「日本の食べ物って凄く美味しいッスよねー」
海鳴商店街の中央に位置する、世界中にあるであろうとある某有名ハンバーガーチェーン店……マックとドナルドの二階の隅っこのテーブルで三人の少女達が座っていた。
その内の一人の茶色より赤に近い髪色の少女がハンバーガーを齧りながら天真爛漫な笑顔を見せながら残りの二人―――フュンフとフィーアに語りかけていた。
室内の光を反射して、頭につけている髪留めがキラリと光る。
少女の前には今食べている物以外、四つも別の種類のハンバーガーが置かれていた。
その細い体のどこにそんなに入るのかと不思議になるくらいの量である。
フィーアとフュンフはあくまで一個のハンバーガーと飲み物とポテトのセットメニューだけだ。
本来ならフュンフも目の前の赤髪の少女と同等に食事の量を取るが、エネルギーを消費していなうえに夕方近くに散々食事をとったばかりのためこれだけの量でも充分であった。
「たかがファーストフードと思うなかれッス。他の国に比べたら全然レベルが上ッスから」
「そうねぇ。それには同感だわぁ。でもねぇ、能力も使っていないのにそんなに食べたら太るわよぉ、エルフちゃん」
嬉しそうにモグモグと食べ進める少女―――エルフの手が一瞬止まるり、悩んだ表情を見せるが再び食べることを再開させる。
馬の耳に念仏だったようで、フィーアはハァとため息を吐き、コーラが入った紙コップにささっているストローに口をつけた。
エルフ―――彼女もまたフィーアとフュンフと同じナンバーズの数字持ちの一人。
一撃の重さはナンバーズの十【ツェーン】には劣るが、正確で緻密な射撃能力を誇り、その精度の高さ故に星をも落とすのではないかと噂が広まり何時しか【星穿つ射手】などと呼ばれるようになった少女である。
「それにしても情報を集めるなら大都市のほーに行った方がよかったんじゃないッスかね?」
新たなるハンバーガーを齧りながら、エルフは素朴な疑問をフィーアにぶつけるが、返ってきたのは半眼でこちらを見返すフィーアの視線だった。
まるで、できない生徒を見る先生のような呆れたような様子が見て取れた。
その視線に耐えられなくなったのかエルフは逃げるように次のハンバーガーにとりかかる。
そんなエルフにため息を一つ。フィアーが人差し指で眼鏡を押し上げ、首を振った。
「来る前に話したのを聞いてなかったのかしらぁ?」
「う……ごめんッス、フィア姉」
「全く……お前はもっと確りと話を聞くべきだぞ、エルフ」
ふふんとなぜか勝ちほこったフュンフにじとーとした半眼でエルフは見返す。
「フュンフ姉は理由覚えてるんッスか?」
「……」
勝ち誇っていた態度が一変。フュンフが痛いところをつかれたように、視線をそらす。
それに呆れたエルフが肩をすくめた。
「やれやれ。フュンフ姉だって覚えてないんじゃないんッスかー!!」
「わ、私は色々と忙しかったから聞き逃しただけだ!!」
「理由はどうあれ聞き逃してるじゃないッスか!?」
ギャーギャーと互いに罵り合うフュンフとエルフ。
そんな二人に、再度ははぁとため息をついて、フィーアがポテトをつまみ口の中に放り入れる。
「もう一度説明するからぁ……しっかり聞きなさいよぉ、二人ともぉ」
「う……すまん」
「……了解ッス。お願いするッスよ、フィア姉」
フィーアが少しばかり機嫌が悪くなった様子で、間延びした口調ながらも強めの語気でフュンフとエルフに注意した。
二人は罰が悪そうにいがみ合いをやめ、姿勢を正し、フィアへと身体を向ける。
「はっきり言ってこの日本という国でたった一人を、しかも情報もろくにない輩をさがしだすのはぁ、難しいわよねぇ?だからこそ場所を絞って調べたほうが効率はいいと思うのよぉ」
「しかし、場所を絞るといっても……」
「そうねぇ。彼の―――ああ、ドライ姉様曰く【彼】らしいけどぉ、関連する場所なんか不明だからぁ、日本で強力な化け物が居る場所を重点的に調べようと思ってるのよぉ―――強い力の元には強い力を持つ者が集まりやすいからぁ」
「なるほどッス。でも、こんな地方の街に化け物っていたッスか?
フィーアの説明にエルフがコーラを飲みながら首を傾げる。
日本にも確かに人智を逸した化け物が複数いるが、この海鳴に現在そんな存在がいたかどうか思い出せない。
「居たわよぉ。しかもアンチナンバーズの伝承級かしらねぇ」
「ぶはぁ!?」
伝承級という単語に飲んでいたコーラを噴出すエルフ。
真正面に居たフュンフが頭から霧状になったコーラを浴びせられた。最初何が起こったかわからなかったフュンフだったが、状況を判断した瞬間、目元がピクピクとひきつらせた。
ごほごほと咽るエルフだったが、落ち着いた後に自分が飲んでいたコーラをフュンフにぶっかけたことに気づき顔を青くする。
「ご、ごめんなさいッス、フュンフ姉!!わ、わるぎはなかったんッスよ!!」
「一日に二度も飲み物をかけられるとは思ってもいなかったぞ……」
ぷるぷると握った拳を震わせるフュンフだったが、何時の間にか移動して被害をさけていたフィーアが、ハンカチでかかったコーラを拭き始める。
「軽く拭いてあげるけどぉ、ちゃんとお風呂で洗い流しなさいよぉ?それと、フュンフちゃんもこんな場所で騒ぎ起こさないでねぇ?」
「く……」
「た、助かったッス。フィア姉」
この場所で暴れだされたら適わないとフィーアが先手を取って、フュンフを嗜める。
機先を制されたフュンフは後で覚えておけというように、親指で首を掻っ切る仕草をするが、エルフはブンブンと音がなるような勢いで横に振った。
そして、誤魔化すようにフィーアに対して質問をぶつけようと口を開く。
「ええっと……さっき言ってたじゃないッスか、伝承級がこの街にいるって。そんな情報聞いてないッスよ!?だって、ナンバーⅠは永久欠番。ナンバーⅡの未来視の天眼は確か東欧で確認されたんッスよね?ナンバーⅢ【執行者】は世界放浪中。ナンバーⅣの魔導を極めた王は、数年前に封印されたばっかッス」
「ナンバーⅤの【鬼を統べる王】は自分の領地から出てきてないしな。ナンバーⅦ【百鬼夜行】は最近北米で確認されはずだ。ナンバーⅧの【猫神】はここ十年は大した動きは見せていない。ナンバーⅨの【魔女】は引きこもりだし」
「遭遇の可能性があるのは【執行者】か【鬼を統べる王】のどっちかッスけど……どっちもあったら即逃げしたい化け物ランキング入りの奴らじゃないッスか」
次々とあげられるアンチナンバーズの一桁台。その中の一人、魔導を極めた王はあまりにも危険すぎた怪物だったため、当時のナンバーズの数字持ちとも幾度と無く激突したという。数十の街を壊滅させ、数万以上もの人の命を奪った狂った怪人。ナンバーズに災害指定までされた曰くもある。
余りにも狂気染みた行動を繰り返したため数年前に執行者と魔女。執行者を慕う数人のアンチナンバーズ二桁台の手によって封印されたという。
色々と推測する二人だったが、それを尻目にフィーアはフュンフの髪を一通りふき終わったようだ。
だが、かけられのがコーラのため髪がベトベトするのが不快感を感じさせるが。
「二人ともぉ、私の話をちゃんと聞きなさいよぉ。私はこう言ったわよぉ?【居たわよぉ】って」
「過去形ッスか?」
「そうよぉ。三百年ほどまでにこの近くの国守山に封印された怪物。国一つを単騎で落とせれたのではないかとも言い伝えられる人外の中の人外―――ざから」
「―――聞いたことがないな」
「それはそうよぉ。だって、三百年前に封印された化け物よぉ?アンチナンバーズの一桁台はナンバーズで指定できないし、当時すでに九人の一桁がいたからナンバーズからは特例でこう呼ばれたらしいわぁ―――アンチナンバーズの0【破壊者】ざから、ってねぇ」
「そんな化け物がこの近くに封印されているんッスか!?」
「そうらしいわよぉ。そういう理由で、まずはここを選んだわけよぉ。ここで暫く様子を見てから、次は鬼王のところでも偵察に行きましょうかしらねぇ」
説明も終わり、三人は残されたハンバーガーを食べきろうと手を動かそうとした瞬間―――。
「「「……!?」」」」
世界全体が地震を起こしたように、揺れた。
慌てて周囲を見回すが、それに気づいたのはフュンフ達三人だけらしい。
だが、確かに揺れたのだ。錯覚であるはずがない。
ここから少しばかり離れた場所で―――立ち昇るように感じ取れる圧倒的な威圧感。
自分達に向けられたわけでもないのに、許しを請いたくなるほどの恐怖が足元からじわじわと這い寄ってくる。
逃げろ―――三人の戦闘経験からくる直感が同時に三人の頭に響いた。
だが、これで逃げることが出来たらどれだけ楽だろうか。
彼女ら三人は人類最後の砦。ナンバーズの数字持ち。異端を狩る異端。
この異常な事態の原因を放置して逃亡することは許されない。
三人は互いに頷き、絶対的な気配を振りまく存在が居る方向へと、駆けて行った。
両者の対峙は、短くも濃密に凝縮された一瞬であった。
逃げ惑う人々の悲鳴をバックコーラスに、数メートルの間合いを取って、二つの人影が対峙する。
一人は短く切られた黒髪。黒尽くめの青年。まだ若く―――だが、どこか風格を漂わせる雰囲気を醸し出している。自然体でその場にゆったりと立っていた。向かい合う【敵】を窺う瞳には、喜びと驚きがないまぜになったような感情が渦巻いている。
もう一人は女性。漆黒の腰近くまで伸びた髪を紐で軽く結んでいる。黒い上下のジャージという色気も何もない格好だが、それでも見るものを惹きつける魅力があった。地面に激突した影響で額から赤い雫が零れ落ちる。それを手の甲で拭う。その表情は嬉々として、ある種の狂喜を漂わせていた。
その光景は時間を止めてしまえば美しい絵画にしか見えなかっただろう。だが、周囲に満ちる殺気だけはどのような画家でも再現は不可能に違いない。
二人の身体から放たれる―――常人でも視覚できそうなほどの極限にまで高められた闘気。
嵐の後の川のように、激しく、濁流となって、周囲を覆い始める。物理的な力を放つではないのかと錯覚さえされる、超絶的な二人の気配。その二人を囲うように粉塵はいまだまっている。
溢れんばかりに迸る二人の殺気。これが前哨戦だといわんばかりに、巨大で、強大で、絶対的で、圧倒的。
粉塵が舞うその場所は確かにただの駅前広場だったはずだ。だというのに、その場所は幻想的な世界へと様相をかえた。
どくんどくんどくん、と普段では考えられないほどに心臓が高鳴る。緊張したような、期待に胸を膨らませるような、そんな喜びで。
「【あの時】から十一年。俺のことを覚えているか、水無月殺音」
「覚えているよ、不破恭也。一日たりとも忘れるものか」
「俺もだ、殺音。お前を夢見、幾千の夜を過ごした」
恭也が問いかけ、殺音が答える。
そして、恭也の言葉に殺音の背筋をゾクゾクした快感が駆け巡った。
これまでの長い人生で一度も感じたことがない。言葉に表現できない陶酔感。
「分かるよ、恭也。キミがどれだけ強くなったか」
「ああ。だからこそ俺も分かる。お前がどれほど桁外れの化け物なのかが」
「そうかな?でも、負けるつもりはないんでしょう?」
「無論だ。戦えば勝つ――ーそれが不破恭也の在り方だ」
一言一言が両者に巨石のような重みをのしかけてくる。
だが、二人ともお互いのプレッシャーを弾き返すように淀みなく応じる。
二人の間ではそれだけで十分だった。十一年ぶりだというのに、二人は互いの全てを不思議と理解することが出来ていた。
だからこそもはや、これ以上語ることは無し。いや、後ほんの僅かだけあった。
互いの万感の想いを言葉に乗せ―――。
「俺のこれまでの修練は―――」
「私のこれまでの人生は―――」
「「―――お前(キミ)のためにあった」」
何が開幕を告げるファンファーレになったのか分からない。二人は同時にカッと目を大きく見開き、地面を強く蹴りつけた。
二人の丁度中間で、地面が抉り削られる。強く踏み込んだ足が、大地を揺らす。
殺音の拳が恭也の顔に放たれた。とてつもなく速かった。その拳を認識した瞬間に避けようとしたら恭也の顔面は打ち抜かれていただろう。
恭也はそれよりも早く―――それこそ殺音が拳を打ち出すよりも回避に転じていた。殺音の一挙手一投足が【理解】できる。見える。見えるのだ。恭也には筋肉の微細な動きまで。極限にまで集中した恭也にはそれこそ血管の動きまで観察できるような別世界の領域に足を踏み入れていた。。
だが恭也の見切りをもってしてもその一撃は間一髪であった。
何千回何万回も戦ったイメージの殺音など相手にもならぬ電光石火。自分が考えられる限りの上限で想定していた殺音のイメージをも置き去りにする殺音に、不思議と感謝の気持ちしかなかった。
その場で足を止めるようにして、向かい合う。
殺音が放つは槍のような鋭い拳の連打。それを避け、防ぎ、一撃たりともまともに当てることを許さない。
その連打の合間。隙ともいえぬ隙。その数十分の一秒の世界にて、死角となる角度から恭也の蹴りが爆ぜる。
恭也の蹴りは鋭く速く、そして死角のためワンテンポだけ反応が遅れた。避けれないと判断した殺音は腕を縮め、その蹴りを受け止めた。
防いだ腕を素通りするように、身体の中を言いようのない衝撃が浸透し、ぐらりと殺音の身体が泳ぐ。
追撃をかけようとする恭也を嘲笑うかの如く、身体が泳ぎ、不安定な状態から高々と振り上げられた拳が、恭也が追撃するよりも早く振り下ろされた。
圧倒的な破壊力だけ求めた拳が振りおとされるのと、恭也が全力で回避を試みるのとは、ほぼ同時のことであった。
間一髪で、殺音の拳が無人となった地面を打ち砕く。轟音とともに、打ち砕かれたアスファルトの破片と粉塵が再度舞いとぶ。
難を逃れた恭也は、相変わらず感じる殺音の気配を全身に浴びながら地面を転がり、体勢をたてなおす。間合いをあけ、身構えなおした。
その時、さらに深く鋭くなった殺気が周囲に満ち始めた。猛烈な危機感が全身を襲う。
殺音の瞳が赤く怪しく光った。足の爪先が地面に深くめり込むほどに、両脚に力を込める。
どれだけの力をこめているのかわからない。想像もつかないほどの踏み切りで、殺音はその身を翻す。
人を遥かに超越した、圧倒的な人外の挙動。生物がたてたとは思えない、破裂音とも聞き間違えるような、地面を蹴りつけた音だった。
恭也が反応する。だが、僅かに襲い。
その一瞬の差が殺音にとっては十分だった。
左腕が閃光のように繰り出される。風を引き裂き、殺音の姿が雷光のような一筋の光となった。
光拳となった一撃が恭也の顔に直撃する刹那、無理には避けようとせず、恭也は殺音の迫ってくる拳を防ぐように片手の掌を受け止めようとした。
誰がどう見てもそれは愚行でしかなかった。圧倒的な破壊力を秘めた拳をたかが人間の力で受け止めれるはずがない。
殺音の拳が恭也の掌に着弾。その手ごと恭也を吹き飛ばす―――はずだった。
柔らかい羽毛のような触感を拳に残し、殺音の視界は反転する。グルリと一回転したのだろうか。
視界には星々が煌く夜天が見える。強かに打ち据える背中。痛みよりも、驚いたことは自分の爆発的な破壊力と突進力の拳を完全に殺されて、投げられたことだ。
だが、それも当然のことだと思えてしまう自分に苦笑しかできない。
驚きもすぐに消え、殺音の視界一杯に迫る恭也の踵。殺人的な凶悪さを示しながら落とされた。
無理矢理に横に転がり、その踵落としをやり過ごし、掴んでいた恭也の手を力できる。
後方へと飛びさがりながら殺音は、恭也との間合いを取った。
再び対峙する二人。今度はそう易々とお互いの間合いに侵入することができない。
力任せに攻撃してくる殺音だったが、それを鼻で笑うことはできない。正確で緻密な攻撃の方が恭也にとっては読みやすいからだ。殺音は、圧倒的な力と絶対的な速度で敵を圧殺する。故に恐ろしい。どの状態からでも殺音の一撃は必殺と成り得る。
―――高揚している?
こんな場所で戦っているというのに。何時人目についても可笑しくはないというのに。たった一撃で殺されるかもしれないというのに。
確かに、恭也は殺音と戦うことに高揚感を抱いている。
幼い時の恭也では、殺音の渇き理解できなかった。だが―――今ならばできる。
両者の戦闘意欲はとどまるところを知らずに、逆に膨れ上がっていく。
恭也と殺音が、互いの魂をぶつけようと地面を蹴りつけた瞬間―――両者の丁度中間の地面に遠方から飛来した小振りな刀が突き刺さった。小太刀よりはやや長く、日本刀よりはやや短い。
それに続くように人影がふわりと重さを感じさせない動きで刀の柄へと舞い降りた。
「―――両者、そこまでだ」
恭也と殺音の戦意を削ぐような、凛とした声が周囲に響いた。
舞い降りた人影は、北斗が一人、武曲。しかし、普段の武曲とはまた違う姿だ。頭には二つの猫耳がピョコンと飛び出し、腰の少し下の位置からは尻尾が生えていた。どう見ても可愛らしい中学生がコスプレをしているようにしか見えなくもない。
そんな容姿とは正反対に、威嚇するように恭也と殺音の二人に研ぎ澄まされたナイフを向ける。これ以上続けるならば私が相手をするといわんばかりの様子だ。
その武曲の姿に恭也が、足を止める。が、対して殺音は集中しすぎているせいか、そんな武曲が目に入らないようで―――殺音の拳が放たれ、メキョという嫌な音を立てて武曲を吹き飛ばした。
「ぎゃふ!?」
見事なまでに強烈な一撃が小柄な武曲を地面と水平に飛ばす。飛んでいく方向は恭也の方のため、避けるか受け止めるか迷った挙句、流石に避けるのはあまりにも忍びないと思い、武曲を受け止めた。
恭也の厚い胸板に激しい音を立ててぶつかる武曲。受け止めた後すぐに地面に降ろす。殺音の追撃に人を背負っていては対応することができないからだ。
「―――あっ!?」
だが、それは杞憂だったようで、自分が殴り飛ばした邪魔者が武曲だということに気づき手加減抜きの一撃を入れてしまったことに頬を引きつらせる。
首の骨折れてないといいなーと、ピクピクと痙攣する武曲を見て神に祈った。
武曲は暫く反応らしい反応を見せていなかったが、ぼーとしていた目の焦点がようやくあい、赤くなっている頬を抑えながら立ち上がる。しかし、膝が笑っているのは誰が見ても明らかだ。
「おま、おま、お前!?普通は空気よんで止めるところだろう!?」
「い、いやーあははー。相当ハイになっちゃってたみたいで、気付かなかったんだよねーごめん」
テヘっと可愛らしく舌を出す殺音。両手を合わせてお願いのポーズまでとるが、そんなことで許すはずもない。
「この変異状態になってなかったら、下手したら首の骨折れてたよ!?お前は実の妹をなぐり殺す気かー!!」
「いや、でもほら。死んでないし?」
「死んでたまるかー!!喧嘩を止めに入って死ぬとか末代まで笑われる死に方じゃないか!!」
邪魔をしてきたのが武曲以外だったならば無視していただろう。むしろ、邪魔をされたことに憤りは感じる。
傍から見たら決してそうは見えないかもしれないが、実の妹でもある武曲を溺愛しているため殺音も強くは出られない。それに殴ってしまったひきめもある。
怒涛の勢いで殺音に食って掛かる武曲に平謝りをする殺音だったが、その小さな頭を片手で掴んで横によける。
「いやーうちの妹が水差して悪かったね。じゃ、続き―――やろうか?」
「やるなっての!!」
横から武曲が止めに入る。ついでに口だけでなく足を出してきて、爪先で脛を思いっきり蹴り飛ばす。
殺音が声にならない声をあげて、蹴られた脛をおさえながら蹲った。
「こんな人目のつくところでこれ以上暴れるな。やりたいのなら日と場所を改めろ!!」
「う……いたた……。いや、私はエビフライは先に食べちゃう主義だし?」
「後に回した方がより楽しめると思うけどね。それに、殺音―――お前、全力を出せないこの青年を倒してうれしいのか?」
ちらりと後ろを振り返り、恭也を確認する武曲。
対して恭也は突然始まった姉妹喧嘩にどう対処すればいいかわからず、沈黙を保っている。
「この青年は、御神流の使い手だろう?二刀の小太刀を持って初めてその真価を発揮するという」
「それは、そうなんだけど……」
「これは死合だ。お前とあの青年とのね。だから私が茶々をいれるのはお門違いだろうさ。でもね、全力をだせない青年を倒して―――お前の渇きは癒えるのか?」
「っ……」
返す言葉もなかった。
確かに武曲の言うとおりだったのだから。
恭也と再び出会い、拳を交えれることが幸福過ぎて、御神流の使い手だということを忘却していた。
殺音が求めるのは最高最強状態の恭也と戦うことだ。小太刀を使えない恭也と戦って、仮に倒したとしたら―――後悔しかうまれないだろう。
「しょぼーん」
「擬音を口に出すな、擬音を」
御飯を前に待てをされた犬のように、目に見えて落ち込む殺音には先程までの暴走状態の名残はもはやない。
それを見て安心した武曲はとりあえず殺音を落ちつことが出来たと胸を撫で下ろす。
粉塵も治まりつつあり、いくら野次馬も今は居ないとはいえ、恐らくそのうち怖いもの見たさで戻ってくるのは簡単に予想できる。
「一旦帰るぞ。なに、あの青年はこの街に住んでいるようだし。好きな時にやりあえばいいだろう?」
「っ!!」
キュピーンと目を光らせて恭也に視線を向ける。
期待に胸を膨らませ、恭也を窺っているが……コクリと頷いたのを確認すると、両手をグッと握り締めガッツポーズを取った。
「次逢うときは―――全力のキミを見せてよ、恭也」
「ああ、見せよう。お前に俺の全てを。お前は俺を―――」
いや、と首を振った。
最後まで恭也は述べることなく、首を縦に振ることによって肯定とする。
多少の疑問を残しつつも本当に嬉しそうな笑顔で、殺音はその場から霞むように姿を消した。
殺音が姿を消したのは武曲に説得されたのが大きいだろうが、それ以外にもう一つある。武曲に止められるまで殺音の精神状態は大炎状態にあったといっていい。
極限にまで燃え上がった獄炎。武曲に止められたことによって心の炎は通常状態にまで鎮火されてしまった。恭也が全力をだせないと気づいたのもそれに拍車をかけていただろう。再び先程までの域に精神状態をもっていくのは至難。それ故に、殺音は今回は見をひいたのだろう。
「……キミは覚えていないかもしれないが、僕とキミは一度会っている」
「覚えている。あの時、水無月殺音と一緒にいた―――北斗の一員」
「そう、良く覚えていたね。正直言うと僕はキミがあの時かわした盟約を守れるとは思っていなかったよ」
武曲は恭也を遠い目で見る。
遠いあの日。十一年前。運命の日を思い出す。あの時の少年が今はこれほど立派な青年になって眼の前に立っていることが信じられない。
「強くなった……僕なんかよりもよっぽどね。向かい合っただけで理解できるよ―――あの殺音と渡り合えるほどに強い」
「……」
「人はこれほどまでに強くなれるのか。正直にそう思った。キミならばあいつの―――飢えを満たすことが出来るかもしれないね」
武曲は恭也に背を向けると、正反対の方向へと足を進める。
地面に突き刺さっていた日本刀をきっちり回収していたが。
「僕の名前は水無月冥。北斗が一員。武曲」
顔だけを僅かに後方の恭也に向けて―――憂いをおびた表情で口元をかすかに緩めた。
「殺音との約束を守ったキミに―――最大限の称賛と尊敬をこめて。それを持って感謝とする」
殺音に続くように冥もまた、その場から離脱する。
これ以上ここに留まって、警察のご厄介になるのも困るので、恭也も海鳴駅から離れようと動き出す。
すでに粉塵はおさまっており、周囲は開けてしまっていたが、幸運なことに野次馬は殺音と恭也の爆発的な殺気に自然と恐れをなして周辺から逃げだしていたようで、あたりには人っ子一人いない。
後先考えずに突っ走るものではないと少しだけ反省する恭也だった。
その場から三人が姿を消し、やがて人が何が起こったのか確認しようと集まってくる。
夜も遅くなっているというのに集まってくる人の数はとどまるところを知らない。怖いものみたさという奴だろう。
夜の世界にパトカーの音が響き渡る。誰かが警察に連絡したのか、直ぐに何台ものパトカーが現れて、現場を封鎖していく。
その光景を遠くから見ていた三つの人影があった。
フィーアとフュンフ、そしてエルフだ。
三人の体勢はそれぞれだった。フィーアは何かを考えるように顎に手をあてている。フュンフは恭也の消えていった方向を静かに見つめていた。対してエルフは、現場から背を向けるようにして体育座りをしている。
「やべーッスよ。なんであんな化け物がいるんッスか。報告書で散々見たことがある、超大物じゃないッスか」
「……ここ十年は碌な動きをしていなかったのにどうしたのかしらねぇ、突然」
「水無月姉妹、ッスよ、間違いなく。妹の方だけならなんとかなると思うッスけど、姉のほうは無理ゲーッス。私たち三人じゃどーしようもないッスよ」
「そうねぇ。ツヴァイ姉様とドライ姉様に連絡を取ってから動いたほうが懸命ねぇ」
ぶつぶつと両者は独り言のように呟くが、きっちり二人ともそれが返答となっている。
はぁっと深い深い絶望のため息をつくエルフだったが、全く反応をしないフュンフに首を傾げた。
「フュンフ姉どうかしたッスか?」
「……いや、なんでもない」
エルフに気にするなと返し、首を振る。
実を言うと三人が到着したのは今さっきであり、恭也と殺音の戦いを見ていたわけではない。丁度冥に止められた時に到着したのだ。
だからこそ、フィーアとエルフは恭也に対してそれほどの注意を払わなかった。水無月姉妹にばかり注意を取られてしまっていたのだ。
しかし、フュンフだけは違った。昼に恭也に一度会っていた故に、その異常性に気づけた。
―――立っている?【あの】水無月殺音と戦って?
ごくりと唾を飲み込んだ。その音がやけに大きく響いたように聞こえた。
ぼろぼろになった駅前の広場を見る限り、恐らくは戦いがあったはずだ。恭也と殺音の。
あの水無月殺音と戦い、怪我一つ負っていない。そんな馬鹿なことがありえるのだろうか。
ナンバーズの数字持ちでさえ、一騎打ちなら勝算など皆無に等しいあの化け物を相手にして―――。
「……お前は一体、何者なんだ……」
呆然と呟いたフュンフの言葉は―――夜の闇へと消えていった。
「はぁ……」
自然とため息をつく美由希。
晶が作ってくれたお弁当に入っていたウィンナーに箸をプツリと刺し、口に運ぶ。
子供も大喜びのタコさんウィンナーだ。最も美由希はもう喜ぶような年ではないのだが。
入学式からすでに一週間が経過していた。
ある程度仲の良いグループというものが出来上がってしまい、美由希はそのどれにも入ることは無く、一人寂しく昼食を取っていたところだ。
現在は昼休みで、机で食べても良かったのだがなんとなく居づらいため態々屋上まできてお弁当を食べていたのだ。
別に恭也や晶、レンと一緒に学食で食べてもよかったのだが―――というか普段はそうしているのだけど―――珍しく本日は皆の都合が悪く屋上で一人ぼっちという状況である。
ぽかぽかとした陽気がやけに気持ちいい。
それが一人ぼっちなことに拍車をかける。屋上を見回してみるが、カップルらしき男女が何人かいるくらいだ。
わざわざ屋上にまで昼御飯を食べに来る生徒も珍しいだろう。元々この学校には立派な食堂があるわけなのだから。
昼休みが終わりに近づくにつれて、屋上から人が減っていく。
美由希もお弁当を仕舞うと、屋上と校舎を繋ぐ扉へと向かおうとするが、その途中で綺麗な刺繍がされたハンカチが落ちているのに気づいた。
「落し物かな?」
ハンカチを拾うと拾得物として職員室に持っていこうと決めた美由希が今度こそ階下へ戻ろうと扉を開けた瞬間。
「あいたっ!?」
ゴンという音と短い悲鳴が聞こえ、押した扉に軽い衝撃が伝わった。
扉の向こうには、一人の少女がおでこをおさえながら蹲っている。どうやら美由希が扉をあけたタイミングで近づいていたためドアにぶつけてしまったのだろう。
「す、すみません。大丈夫ですか?」
「い、いえ。こちらこそ前方不注意でご迷惑を……」
額を赤くさせながらも人の良い笑顔で答える少女。
胸元には赤いリボン。どうやら美由希より一個上の風芽丘学園の二年なのだろう。
自然な茶色が入った長い髪。どことなく人を安心させるような雰囲気を持った少女だった。
「お手数をおかけいたしました……」
少女は一礼すると扉から屋上にでると、何かを探し回るように視線をあちらこちらに向ける。
暫く探していたが見つからなかったのか、しょんぼりという様子が相応しい感じで屋上からでてきた。
「あの―――何かお探しですか?」
「え、あ、はい。こんな形のハンカチを探しているんですけど……」
美由希に声をかけられると思っていなかったのか少女は驚き、空中に両手でハンカチのような絵をかく。
ちなみにこれでは形しか分からないが。
「あ、もしかしてこれですか?」
それに思い当たった美由希が先程拾ったばかりにハンカチを少女に見せると、それにぱぁっと表情を明るくする少女。
どうやらこのハンカチが探していたもののようで、少女は美由希から受け取ると何度も頭を下げた。
「本当に有難うございます。おかげさまで助かりました」
「いえ、こちらこそ。おでこ大丈夫ですか?」
「大丈夫です。私おっちょこちょいなところがあって……よく転んでしまうので、慣れてるんです」
恥ずかしそうに俯く少女に、どことなく親近感がわく美由希だった。
基本的に戦闘に関しては美由希は突出しているが、日常生活ではドジなところがあり、よく恭也に呆れられることがあるためだ。
その時校舎に鐘の音が鳴り響く。授業が始まる五分前になる予鈴だ。
慌てて二人揃って階下へとおりる。美由希は一年のため三階だが、少女は二年なのでもう一階下になる。
そこで別れることになるのだが、そのまま別れを告げるのは何故か憚れた。
「あ、あのー私……神咲那美といいます。今度時間があるときに改めて御礼をさせてください」
少女の名前は神咲那美。高町美由希の生涯の友となる少女との―――運命の出会いであった。
高町美由希の帰宅は他の高町家の住人に比べ随分と早い。
晶は実はクラス委員のため、その仕事上意外と帰宅が遅くなる場合も多い。レンは授業が終わった後に夕食の買出しに行くことが多く、帰りが遅い。もしくは、一旦家に帰った後にいく場合もあるため結局美由希が家に着くころには居ないことが多々ある。
桃子とフィアッセはいわずもがな。恭也も盆栽の本や刀剣専門店の井関に寄って帰ることもあり、美由希よりも遅い。
そういうこともあり、本日は高町家には美由希となのはの二人しかいなかった。
ソファーに美由希が座り、その横にちょこんと置きもののようになのはが座っている。
テレビを二人で見ていたが、時間も時間のため、あまり興味のひかれる番組もやってはいなかった。
どのチャンネルでもニュース番組ばかりで、美由希はともかくなのはの興味をひくような番組とはいえない。
「ね、なのは。公園にちょっと遊びに行こうか?」
「え?おねーちゃん、剣の練習はしなくてもいいの?」
「うーん。どうせ夜に死ぬほどしごかれるだろうし、それまではゆっくりしておこうかなーってね」
「おねーちゃんが迷惑じゃなかったら……行きたいです」
もじもじと美由希に気を使ったようななのはの様子に苦笑しかできない。
なのはは基本的に我侭をいわない。小学二年生だというのにあまりにも物分りが良すぎる。
家族である美由希や恭也にでも気を使ってしまう。性格といえばそれまでだが、そんななのはにはもっと甘えて欲しい姉心を持つ美由希であった。
家の戸締りをするとなのはと美由希は手をつないで海鳴臨海公園へと散歩に向かう。なのはのペースにあわせてゆっくりと。
なのはは美由希と外出できるのが嬉しいのか、一目でわかるほどの上機嫌だ。
そんななのはの機嫌にひかれるように、美由希の気分もよくなる一方である。
海鳴臨海公園とは、旅行ガイド曰く、海鳴に来たカップルは一度でいいから通うべき場所らしい。お勧め度は星三つレベルというのを昔雑誌で見た記憶が美由希にはあった。
公園に足を踏み入れると潮の香りが美由希となのはの鼻をくすぐった。
海鳴臨海公園はその名の通り、海に面している。随分と長い柵と段差が海と公園を分け隔てていた。
夜になるとライトアップされて、観光するカップルは良い雰囲気になるとか。
美由希とて何度か夜間にきたことはあるが、思わず感心するほど素晴らしい景色であったのは間違いなかった。生憎恭也と一緒に鍛錬の途中に寄っただけなので色気のある話ではない。
二人は連れ立って公園の中を突っ切るように歩いていく。途中幾度か、カップルらしき男女とすれ違う。楽しそうに語らいながら腕を組んでる。
そんなカップルを自分と恭也に置き換えて想像してみる美由希だったが、自分で妄想しておいて恥ずかしくなったのか、赤くなった顔を片手でおさえながら、もう一方の片手で想像を消すようにぶんぶんと中空を振りまわす。
大人のデートスポットではあるが、全体がそうかといわれればそうではない。
そこまで広いというわけではないが、公園の一画にはきちんと子供が遊ぶための遊具がおかれた空間も存在する。
ブランコや滑り台といった懐かしい気持ちにさせる遊具が沢山あるが、なのははまだしも美由希が使用するには恥ずかしいので、なのはが遊ぶ傍らベンチに座ってその様子を見ることにした。
ベンチに座ってなのはが楽しそうに遊ぶ光景を見るだけで心が暖かくなってくる。
なのははどちらかというとインドアの遊びを好む。ゲームなどは美由希では百戦百敗レベルの強者だが、やはりこういった外で子供らしく遊ぶのも楽しそうである。
微笑ましい光景を見ていた美由希だったが、くぅとお腹が鳴った。幸いなことに誰にも聞かれなかったのが良かったが、もし恭也に聞かれていたら散々からかわれただろう。
「なのはー。鯛焼き買ってくるけど餡子かクリームかどっちがいいー?」
「んーと……」
どちらにするか悩むなのは。どちらにするか決めきれないようで、考え込む。
「それじゃあ、餡子とクリームを一個ずつ買ってくるから私と半分個ずつにしようか?」
満面の笑顔で頷いたなのはを置いて、鯛焼きを買いにベンチから腰をあげる。
なのはを一人にするのは気が引けるが、まだ夕陽が差し込む時間帯なので危険は無いだろうと判断して、屋台へと向かう。
それほど遠くない場所に屋台を開いており、海鳴公園のちょっとした名物となっている。
屋台にはメニューが書かれた看板が吊り下げられており、餡子、クリームは百二十円。
それ以外にもカレーとピザ、チーズなども注文すればでてくるという怪しい店として別の意味で有名だ。
ちなみに売り上げの九十九パーセントが餡子とクリームで、残りの一パーセントが変わり物の具材だという。その一パーセントの購入者が恭也を含んでいたりする。
「おお、お嬢ちゃん。毎度。今日は何にするんだい?」
「こんにちは、おじさん。えっとですね……餡子とクリームを一つずつでもいいですか?」
「ちょっとまっててな」
何度も何度も購入しているうちに常連さんとなってしまった美由希。
今では顔を覚えて貰っており、世間話までする仲になっていた。
丁度出来上がったばかりの鯛焼きを合計二個入れてもらった袋と引き換えに小銭を渡す。
お礼を告げて屋台から踵をかえす。離れる背に、屋台のおじさんの有難うという声がかけられた。
遊具がおいてある一画まで戻ってきた美由希だったが、そこになのはの姿は無かった。
不思議に思い、なのはーと大きな声で呼びかけてみるも返事はない。
もしかしてトイレかと考え、少し離れた場所にある公衆トイレの中を窺ってみるも使用している人が居るようには見えない。
悪戯で隠れているのかとも思ったが、なのははそういうことをする性格でもない。
ドクンと嫌な予感が全身を襲い、心臓が高鳴る。
「なのはー!?なのはー!!どこにいるのー!?」
焦りを隠せずに、美由希はなのはの名前を叫びながら走り回る。
そのうちに、屋台に買いに行く前に美由希が座っていたベンチに手紙が置いてあるのに気づいた。
行く前まではなかった。それは確信できる。買いに行って戻ってくるまでに手紙は置かれたのだろう。
その手紙を震える手で開き、中に書かれていた文を読む。
内容は簡単なものだった。
僅か一文と書いた人物の名前しか、書かれていなかったのだから。
手紙の文を理解した美由希は、グシャリとその紙を握りつぶすと、公園から全力で駆け出していった。
『君の妹は預からせていただきました。つきましては街外れの廃墟ビルまできていただければ幸いです。 山田太郎』
危険な男なのは分かっていた。
だというのにこの一週間は特にちょっかいをかけてくるわけでもなかったので、油断していなかったと問われれば質問に窮するだろう。
美由希本人を狙うのならばまだ良い。恭也やレン、晶ならば戦う者の覚悟とやらも持ち合わせている。
だが―――なのはと桃子は完全な一般人だ。覚悟もなにもない、ただ日々を笑って過ごすだけの―――。
ぼぅと美由希の心の中に火が灯った気がした。ただの赤い炎ではない。それは、どこまでも黒い、漆黒の灯火。
ガリっと唇を強く噛み、ポケットにいれていた携帯電話を取り出すと恭也へと電話をかける。
『どうした?こんな時間に何かあったか』
二、三度のコール音の後に恭也がでてくれたことに安堵しつつ、状況を伝える。
最初は普段通りの恭也だったが、なのはが浚われたという件になると、凄まじいまでの声の冷たさになっていた。
美由希に怒気をぶつけているわけでもないというのに、電話越しでさえ、押しつぶされそうになる。
『俺も今すぐにでる。今どれだけの武器を所有している?』
「飛針と鋼糸を少し。小太刀は持ってないよ」
『分かった。無理はするな、俺が行くまで時間を稼ぐだけでも良い。だが―――なのはは必ず助けるぞ』
「―――うん、わかった」
電話を切ると美由希は速度を一段階あげる。
普段の鍛錬のときと同等以上の速度で、疾風の如き一陣の風となって駆け抜ける。
今さっきまでは綺麗に見えた夕陽が憎らしく見えた。
すれ違った人々が何事かと振り返るが、その時にはすでに美由希は人々の視界から消えている。
駆けて、駆けて、駆けて―――すれ違う人も減り、家も減り、海鳴でも人気の無い一画に辿りつく。
元々でかいマンションを建てる予定だったらしいが、数年前からある事情で開発が中断している地域らしい。
残されているのは、崩れかかったビルや、多くの建物。一般の人間ならば間違いなく近づかない場所だ。
廃墟ビルといってもこの地域は広く、相手が指定してきたビルは正確にはどこかわからない。それに舌打ちをする美由希望だったが、それは杞憂に終わったようだ。
どうやら隠れる気は無いらしく、不吉な気配を漂わせ、自分はここにいると美由希を挑発していたのだから。
山田太郎が居るビルの前まで到着すると足をとめ上を見上げる。
ざっと見た感じでは五階建て。何時崩れても可笑しくは無いほどにぼろぼろである。
あれだけ長い間全力疾走したというのに美由希の息に乱れは無い。休むことよりもなのはの安全を優先して、何の恐れも躊躇いもなく、ビルへと足を踏み入れた。
一階には誰も居ないことは気配でわかるので二階へ。三階、四階と階段を上がっていき……ついに五階へのぼりついた。
扉一枚を隔てて感じる異様な存在。確かに居る。この先に、なのはを浚った男が。山田太郎が。
覚悟を決め、扉をあける。鍵はかかっておらず、あっさりと開いたことに若干拍子抜けした。
扉をあけた先―――巨大な部屋の窓際に太郎は居た。
古臭いベッドに腰掛けて、太郎は文庫本をよんでいる。夕陽が沈みつつあり、電気も通っていないビルのため、字が読みにくいのか目を細めて本を読んでいた。
そのベッドにはなのはが身動き一つとらず、仰向けに寝かされている。
部屋をあけた美由希に気づいた太郎は、にこりと人懐っこい笑みを浮かべて、文庫本をおくと立ち上がった。
「ようこそ、高町美由希さん。一日千秋の思いでまってたよ」
緊迫したこの場に相応しくない、太陽のような笑みだった。
それだけに、不気味だ。何を考えているのか分からない。嫌な悪寒が全身を包む。
「なのはは、無事なんですか?」
「うん?ああ、勿論さ。ちょっと眠って貰ってるだけだから。怪我は無いから安心してよ」
「……そう」
本当かどうかはわからないが、遠目で見た感じたしかに怪我は無いようだ。
胸の上下が確認できるため、呼吸はしている。これで心配事の一つは減った。
「一つ聞きたいのですけど……」
「うん、なんだい?なんでも答えちゃうよ。今日の僕は機嫌がいいしね」
「何故、なのはを浚ったのですか?」
率直な質問を太郎にぶつける。
それに対して、太郎は頬を人差し指でかきながら答える。
「いやー実はさ、僕は君と潰しあいたかったんだけど……どうすれば本気の君と戦えるのかな、て思ったわけなんだよ。君みたいなタイプは自分が狙われるより、周囲の人間に危機が迫った時の方が力を発揮できそうだしー」
けらけらと笑いながら理由を述べる太郎に氷点下の視線を向ける。
下らない。下らなさすぎる。そんなどうでもいい理由でなのはを浚ったのか。
凍えていく。美由希の心が。固まっていく。美由希の覚悟が。
「もう、いいです。これ以上貴方の下らない話は聞きたくないですから」
「え、いやいや。まだこれか―――」
太郎の台詞は途中で切れた。
いや、強制的にそれ以上の台詞を発することが出来なくなってしまったのだ。得意げに話をしていた太郎の眼前に、美由希が踏み込んでいたのだから。
たまりにたまったダムの水門を取り払ったような、桁違いの圧力。爆発的に膨れ上がる気配。質量を持っているのではないかと勘違いするほどの威圧感。
表情を引き攣らせ、踏み込んだ美由希に蹴りを放とうとした瞬間―――。
「っが、はっ!?」
その蹴りを遥かに上回る速度で左拳が太郎の右脇腹を打ち抜く。
脇腹から波状に広がっていく衝撃。未だかつて受けたことの無い一撃に、衝撃以上に、驚愕を全身が襲った。
右脇腹を抑えて、崩れ落ちそうになる太郎だったが、それを美由希が許すはずも無い。
「貴方の敗因は一つだけ―――」
美由希の囁きが太郎の耳を打つ。
そして、閃光のように蹴り上げられた美由希の爪先が、太郎の顎を弾き上げた。
脳が揺れる。太郎は後方の壁へと叩きつけられ、ドスンと床に倒れ付す。
「―――なのはを浚うという愚行を犯した。ただ、それだけです」
高町美由希。現在風芽丘学園の一年生。弱冠十五歳の女子高生。なれどその力はとどまるところを知らず―――。
―――あらゆる敵を一蹴する。