないとやってられない―――それが白陰の本心である。
 目の前で天へと立ち上っていく煙がゆらりと揺れた。何か空気が乱れる原因がそこに突如現れたのだ。
 白陰の視線のさき、琴絵を背負った恭也が頼りない足取りで白陰が立つ門へと近づいてきた。まだ十にも満たない恭也の姿に白陰は息をのむ。彼が身に纏う果てしない憎悪に言葉が一瞬詰まった。
 そして、自分達がその原因となったのだと、理解する。

「……貴方が、俺達の敵だということは、わかっています」
 
 どろりと圧倒的な殺意がこもった言葉が紡がれる。

「……一度だけでいいんです。一度だけ、見逃して下さい」

 その言葉を吐くのがどれだけ恭也にとって屈辱だったことか。
 御神の一族を壊滅させ、琴絵の命を奪ったであろう男に延命を請わねばならない。いっそ死んだ方がましだと思えるほどの屈辱だ。だが、それでも恭也は今ここで死ぬわけにはいかない。
 琴絵が命をかけて救ってくれたこの命、無駄に散らすことだけは許されない。琴絵の願い通り、この世界で生き続けなければならない。
 今ここで目の前の男に戦いを挑んだとしても、奇跡が起こらない限り―――いや、奇跡が起こったとしても勝ち目はない。それほどに白陰という男の力は今の恭也とは格が違った。
 恭也には到底わからないことであったが、白陰は龍の最高戦力に数えられる一人。六色と呼ばれる龍の中でも指折りの怪物達が集まる暗殺者―――最強の男。
 純粋な戦闘という行為だけで考えるならば、劉雷考と唯一まともに渡り合える戦士だった。その力は幼い恭也がどう足掻いても届くものではなく、かすり傷一つ負わすこともできないだろう。
 そして恭也自身でもわかっていた。目の前の男が誰かも分からなかったが、その力量は少なく見積もって静馬や士郎クラスだということだけは朧気ながら感じ取ることができていた。

「……」

 白陰は何も言わない。何も言わずに―――門から離れ恭也へと背を向ける。その無言の背中は早く行けと語っているかのようだった。
 まさか本当に見逃してもらえるとは考えていなかったのか若干驚いた表情となった恭也だったが、それも一瞬。僅かに頭を下げて門を潜り、普段見慣れた長い石段へと足を踏み出した。 
 今にも崩れ落ちそうな足取りで、恭也は石段を下っていく。そんな幼き少年の後姿を背中で見送りながら、白陰は口を開いた。

「―――俺の名は白陰。【龍】という組織に所属する者であり、この悲劇を生み出した張本人でもある」

 ぴたりと恭也の足が止まる。

「俺が憎いだろう。殺したいと思うだろう。ならば生きろ、少年。その胸に抱いた憎悪を糧として、泥水を啜ろうが、血肉を喰らおうが生き抜くんだ。そして何時の日か―――俺の前に再び現れてみせろ」

 白陰は恭也にそれだけ告げると、新しい煙草を取り出し火をつける。
 口にくわえたその瞬間―――。

「―――恭也。俺の名前は不破恭也。覚えて置いてください。それが遠き未来貴方を殺すことになる俺の名です」
「ああ、覚えておこう」

 今にも爆発しそうな殺意を押し殺し、恭也は階段を下っていき、やがてその小さな背中は白陰の視界から完全に消え失せた。後悔。無念。罪悪感。未だ人を殺す時に感じる数多の感情を胸に秘め、白陰は深い深いため息をつく。

「いいのかよ、大将。【アレ】は多分将来とんでもねえ怪物になるぜ」
「―――ああ、だろうな」

 何時からそこにいたのか不明だが、生き残りを探しに行っていた黒陰が姿を現す。そして既に姿も見えなくなっている恭也が歩み去っていた方向を薄目で見つめた。
 現時点では取るに足らない幼い子供でしかない。だが黒陰が言葉に出したとおり、それは確定事項だった。不破恭也という少年が成長すれば確実に、間違いなく、自分達でも手に負えぬほどの怪物に成長する。二人はそれを確信していた。

「しかし、あんたも貧乏くじをひくなぁ。爆弾ぶっぱなしたのも、この作戦考えたのも、劉の野郎なのによ」
「……ああ。だが、それを止められなかったんだ。ならば所詮俺もあいつと同じ【龍】の一員。罪は一緒だ」
「で、あのガキんちょに自分を憎ませて、少しでも生きる希望を持たせようって腹かい?」
「―――なんのことだ?」
「へいへい、そういうことにしておくぜ。あんたもあのガキと同じくらいの娘さんがいるしな」

 白陰は吸っていた煙草を地面に落とすと、足で踏み躙って煙を消す。

「このことを【上】に報告するか?」
「さぁ、なんのことかね。俺は生き残りがいないか見回ってきたけど―――誰もいなかったぜ?」
「……すまん。恩にきる」

 軽く頭をさげて感謝をのべる白陰に、黒陰はカカっと笑った。
 笑いながら心の中で、目の前の測り知れない怪物の甘さに嘆息する。黒陰も白陰とは数年来の付き合いだが、彼は冷酷になれ切れない甘さがある。優しさではなく、甘さ。女子供を殺せないという、それは決定的な弱点ともいえるかもしれない。裏の世界の住人でありながら。そのため他の龍のメンバーには軽く見られがちだが―――。

「―――俺はそんな甘ちゃんな大将が好きなんだがね」

 黒陰の独り言は、白陰に聞こえることなく消えていった。














 一方その頃息絶えた琴絵の亡骸を背負い階段を一歩ずつふらつきながら降りていく恭也の息が激しく乱れていた。
 例え爆発の殆どを琴絵が防いでいたとはいえ、幾らかは恭也の身体にダメージを残しているのは当然であり、幼い恭也が琴絵を背負い、ここまで歩いてきたこと事態が信じられない。
 これだけの爆発なのだ。病院へ向かっていた士郎もすぐに気づいて駆けつけてくれるはず。ならばそれまでは気を失うわけには行かないと靄がかかっている頭で考えながら、ゆっくりと足を踏み出す。

「いやぁ、これはラッキーだね。あの忌々しい馬鹿を追い落とす良い報告が出来そうだ」

 一瞬で背筋が凍る。吐き気を催す邪悪な匂い。
 血臭を漂わせながら、階段の両脇に生えそびえる木々の一本の裏手から一人のスーツ姿の男が恭也の前へと歩み出てきた。
 肺を直接握り締められたかのような、死の予感。自分はこのままではここで確実に死ぬという第六感が最大限のアラームを鳴らしたてている。
 今の恭也では到底及ばぬ戦闘者。白陰と名乗った男とは格が下がる相手とはいえ、どうしようもない程の戦力差を叩き込んでくる人殺しの眼をした怪物が目の前にいた。

「生き残りは殺す。命令一つ出来ないとはねぇ、あのおっさん」

 下がってもいないサングラスに人差し指をあて、くいっとあげると、恭也を馬鹿にしたかのような嘲りの笑みを浮かべる。
 油断している男を見た恭也の思考は速かった。今にも気絶しそうな靄がかった頭とは真逆で、どうすればこの場を乗り切れるかを考える。琴絵を背負っている以上逃走は不可能。ならば、この場で倒すしかない。白陰と名乗った男とは異なり、恭也の目の前にいるスーツ姿の男は間違いなく見逃すことはないだろう。
 纏っている雰囲気、臭い、言葉遣い。それら全てが例え子供だろうが容赦なく殺すことを雄弁に伝えてきた。

 琴絵を地面に降ろすことに一瞬の躊躇いを感じるも、もはや迷っている暇はない。
 全力全速で目の前の男を打倒せねばならない。覚悟を決めた恭也が行動を起こそうとしたその時―――。
 

「―――ねぇ、おじさん」
「っな!?」

 スーツ姿の男が突如背後から聞こえた声に慌てて振り向く。
 するとそこに、木々に隠れるように恭也よりもさらに小さな少女が、二人を見ていた。精々が四、五歳程度。美由希と同じか少し幼いくらいだろうか。
 そんな少女の姿に、安心したのか男は冷静さを取り戻しつつ、少女の方向に歩こうとして―――。

 天から男の存在そのものを叩きつぶさんと降りかかってくる、絶望的な殺気に全身を強ばらせた。
 恭也が男に感じた圧迫感を遥かに凌駕する、得体のしれない重圧。肺の中の空気が強制的に搾り出される。あまりのプレッシャーに呼吸困難に陥るかと勘違いするほどに、その気当たりは凄まじいものだった。
 その殺気の重圧を浴びて焦っている男とは異なり、恭也は安堵の息を吐く。この桁外れな気配には心当たりがあったのだ。まさかとは考えたが、これほどの気配を放つことができるるものは恭也が知る限りただ一人。

「おい、テメェ。何俺の弟子に手を出そうとしてやがる?」

 石段が爆発。その原因は、恭也と男の死角に回っていた人影が地面を蹴りつけた結果だ。 
 黒い殺気をばら撒いていた人影は、恭也には視認も許さないほどの動きで、背後から身体ごと叩き付ける刺突を放つ。
 空気を貫く音が耳鳴りとなって残る。仮にも強者の佇まいをみせつけていた男にも反応をさせず、人影の小太刀は男の胸を容赦なく抉り貫き、そのままの勢いを殺さずに木々へと叩きつけられる。
 胸を貫かれ、木に縫い付けられる形となった男は、何が起こったのかと必死で顔を背後に向けようとして、自分を殺そうとしている人物を確認する間もなく―――抜き放たれたもう一方の小太刀で喉を薙ぎ払われ、絶命した。

 地面を鮮血で濡らし、血の池を作り出す原因となった男は力なく倒れ、自分が生み出した赤色の水溜りにビチャリと音をたてて倒れふす。仮にも六色に数えられ、赤陰の名を戴いていた男を瞬殺。
 幾ら不意をついたとはいえ、瞬きする一瞬で、恭也の前にいた絶望の戦士を屠って見せた剣士。
 それは―――。

「ちっ……あのジジイども。俺の忠告の手紙無視しまくってやがったな、くそが」

 跡形もなくなった山の中腹にある御神の跡地を不機嫌そうに眺めながら、御神相馬は吐き捨てるように、そう言った。
 御神家を追放されて以来、大陸へと渡った相馬は龍という組織が不穏な動きをしていると耳にし、探ってみれば狙いは御神の一族だと知った。今更御神の一族に関わり合いになる気もなかったが、相馬とて幾人かは気にかかる知り合いも御神家には存在したのもまた事実。
 言葉に出したとおり、御神家に何度か龍に気をつけるように手紙を送っていたのだが、それらは全て【上】の人間によって握りつぶされていたのだろう。
 恐らくはそうなることを予想して駆けつけた相馬だったが、それは一足遅い結果となった。
 ちらりと消滅した屋敷から恭也へと視線を移す。既に息絶えている琴絵を背負い、ぼろぼろの姿の恭也を見れば、御神の一族がどうなったのかは簡単に想像がついた。

 命の危険が去り、相馬と出会えたことにより張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、恭也の膝がガクンと揺れ、崩れ落ちる。そのまま階段を転げ落ちそうになったところを、相馬が片腕で小さな身体を受け止める。
 
「……お前にしては、上出来だ。よく頑張ったな、馬鹿弟子が」

 乱暴に聞こえる台詞だったが、僅かに込められた優しさは確かに恭也の耳へと届き―――。
 それを最後に恭也の意識は闇へと沈んでいった。どことなく安堵を浮かべて気を失っている恭也の顔を見上げるように、離れた場所にいた少女がスキップを踏むように近づいてくる。
 相馬が人を惨殺した光景を見ながら、少女はそれに全く忌避感を覚えていないのか、天真爛漫な笑顔だった。それが奇妙なほどに場違いな印象を与えてきた。

「ねぇねぇ、おとーさま。このおにーちゃんが、不破恭也くん?」
「ん、ああ。そうだ」
「へぇ~、ふんふん。そうなんだぁ」

 少女は恭也の顔をじっと見つめていたが、チョンチョンと人差し指で彼の頬を突っついた。
 ぷにょっとした触感が指を通して伝わってくる。

「なんか、どきどきしちゃうかも」
「あん?何か言ったか、【宴】?」
「なんでもないよーおとーさま」

 自分にしか聞こえない程度の声量の発言だったため、相馬には聞こえていなかったのだが、それが正解だっただろう。もし、相馬に聞こえていたら親馬鹿な彼は気を失っている恭也をたたき起こしたに違いない。

「とりあえず、ここから離れるぞ。上の方向にもう二人ばかりいるが、こいつらは少々厄介だ」
「おとーさまがそんな事言うなんて、もしかしてけっこー強い?」
「一人はどうとでもなる相手だがな。もう一人が、よくわからん」
「ふぅん」

 どことなく緊張した様子を見せる相馬に、宴と呼ばれた幼い少女は興味深そうに彼の視線を追う。
 まだ数年しか生を受けていない宴ではあるが、常に父は彼女にとっての最強の剣士だった。如何なる敵も容易く退け、どれだけの人数の敵も彼の進撃を止めることはできず。
 そんな父が、言葉を濁す。それほどの敵がいるのかと、きらきらと瞳を輝かせた。

「まぁ、とりあえず今のところは退くぞ。恭也とお前を庇いながら戦える敵じゃないしな、少なくとも」
「はいはーい」

 恭也を片手で抱え、琴絵を背中に担ぐと相馬は、可愛らしく返事をした宴を引き連れて木々が鬱蒼と茂る横手の森へと姿を消していった。



  















 御神本家が爆破される時間をほんの少しだけ遡る。
 御神美沙斗は酷い熱をだしている美由希を背中に担ぎ、街の外れにある個人の病院へ到着していた。
 この病院の院長には随分と昔から御神の一族はかかり付けの医師としてお世話になっている。つまりは御神家の事情も少なからず知っている相手でもある。仕事柄銃傷や刀傷が多い御神家が通常の病院でお世話になれば、確実に警察に連絡されてしまう。警察内部や政治家とも付き合いがあるため、もみ消すことは容易いのだが、そんなことで一々世話をかけるわけにもいかない。
 そのため事情を知っているこの病院は非常に重宝しているというわけだ。

 病院自体はそう大きいというわけでもない。一階建てで、医師も院長である七十近い御老人と、その息子の二人だけ。そして看護師として数名いる程度の個人病院だ。
 街の殆どの住民は、中心にある市立の大きな病院へ行くためここは大抵込んでおらず、すぐに診察して貰えるという利点もある。
 ちなみに御神の屋敷がある山から降りたところで士郎と合流したのだが、恐らくは大激怒している美影の怒りを治める為に、何か土産を買おうと途中で別れてしまったため、後で合流予定となっている。本来なら士郎の買い物に付き合おうとも思ったのだが、高熱のため美由希の意識が朦朧としており、先に病院へと行くことにしたのだ。
 相変わらずのマイペースな兄に苦笑しつつ、美沙斗が病院の入り口の扉に手をかけ押し開けようとした瞬間―――言いようのない悪寒に襲われた。

「う、うわぁああああああああああああ!!」

 扉が開いたその時を狙って、一人の見知らぬ男性が鉄パイプを美沙斗に向かってふりおろしてくる。狙いは頭。死ぬのを承知で頭を狙ってきている割には、どこか力を抜いており、美沙斗を殺すということを躊躇っているようにも見える。
 突然の凶行ではあったが、はっきり言って美沙斗からしてみれば自分に襲い掛かってきている男は素人も良いところ。眼をつぶってでも避けられる自信がある。それくらいの攻撃だった。

 軽く上体を反らすと、目の前を鉄パイプが通り過ぎ、ガンっと地面に叩きつけられ激しい音が響く。
 その衝撃に手が痺れたのか、顔を顰めたが、自分を冷たく見据える美沙斗に脅えつつも、鉄パイプを再度振り上げようとする。しかし、まさか二度目を許すわけもなく、美沙斗は鉄パイプを踏み相手の攻撃を妨害しつつ、顎に向けて掌打を打ち込んだ。
 徹を込めていない、ある意味容赦をした打撃で脳を揺らされた男は力なくその場に倒れ、ピクピクと小さく痙攣を繰り返す。そんな男の様子を窺いながらも、美沙斗は首を捻る。
 
 確かに職業柄恨みを買うことは数多い。
 しかし、こんな素人同然の相手をヒットマンとして送り込んでくる相手に心当たりが全く思いつかない。
 素人の振りをしているのではなく、間違いなく素人だ。そこらの一般人と全く一緒なのだ。武道の経験もなにもない。平和に生きているただの人間だ。
 
「あーあ。そいつはゲームオーバーだな」

 病院の中から聞こえた、暗い声。この世の全てを嘲笑する狂人のどこか楽しそうな声が廊下に響き渡る。
 人も、神も、世界も、何もかも。全てを下らないと言い捨ててしまう、奪うことだけを生き甲斐とした怪物が美沙斗の視線の先、廊下の暗がりから歩み出てきた。
 全身のあらゆる毛が逆立つ。これまで感じてきた脅威を遥かに超える、人の姿をした獣。心臓を直接触られているかのような圧迫感。強いのではなく、怖い。とっくの昔に忘れた恐怖という感情を問答無用で沸き立たせてくる人間―――いや、本当に人間なのかと美沙斗は自問自答した。それほどに可笑しい。こんな明確な負の感情のみで成立している存在を、彼女とて初めて見た。

 黒スーツ姿のサングラス。肩まで伸ばした長髪。
 両手をズボンのポケットに仕舞い、悪意に塗れた笑みを浮かべて―――龍の最強戦力、劉雷考がそこにいた。
 くひっと不気味な笑い声が美沙斗の耳を打った瞬間、美沙斗の本能が雄叫びをあげる。その場から今すぐ離れろと、かつてない大音量で注意の喚声をあげた。
 それに従い即座に後方へと跳び下がる。それと時を同じくして、美沙斗の本能を刺激した正体が判明した。
 彼女の目を焼くように膨れ上がる閃光と爆発。倒れていた男が【弾ける】。丁度人間一人を破壊する程度に抑えた火力が、男の身体を四散させた。激しい音をあげて飛び散った腕や手。そしてそれ以外の人体の肉片。
 そのおぞましさに、薄ら寒いものを美沙斗は感じた。

「お、そいつは当たりだったみたいだな。運が良いじゃねぇか、お前さん」

 ポケットから取り出した何やらリモコンらしき物体を片手で弄くりながら劉は、けたけたと笑っていた。
 目の前で人が一人弾け跳んだというのに、彼は全く気にも留めていない。まるで虫けらを一体踏み潰した。それくらいの認識しか抱いていないように、美沙斗には思えた。

「……何を、お前は、何をした?」
「くひっひっひ。【ゲーム】だよ、ゲーム。その死んじまった男はゲームオーバーになったのさ」

 美沙斗の問いに、答えになっていない返答をしながら劉は、足元に転がっていた男の眼球を踏み潰す。
 
「これからお前さんの前に十五人の【敵】が現れる。っと、一人死んだから残りは十四人か。そいつらの身体にはちょっとした爆弾が取り付けられていてな。爆発する条件は気絶した時か、身動きが取れなくなった時。解放される条件は簡単なことだ―――そいつらが自分の手で御神美沙斗と御神美由希を殺すこと」
「―――っ!!」

 笑う。哂う。嗤う。
 劉雷考は嘲笑する。

「お前さんが勝ち残る条件は簡単だ。残りの十四人をぶち殺せば良いだけだ。安心して良いぜ? 敵はそこらの民家から適当に見繕った一般人だ。武器は自由に持たせているが、幾らガキ一人担いでいても、それくらいわけねーだろ?」

 劉は語る。美沙斗の敵は自分の部下ではないと。
 この街に暮らし、裏の世界と何の関わりも持っていないただの一般人であると。
 そんな人間達を十四人殺すことが、この【ゲーム】で美沙斗の勝ち残る条件だということを、劉は楽しそうに語ってくる。

「ああ、殺さない程度、ってのはやめたほうが良いぜ? もしそういった状況になったなら俺は遠慮なく強制的に爆発させる。ちなみに破壊力は大小様々だ。いまさっきの爆発程度のもあれば、倍以上の火力のもある。つまり、お前さんごとボカンってなっちまう可能性もあるってわけだ」 
  
 そして、リモコンを弄くりながら付け足すように劉は述べる。
 お前には相手を殺すことしか取れる手段はもはやないのだ、と。

「俺を狙っても構わないけどな。ただ、そのガキを庇いながら俺を倒せると思うのならば―――いいぜ、相手をしてやる。ただし、逃走の選択肢だけは認めない。もしそれを取ったら、即座にボカンだ」

 サングラスの下に隠された瞳がぬらりと光る。
 彼の瞳の光は、自分に挑んで来いと、そして逃走だけは許さないと無言で語っているかのようだった。もし美沙斗が逃走の動きを少しでも見せようとしたならば、言葉通りの結果になるだろう。距離的に劉自身も巻き込まれるが、彼は自分自身のことは気にも留めない。劉雷考とはそういった人間なのだと身体全体が伝えてきた。
 美沙斗は冷静に自分と劉雷考の実力を比較する。はっきりいって底が知れず、まともにやりあっても勝てるかどうかは確信が持てない。最低でも士郎が傍に居たならばその方法も取れたかもしれない。しかし、現実には士郎はいないわけで―――取れる手段ではない。

 迷っている美沙斗の背後から近づいてくる気配。
 息を殺して近づいてくるだけで、気配を消すといった様子も見られない、素人同然の者達が複数人寄ってくる。
 そのうちの一つが意を決して美沙斗へと飛び掛ってきた。ジャリっと地面の砂を踏む音が聞こえ、やはり躊躇いつつも振り下ろされる木刀。
 身体を開き、容易くかわした美沙斗の眼に映るのは、目に涙を浮かべながら攻撃してきた女性の姿だった。

「ああ、それと助けがくることは期待しないほうがいい。ここら一帯の住人は皆殺しにしておいたからな。ついでに、お前さんの関係者もここにくるまでには相当時間が必要だぜ? 俺様の部下が三人で足止めしているところさ。んで、勝者に与えられる賞品は【自由】だ。ようするに、爆弾を仕掛けられてる奴らがお前さんを殺すことができれば命を拾うことができ、お前さんが勝てば見逃してやる」

 恐らくは人を殺す現場を見物させていたのだろう。美沙斗を狙っている人間達に命令を聞かせるために、目の前でこの男は、この者達の家族を惨殺したのだ。
 吐き気すら催す邪悪な行動をゲームだと言い切る異常性。出来ることならば、この手で目の前の狂人を殺してやりたい。美沙斗は切にそう願った。
 それでも、それを叶えることはできない。楽しそうに嗤っている劉ではあるが、美沙斗の一挙手一投足を見逃さないように凝視している。恐らくは一歩でも劉の方向へと足を踏み出せば、何の躊躇もなく彼は美沙斗を殺そうとするはずだ。そして美沙斗の死はイコール美由希の死でもある。
 本当ならば無駄に命を奪いたくない。劉にいいように操られているだけの人達を斬ることは心が痛む。
 だが美由希だけは命に代えても守らなければならない。そう、例えこの両の手が一般人の血に塗れたのだとしても―――。

 覚悟を決めた美沙斗の意識が刃物のように鋭くなる。
 彼女とて不破の一族。不破宗家の長女にして、稀代の天才と称された女性。
 人を傷つけることを好まない美沙斗ではあるが、その本性もまた―――人斬り。自分だけならばいざ知らず、己の愛娘と他人を天秤にかけたならば、美由希に傾くのも道理。

 チンっと鯉口が斬られる音が耳に響く。
 片手は背負った美由希を支えるために使用しているため、自由に使えるのは右手しかない。
 しかし、彼女にとってはそれで十分すぎる。例え片手しか使えずとも、美由希を背負っていたとしても、一般人に敗北する御神美沙斗ではない。
 木刀を振り下ろしてきた女性の胸を一突き。抜くと同時に赤い華が咲き、女性は地面に倒れ痙攣した。
 
 一切の容赦も何もない美沙斗の様子に、残された十二人は脅えたように後ずさる。
 それも僅かな時で、劉が楽しげに弄ぶリモコンを見た途端、各自雄叫びをあげながら美沙斗へと突撃していく。
 連携も取らずに、いや取れずに襲い掛かってくる老若男女。街の住人とはいえ、顔見知りがいないことに内心でほっとしながら美沙斗は心を鬼として小太刀を振るい続ける。
 情けをかけるわけにもいかない。下手に情けをかけては逆に苦しみ、生きながらえる。それに動けなくなった者には劉は容赦しないのは明らかだ。先程の男性に対しても、何の迷いもなく爆弾を発動させた。美沙斗へのデモンストレーションの意味合いも兼ねてかもしれないが、彼は美沙斗が殺すことを躊躇ったその瞬間、スイッチを押して爆弾を起動させるだろう。

 歯を食いしばり、美沙斗は手から伝わってくる嫌な感触を耐え忍び、自分に襲い掛かってくる相手を最低限の斬撃でしとめ続ける。目の前で行われる殺戮劇に、ある者は涙を流し、ある者は脅え、ある者は怒りに身を任せて襲い掛かってきた。
 残酷に見えるかもしれないが、美沙斗の一撃一撃が必殺。痛みを感じる間もなく、彼らを涅槃へと導いている。
 心を鬼にして、人を斬り続ける彼女の姿に、劉は大層興味深げな視線を送り続けた。
 目の前で幾つもの命が散り、消え去っていく死の舞台。そこで行われる死の演舞に、心を躍らせるのは劉雷考ただ一人。
  
 彼の前で行われた殺戮劇は最初から筋書きが決まっていたかのように、至極簡単に幕を閉じた。
 それはあまりにも当然の結果だ。御神美沙斗が負けるという結果などありえないし、ありはしない。
 血に塗れ、数多の死体を生み出した彼女は、頬についた血を袖で拭い去る。美沙斗の周囲には十四の死体。そのどれもが一ミリのズレもない急所への攻撃。我が子を背負い、小太刀を握るその姿は鬼子母神と見間違えんばかりの様相であった。

「く、へっへっへっへ。こいつはすげぇ。僅かな躊躇いもなく、皆殺しにしやがった。もうちょっと悩む姿を見れると思ったんだが、あてが外れたな」

 そんな美沙斗を前にして、劉はパチパチと拍手を送る。
 凄惨ともいえる美沙斗の姿。そして、彼女が放つ剣気。それらを真っ向から受けても、何の変化もみられない。

「……【ゲーム】は、私の勝ち、だね」

 十四人もの人数を斬り殺し、命を奪った行いをゲームと言い捨てるのには躊躇いがある。腸が煮えくり返るほどの激情を表には出さずに必死になって、冷徹な仮面を被り演技する。こういった類の輩は、怒りに身を任せ糾弾すればするほどに相手を喜ばせる結果になるのだと、直感的に理解していたからだ。
 そんな葛藤を見抜いているのか、劉は美沙斗の様子に満足しているのか、台詞とは裏腹に楽しげな姿を崩すことは微塵もない。

「おいおい、まだ終わってないぞ? お前さんが斬った人数を数えてみろよ。十四人しかいねーだろ? 俺は開始する前に言ったよな―――十五人だって」

 よりいっそう笑みを濃くした劉が右側へと一歩身体をずらすと、その背後から一人の初老の女性が現れた。
 白いナース服を着た女性。この病院でもう数十年も働いている看護師でもあり、美沙斗が幼い頃から世話になっている人間。そして、美由希が産まれる際に立ち合ってもらったこともあり、病院へ訪れる度に優しくしてもらっている美由希が大層懐いている人物でもあった。
 
 これまでの見知らぬ人間とは違い、大恩ある人物の登場に息を呑む。
 知らず知らずのうちに、小太刀を握る手が震えていた。如何なる相手も切り伏せる心に決めた美沙斗ではあったが、こうして親しき者を前にすれば、その決意も揺らぐ。

「御神、さん……」

 初老の女性―――美沙斗は森と呼ぶ彼女は、どこか達観した表情を浮かべている。
 彼女は御神家と古い付き合いなだけあって、どういった一族なのかを知っている数少ない人間だった。しかし、頭では理解していたつもりだったが、目の前の殺戮劇を目の当たりにして、自分が生活してきた日常の裏側でこのようなことが容易く起こるのだと、本当の意味で理解することがようやくできた。

「―――っ」

 巻き込んで申し訳ありませんっと口にだそうとして喉でそれが凍り付く。美沙斗が何を言おうとしたのか分かったのか、首を無言で横に振ったからだ。
 美沙斗が斬り殺した十四人とは違い、彼女の顔には恨みもなにもない。決して今の状況を理解出来ていないわけではない。理解していながら、受け入れている。

「―――私は、もう十分生きました。生に未練はないと言えば嘘になりますが、それでも貴女や美由希ちゃんをこの手で殺めてまでしがみつこうと思えません」

 どこか諦めたかのように、彼女は深いため息をつく。
 彼女が語る言葉に嘘はない。出来ることならばもっと生きたい。死を好む人間などそうはいないのが当然だ。だが、目の前で行われた殺戮劇を目の当たりにしてしまった以上、自分が生き残る術はないのだと直感が囁いている。
 そして、後半も事実である。長年の付き合いである美沙斗や、赤ん坊の頃からの自分の孫同然の美由希をこの手で殺める覚悟も彼女には持つことはできない。
 もはやどう足掻いても命を長らえることはできないのは分かりきっている。後は、自分がどう死ぬかだけだ。
 美沙斗に殺して貰う―――そうするのが正しいのかもしれない。
 しかし、森は知っている。御神美沙斗の優しさを。彼女が好んで人を斬る人間ではないことを。
 美由希を救うために手を汚した。もしも彼女一人だけだったならば、他の手段を取ることもできたはずだ。
 そんな御神美沙斗にこれ以上苦しい思いをさせてなるものかと、彼女は精一杯の勇気を振り絞り―――。

 ―――自分の手に持っていたナイフを己の胸へと突き立てた。

 生々しい触感が手に伝わる。
 鋭い痛みが全身を支配していく。ナイフを伝い、滴り落ちていく赤い鮮血。ポタリポタリと、小さな音をたてた。痛みに我慢できずに両膝から地面へと崩れ落ちる。
 その光景に眼を見開いたのは美沙斗と劉の両者であった。まさか自殺をするとは思っていなかった劉と、森の胸に秘めた悲壮な覚悟を汲み取った美沙斗。両者に違いはあれど、初老の女性の覚悟は、この場に残されていた二人を驚かせるに十二分に値するものだったのだ。

 劉に注意を払いつつも、慌てて森に駆け寄る美沙斗。倒れそうになる彼女を片腕で支え、顔を覗き込む。
 意識が朦朧としている森が何かを語ろうと口を開くが、動くのは唇のみ。喉はかすれ、言葉となることなくヒューヒューと空気に消えていく。
 彼女が取った行動は自分の胸にナイフで突き刺すといった自殺。だが、それには後もう少しだけ力が足りなかった。幾ら自殺の覚悟を決めたとしても、何の躊躇いもなく己の胸にナイフを通すことが出来る人間は一握りだ。
 僅かに生へと縋る彼女の気持ちが、躊躇いを生み、生きながらえる時間を長引かせている。腕の中で痛みで震える彼女の虚ろな瞳が無言で語っていた。その痛みを、絶望を。苦しみを。
 
 美沙斗の歯が唇を噛み締める。ぶちりと何かを突き破る音が脳内に響き、血の味が口の中に広がる。
 彼女を苦しみから解き放つ方法を、頭では分かっていた。それを実行できるのか―――自分達のために死を選んだ尊敬すべき相手に対して、小太刀を振るう事ができるのか。
 いや違う、と美沙斗は首を小さく振る。それは逆だ。そんな相手だからこそ、これ以上苦しめたくはない。せめて自分に出来ることを為すべきだと、美沙斗もまた覚悟を決めた。

 こふりと咳き込み、血を吐いた森を腕に抱き、美沙斗は小太刀を振り上げる。
 そんな美沙斗の姿を霞む視界に映した森はどこか感謝の表情を浮かべ―――。

 小太刀が肉を断つ音がもう一度。パシャっと鮮血が舞い散った。
 血の華が、もう一度だけ咲き乱れ、この空間で息をしているのは三人だけとなる。
 もはや息せぬ骸となった森を地面におろし、絶対零度を思わせる瞳が劉を貫く。今までの比ではない、本物の人斬りの威圧感を滲ませ、御神美沙斗はゆらりと立ち上がった。

「―――いやはや、こいつはおもしれぇ。俺が想像していた流れとは随分と離れちまったが、これはこれでありといえばありか。なかなか見られる光景でもねーしな」

 ガシガシと頭を掻きながら、劉は地面に寝かされている森を一瞥。
 手に持っていたリモコンを背後へと投げ捨てる。放物線を描き、病院の廊下へと転がり落ちたリモコンは、軽い金属音をあげて二、三度床を転がっていき止った。

「まぁ、【ゲーム】は終了だな。そこそこは楽しめた。お前さんはもう帰って良いぜ?」

 しっしと猫や犬を追い払うような仕草で美沙斗に対して手を振るう。
 まさか本当に見逃してもらえるとは思っていなかった美沙斗は、劉を油断なく見据えたまま後退しようとして―――背中に感じていた重さが突如消失した。

「後は【親子】仲良く語ってくれよ―――もっとも、そのガキが見た光景をどう思うかはしらねーけどな」

 美沙斗が背後を振り向いた先―――地面に座り込み、呆然と自分の母を見つめる御神美由希の姿があった。
 嫌でも鼻につく血臭。むせ返る様な死の香り。周囲を埋め尽くすのは数多の死体。そして美由希の瞳は、美沙斗と森の遺体を交互に捉えていた。
   
「―――み、みゆき」

 震える声で自分の娘に呼びかけながら、手を伸ばす。血に塗れた、腕で。
 美由希は自分へと向かって伸ばされた母の手を見て―――。

「―――ひぅ」
 
 明らかに脅えが混じった声をあげた。
 地面に座り込んだまま、母から遠ざかるように這いずりながら遠ざかろうとしている。
 高熱で朦朧とする意識の中で、美由希は見てしまったのだ。母が人を惨殺する姿を。何の躊躇もなく人を斬り捨てて行く姿を。そして、無常にも優しい森という看護師に小太刀を振り下ろす姿を。
 幼い美由希にはこの場で起こった全てを理解することはできず、ただ母が多くの人間を殺したという光景だけが深く心に刻まれてしまった。

 自分を恐怖している美由希に、ピタリと美沙斗の手が止まる。
 途中で止まった手は行き場をなくし、空を頼りなく握り締め、力なく手元へと戻ってきた。

「く―――くひっひっひっひっひっひ!! いいな、その顔!! その絶望!! やっぱり、その表情が一番そそる!! それこそゲームをしたかいがあったってもんだ!!」

 両者の姿に、腹を抱えて嘲笑するのは劉雷考。
 これ以上ないほどに、顔を醜く歪ませ、嘲笑う。娘を守る一身で己の手を汚した美沙斗の献身の姿に対して、ただぶるぶると身体を震わせ恐怖している幼き美由希。そんな光景がたまらないと、劉は大口を開けて狂ったように哂い続ける。
 鼓膜を破らんばかりにねちゃねちゃと纏わり突く狂気の声に、美沙斗がついにその笑い声を消し去ろうとするかのごとく、両手を振り払った。

「―――なんだ、お前は!! お前は、お前は、お前は―――鬼め!! 悪魔め!!」

 怒りが限界を突破し、もはや言葉にはならぬ激情が口からとび出す。
 一体何のために目の前の怪物は、こんなゲームなどというものを行ったのか。それはきっと、損得勘定抜きで―――ただ、やりたいからやった。きっと彼はその程度の考えしかもっていない。面白そうだからといったとんでもない理由で、絶望を撒き散らした。やはり劉雷考という人間は、人から奪うことだけを楽しみに生きている。
 もはやこの男は人間ではない。人間がこんなことをするはずがない。

「……はぁ? 何言ってるんだ、お前さん?」

 はぁはぁっと哂い過ぎて腹が痛いのか、腹部を押さえながら劉は目元に浮かんだ涙を指ですくう。
 美沙斗の罵倒に首を傾げる。まるでそれが見当違いの指摘だったかのように。

「俺が鬼? 悪魔? 違うだろーが。鬼が、悪魔がこんなまどろっこしいことするか? こんなひでーことをするのか? 違うね。【人間】だからこそ、こんなことができるんだろうが。【人間】だからこそ、どこまでも残酷に、どこまでも残虐に、同種族から奪いつくすことができるんだろ?」

 劉の嘲りに拳を力いっぱい握り締める。爪が皮膚を食い破り、血が滴り落ちた。
 お前も俺も人間なのだと、彼の笑みは語っていたる。そして、それを否定できない美沙斗。

「それじゃあ、また楽しませてくれよ? 生きていたらの話だけどな」

 劉はポケットから新たに取り出したスイッチを押す。
 それを合図にしたかのように、地震が一瞬この一帯を激しく揺らした。美沙斗の耳にも届いた爆撃音。音の発生源の方向を見れば、白い煙が幾つもあがっていた。
 その方向は、嫌になるほどに見覚えがある場所で―――。

 詰問しようと視線を劉に戻すも、既に彼の姿は跡形もなく消え失せていた。だが、彼の笑い声は耳に残り、すぐそばにいるかのような幻聴を残す。
 そして美沙斗は、士郎と合流するまで美由希をその手に抱くことはできなかった。
 御神本家の跡地を見た美沙斗は、己の娘を士郎に預け―――翌日姿を消す。後の世にて、黒鴉と呼ばれることになった修羅がこの日に産まれることになったのだった。
 
  
  














 時は現代にまで巻き戻り―――。


























 それほど広くない薄暗い部屋のソファーに劉雷考が腰をおろしていた。
 床は何やら書類で埋め尽くされており、足の踏み場もない。それ以外は生活感のない部屋で、ある物といえば冷蔵庫とテーブルくらいだった。テーブルの上にはノートパソコンが置かれており、それが部屋を照らす発光の源ともいえる。
 天井から吊り下げられている照明は消えてるものもあれば点滅しているものもあり、本来の意味を為していなかった。

 全身から気だるさを滲ませながらパソコンを弄っていた劉だったが、ある一通のメールに眼を通した途端、その気配は一変した。どこかやる気のなかった表情も喜びに満ち溢れ、今にも破裂せんばかりの狂気を滲まし始める。
 その時コンコンとドアがノックされ、劉の返事を待たずに一人の巨漢が部屋へと足を踏み入れてきた。開いた扉からは、廊下からの光が差し込み、一瞬だけ明るさを僅かに取り戻す。

 その巨漢―――白陰に対して劉は少しも興味を示すことはなく、パソコンにのみ意識を集中させていた。
 
「お前から言われていた任務のことで聞きたいことが幾つかあったんだが―――」
「ああ、それはもういい」
「なに?」
「上からの命令で、それは別の人間に回しておけってな。別の任務を今言い渡された所だ」

 訝しげに眉を顰めた白陰に、相変わらずカンに触る不気味な笑みを浮かべて―――。

「俺とお前達六色。それと俺の権限で動かせる構成員。後はこの二人を自由に使って、日本のある都市で行われるコンサートを妨害しろだってよ」

 この二人と言って、劉が指差したパソコンのモニターに映されている顔写真を見た白陰が、驚いたように眼を見開いた。
 白陰が知る限り、西洋で活動している龍の構成員の中でも最悪の二人。劉雷考と同じく、あまりにも常軌を逸した性格と能力のため、彼ら二人もまた龍の活動において自由な権限が与えられている。組織に害を与えないことに限られてはいるが。

「……ただのコンサートを潰すために、ここまで大掛かりな人手がいるのか?」
「さぁ? 上が何を考えているのかわからんけどな。まぁ、楽しませて貰おう」

 くっひっひっと哂う劉を目の前にして、白陰は新たに齎されることになる悲劇を思い描いて―――深いため息をついた。

























 ほぼ同時刻のイギリスにて―――。
 
 そこは古ぼけたバーの跡地だった。
 外見こそまだ古ぼけた程度で済むものであったが、内装は酷いものだ。
 ペンキが剥がれ、中のテーブルや椅子は壊れて使用することもできない。染みも多く見られ、まさに廃墟といったほうが正しいのかもしれない。
 だが、眼をひくのはそんな内装の酷さではない。壁一面に貼られた写真。いや、壁だけではなく床にも覆い尽くすように貼られていた。
 それは隠し撮りしたと一目でわかる写真ばかりで、真正面から取られたものは一つとしてなかった。中には合成写真だとはっきりとわかるできの、下着で映っている写真、裸体を晒している写真なども数多くある。

 その写真に写されているのは―――フィアッセ・クリステラ。

 写真に写されているフィアッセを眺めているのは一人の男。彼がいる空間で唯一壊れていない大きめの椅子に腰を深くおろしながら、視界一杯に広がっている彼女を愛おしそうに視線が捉えている。

「……時は満ちた。キミは十分に成熟した果実となったね、フィアッセ・クリステラ」

 爬虫類を思わせる舌が、ちろりと唇を舐める。
 男性の瞳に宿っているのはどうみても正常な感情ではなく、どこかが狂ってしまった歪な想い。

「今回の任務の報酬は、キミを自由にできる権利、か。ああ―――素晴らしい」

 先ほど自分宛に送られてきた、劉雷考からのメールを見た彼は既に正気を失っていた。
 長年蓄えてきた狂気が、ダムが決壊したかのように、解放されたのだ。

「―――キミと会うことが出来る日が、待ち遠しいよ」

 そして裏社会でも最悪の爆弾魔と怖れられる、通称【クレイジーボマー】が動き出す。
 






















 同時刻、ドイツ―――。

 人が寄り付かぬ辺境の果ての果て。人里はなれた、森のみが存在する大地。
 野生動物しか居ないと思われたその場所が、今は血と臓物に埋め尽くされ汚されていた。
 森が支配している場所から真逆の位置には見渡す限りが草原が広がっている。その一角に、小さな山が作り上げられていた。その山を支配するのは―――死体。

 人とは異なる異形の姿の怪物達が、無造作に積み上げられている。
 見る者が見れば一目でわかるが、そのどれもがたった一太刀で命を刈り取られていた。
 死体となった怪物達は、有象無象の魔の者ではない。彼らはアンチナンバーズでも三桁台に位置する者が殆どであり、中には二桁の怪物も含まれていた。
 それら合わせて軽く百を超える死体を生み出した張本人が、屍山血河の頂点に腰を下ろしている。

 月の光を全身に浴びながら、長身痩躯の青年が空を見上げていた。
 こんな死が充満する空間には不釣合いの、美青年だ。青みがかった綺麗な髪が、左目を覆い隠している。
 踏み台にしている死体に突き刺さっているのは巨大な両刃の大剣。その長さ、大きさは普通の人間がイメージしているそれを遥かに超えていた。成人男性の身長に近いほどの、凶器。見るだけで人を怖れさせる破滅の刃が月光を煌かせ、自分の存在を証明しようとしているかのようだった。
 
「―――つまらないな。やっぱり化け物は、つまらない」

 これだけの死を創造しながら、つまらないと語る青年は足元の死体を踏み躙る。
 そして、ゆっくりと立ち上がると死体に突き刺していた愛剣を片手で引き抜くと、一閃。刀身を濡らしていた血が宙に散って消えた。

「俺と戦える剣士。黒鴉―――お前と会えるのを楽しみにしているぞ?」

 どこまでも空虚な声が、剣に狂った怪物の口から放たれる。
 近代兵器が支配するこの時代。そんな現代においてなお、前時代の武器である剣を使用しあらゆる標的をしとめる暗殺者が二人居る。
 その名を東の刀鬼【黒鴉】と西の剣魔【スライサー】。
 あらゆる人も化け物も斬り殺し、断ち切る、人を超えた人。

 そのうちの一人。西の剣魔と称される怪物もまた―――動き出した。  






























-----------atogaki--------------

とらハ3のOVAが安く売ってたので買って視ましたが、懐かしくて面白かったです。
フィアッセルート in 劉雷考 六式 クレイジーボマー スライサー。

引越しの片付けをしてたら懐かしい同人ゲーがでてきました。
【どりる少女スパイラル那美】……知っている人はいるのだろうか? 
久々にやってみましたが、なかなか良いできの落ちゲーでした。


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