空港のロビーは大勢の人で埋め尽くされていた。
ハネダ空港はトウキョウ租界の外、ゲットーに位置する国際空港だ。
旧日本とブリタニアの戦争でナリタ空港が再建不能になって以来、
本国とエリア11の間の移動はこの空港が大半を占めるようになった。
戦前は中華連邦やEUとの関係から
キュウシュウとホッカイドウにもそれなりの国際空港があったらしい。
しかしそれらの国が敵性国家となった今、
ここがエリア11ほぼ唯一の国際空港となったそうだ。
利用客のほとんどはブリタニア人で
エリア間の移動に制限のあるナンバーズの姿は少ない。
しかし名誉となった者が商用でブリタニア本国と行き来したりするらしく、
そういう顔立ちの人が近くを通る度に
ニーナ・アインシュタインは身体を小させねばならなかった。
「大丈夫?」
ベンチの隣に座るミレイ・アッシュフォードが声を掛けてくれた。
普段は何だかんだ言って貴族の令嬢然とした服装が多い彼女だが
今、隣にいる彼女は珍しくパンツルックだ。
今日はあくまでも私人ということなのだろうか。
「うん、へいき・・・」
あまり心配を掛けたくなかったので
ニーナは出来るだけ大きな声で返事をした。
実際、『スザクと同じ』名誉ブリタニア人だと思えば
それほど怖くもないと思える。
「そう」
ミレイは少し安心したように微笑みながら返事をして、
そっとニーナの方に体を寄せて優しく手を握ってくれた。
シャーリー・フェネットがブリタニアに帰る。
ニーナがその話を聞いたのは
あの、ルルーシュの『皇子様宣言』(女子生徒の間での通称)
からしばらくしてのことだった。
考えてみればシャーリーは父親の研究の都合で
エリア11に来たと言っていた。
ゼロによるテロに巻き込まれてその父親が亡くなったのだから
もうエリア11にいる理由がないのだろう。
今日はその見送りのために空港へやってきたのだ。
「会長ぉ~、もうじき手続きも終わるそうです」
人ごみを掻き分けながらリヴァル・カルデモンドが近づいてきた。
「あれ、リヴァル、荷物は?」
「大きい荷物はもう預けちゃったから」
「シャーリーが『手荷物は私だけで十分』だって」
ニーナの問いに、手を閉じたり開いたりしながら応えるリヴァル。
今日はみんなで寮からシャーリーに付き添った。
途中で合流したシャーリーのお母さんは少し痩せたみたいで、
リヴァルは終始荷物持ちだった。
「だいたい俺って何時から肉体派になったわけ?」
「『あの馬鹿』はともかく、スザクがいればこんなことにはならなかったのに・・・」
「そーゆーこと言わないっ」
愚痴るリヴァルにミレイが軽くチョップを入れる。
『あの馬鹿』とは、当然ルルーシュ・ランペルージのことだ。
正確にはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアである彼は
今日の見送りに参加していない。
先日、生徒会室でルルーシュに見送りについて電話をしたリヴァルは
ルルーシュに「多忙につき行けない」という返事をされ
通話の切れた携帯に向かって悪口雑言をまき散らしていた。
生徒会に入って日が浅いスザクや、
正式参加じゃないナナリーはいい。
また先日特区に参加するからと言って学園を去ったカレンも来ることはないだろう。
しかし、副会長たるルルーシュは来なきゃダメ、という事だろうか。
結局集まったのはミレイ、リヴァル、ニーナの3人だけ。
「特区日本が忙しいんだから仕方ないでしょ」
「今生の別れという訳でもなし、また会えるわよ」
なおもルルーシュへの愚痴を言うリヴァルにミレイがそう言った。
ニーナは不意に出てきた『特区日本』という言葉にビクッと反応してしまう。
手を繋いでいたミレイは周りを見渡して、
(イレブンもいないのに?)と不思議そうにこっちを見る。
ニーナは顔を赤くしながら「ごめん、何でもないのっ」と早口で言った。
すこし首を傾げた後、ミレイは再びリヴァルとの言い合いに戻っていった。
特区日本という言葉に驚いてしまったのは、
ニーナもそこへ行くことになるかも知れないからだ。
『特区日本に来ないか?』
ロイド伯爵から電話でそう誘われた時。
最初、ニーナ・アインシュタインはお断りしようと思った。
電話を掛けたのはニーナの方からだった。
以前彼から貰ったウラン鉱について、お礼を言いたかったから。
本当ならもっと早くにしたかったのだが、
ユーフェミアの特区構想発表やルルーシュの皇籍返還宣言など
ニーナは心身共に振り回される事が多すぎた。
直接会ってお礼を言いたいとメールしたところ、
ロイドに「なんで?」と言われてしまった。
最初は「メールで十分、そんな必要ないよ」という意味の社交辞令かと思ったが
後でスザクに話すと「あの人は礼儀作法とかホントに知らないから」と言われた。
仕方ないのでスザクから連絡先を聞き出して
せめて電話でお礼を言うことにしたのだ。
電話に出たロイドは誰かと一緒にいるようだったが、
ニーナが掛け直すかと訊くと、気軽に「大丈夫だよぉ」と応えた。
「にしてもワザワザ電話なんかしなくたっていいのに」
「キミも意外と律儀なんだね♪」
・・・。
まぁここも私が気を使わないように社交辞令で言っている、ということにしておこう。
電話越しにお礼を言った後、
ウランの濃縮や核分裂反応に関する質問を2、3したと思う。
彼にとって核物理など専門外のはずだが色々と参考になる話が聞けた。
そしてニーナが最後にもう一度お礼を言って電話を切ろうとした時、
まるで昼食を誘うような気軽さでロイドが言ったのである。
「キミも特区に来ないィ?」、と。
ロイドは近々特区日本でエネルギー開発に関する研究機関が立ち上げられる、と言った。
特区の科学研究はラクシャータ・チャウラーという女性技術者が責任者となっている。
彼はそのラクシャータと旧交があるとかで、
メンバーの一員としてニーナを推薦したいらしい。
確かに魅力的な提案ではあった。
アッシュフォード学園の設備では大規模な実験などは望むべくもない。
核分裂に関する実験は個人のレベルを超えている事もニーナは理解している。
しかし、そこは特区日本なのだ。
特区日本にはイレブンがいる。
ロイドの説明によると、
核分裂に関する研究はブリタニアにおいて主流ではないので、
ラクシャータのコネで集めた技術者と共同研究することになるそうだ。
エネルギー開発部門の中で独立した形で
核分裂に関する研究チームを作ることになるだろうとも言っていた。
今の自分が一番興味のある、ウランの核分裂やウラン濃縮の分野において
日本人に著名な科学者がいるとは聞かない。
(イレブンは7年前の戦争で研究機関などが壊滅したのだから当然だ)
だから研究チームに日本人が加わることは考えにくいのだが。
特区北部の住民は名誉ブリタニア人が多く、
研究機関もそういう場所に設置されるらしいのだが。
しかし・・・。
できる訳がない。
ミレイの後ろに隠れて生きてきた自分に。
そんな場所で生活するなんて不可能だ。
渋っていると急に電話の向こうが騒がしくなってきた。
誰かがロイドに向かって話しかけてきているようで
女性の声で「誰と話している」「不敬」といった言葉が断片的に聞こえてくる。
「ニーナ君だよ」
「ホラ、スザク君やボクの元フィアンセと同じ生徒会の・・・」
ロイドがその女性に大声で応えると、
今度は別の女性の声が小さく聞こえてきた。
(あれ・)
(今の声は・・・?)
最初の女性よりも遠くにいるらしいその声は
さらによく聞きとれないが、
なにか記憶に引っかかるような、聞き覚えのある声だった。
同時に、
ロイドが『その人』との会話を中断することが『不敬』であること、
ロイドがスザクの上司であること、
そしてスザクが『あの人』の騎士であることを結び付けていく。
「ハイ、こっちに来ないかって誘ってるところで」
「あら、そーですか」
遠くに向かって大声を出していたロイドが声の調子を戻す。
「もしもしぃ」
「なんか『あの方』が電話代わりたいんだって」
(え、えっ)
「という訳で、こうたーい」
ニーナは顔を真っ赤にしながら
電話越しにも関わらず慌てて姿勢を正す。
(ちょっと待っ・・・)
「ニーナさんですか」
「お久しぶりです。私です。ユーフェミアです」
ユーフェミアと何を話したのかはよく覚えていない。
ニーナが覚えているのは、
ユーフェミアがニーナと会ったから今の自分がある、と言ってくれたこと。
その結果が特区日本だと言っていたこと。
そして、特区日本に来ないかと言われて「はい」と答えてしまったことだ。
・・・仕方がないじゃないか。
電話越しのユーフェミアは、以前にも増して明るく前向きな印象だった。
それが「前にニーナが訪ねてきてくれたから」だと彼女から言ってくれたのだ。
そして熱っぽく特区日本の良さを語った後で
そこに誘っていだたいたのだから。
しかし首肯した理由は正の感情だけではない。
このままでは『ユーフェミアが遠くに行ってしまう』ような気がしたのだ。
彼女は自分の夢に向かって走っているようだった。
ニーナもユーフェミアと話して、
少しだけ『なりたい自分』になれる気がしたのだ。
そして今自分も歩き出さないとユーフェミアが
本当に、遠く手の届かない場所に行ってしまうだろうとも。
正直に言えばニーナは今日の見送りも欠席しようかと思っていた。
しかしユーフェミアと話して、少し苦手だったけど
一緒に学園生活を過ごした友人とキチンとお別れをしようと思ったのだ。
(少しずつ)
(少しずつでいいから前に向かおう)
そんなことを考えていると
「あれ、もう行っちゃった!?」
突然聞こえてきた覚えのある声が
ニーナを記憶から現実へと引き戻した。
「カレン!それにナナリーと咲世子さんも!」
リヴァルが嬉しそうな声を上げる。
声のした方へ顔を向けると
少し慌てた様子のカレン・シュタットフェルトと
メイドの咲世子さんに車椅子を押されるナナリー・ランペルージ、
いやナナリー・ヴィ・ブリタニアの姿があった。
「まだシャーリーは手続きしてる所よ」
「でもどーして・・・」
ミレイも嬉しそうに立ち上がって訊ねる。
見送りが少ないことにセンチメンタルになっていたのは
どうやらリヴァルだけではなかったらしい。
「お世話になったシャーリーさんがブリタニアにお帰りになると聞いて」
「カレンさんに頼んで抜け出して来ちゃいました」
ミレイは優しい表情で「そう」と言った後、
少し心配顔になってカレンの方を見た。
冷静に考えればナナリーは最早立派なVIPの1人だ。
それを顔見知りとはいえイレブンの血の混ざった女に預けていいのだろうか。
「過保護なお兄様から死ぬほど着信は入ってるわ」
「一応、連絡も取ったから少なくともナナリー誘拐犯にはなってないハズよ」
カレンは携帯を取り出し、悪戯っぽくストラップを揺らしながら答えた。
特区日本が始まるにあたって。
カレンは紅月カレンとしてそこに参加すると
生徒会メンバーに告げ、学園を去っている。
シュタットフェルト家の籍がどうなっているかは知らないが、
ルルーシュがカレンを信頼する理由などあるのだろうか。
ニーナとしてはやや納得がいかないが、言及はしない。
「あ、ナナちゃん!」
そうこうしていると後ろから元気な声が聞こえてきた。
搭乗手続きを終えたシャーリーだ。
彼女はナナリーの姿を見つけるとすぐさま駆け寄ってきた。
「ナナちゃんも来てくれたんだ」
「ありがとう、嬉しいよ」
腰を落として手を握りながら話しかけるシャーリー。
以前の生徒会室ではよく見た、姉妹のような優しい一枚絵。
「シャーリーさんにはお世話になりましたから」
「お仕事が忙しくて来れない、兄とスザクさんの分も」
「・・・という訳には行きませんが」
「ううん、嬉しい」
首を振りながら返事をするシャーリー。
そして、満面の笑みのまま続けた。
. . . . . .
「ルルーシュ君が来れなくても」
「シャーリー!!」
何か言いかけたシャーリーの言葉をミレイの大声が遮った。
ニーナが驚いて隣の友人を見る。
ミレイとは付き合いの長いニーナでも滅多に見ない表情だった。
彼女はそのままシャーリーに抱きつくと
絞り出すように、言った。
「アンタが決めたことだから変に口出しはしない」
「でもこれは別れじゃないから」
「やり残したことは、いつでもしに来ていいんだからね?」
目に涙を浮かべながらそれだけ言うと
ミレイはさらに強くシャーリーを抱きしめた。
「やだな会長・・・」
「何だか『大事なこと』を忘れてるみたいな・・・」
ミレイの行動に戸惑い顔のシャーリー。
「アレ?」
「変だな・・・」
「泣きたいワケじゃないハズなのに」
その表情が見る見る崩れていって。
頬に涙が伝った。
いよいよ飛行機が飛び立つ時間が迫ってきた。
順々に最後の言葉を言っていく。
ニーナも苦手だった友人に抱きしめられ、
思わず鼻の奥がツンとなった。
「ありがとう」
何に対してのありがとう、なのか。
自分でもよく分からない言葉が口から出てしまった。
シャーリーは少しだけ驚いた顔を見せて
「私も、ありがとう」
と言ってくれた。
ミレイは簡単にまた会えると言っていたが。
アッシュフォード学園は高校までしかなく、
基本的に大学進学となればブリタニア本国に戻ることになる。
しかしミレイはアッシュフォード家の令嬢なのだ。
最終的にはエリア11に戻ることになるだろう。
イレブンになることを選んだカレンや
特区に参加するルルーシュ・ナナリー兄妹とスザク。
この5人は少なくともエリア11で暮らすことになるだろう。
そして、たぶん私も。
だがエリア11がいつまでも安定している保障はない。
今はユーフェミアの特区構想のお蔭か
イレブンの反ブリタニア活動も落ち着いているものの、
属国の政情など何がキッカケで急変するかも分からないのだ。
やはり、今日シャーリー会いに来れてよかったとニーナは思う。
(特区日本で頑張ってみよう)
ミレイの後ろに隠れるだけじゃない、自分で前に進める自分へ。
「じゃあ、行くね」
私から離れたシャーリーは明るく言うと、
少し先にいる母親の元に歩いていった。
「お元気で」
「また会おうね」
みな、名残を惜しむように最後の最後の言葉を言う。
らしくない姿を見せたせいかミレイは一歩引いて手を振っている。
シャーリーは何度も振り返り、手を振りながら搭乗ゲートを越える。
小さくなっていくシャーリーの背中。
(もっと仲良くなってればよかったな)
去り際の友を見ながらそうニーナが思う。
その時だった。
「あの後ろにいるのって・・・」
と、不意にリヴァルが言った。
奥の通路に目をやると、見たことのない仮面を左目につけた大柄な男が
こちらに向かって歩いてきていた。
「え、オレンジ卿?」
カレンが呟く。
そうだ。
仮面を付けて、やや雰囲気も変わったように見えるが
オレンジ事件で有名になったジェレミア、
ジェレミア・ゴットバルト卿だった。
ジェレミアはシャーリーを見つけると少し驚いた様子をしたあと
彼女に近づいて何か話しかけた。
(え、なんで・・・?)
ジェレミアとシャーリーに面識なんてあるはずがない。
オレンジ事件の当事者であるスザクなら顔見知りかもしれないが
彼すらいない状況で何を話しているのか。
ニーナの疑問を余所に事態はさらに進展。
「え」
ジェレミアと話していたシャーリーが突然気を失ったように崩れ落ちた。
事態についていけないニーナは硬直。
ジェレミアは彼女を抱き止めると、表情を変える。
「シャーリー!」
カレンが飛び出そうとするが、後ろにいるナナリーを見て躊躇する。
目の見えないナナリーは何が起こったかも分かっていない。
あっけないくらいに。
その一瞬の間にジェレミアはシャーリーを肩に担いで
人ごみの中へと消えてしまった。