「んっ・・・ふぅ」
執務室の椅子に座るユーフェミアは大きく伸びをして
手に持っていた書類を机の横に積んだ。
執務机から応接用のテーブルにまで積み上げられているのは
特区日本の内政に関する重要書類の写し。
ユーフェミアが初めて目を通すそれらは
本来なら自分の承認が必要なモノだったが
すでに特別補佐官の名でサインが済まされている。
特区日本が成立して以来、
自分とルルーシュの仕事量を比較すると 1:100 位の差があると思う。
理由は簡単。自分が未熟だから。
最近は改善してきたと思・・・いたいが
初めのうちなど簡単な書類に判を押すだけでも戸惑ってしまい
ほとんど仕事にならなかった。
「ルルーシュのサインはユーフェミアのサインに準ずる」という
不文律が出来てしまうのに、そう時間は掛からなかった。
しかしユーフェミアとてそんな状況を甘受した訳ではない。
作業するルルーシュの隣に机を並べ
彼のサインした書類を見たり、その判断の仕方を学ぶうちに
徐々に処理できる書類仕事を増やしていった。
今では
・ 大体の書類はローマイヤの元に集められる
→ ヤバそうな内容の書類は(直接彼の元に行く分も含めて)ルルーシュへ
→ 無難な内容の書類は自分へ
→ 判断に迷うものは保留し、後でルルーシュと相談
・ ルルーシュが判を押した書類も目を通す(特区の代表としてと、後学のため)
という形で作業を分担するようになった。
ただ、書類に判子を押すだけが首脳部の仕事では勿論ない。
今日も補佐官であるルルーシュがトウキョウ租界で働いている中、自分は特区でお留守番。
しかも特区に残ってやっているのが
ルルーシュが判を押した書類の確認作業とは・・・
(特区日本の代表になって)
(私がもっとみんなを笑顔にしようと思ったのに・・・)
お飾りの副総督。
コーネリアの下で散々言われたであろう嫌な言葉を思い出す。
思考が後ろ向きになり始めたとき
執務室の扉が控えめにノックされた。
「ユフィ姉様、私です。ナナリーです」
「ちょっとお茶にしませんか?」
ナナリーの声を聞いたユーフェミアは「どうぞ」と言い
ボタンを押してすぐに執務室の扉を開けた。
特区日本の発足以来、ナナリーも官邸の敷地内に住んでもらっている。
電動の車椅子に乗った少女が入ってくると
それだけで部屋が明るくなったような気がした。
元々執務室には大きめの窓があり
午後の陽気がいっぱいに差し込んでいたはずなのだが。
少し根を詰め過ぎていたのかもしれない。
「咲世子さんが日本のお菓子を作ってくれて・・・」
「ええと、よ、よう・・・?」
「羊羹、ですわ。ナナリー様」
ナナリーの後を続いた女性がそう言って優しく微笑んだ。
篠崎咲世子はナナリーに仕えるメイドだ。
本来はこの兄妹を匿っていたアッシュフォードの人間らしいのだが
ルルーシュたっての願いで特区日本に連れてきたらしい。
しかし咲世子がナナリーに向ける眼差しは
ただの従者が主人に向けるそれよりも温かみのあるもの。
あの特区の式典の日、
舞台裏でルルーシュに『ナナリーのために特区を作る』と言っておきながら
警備の観点からろくに外にも出られず
彼女には半ば軟禁のような生活をさせてしまっている。
そう考えれば友人としてもナナリーに接してくれる咲世子の存在はありがたい。
それにブリタニアの皇女と日本人。
2人の柔らかい笑顔を見ていると
ユーフェミアも特区日本は間違いでないと心から思えた。
「あ、あの、お邪魔だったでしょうか」
「お仕事中でしたらまた後にしますけど・・・」
微笑ましい2人を黙って眺めていると
不安そうに眉を寄せたナナリーがたずねた。
天真爛漫な彼女を見ているとつい忘れそうになってしまうが
彼女は目が見えないのだ。
ユーフェミアは慌てて否定する。
「そんなことないわ!」
「実はちょっと煮詰まってて、丁度お茶にしようと思ってたの」
そう言うとソファの前のテーブルにまで散乱した書類を片付けるべく
ユーフェミアは立ち上がった。
「あの、私にもお手伝いできる仕事はないでしょうか?」
ナナリーのこの言葉が発せられるまで
お茶会はユーフェミアにとっても、久しぶりに心休まる時間になった。
ナナリーもこの敷地内に閉じ込められて
さぞ退屈しているだろうと思っていたのだが
ルルーシュやスザクの他に紅月カレンも時々訪ねてくれているらしい。
ユーフェミアは神根島でカレンと顔を合わせている。
「人形の皇女」だの「ひとりじゃ何もできない」だのと、
好き放題言ってくれたブレーモノにあまり好意は持っていないが
ナナリーの退屈を紛らわしてくれているのならありがたい存在だ。
しかし、カレンの言動を思い出してついた溜息が余計だった。
「お疲れですか」、というナナリーの気遣いから
こんな流れになってしまい・・・
「うーん、気持ちはありがたいんだけど・・・」
「私じゃお役に立てませんか?」
そう言って悲しそうな顔をするナナリー。
ルルーシュはナナリーを特区に連れてきたものの
彼女をその政治の一部に組み込むことを望んでいなかった。
彼自身が(都合よく皇族としての名を使うこともあるが)
一般人としてユーフェミアの補佐官になっているので
ナナリーが皇族としての職務を行わないことに不自然はない。
縁を切りたいブリタニアの仕事を、
よりによって不安定極まりない特区日本の補佐という形で
ナナリーにさせたくはないのだろう。
このあたりはユーフェミアも同感だった。
ただ、大事な人の力になりたくてもなれない。
少し前まで(今でもだが)の自分に重なりいたたまれない気持ちになる。
それで、
「あー、そうじゃないの!」
「ええと・・・」
「実は私もあんまり仕事ができてないのよ」
・・・
あーあ、言っちゃった。
ナナリーの前ではなるべく愚痴なんて言いたくなかったのに。
「そうでしょうか・・・」
「お兄様もユフィ姉様は頑張っていると言ってましたよ」
「あら、ホント?」
小首を傾げながらのナナリーの言葉に思わず聞き返してしまう。
面と向かっては誉めてくれないルルーシュだから、ちょっと嬉しい。
「えぇ」
「今ではお兄様の5分の1位のスピードで書類仕事ができるようになったって」
満面の笑みで断言するナナリー。
一瞬本当に褒められたように錯覚したユーフェミアだったが。
「それって・・・」
全然褒められてない!
「もう、ナナリー!」
フフ、と笑いながらユーフェミアの追及をかわそうとするナナリー。
脹れるフリをするユーフェミアだが、
ナナリーを閉じ込めてしまっている自覚があるだけに
彼女が冗談を言ってくれると少し救われた気分になる。
こうしてふざけ合っていると7年の断絶が埋まっていくようだった。
マリアンヌ様が生きていたあの頃のような―――
『ユーフェミア様、ローマイアです』
しかし、和やかな時間を止める再度の来客。
ノックの後の言葉にユーフェミアは「どうぞ」と応えた。
「ルルーシュ様と枢木卿がお帰りになりましたが」
「そ、そうですか」
あたふたと机の端に積んであった書類をローマイアから隠しながら応える。
写しの上に発表済の内容とはいえ、一応は特区の重要書類。
ナナリーはともかく、咲世子にも見られたと知れればローマイアは快く思うまい。
「では執務室に来るように伝えていただけますか?」
「・・・もうこちらに向かっているそうです」
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
「代表は執務室をもう少し片付けておいて下さい」
視線をちらと咲世子の方に送った後、
ローマイアはそれだけ言って執務室を後にした。
(バレてるわね・・・)
ローマイアの中のユーフェミア株が更に下落した気がした。
「お兄様が帰ってきたんですか・・・」
気を取り直そうとした時にポツリとナナリーが言う。
彼女の方を見ると、寂しげな気配。
おそらくナナリーは『ルルーシュ達が戻ってくると執務室を追い出されること』や
『ナナリーが特区に参加するのをルルーシュもユーフェミアも望んでいないこと』
を理解しているのだろう。
「じゃあ私は部屋に戻りますね・・・」
そう言うと車椅子を反転させて部屋を後にしようとする。
その小さな後姿を黙って見送るのは、
ユーフェミアには不可能だった。
特区成立から1月も経つと
順調に進んだ点もあれば、急務となる問題点も出てくる。
医療問題は後者の代表例だ。
旧日本がブリタニアの一部となって7年。
その間にイレブンと呼ばれた人々はまともな教育も受けてこなかった。
名誉ブリタニア人になった者の子供はそうでもなかったが、
特区日本は名誉ブリタニア人の参加者が少ない。
少しでも『持つ者』からすれば
何の保証もない特区に参加したがる人間は少数派だったのだ。
(それどころか「特区は日本人を殺すためのブリキの罠」「あれは虐殺皇女だ」
などという、『とんでもない流言飛語』まで飛び交った)
その結果、特区の参加者はそのほとんどが社会的弱者となり
20万を超える参加者の医療問題が特区成立と同時に持ち上がったのである。
旧日本で所有していた資格に関しては免許などがあれば
仮の免許を発行して職務に当たらせるなど、当座を凌ぐための措置も取ってはいる。
しかし現状は無免許医がボランティアで診ている、というのでもいい方で
ほとんどの住民は医療と無縁の生活になってしまっている。
今日のルルーシュの東京租界行きの主な目的は、この問題の改善だ。
医療に携わる名誉ブリタニア人は横の繋がりを持っていることが多かったため
その会合に参加して、彼らに特区への協力を促す。
例えば子供がいる場合は学校などが整備されていないと中々参加に踏み切れないが、
医療機関や関係者のための宿舎などは優先的に建設しており
短期でも特区で働いてほしい旨を説明して回ってもらった。
「もう少し事前の準備があれば、状況はマシだったとも思うがな」
執務室のソファにどっ、と座りながらルルーシュが口を開く。
特区と東京租界の往復でかなり疲れているようだ。
いつもなら彼の皮肉にヘコまなければならないがしかし、今日は違う。
「大体20万人を集めておいて準備が水と食糧だけ、というのは・・・」
「あら、だからこそお兄様の出番があるんじゃないですか?」
ルルーシュの言葉にナナリーが言い返した。
ここは政庁の執務室で、非生産的な愚痴も混ざっているものの
ルルーシュとスザクから租界の報告を受けている所だ。
そこにナナリーがいるということはつまり、ユーフェミアの譲歩を意味する。
今や特区日本の最重要人物になりつつあるルルーシュだが
彼も妹に頭が上がらないのは変わらないらしい。
恨めし気にルルーシュがこちらを見る。
仕方がないじゃないか。
ナナリーにあんな悲しそうな顔をされて、『仲間外れ』のままにしろと?
(だったらルルーシュが追い出しなさいよ・・・)
視線に力を込めて睨み返す。
意思が通じたのかルルーシュは苦々しげに首を振って目を逸らした。
彼にそんなことが出来るはずないのはよく知っている。
ただ、ルルーシュによれば日本に渡ってからの、
・・・いや言葉を飾るのはよそう。
母親と、そして光と脚を失ってからのナナリーは
ユーフェミアの記憶の中の彼女よりも大人しい少女になっていたらしい。
こうして冗談を言い返す明るさが戻りつつあるのは
苦い顔をしつつルルーシュにとって喜ばしいことなのだろう。
「・・・分かった。じゃあ復習をかねて
ナナリーにも特区の現状を説明していこうか」
ルルーシュが折れるのに、そう時間はかからなかった。
ルルーシュが提案した特区日本の経済政策の基盤は大きく4つ。
① 特区に集まった労働力を使い、とにかくインフラを整備すること
② 桐原泰三に先陣を切らせ、名誉ブリタニア人を民間資本ごと呼び込むこと
③ 研究機関を先行させ、付随する形で各種先端産業を育成すること
④ アッシュフォードの協力の元、研究機関と連携しつつ教育機関を整備すること
『 From Top and Bottom (上から下から) 』
と内々に称されるプランは概ね順調に進められている。
①について。
幸か不幸か、イレブンと蔑まれてきた日本人は
土木作業などに習熟している者が多かった。
特区の人口構成を見ても『独り身の成人男性』の割合は特筆して高く、
彼らを桐原重工の非正規社員として雇うことで特区はまとまった労働力を確保した。
強制労働抜き、かつ重機はおろかツルハシなどの道具すら不足する中
勤勉さや旺盛な意欲も作業を押し進め
ルルーシュが驚くほどのペースでインフラの整備は進んでいる。
②について。
桐原泰三はサクラダイトに関する利権を全て失い、
もはや『権力』という面ではかつての力はない。
しかし彼の手元には莫大な個人資産が残されており
『ゼロ』が特区日本をその運用先とするように『説得』したらしい。
また名誉ブリタニア人の富裕層には未だ租界に身を置きつつも
枢木ゲンブの恩を忘れていない者もいる。
そういった人間の取り込みにはスザク(ルルーシュ曰く「その名前」)が活躍している。
③について。
研究機関に関してはラクシャータ・チャウラーなる女性技術者に一任している。
彼女は中華連邦・インド軍区の出身で黒の騎士団に参加していたらしい。
しかしブリタニアにも留学経験があるなど彼女の人脈は貴重だ。
また医療サイバネティック技術の権威として名を馳せた時期もあるということで
国籍を問わず特区日本に参加する、という研究者が集まりつつある。
ただし産業育成の方は全く進んでいない。
特区日本参加者の住宅や医療機関の建設を最優先にしているため
(部分的に産業育成もすべき、と言うルルーシュと意見の対立もあったが)
企業向けのインフラ整備などは全て後回しになっているからだ。
一応、誘致活動はしているが実際に雇用先として機能するまではまだ時間がかかるだろう。
④について。
エリア11は治安さえ安定すれば
遠からず総督をユーフェミアに代えることが既定路線となっている。
そうなった時を考えると特区日本は経済から農業から
全て網羅した独立型の都市である必要はなく、何かに特化した存在であるほうが望ましい。
となれば日本復興の先駆けとなる特区日本が目指すべきは学術都市となること。
日本が戦前、ブリタニア・中華連邦・EUの3極に属さない独立国としては
破格の経済力を持っていた理由はサクラダイトだけではない。
ルルーシュもどこかの組織で一般教育の重要性を骨身に沁みて理解したらしく
ブリタニア式のエリート育成のみを目的にした教育システムには否定的なようだった。
ホワイトボードも使わずに淡々と説明を続けるルルーシュを見て
ユーフェミアは改めてこの男の優秀さを感じていた。
天才という人種は得てして余人から理解されないというが
類まれな扇動者でもあった彼には当てはまらないらしい。
(相手がナナリーだから、という気もするけど・・・)
しかし順序良く説明していくと、なぜかナナリーの表情が曇っていく。
「どうしたんだい、ナナリー?」
ルルーシュの隣に座っていたスザクがたずねた。
「いえ、お兄様達のされているお仕事が思った以上にすごくて・・・」
「何かお手伝いしたいと思っていたんですけど
私の出る幕なんてないのかも知れません・・・」
しゅん、と下を向きながら答えるナナリー。
「え、いや、大丈夫だよ!」
「僕だって半分くらいしか解ってないけどなんとか出来ているし」
「お前、それは・・・」
スザクのフォロー(?)に呆れて突っ込んだルルーシュ。
励ますのはいいが、ナナリーを特区に引きずり込むのはあくまで反対なのだろう。
しばしの沈黙。
やがて下を向くナナリーに堪りかねたように
ルルーシュはため息をひとつついたあと、
「その気持ちだけで十分・・・と言いたいところなんだが」
「そうだな、もう少し話が具体的になってから言うつもりだったんだけど
実はナナリーに頼みたい仕事があるんだ」
(えっ?)
そっけなく口を開いた。