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No.30788の一覧
[0] 御神と不破(とらハ3再構成)[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:48)
[1] 序章[しるうぃっしゅ](2011/12/07 20:12)
[2] 一章[しるうぃっしゅ](2011/12/12 19:53)
[3] 二章[しるうぃっしゅ](2011/12/16 22:08)
[4] 三章[しるうぃっしゅ](2011/12/23 00:29)
[5] 四章[しるうぃっしゅ](2011/12/23 00:39)
[6] 五章[しるうぃっしゅ](2011/12/28 17:57)
[7] 六章[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:32)
[8] 間章[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:33)
[9] 間章2[しるうぃっしゅ](2012/01/09 13:27)
[10] 七章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:52)
[11] 八章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:56)
[12] 九章[しるうぃっしゅ](2012/03/02 00:51)
[13] 断章[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:46)
[14] 間章3[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:30)
[15] 十章[しるうぃっしゅ](2012/06/16 23:58)
[16] 十一章[しるうぃっしゅ](2012/07/16 21:15)
[17] 十二章[しるうぃっしゅ](2012/08/02 23:26)
[18] 十三章[しるうぃっしゅ](2012/12/28 02:58)
[19] 十四章[しるうぃっしゅ](2012/12/28 03:06)
[20] 十五章[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:11)
[21] 十六章[しるうぃっしゅ](2012/12/31 08:55)
[22] 十七章   完[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:10)
[23] 断章②[しるうぃっしゅ](2013/02/21 21:56)
[24] 間章4[しるうぃっしゅ](2013/01/06 02:54)
[25] 間章5[しるうぃっしゅ](2013/01/09 21:32)
[26] 十八章 大怨霊編①[しるうぃっしゅ](2013/01/02 18:12)
[27] 十九章 大怨霊編②[しるうぃっしゅ](2013/01/06 02:53)
[28] 二十章 大怨霊編③[しるうぃっしゅ](2013/01/12 09:41)
[29] 二十一章 大怨霊編④[しるうぃっしゅ](2013/01/15 13:20)
[31] 二十二章 大怨霊編⑤[しるうぃっしゅ](2013/01/16 20:47)
[32] 二十三章 大怨霊編⑥[しるうぃっしゅ](2013/01/18 23:37)
[33] 二十四章 大怨霊編⑦[しるうぃっしゅ](2013/01/21 22:38)
[34] 二十五章 大怨霊編 完結[しるうぃっしゅ](2013/01/25 20:41)
[36] 間章0 御神と不破終焉の日[しるうぃっしゅ](2013/02/17 01:42)
[39] 間章6[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:12)
[40] 恭也の休日 殺音編①[しるうぃっしゅ](2014/07/24 13:13)
[41] 登場人物紹介[しるうぃっしゅ](2013/02/21 22:00)
[42] 旧作 御神と不破 一章 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:02)
[43] 旧作 御神と不破 一章 中編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:03)
[44] 旧作 御神と不破 一章 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/02 01:04)
[45] 旧作 御神と不破 二章 美由希編 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:53)
[47] 旧作 御神と不破 二章 美由希編 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 00:55)
[48] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 前編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:02)
[49] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 中編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:00)
[50] 旧作 御神と不破 二章 恭也編 後編[しるうぃっしゅ](2012/03/11 01:02)
[51] 旧作 御神と不破 三章 前編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:23)
[52] 旧作 御神と不破 三章 中編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:29)
[53] 旧作 御神と不破 三章 後編[しるうぃっしゅ](2012/06/07 01:31)
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[30788] 旧作 御神と不破 三章 前編
Name: しるうぃっしゅ◆be14bceb ID:c2de4e84 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/06/07 01:23

























「弓華。たまには昼御飯でも一緒しないかい?」

 丁度ビルから出ようと一階のロビーを歩いていた弓華と呼ばれた女性は、気配もなく背後からそう声をかけてきた同僚である御神美沙斗に一瞬ビクリと反応したが、綺麗な笑みを浮かべて頷く。

「えエ。丁度私も昼御飯ニ行こうと思っていましタ。良かったら行きましょうカ」
「一人で食べるのも少し寂しいからね」

 弓華と美沙斗は連れ立つと、ビルから出る。自動ドアの両脇に立っていた警備員が美沙斗と弓華に敬礼をして送り出した。二人はここでは知らない者がいないほどの女性達であるのだ。
 香港国際警防部隊。実力主義の部隊で、世界最強を欲しいままにする非合法ギリギリの法の守護者。その香港国際警防部隊の隊員である二人。

 弓華はすでに入隊してから数年はたっているのだが、美沙斗はまだ一年もたっていない。だが、すでに美沙斗の警防隊での名前は裏表問わず知れ渡っている。
 それも当然だと弓華は思った。
 
 何故なら、御神美沙斗は―――あまりにも強すぎた。世界中を探してもトップレベルの腕前を持つ隊員ばかりがいる警防隊の中でも美沙斗の戦闘力は明らかに群を抜いているのだから。
 並の隊員では軽くあしらわれ、それなりの自信を持っている弓華でさえもまともにやりあえば勝ち目などみつからない。警防隊の中でまともにやりあえる人間がいるとすればただ一人。

 世界最強の名を冠する警防隊。その副隊長を務める陣内啓吾。裏の世界では死神とも称される男性。間違いなく警防隊最強の戦士。その陣内啓吾ととも互角に戦えるのだ。 
 外見だけ見れば全くそうはみえないんですけどネ、と弓華は横を歩く美沙斗を盗み見るように横目でちらりと見やる。
 絹糸のように美しい、流れるような長い黒髪を後ろで縛っている。肌もきめこまかい。一言で言うならば可憐だとか、可愛いとかそういったことになるだろう。

 ほっそりとした身体をスーツで包んでいるのだが、残念なことにボディラインが華奢な男性と見間違えるほどに起伏がない。本人も実はかなり気にしているらしく、シャワー室で自分の胸を見て何度かため息をついている所を見たことがある。
 これで十七になる娘が一人いるのだから世の中分からない。容姿だけならばまだ二十台前半でも通りそうな若作りだが、実年齢は三十半ばとか聞いて耳を疑った。 
 逆算して考えても十六か、十七で子供を産んだことになる。それに驚いて思わず聞いてしまったこともあったが、少しだけ悲しそうな顔をして昔のことを語ってくれた美沙斗を見て申し訳ないと反省したことがあるのも記憶に新しい。

 そんな美沙斗の故郷ともいえるべき場所が海鳴だと聞き、世間は狭いものだと苦笑してしまった。海鳴という共通の話題もあり、弓華と美沙斗は警防隊で最も親しい同僚になったのだ。
 二人が陽光に当てられながらも道路を並んで歩く。周囲は人混みでごった返しており、活気がある。道路も車が途切れることなく通過している。
 人混みを歩くこと数分、ようやく二人のお気に入りのカフェに到着。腕時計を見ると、デジタルの文字盤は昼食の時間帯をやや離れた数字を表示していた。それなのにカフェの中は人で一杯のようで席は空いていない。
 仕方なく二人はそれぞれ注文をすると外にあるテーブルまで戻り、椅子に腰を下ろす。太陽の光が気持ちいいのでこっちの方がよかったかなと弓華はちょっと得した気分になった。  
 コーヒーとサンドウィッチ。二人ともそれほど食べるほうではないのでこれくらいで丁度いい。味も悪くない。というか美味しいと弓華は思っているが、海鳴で食べる物に比べたらやはり味は一段落ちる。

「……翠屋に皆で行きたいですネ」
「ああ、そうだね。今度休暇がとれたら海鳴に一緒に戻ろうか。良かったら紹介するよ」
「それは嬉しいでス。私の友達も一緒でいいですカ?」
「ふふ。大丈夫だよ。桃子さん……翠屋の店長さんなんだけど賑やかなのが好きだからね。歓迎してくれるはずさ」
「それは楽しみでス」

 サンドウィッチをハムスターのように食む。もぐもぐと頬張る。遠い海鳴のこと想像して、懐かしい思い出にひたる弓華。その想像が、ガラガラと音をたてて砕け散った。平穏な日常が崩れ去る。 
 反射的にその場から飛びのきたくなった弓華だったが、まるで神経が繋がっていないかのように両足が動かない。呼吸が苦しい。

 一体何が起きたのか弓華は分からなかったが、一拍を置いて、ようやく分かった。弓華のすぐ横、丸テーブルの周囲に置かれた椅子は四個。そのうち弓華と美沙斗が一つずつ。あいているはずの椅子は後二個あったはずだ。だが、あいている椅子は残り一個。つまり、何時の間にか、弓華が気づかない間に見知らぬ男性が椅子に座っていたのだ。
 美沙斗に似た黒い髪。長さは美沙斗と同じくらいだろうか。歳はいまいち判断するのが難しい。三十過ぎにもみえるし、二十台にも見える。ただ、瞳だけはぎらぎらとしている。そして、男性の放つ雰囲気はあまりにも禍々しかった。
 何故座るのに気づかなかったのだろうか、と自問自答してしまうほど禍々しいオーラ。気の弱い者ならばそれだけで呼吸を止めてしまうのではないかと思えるほどの恐怖があった。

 ―――この人ハ!!

 弓華は幼い頃から非合法組織の暗殺者として訓練を受けてきた過去がある。数年前に海鳴で出会った多くの友の手によって足を洗うことができ、今では香港国際警防部隊で活動している。
 それ故に、これまでの人生の中で数多の達人を見てきた。【龍】と呼ばれる組織にも人間を極めたかのようなバケモノ達がいたがそれらに匹敵、或いは凌駕する戦闘者も外の世界で数多く見てきた。

 それは陣内啓吾であったり、御神美沙斗であったり、恋人である御剣火影であったり様々だ。
 だが、違う。今、横にいる男性は、明らかに格が違っているのだ。戦闘者としての格。空気を伝わってくる、完全なる漆黒。僅かな澱みもない、真の邪悪。この男は笑いながら人を殺せる。
 その男性を見て最初は訝しげだった美沙斗が、何かに気づいたように呆然と口を開いた。

「まさか……相馬、さんですか?」  
「くっく。十四、五年ぶりだっていうのによく分かったな。久しぶりとでもいうか、美沙斗」

 どうやら男性の名前は相馬というらしい。美沙斗の知人であったのか、と驚いたがが、肝心の美沙斗は十数年ぶりだというのに懐かしさのかけらも表情にうかべていなかった。
 逆に、どこか警戒したかのような雰囲気を醸し出し始めている。証拠に美沙斗は何時でも動けるように体勢を変えていた。
 それに気づいているのかいないのか、御神相馬は禍々しい笑みを口元に浮かべ、美沙斗だけを見ている。弓華のこと眼中にないかのように。だが、違う。もし仮に、相馬に戦いを挑んだならば一瞬で斬られる。それだけははっきりとイメージができた。

「生きて、いたのですか」
「おいおい。あのテロ事件が起きる少し前に追放されたんだぜ、俺は。そりゃ、生きてるに決まってるだろうが」
「……兄さんが一応事件のことを伝えようと四方八方を探したらしいですが、全く足取りが掴めなかったと聞いたのでてっきり……」
「まぁ、ちょっくら裏に潜んでたからな、流石の士郎の奴でも見つけれなかったんだろう」
「そうでしたか……」

 用心する視線はそのままに、美沙斗は警戒したまま頷く。

「なんだなんだ。久しぶりにあったのに随分な対応だな、義妹よ」
「……そういうわけでは、ありませんが」

 言い淀む美沙斗を鼻で笑うとポケットから缶コーヒーをだし、プルタブを開け口をつけるとゴクリと喉を鳴らす。
 相馬は飲みきった缶コーヒーを握り締める。何かが軋む音がして缶コーヒーが握り潰された。顔を動かし、自動販売機とその横にあるゴミ箱を見つけると無造作にそこに向かって投げつける。ガンという音を鳴らし見事に缶はゴミ箱に入った。

「実を言うとな、お前に聞きたいことがあったんだ」
「……何でしょうか?」
「御神の生き残りについてだ」
「……」

 美沙斗は反射的に息を呑んだ。相馬の言葉が、とてつもなく不吉な匂いを漂わせ美沙斗の耳を打つ。
 元々相馬は御神宗家を追放されていた。その行いがあまりに凶悪だったために、御神宗家及び不破の両家全ての人間から良い目で見られていなかったのだ。無論、美沙斗にとっても良い思いではない。だが、強い。それだけは確実であった。

「単刀直入に聞くぜ。御神美由希は生きてるな?」
「……なんのことです、か?」

 一瞬つまりはしたが、声を震わせることだけは避けることが出来た。表情も変化させていない。この男はきっとろくなことを考えていない。そう直感が鳴り響く。
 そんな美沙斗を見ていた相馬が口元を歪める。

「やはりか。これで納得が言ったぞ。全く面倒なことだ」
「……美由希に何をする気ですか」

 隠すことができないと判断した美沙斗が冷たい殺気を混じらせて言葉をつむぐ。思考を一瞬で変化させ、戦闘の時と同じ状態に持っていく。視線を相馬だけに、何時でも隠し持っている小太刀を抜けるように体勢を変化させた。
 もし美由希に害を為すのであらば、容赦なく斬らんとする美沙斗の様子に相馬が眉を顰める。美沙斗のその殺気がまるで想像以上だったかのように。

「まぁ、落ち着けよ。美沙斗?俺に斬りかかるかどうかは話を聞いてからでも遅くはあるまい?」
「……」

 その無言を肯定と受け取ったのか相馬はやれやれと冷笑を浮かべながらお手上げといわんばかりに両手を空に掲げる。

「実を言うとな、俺は昔から考えていたことがある。御神の剣士の限界についてだ」
「御神の剣士の限界、ですか?」

 いきなり全く別の話題に代わったことを訝しげに思いながら聞き返す。
 それが美由希のこととどんな関係があるのか。全く繋がらない。

「ああ。御神の剣士の強さは確かに普通の人間から見れば次元が違う。人を殺すためだけに特化されたバケモノだ。だがな、それでも人間である以上限界ってものがある。そればかりはどうしようもないものだ。だがな、御神流を極めた者が人間じゃなかったらどうなると思う?」

「人間じゃない?それは、人間でありながら人間を超えた者という比喩ですか?」
「いいや、文字通り人間じゃないってことだ。夜の一族、お前も知っているだろ?人間を遥かに超越した身体能力を持つバケモノを。もし仮にだ、夜の一族が御神流を学び極めたらどうなると思う?」
「……それは」

 言葉が詰まる。夜の一族の身体能力は人間とは確かに基本からいって次元が違う。御神流を学んだ者が日々の気が遠くなるような鍛錬をこなす。そんな剣士と生まれ持った身体能力だけで渡り合えるのが夜の一族だ。あまりに理不尽な差がそこにはある。
 だが、夜の一族が御神流を極めるなどということも机上の空論でしかない。彼らはそれぞれに差がありはしても夜の一族ということに深い誇りを持っている。
 そんな夜の一族が誇りを捨ててまで人間が編み出してきた御神流という技を学ぶだろうか。しかも数年程度で習得できるものでもない。十数年。或いは数十年という長きに渡って修練を積まねばならぬ剣術をどの夜の一族が学ぶというのか。
 そんな美沙斗の思考を読み取ったのか、相馬の冷笑はさらに深くなった。

「ああ、お前の考えているとおりだ。夜の一族ってやつに御神流を習得させることは不可能に近い。奴らは無駄にプライドが高いからな。だがな、それが誇りもくそもないガキの頃からだったらどうだ?」
「……まさか……」
「紹介するぜ、美沙斗。【そいつ】が俺が夜の一族の女に【産ませた】ガキだ」
「っ!!」

 あまりに透明な気配。完璧に周囲と同化していた背後のその気配にようやく気づいた美沙斗が椅子から飛びのこうとして、腹部に焼け付くような灼熱の痛みがはしった。
 背中から美沙斗を串刺しにした剣尖が心臓のすぐ脇から突き出ている。綺麗な反りが入ったその剣尖は、確かに日本刀固有の物で、美沙斗が何時も見ている小太刀と同一のものであった。
 自分が刺されたのだと、胸が焼けるように熱くて、血が脈打つ音が脳内を反芻する。刺されたということにようやく気づいた。
 痛い。どうしようもなく熱い。四肢の力も入らない。美沙斗は視界が暗くなっていくのを唇を噛んで我慢する。

「美沙斗!?」

 弓華が悲壮な声をあげる。あの美沙斗が、何の抵抗もなく刺されたという事態。そんな馬鹿なと驚愕する。あり得ない。
 身体がくの字に徐々に折れ曲がっていく美沙斗の背後。丁度後ろにあるテーブルの椅子に美沙斗と背中合わせになるように座っていた少女が脇と腹の隙間から小太刀を通して美沙斗を刺していた。

 美沙斗の胸から突き出ていた小太刀が、肉をこそぎとりながら容赦なく引き抜かれた。小太刀で塞がれていた動脈から、鮮血が血潮のように吹き出る。
 急速に力が抜け視界が回る。感覚がなくなる両手両足。喉からせりあがってくる粘つく血を口のなかで泡立たせながらも、美沙斗は背後をみやった。自分を貫いた人物を確かめるように。
 美沙斗の回る視界に映ったのは、遠い過去の何時だかに出会った事がある容姿をした少女。陽光に輝く白い首筋。美しく長い黒髪。申し訳なさそうな表情で美沙斗を見ている少女を見て、思い出す。そう、この少女はまるで御神琴絵に瓜二つ。相馬を漆黒とするならばこの少女は純白。

「うにゃー。本当にごめんなさいですよ、叔母様。身内は斬りたくないんですけど、とーさまの命令ですし。とーさまとんでもない悪人ですので、言うこと聞かないと乱暴されちゃうのです」 

 小太刀を音もなく隠すと、パチンと音をたてて両手をあわせて美沙斗に頭を下げる。それとなく爆弾発言をかましながら。

「……鍛錬で乱暴するってことだぞ、オィ?変な想像すんなよ」
「きゃっ。鍛錬中にするなんてそんな卑猥ですにゃー」
「テメェは黙ってろ、宴(ウタゲ)!!」

 それとなくゴミを見るような目でみてきた弓華に言い訳をしつつ、ピキィと頬をひきつらせた相馬が何の容赦もなく飛針を宴と呼んだ少女に投げつける。鋭利な切っ先が宴を貫こうと空をかける。

「ノオオオオオオゥ」

 若干本気で慌てながらそれを上体を後方に反らしながらよける。飛んでいった飛針が通行人の男性の尻に突き刺さりあまりの痛さに悶絶していた。
 そして、その光景と血に塗れている美沙斗を見て、通行人たちが悲鳴をあげはじめる。遠巻きに相馬達を見ている野次馬もいれば必死で逃げる野次馬もいる。
 その光景を眺めていた相馬もそろそろ潮時かと腰を上げた。宴も体重を感じさせない動きで軽く跳び、相馬の横に並ぶ。やれやれといった感じで首を振る相馬。

「お前も身を持って味わっただろう?こいつの才覚の高さを。そろそろ【亡霊】が現れてもおかしくはないとおもってたんだが、全くその兆候も見られない。ってことは考えられることはただ一つ。宴以外にすでに亡霊を宿しているということだ」
「っ……」

 美沙斗は何かを言い出そうとしたが、血が喉につまり言葉にならない。  

「色々調べさせて貰ったぜ。士郎の奴が相当いじくりやがったみたいで足取りが全く掴めなかったんだが、お前の反応で確信した。御神美由希は生きているってな。まぁ、そういうわけだ。御神美由希が生きてる限り亡霊は宴には宿らない。だから……」

 相馬が懐から何かを出す。それを軽く放り投げると、凄まじい閃光が周囲を包む。閃光弾だ。その光をまともにくらった周囲の野次馬が苦悶の呻き声をあげる。

「殺させて貰うぞ、御神美由希を。御神宗家を継ぐものは、静馬の血じゃねぇ。俺の娘だ」
「叔母様本当にごめんなさいにゃー。一応致命傷ではないと思うから急いで病院いってねー」

 圧倒的な殺意と敵意を込めた台詞を残す相馬と奇怪な猫ヴォイスを残す宴。その二人は音もたてず、まるで幻だったかのように走り去った。
 二人が消えてから十秒程度たちようやく相馬の禍々しい気配から解放された弓華は慌てて美沙斗に駆け寄る。傷口からあふれ出る血。確かに急所はぎりぎり避けてはいるが急いで病院へいかないと危険なのには違いない。
 弓華は携帯電話をだすと急いで連絡を取る。その姿を霞んでいく視界に映しながら、美沙斗はこの香港から遠く離れた日本にいる美由希に願う。

「……美由……希……逃げて……」

 かすれるような声は、周囲の騒音にまぎれて、弓華の耳にすら届くことなく、空気に消えた。































 そんな騒動が起きている場所から離れた裏道を疾走する二つの影。相馬と宴。

「……美沙斗のことをどう思った?」  

 走る速度を全く落とさずに相馬は真横を走る宴に質問をする。その抽象的な問いに宴はやや困ったような表情で首を捻る。

「んー。はっきりいって、バケモノだよね、あの人」

 そう青い顔で相馬に返した宴は脇腹に手を当てる。そこからは赤い血が流れていた。深くはないが確かに鋭利な刃物で切られた傷跡がそこには残されていたのだ。
 宴が美沙斗を貫いた瞬間、それと同等以上の速度で美沙斗は反撃していたのだ。注意を完全に相馬に向けていたのにも関わらず、完璧に気配を消していた宴の奇襲にも反応をしていた美沙斗を宴はバケモノだと思った。しかも、宴の攻撃を紙一重とはいえあの状況で致命傷を避けた。想像を遥かに超えた反応。

「私じゃ、真正面から戦ったら確実に負けちゃうよー」
「冷静な判断ができるのがお前の強みだな。勝てない相手に立ち向かうのは馬鹿のすることだ。お前はまだまだ強くなる。それに、【今】は勝てなくても、【本気】をだしたらどうなる?」
「うにー、どうかなー。多分、互角かちょっと私の方が上かにん」
「まぁ、そんなもんだろう」 

 それっきり口を閉ざす相馬。
 しかし、変われば変わるものだ、と相馬は美沙斗を見て正直なところ驚いていた。
 十数年ぶりにあった美沙斗は随分と変わっていた。容姿がということではなく心がだ。

 御神宗家がまだ健在だった当時、まだまだ甘い所があり、冷徹になりきれない女性だった。それなのにどれだけの修羅場を潜ってきたのか、今さっき会った美沙斗はまるで日本刀のような冷たさを感じさせた。
 そして背後に見たのはおぞましいほどの殺意。相馬ですらこれまでの人生の中であれほど人を斬ったであろう剣士の心当たりはなかった。

 ―――どうやらあの噂は本当だったってことか。

 乾いた唇を舐めて乾かす。【黒鴉】と呼ばれた暗殺者。この時代において重火器を使用せず、日本刀のみで対象を確実に暗殺する修羅。一年ほど前から裏の舞台から姿を消した鬼人。
 御神美由希を殺すために邪魔だと判断したからさきに美沙斗を行動不能に追い込んだわけだが、少しもったいないことをしたか、と後悔した。

 傷が治ったら一度本気でやりあってみるか、と相馬は冷笑を浮かべる。美由希を殺されて怒り猛っている美沙斗とやりあうのもまた一興か、と。
 二人が疾走すること数分。海が広がっている。埠頭にでると、大きな船が泊まっているのが視界に映った。すでに前もって準備をしていた日本行きの船だ。その船を見つめたまま、二人は足を向ける。

「行くぞ、宴。目的は日本だ」
「はいはーい。頑張りますよーおとーさま」 

























「早くしなさい、葛葉」

 そう冷たい声がとんでくる。葛葉は両手で抱えている巨大なダンボールに入った冷蔵庫を腰が砕けそうになるのを必死で耐えながら翼の後をついて行っていた。
 何でも冷蔵庫が壊れたらしく、急に必要になったということで翼に荷物もちとして借り出されていたのだ。一人暮らしなのだから小さい一人暮らし用のにしろよと何度も言ったのだが全く相手にもして貰えず、結局少し大きめのを買われてしまった。

 はっきり言って重い。細身でありながら相当鍛えてはいるので筋力はそこらの男性の比ではないが、幾らなんでも流石に辛い。脂汗が額から流れ落ちる。
 飯を奢ってくれるからという甘言にのってほいほいと呼び出されるべきではなかったと心底後悔していた。ぷるぷると両腕が限界を伝えてくる。眼鏡がずりおちそうになる。
 必死で運んできたものの翼のマンションまでまだ半分以上は距離がある。ちょっと絶望が葛葉の心を支配した。

 ―――逃げ出してぇ。

 そう思った葛葉だったが、もし逃げたりしたら間違いなく殺される。この女の恐ろしさは骨の髄まで沁みこんでいるのだから、比喩ではなくマジで殺られる。
 海鳴駅の付近のために人通りが多い。そのため大荷物を両手で持っている葛葉は注目の的だ。目立つのはそんなに好きではないこともあるし少し恥ずかしい。

 ―――早くこの地獄から逃げ出してぇ。

 一歩一歩確実に歩くものの、ついに両手に限界がきた。そばにあった噴水の段差に冷蔵庫を下ろす。羽のように軽くなった両腕をぶらぶらと振りながら深呼吸。何も持たないことがこんなに幸せだとは思わなかった。
 一休みしている葛葉を見ると、翼が歩みを止め、葛葉のほうへと戻ってくる。勝手に休憩したことを怒るのかと、やべぇと思った葛葉だったが、翼は意外にも何も言わずに噴水の横に置いてあるベンチに腰をおろす。

「お、おこらねーのかよ?」
「流石にそこまで鬼じゃないわよ。少し休憩しなさい」

 震える声で質問した葛葉に、呆れたように返す翼。マジかよ!と心のなかを驚愕が響き渡る。
 天守に魔物在り。天守史上最強の剣士。時間外領域の剣士。永全不動八門の頂点に立つ者。  
 等々。永全不動八門の間でその名を轟かせる少女。血も涙もないと噂されていたが、実際会った当時はそう葛葉も考えていた。

 だが、最近は本当にそうなのか、と思うことも多くなってきている。それもこれも不破と会った時のあの乙女っぷりの翼を見てしまったからなのだが。今でもあれは夢か幻ではないのかと思うときもある。
 その時翼の携帯が音を鳴らす。メールでも来たのだろうかと葛葉が段差に腰をおろし、ぼけーと考えていると翼が凄まじい勢い、というか葛葉の目にも映らない速度で携帯をジーンズのポケットから取り出し開く。メールを見ながら微笑む翼をみて少し不気味さを感じる葛葉。

 無論、他の人間がみたら見惚れたのだろうが、葛葉は翼にそんな感情を持ってはいない。というか、むしろ怖い。カカッと音がするような勢いで携帯を指が叩き、メールを入力する。
 随分と長いこと打っているようで凄い長文になっていそうだ。その雰囲気からなんとなくメールの相手を予想できた葛葉。

「んだよ。不破からでもメールきたのか?」

 瞬間、背筋が凍った。瞬きをした一瞬で、今まで二、三メートル先のベンチに座っていた翼が片手に携帯を、片手に小型のナイフを持って葛葉の喉元に突きつけていたのだから。喉にわずかに刺さっているのかチクチクとした痛みとたらりと一滴血が流れ落ちた。

「次は刺すわよ?」
「い、いや!!刺さってるだろーが!?」
「気のせいよ」

 そう言い張る翼。ナイフを喉元に突きつけながらも携帯をもった片手の方はメールを打ち続けている。なんてシュールな光景なのだろうか、と葛葉が目尻が熱くなった。

 ―――もう故郷に帰りたい。

 そんな翼はスゥとナイフを音もなく隠すとベンチへと戻っていき、座りなおす。ようやく、打ち終わったのか送信ボタンを押して一息。携帯をポケットに戻す。

「にゃーにゃー、ちょっと其処のおねーさん。ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかにん?」

 空を見上げていた翼に話しかけてきたのは長い黒髪に紅色のリボンを結んだ少女。まるで妖精のように可憐な少女であった。その少女に目が釘付けになる葛葉。方向性は違うが翼にも匹敵する美少女である。
 そんな少女に呼びかけられた翼の目が鋭くなる。まるで自分と同格の存在を目にしたかのように。 
 天守翼と御神宴。運命に導かれた二人の道が、今ここに交差する。
 
 翼は自分を邪気の無い笑顔で見つめている宴に内心驚きながら髪を右手でつまむようにして弄る。
 反射的に取ったその行動は、自分が緊張したときに行ってしまう癖のようなものだ。目の前に立たれただけで、髪を弄ってしまうという行動を取ったことは過去一度しかない。三年前の永全不動八門の会談において、初めて恭也に出会ったときだけだ。

 眼前の少女をもう一度しっかりと見てみる。年の頃は良い所十五か十六。自分よりは二か三くらいは下だろうか。外人のような白い肌というわけではないが日本人特有の白い肌。黒い髪と瞳。翼と同じくらいの白い肌を後ろで結んでいる。向日葵のような笑顔で、翼のようにどこか冷たいところが一切ない。見ている者を安心させる包容力が感じられる。

 容姿は、成る程。大変可愛いらしい。葛葉が見とれるのも翼は納得した。
 しかし、翼は一瞬で宴の異様な気配に気がついた。透明すぎるのだ。一般人よりもさらに希薄。気を抜いたら目の前にいるということさえ忘れそうになるほどの希薄さ。
 宴にもし声もかけられずに、万全の準備をされ奇襲をかけられたとしたら一体どうなったことか。

「何の用かしら?」
「おお、綺麗なおねーちゃんは優しいですにん。実は聞きたいことがあるんですけどーここら辺で御神って苗字の家か人知らないかにゃー?」
「ミカミ?どんな字をかくか教えてくれる?」

 内心の揺らぎを一切表情に出さずに、翼が質問を返す。

「えーと、御神の御に御神の神ですにゃん」
「……さて、行くわよ。葛葉」
「うああああん!!冗談!!冗談!!待ってよ、綺麗なおねーさん!!」

 真面目に答えたのか、おちょくってきたのか判断が難しい所だが、翼が席を立とうとする振りをすると、慌てて謝ってくる宴。翼の右手を掴んで行かせないように踏ん張る。

「で、本当はどんな字なの?」
「えーとですねぃ……こんな字ですにゃー!!」

 ポケットから手帳を出すと空白に【御神】と書いて翼に見せる。その予想通りの字に翼がため息をつきそうになるが、抑えて首を横に振った。

「残念ながら知らないわ。この海鳴もそれほど大きくないとはいえ全ての苗字を知っているわけじゃないし、どこかにはいるんじゃないかしら?」
「そっかー残念。手当たり次第聞いてくことにするよーありがっとーおねーさん」
「力になれなくて申し訳ないわね」

「あ、もう一つあった。こっちはどうかにゃー?不破って苗字なんだけど」
「……不破?」
「そそ、こういう字なんだけどねー」

 シャっという音をたてて手帳に【不破】と書く。歳のわりに達筆である。それを見た翼の瞳に剣呑な光が混じった。

「……一つ聞きたいんだけど探してどうするのかしら?その御神と不破を」
「にっしっし。ぶちのめしにいくんだにゃー!!」

 全くといっていいほど隆起していない胸を反らしながら高笑いをする宴。他の人間が聞けば冗談に受け取ったであろうその返事が翼の耳を通る。
 その一言で―――翼のスイッチが入った。

「そう。恭也の敵なのね、貴方」    

 ピシリと空気が罅割れたような錯覚。周囲の空気が変化したことに、目の前の翼の変化に驚愕しつつ、宴は後方へ飛んだ。その頬を一筋の汗が流れ落ちる。
 身体の奥底から寒気が這い上がってくる。これまでの人生でこれほどの圧迫感を受けたことは数えるほどだ。明らかに常人の域を二歩も三歩も超えていた。
 もはや隠す必要はないと言わんばかりの漆黒の闘気。強烈な存在感。その禍々しい気配は己の父である相馬を思い出させるほどである。

「おねーさん、何者?」
「……来なさい。案内してあげるわ」

 宴の質問には答えようとせず、翼はベンチから立ち上がると高町家がある方へと足を向ける。宴は用心深く翼の背中を見つめていたが、歩き去っていく翼に仕方なく止めていた息を深く吐き出す。
 緊張した表情のまま宴は翼の背中を追った。

「ちょっ!?お前ら……俺を置いていくなよ!!」

 残された葛葉が怒声をあげつつ近くのコンビニにダンボールを持って突撃、凄まじい勢いで宅急便の手続きをすると飛び出し、すでに見えなくなった翼を追いかけて全力で走った。
 方向からいって間違いなく高町美由希が住んでいる家の方向だと判断してそちらのほうに走っていく葛葉だったが、その予想が見事に当たった。
 だが、翼は視界の先で大通りから逸れるように横道に入る。どうやら素直に高町家に連れて行くわけではないらしい。

「くっそぉぉおおおおおお!!あいつ完璧に俺のこと忘れてやがる!!」

 雄叫びをあげながら道路を駆ける。そろそろ日も翳ってくる時間帯。太陽が沈みつつあった。生憎と葛葉は気配を感じ取るのは苦手だ。どちらかといったら真正面から何の策もなくぶつかりあうのを好む。バトルマニアだとよく言われる。だから、ここで翼を見失うとどうしようもない。故に必死にもなるものだ。

 大通りから逸れた狭い通路を走っていく。幸いに一本道のようで迷いようが無い。数分も走っただろうか、住宅街の中にぽっかりと空き地があった。そこで翼と宴が向かいあっている。
 息を乱しながら到着した葛葉を二人とも見ようとすらしない。少し寂しい葛葉であった。

「ここが御神の家かにゃん?流石に空き地に住んではいないと思うんだけどにゃー」
「心配しないでもいいわ。ちゃんと教えてあげる。ただし―――」

 パチリと音をたててポケットからナイフを取り出し、宴に向ける。生憎と今日は買い物をしたらすぐに帰る予定だったので日本刀は家に置いてきている。というか、流石にあんな物騒なものを日常的に持ち歩くことはできない。仕込み杖にでもしようかしらと頭の片隅で思考する。  

「貴方が【不破】の敵ならば、ここが墓場になると知りなさい」

 周囲に人がいないこともあって、翼の殺気が膨れ上がる。数千の黒い羽虫がはばたき、襲ってくるような幻視。並の者ならば気を失い、許しを乞うただろう。

「おねーさんは知ってるってことでいいのかに?じゃあ……両手両足くらい切り取ったら教えてくれるのかなー」

 だが、宴は哂った。翼の殺気をまともにその全身に浴びても、涼風を受けた程度の如く。口元を歪めて、背中から小太刀を取り出す。
 鞘から小太刀を抜く。しかも二刀。その二刀の小太刀に翼が訝しげに眉をひそめた。

「じっこしょーかいー。私は宴。御神宴。御神正統伝承者候補ですよー」
「そう。貴方が誰であれ些細なことよ。貴方は恭也の敵。それだけで充分」

 翼が飛翔した。純粋なスピードは翼は美由希に劣る。だが、それはあくまで美由希のスピードが異常すぎるだけであり、翼の速度も十分人間離れをしている。
 ナイフで宴の喉元を狙って突く。疾風となって放たれたその突きを、宴は口元を歪めながらあっさりと上体をさげて避ける。そのまま小太刀で翼の腹部を切り裂こうとして、悪寒を感じ後ろの跳躍した。
 後ろへ逃げると同時に翼の前蹴りが空を切る。物騒な音をたてた前蹴りに宴はヒュゥと口笛を吹く。

「鉄板でも仕込んでるんですかー怖い怖い」

 僅か一蹴りで見抜かれた翼は不満気にしつつ、迫ってきた宴を迎え撃つ。地を這う風のように、地面を走る宴。
 跳ね上がるような小太刀の斬撃。ナイフで受け止めようかとしたが、瞬時にその威力を見抜いた翼が後方へと跳躍。小太刀が空を切ると同時に気づく。翼と宴の間合いの長さ。そして、宴の片手を引くような構え。

 その構えはまるで高町美由希が放ったあの……。

 翼の脳裏をかける美由希。その想像をなぞるかのように、宴が一矢となった。地面を激しく蹴りつけて、捻るように繰り出された小太刀。
 翼を貫かんと放たれた突きを横へ転がるようにして避ける。その射抜を避けられたことに多少意外そうに翼を横目で見る宴だったが、その瞬間、地面を蹴って横薙ぎへ変化。
 その横薙ぎをナイフで下から叩くように反らして、受け流す。今度こそ本気で驚いたように目を大きく見開く宴だったが、顎を狙って跳ね上がった翼の蹴りに慌てて間合いを外す。互いに一足刀の間合いから少し距離を取る。
 小太刀を片方だけ翼に向けたまま、もう片方の手でぽりぽりと頬をかく。

「困ったにゃー。おねーさんちょっと強いや。大抵今の一撃で決着がつくんだけどさー」
「そう。褒められたと思っておくわ」
「褒めてる褒めてる。ちょー褒めてるよ。だからさ、ここらで手打ちにしない?おねーさんのこと気に入っちゃった」

「……恭也に手を出さないのなら別にいいわよ」
「きょーや?誰ですかにゃー、その人」
「貴方が探している不破の剣士のことよ」

 むむ、と首を捻るようにして考える。そして数秒。おお、と思い出したかのように小太刀を空に向けてぐるぐると振り回す。

「きょーや君かー。とーさまから話は聞いたことあるある!!そっかー、あの子まだ生きてるんだ」

 その宴に翼が疑問を持った。まるで恭也がこの海鳴にいるのを知らなかったような様子。嘘をついている印象は全く無い。
 つまり、それは不破恭也が狙いではない?

「もう一度聞くわ。貴方の狙いは何かしら?」
「んー。まぁ、おねーさんになら話てもいいかなー。おねーさんはその不破恭也って子に随分と御執心みたいだけどー」
「べ、別にそういうわけじゃないわよ!!」
 
 顔を赤くして怒鳴りつける翼を見て、宴がニシシと邪悪な笑みを浮かべた。

「いやーん。おねーさん可愛いにゃー!!なになに、その恭也君って格好良かったりするの?」
「そ、そうね……ちょっと無表情なのが……って、何聞いてるのよ!?」
「ぉおう。おねーさんがらぶになるくらいの人かー。ちょっと興味わいたにゃー」
「……話を戻すわ。貴方の狙いは?」  
  
 はぁと首をふりながらため息をつく翼。何とも掴めない少女だ。 
 多少強引にでも話を戻さないと話題が逸らされ続けると判断した翼がもう一度質問する。
 
「んーとね。御神正統伝承者になるために御神美由希って人をぶちのめしにきただけ。実際は不破には用はないんだにゃー邪魔さえしなければだけど」
「……そう」
 
 その嘘偽りのないであろう答えを聞いて翼が考え込む。それが本当ならば翼にとってはどうでもいいことだ。高町美由希が狙いというなら放置しても構わない。
 だが、美由希に手をだすならば恭也が黙っていないだろう。いや、もしかしたら恭也ならば丁度いい鍛錬になると美由希とぶつけるかもしれない。

 ―――どうしたものかしらね。

 一度の交差で分かったが、互いに全力を出していないとはいえ御神宴は強い。底が知れないといってもいい。翼の想像以上の力を持っていた。
 ナイフ一本でははっきり言って分が悪い。相手の小太刀に比べればこんなもの玩具のような物だ。
 幸い宴の戦意もすでに失せているようで、後は翼の返事を待っているだけのようである。

 そんな翼の思考を妨げるように宴から携帯の着信音が流れる。その着信音が誰かの断末魔の叫び声のようで翼は少し引いていた。
 宴が翼とポケットに入っているであろう携帯を交互に見る。ふぅ、と翼が再度ため息をつき、ナイフを仕舞う。有難うとジェスチャーをした宴が小太刀を地面に突き刺すと携帯を取り出して電話に出る。

「やっほっほー。宴ちゃんですにゃー。どうしたの、おとーさま?」

 ふんふんと携帯に返事をする宴。そして、おおぅ、と驚きの声をあげる。

「あら、本当かにん?じゃーすぐそっち向かうねー」

 携帯を切ると、ポケットにしまいなおす。小太刀を地面から抜くと鞘に納めた。

「いやいや、ごめんねーおねーさん。本当に悪いんだけど逃げるとしますにゃー私」
「……そう。恭也に手を出さないのならもういいわ、行きなさい」
「にゃっはっはー。あ、そーだ。おねーさんの名前なんていうの?教えてほしいにゃー」
「翼。天守翼よ」
「翼さんですかー。多分、私達縁があるよー。また会おうね」

 ニシシと笑いながら翼に背を向ける。そのまま凄い速度で空き地を駆け抜け、姿を消した。
 その姿を見送っている翼に葛葉が頭をかきながら近寄ってくる。

「何だったんだよ、アイツ?」    
「さぁ?」

 翼は適当に返事をすると首を手で押さえた。ツゥとその手からあふれ出るように赤い血が流れ落ちる。首の皮一枚を持っていかれていたのだ。
 恐らくは射抜を避け、横薙ぎを放ってきたその瞬間。一撃は防いだが、追撃に放っていたもう一閃。

 面白いと、翼は思った。御神流にはまだまだとんでもないバケモノがいたのだ。焼け付くような痛みが響く首を押さえながら翼は笑みを浮かべる。
 ようやくその傷に気づいた葛葉が頬をひきつらせた。先ほどの戦いを見てとんでもない腕前だとは思ったが翼に傷をつけることが出来るほどだったとは思ってもいなかった。むしろ、翼に怪我おを負わすことが出来た人間を葛葉は美由希しか知らない。

「お、お前その怪我……さっきの女、なんて奴だ……」
「そうね。正直舐めてたわ。しかも、あの御神宴は全く本気をだしていなかったし」
「……マジかよ」
「ええ。さっきで全力のいいとこ七割程度じゃないかしら」
「あれで七割か……」

 自分と宴が戦う場面をイメージする。どう考えても勝ち目などない。

「でもね―――」

 翼が哂った。何時ものように自分以外を見下すように。宴が去っていった方向を見つめたまま。

「―――私は全力のせいぜい五割程度よ」  





















「あ、あいたた……な、なんなのさ、もう。翼さんってなんて極悪な……」

 宴が数分も駆け、完全に翼から距離を取ったのを確認すると鈍痛が響く脇腹を押さえて蹲った。骨は折れていないようだが、鈍痛が止まない。ヒビが入ったくらいだろうか。
 時間にして一分にも満たない戦いの交差。いってしまえばただの小手調べ。互いの実力の一端しかだしていない死合い。

 その戦いの中で確かに宴の小太刀は翼の首の皮一枚を斬っていた。だが、そのお礼と言わんばかりに脇腹を蹴られていたのだ。
 しかも、ご丁寧に衝撃が内に響くような蹴り方。御神流で言えば徹を込めた一撃。完全に決まったのではなく、軽く入っただけなのだろうが無傷では済まなかった。
 それに翼が使っていたナイフ。どう考えても本来の得物ではない。おそらくただの護身用の武器だったのだろう。つまり、それは護身用の武器一つで自分と渡り合ったということ。恐ろしい、と宴は翼を評価した。

「何蹲ってるんだ?拾い食いでもしたのか」
「実の娘に対してそれはひどいとおもうにゃー」

 いつのまにか宴を見下ろすように正面に立っていた相馬が可哀相な人を見るような瞳を向けて見下ろしていた。それに即座に反応する宴。  
 宴が脇腹を抑えているのに気づくと、ほぅと興味深そうな視線に変わる。

「お前に怪我をさせるほどの使い手がいたのか」
「あー、うん。天守翼だってさー。強いよ、でたらめに」
「……天守?そいつは刀を使ってたか?」
「んにゃー。ナイフ一本だったよ。あ、でも本来の武器じゃなかったと思う」
「そうか。まぁ、間違いねぇな。そいつは永全不動八門の奴だ。なんでこんな辺境の町にいるのか知らんが」

 厄介なことにならなければいいが、と相馬がもらす。痛みが徐々におさまってきた宴が立ち上がる。
 かといって暫くは全力でいけそうにもない。こんなことなら最初から全力で翼に向かって行けばよかったと後悔する。確かに恐ろしいまでに凶悪な気配だったがナイフ一本ということで甘く見ていた。

「まぁ、とっとと行くぞ。それらしい場所が分かった」

 ガシと宴の襟を掴むと引っ張るように歩いて行く。引っ張ると同時に足を払われ引き摺られるまま荷物のように連れて行かれる姿を周囲の通行人が気味悪そうに見ていた。

「なんか物扱いされてるんですけどにゃー」  
「気にすんな。で、だ。少し調べたんだが御神美由希のことが大体のことは分かった」
「ほほぅ。よく調べれたよねー」
「蛇の道は蛇っていってな。多少苦労はしたが。御神美由希の今の名前は高町美由希になっているらしい。士郎の野郎は随分と昔に逝っちまったようだ。後は恭也って兄がいるという情報なんだが……」
「ああ。不破恭也君?」

 まさか宴の口からその名前がでると思わなかったのか相馬が驚いたような気配を醸し出す。引き摺られているのでよく分からなかったが。

「ああ、そうだな。まさかあの不破の小僧がまだ生きてるとは思っていなかった。こいつは無視しても構わん。もし剣を向けてくるようなら―――俺が相手をしてやる。お前は御神美由希をやれ」
「あいあいさー」

 































 

 レンの視界に広がるのは染み一つない天井。自由にならない四肢。胸がズキズキと痛む。
 レンは病院の天井をベッドに寝ながら見上げていた。そばには母の小梅が心配そうにレンを看病している。それを横目に見て分かった。これはあの頃の夢なんだと。
 随分と昔の夢。まだ、神奈川の病院でお世話になっていた時代。外で遊ぶなど出来ずに友達も作れず、寂しい日々を過ごしていたあの幼少の頃。

 運動はおろか、日常生活を過ごすのさえ苦労してたレンにとって病院だけが自分の世界だった。
 その時、コンコンと病室のドアを叩く音が聞こえた。小梅が椅子から立ち上がりドアに向かう。開けて、外にいた人物を見て顔を綻ばせる。

「桃子ー来てくれたんや。ありがとなー」
「レンちゃん大丈夫?あ、これうちで作ったお土産だから良かったら食べてね。味は保証できないけど」
「ややわー。あんたの作った物が保証できへんかったらうちのはどうしようもないやんか」

 わはは、と明るく笑う小梅と桃子。
 そんな二人がしばらく談笑していたが、少し飲み物を買ってくると部屋を後にする。後に残されたのはレンと桃子について見舞いに来ていた恭也。
 レンがベッドから上半身を起こし、座るように腰掛けた。

 ……この頃のお師匠かわええなぁ……。

 夢を見ているレンはまだ幼い恭也の姿を見てほんわかとした気分に包まれる。今の恭也と見比べるとやはり随分と違う。もう数年も前の話なのだ。確かに、この頃でも大人びて見えはするが、やはり可愛い。

「……久しぶり。身体の方は大丈夫、かな?」
「……わざわざ見舞いにきてくれてありがとー恭也君」
「いや、丁度休みだったし気にしないでくれ。残念だが美由希は少し用があって来れなかったが」
「……そっかぁ。美由希ちゃんにも、会いたかったなぁ」
「今度は首に縄をつけてでも連れてこよう。楽しみにしておいてくれ」
「あはは。おもろいなぁ、恭也君は……」

 恭也はレンの傍に行きテーブルに荷物を置く。甘いにおいがレンの鼻に届く。桃子の持ってくる洋菓子をレンは何よりも好きだった。
 手ぶらになった恭也はレンから少し距離を取る。それにレンは首を傾げる。

「以前言っていた、中国拳法の型を修得してきた。まだまだ未熟ではあると思うが見てくれたら嬉しい」
「ほんまー?恭也君、うちのためにわざわざ覚えてきてくれたん?」
「……あまり期待しないでおいてくれ」

 少しだけ照れたようにそういう恭也にレンは嬉しそうに笑顔を向ける。そして、恭也はレンの前で演舞をおこなった。それは文字通り舞とも見えただろう。それほどに、流れるように美しい。完璧とは言えないまでも、そう表現しても構わないほどに洗練された動き。
 普段は使える時間ほぼ全てを御神流を極めるために費やしている。その合間を縫っての中国拳法の型の修得。二ヶ月ほど前にレンの見舞いに来たときに、彼女がその中国拳法の型が格好いいと言ったのを覚えていた。

 レンを少しでも喜ばせようと恭也は死に物狂いの鍛錬の間に、型を飽きるほどに繰り返していたのだ。

「かっこええなぁ……恭也君、かっこええわぁ」

 そう眩しげに恭也を見つめるレン。それは尊敬の眼差しであった。
 レンは目を瞑る。そして、自分の想像のなかで恭也の型を何度も反芻するように思い出す。

「こうして、こうして、こう……うん、こんな感じ」   

 足元が覚束ないようだが、レンは腰掛けていたベッドから立ち上がる。それに驚いたのが恭也だ。
 ベッドに戻そうとする恭也だったが、レンは首を振る。

「一度だけ、やらしてほしいんや……そしたらベッドに戻るよー」
「……無理は、するんじゃないぞ」
「うんー」

 そして、恭也は真の天才というものを見た。天才という言葉すら生温い。才能という言葉さえ生温い。絶対的で圧倒的な天からの才能。努力などでは塗り替えられない、決して届かぬ絶壁の頂点に戴く幼き武神の一端を見せられた。
 レンは恭也が行った演舞を、一寸の狂いもなく、やり遂げてしまった。型を完璧にこなしたわけではない。恭也の少しだけ失敗したであろう部分さえも同じように、ビデオのリプレイを見るかのように、全くもって完璧にこなしてしまった。  

 恭也の動きを再現しただけ。言葉にすればそれだけだが、実際それがどれだけのことだったのか、この時のレンは知らなかった。そして、それを見た恭也の衝撃を予想することはできなかった。
 無論、それは無理なかろう。まだ幼い少女がそんな相手の、恭也の心情まで考えることなどできはしまい。レンが悪いのではない。誰かが悪いのではない。

 ただ、この時に恭也は気づいてしまった。どうしようもないほどの才能の差というものを。恭也が例え本気で取り組んだことではないにせよ、二ヶ月の間かかって昇華させたその演舞を、たった一度だけ見たレンが同等のことを再現させてしまったのだから。
 レンに対して不思議と嫉妬の感情はわかなかった。もはや嫉妬というものさえ感じられない。そんな感情を置き去りにするほどの天才を見たのだから。

 























「懐かしい夢やなー」

 レンは高町家の縁側に寝転がりながら転寝をしていたようで、目を開ければ幼い頃の病院ではなく、夕陽が全身に降りかかっている光景であった。
 起き上がってみれば視界の端にはなのはと晶が遊んでいるのが見える。どうやら転寝をしてそれほど時間がたったわけではないらしい。数分か、十数分程度のようだ。

 欠伸をする。目尻から流れそうになった涙を指で拭う。すでに晩御飯の準備はできているのであとは皆が帰ってくる時間帯に合わせて調理すればいいだけだ。
 ぼーと二人の遊んでいる姿を見ながら夢を思い出す。あの頃の苦痛しかない夢。時々きてくれる恭也だけが唯一の楽しみであった頃。
 
 そこに幼かった自分の愚かさを見ながら―――恥ずかしく思った。
 あの時、恭也が自分の目の前で型を披露してくれた時に何故自分は、それを再現してしまったのかと。
 ただ、恭也の型はこんなにも格好よかったのだ、と。見せたかっただけだ。だが、それがどれだけ恭也の努力を踏み躙った行為だったのか。どれだけの無力さを恭也に味あわせてしまったのだろうか。

 きっと恭也はそのことを気にしていないだろう。だが、レンはそんな自分が決して許せなかった。恭也に対しての返しきれない恩と、自分が決して赦さない咎。レンはそのことを決して忘れなかった。
 その時、呼び鈴の音が高町家に響き渡る。それに気づいたなのはと晶が玄関の方へ足を向けた。

「はーーい」

 なのはがそう声をあげて玄関へと向かう。
 だが、レンは感じた。あまりにおぞましいほどにどす黒く染まりきった気配を。恭也と似た、しかし、明らかに最後の一線をとっくの昔に踏み出してしまった禍々しい気配。
 鳥肌が立つ。この気配を放つ者は、人間というのすらおこがましい。ナニかいけない存在だ。

「アキラァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!なのちゃん、止めぃ!!」
「え?」

 突然の雄叫びに、レンを振り返る晶。それが逆に晶の足を止めてしまう結果となったことに、しまったと舌打ちをする。縁側から飛び上がると、玄関に向かうなのはの元に疾走する。
 視線の先、玄関と庭にの間。そこに立っているなのはの前に一人の男性と少女が歩いてきた。相馬と宴だ。

「あ、あのどなたさまでしょうか?」

 相馬の目に怯えながらもそう聞いたなのはを、あろうことか相馬は―――。

「邪魔だ」

 何の容赦もなく、蹴り飛ばした。鈍い音が聞こえる。ボールのように弾き飛ばされたなのが地面に激突する瞬間、レンが滑り込むようになのはを抱きとめた。
 慌ててなのはの様子を見る、レン。幼い頃から病院通いだったために一般人よりは知識はある。それでも難しいことは分からない。

 骨が折れたとかそういう怪我はないようだが、意識がない。そんななのはを見て、レンの心に黒い感情が音をたてて広がる。
 殺気が篭った目で射殺さんばかりに相馬を睨んだ瞬間、さらに強大で巨大で凶悪な、漆黒の殺意が周囲を包む。相馬が面白そうに戦闘体勢を取っただけ。明らかな格の違いというものを相手に叩き込む。
 血臭がする。すでに体臭に染み込むほどに人を殺し続けた殺戮者。平和とは対極に位置するであろう、バケモノが眼前には居た。

「う、あ……」

 怯えるように、晶が声を震わせた。心の全てを塗りつぶすほどの殺気にガタガタと身体を濡れた子犬のように震わせた。ガチガチと歯がなる。師である巻島十蔵とは異なる絶対者。何度闘っても、決して勝てない。そう思い込まされてしまうほどの力量差。

 心が、折れた。
 そう晶を判断したレンが、抱いていたなのはを晶に託すように渡す。怯えたような目でレンを見る晶。

「今すぐ、なのちゃんを、病院へ連れていくんや」
「で、でもよ。お、お前は―――」

 なのはを晶に渡すとレンは相馬と宴に向き直る。そして、構えを取った。

「アキラァアアアア!!はよ、行くんや!!」

 レンの無言の決意を受け取った晶は、なのはを抱いて走った。庭先の塀に走っていき、手をかけ、足で蹴り上げ乗り越える。
 それを見ていた相馬が宴を見る。あいつを追って来いというように視線だけで合図を送る。
 なのはを蹴った相馬に不満気な視線を送りつつも、晶を追うように走り出す。そして、レンの横を通り過ぎようとした瞬間。
 ドン、という大地が揺れる音を聞いた。地震がおきたのか、とすら勘違いするような振動。背筋を這う、冷気。寒気がする。鳥肌が立った。

 考えるまでも無く、本能がその場から飛びのくという反射行動を起こしていた。間合いを取り、その音を発生させた原因……レンに目を向ける。
 レンが地面を踏んだ音。ただの震脚。それは宴を威嚇するかのように踏み込んだだけの音だった。 

「いい判断や。もし、もしもあのまま晶追っとったら……次に眼を覚ますのは病院のベッドの上やったで」

 そうレンが言い捨てる。何を馬鹿な、と一笑できない本物の言葉がそこにはあった。そして、もし晶を追っていたら確かにその通りになっていただろう。それほどの気配を今のレンは漂わせていた。
 空気が振動する。相馬の殺気を飲み込むように、弾き飛ばす。目の前の宴よりも幼く、小柄なレンが相馬の圧力に屈しないことに二人は驚きを隠せなかった。

「―――名を聞いておこうか」

 相馬がそう言った。それに宴は今日何度目になるかわからない衝撃を受ける。。相馬が相手に名を聞くのは相当な手練れのときだけだ。宴と長い間一緒に居るが両手の指で足りるほどだ。  

「姓は鳳。名は蓮飛。高町恭也を師に持つ、武術家や」

 孤高の天才は―――威風堂々、二人の怪物を前にしながら何の揺らぎも無く、恐怖もなく、躊躇いもなく宣言した。 

 









 海鳴市西町の辺鄙な一画にある場所。
 八束神社と呼ばれる神社。ゆうに百段を超える階段を登らなければならず、若干住宅から離れているために訪れる人が少ないと思われがちだが安産祈願の神社ということもありそれなりにお参りに来る人は多い。

 階段を登りきった先、幾つかの鳥居を越えて神社が存在する。ここの神主はすでにかなりの高齢で滅多に顔をだすことはないという。代わりに、境内の掃除を普段からやっているのが可愛いと評判の巫女である。
 少々どじなところがあり何もない場所で転んでいるのを幾人かの参拝客が目撃したという。ようするに、神咲那美のことであるのだが。

 その那美が今日も八束神社の境内にいた。普段なら箒で境内を掃いているのだが、今日は珍しく掃除をするでもなく、神社の奥にある鬱葱とした木々の奥を黙って見つめていた。

「くぅん」

 そんな那美と若干離れた場所に小さな子狐がいた。金色の毛並みが夕陽に映える美しい子狐だ。首に小さな鈴をつけている。その子狐も那美と同じく森の奥を心配そうに伺っていた。
 子狐があげた声。それが那美の耳に届き、那美は森の奥へと向けていた視線を子狐にあわせた。

「美由希さんの邪魔をしちゃ駄目だよ~久遠」
「……くぅん」
 
 少しだけ苦笑したようにそう言った那美に呼びかけられた久遠という名の子狐は不満そうに一鳴きして野生動物らしい俊敏な動きで那美のもとへと駆け寄ってくる。
 すりすりと那美の足に頬をすりよせる久遠の瞳は揺れていた。
 そんな久遠を持ち上げて自分と同じ目線まで引き上げると、那美はにこりと一切の不安も感じさせない笑みを浮かべる。

「大丈夫だよ、久遠。美由希さんは強い人だから」
「……くぅん」

 久遠を力いっぱい抱きしめると那美は森を見つめた。
 今は見えないが、その先にいるであろう自分の親友を思い描いて、祈るように。
 それに倣うように久遠もまた、木々の先を見つめるのであった。



























 那美と久遠が居る神社の境内から離れること数百メートル。
 鬱蒼とした木々を抜けた先、美由希と恭也が鍛錬を行う場所に美由希は居た。
 そこは他の場所とは異なり直径にして数メートルほどではあるが、木々は取り除かれた空間となっている。二人が素振りや筋力トレーニングを行うために整理した場所だ。
 
 勿論、実戦を想定した試合もそこで行うが、大抵はこの広々とした森全体を使用する。常にひらけた空間で戦えるわけではないからだ。というか、御神流は元は暗殺を生業としていた一族。
 それが時代の流れに乗って暗殺業から護衛の仕事へとシフトしていったのだから基本的には室内での戦闘を想定していることのほうが多い。
 それ故に小太刀を扱っている。屋内の狭い空間で刀をふるうことは難しい。少しでも戦いやすいようにと小太刀へと変化し、暗器なども取り入れてきたのだ。

 美由希は地面に正座をしていた。その膝の前には二刀の小太刀を並べている。
 もし美由希を見ている者がいたならば思わず見惚れてしまうような美しい姿であった。容姿ではなく、その正座をしている姿が美しいのである。……無論美由希自身大変可愛らしい女性であるのだが、なにぶんやぼったい眼鏡をかけているのでその魅力に気づいている人間は身内のみに限られている。
 それと恭也の唯一の親友とも言うべき赤星勇吾も加えなければならないだろうが。
  
 そんな美由希は彫刻のように僅かな動きもなく、瞑想していた。僅かに聞こえるかすれるような呼吸音。それさえなければ美由希が本当にいきているのかどうか不安に見えることだろう。
 チチチッとどこかで鳥の鳴く声が聞こえる。カサカサと小動物が茂みを揺らす音が響く。風が巨大な木々の葉を揺らす。
 そんな世界で美由希は自然と一体になっていた。美由希は動物に好かれにくい体質である。だが、今ならば何の不安もなく、動物達は美由希のもとへと寄ってくるだろう。

 瞑想をしている美由希の心の底。深い深い心の中。
 漆黒が支配するその世界に美由希は居た。周囲は一切の闇。光一つとない空間。

 そこに降り立った美由希は確かめるでもなく、理解していた。ここに彼女がいるのだということを。
 あの、桁外れというに相応しい人外なる存在がいるということを確信していた。

 そう確信を持った瞬間、闇が収束していく。音もたてずに、美由希の眼前に集まっていった闇が人の形を取り始める。
 そして、美由希の僅か一メートル程前に彼女が現れた。

 艶やかで長い黒髪。それとは正反対の白磁のような肌。氷のように冷たい表情。だが、本能的に見惚れてしまうような顔立ち。この闇なる世界では場違いのように感じる大きめの和服姿。
 見かけだけでは想像できないような剣士。絶対的なる強者。美由希の知る限り最強の存在。師であるあの恭也さえ上回るであろうその次元が異なる技量。
 御神流を体言すると豪語する言葉も納得せざるをえないほどの存在。神速のさらなる先の世界へと足を踏み入れた天守翼を一蹴した者。
 その瞳で睨まれただけで美由希は体が竦んだように動きが取れない。吐き気がしてくるほどの威圧感。気を抜けば気を失うことになるのは火を見るよりも明らかであった。

 そんな【御神】が突如としてその氷の表情を崩す。
 嬉しそうに笑みを浮かべ、両手を広げた。

「素晴らしいのぅ。御神宗家の娘よ。否、そろそろ御神美由希と呼ばねばなるまいて」
「……」

 コロコロと鈴がなるような美しい声。思わず魅了されてしまいそうになるほどの魅力をその声に宿していた。
 それに美由希の想像していたのとは全く異なる【御神】の反応に少し気味が悪いものを感じる。

「妾は嬉しいのよ。齢十七にしてこの妾と対話できる存在がいるとは夢にもおもわなんだ。そのような者、御神の歴史を遡っても存在せぬよ。お主は知らぬかもしれんが、かの才媛、御神琴絵でさえも二十を越えてようやくといったところであったのにのぅ」
「御神琴絵、さん?」

 【御神】の口から出た人物に美由希が辛うじて反応する。その名前に聞き覚えがあったからだ。
 恭也から聞いたことがあるその名前。父である静馬の姉である女性。御神流最盛期であったとされるその時代において、体さえ病弱でなかったならば歴代最強の御神の剣士の称号を掴み取れたであろう女性。
 あの恭也がかつて語った四人の天才。その四人を凌駕しかねないと言った事がある。幼き頃の恭也では琴絵の全てを把握できなかったと苦笑して語ったのだ。

「あ奴もまた随分と外れた娘ではあったがのぅ。生きていればどうなったものか……今更想像しても仕方のないことではあるが」

 額に手をあてて、ふぅと疲れたようにため息をつく【御神】。
 外見とは裏腹になんとも人間臭い【御神】に正直少しだけ安堵する。
 漫画や小説では大抵このような霊とは憑いている人間を呪い殺すなど、縁起でもないことをしでかすものだからだ。

「貴方にどうしても言いたいことがあったんです」
「ふむ。何かのぅ?妾に答えられることならば偽らず答えようぞ。ほかならぬ妾の宿主の問いなのだから」

 妖艶に笑う【御神】に対して、美由希は息を深く吸う。下腹に力をいれて、一気に全てを吐き出すように、美由希は高らかに叫んだ。、

「……私は、貴女を超えてみせる!!」
「……」
「私と天守さんの戦いのときは確かに救われました!!感謝します!!でも、あれは私の戦いです!!私は、私は、私は!!私はーーーーーーーーーー!!」

 ズズズッと音が聞こえるほどの、禍々しい質量をもった気が美由希の周囲を漂いはじめる。周囲の闇を打ち払うほどの鬼気。
 反射的に【御神】が顔を歪めるほどの歪んだ威圧感。先日の天守翼との戦いとは明らかに質が異なっている。
 美由希もまた、翼との戦いでその世界を引き上げられたのだ。翼が【御神】と戦い、新しい扉を開いたように。

「私は、私の弱さを打ち倒し、貴女の世界を超えてみせる!!」
「……」

 【御神】が返すのは沈黙。まるで予想外のことを言われたように、呆けた顔で美由希を見返していた。
 対する美由希は視線鋭く、【御神】を射抜いている。二人の視線がぶつかりあうこと、十数秒。周囲の沈黙が支配する空間に響くように妙な声が聞こえた。

「……くっ……ふっふっふ……」

 それは押し殺すような笑い声だった。

「くはははははははははっ!!あははははははははははははは!!」

 やがてそれは周囲を満たす狂笑となった。我慢できないといわんばかりに、【御神】は腹を押さえて笑っていた。
 こんな愉快なことはない。御神流の歴史のなかで、楽しいことや悲しいことなどいくらでもあった。だが、これほどまでに面白いと思えたことなどあっただろうか!!
 【御神】にとって、自分は御神の者達に畏怖され、崇められるのが常であった。崇拝の対象。一種の信仰の象徴ともいえる自分にたいして、このような発言とも暴言ともとれることを真正面から言われたことなどあっただろうか!!
 あるはずがない!!考えたことさえもない!!在り得るはずがないのだ!!
 だというのに……そうだというのに、この少女は、御神美由希は……!!

「くふふ……!!良いのぅ、お主は最高じゃよ!!だがのぅ、力を伴わなければ所詮お主のそれは理想に過ぎぬよ」
「……分かっています。だからこそここで宣言します。私は貴女を必ず超える、と」
「……全くもって、この時代は外れた逸材ばかり存在するのぅ。いやはや、実に素晴らしいよ」

 そういって【御神】は目元に浮かんでいた涙を拭う。これだけ笑ったのは何時以来であろうか。いや、むしろ初めてかもしれない。
 笑うことはあっただろう。だが、ここまで我を忘れたかのように、声を上げて笑うことなどなかった。
 
 そんな【御神】を置いて、美由希は眼をつぶった。これで自分の言いたいことは終わりだと、そういう態度であった。
 それに若干慌てたのは【御神】だ。

「まさか、それだけを妾に言いにきただけだではあるまい?妾に何か聞きに来たのではないのか?」
「私は貴女の歴史にも、貴女の存在理由にも興味はありません……というのは少しだけ嘘ですけど。貴女を超えたその時に、全てを教えてください」
「……なんともはや面白い娘よ」

 苦笑。それしかできない【御神】であった。
 自分に戦いを任せればそれだけで戦闘というものはこと足りるのだ。最強というに相応しい、自分にさえ頼れば美由希は今すぐにでも、文字通り世界最高峰の存在になれるのだ。
 過去、御神の長い歴史において、【御神】を宿したが故に、驕った者もいた。御神に頼りきる者もいた。

 だがしかし、美由希は違う。【御神】に頼ることなど僅かたりとも考えてはいない。
 【御神】を超えることを目標に、自分を鍛え続けるつもりだ。無理だとか無茶だとか、そのようなことを一切感じていない。
 できる、と信じているのだ。必ず超えられると。
 愚直なまでに真っ直ぐでありながら、どこか禍々しいその気配。正か負か。一歩間違えればどちらに転ぶかも分からない。その純粋さ。

「……愉しみにしておるよ、御神美由希よ。それと不破の子倅にも宜しく頼むよ」

 そう苦笑気味にもらした【御神】の言葉が美由希に届いたその瞬間、世界は光に包まれた。
 眼を空けたその時、焼け付くような太陽の光が美由希を満たす。思わず反射的に薄めになる。数秒で目が慣れ、太陽の光が僅かにオレンジ色をさしているのに気づく。

 周囲は薄暗い木々。その隙間から差し込むのは夕陽の光であった。もう冬も近い季節のせいか、太陽が沈むのも随分と早くなったようだ。
 それに加えて、肌寒い。今年は異常気象のせいか、夏は真夏日ばかりで鍛錬も苦労した嫌な日々を思い出す。秋も例年に比べて暑かったが、流石に冬になるとそのようなこともなく、息が白くなってきている。

「……ふぅ」

 肺のなかにたまっていた息を吐き出す。寒いはずなのに頬を伝っていた汗を手で拭った。
 【御神】に会ったのはほんの短い時間だ。だというのにかなりの体力を消耗していた。【御神】には強きの態度を取ったが、それは虚勢であった。
 あのバケモノを前にして声も震わせずに相対することができた自分に少しだけ美由希は満足する。

 まだまだ自分程度の腕ではあの存在には届かない。
 それでも、上を見て歩かなければならないのだ。自分はあの高町恭也の弟子なのだから。
 だれよりも強くあらねばならないのだ。師が望むように、誰よりも何よりも、最強に近づかなければならないのだ。
  
 ゆっくりと正座から立ち上がると、両手を合わせて空に向かって伸びをする。
 ポキポキと骨がなる音がして少し気持ちいい。
 深く深呼吸をすると地面に置いてあった小太刀を拾い袋に入れた。

「そろそろ帰ろうかな。今日の晩御飯はレンだったっけ。楽しみだな~」

 



























「俺の、馬鹿!!俺の、大馬鹿!!」

 辺りは既に太陽が沈みつつあり、暗闇が支配するようになる時間帯。街灯が道路を照らす。
 その道路を晶は走っていた。背中に背負うのは高町なのは。彼女の妹ともいえる存在。
 普段は天真爛漫というに相応しい笑顔をふりまき、高町家に安らぎを与えてくれる少女が今は意識がなく、ぐったりとした様子で晶に背負われている。

 晶の耳に届くのは弱弱しい呼吸音。
 ギリギリと奥歯を噛み締める。砕けても構うものかといわんばかりに。そうでもしなければ我慢できなかった。
 
 このような惨劇を招いたあの男を晶は呪っていた。なのはのような年端もいかない少女を容赦なく蹴り飛ばすなど、明らかに正常な人間ができることではない。
 そして、もう一つ許せない者がいた。それは……。

「ん?どうした、晶?」
「っ……ゆ、勇兄ぃ」

 突如として声をかけられて反射的に晶は止まった。そして振り向いてみればそこにいたのは風芽丘学園の制服をきた人の良さそうな青年。
 激走している晶を呼び止めたこの青年の名前は赤星勇吾。
 恭也とは数年来の腐れ縁であり、そして間違いなく親友であり、剣の友である。晶とも長い付き合いであり、草間一刀流という剣道を習っている。

「俺は今日の鍛錬が終わった帰りなんだけど、どうかしたのか?」
「勇兄ぃ……なのちゃんが、なのちゃんが……」
「なのはちゃんがどうかしたの―――っ!?」

 薄暗いせいで赤星も晶に背負われているなのはの様子に気づいていなかったようだが、晶の尋常ではない様子と、近づいて見たなのはの意識がない姿を見た途端、ただ事ではないことにようやく気づいた。

「なのはちゃんは一体どうしたんだ!?高い所からでも落ちたのか!?」
「……勇兄、なのちゃんのこと頼みます」

 晶はおもいっきり首を横に振る。
 そして晶はなのはを赤星に託すように渡す。壊れ物をあつかうかのように優しく慎重に。
 赤星はわけも分からないままなのはを受け取ると、元きた道を戻ろうとする晶の肩に手をかけて引き止めた。

「待つんだ、晶。お前は……」

 肩に手をあてて赤星は気づいた。晶はガタガタと小刻みに震えていることに。
 寒いからではない。良く見ればガチガチと歯が鳴っている。それは……赤星にも経験があることだからすぐに理解できた。

 晶が抱いている感情。それはつまり……恐怖。決して拭えぬ、人の根源に染み付いた感情。
 かつて自分が願い、本気の恭也と打ち合い、叩きのめされ、味わったそれ。だが、自分の親友がそれほどの高みにいるのだと、人はどこまでも強くなれるのだと、身を持って教えてくれたあの時に、感謝とともに身に刻んだ感情。

「やめるんだ、晶。今のお前では……」

 そこで赤星は言葉を飲み込んだ。晶の怯えた瞳と向かい合い、だが、怯えながらも退かぬであろう光を奥底に見たから。
 自分がかつて恐怖を覚えたとき、克服するのにどれだけかかっただろうか。少なくとも一週間や二週間では足りなかったはずだ。
 
 悩んで苦しんで、師に教えを請いて、夜も眠らずに自分を見つめなおして……。
 いっそのこと剣を置こうと何度考えたことか。

 そんな自分を立ち直らせてくれたのはやはり己の友であった。恐怖を刻み込んだ恭也が、赤星に立ち直る道へと導いてくれた。
 経験したからこそ分かるのだ。心が折れた状態で、何が出来るというのか。戦うことなどできはしまい。
 晶になにがあったかわからない。なのはの様子からただ事ではないのはわかる。きっと誰かに傷つけられたのだろう。
 晶はそれに向かっていこうとしているのだ。こんな状態で!!

 無茶だとしかおもえない。どのような相手かわからない。それでもきっと相当な兵なのだろう。
 そんな相手に今の晶が立ち向かってどうかなるとは思えない。
 だからこそ、赤星は晶を止めようとした。引き止めようとする言葉が喉からでようとした瞬間に、晶が口を開いた。

「おれ、は……俺が許せないんだっ!!」
「あき……ら?」

 吐き出すような熱量を持った言葉だった。
 晶は呪っていた。相馬を。そして自分自身を。

 なのはが蹴り飛ばされたとき一番近くにいたのは誰だ?
 自分だ。

 なのはが傷つけられたとき何をしていた?
 相手の殺気に怯えていただけだ。

 レンが二人相手に戦おうとしたとき何をした?
 なのはをつれて逃げ出すことしか出来なかった。

 晶は恐怖に負けたのだ。相馬の禍々しい殺気に怯えたのだ。
 恐怖に負けてなのはを守れなかった!!
 レンを置き去りに逃げ出した!!

「俺、は……いくよ、勇兄。だからなのちゃんのことをお願いします」

 泣きそうな顔で、そう赤星に願う晶。普段とは正反対のその晶の様子に赤星が止めようとして……言葉を呑んだ。
 俺では止められない……そう赤星は感じた。
 無力感。それが赤星を包み込む。
 
 赤星をその場において走り出す晶。遠目にでも分かる。
 怒っていても、憎しみを抱いていても、晶は怯えているのだ。恐らく戦っても決して勝てぬであろう相手だと分かっているというのに。

「ああ、くそっ。お前はなんでそんなに真っ直ぐなんだよ!!」

 外見には似合わない台詞を吐き捨てて、赤星は海鳴大学病院の方向へと走る。なのはを抱いて。
 そして制服のポケットから器用に携帯電話をだすと操作して電話帳に登録している番号へとかける。

「高町ぃいいいいい!!今日は一回で出てくれよ!!」




  

 
 
   



















 海鳴大学病院という病院がある。海鳴に住む者にとってはいきつけの病院であり、様々な人が通っている。
 高町家でも長女的存在であるフィアッセ・クリステラが遺伝子科に通院していた。最近は本業のシンガーのほうで世界中をかけまわっているため通っていないのだが。
 他にもレンが心臓外科でお世話になっていたのだが、去年ようやく手術で完治。その後の術後経過を見るたびに稀に通っているくらいだ。
 そして恭也と美由希は整体科。尋常ではないハードな鍛錬を行う二人にとって、整体は欠かせない。
 そんな海鳴大学病院の一画にて……修羅があった。

「ぅぐぅううぉおおおおおお……!!」

 バキィバキィと骨が軋む音が病室に響き渡る。
 悲鳴とも苦悶の声とも判別つかない音が恭也の口から漏れ出ていた。

「せーの♪」
「っっ……!!」

 可愛らしい声とともに再びメキメキという不気味な音が高鳴る。
 診察室の隅。白いベッドの上に寝転がっている恭也の上に跨るように銀髪の妖精が少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべて整体を行っていた。
 
 あの恭也があまりの痛みに声を押し殺すのがやっとである。その痛みはおしてしるべし。
 美由希は初めてこの銀髪の妖精……フィリス・矢沢医師の整体を受けたときあまりの凄まじさに悶絶したほどである。

 身長およそ153センチ。その小柄な体のどこからそんな力がでてくるのかと疑問を覚える余裕もなく、この地獄の整体は続いていく。
 ルンルン気分で恭也にマッサージする姿は銀髪の悪魔の方がある意味相応しいかもしれない。
 この光景を初めて見た看護師は大抵、怯えて逃げ出してしまう。が、なれてくるとすでにある種の名物ともいえる光景になっている。
 流石にこのような整体は恭也と美由希にしかしていない。というか、普通の人にしたら全身の骨が折れそうである。
  
「はーい。お終いですよ。お疲れ様です、恭也くん♪」
「あ、有難うございました……」

 
 跨っていた恭也から降りると、スリッパを履いて部屋の隅っこにある机へと向かうフィリス。
 対して恭也は息も絶え絶えという感じで、ベッドからよろよろと立ち上がろうとするが、まだ痛むのか腰掛けるにとどまった。
 ぜぇぜぇという激しい呼吸を整えるように深呼吸をする恭也。

「恭也くん、ココア飲みますか?それとも何時もどおりお茶のほうが良いです?」
「……何時も有難うございます。緑茶のほうをお願いします」
「はーい。少し待っててくださいね」

 フィリスは機嫌良さそうにそう答えると恭也専用に置いてある湯飲みに急須からお茶を注ぐ。
 湯飲みを両手で大切そうに抱えて、恭也の元へと寄ってきた。
 恭也はそれを受け取ると一口だけ口をつける。入れたばかりなので熱いが……恭也にとってはそれくらいで丁度いい。
 喉を刺激する緑茶。鼻に香る匂い。

「ふぅ……美味しいです」
「そうですか?よかったです、恭也くんに喜んでもらえて」

 ふふっと嬉しそうに笑うフィリス。
 だが、熱い緑茶を飲む恭也を見ているフィリスがぶぅと不満そうに頬を膨らませた。

「どうしてそんな熱い飲み物を飲めるんですか。ちょっと羨ましいです」
「……そういえば俺はあまりきになりませんね」
「私なんか凄い猫舌なんですよ……だからココアもちょっと冷やさないと飲めないんです」

 そうフィリス言うとふぅふぅと湯気を立てているコップのココアに息を吹きかけるとコクリと口に含む。

「……っ」

 それでもまだ熱かったのかビクリと慌ててコップから口を離すフィリス。
 舌を少し口からだして涙目になる姿は小動物っぽくて庇護欲をかきたてる。流石に看護師の間でも海鳴大学病院で一番妹にしたい女性に選ばれただけはある。

 ようやく飲める熱さになったのかちびちびとココアを飲んでいくフィリスに対してすでに恭也は緑茶を飲み干していた。 
 視線で恭也におかわりする?と聞いてきたフィリスに首を振って恭也は答えた。
 すでに一年以上の付き合いである恭也とフィリスはアイコンタクトもお手の物だ。
 ……いや、たった一年でそれだけできるようになったのならば、逆に凄すぎるのかもしれない。

「最近は恭也くんもきちんときてくれるようになって嬉しいです」

 コップを机に置くとにこりと綺麗な笑みを浮かべて恭也に語りかける。
 そして自分がいった言葉に気づいて慌てたように両手を振った。

「あ、あの違うんです。嬉しいというのは、あの病院嫌いの恭也くんがきちんと整体を受けに来てくれるからであって、あの、深い意味はないんです。あ、でも恭也くんがきてくれて一緒に居られるのは心が落ち着くといいますか、あのそのー」
「……落ち着いてください、フィリス先生」
「は、はい!!そ、そうですね、落ち着きます」

 フィリスと会った初めてのときは落ち着いた女性だと思ったが付き合いが深くなるにつれて、子供っぽい所が多いことに気づいた。
 何時ごろからか突如として暴走しはじめるフィリスに最初は面食らったが、最近ではフィリスの扱いもお手の物になった恭也である。

 身体中の痛みが取れた恭也が立ち上がる。コキコキと首を鳴らし、軽く身体中を動かしてみるが、先ほどまでの痛みはもうなくなっていた。
 それどころか整体を受ける前まで感じていた違和感も消失している。これがフィリスマジックとも言う整体の不思議な所だ。
 どこをどうみても骨が折れたかのような衝撃と痛みを伴う整体のくせに、終わった後に残るのは健康な状態そのもの。こればかりは首を捻るしかない。
 
 ふと外を見ると窓からみえるのは薄暗い世界。
 随分と日が落ちるのも早くなったものだと、少しだけ季節の移り変わりに感傷を感じる。

 時計を見ると18時を若干回ったところのようだ。恭也の前に居た他の患者を待ってたために遅くなってしまったのだ。
 今日は早く帰るとなのは達と約束していたので、かけておいた制服を着る。

「では、そろそろ俺は帰りますね」
「あ、はい。また来てくださいね、恭也くん」
「……はい。またお願いします」
「その間が気になりますが、待ってますよ」

 笑顔のフィリスに見送られ、恭也は軽くなった身体と次回の整体のことを考えて重くなった肩で海鳴大学病院を後にした。
 もう時間も時間なので病院へと向かう人は少ない。

 一人病院から遠ざかっていく恭也。
 そんな恭也の首筋にチリチリとした嫌な感覚を覚えた。
 第六感ともいうべきもの。恭也の様々な死地を救ってきた勘。それが最大限に恭也に警鐘を告げていた。

 死刑執行者との戦いの後、ここ一ヶ月は何も危険なことなどなかったために緩んでいたその気を引き締めた。
 何時でもどのような奇襲をかけられても対応できるように周囲を警戒。周囲の気配を油断なく窺うが、差し迫った危険がないことに息をつく。

 そして……新たなる戦いの火蓋をきることになる、携帯の着信が周囲の静寂を破るかのように高鳴った。


















  









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