八月 十日 00:13
「あは、あはははは!!っはははは!!」
狂ったような歓喜の声が闇夜が支配する世界に響き渡っている
月の光のみが光照らす中、二人の男女が……人の理解を遥かに超えた、命の削りあいを行っていた。
常人では視認することさえできない超高速戦闘。
二人が動くたびに地面が抉れていく。衝撃が、ぶつかりあう爆音が、互いの耳を打つ。
女―――漆黒というに相応しい腰まで伸ばした髪をポニーテールに括り、顔の造形は陳腐な表現になるが、まさしく絶世の美女というしか表現しようがない。
もっともその手に握っている白金の日本刀がなければの話だが。そんな女も、今は表情を狂喜に歪め……【真紅】の瞳を爛々と輝かせ自分と殺しあっている男を睨み付けている。
それに対して女と相対する男は……女の髪と同じく全てが漆黒であった。
髪も服も瞳も、何もかも。顔は女性に比べると見劣りするがそれなりの美形と言えるだろう。その両手にもつ二振りの日本刀がやはり男の異常性を高めているが。
否、日本刀というには幾分か短い。俗に小太刀と呼ばれる日本古来の刀の一つである。
「シッ!!」
わずかな瞬間も一箇所にとどまることのない明らかに異常ともいえる超高速戦闘のさなか、とんでもない体勢から放たれた女の回し蹴りが男の顔を砕かんと迫る。
見るだけでその威力は知ることができるであろう、もっとも一般人なら見ることすらできずその命を刈り取られるのだが。
男はその蹴りをほんのわずかに後ろに上体をかたむけることによってかわす。
まるでハンマーをふりまわしたかのような轟風音を残して過ぎ去っていく蹴りを横目に、男は左の小太刀を振るおうとして-、その瞬間に地面を蹴って後ろに飛んだ。
その僅かな後、むしろほぼ同時といえるほどの差で男の頭があった空間を女の蹴りが薙いでいた。
「あっはっは!」
己の蹴りをかわされたというのに逆に嬉しそうに笑って……足を止めた。
それにあわせるかのように男も数メートルの間合いを取って息を深くつく。
「楽しいなぁ……こんなにゾクゾクするのは産まれて初めてだよ!キョーヤ!」
「……」
キョーヤと呼ばれた男は憮然とした表情のまま返答せず……姿を消した。
そう、文字通り姿を消したのだ。まるで手品を見ているかのように一瞬で。
「んな!?」
女の驚愕の声と同時に響く耳をつんざくように聞こえる金属音。
どうやって移動したのか不明だがキョーヤは女の右側から首下に右手の小太刀で斬りつけ、それを間一髪のところで防がれた瞬間、左手の小太刀で追の太刀を放とうとしたのだが……。
「なめるなぁ!!」
一声。
女の怒号とともに明らかに自分より重いはずのキョーヤを吹き飛ばした。
キョーヤは慌てることなく空中で体勢を整えると音も立てずに着地した。
「馬鹿力め……」
「ちょっとちょっと、レディに向かって失礼じゃない?」
相変わらず憮然なまま呟くキョーヤにむかって女は言葉とは裏腹に変わらず嬉しそうなまま返答する。
「ところで今のとんでもないスピードの動きが噂に名高い御神の至高」
そこで女は何故か一息つき……。
「敵対するものは神すら斬るための御技……【破神】の【神速】かい?」
「……自分の奥の手をそうそうばらすと思うのか?」
「なんだよ、いーじゃん、教えなよーけちぃ」
ぶーぶーとまるで子供のように言ってくる女にキョーヤは嘆息する。
「……違う」
「ん?」
「さっきのは神速ではない」
「え、まぢ?すげー速かったんだけど……」
「そうだ。単純に速く動いただけだ」
「あっは! なんて化け物なんだよ、キョーヤ。スピードだけとはいえ純血の夜の一族の私とタメをはるって……」
こりゃまいったね、と女は深いため息をついた。
「そうだな……」
それをきいてキョーヤもまた同じくため息をついて……。
「……そうだな、俺も化け物だ……。殺音(アヤネ)、お前以上のな」
その一言にキョーヤの気配がガラリと変わり、殺音は敏感にもそれを感じ取り今までのどこかふざけた雰囲気を消した。
「我は御神の守護鬼人。不破が有せし最後の殺戮概念到達者。我が前に立ちし者は 神すら堕とす【絶刃】の後継。殺音……己の矮小さを知って、そして逝け」
キョーヤの眼が表情が雰囲気が全てが冷たく鋭くなっていくなか、殺音は満足そうに嘲笑った。
「ようやく本気になってくれたんだね」
そう言って、あまりに絶対的で絶望的な殺意と殺気と鬼気が混じりあった【何か】を撒き散らしながら……
殺音は日本刀を構え、真紅の瞳をキョーヤに向けた。
「これからが本番だ。命をチップにした殺し合いを始めようじゃないか!!」
……そして二人は正真正銘手加減なしのコロシアイを始めた。
【ソレ】をやや離れた位置から見ているのもまた二人。
黒髪を三つ編みにしていてキョーヤと同じ小太刀を両手に持っている高校生くらいの少女と、
三つ編みの少女よりもずっと幼い、下手をしたら中学生にもみえかねないやや紫がかった髪をツインテールにした少女。
「……化け物どもめ」
吐き捨てるようにそう呟いたのは顔を青白くしたツインテールの少女。
これはなんの悪夢か。
殺音が強いのは知っていた、今まで何度も手合わせしても笑っていなされていたのだから。
だが、ツインテールの少女は知らない。
あそこまで異常ともいえる殺意を発しながらなお、狂喜をばらまく殺音の姿を。
そして夜の一族たる自分ですら視認することさえ困難な速度で戦闘を行うなどと。
「化け物どもめ……」
再び呪詛を吐くかのように繰り返す。
そこに込められたのは果てしない絶望。
かりにも天才と褒め称えられていた自分が一生かかっても辿り着けない領域にいる二人に……そして自分への諦めにも似た感情。
特に青年……高町恭也は人間なのだ。
夜の一族である自分からしてみれば子供と大人ほどの差が産まれた時からあるはずなのだが……。
そんな差など知ったことかと言わんばかりに殺音と互角に渡り合っている。
「人の兄を化け物扱いしないでもらいたいんだけど、冥(メイ)さん?」
そう幾分か険のこもった声をツインテールの少女、冥にかける三つ編みの少女。
もうすでに戦闘の意志はないのか小太刀は納刀していた。
冥はそんな三つ編みの少女をちらりと横目にみて再び恭也と殺音の戦いに眼を向ける。
「アレをみてお前はまだ高町恭也がニンゲンだとでもいうのか、高町美由希」
「……人間だよ。修練に修練を重ねた高町恭也という人間が到達した最高にして 最強の剣士の姿」
「ハッ……言ってくれるね。たかだか二十年も生きていないひよっこ如きが」
「たかだか二十年……されど二十年だよ。私は知っているから。修練と言う言葉すら生温い日々血反吐を吐きながら積み上げた十数年……貴方たちの生きてきた時間を遥かに凌駕する密度の時間」
「……」
ギンッと殺気すらこもった鋭い眼で冥を一瞥する美由希。
「そっちこそ嘗めないでもらいたいよ。私ときょーちゃんがともに歩んできたこの時間を」
「……言ってくれる」
苦々しく呟いた冥から視線を眼前の戦いにもどした美由希だが……内心は冥とは真逆ともいえるものであった。
悔しかった。
今、自分の兄であり、師範代でもある恭也と互角に渡り合っている存在がいることに。
そして自分が割って入れば確実に足手まといになるということに。
例えそれが人間以上の存在だったとしても。
美由希にとって恭也は文字通り【最強】の剣士だった。
そんな恭也とこれほどまでの戦いができるのが自分ではない……それに嫉妬さえ感じる。
悔しさのあまり歯が唇を噛み切ってかすかに血さえ流れていた。
「高町美由希……お前は……」
そんな思考に割って入ってくる冥の声、心なしか若干震えている。
「アレをみて、お前はまだアソコまで辿り着けると思っているのか?」
「当然……!!」
わずかな躊躇いすらなく頷く美由希を信じられないものを見たかのように眼を見開く冥。
「悔しいけど今の私では無理。決して埋めることのできない差があるのが事実……でも」
美由希が纏う空気が変わる。
諦めてなるものかと、追いついてみせると、まさに不屈の闘志の如く。
「私は剣の神に愛された高町恭也の唯一人の弟子なのだから!!」
恭也の弟子である自分が諦めてはならないと、未だ己を高めている恭也に追いつく為にも。
「……覚悟の差か」
くしゃりと髪を右手でかき乱し冥は眼をつぶった。
「参ったね、降参」
自分の限界を決めつけ殺音こそが【最強】だと完全に認めた自分と決して諦めずに自分の信じる【最強】である恭也に追いつこうとしている美由希。
「勝てるわけないか……」
そう勝てるわけなかったのだ、この少女に。高町美由希に。最初から全てを諦めていた自分では。
「ならば見届けようじゃないか。自分たちが信じる【最強】同士の決着をね」
「そうだね」
冥と美由希はそう言って、ニンゲンと夜の一族を極めた化け物同士……高町恭也と水無月殺音の死闘に眼をやった。
―――二人の決着の行方は月の光だけが知っている―――。
七月 二十五日 13:25
その日、嵐山虎鉄(あらしやまこてつ)はとある事情により三十年来の親友であり悪友でありライバルでもあり、そして尊敬すべき友、巻島十蔵に会いに来ていた。
学生の頃から共に空手の道を歩み、お互いに自分の流派を設立するにまで至った。と、いっても嵐山自身の流派は有名かと言われれば首を横に振らざるをえないほどの知名度ではあるが。
だが、嵐山はそれで十分満足していた。
はっきり言ってしまって彼自身、空手の才能はなかった。
いや、それは正しくもあり間違ってもいる。
確かに世の中から達人の一人とよばれるほどの腕前を持ち、そこに至れるほどの才能はあった。
だが、学生の頃からいつも傍にいた……巻島十蔵というとんでもない天才に比べれば才能は……ということになるが。
嵐山が一を行く間に十を飛んでいくような相手に正直な話、嫉妬を隠せない時もあった。
だから嵐山はただひたすらに己を磨いた。
努力に努力を重ねて……ようやく現在の……達人と呼ばれるだけの力を得たのだ。
もっとも、巻島が努力をしていなかったかというとそれも違う。
天賦の才に加えて信じられないような鍛錬好きとでも言うべきか……。驕ることを知らず上を目指しているのだから嵐山にとって巻島は嫉妬しつつも尊敬すべき親友なのである。
そんな巻島を頼るべく彼の指導する道場に行って……行きなり不意打ちをくらって意識を失うことになった。
「いやーわりぃわりぃ。つい癖で奇襲かけちまったわ」
ガハハと笑いながら道場に隣接する応接間のソファーにふんぞりかえっている巻島の顔面におもいっきり正拳突きを叩き込みたくなる気持ちを全力でおさえながら嵐山は巻島の正面に座った。
先ほど道場に入ったとたん遠慮なしの右回し蹴りが嵐山の即頭部に襲い掛かってきて……それを間一髪でかわすが体勢が崩れたところを巻島お得意の【吼破】によって数メートルは吹き飛ばされ気絶させられたのだ。
道場生曰く、人間が車にはねられたかのような勢いだった……そうだが。
そして気がついたらここの応接間まで引きずられて運ばれたようで嵐山の背中が無駄にズキズキ痛むうえにスーツが少しボロボロであった。
巻島に会いにくるたびになにかしらとんでもない目にあっている恨みもこめてギロっと嵐山は巻島を睨み付けるが―――。
「ん?お前もくうか?」
そういって能天気にもスっと煎餅を差し出してくる。
「……はぁ」
そういえばこういうやつだったな、と鬱になりながら煎餅を受け取りぼりぼりと齧る。勿論、味はわからなかった。
「んで、何のようなんだ、コテツ。電話じゃ話せないとかいってたけどよー」
「ん、ああ。すまない」
居住まいを正し気を引き締め巻島の瞳をじっとみる、
「これから話すことは決して口外しないでくれ、決してだ」
「めんどくせー話になりそうだけどよ、了解」
「まず、巻島。お前の力を借りたい。無論報酬はだす、破格といってもいい」
「ほー。で。どんな内容なんだ?」
「それはまた後で話す。ただ、命の危険がある、とだけは言える」
「命の危険ねぇ・・・」
ゾクリっと巻島の眼を見た嵐山の背中を冷たいものが走った。
そうだ、巻島はいつもそうだ。
生死に関わるといっても何の躊躇もない。喧嘩が三度の飯より好きなバトルジャンキー。
しかし、巻島は強すぎるのだ。
もう格闘家としてのピークはすぎたはずの年齢でありながらその強さ故に【鬼の手】などとすら呼ばれ日本で五本の指に入る空手家として知られている。
だからかもしれない、巻島は己の【敵】となる存在を何より欲している。
「上等上等、楽しめればなんでもいいぜ、俺はよー」
ニヤリと笑って巻島は拳を握りこむ。それに内心安堵して、嵐山は言葉を続ける。
「それと、巻島。お前が知る限りでいい。お前に追随する実力と実践をつんだ猛者をできれば三人……最低でもあと二人は知らないか?」
「なんだそりゃ?俺だけじゃ不安ってことか」
「いや、違う。俺としてもお前がいれば事足りるとは思うが……何分先方からの希望でな。戦力が少しでも欲しいって事だ」
嵐山とて自分が無茶をいっていることは理解している。
巻島に追随……そんな人間を日本中をさがしてもなかなかみつからないであろうことは。
自分とて、そんな知り合いはいない。だから巻島に頼るしかなかった
「んーいねぇなぁ」
「……そうか」
別に嵐山の心に失望はない。
逆に巻島だけとはいえ約束をとれたのは大きな成果だった。
先ほど言った巻島がいれば事足りる、そう言ったのは別にリップサービスでもなんでもなく純粋にそう思っただけである。
凡百の戦力よりよほど頼りになる天才、それが【鬼の手】巻島十蔵。
「お前の手が借りれるだけでも有難い、感謝する。他をあたってみることにするさ。詳しい話は後日あらためることにしよう」
そう言って嵐山はソファーから立ち上がろうと腰をあげたその時―――。
「館長ー!師匠と美由希ちゃんがきましたー!?」
タイミングをはかったかのように応接間にとびこんできた少年のような短い青髪の少女が……まさか客がいるとは思わなかったかのか目を白黒させてドアをあけた場所で固まっていた。
どこかで見たことがある少女だな……と嵐山が一瞬考え込み、そして巻島の次の言葉でその謎が解けた
「お、ようやくきたか、恭也のやろー。久々に本気でやりあってみっかね。晶、お前はとっとと着替えて道場いっときな」
晶……城島晶。以前、見た明心館空手の大会で上位に食い込んだ少女。
他とは一線を画する才能を見せ付けた、巻島の秘蔵っ子。
改めて近くでみると確かに、大成するその片鱗を見せ付ける。こんな才能を自分の手で育てられる巻島を嵐山は羨ましく思った。
「あ、それがその……師匠たちは、その……」
どこか気まずそうにごにょごにょと呟く晶を訝しげに見やった巻島だが……突然不機嫌そうに晶の後ろを睨み付ける。
「けっ、一緒にきてやがったのかよ、つまんねーの」
「そう、いつもいつも奇襲をくらってたら身体がもちませんよ」
その声をきいた途端ドクンッと激しく嵐山の心臓が波打った。
嵐山の視線の先には……黒尽くめの青年、高町恭也と三つ編みの少女、高町美由希の二人が立っていた。
―――なんだ、これは。
嵐山の本能が悲鳴をあげる。
嵐山の理性がこの男女は【何】なのかと絶叫する。
ゴクリと嵐山はいつのまにか口の中にたまっていた唾を嚥下し、震えていた右手を強く握り締めた。
一瞬だが、気が遠くなったがなんとか気をしっかりもって両足に力を入れる……。
「あー、恭也と美由希。それに晶、先に道場いっててくれや」
しっしと追い払うようなジャスチャーをして巻島が三人を応接間から追い出した。
「では、道場で」
「失礼しました!!」
「失礼します」
三者三様の言葉を残して道場へ向かってからおよそ一分。よろよろと嵐山はソファーに座り込んだ。
未だ震える両手を膝の上でつよく握り締め、頬を流れる脂汗がたれスーツに染みを作る。
そんなことさえ気にならないかのように数度の深呼吸をして、ようやく震えがとまった。
「巻島……聞きたいことがある」
「なんとなく予想はつくけど、なんだ?」
「あの少女は……幾つだ……」
「んー確か今年で十七か、そこらだったはずだけどなー」
「……十七か」
その事実に唯愕然ととする嵐山。
「……強いな」
「そーだなぁ。本気をだせば美由希に勝てるやつなんざ同年代じゃまずみあたらねーな。むしろ、ある程度上の年代をみても同じか」
嵐山とて一応は達人と称される人間。
それゆえにある程度の実力は向かい合えば感じ取れるが……あの少女は彼の感知の枠外であった。
比較すれば自分の才能など路傍の石のごとく見えるであろう、深淵の才能。
才能だけならば……あるいは巻島よりも……
「まさかな……」
およそ五十年……自分が生きてきた年月の中、間違いなく最上位に位置する才能と努力によって得たその実力は恐らく自分を超えているだろうと頭のなかで冷静な部分がそう告げてきた。
「もう一つだけ聞かせてくれ」
「おお、別に良いぜ」
「あの……あの青年は、【何】だ?」
「あー恭也のことか?」
「恭也というのか……青年のことだが」
「そうそう、俺の古い知り合いのガキなんだがな。面白いやつだろう?」
何が面白いものか!!と、思わず嵐山は叫びだしそうになった。
そこで叫ばなかったのは普段の巻島の無茶苦茶ぶりにつきあっていたためだろう。
「狂ってるな……彼は」
「ある意味そうかもしれねーな」
何が狂っているというのか。
それは、言ってしまえば―――恭也の在り方。
「彼は……彼の才能は俺と同等か、少しうえ程度といったところか」
「妥当な線だな。まぁ、美由希の足元にもおよばんくれーだな」
「……ああ。そうだな」
暗に嵐山の才能は美由希の足元に及ばないといわれたも同然だが、事実だけに否定できずただ頷いた。
「あいつはな、自分が周囲にいる他の人間のような飛びぬけたような才能がないってことにガキのころに気づいちまった」
「……」
「だからだろーな、才能を補う為にただただ努力を重ねた。そこらへんはお前と一緒かもしれないな、コテツ」
「似ている……かもしれないな」
「唯一つの違いがあるとすれば……諦めなかったことか。ヒトという限界、努力という限界、年齢という限界。そんなもん全部ぶっ壊してあいつは狂ったような修行を重ねやがった」
どこか遠い眼をしながら、そしてどこか後悔しながら巻島は語る。
「信じられるか?他のガキが公園で遊んでいるようなー小学生の頃から、あいつは一日も欠かさず……ちげーな、一分と欠かさずあいつは己を高め続けた」
「……信じられん」
「だがよ、それが事実だ。その集大成が今の恭也だ、決して朽ちず曲がらず折れずの信念の元に鍛え上げられた努力の結晶。二十年という年月で作り上げられた【努力】の鬼才、それが高町恭也だ」
努力だけで俺と同じ場所までのぼってきちまいやがったっと、嬉しそうに笑う巻島をみて嵐山は愕然とした。
認めているのだ。自分が知る限り最も強き【鬼の手】巻島十蔵がまだ二十になるかならないかの若造を自分と同等と。
だが、あるいはあの青年……恭也ならばそれもそうかもしれない、と自然と納得できるものがあった。
そして、あの二人ならば……自分より明らかに強い、底知れない若者二人。【鬼才】高町恭也と【天才】高町美由希の二人はまさに自分の必要としている強者。
「巻島……頼みがある……」
嵐山は未だ二十にもならない二人の若者を修羅道に導くことになるのを後悔しつつも、その言葉を発した。
「彼らを……俺に紹介してもらえないか?」
「紹介だけなら別に構わねーけど。どうなるかはわからんぞ?」
「ああ。それで十分だ」
「んじゃ、ちっと待ってな」
巻島はそう言い残して道場へと向かう。残されたのは嵐山のみ。巻島が騒がしい分、一人になると急に寂しくなった感じがする。
そんな静寂の中で待つこと数分。巻島が背後に恭也と美由希を引き連れて戻ってきた。恭也と美由希が嵐山に気づき一礼する。
嵐山もソファーから立ち上がり習うように頭をさげる。
「そんなお見合いみてーな真似してねーで、さっさと話を済まませちまいな」
身もふたも無い発言をして巻島は近くにあった椅子を引いて音を立てて座る。少々呆れたように三人もソファーに腰を下ろした。そして、嵐山が口を開いた。
「初めまして。嵐山虎徹という。一応、巻島の友人をさせてもらっているよ」
「初めまして。高町恭也です。館長とは以前から稽古を付けていただいてます」
「高町美由希です」
自己紹介を済まし一拍を置く。巻島がちゃちゃを入れる前にと、嵐山が言葉を続ける。
「これから君達に頼むことは他言無用で頼む。勿論受ける受けないは君達の自由だ」
「わかりました。お約束します」
先ほど互いに巻島に紹介された嵐山と恭也、美由希は応接間にてソファーに座りながら向かい合っていた。
巻島だけは面白そうに少し離れた場所の椅子に座り足を組みながら3人を眺めている。
「君達に頼みたいことがある、とある人の護衛だ」
「護衛……ですか?」
そう聞き返す恭也の声色にはわずかな戸惑いが含まれている。
護衛というものも一朝一夕でできるようなものでもない、それを今日あった初対面の人間に頼むなど……。
疑問に思うことは多々あれど、恭也は先を続けるよう促す。
「依頼主は……俺の師でもある影山竜蔵(かげやまりゅうぞう)だった」
「……影山竜蔵?その人って……!」
「そう、高町さんも知ってのとおり巻島と同じく【五指拳】に数えられた【虎殺し】の影山。齢七十を越えながら未だ現役だった人だ」
「……だった、とは?」
突然出てきたビッグネームに口を大きくあけてポカンとする美由希とちがい恭也は、鋭く質問する。
「影山師は……先日亡くなられた。いや、殺されたのだ」
「え!?」
「……」
「あの、じじいが……殺された!?」
その事実を巻島も知らなかったのか思わず声を荒げる。それも無理もない。
滅多なことでは弟子をとらず、七十近くまで空手一筋でありながら彼の弟子は数えるほどしかなかったという。
だが、影山の実力は本物で年齢問わず実力で定められる【五指拳】に七十を越えながら名を連ねていた真の強者。
その影山竜蔵が殺されたというのだ、新聞やテレビで報道されてもいい内容のはずだが……。
「残された影山師の家族……お孫さんの一人しかいないのだが、彼女も命を狙われている」
これをみてくれ、と嵐山は恭也に数枚の写真を渡す。
その写真には、洋風の部屋に血文字のような真っ赤な漢数字がかかれた和紙が壁に貼り付けられているものが……撮られていた。
最初の写真には三日前の日付と共に伍の数字が。次は一昨日の日付と共に肆が。昨日の日付の写真には参。
「……これは……」
「数字?なんなんですか、これは」
半ば呆然とする恭也と訝しげにする美由希。そしてそれをみて眼を見開く巻島。
「まさか【北斗】ですか……」
「こんなこった真似すんのは奴らくらいしかいねーな……」
一日経つごとにカウントダウンをするかのように鍵を締め切っているはずの部屋に残されていく和紙。
いつでもお前の命は刈り取れるのだ、という意味合いもかねて残される数字。
そしてその数字が0になったとき……狙われた被害者は確実に命を奪われる。
「……これは一般には広がってないが数年前から活動している暗殺集団【北斗】のやりかただ」
「暗殺集団……?」
「ああ。お前はまだ知らないかもしれないがそういった組織はいくらでもある。そして需要もな……以前のチャリティコンサートのように」
唯一分かっていない美由希に苦々しげに呟く恭也の言葉に彼女は唇を噛み締める。
自分の姉ともいえる存在が関わっていたチャリティコンサート、そこで行われたことは自分の身で経験したこと。
なにを平和ボケしていたのだろう、と美由希は己を戒める。
「狙われたのが【北斗】とは……幸運というべきか不幸というべきか」
「まーそうだな。敵は七人か……人数がはっきりしている分やりやすくはあるな」
「後は各個人がどれほどの力量か……」
「影山の爺を殺れるだけのやつらってことだな、確かなのは。あの爺も充分化け物やってやがったからなぁ」
「……油断できませんね」
「くっくっく」
ゴキリと指をならし巻島は獰猛な肉食獣のように笑う。
「ええっと……七人ですか?」
おそるおそる手をあげて質問してくる美由希。確かに今の巻島と恭也の会話に割り込むのには多少勇気が必要であった。それに恭也が頷く。
「……【北斗】とはわずか七人【貪狼】【巨門】【禄存】【文曲】【廉貞】【武曲】【破軍】と名乗る七人から構成されている。はっきりいって組織としては三流だ」
「え?三流?でも、影山さんが殺されたって……」
「勘違いするな。組織としては三流だといったんだ。仮にも暗殺集団が組織の人数と名前まで公にだしてどうする」
「あ、確かに」
「人海戦術や重火器に頼らない分、護衛としてはやりやすいが……七人全員が恐ろしく強い。組織としては三流、各個人は超一流だ」
「く、くわしいな……恭也君」
ある意味自分より【北斗】に詳しい恭也に嵐山は目を丸くする。恭也はこうみえても片足はそちら側に踏み込んでますから、と苦笑する。
まだ20ほどの青年がそう言ってくる事実に嵐山は気を重くする。
「先ほども言ったが幸か不幸かといったのはそういうことだ。敵は七人と分かっているし、奴らは銃などの火器には頼らない。故に遠距離からの狙撃もない。それに奴らはこの数字による絶対予告をまもる。守る側からしてみれば非常にやりやすい」
「よーするに七人ぶちのめせば終わりってわけだ」
「……まぁ、そうなんですが」
ニヤリと巻島が身も蓋もなく締めくくる。分かりやすく纏めてしまうのが巻島十蔵である。
「昨日の日付で参ということは、あと二日ですか」
「ああ。必死で人を探してはいるんだがなかなかね……奴ら相手に無駄に人数を増やしても意味がない。だから君達の力も借りたいんだ」
「……」
「【北斗】相手にまだ若い君達に頼るしかないというのも情けない話なのだけどね……俺達がしっかりしていればよかったんだが」
ふっ、と嵐山が皮肉気に自嘲する。自分の力の無さを笑うかのように。
「影山師に先日頼まれていたんだ、自分にもしものことがあったら孫をたのむと。そのとき様子がおかしかった師に気づかず見殺しにしてしまった、そんな自分に腹が立つよ」
だから、頼まれた孫のことだけは命に代えても護りたいんだ……と真剣な表情で恭也の眼をみる。
そこに一切の下心はない。何の曇りもなくただ、護りたいという意志が嵐山の瞳にあった。
「……きょーちゃん」
クイクイっと恭也の袖を美由希が引っ張る。恭也が美由希に視線を向けるが、美由希はそれ以上何も言わない。
いつも優しげなその表情を鍛錬のときのように引き締め、ただ、黙して恭也と相対する。
恭也は内心、ため息をついた。
この話を聞いたのが自分だけだったら何の躊躇いもなく首を縦に振ったであろう。
巻島の知り合いであり話を聞く限り充分信用できる相手だというのはこの短い時間で掴み取れた。
個人としても噂に名高き【北斗】と一度闘ってみたいという私欲もある。
だが、問題は美由希だ。指導している立場からいって、身内の贔屓目をぬいても美由希は強い。
命をかけた戦いこそ未経験なれど、恭也との実戦にちかい試合はほぼ毎日であり数え切れない。
この護衛に連れて行けば確実に【北斗】との戦いになる。
果たして【北斗】と闘ってどうなるか。下手をして生涯影響を負うような怪我になればと思うとゾッとする。
しかし、いつまでも自分の手元においておけるわけではないのも恭也は理解している。
それに【北斗】相手に勝ちを拾うことができれば美由希は確実に【化ける】。
いや、今の美由希なら例え【北斗】だろうが……恐らく勝てる。
それほどの実力があると、恭也は確信する。
命をかけたギリギリの戦い、今回のこれは美由希の起爆剤となるはずだ。
恭也が理想とする最強の【御神の剣士】。
御神史上最高の才能とたゆまぬ努力、命のやりとりによって高町美由希が完成されるのだ。
恭也の背中が鳥肌で泡立つ。
自分では到達できないそこに美由希が行くのだ。こんな嬉しいことはない。
美由希を鍛えるためだけに。美由希を完成された御神の剣士にするためだけに。美由希を【最強】にするためだけに。
そのためだけに恭也は【在る】のだ。 自分自身の夢も希望も意志も必要ない。ただ、それだけを幼きあの日に誓った。それだけが恭也の信念を支えているのだ。
利用するようで申し訳なく思い、必ず護ると未だ見ない依頼主に誓う。だが、そのためにこちらも【北斗】を利用させてもらうと、心の底に沈めながら。
「分かりました……微力ながら不肖高町恭也、高町美由希の力を御貸しします」
この日この時、嵐山は……高町恭也という鬼札を手に入れることになった。
七月 二十五日 18:00
海と山に囲まれた静かな街、海鳴。
ゆっくりとしたい時に訪れたい観光地ランキングにも数えられてはいる。
実際にはとんでもない実力の人間やら物の怪が跋扈する日本一危険な街ではあるが。
そんな海鳴の一角にある今時珍しい和風の家……高町の表札がかかっている日本家屋。
いつも騒がしい、時には晴れているのに雷が落ちたような轟音が鳴ったり人が吹き飛んできたりどう考えても娘と同い年にしか見えない女性が出入りしたりと近所で近づき難い家ナンバー1のレッテルをはられている人外魔境。
そこに嵐山との話も終わったあと、本来の目的である巻島との死合、いや試合を行った恭也は一時間弱という長さととんでもない内容の濃さに自信をなくした嵐山が肩を落として帰っていったが……美由希と高町家に帰宅していた。
玄関に手をやると何の抵抗もなくあいたので先に帰った晶が夕飯の用意をしているのかと恭也は考え美由希とキッチンに向かった。
「だーかーらー、お前は調味料いれすぎだっていってんだろ!カメ!!」
「あーもう、サルはだまっとき!」
晶と―――高町家にもう一人いる妹分。鳳 蓮飛(フォウ レンフェイ)の言い争う声が聞こえヤレヤレと首を振るとそのまま争う声がきこえるキッチンに足を向けた。
キッチンにはやはり晶とレンが居り、器用にも両手で料理をしながら蹴りの応酬をしている。
無駄にレベルが高いな、と感心しつつ釘を刺す。
「ほどほどにしておけよ、二人とも」
「あ。おししょーお帰りなさい」
「お帰りですー師匠!!」
突然声をかけられビクっとするも笑顔で挨拶する。
ちなみに恭也の後ろでは私も帰ってきたんだけどなーと美由希がいじけている。
それを無視して恭也は二人が料理をしているのを見て目を細める。
「ほぅ、今日の夕飯は二人の合作か?」
「いちおーそうなんですけど、おさるがさっきから邪魔ばかりしてきて」
「んだとぉ!何言ってやがるカメ!」
今度は両手から器具をおき睨み合う。
「やっぱりてめーとは一度決着つけておかないといけないみたいだな」
「……のされた回数もおぼえてへんのかい」
「う、うるせぇ!今日こそ勝つ!!!」
図星をさされて顔を赤くした晶がダンッと踏み込み正拳突きを放つが、レンはあっさりとかわし懐にもぐりこむ。
そして軽く手を晶にあて……。
「ハッ……!」
晶を上回る踏み込みの音。零から全開へ。
とある武術では奥義とさえされている【発勁】。
それをまるで呼吸をするかの如く自然にうてるレンはまさしく天才。
美由希とは方向性が違うがやはりレンの才能は恭也を戦慄させる。
「う、ぅあぁあーーー!」
悲鳴を残して晶の体が軽いとはいえ―――レンはもっと軽いが、吹き飛ばされる。
しかも吹き飛んだ方向は恭也のいる方向。
「……」
一瞬受け止めようと腰を落とすが……恭也はあっさりと吹き飛んできた晶を避けた。
「……へ?」
そして当然の如く後ろにいた美由希に勢いよく激突して二人仲良く床に倒れる。
「今の発勁はすばらしいな。俺でも今のは再現できるか……」
「え?いややわーおししょー。褒めすぎですよ」
思わぬ賞賛に顔を薄紅色に染めレンがわたわたと手を振る。
勿論、恭也自身誉めすぎてるなどとは決して思ってはいない。
物覚えがついたころから入退院をくりかえしてきたレン。
その頃に請われるままに病室で見せた中国拳法。
それを病弱でありながら何度も繰り返し晶すら軽くいなすほどにまで高め上げた。
努力をしていないわけではない、それでも恭也や美由希、晶ほどではない。
だが、圧倒的な才能がそれを成し得たのだ。
「な、なに何でもないかのように話してるの!?」
倒れていた美由希が上に覆いかぶさっていた晶をなんとかどかして復活。
「……あれくらい避けろ、馬鹿弟子」
「きょーちゃんが受け止めるとおもったのに!というか途中で受け止めるのやめたでしょ!」
「知らんな。責任転嫁はよくないぞ。己の非は潔く認めろ」
「ええ!?悪いの私!?」
「十割お前だな」
「そ、そういわれると……」
本気で悩み始めた美由希を生暖かい眼で見守りつつ、倒れている晶の手を掴んで引っ張り起こす。
「怪我ひとつしないとは相変わらず柔軟な身体だ」
「あ、ありがとうございます!」
ようやく先ほどの衝撃から立ち直った晶が恭也に支えられながら立ち上がる。
毎回こんなことを繰り返していながら晶は怪我一つしたことがない。うまい具合にレンが手加減しているのか晶の柔軟な身体がダメージを逃がしているのか。
おそらく両方だな、と一人納得する恭也。
「夕飯楽しみにしている」
「「はい!!」」
見事にユニゾンした返事を残し晶とレンが料理に戻る。未だ悩んでいる美由希を視界にいれないようにリビングに戻りソファーに座りテレビをつけた、その時。
「「ただいま~!!」」
こっちも見事にユニゾンした高町家の大黒柱と末っ子が元気に帰宅されたようだ。
ドタドタと歩く音が聞こえリビングにやってきたのは二人。
一児の母とは思えない……下手をしたら学生にすら見えかねない若作りの高町桃子。
高町家の末っ子にして小学生なのにあらゆる機械を使いこなす高町なのは。
「おかえりなさーい、かーさん、なのは」
「桃子さんになのちゃんおかえりー」
「おかえりですーなのちゃん、桃子さん」
いつのまにか復活した美由希と晶、レンが二人を迎える。
「あ、おにーちゃん。ただいま」
「ああ、おかえり。なのは」
ふっと表情をゆるめトコトコと近寄って来たなのはに笑いかける。
美由希曰く、自分に厳しく他人にも厳しい恭也だがなのはにだけは甘い。
恭也はそう思っていないが周囲は皆同じような認識のようである。
「あら、恭也は桃子さんにはおかえりっていってくれないのね……」
「……おかえりかーさん」
およよっと泣き真似をする桃子を適当に相手をする恭也。そこらへんはもはや慣れたものだ。
「ああ、そうだ、かーさん。俺と美由希は明日から少し泊りがけで出かけることになる」
「明日から?随分急ねー。仕事でも入ったの?」
「まぁ、そんなところだ」
「美由希も一緒にというのも珍しいわねー」
「先方からの希望でな」
「へへーそうなの。気をつけなさいよー」
「ああ、気をつけよう」
「美由希も頑張んなさいよー」
「うん、きょーちゃんの足手まといにならないよう頑張るよ」
「何日かかるかわからないが……早ければ明後日には終わると思う。実際どうなるかわからないが……」
「りょーかい。時間がかかってもいいから二人とも無事でかえってきてくれたら桃子さん何にもいらないわよ」
「……努力しよう」
「あはは、頑張ってくるね」
恭也は家族の会話を聞きながら今回は厄介なことになりそうだな……という予感がどうしても頭から離れなかった。
何度呟いたかわからないがヤレヤレと今日幾度目かになるため息をついた。
七月 二十六日 17:00
翌日恭也と美由希は巻島と共に海鳴から電車で一時間ほど離れた影山邸を見上げていた。
「おお、でけーな」
「ペンションみたいだね。きょーちゃん」
「……そうだな」
恭也たちが考えていたより影山邸はずっと広かった。普通の家の数倍はあろうか……しかも三階立てという美由希がいったようにペンションのような感じである。
呼鈴を鳴らし少し待つと家から嵐山がでてきて、恭也達に手を振る。
「遠いところをわざわざ有難う。助かったよ」
「まったくだ、茶ーだせよ、茶」
「……館長」
「な、なはは」
ストレートな巻島に苦笑いの恭也と美由希。いつものことだ、と苦笑する嵐山。
「早速だが家の内部を案内しよう。やはり勝手がわからないと困るだろうしね」
「依頼者の方はよろしいのですか?」
「ああ、彼女の方は大丈夫さ。まだ日付が変わるまで少々時間もあるし、他の人に護衛についてもらってもいる」
「お、他の護衛の奴らみつかったのか?」
「ああ、おかげさまでな。かなりの腕前の人たちだ。必死で集めたんだが、俺や巻島と恭也君、美由希さんを除いて八人だな」
「というと、護衛は全員で十二人ですか」
「そうだね」
「……問題は【北斗】が何人で来るのかですね」
「そうだね……恐らく最低でも二人。予想としては三人か……最悪でも四人か」
「七人全員でくることはないですからね、【北斗】も」
「あれ?そうなの?」
「ああ。少人数で動くらしい、奴らは。もっとも油断大敵だが」
「そうなんだ」
「襲撃してきたやつを全員ぶったおせばいいだけだろう、ごちゃごちゃ考えんな」
「「「はぁ……」」」
いい加減この人を誰かなんとかしてくれないかと三人が三人を見て首を振る。
これくらい単純に考えれれば人生楽だろうなーと嵐山が半ば現実逃避をして遠い眼をする。
それからおよそ一時間ちかくかけて影山邸を案内してもらった後ようやく二階の一部屋に到着した。
ドアをあけた部屋には九人。
なるほど、嵐山の言った通り皆かなりの腕前なのは一瞬で見て取れた。
注目される恭也と美由希。何故こんな若い連中がくるのかとでも思われてるのか、と恭也は漠然と感じ取った。
この年齢のせいで侮られることには慣れている。そんな視線をあっさりと受け流す恭也。
美由希自身も全く気にしていないようで逆に恭也はそれに驚かされた。
かといってこの好奇の視線を浴びるのも気分がいいものでもなくどうするかと考える。
「……ま、まさか【鬼の手】!?巻島十蔵!?」
彼らのうちの誰かが巻島を見て叫んだ。
「ああん?」
ゴウっと風のない密室の中で生暖かい風が吹いた気がした。
巻島の隠す気のない闘気。
それに中てられて護衛全員が後退さった。
「何、仲間を威嚇してるんですか」
呆れたような恭也の声に巻島がニヤリと笑う。
「最初に仲間の力量くらいはしらべておかねーとな」
「もっと普通の方法にしてください」
「はっはっは」
ふっと風が止んだ。
思わず息をつく八人。平然としていたのは恭也と美由希。そして慣れている嵐山くらいのものだった。
「てめーらにいっておく」
巻島は親指で恭也と美由希をさしながら―――。
「この二人はつえーぞ」
下手したら【五指拳】クラスにな、と愉快そうにガハハと笑う巻島を呆れたように見る恭也。
もっとも他の護衛連中は愕然としていたが。
「あ、あの……」
そんな中声をかけてきたのは若い女性。恭也と同年齢くらいの……ショートヘアに縁なしの眼鏡をしたビクビクとお辞儀をする。
「今回は宜しくお願いします……」
「ああ、すまない、咲夜(サクヤ)さん。遅くなりまして。巻島、恭也君、美由希さん、こちらが影山師のお孫さんの影山咲夜さんだ」
「巻島十蔵。この嵐山の一応ダチってやつだ」
「初めまして。高町恭也です」
「あ、高町美由希です!」
「有難うございます……こんな危険なことに巻き込んでごめんなさい」
再度深々とお辞儀をする咲夜。眼の下に隈ができ少しやつれている。
さすがに自分の命のカウントダウンがされているなかなら当然である。
「心配なのはわかります。ですが、これだけの護衛がいるんです。命にかえても俺達が貴方を護ります」
今のところ俺が参加した護衛の仕事では……依頼主を護りきれなかったことはないんですよ、と咲夜に少しだけ笑いかける。
口下手な恭也なりの励ましの言葉だったのに気づいたのか咲夜は力なくだが、微かに顔を綻ばせて頷いた。
「少し今のうちに休んだほうがいいですよ、咲夜さん」
「……ええ、そうします」
咲夜は嵐山に進められるまま洋間からドア一枚隔てられた寝室に向かっていった。
バタンとドアが閉まったのを確認し、嵐山は深く息をつく。
「……疲れていますね」
「ああ、表の世界で普通に生きてきた女性だ……無理もない」
「ところで【北斗】への依頼者ですが……誰か心あたりでも?」
【北斗】全員と戦うよりも彼らに依頼した元を押さえる。
場合によってはそうした方法を取らなければいけない可能性も考えるが嵐山はかぶりを振る。
「……俺もそれを第一に考えたが、奴等に依頼した男はすでに死んでいる」
「まさか【北斗】が?」
「いや、執念とでもいうべきか。自分にかけた保険金を【北斗】にたいする報酬として自殺していた」
「……参りましたね」
「ああ。結局のところ【北斗】全員をどうにかしなければいけない」
厄介なことだと渋面の嵐山をおいて恭也は部屋の内部を見渡す。
以前見せてもらった写真に写っていた洋風の部屋のようで広さも高町家の道場ほどある。
―――ここが戦場になるか。
できれば外で迎え撃ちたいがそう楽をさせてもらえる相手ではないだろう。
「美由希。少しいいか?」
「うん?どうしたのきょーちゃん」
「【北斗】だが、敵は自分達の名前をわざわざ名乗るらしい」
「あ、そうなの?」
「ああ。名前を売るためかどうかわからんがな。もしその中で【破軍】と名乗る奴がいたらそいつは俺か館長にまかせろ」
「【破軍】?」
「そうだ。【北斗】のトップらしき存在で、話を聞く限り奴らの中でも飛びぬけた化け物だそうだ」
「うん、わかった」
「どうしても戦ざるをえない状況に陥ったら最初から全力で行け。【神速】も許可する」
「……はい師範代!!」
御神流の奥義【神速】。自分達の本当の奥の手。
それを使ってもいいと言う恭也に美由希は今度の敵の強大さを思い知る。
だが美由希の心は驚くべきほど静かなものだった。
以前のチャリティコンサートを除いてほぼ初めての実戦に近いというのに。
恭也がそばにいるためか。 自分の師でもある恭也が負けるというイメージが湧かないのだ。
そしてそんな恭也と日々実戦形式の鍛錬。
それが美由希の自信となっていた。
慢心ではなく自信。
美由希は……腰元に挿してある小太刀をグっと握り締めた。
少しずつ時が流れ時計の短針と長針が十一を指す。
いやがおうにも緊張感は時間と共に高まっていく。
咲夜を部屋の中心に恭也を含む計十二人の護衛が油断なく周囲を窺う。
やけに時計の音がコチコチと大きく響き渡る。
誰かの息の音すら聞こえる静寂のなか時計が―――遂に十二の数字を指しゴーンという音が鳴り響いた。
誰もが最大に集中力を高めるなか十二回の時計の音が鳴り終わって、何も起きなかった。
フゥと幾人かが息をついた。
一瞬の気の緩み。その時、ガシャンというガラスの割れる音が響きバルコニーから三つの人影が乱入してきた。
一人は二メートルはありそうな鋼の手甲をした大男。
一人は長身痩躯の男。
一人は口元をマフラーで隠した長身の女。
「はっはっは!こんばんはではじめまして、そしてさようならだ、人間ども!【北斗】が六座【貪狼】様のお出ましだ!」
長身痩躯の男、貪狼が高笑いしながら両手をブンと振るう。すると手品のように指の間にナイフが―――合計八本現れた。
「同じく【北斗】が七座【巨門】」
「五座の【文曲】」
大男と女性が構えを取り、女性が手に持っていた数十センチの筒状のようなものを振るう。
するとカカッという音を残し二メートル近い槍に変化した。
様子を見ている恭也たちを尻目に、三人の気配がグっと一瞬で濃くなったかと思うと全員の瞳が【真紅】に染まる。
「カッ!!!!!」
巨門の声とともに発せられる殺気。
質量さえもっているのではと感じられる殺気が護衛全員を襲う。
それはただの威嚇。言ってしまえば獅子が獲物の前で吼えるのと同じ行為。
だが、それだけで十分だったのだ。
皆ある程度の実力をもっているがゆえに巨門が放った殺気を感じ取ってしまい相手との力量さを感じ取ってしまった。
そして、それは嵐山とて例外ではなかった。
嵐山には実力があった。信念があった。護ろうという意思があった。
そんな決意があった嵐山すら巨門の殺気をその身に受けて心が折れた。
すまない、すまないと心の中で謝りながらそれでも身体は動こうとしなかった。
巨門の殺気に耐え切ったのはわずか三人。
恭也と美由希と巻島。
「……三人、だと?」
貪狼の戸惑ったような声。
さきほどこの部屋に飛び込んでくる前に感じ取った気配からして耐え切れるのは二人だとほぼ確信していた。
自分達が気配を読み違えるはずがない。
「……なんという気殺の技」
文曲が油断なく槍を構え恭也を睨み付ける。
そう、恭也は周囲の護衛たちと同レベル近くまで己を殺していたのだ。
襲撃者達を錯覚させるために。
もし、これが他の状況だったなら貪狼達は気づいた可能性が高い。
今回は巻島が傍にいたから、気配を一切殺そうとせず逆に自分はここにいる、と【北斗】に教えるために荒々しい気配を発していた。
それにまぎれるように恭也は居たのだ。例えどんな達人とて見破ることはできなかっただろう。
その事実に気がついたとき【北斗】の動きが止まった。わずか一秒にも満たない時間。
それでも恭也と巻島には十分だった。
「潰すぞ!!!」
巻島が吼える。
決して油断できる相手ではないのを巻島も【北斗】も互いに感じ取っていた。
そのために最初から全力。
巻島の床をえぐるような爆発的な踏み込みの音が響き渡る。
「美由希!」
たった一言。
【北斗】が【夜の一族】の証明たる真紅の瞳をした時に恭也は一瞬とはいえ歯噛みをした。
そして、敵の威嚇によって自由に動けれるのはわずか三人。
嵐山すらも戦力外になるのは完全に予想外であったために幾ら恭也とはいえ戸惑いを生んだ。
嵐山の変わりに美由希に咲夜の護衛を任せて……自分と巻島で三人を叩き伏せる。
それを一瞬で判断しての叫び。
美由希はそれを、恭也の判断を以心伝心の如く受け止め咲夜の傍に寄る。
「っおおおおおお!!!!」
凄まじいプレッシャーを相手に与えながら巻島は疾走した。
わずか三歩の踏み込みで数メートルはあった距離を零とする。
巻島が向かうは巨門。それにほんのわずかとはいえ巨門の反応が遅れる。身体を捻る。そして放たれる拳。
普通なら確実に避けられるテレフォンパンチである。
巨門もまた、あたるわけがないとふみ、後ろに逃げようと足に力を入れた。
「ハァ!!!!」
ここで完全に巨門の予想を裏切る事態がおきた、いや起こされた。
先ほど巨門が行った威嚇をお返しだ、と言わんばかりに恭也が凶悪な殺気を巻き起こした。
勿論、【北斗】の三人を無効化できるかといえばさすがにそれは不可能。
それでもほんのわずかでも動きを縛ることはできる。
しかも巨門がまったく予想していない状況で恭也の殺気の嵐に直撃したのだ。動きが鈍るのも当然である。
そのために巨門は巻島の拳を腹部にまともに喰らってしまった。
鈍い音を立てて二メートルはあるはずの巨門がバルコニーにまで吹き飛ぶ。
それに眼をやる余裕は貪狼と文曲にはない。二人を牽制するのは底知れぬ相手の剣士。
ゆらりと恭也の身体がぶれる。
巻島の直線的なスピードとは異なる。
まるで現実でビデオのコマ送りを見ているかのような矛盾した速さ。
日本舞踊のような緩やかな動き。
それに虚をつかれたかのような貪狼と文曲。
舌打ち一つ、貪狼が恭也にナイフを投げる。だが、あたらない。
ナイフは恭也の残像を貫いて飛んでいった。
貪狼に向かって、疾駆。
だが、貪狼の直前で文曲の槍によって遮られる。
恭也が攻撃に転じようとしたときには文曲の槍がしなるように繰り出されていた。
うまい、と思わずにはいられない。反射的に舌打ちが部屋に響き渡った。
槍と小太刀の圧倒的なリーチの差。それを最大限いかすような文曲の槍さばき。
恭也ですら攻撃に移れないでいるのだ。
秒間数発という圧倒的な高速戦。
いくら恭也といえど小太刀が届かなければ敵を倒せない。
間合いを完璧に支配する文曲はまさしく戦いの申し子か。
「その小僧は任せたぜ!!」
貪狼は文曲に恭也を任せるとターゲット、咲夜にむかって走る。
夢か幻のような戦闘に眼を奪われていた咲夜の顔が恐怖にひきつる。
「美由希!!!!」
恭也の叫びに答えるのは高町美由希。
【北斗】三人が襲撃してきたとき最初はある程度の強さしかないと感じられたが瞳が真紅になった途端、気配がいきなり膨れ上がった。
一瞬とはいえ驚きを隠せなかった。それでも美由希の心に焦りはない。
確かに強い。予想通りに。自分でも確実に勝てるかといえばわからないと答えるしかない。
それでもあくまで【予想通り】の強さなのだ。
【予想以上】ということでは決してない。
日々、鍛錬を受けている高町恭也に比べれば如何ほどのものだというのか!!!
美由希は貪狼を常軌を逸した速さで向かえうった。なんと速く、正確なことか。
最後の踏み込みと共に抜刀。
「チィイイ!」
紙一重で貪狼はかわす。それでも頬の薄皮一枚を持っていかれた。
ただの少女とは考えていなかったが美由希の動きは貪狼の予想を遥かに超えていた。
近距離は不利だと判断して慌てて距離をとろうと大幅に後退する。
美由希は敢えて追撃せず、その場にとどまった。
ヒュッという風きり音をのこして美由希にナイフが迫る。
それを何の危なげなく弾き落とす。
そして、再び踏み込む。ザシュっという音とともに貪狼の二の腕から血飛沫が舞う。
「くそが!!!」
吐き捨てるように貪狼は腕を振るった。
腕からあふれ出ている血が目潰しとなって美由希を襲うが、それをあっさりと避ける。
今度は逆に貪狼が踏み込みナイフが縦横無尽に美由希を切り裂く。
しかし、恐るべき剣才。小太刀よりさらに小回りが利くナイフすらも全て防ぎきる鉄壁の防御。
さらに貪狼はスピードを上げていく。それでも防ぎきる美由希。
なんという激しい斬りあい。
徐々に徐々に貪狼の回転数はあがっていき美由希ですら防ぎきれなくなる。
嵐のような小太刀とナイフのぶつかり合い。周囲の端々で血が飛んでいる。
美由希の腕、頬と防ぎきれなかったナイフが皮一枚だがもっていかれている。
致命傷ではないにしろ血が飛び散っているのに美由希はなんの戸惑いもみせない。
そんな中わずかに鈍った貪狼のナイフを弾き落とすように横に薙ぐ。
貪狼は姿勢を低く掻い潜り、さらにその状態から機動性を奪おうと足を狙う。
美由希は横に回転、皮一枚斬らせることなく見事に避けきる。
バックスウィングのまま遠心力を利用しての一撃。
大きく後ろに逃げてそれをやりすごす貪狼。
それに追いすがる美由希、そして袈裟斬り。
幾分かの髪を切られながらも貪狼は見事にかわす。
何故だ、と貪狼は自問する。
スピードもパワーも明らかに自分の方が上だ。生物としての存在自体が。
なのに何故、自分が押されている。
理解ができなかった。こんな十代の少女に押されることなど認めるわけにはいかなかった。
―――自分は【破軍】に選ばれた【北斗】だというのに!!!
「っがぁああああああ!!!」
疾風と化した貪狼が走るり、美由希を殺さんがためにそのナイフを煌かせる。
それでもそのナイフは美由希に届かない。
完璧なまでの受け流し、そして一閃。
なんともいえない肉を斬る手ごたえが美由希に伝わる。それにわずかに顔を歪める。
「ギィアア!!!!」
美由希の小太刀が貪狼の片目を切り裂いた。
片手で顔を押さえ、ナイフを美由希に投擲。追撃を防ぐ。
美由希も、また咲夜の元までもどって一息。
それとほぼ巻島と恭也も美由希の傍まで戻ってきた。巻島は所々服が破れていたり痣がみてとれるが獰猛な笑みを浮かべたまま、たいした怪我は見当たらない。
恭也もほぼ無傷。文曲の槍術を全てさばき切っていたのだ。
「かかか。やるじゃねーか、美由希」
「―――見事だ」
「あ、ありがとうございます」
予想外に誉められ戦闘中ながら照れを隠せずにはいられない。
恭也の予想以上に美由希は戦っていた。互角どころか上回るほどに。
「……手強いな」
「大丈夫か、貪狼?」
「くそが!!!くそが!!!俺の右目が!!!!」
怒り狂う貪狼。それに対して巨門も隠してはいるが肋骨を何本か持っていかれているのを文曲は気づいていた。
五体満足なのは自分だけか……と冷静に判断する。
「……貪狼、巨門。今回は退こう」
「な……!!!ふざけんな!!!!!」
「ふざけていない。今回は無理だ。このまま続けても―――」
分が悪い、と文曲が悔しげに呟く。それに巨門も賛成の意で頷く。
なんという屈辱。たかが人間如きにこのような状況に陥らされたのは産まれて初めてだった。
任務は失敗。さらに加えて片目を潰されたとは―――!
それでも、仮にも自分の上位でもある文曲の言葉に従わざるを得なかった。
「女ぁぁあ!てめぇーは犯して殺して……死んだ後も犯してやらぁ!!んで、二度と剣なんざもてねーようにぐちゃぐちゃにしてやる!!!」
深い憎しみがこもった怨念を美由希にぶつける貪狼。
だが、それは駄目だった。その言葉だけは禁句だった。彼に対して。高町恭也に対して。
剣を持てなくしてやるなどと、高町美由希の剣士としての未来を奪うという言葉だけは決して冗談でも言ってはならない言葉であったのに。
「―――そうか。ならば、生かしておく理由はない、な」
深い深い深い地獄の底のさらに底の深淵から這いずり出たような混沌としたドロリとした声が貪狼の【耳元】で聞こえた。
「ッ!!!!!!」
圧倒的な黒い【何か】が背後から襲い掛かり死の波が押し寄せる。
今まで死線を潜り抜けてきた本能が最大アラームを脳内でかき鳴らす。
「ひッ!?」
夜の一族としての能力を全開に地面を蹴って横に転がるように逃げる。
―――チィン。
と、まるで風鈴が鳴ったかのような涼やかな音が部屋に響き渡る。
そして回転しながら空に舞うのは右腕。
貪狼の半ばから綺麗に切断されたソレだった。
「あぐぁうぁあおぉううううあああああああ!!」
感じるのは灼熱。
一拍おいて流れる激痛。
「貪狼!?」
「な!?」
すでに離脱しつつあった巨門と文曲が右腕を斬り落とされた貪狼を見て一瞬動きがとまったが舌打ち一つ、巨門は恭也に文曲は貪狼に向かっていった。
どうやって貪狼を斬ったのか頭に思い浮かばないが考えるのは後だ、とそれを成したであろう恭也と巨門は相対して……恭也と眼があった。
ゾブリと心臓に小太刀が突き刺さった。
否、それは幻影。
だが、ただ眼があっただけ。それだけで死のイメージを植えつけられた。
「文曲ぅうぅううう!!!!!逃げるぞ!!!!!!!」
【コレ】には勝てない。
【コレ】は自分の理解の外にいる。
一瞬で巨門はそう判断した。その悲鳴にもにた叫びに文曲は頷く。
文曲は貪狼の襟を掴むと何の躊躇いもなくバルコニーに向かって走る。
文曲とて分かっている。
目の前の化け物の危険性。
先ほどまではともかく今の彼は危険などというレベルではない。
言うなれば火薬がパンパンにつまった密閉空間の中で火を扱うような、全弾入った拳銃でロシアンルーレットをするような絶対死の予感。
少しでも気を抜けば先ほどから胃からせりあがっているモノをぶちまけそうなのだ。
兎が獅子と向かい合ったときこんな感じなのかな、と場違いなことを考えながら―――。
「とべ!!!!文曲!!!!!」
それはなんという幸運か。言われるより早く本能のままに飛んだ文曲を追うように恭也の抜刀。
数十分の一秒の差で文曲は命を拾った。
「くそったれがぁああ!!!」
纏わりつくような殺意を振り払うように巨門は鋼の手甲を装着した左右の拳を振るう。その速さといい動きといいなんと複雑なことか。
だが恭也はそんな荒れ狂う拳の波をまるで散歩するかのごとく避ける。
―――避ける避ける避ける避ける避ける避ける避ける避ける。
そして、一閃。
「ぐぃぁあ!」
巨門の身体を斜めに小太刀が走る。そして忘れていたかのようにあふれ出る鮮血。
「ぁぁあああ!!!!」
貪狼をバルコニーにおいて踵を返した文曲が槍を恭也に向けて突進する。
一度二度三度の突き。その余りの速さゆえにたった一度の突きにしかみえない三段突き。
まさしく神業。
なれど、迎え撃つは神すら殺すために数百年の歴史を刻んできた殺戮一族。
一切の油断もなく慢心もなく大地にそびえたつ巨木の如くそこに立つ。
「てめぇえええええええ!!!!!」
―――驚愕。
腕を失い苦痛に呻いていた貪狼が空中から恭也に襲い掛かる。
その血走った眼から理性は見えない。
それでも前方からは文曲。後方からは巨門。上からは貪狼。
完璧な連携。
【五指拳】の影山すらも抵抗することすら許さず屠った必殺の陣形。
しかし、恭也に焦りはない。
文曲の三段突きに向かって切り落とす。
穂先と小太刀がぶつかり合う。
ガクンっと文曲の槍から衝撃が伝わり手がしびれ身体が悲鳴をあげる。
たった一太刀。
斬られたわけではなく唯切り結んだだけ。
それだけで文曲の抵抗する意思と力を根こそぎ奪っていった。
走る閃光。
「っあぁあ!」
肩を斬られ文曲が吹き飛ばされる。
刹那の差を持って回転し巻き起こる刃。
後方の巨門を牽制。血を流し動きが鈍っている巨門にはそれで十分。
放たれる恭也の回し蹴り。それを右手で防ぐ巨門。
ボキリっと嫌な音がして恭也の蹴りを受けた巨門の腕が曲がってはならない方向に曲がった。
巨門もまた文曲の後を追うかのようにその巨体が空を舞う。
「あぁぁああ!!!!!」
二人が苦もなく一蹴されたが貪狼は止まらない。
恭也に向かってナイフを投げつける。左手だけで一瞬にして4本。
それでも恭也には足りない。
斬閃がはしる。軽々と全てを叩き落した恭也と貪狼の視線が絡み合う。
その時貪狼は見てしまった。
―――狂気と殺気がドロドロと混ざり合った自分など到底及ばぬ地獄の果てを覗いた狂人の瞳を。
「あ……ぁ……」
後悔した。眼の前にいる人間の姿をした化け物に戦いを挑んだことを。
だが、もう遅い。地獄行きの片道切符を自分自ら買ってしまったのだ。
唐竹を割るかのような縦一閃。
それはあまりに見事な、美しささえもつ一撃。
「……ちぃ」
舌打ちを残し恭也は貪狼の命を奪うことなく大きく距離をとった。
ガキィと今まで恭也がいた場所にナイフが刺さる。
ふと視線を飛んできた方向にむければ巨門と文曲以外にもう一人。
襲撃者三人よりもみかけはずっと幼い紫がかった黒髪のツインテールの少女。
腰元には姿かたちには似つかわしくない日本刀。
恭也の殺気を正面からうけとめながらツインテールの少女は微動だにしない。
「……【武曲】……」
巨門が息もきれぎれにツインテールの少女に声をかける。
「【北斗】の一員か」
「言う必要はないだろう……退くぞ、お前ら」
「逃がすと思うか?」
「……ならば僕と戦うかい?別に僕は構わないが」
「……」
睨み合う武曲と恭也。そして睨み合うこと数分か或いは数十秒か。
「行け」
恭也の短い一言。それとともに武曲は自分の倍近くある貪狼を背負う。
「【北斗】をなめるなよ―――小僧。この三人よりも僕よりも強い者が居る。【破軍】が貴様を必ず殺す」
そう捨て台詞を残し巨門と文曲とともに姿を消す。
これが【北斗】と恭也のファーストコンタクトであった。