「その、朝ご飯、の用意が、できたのですが・・・」
朝の薄暗い部屋。
扇の目の前、鼻先数センチメートルにいる女性は
つっかえながらそれだけを言った。
待て。
なんだこの状況は。
自分は居間のソファーで寝ていて
誰かから「オウギサン」「オウギサン」と意味不明な言葉を掛けられた。
眼を開けると、自分を覗き込む人影があり
レジスタンス時代の名残なのか何なのか、
反射的に上体を起こすとともに、なぜか相手の両肩を掴んでしまった。
「あの・・・」
目の前でどうしていいか分からない、という困惑顔をしているのは千草だ。
記憶を無くしたブリタニア人の女性。
特区に参加することを選び、祖国を棄てた女性。
そして俺にとって ―――
「あ、そうか、いや、す、すすまない!」
寝起きの頭を強引に回転させ、
扇は後ずさりながら謝罪の言葉を吐き出した。
普段なら自分の方が早く起きるのだが
今日は同じ部屋で朝食を作られても高いびきのままだったらしい。
(なんてことだ・・・)
「いえ、昨日も遅くまでお仕事してたみたいですから・・・」
「えっと、ご飯とお味噌汁よそいますね」
そう言うと千草は仄かに頬を赤くしながら立ち上がった。
料理の邪魔になるからか長い髪を後ろで束ね、
エプロン姿も様になっている。
彼女の後ろのテーブルには卵焼きや漬物が並べられており
先程から味噌汁のいい匂いがしていたのにも漸く気が付いた。
特区の食糧事情は芳しいものではない。
なにせ生産能力を持たない者が20万人、
ほとんど何もない土地に押しかけて、特区として半ば独立したのだから。
最低限の衣食住に関しては無償とするようにされていたが
3食レーションの者がいたりと中々向上しないのが現状だ。
しかし嬉しい誤算もある。
例えば地方の農家から米や野菜が無視できない頻度で送られてくること。
「特区日本頑張って」という個人からの援助物資らしいのだが
農家の方々はほぼ間違いなく「イレブン」だろう。
苦しい暮らしの中で我々「日本人」を気遣ってくれたことに
幹部一同で泣きそうになった。
今日の食卓に並んでいるのはそうしたものの一部だ。
本当は他の日本人の方々に回そうと言ったのだが
居合わせていた藤堂さんに「我々が痩せてこけていたら誰も特区についてこない」
と言われ、押し付けられてしまった。
「じゃあ食べましょうか」
いつの間にか配膳を終えてた千草が言った。
扇も慌ててソファを降りて机の前に座る。
思えば奇妙な状況だ。
ブリタニア人(しかもどう見てもアフリカ系の血の混ざった)と
日本人である自分が食卓を囲み、向き合って手を合わせている。
「「 いただきます 」」
『今は矛を納める時』
特区日本の式典後、
そう言ったゼロの姿を扇は思い出していた ―――
ゼロが特区日本の式典に単騎突入してからしばらくして
黒の騎士団に撤退命令が出た。
富士山周辺に待機していた団員達は
無為に終わった作戦に不満を唱えつつ
予め用意された幾つかのルートに分かれて撤退を開始した。
その車内、ラジオなどから特区日本の中継を聞いた団員は
ゼロ独断での黒の騎士団解散宣言にあるものは怒り、混乱した。
玉城などは「このまま引き返して式典をブチ壊そう」などと叫び
一時的に指揮系統が麻痺しかけたが
「こんな状態では作戦行動は無理」という藤堂の言もあり
とにかく一旦は撤退することになった。
トウキョウのアジトで待つこと数十分。
ゼロが戻ったと伝えられ、扇ら幹部一同は会議室に集まった。
「キュウシュウ戦役の際に言った通りだ・・・」
「日本に独立国を造る、と」
「もっともトウキョウから富士へ、場所は変わってしまったがな」
射殺すような視線の中、部屋に入ってきたゼロは
さも当然のように言い放った。
「フザケンな!ユーフェミアに降伏するっていうのかよ!」
ゼロの言葉に対して真っ先に声を上げたのは玉城。
しかしゼロは事もなげに応える。
「黒の騎士団は『弱者の味方』だ」
「ならばユーフェミアと敵対する意味はない」
「言葉遊びだろう、そんなものは!」
今度は千葉凪沙が叫んだ。
そうだ、と扇も思う。
黒の騎士団は武力集団だ。
基本的にゼロを信用している自分とてこれには納得できない。
「我々は戦って独立を勝ち取ると誓ったはずだっ!」
「それにゼロ、お前もブリタニアとの全面戦争を・・・」
しかし、千葉が言葉を続けるのを半ば遮る形でゼロが疑問を口にした。
「戦って戦って・・・それでどうする?」
「待て、ゼロ!それはっ」
声を上げたのは藤堂鏡志朗。
彼や四聖剣の戦いは日本の独立に向けての7年間だけではない。
まだこのエリア11が日本と呼ばれていた頃から
彼らは日本の軍人として生きてきたのだ。
しかしゼロは藤堂の言葉も遮って言葉を続けた。
「では聞こう!」
「ブリタニアを日本から追い出したとして・・・その後はどうする?」
「日本がサクラダイトを持つ極東の島国である限り、この国の戦略的重要性は変わらない」
「ブリタニアは再びこの国と全面戦争をするだろう・・・」
「歴史の針を戻す愚を、私は犯さない」
「先日の沢崎の一件、まさか中華連邦が好意のみで軍を出したとでも?」
「2つの大国を相手に戦って、戦って・・・屍が独立を謳うとでもいうのか!」
一同はぐ、と言葉に詰まる。
(しかし、そもそも独立戦争を起こすと言ったのは・・・)
皆が思ったであろう文句だが、流石に口には出せない。
扇は行動理念までもゼロに預けてしまっていたことを改めて痛感した。
「そもそも日本の独立とは何だ?」
「地政学的に見て、この国がブリタニアと中華連邦の影響から逃れられるとは思えない」
「それでも日本人から選ばれた人間が首相になれば
傀儡政権であろうとも、それが日本の独立なのか」
ここで両手を広げて部屋にいる幹部たち全員に話していたゼロが、藤堂の方を向いた。
「藤堂に聞こう!」
「日本人とは、民族とは何だ?」
「言語か?土地か?血の繋がりか?」
突然の問いかけに
少し考え、しかし確信と共に藤堂が答える。
「違う!それは・・・心だ!」
それを聞いたゼロは小さく頷いた。
「私もそう思う」
「自覚、規範、矜持・・・」
「つまり文化の根底たる心さえあれば支配者が違えどもそれは日本人なのだ」
「私は特区日本であれば、それは十分に為せると判断した」
「もう一度、藤堂に聞く」
「お前は争い、殺しあうために軍人になったのか」
「諸君にも聞こう」
「今、日本人に必要なのは血か?」
「それとも融和か」
両手を広げ、皆に問いかけるゼロ。
急にすぎる事態の変化に一同はぐ、と押し黙った。
(ゼロの発言は的を得てはいる、が・・・)
ここまでじ、と黙っていた扇はようやく口を開いた。
「ゼロ、1つだけ聞かせてくれ」
「君はブリタニアを壊す、と言っていた」
「我々は利害が一致していたからこそここまで来れたんだと思う」
戦わずに済むならばそれに越したことはない。
だがその理想論は結局はこの男、ゼロを信用できるのかがネックになる。
そもそも扇はゼロを徹底したリアリストだと思っていた。
突然リベラルへと宗旨替えされても戸惑うだけだ。
しかも彼の言う融和はどこの馬の骨とも知れないユーフェミアへの信頼が前提になっている。
その劇的、というよりも不自然な変化をもたらしうる事象とは。
扇は言葉を続けた。
「仮面を、外してくれないか?」
ざわ、と周囲に緊張が走る。
扇の発言の意図は『あの式典会場の舞台裏で本物のゼロが殺され
ここにいるのは偽者ではないか』という事だ。
もちろん扇はゼロの正体を知らないので
誰が出てきたとしても「こいつはゼロじゃない」と断言などできはしない。
それに先程の演説を聞いても
あれ程の扇動者がそういるとも思えない。
このアジトの場所を知っていた事実も含めてゼロはゼロだと思うのだが。
しかしその裏に「やはり顔を見せれない者は信じられない」という思いがある。
レジスタンスという組織形態を考えれば
むしろトップの顔を知らないことは利点となりうるが
そこから脱却しようというのならば。
(ゼロ、信じさせてくれ・・・)
部屋に集まった皆の視線が今まで以上にゼロに集まる。
「やはり、そこがネックになる、か」
ため息をつくように言うゼロ。
「いいだろう」
「だが、見せるのは顔ではない」
「要は信じるに足ればいいのだろう?」
ゼロは懐から携帯端末を取り出すした。
ひとつふたつ操作すると、何処からか枯れた声が響いた。
『さて、ようやく儂の出番かの・・・』
扇が何だ、と思う間もなく
ゼロの背後、会議室の正面に置かれた大型モニターに1人の老人が映し出された。
「き、桐原公!?」
「桐原泰三・・・サクラダイト採掘業務を一点に担う桐原産業の創設者にして、柩木政権の影の立役者。
だが敗戦後は身を翻し植民地支配の積極的協力者となる。通称、売国奴の桐原」
「しかし、その実態は全国のレジスタンスを束ねるキョウト6家の重鎮」
「もっとも今は」
「テロリスト幇助が露見し免罪と引き換えに
サクラダイト関連の利権を失った歯牙なき飼い犬だが」
集まった幹部一同に驚きの色が走る。
機密保持の観点からキョウトに関する情報をなるべく隠していたので
多くの団員は桐原泰三がレジスタンスに協力していたことを知らない筈だ。
(どうも何人かには玉城が喋ってしまっていた風があるのだが)
以前の会見で桐原と対面していた扇にしても
彼のレジスタンス支援がブリタニアに露見していたのは初耳だった。
『フ・・・大層な紹介よ・・・』
『さて、儂はそこなゼロの仮面の内を知っている』
『そして今日の式典、そのゼロの変心の理由も先程説明を受けた』
『端的に申そう』
『そやつの今の目的と我等の目的、利害は一致しておるよ』
『黒の騎士団には治安維持と各所の調整をしてもらおうと思っておる』
『まぁ言うなれば官僚かな』
『儂は確かに牙を抜かれた』
『しかしブリタニアの走狗となるつもりはないよ』
『日本の、日本人のための猟犬となるつもりじゃ』
『さて、貴公らはどうする?』
一日で事態が急変しすぎて多くの者はついていけていない。
「無論」
黙り込んでいる幹部一同に向けてゼロが言葉を継ぎ足す。
. . . . . . . . .
「初めて会ったばかりのユーフェミアを、私とて完全に信頼している訳ではない」
「ナイトメアの内、無頼の一部は作業用重機として武装解除の上で桐原重工に引き渡すが
月下や紅蓮二式など主力に関しては秘匿する方針だ」
「特区日本を信じられない者はこちらの潜伏班に回ってもらうことになるが・・・」
「いいじゃねえか!」
ゼロの言葉を遮って明るい声を上げたのは玉城。
「考えようによっちゃ俺達が暴れたからこそ特区日本ができたんだ!」
「どこかで日の光の下に出るなら、それが今だってことだろ」
玉城の発言は図らずも(?)皆の不安を指摘していた。
藤堂や四聖剣とは異なり、黒の騎士団のメンバーは
その多くがブリタニアに顔が割れていない。
しかし黒の騎士団として特区日本に参加することになれば
名を明かさねばならなくなる。
ただし、実際問題として特区構想を蹴るのはほとんど不可能だ。
ゼロだけでなく支援者たるキョウトまで特区支持に回っている。
仮にカリスマ指導者の首を挿げ替えた所で
肥大化した組織を養うカネと、『キョウトの支持』という錦の御旗を失ってしまうのだ。
黒の騎士団がキレイに分裂すればいい方で、
内ゲバをしている間にブリタニアに制圧され
日本独立への灯が消えることもありうる。
(そうやって壊滅したレジスタンスも少なくないんだ・・・)
隣の藤堂を窺うと図らずも目が合った。
彼も同じような考えらしく、黙って頷く。
(乗るしかない、か)
扇と藤堂の賛意は皆に広がり、黒の騎士団は特区参加でまとまった。
「日本万歳!」
皆を鼓舞しようとする藤堂となぜか玉城の唱和に、他の幹部も声を揃えた。
一同の歓声を前にして。
それを眺めるゼロの表情は、知れない。
ゼロが黒の騎士団の幹部達に用意した椅子、
特区日本での職務は「特務局」という機関だった。
主な仕事は特区に暮らす日本人とゼロの中間管理。
各種工事の進捗から、医療品や食糧の配分まで
大小様々な報告はこの機関に集められるようになっている。
その情報に彼ら自身が調査した内容を添えてゼロに送り、
ゼロが指示を出せばその内容を各機関に伝達する。
扇自身はは特務局の局長となることになった。
ゼロという半ば実体を持たないリーダーのための耳目、
そして手足となることが特務局には求められていた。
この仕事に必要なのは『足』と『経験』だ。
特区を駆けずり回って各機関との調整をこなさなければならない上に
細かい部分はどうしても各自の判断で動かなければならなくなる。
特務機関の母体となった黒の騎士団は総じて若く
『足』はあったものの『経験』という部分では全く不足していた。
そこを補ってくれたのが顧問として派遣されてきた小島源三郎氏だ。
NGO団体の代表としてゲットーで活動していた小島氏は当初、
反ゼロの姿勢を隠そうともしなかった。
しかし特区日本の、彼曰く「現実主義的な姿勢」に共感したと言い
今ではキチンとした協力関係が築けている。
「「 ごちそうさまでした 」」
食事を終えた扇は食器を片づけてくれる千草を尻目に
特務局への出勤支度を始めた。
扇と千草の住むアパートは特区日本の中心部からやや離れた場所にある。
そもそも富士山周辺にはサクラダイトに関連する産業の工場や
そこで働く従業員のための施設がある程度揃っていた。
その重要施設が特区日本の範囲内となることはなかったが
扇達の住むアパートなど周辺施設のいくつかは特区の持ち物になることになった。
扇がこのアパートを選んだ理由は
サクラダイト産業に関連して、名誉ブリタニア人が比較的多い地域だからだ。
特区日本の参加者はブリタニアに迫害されてきた者も多いため
元イレブンによる名誉やブリタニア人への逆差別も問題になっている。
(どうにかしなければいけないんだが)
チラと台所の方を窺えば
流しの前で何かしている千草の後ろ姿が見える。
扇自身には解決の難しい問題だった。
しかし光明も僅かだが、ある。
ゼロによると、いずれユーフェミアは特区を去ることになるらしい。
『エリア11の治安が安定すれば、総督コーネリアがその座を妹のユーフェミアに譲る』
ブリタニア人が日本復興のロードマップを
勝手に考えることについて、日本人としては腹立たしくもあるが。
ともあれ、これがブリタニアの共通した青写真だとゼロは言っていた。
このあたりのブリタニアの政情に関しては正直なところよく分からない。
しかしブリタニアの事情に多少でも詳しい者、
例えばディートハルトあたりにすれば言わずもがな、ということだそうだ。
元黒の騎士団のメンバーからすれば
ユーフェミアが去り、いよいよゼロが特区の全権を・・・と期待したいところだ。
しかしディートハルトは
. . . . . . . . . . . . . . . . . . .
「元皇子ルルーシュが特区に残るのではないか」
とも言っていた。
何でもエリア11総督コーネリアがルルーシュの母親に憧れていたとかで
コーネリア・ユーフェミア姉妹と、ルルーシュ・ナナリー兄妹の間には
「奪え、競え」のブリタニアには珍しく、浅からぬ縁があったらしい。
『ブリタニアの元皇子』と『元テロリストの親玉』。
ルルーシュが残るとすれば、肩書では勝負にもならないだろう。
(彼ら兄妹を敵視するのは間違いかもしれないが・・・)
扇は何度か行われた公開会議や
ディートハルトの流す裏動画の中でルルーシュの言動を目にしている。
カレンと同い年ということだか、とてつもなく優秀、というのが扇の印象。
特区の発展を考えつつブリタニアにも配慮する、現実的な器用さも持っていた。
ルルーシュ・ナナリー兄妹への特区住民の評価は概ね良好だ。
ブリタニアに棄てられた皇子を、『敵の敵は味方』と判断しているらしい。
幹部の中にもユーフェミアを含め『親日派のブリタニア人』を認める者が出てきている。
このあたりは扇にとって大きな順風だ。
何しろ彼の同居人、千草はブリタニア人なのだから。
扇自身は『日本』に対して裏切るようなことはしていないつもりだ。
しかし反ブリタニアの気勢が強まれば強まるほど、
千草と共に暮らす問題が大きくなってくる。
(だからこそ日々の働きが重要になってくる、か)
特区日本が成功すれば、エリア11が安定する。
親日派ブリタニア人の政権になれば
千草との暮らしも『安定したもの』になるかもしれない。
支度を終えて玄関に行く。
千草が用意した弁当を差し出してくれた。
彼女の出自は知らないが、
今日の朝食といい、自分のためにここまで尽くしてくれる女性だ。
(彼女は幸せにしないといけない、よな)
彼女との将来を不安に思うこともある。
しかし毎朝玄関で新たにする思いを、
あえてブリタニア風に表現するなら。
弁当を授けられ、
その笑顔に忠節を誓う、
騎士の叙任式だった。