「……あれ?恭也ー、頼んでた食材ちょっと足りなくない?」
「―――ああ、すまない。どうやら個数を勘違いしていたようだ」
「別にいいけど。珍しいわね、あんたが買い物間違えるなんて」
翠屋に様々な食材が入った買い物袋を届けに来た恭也だったが、桃子にそう突っ込まれて、フュンフに幾つか林檎を渡していたことを思い出す。
その後の喫茶店がインパクトが強すぎてすっかり買いなおすのを忘れていた。
手伝おうかと桃子に声をかけようとしたが、店内を見渡すとすでにお客は二組程度。後三十分ほどで閉店時間を迎えるため、オーダーストップということもあり手伝うまでもなかったようだ。
とりあえずこのまま帰るのは申し訳ないと判断した恭也は、厨房内に入り食器洗いなどの雑用をこなす。
菓子の材料等は意外と重いものもあり、そういったものをメインに運ぶ。翠屋は従業員がほぼ、というか全てが女性のため恭也は厨房で大変重宝されているのだ。
本当に人手が足りない場合―――急病やなにかで店内の人手が少ない時は恭也も手伝うのだが、年配の女性に受けが良かったりする。それはやはり恭也が幼い時から翠屋を手伝っていたのを知っているからだろう。
そうこうするうちに、店内の客もすべて居なくなり、翠屋の扉に臨時休業の看板をかける。
テーブルをある程度固めるように店内の中央に寄せ、すでに準備していた洋菓子や、軽食などを並べてた。
その間にすでに他の従業員は帰っており、店内にいるのはフィアッセと桃子と恭也の三人になっているが、時計を見ると五時を回ったところだった。
どうやら色々と時間をくっていたらしいようで、あまり時間の余裕がない。
その原因の一部は恭也が喫茶店で時間を潰していたこともあげられるのだけど。
「えっと……恭也の知り合いでくるのは……二人だっけ?」
「ん?ああ。赤星と月村の二人だな」
フィアッセが確認するように聞いてきたので、恭也も素直にそう答えた。
赤星と月村という名前を聞いて、桃子が首を傾げる。
「月村くん?月村さん?初めて聞く名前ねー」
「月村さん、のほうだ。そうだな……赤星みたいに家にはきていないが、学校ではそれなりに話す女性だ」
「「女性!?」」
フィアッセと桃子が驚いたようにはもる。
え、なにこの子。何言ってるの?と、二人の物言わぬはずの視線が、言葉よりも雄弁に恭也に突き刺さっている。
ガシャーンと翠屋にかん高い音が響き渡る。音の原因はフィアッセが手に持っていたボールを落としたからだ。しかし、二人ともそれが全く気にならないようだ。
「きょ、きょ、恭也!?お、女の子!?う、うそだよね!?そんなこと万が一にもないよね!?」
「ま、まて……フィア、セ……」
フリーズしていたフィアッセが勢い良く恭也の胸倉を両手で掴み前後に振る。
ガクブルと頭をふられつづける恭也だったが、段々気持ち悪くなってきたため、フィアッセの両手を掴むと、優しく外す。
恭也を殺して私も死ぬー、と泣き崩れそうなフィアッセを落ち着かせるように桃子がフィアッセと恭也の間に割ってはいった。
「あんたが女性を呼ぶなんて珍しいわねー?おかげでフィアッセが暴走しちゃったわよ」
「……な、なに?お、俺が悪いのか?」
なんとなく理不尽に責められる恭也が多少面食らったように、桃子ーと泣きつき始めたフィアッセにどう対処すればいいのか本気で悩む。
一体何故こんな事態になったのだろうか、と考え込む恭也。
もう駄目だ、こいつ。早く何とかしないと……と、生暖かい視線を送る桃子。
「で、どこまでいった関係なの?」
「どこまでもなにも、一日何回か話す程度だが」
「……聞き間違いかしら?もう一度聞きたいんだけど」
「だから、一日何回か話す程度だと」
「―――まぁ、そう、うん。あんたが女性を呼ぶなんて初めての快挙だったから期待したけど……期待した私がアレだったのね」
良かったわねーフィアッセと慰める桃子……その実ちょっとがっかりしていたようだが。フィアッセは暫く呆然としていたが、たっぷりと一分もかかってようやく恭也の言葉を理解したのか、立ち直る。
暴走状態になっていた自分が恥ずかしいのか、耳まで赤くしていた。
「も、もう。恭也ってば―――あまりおねーさんを驚かせちゃ駄目だよっ」
「あ、ああ……気をつけよう」
昼間にされたように、ちょんっと鼻先に人差し指をあてられる。
実際は恭也は何故こんなにフィアッセが暴走したのかあまり分かっていなかったが。
兎に角、落ち着いたフィアッセ含む、桃子と恭也で準備を続ける。フィアッセと桃子が料理の準備をし、恭也がテーブルや椅子の移動及び飾りつけを行う。意外に思うかもしれないが恭也は手先が器用なためこういったことは得意だったりするのだ。
そうこうするうちに翠屋の扉がカランカラーンという響きの良い音をたてる。
「あ、申し訳ありません。本日はもう閉店と―――」
「手伝いにきたよーかーさん」
「美由希ちゃんと同じです」
「家の方で作った料理を持って来ました!!」
やってきたのは美由希とレンと晶の三人で、その手にはラップに包まれ皿に盛られた料理が持たれていた。
レンと晶の二人の合作なのだろう。美味しそうな匂いが恭也の鼻をくすぐる。しかし、そこでふとした不安に襲われた。
「―――まさかとは思うが美由希、お前も料理をしたのか?」
「私も手伝おうと思ったんだけどね。二人が手伝わせてくれなかったんだよー。疲れてるから座っててって
心底残念そうな美由希に見えないように、レンと晶に親指をたてて、よくやったとジェスチャーを送る恭也。
二人は喜んでいいのか微妙な表情だったが、美由希の料理の酷さを身を持って知っているため恐らく死ぬ気でとめたんだろう。
「んしょ……んしょ……はい、おいーちゃん、これ」
三人だけかと思ったがその背後にもう一人いたようだ。高町家の末っ子なのは。他の三人と同じように皿を運んでいる。
流石に身体に見合った大きさだが落とさないように気を使って持ってきたのだろう。
時間的に小学校が終わって家についてからすぐ着替えてこちらへきたはずである。大変だったろうと運んできた皿を受け取り、片手でなのはの頭を撫でる。
「有難うな、なのは。本当に助かったぞ?レンと晶も、な」
「えへへ……」
「今日は何時にもまして気合入れて作ったんで、師匠の口に合うと思います!!」
「……お猿の料理は塩分が強めやないか……」
ぼそりとレンが、嬉しそうな晶に突っ込みを入れる。
聞こえるか聞こえないか、微妙な声の大きさであったが確りと晶は聞き取っていたらしく。
「お、お前だってわけわからない調味料いれすぎだろ!?」
「鳳家秘伝の調味料は分けわからんことあるかい!!」
二人の言い合いが始まり……ああ、これはまた始まるなと恭也が思った瞬間、皿を持ったまま晶とレンが自由の利く足だけで戦いを始めようとして―――。
「……レンちゃんと晶ちゃん、喧嘩しちゃ駄目です!!」
「う……」
「ご、ごめん。なのちゃん」
あっさりとなのはにとめられた。
基本的に桃子やフィアッセはレンと晶の諍いを仲の良い二人のじゃれあい程度にしか考えてなく、とめようとはしない。酷い怪我を負ったりするのであれば止めたのであろうが、レンの絶妙な手加減と晶の人間離れした回復力。その二つが相まって微笑ましく見物できるわけだ―――内容は凄くハイレベルなのだが。
恭也と美由希は、二人の戦いは晶の糧になると考えているため無駄にとめようとはしない。
しかし、なのはだけは別だ。基本的に争いごとを好まない性格なのもあるだろう。姉のような存在である二人が本気ではないにしろ、喧嘩をするのが嫌なのだ。
そのため二人の争いを何時しか止めるようになっていた。なのはが居る場合は毎回とめられているため、レンと晶はなのはに頭が上がらなくなってしまったというわけだ。
なのはに止められた二人は大人しく桃子達の手伝いに入る。
美由希も自然に厨房に入ろうとしたが、そんな美由希の裏襟を恭也が引っ張って断固として阻止していた。後ろに引っ張られたため服が喉にひっかかり、ぐぇっと蛙がひき殺されたときのような呻き声をあげる美由希。
「お前はこっちだ」
「ぅぅ……私もあっちを手伝いたいのに……」
「……いつか、な」
美由希を連れて店内の装飾を行おうとした恭也だったが、手持ち無沙汰そうにしていたなのはがちょこちょことよってくる。
「おにーちゃん。私もなにか手伝おうか?」
「そうだな……なのははかーさんの方を頼む」
「はーい。行って来るね」
「気をつけるんだぞ」
「なのはでも厨房なのに私は!?」
魂の叫びで訴えてくる美由希をスルーして、なのはを桃子の手伝いへと向かわせた。
流石に少し美由希が可哀相にはなってくるが、今日のパーティは高町家だけではない。それ以外の者も多く来る。
そんな人たちを美由希の料理の餌食にさせるわけにはいかない……高町家の皆を犠牲にするのもごめんだが。
元々恭也がほとんど終わらせてたこともあり、あっさりと店内の装飾は終わり、二人とも手持ち無沙汰になる。
厨房に手伝いにいこうかとも思った恭也だったが、どうやら桃子達のほうもほぼ終わっているらしい。
それに下手に手伝いにいって美由希までついてきたら本末転倒となるため、恭也は美由希を見張りつつ椅子に座っておく。美由希は相当に厨房が気になるのか、チラチラとそちらの方に視線を向けていた。
「……ん?」
恭也が感じなれた気配を意識の端で掴み、翠屋の扉までいき開ける。もちろんその隙に厨房に移動しようとした美由希を視線で牽制しておくこと忘れない。
翠屋の外には、丁度扉を開けようとしていたのか―――開けようとした体勢のまま固まっていた女性が居た。
美しく伸びたスカイブルーの長髪。さぁっと吹いた風にたなびいている。
日本人とは異なる透き通るように白い肌。エメラルドグリーンの瞳が印象的だ。
誰もが我を忘れ、息を呑むほどの美しさを、放っている女性であった。整いすぎた風貌は、時には冷たい印象を相手に与えるかもしれないが、女性はニカッとそれを覆すような笑顔を浮かべる。
「おぉー、恭也。久しぶりー大きくなったねー?」
「先日あったばかりですよ、アイリーンさん。それと、会う度にそれをいってませんか?そのうち二メートル突破してしまいますって」
「あははー。私から見たら大きくなっているよーに見えるんだけどねー」
「それは置いておいて、お仕事の方はよく都合つきましたね?」
「前からわかってたことだしね。けっこー無理矢理予定あけたことは確かだけどね」
「そうまでして来て頂き有難うございます。美由希とレンも喜びます」
「あっれー。恭也は喜んでくれないの?」
いたずら小僧のような厭らしい笑みを浮かべ、ニシシと恭也を窺うアイリーン。
アイリーンの不意打ちのような一言に、返す言葉が詰まり、どんな返答をしようか迷う。相変わらず年上の女性―――といっても、桃子やフィアッセ、アイリーンくらいしかいないが、恭也は多少苦手意識を持っていた。別に嫌いだとかそういった感情ではないが。
「いえ、きてくれて嬉しいです」
「ほ、ほぇ!?」
結局、選んだのは素直な感謝であった。
そう率直に礼を言われるとはアイリーンも予想していなかったのだろう。今度はアイリーンが吃驚したようで、反応に困っているようだ。
といっても、困ったのはほんの一瞬で、今度は綺麗な笑みを浮かべ……。
「恭也も成長しておねーさんは嬉しいかな」
アイリーンは笑顔を浮かべたまま両手で軽くギュッと恭也を抱きしめて―――最後にポンと背中を叩いて翠屋に入店していく。
それはまるで姉が弟にするような親愛のこもった抱擁であった。
例え家族のようなアイリーンであっても、抱きしめられた恭也の顔が若干赤くなっている。人に見られていなかったとしても恥ずかしいのは恥ずかしい。
「ハーイ、フィアッセー。お誘い有難うね、来たよー」
「わぁ。アイリーン来てくれたんだ。こっちこそ有難うー」
店内からフィアッセとアイリーンの声が聞こえる。
二人は幼いころからの知り合いで、幼馴染―――というよりほとんど姉妹のような関係だ。アイリーンのほうが一歳年上のため何かと姉のような振る舞いをしているが。
見かけと名前の通り、日本人ではない。アイルランド系アメリカ人なのだが、日本語はほとんど完璧に話せれるといっても良い。その理由は、フィアッセと長く付き合っているため、恭也や、その父である士郎と顔を合わせる機会が多かったのだ。そのため、恭也達と会話をするため日本語を必死で勉強したという過去があるのだ。
そしてアイリーンはフィアッセの母親が経営しているクリステラソングスクールの卒業生であり、若き天才と賞賛される現在注目されている新鋭の歌手である。
ちなみに喉を痛めているフィアッセを心配して態々活動拠点を日本とし、同居までするという過保護っぷりである。
その後、晶とレンの友達も来たので翠屋へ入るように勧める。
二人の友達は時々高町家にも遊びに来ているので、恭也とも顔見知りとなっているのだ。
予定していたメンバーも揃ってきており、残り僅かとなったところで確認してみると、来ていないのは二人。
「すまんすまん、高町。遅くなった」
「ごめんね、高町君。準備してたらぎりぎりになっちゃった」
確認した途端くるのは何かの法則だろうか。
赤星と忍が二人揃って姿を現した。赤星は手に寿司桶を、忍は綺麗にラッピングされた箱のようなものを手に持っている。
「いや、まだ時間前だし。良く来てくれた。歓迎する」
「そこで月村さんと会ったんだけど、高町の所にいくっていうから一緒に来たんだ。あ、それとこれは差し入れ。皆で食べようぜ」
「えっと……これ恥ずかしいんだけど私も差し入れを持ってきたんだ」
赤星は実家が寿司家のため何度か食べに行ったことがある。父親が見事な腕前だったため相当美味しかった思い出があるが、それを考えると寿司の差し入れはありがたい。
対して忍の差し入れからは甘い良いにおいがしている。どうやら何かのスイーツが入っているのだろう。
恭也としては甘いもの系は苦手のため一瞬迷うが―――折角忍が持ってきてくれたのだし流石に一口くらいは食べようと思いなおす。
それに今日来ているメンバーなら必ず誰かが無駄にせず食べるだろうということは簡単に予想できた。
「とりあえず二人とも入ってくれ。そろそろ始まるかもしれん」
「了解。行こうぜ、高町。月村さん」
「うん……宜しくね、高町くん」
二人を翠屋の店内へと案内して、扉を閉める。カランカランとベルの音が暗くなった周囲に響いた。
中に入った忍はまず石像のように固まった。目の前に居るのはどう見ても若き天才アイリーン・ノア。天使のソプラノと評判のSEENAと並ぶ大ファンの歌姫が何故か翠屋にいるのか理解できないようだ。
それはレンや晶の友達も一緒でアイリーンを囲むようにして、握手やらサインをねだっていたりする。大げさだと思うかもしれないが、それほどにアイリーンは有名な歌手なのだ。
アイリーンの騒ぎも収まり、家長である桃子の祝辞から始まり―――高町家の入学祝いが静かに幕を開ける。
「いちばーん!!アイリーン・ノア歌いまーす!!」
静かに……。
「あ、お前!!この緑亀!?それ、俺が狙ってたやつだぞ!!」
「ほほー。早いもん勝ちやで?お猿のくせにノロマやなぁ」
「こ、このやろー!!」
静かに………。
「恭也~最近フィアッセとはどうなの?うまくいってる~?」
「ア、アイリーン!?」
「ええ。何時も通りフィアッセは良くしてくれますが?」
「……この、朴念仁めー!!」
静かに…………。
「へぇ……なのはちゃんってゲームそんなに強いんだ」
「そ、それほどでもないんですけど……」
「なのはは凄く強いですよー?私とか恭ちゃんいつもぼこぼこにされてますし」
「あぅ……恥ずかしいです」
静かに……………。
「うわー!?晶が泡吹いてるよー!?」
「あー大丈夫大丈夫。晶っちは多分二、三分放置してたら復活するから」
静かに…………………幕を開けた。
海鳴内にあるマンションの一室。
ツインベッドに丸テーブル。テーブルの周囲には高価そうな椅子が幾つか並べてあった。ベッドと対極の位置には薄型テレビが置かれている。
シンプルだが、全体的に質の良い品ばかりのようで、この部屋の持ち主は相当に資金的に余裕があるのだろう。
天井から柔らかい照明が部屋中を照らしていた。その部屋で、ベッドに寝そべるようにして、何かが書かれている用紙を眺めている人物は……山田太郎。
色気がある男性とでもいえばいいのだろうか。ただ書類を寝そべって読んでいるというだけなのに、何かしらの華がある。
「高町美由希―――現在住んでいる家の住所は海鳴市藤見町64-5。母は高町桃子。兄に高町恭也。妹に高町なのは……城島晶と鳳蓮飛は居候?父は―――死去か。居候とか珍しいなぁ」
今時居候がいる家などそう多くはないだろう。
祖父母は同じ海鳴に住んでいるようだが、どうやら一緒にはくらしていないらしい。書かれている美由希の情報を目で追うように確認する。
「海鳴中央を卒業……今年風芽丘学園に入学。一年A組所属。海鳴中央の時に親しい友人はなし、か」
太郎はそこまで確認すると持っていた紙を部屋にぶちまけるように投げ捨てた。
寝そべっていた太郎が起き上がり、ベッドの縁に腰を下ろす。
「一日で調べれる情報は所詮この程度。調べた感じ、ただの学生にしか見えないけど……そんなわけがない」
脳裏に朝に会った美由希を思い描く。
圧倒的な気配。一般人ならばわからないかもしれないが、ある程度の力量を持ったものならば分かっただろう。
明らかに違った。他の生徒とは一線を駕する、抜き身の刀のような鋭さを持った存在感。
気圧された―――誰よりも何よりも。高町美由希が放つ研ぎ澄まされた、オーラとでもいうべきモノに。
突然獅子の目の前に素手で放り出されたかのような恐れを、向かい合ったあの瞬間感じた。
美由希が太郎に言いようのない恐れを抱いたのと同じように、太郎も美由希の底知れぬ力量に恐怖に似たものを感じていたのだ。
だが、それいじょうに―――そそられた。
「何か武道でもやってるのかなぁ……兄の高町恭也は何も感じなかったんだけど」
ぶつぶつと爪をかみながら昼間に遠くから眺めた恭也を思い出す。
物静かな、大人っぽい雰囲気の青年だとは思ったが……それだけだった。美由希のような絶大な気配を纏っていたわけでもない。
無論美由希が常時その気配を放っていたわけではない。隠していたようだが、ほんの僅かにその気配が漏れ出していたから太郎はあっさりと気づけたのだ。
去年は校舎が違うせいだったためだろう。
海鳴中央にあのような少女がいるのがわからなかった。それを悔やむしかない。
もっと注意していれば高町美由希の存在に気づけたというのに。
「後悔しても仕方ないか……」
そして太郎は考える。
どうすれば、全力の高町美由希と戦えるのか。
戦いを挑めば美由希は当然応戦してくるだろう。だが、それでは足りない。
血で血を洗うような―――命と命を賭けた殺し合いを太郎は望んでいる。
勘が告げてくるのだ……それでは高町美由希の【本気】と戦うには足りない、と。
美由希のようなタイプと全力で戦りあうには―――。
「……これしかないね。あまり好みじゃないんだけどなぁ」
部屋に投げ捨てた紙の一枚を拾い上げ、そこに書かれていた名前を指でなぞる。
その名前は【高町なのは】。
太郎は口元を歪めさせ―――不気味な笑みを消すことは無かった。
宴が始まり一時間ほど時間がたった頃だろうか。大人組―――桃子、フィアッセ、アイリーンはお酒を嗜んでいる。
桃子は日本酒。フィアッセとアイリーンは軽めのチューハイといったかんじだ。子供たちが手を出さないように目を光らせながら、大人の会話に華を咲かせていた。
レンと晶は、それぞれ友達と一緒に料理やスイーツに舌鼓を打っている。
晶はレンにのされたのが悔しいのかやけ酒ならぬ、やけジュースで何本もペットボトルをあけているのだが―――不思議と酔っぱらっているように見えた。
赤星は美由希と剣の談義をしているのだろうか。
こうきたらこう返すなどといった言葉とともに身振り手振りを加えて真面目に話をしているようだ。
忍は、意外なことになのはと交友を深めていた。
外見では二人ともそうは見えないだろうが、生粋のゲーマー同士。話が完全に一致し、二人とも楽しそうに盛り上がっている。
それを見た恭也は、多少無理にでも誘ってよかったと思えた。
その時、ポケットに入れていた携帯がブルブルと震え、パーティーの間は邪魔にならないようにバイブにしていたのだが、着信があるのを恭也に伝える。
店内ででるのも迷惑になると考え、翠屋から外へと出て携帯を取り出す。
着信画面に表示されていた登録者は……【リスティ・槙原】。銀髪の小悪魔だ。
うわぁ……という微妙な表情になる恭也だったが、先日忍のことを調べてもらうよう頼んだ件もあったためでないわけにはいかない。
別に恭也はリスティのことが嫌いというわけではない。逆に好意を抱ける女性だと思っている……変なからかい癖さえなければの話だが。
「もしもし―――俺です」
『やっほー恭也。出るの遅かったけど変なこと考えてなかった?』
「……いえ、別に」
『あれ、おかしーな。ボクの予感が外れちゃったか。んー、まぁ、いいか。それより今からちょっと出てこれるかい?昨日頼まれていた月村忍の情報を伝えたいんだけど』
「今からですか?」
昨日の今日で情報を集めれたことに驚く。幾ら顔が広いリスティとはいえ、まさかたったの一日で忍のことを調べることができるとは全く予想していなかった。
腕時計を見ると、まだ七時になったばかり。おそらくあと二時間程度はパーティーは続くだろうとふんだ恭也は、聞くなら早い方がいいかと判断した。
「ええ。構いません。場所は何時もの場所で構いませんか?」
『うん、実はボクもうそこで一杯やってるんだけどね。ま、話もすぐ終わるだろうし。来てくれたら嬉しいかな』
「わかりました―――十分ほどで行けると思います」
『りょーかい。待ってるよー恭也』
携帯を切ると、恭也は翠屋へと戻る。
大人の会話をしている桃子に近づき、他の人間に聞こえないように耳打ちする。
「すまない、かーさん。少しばかり出てくる。すぐに戻れるとは思う」
「んー、早く帰ってきなさいよ?」
流石高町桃子、深くは聞かず恭也を送り出してくれた。
アイリーンとフィアッセの追求を適当にかわしつつ、他の人間に気づかれないように翠屋を出て、夜道を駆ける。
恭也とて桃子に言われるまでも無く、パーティーに戻りたいという気持ちはある。ましてや、美由希とレンの祝いの席なのだ。
長い間席を外しているのがばれたら後で何を言われるか……。
夜道をかかなり本気で走ること数分、恭也の走る速度に驚く人たちを背に目的の場所にあっさりと到着する。
【FOLX】という看板が嫌味がない程度で周囲を明るく照らしていた。ここらでは話題の喫茶店兼バーである。
入店するとカランカランという音が響き、客の入店を告げる。恭也は店内を見渡すと―――直ぐに彼女を発見した。カウンターの一番端の席で若干気だるそうに座っている。
リスティ・槙原。夕方にあったフュンフと同じような美しい銀髪。ただし、それほど長くは無く、肩までもない。
端整な顔立ちで、見るものを問答無用で惹きつける魅力がある。煙草に火をつけ、一息。口から白い煙が店内に舞う。
「お待たせしました、リスティさん」
「ん、やぁ、恭也。大丈夫、ボクもさっき来た所だしね」
挨拶を済ませると恭也はリスティの横の席に座る。
すでに馴染みになったFOLXの店長が近寄ってきた。恭也と同じ位の身長で、なかなかの美形だ。この店長を目当てでやってくる女性客も多いとか。
国見隆弘という名前で、リスティの知り合いらしい。そのためこの店で待ち合わせをすることが多いのだ。
「やぁ、恭也君。何か飲むかい?」
「そうですね……アイス宇治茶お願いします」
「アイス宇治茶だね?ちょっとまってて」
そう言って奥へと消えていく国見。
そんな飲み物があることに驚く、隣の席に座っていたカップル。
確かに喫茶店も兼用しているとはいえ、バーがメインであるこの店にまさかそのような得体の知れない飲み物があるとは信じれなかったのだろう。
「相変わらず変なモノをのむね、恭也は。まー、いいけど」
「意外といけるものですけどね。リスティさんも如何ですか?」
「謹んで遠慮するとするよ。ボクにはこれがあれば十分さ。飲み物じゃないけどね」
リスティは本当に美味しそうに煙草を咥えると―――肺までしっかりと満たし、白い煙を吐き出す。
ヘビースモーカーなのは、会った時と変わらず、不思議と懐かしい気がした。
「さて、恭也から頼まれていたことだけど―――大概は調べれたよ」
「……今回は早いです、ね。もっと時間がかかると思ってましたが」
「ん……正直今回は楽な仕事だったしね。月村って名前に聞き覚えがあるはずだよ。ボクの旧友の親戚と同じ苗字だったしね。ボクも確か月村忍って昔何度かあったことがあるはずだよ」
コトンと話の邪魔にならないようにカウンターに置かれたアイス宇治茶……微妙に大盛り。
サービスを有難く思いつつ頂く。その渋みが実に恭也の好みにマッチしている。
「世間は狭い、ですね」
「全くさ。旧友に駄目元で話を聞いてみたら―――どうやらまだ仲がいいらしくて、お蔭様で大体の情報は判ったよ。狙われている理由とかもね」
「話がうまく行き過ぎてる気もしますが……運がいいで済ませていいんでしょうか」
「いいんじゃない?全く判らないより百倍マシじゃないか。っと、詳しくはこの中にまとめておいたから、家でゆっくり読みなよ」
「有難うございます。リスティさんに頼んで正解でした」
「ふふん。そうだろうそうだろう」
立派に実っている二つの果実がなっている胸を得意げに反らし、ニヤリと笑うリスティ。
わざと見せ付けてくるようなリスティの行為に、視線をあさっての方向にむけ、A4サイズの茶封筒を受け取った。
仮にも個人情報となる書類なのでここで見るわけにも行かない。一体誰が忍を狙っているのか気にはなるが、後で目を通そうと決める。
「さて、忙しいところ呼び出して悪かったよ。今日はもう帰ったほうがいい」
「え、ええ。すみません。とても助かりました、リスティさん」
「いいよいいよ。キミには何時もお世話になってるしね」
「いえ、こちらこそ。このお礼は今度必ずしますので」
「楽しみにしてるから。それじゃ、バーイ」
リスティはまだ残るつもりなんだろう。煙草を吹かしつつ、頼んでいたお酒を軽く呷る。カランと氷が解けて音をたてた。
恭也は国見にリスティから見えないように何枚かのお札を渡し、FOLXから翠屋へと戻るのであった。
急いで翠屋へと向かう恭也であったが、リスティと会っていたのは精々十分弱。往復の時間も合わせても三十分にも満たない時間であったが、これだけ席を外していたらやはり誰かが気づくものである。
翠屋に戻った恭也は美由希やフィアッセ、アイリーン達に質問攻めにされたが、のらりくらりと彼女達の問いをかわす。
正直に答えて貰えないと理解した美由希たちは何時か聞き出してやる、というような表情で各々の語り合いに戻っていった。
時が進むのは早いもので―――。
気がついたときには既に太陽が落ち、夜が支配する時間。時間は夜の九時を回っている。
街灯と道に沿って建てられている家の灯りのみが標となっていて、道行くものも少ない。
翠屋で開催されたパーティも先程終了し、皆が帰宅の流れになっていた。
アイリーンは車できていたのでそのまま帰り、レンと晶の友達はそれぞれが送って帰っていた。例え変質者などと遭遇してもレンと晶ならば余裕で撃退できるだろう。
美由希はなのはを高町家へと送り届け、フィアッセと桃子が翠屋で片付けをおこなっている。
赤星は一足先に暇していたので、恭也は忍を海鳴駅まで送っていく途中なのだ。前と同じように迎えの車が海鳴駅まで来ているらしい。
幾ら灯りがあるとはいえ暗い夜道を歩くのは心細いものだ。
だが、忍は不思議と不安など全く感じていなかった。横に恭也がいるだけで、言葉には出来ない安堵が心を覆っている。
二人ともどちらかといえばおしゃべりというわけでもなく、帰り道は沈黙が続いていた。
生来より口数が少ない恭也とは違って、忍はある出来事があるまでは明るい性格だったのだが、幼少の事件のせいと自分自身の出生の秘密により友達を作ろうとせず、人と関わらないように生きてきた。
学校では机を友達とすることで他人と会話をすることを拒絶している忍だが―――二人で歩いている以上机に頼るわけにもいかない。
何か話さないとーと外見はクールだが、内面は焦っている忍なのだが、こういうときに限って会話の内容を思いつかない。
「今日は無理に誘って悪かった。月村にも予定があっただろうに」
「え!?ううん、大丈夫だよ。こちらこそ凄く、楽しかったし」
「そうか。そういってもらえたら気が楽になる」
そんな忍の内心を知らずに恭也が礼を言う。
それに驚いたようにビクリと身体を震わせながらも、忍は照れたように返す。
忍の楽しかったという感想は別に恭也に気を使って言った訳ではない。どれくらいぶりになるかもわからない……只の人間の知り合いと話し、笑う。
そんな当たり前のことが―――忍は心のそこから楽しかった。
本当は駄目だと頭では分かっているのだ。只の人間と一緒にいるのは……何時か必ず関係の破綻が訪れるのだから。
それでも、久方ぶりの大勢との語らいはその決心を鈍らせるほどに、喜びしかなかった。
その時、一台の自動車がライトを二人に向けながら走ってくる。
とても住宅街を走るスピードとは思えない、暴走といってもいい速度だった。
黒塗りの高級そうな車だったが、その速度は落ちることを知らず……不吉な音をたてながら二人を―――否、忍めがけて向かってきた。
恐ろしい速度だったため、忍の身体が硬直。避ける事は出来なかっただろう―――もし、忍が一人だったならば暴走車の餌食になったかもしれない。
だが―――忍は今は一人ではないのだ。
肩と足に何かが触れたと認識した瞬間……景色が変わった。
まるでエレベーターに乗ったときに感じる浮遊感。まさにそれだ。
暴走した黒塗りの自動車は、忍の下のゴミ袋をひき、中身を道端に撒き散らしながら、あっという間に去っていった。
何故自分が助かったのか改めて見る。簡単な理由だった。
忍は恭也に抱かれて―――俗に言うお姫様抱っこである―――道と家を分け隔てる石垣の上に立っていたのだ。見事なバランス感覚で、恭也は女性一人を抱いているというのに、微塵の揺れもない。
恭也は暴走車が見えなくなり、安全なのを確信すると石垣から飛び降り忍を地面に降ろし、立たせる。
そして、ポケットから携帯を取り出すと先程の暴走車と交差した瞬間記憶したナンバープレートを警察に伝えた。
最も果たしてそれがどれだけ意味があるかわからないが……しないよりは全然ましだろうという判断を下したからである。
「あ、ありがとう……高町君」
「いや、危なかったな。危険な運転をするやつもいるようだ……気をつけたほうがいい」
「……うん」
間違いなく今の暴走車はしのぶを狙ったものだろう。
確かに危険な運転をしていたようだし、忍を狙っていたのも確実だ。
だが、轢こうとまではしていなかった。
以前忍を狙った男性と同じ、命までは奪わない……おそらくは脅し目的。
そのことを忍は果たして判っているのだろうか。
ちらりと横目で忍を窺う恭也だったが……忍の表情は何時も通りだった。今まさに命の危険に晒されたというのに。
ただの暴走車だと思っているのか。それとも、こういった出来事に慣れてしまっているのか。
「月村―――」
「……うん、どうしたの?」
「―――いや、何でもない」
聞きたくなる気持ちをぐっとこらえて、恭也は周囲の気配に注意しつつ海鳴駅まで向かう。
忍も黙って大人しく恭也の後に続く。
住宅街とは違って、海鳴駅までくれば人も多い。暴走車が突っ込んでくることはないだろうと一息つくが、先日のように忍を狙った輩が人混みにまぎれて現れないとも限らない。
怪しい気配を放つ人間はいないことに安堵しつつ、ロータリーへと視線を向けたら、そこには毎回忍を迎えに来ていたスーツ姿の麗人がいた。
「あ、ノエル。お待たせ」
「いえ。お帰りなさいませ、忍お嬢様」
深々と忍に向かって一礼をするノエルと呼ばれた女性。
恭也も無表情ということに関しては中々のものだと自負してはいるが、ノエルはさらにもう一歩上手だった。
人間ではない―――まさに人形のような美しさ。例えるならそうとしか言いようのない容姿だ。
「随分遅くまで付き合せてしまいまして、申し訳ありません」
恭也がノエルに対して頭を下げる。
以前から誘っていたならばまだしも、今日突然誘って、こんな遅い時間まで付き合せてしまったのだ。
「いえ、こちらこそ忍お嬢様に良くして頂き感謝の言葉もありません」
対してノエルは恭也にも礼儀正しい。
忍とノエル。果たしてこの二人はどのような関係なのだろう……少しだけ恭也は気になった。
ノエルは停めてあった自動車のドアを開け、忍を招き入れる。
自動車に乗り込むと、忍は恭也と視線を合わせ、微笑んだ。それはとても綺麗な微笑だった。今まで見た月村忍のどの笑顔よりも素敵であった。
「今日は本当に有難う、高町君。また明日―――」
「ああ。来てくれて嬉しかった。また明日、な」
ノエルは扉を閉め、運転席へと乗り込むと車を出発させ―――夜の街へと消えていった。
それを見送っていた恭也だったが、ため息をつく。
やはり忍は狙われていたのだ。
誰が狙っているのか判らないが―――リスティから貰った情報を見れば判明するのだろうか。
しかも、昨日の男のような一般人に毛がはえたような相手ではどうやら今度はすまないらしい。
この感じる【視線】は―――六つ。そのどれもが並々ならぬ使い手と読み取れる。
狙いは恭也ではなく……忍。
恭也は数十メートル離れた七階建てのビルの屋上を見上げ、鋭い視線のまま、そこにいた相手を貫いた。
海鳴駅のすぐそばにある七階建てのビルの屋上で七人の男女が眼下にひろがる人波の一画を見下ろしていた。
彼らは北斗とよばれる暗殺集団。北斗とはわずか七人【貪狼】【巨門】【禄存】【文曲】【廉貞】【武曲】【破軍】と名乗る七人から構成されている。
十年以上前は活発に活動していたため有名だったが、何があったのかここ十年はさほど精力的な行動はおこしていない。
「あのお嬢ちゃんがクライアントの言ってた相手だネ」
「ふーん。殺さない程度でっていうのが面倒ね」
目が細い長身の男【廉貞】と、顔を隠すようにマフラーを巻いている女性【文曲】が視線の先―――ロータリーに止めてある自動車の横で話しているノエルと忍と恭也の三人を映していた。
クライアントから依頼されたターゲットは月村忍。厄介な内容として―――殺しては駄目だということだ。
「仕方あるまい。それが先方の絶対条件なのだ」
「腕一本くらいはいいんじゃねーの?」
「やれやれ。貴方のその乱暴な性格をまずはどうにかしてください」
二メートルをゆうに超える大男【巨門】が先の二人を戒める。それを馬鹿にしたように細身の若い男【貪狼】が唾を吐く。中肉中背のオールバックに髪を固めている【禄存】がやれやれと肩をすくめた。
彼ら五人より遥かに身長は小さいツインテールの少女―――【武曲】が、身を乗り出すようにして恭也達を見つめる。
「あれがノエル・綺堂・エーアリヒカイト、か。現在起動している数少ない自動人形。確かにアレに守られている限り人間では手出しは無理だろうね。遠目で見ただけで分かるよ……なんだよ、あの無茶苦茶な完成度は」
呆れたように武曲はノエルを呆れたような目で見る。
クライアントからはただの自動人形としか聞いていないが、情報はきちんと渡せと怒鳴りたくなった。
武曲が言ったように、一目で判る―――恐ろしいまでの完成度。
あの自動人形を見て本当にただの自動人形と断じたのか、それとも敢えてこちらを試すために嘘をいったのか。前者だったらクライアントは底知れない阿呆としか言いようがない。
「厄介だが、なんとかならないこともないか」
依頼を受けこの街についてから早速、ターゲットの月村邸を偵察にいったのだが、生憎居たのはノエルのみ。肝心の忍を見かけなかった。
そのため暫く月村邸を窺っていたのだが、ノエルが車で外出。それを必死で追いかけて付いた先がこの海鳴駅。
そして、近くのビルの屋上でノエルの行動を見張っていたのだが、それが実を結んだ。
ターゲットの忍がようやく現れたのだ。その友達らしき男性も一緒だったが。
ちなみに随分と離れているが皆双眼鏡などをつかわずともしっかり見えている。彼らは皆が【夜の一族】と呼ばれる人外の化け物達。五感や身体能力は人間の比ではない。
一応は六人が六人ともターゲットを確認しているというのに一人だけ、ぼけぇとしたように屋上に座り込んでいる女性が居た。
明らかにやる気が見られない彼女こそが―――北斗が長【破軍】水無月殺音。
それを見かねた武曲が米神を人差し指でコンコンと叩く。まるで痛む頭を抑えるように。
「おい、殺音。お前もターゲットを確認しておけ。確かに取るに足らん仕事ではあるが―――依頼は依頼だ」
「ふぁいふぁい」
気合が一ミリとも入っていない返事をして殺音が立ち上がる。
どっこいしょというあたり少し親父臭い。見かけは超弩級の美女だというのにもったいなさすぎる。
ふらふらと酔っ払いのように屋上の端まで歩いていき眼下を見おろす。
海鳴駅のだいぶ少なくなったとはいえ、まだ大勢居る人達が邪魔でターゲットを見つけることが出来ない。
そんな中、武曲がポツリと呟いた。
「……あの男、どこか見覚えがあるが……」
どこかで見た覚えがある。あの男性を。遠い昔に。どこかで。
首を捻るがなかなか思い出せない。それでも確かに記憶の片隅に―――。
そうこうするうちにノエルが運転した車は忍を乗せて帰宅してしまった。
今回のところはターゲットを確認できただけでよしとするか、とする北斗だったが。
その時―――。
「っな!?」
誰の声だっただろうか。
北斗の誰かが驚く声をあげた。その場に居た全員の身体が強張った。
廉貞は驚きのあまり何時も細い目が大きく見開いた。
文曲はマフラーで隠された見えない口元がぽかんと開いたままだった。
巨門はその巨体が縮こまるようにぶるりと震えた。
貪狼は恐怖に負けたように一歩後ろに引いていた。
禄存は自分の目で見ているモノが幻ではないのかと疑った。
武曲はようやく思い至った。あの青年が―――遠き昔に殺音と盟約を交わした少年の面影と重なり合うことに。
水無月殺音は―――。
直線にして百メートル以上の距離はあろうかというのに、人の目では豆粒のようにしか見えないはずだというのに、確かに恭也は北斗達を見ていたのだ。
恐ろしいほどに冷たい目で。恐ろしいほどに殺気のこもった目で。
言葉にせずとも雄弁に伝わる―――圧倒的な殺意。
遠く離れているというのに、恭也の放った明確な殺気は容赦なく北斗の面々の魂を切り裂いた。
今までこれほどの圧迫感を受けたことはあっただろうか。
ただの人間ではない。化け物。それだけが脳裏に浮かんだ。
だが―――。
その殺気も一瞬で消えた。
恭也の視線が北斗から移動したのだ。移動した先は……殺音。
互いに凝視する四つの瞳。
互いに互いを食い入るように見つめていた。互いの身動きを奪うかのように。
強力な磁力を発し、逸らすことを拒絶している。本能が強烈に警告を開始する。
恭也の、殺音の背筋を氷塊が滑り落ちる。その感覚は一体なんだったのだろう。
次の瞬間、恭也の中に殺音が―――殺音の中に恭也が雪崩れ込んでくる。
感じる。感じる。感じる。感じる。
恭也が恭也であるように、殺音が殺音であることを。
―――ああ、お前か。お前なんだな。水無月殺音。
―――うん、キミか。キミなんだね。不破恭也。
「あははは……」
夜空に響くのは―――。
「あはははははははあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
純粋なまでの狂喜―――。
みつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたミツケタみつけた見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタみつけた見つけたミツケタみつけた見つけたミツケタみつけた見つけたミツケタみつけた見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけたミツケタ見つけたみつけた
世界を凍らせる化身が目覚めた。
世界を恐怖させる化け物が目覚めた。
世界を破壊する超越種が目覚めた。
十余年もの昔―――盟約により自分を眠らせた化け物(水無月殺音)は、覚醒の咆哮をあげる。
殺音の足が屋上のアスファルトをえぐるように蹴りつけた。
爆発をおこしたかのような破裂音と破壊音を残し、北斗の眼前から姿が消えた。
ひたすらに駆ける。重力を味方につけるように落下する。
目標は一つに決まっている。それ以外にありはしない。
ただ―――【恭也】に向かって―――。
凄まじい勢いで、殺音は地面に激突した。凄まじい激突音が周囲に響く。
粉塵が舞い、瓦礫が宙を飛ぶ。驚いたような人たちの叫び声が聞こえるが、そんなものもはや気にならない。
当然無傷とはいえない。七階からアスファルトに激突したのだ。
額から血が流れ出る。だが、これも野次馬の声と同じで一切きにならない。
二人は向かい合う。十余年の時を越え、この時巡り巡った運命が邂逅した。
「会いたかった!!会いたかったよ!!私の―――運命(恭也)!!」