行政特区日本、南地区。
疎らな街灯と月明かりを頼りに
藤堂鏡志朗は部下と共に未だ舗装されていない裏道を走っていた。
特区は南北で開発の速度が異なっている。
北部は元々あったサクラダイト産業の関連施設を一部とはいえ組み込んでいた。
部分的に道路が舗装されていたこともあり開発のペースは速い。
それに比べると南部の開発はやや緩慢だ。
今藤堂が走る道も左右にはバラックが立ち並んでおり
ゲットーさながらの様相となっている。
この『南北問題』とでも言うべき格差の原因は首脳部にある、と藤堂は見ている。
特区の二頭、ユーフェミアとゼロは共に弱者救済の姿勢を示している。
しかしユーフェミアは経済力のある名誉ブリタニア人の呼び込みにより執心なようで
基本的に北部を彼らの居住地として考えているらしい。
そのため特区の開発は北部優先であり、南部開発は後回しになりがち。
貧困層からの支持を集めようとするゼロとはこの部分でやや対立している。
君主制の、トップダウンの利点か
戦前の日本のように議会で「どちらの開発を優先するか」
と時間を空費しないだけマシではある。
北部と南部で速度の違いこそあれ、開発は共に進められているのだから。
現にこの道も頼りないながら、街灯に照らされている。
しかし名誉ブリタニア人の呼び込みは別の問題も生む。
それは『心』の問題。
今宵、藤堂が砂利を蹴り飛ばしながら闇夜の裏道を走る理由。
(このあたりだ)
連絡を受けた地区に着いた藤堂は、立ち止まった。
呼吸の乱れに若干ながら加齢を感じるが今は無視。
耳を澄ませると複数の怒鳴り声と鈍い打撃音が遠く聞こえてきた。
「てめぇはブリキだろうがっ! 名誉ブリタニア人様なんだろう?」
「誇りを売った名誉が! 日本人を! 名乗るんじゃねぇ!」
音を頼りに声の方へと向かう。
長年の潜伏生活のお蔭か、耳や夜目は効くようになっていた。
街灯と街灯の狭間、廃材でできた家の前の薄暗い空間に
5人、いや6人の日本人の若者が円陣を組んでいる。
彼らの中心には『同じく』日本人らしい1人の青年が地面に突っ伏していた。
『元名誉ブリタニア人の青年が絡まれている』
夜警の見廻りをしていた藤堂の受けた通報はそれだけだったが、
どうやらここに来るまでの間に事態は悪い方へ進展があったらしい。
どう考えても倒れているのが絡まれたという元名誉ブリタニア人だろう。
取り囲む若者は凶器の類も持っておらず、
今のところは命に関わる様子はなさそう、か。
「よせ!それ以上は!」
藤堂が声を上げながら駆け寄ると、若者達のリーダー格らしい男が怒鳴り返してきた。
「何だテメエは!」
歳は20代半ば。やや小太り。身長は180cm程。
はっきりとは分からないが酒の色は見えない。
(それが良いことか、悪いことか・・・?)
話し合いができる状態なのは良いことだが
計画的な襲撃だとすれば最悪だ。
藤堂は無造作に間合いを詰める。
「自警隊の藤堂だ!」
「これ以上の暴力は認めん」
こちらは藤堂の他にようやく追い付いてきた部下1名のみ。
しかし相手が6人いるとはいえ
素手の民間人相手に後れを取るとは思わない。
「あの藤堂?」
「奇跡の藤堂か」
若者達の表情には、はっきりと動揺が広がった。
藤堂は未だに旧日本軍の軍服を着ている。
これにはブリタニア人はもちろんのこと、
特別委員の小島源三郎などもいい顔をしていない。
藤堂としてもあからさまに文民でない者による民間人の統制は
好ましくないとは思っているが、
代わりの服かないのだから仕方がない。
早く制服を作ってくれとも思うものの
世間体に予算を振る余裕がないことも理解している。
(だが、ソレが役に立つこともある、か)
. .
性悪な言い方だが自称愛国者にこの服は効く。
『奇跡の藤堂』が1歩踏み出せば、若者たちは1歩下がった。
倒れていた青年の足元に膝をつき、怪我の具合を見る。
青年は藤堂を見ると一瞬驚いた顔を見せた。
身体を起こすと、顔は腫れ上がり腹部を苦しげに押さえているものの、おそらく軽傷。
無防備に背中をさらした藤堂だったが、その隙に襲われる事もなかった。
軽く手当をしていると同じく連絡をうけたのであろう千葉と数名の部下が現れた。
彼らに手当を任せて藤堂は立ち上がり、周囲の若者に立ち去るように言った。
彼らが今後もこういうことをしないとは思えないが
実際問題として特区の貧弱な収監施設に彼らのような者まで入れる余裕は全くない。
「ゼロも言ったはずだ、武器を持たない者を襲うなと」
「そもそも日本人が日本人を憎んでどうするというのだ」
「特区に参加する以上は誰であれ・・・」
効果の期待できない、しかも苦手な説教。
だがやらねばならない。
特区をかつての自分たちの歩んできた血と硝煙の道にしないために。
しかし見てきたモノが違えば信じるモノも違う。
若者の1人が食ってかかってきた。
「うるせぇ!奇跡の藤堂が何だ」
「てめえはブリキと日本人、どっちの味方なんだ!」
ズシリ、と心にのしかかる言葉だった。
口を開いた若者を睨み付け腰を浮かせる千葉を手で制し、即座に言い返す。
「弱者の味方だ」
「お前達も咎なき日本人を傷付けるのか」
「それではブリタニアと同じではないか」
このあたりはいつかのゼロの言葉の引用、なのだろう。
口下手な自分だが敵は倒せばいいという軍人の頃とは違う。
苦手でも、詭弁でも、奇跡の名を持つ者として言葉を用いねばならない。
「騙されるな、こいつはゼロとは違う!」
「こいつはブリキの、強者の犬だ!」
「何が奇跡の藤堂だ!売国奴の桐原と同じじゃないかっ!」
叫ぶと同時にいつの間にか若者の右手に握られていた小石が藤堂に向かって投げられる。
当たる、と思ったそれを藤堂は避けなかった。
. . . . . . . . .
いや、避けられなかった。
(俺がブリタニアの犬、か)
額に軽い衝撃。
同時に皮膚が裂ける微かな傷み。
つ、と血が滴る感触。
「貴様ァ!」
「止せッ!」
激昂する千葉と殺気立つ周囲の部下を止める。
若者達に目線で「去れ」と示すと
千葉らの剣幕に圧されてか彼らは黙って後ずさりし、程なく藤堂の視界から消えた。
昏い夜空の下、その後の指示を出すのも忘れて。
藤堂は立ち尽くしていた。
「ひどい顔だ」
翌日の昼頃。
自警団本部の仮眠室から出た藤堂は
洗面所の鏡を前にそう言った。
結局、昨夜はそのまま夜警を続けた。
(部下にあんな顔をされては、な)
あのあと軽く切れた額の治療のため藤堂は南部の屯所に戻った。
そこで簡単な手当てをしてくれた千葉の心配顔を見るうちに
「自分が今どんな貌をしているのか」、その時になってようやく気が付いた。
これまで守ろうとしてきた日本人に石を投げられただけで
自分は憔悴した顔を晒してしまったのだろうか。
部下に心配されているようでは示しがつかない。
胸にある複雑な思いを義務感で塗り潰して、藤堂は再び夜警に出向いた。
夜が明けるころに本部に戻り、仮眠室で倒れるように眠った。
頭の整理はできていなかったが
軍人としての習い性か体を休ませることはできた。
(しかし心は休まってない、とでも?)
心の中で自嘲する。
思えばブリタニアとの開戦から日本解放戦線に身を投じてからも
自分には明確な「倒すべき敵」がいた。
藤堂は軍人としてその目標を倒すための手段を考え、それを実行すればよかった。
だが特区日本に倒すべき敵はいない。
特区では住民の間で元イレブンが元名誉ブリタニア人を迫害する、
逆差別の問題が深刻化している。
治安維持を命じられた藤堂とすれば
暴力こそが憎むべき敵、ということになるだろうか。
実際に昨夜のような襲撃事件は見過ごせる数ではなくなってきている。
今のところは組織だったモノではなく
怒りを抱えた徒党が偶発的に手近な元名誉を襲っているだけ。
しかしそれだけに「根拠地を叩いて根絶」することもできず、
大規模化するリスクを常に抱えているのが現状だ。
(今できるのは騒ぎが小さいうちに収めることだけだ)
今できることを、やる。
顔を洗い、絆創膏を代え、髭も剃った。
こういう時だからこそ周囲に疲労を気取られたくない。
藤堂は足早に会議室に向かった。
「おはよう」
藤堂が会議室に入ると、皆が伺うようにこちらを見た。
どうやら『藤堂襲撃事件』は尾ヒレを付けて
かなりの耳に入ってしまっているらしい。
中でも心配顔な千葉に「問題ない」と目配せする。
すると千葉は顔赤くしてお茶を淹れに行ってしまった。
通じたのかやや不安だが、とりあえず自分の机に向かう。
ふ、と会議室にいる面々を見渡すと、どの顔も疲労の色が濃い。
週休1日は認めているのだが誰も彼も中々休もうとしない。
もっともこう言うと千葉に「藤堂さんこそ休んでください」と返されるのだが。
いや、自分が率先して休まないと皆も休めないということだろうか。
このあたりは如才無い朝比奈を見習うべきかもしれない。
席に着くと千葉が書類とお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう」と言うとソソクサと自分の席に戻ってしまう。
・・・どこかで本格的に話し合う必要がありそうだ。
書類の中身は扇からの情報だった。
彼の所属する特務局の主な職務は
表向き「首脳部と日本人の橋渡し」となっているが、
実際には「裏の顔」も持っている。
黒の騎士団は特区日本成立にあたり幾つかに分裂した。
・特区の二頭としてのゼロとその護衛のカレン。
・藤堂が指揮し千葉が補佐する治安維持のための自警隊。
・四聖剣が率いる自在戦闘装甲騎を隠す潜伏班。
・扇が長を務める特務局。
組織的に動いていうのはこれくらいで、
残る大多数の団員はバラバラに特区に加わることになった。
しかし各所に散った元黒の騎士団団員だが
潜伏時代に作った情報網は部分的に温存できている。
つまり扇の裏の顔とは彼らの情報の統括者、というもの。
今手元にある書類は扇がまとめた「名誉狩り」に関する資料だ。
藤堂は千葉の淹れた茶を口にしながら読み進める。
やはり南部の開発の遅れは住民の大きな不満らしく
元団員の中にも元名誉ブリタニア人に対して
暴力を振るうケースが出てきているらしい。
また名誉贔屓のユーフェミアに対する不満から
特区そのものへの疑問も日々大きくなっており、
元黒の騎士団ということで反体制運動の神輿に担がれそうで困っている
という報告もあったそうだ。
(見通しが甘かった、か?)
特区は仮初の自由を与えられてはいるものの
所詮はブリタニアの掌の上でのことだ。
反体制運動が盛んになれば、特区という名の実験はすぐに終わりを迎えるだろう。
しかも嘘か真か、コーネリアは身内への情は人一倍篤いとゼロは言っていた。
実妹のユーフェミアは勿論、異母弟妹のルルーシュやナナリーにも傷一つ付けば
それだけで特区という砂の城は簡単に消え去ると、
自警隊の発足時に最重要護衛対象として釘を刺されたのだ。
そしてもしユーフェミアが日本人に殺されるようなことがあれば、
20万の特区参加者全てが殺されるだろう、とも。
背筋に冷や汗が走る。
まだ今の所は日本人が大規模に暴発するとは思えない。
しかし特区の発展がかれらの不満に追いつき、追いやるかといえば際どい所だ。
さらに特区の死は間違いなく日本中に波及する。
ゼロによればここ数か月はエリア11全体で
反ブリタニア運動による日本人の死者が減少しているらしい。
ブリタニアと手を結ぶことに
未だ全面的な賛成はしていない藤堂としては複雑な部分もある。
特区が暴発すれば各地で日本人が蜂起することだろう。
だが、そうなれば黒の騎士団は勿論、日本解放戦線も壊滅した今
各地で立ち上がった烏合の衆は間違いなくブリタニアに駆逐される。
それでは再びあの戦後の混乱期に戻るだけだ。
(この薄氷の上を歩き切るしかないのか)
「藤堂さん」
特区にミスは許されない。
思考をまとめようとしていると誰かから声が掛かった。
書類から顔を上げると部屋の入口には
声を掛けたであろう自警隊員と何人かのブリタニア人が立っていた。
「情報部のスティーブン・スミスだ」
応接室のくたびれたソファに腰かけた男は
そう言うと見慣れぬ手帳をサ、とかざして見せた。
歳の頃は40代半ば、やせ形の背広姿はブリタニア人にしてはやや小柄だ。
背後に控える4人の軍服は単なる護衛のようだ。
「トウキョウ租界から忙しい中ワザワザきたんだが・・・
ソファは酷いし、正面の男の服装も気に入らんね」
スミスは不快さを隠さずに言った。
ソファの座り心地に関しては同感だが、
自分の着る日本軍の軍服を貶されるのは心中穏やかではない。
「我々としても軍服で民間人と接するのは問題だと思っている」
「しかし予算がないのでやむを得ずだ」
が、吹けば飛ぶのが特区日本だ。
言葉には細心の注意を払う必要がある。
「ではブリタニア警察の制服を支給してもよいが」
スミスの言葉に隣にいた千葉が気色ばむ。
日本人がその服を着る者にどうされてきたかを分かった上での挑発だろう。
千葉を片手で制しながら藤堂が応える。
「ここはあくまで日本、遠慮させてもらおう」
スミスがフン、と鼻を鳴らし
「ブリタニアだろう」と呟くのを無視し藤堂は本題に入った。
「忙しいのは我々も同じだ」
「要件を聞かせてくれ」
「リフレインだ」
問いかけに対しスミスは来訪の理由を端的に述べた。
藤堂はギクリとして言葉を失う。
「租界からこの特区にも販売ルートがあることを突き止めてね」
「間違いなく、リフレインの売人が特区にいる」
極めて、極めて遺憾なことだが。
ありえる話だ。
そもそも発足時に集まった20万人の移民に対して
所持品の検査などできなかったし
特区日本はあくまでブリタニアの特別自治区なので
エリア11との間に『国境』はない。
外の世界、ゲットーや租界と同様に
ヒト・モノの移動はある程度制限されているものの
リフレインの持ち込みは不可能とは言い難い。
さらに言えばユーフェミアが具体的なカタチを示さずに
特区日本の呼びかけを行ったため
「来たはいいが想像と違う」と言う参加者は少なくない。
物質的にも豊かとは言い難く、リフレインが蔓延る下地はあると言える。
「とは言っても我々が掴んだのは売人1人」
「我々からすればイレブンの薬物問題など知った事ではないのだがね」
「総統閣下のご命令とあらば動かざるをえない」
芝居がかった動作で肩を竦めて見せる。
口数の多さといい目の前の男があまり優秀な工作員には見えなくなってきた。
「それで我々に何を求める?」
藤堂が問うと、
「この男を」
スミスは手にしていた封筒から資料を取り出しながら答えた。
「引き渡してほしいのだ」
「我々が捕えてもいいのだが、騒ぎを大きくするなとのお達しでね」
妥当な判断だろう。
元名誉ですら排斥されかけているというのに
ブリタニア人が日本人を逮捕するなどという事件を目撃すれば
周囲にいる者がどう動くか分かったものではない。
藤堂の側としても愚かな工作員の起こす騒ぎで
ブリタニアに介入の口実を与える訳にはいかないのだ。
しかし、
(走狗)
藤堂の頭にブリタニアの犬という言葉が浮かぶ。
昨夜、元名誉の青年を襲っていた若者の言葉だ。
ブリタニアの工作員にアゴで使われて、日本は再び立ち上がれるのか。
だがこの命が日本人のためにあるとするならば捨てるのは今ではないはずだ。
ゼロはかつて奇跡の二つ名がボロボロになるまで働けと言った。
下らないプライドなどは犬にでも喰わせるべきだ。
「分かった」
「だが男からリフレインに関する証拠品が出ることが条件だ」
藤堂は内心の葛藤を隠して、
努めて、努めて冷静に言った。
証拠を求めたのは最後の抵抗だ。
ブリタニアにもここまで手間をかけて不当逮捕などする理由はないから
恐らくその書類の男は実際にリフレインの売人なのだろう。
しかしブリタニア主導で捜査を進める前例は作りたくなかった。
こちらの苦渋の決断を分かっているのかいないのか。
よかろう、と言うとスミスは簡単に書類を渡してきた。
写しのようだが簡単に捜査資料を見せるあたり
本当に単なる末端の、チンケな売人なのだろう。
手渡された資料にはクリップで顔写真が添えられていた。
そこに写っていたのは昨夜助けた、元名誉ブリタニア人の青年の顔だった。