2chかずさスレのSS職人Jakobさんの「猫」からヒントを得ています。====================================「瀬之内晶、ですか……?」 北原春希はかぶりを振って聞き返した。「そう、瀬之内晶。私が日本に帰ってくる直前に、独占インタビューに成功した、あの瀬之内晶だ。久々の凱旋帰国と新作公演にあたって取材を申し込んだら、今度は向うさん、お前を御指名だよ。」 開桜社雑誌編集部門のトップ、風岡麻理がダメ押しした。「俺を、ですか……? 何でまた……?」 まあ大体予想はつくが、あえて聞き返してみた。「お前、私がやったインタビュー記事、読んでないのか?」「え、ええ、そりゃ読みましたが……。」「彼女の経歴、わかってるよな?」「ええ、峰城大付属卒、峰城大文学部中退、劇団ウァトス等での活動を経て渡米、ですか……。」「それだけで、お前に振る十分な理由になってるわけだが、そもそも向うさんが「貴社の北原春希を」と御指名だ。お前、彼女と昔接点があったんだな? ――冬馬かずさといい、よくよくお前、天才(しかも女、そのうえ飛び切りの美女)と縁があるな……。」「――いや、そんな……そもそも俺、麻理さんの記事を読むまで、瀬之内晶のこと自体知らなかったし、あまつさえその天才女優が、おれの同窓生だったことも知りませんでしたよ!」 3年ほど前に麻理の手になるグラフの記事を読み、写真を繰り返し見て、ようやく気が付いたのだが、それでも半信半疑――いや正直今でも信じられない。「ほう、覚えてない、と。……前から思ってたが、お前とことん薄情でひどい男だな――その調子でいったい何人の女を泣かせてきたんだ? ここはひとつ冬馬かずさと相談して、被害者同盟でも作るか。案外、瀬之内晶も乗ってきてくれるかもしれん……。」「麻理さん……。」 麻理はくすっと笑って肩をすくめた。「――冗談だ。……そんな、にやけ半分の困り顔されて、こっちとしても少し安心したよ。冬馬さんとは、仲良くやってるのか?」「――ええ、うまくやってます。「冬馬番」としては。」「そんなのは当たり前だ。――前にもまして、家族同然の付き合いだ、と聞いたが?」「……え、ええ。……。」「――おいおい口ごもるな北原。私はお前には、幸せになってもらいたいんだ。本当だぞ。――まあ、その辺のことは、これくらいにしておいてやる。本題に戻ろう。」 どうやら最近私生活が充実してきて余裕がでてきたのか、それとも逆に開き直ったのか、このモーレツ上司は春希を弄るのが趣味になってきたらしい。そのどちらかは春希にはわからなかった。「ともかくだ、今回のインタビューは、向うさんからの直々の逆指名で、ぜひともお前に、ということだ。確認しておくが、お前、彼女とは面識があるんだな?」「あ、はい、大学時代のゼミ仲間でした。しかし――付属時代には交流はありません。少なくとも記憶にはない。それに俺、そもそもあいつが演劇やってるなんて知らなかったんです。あいつも一言だって言わなかった。」――今にして思えば、いろいろと思わせぶりなことを言ってなくもなかったが。そもそもあいつ、高校は都立とか言ってなかったか? なぜ、何のために俺に嘘をついたのか? ――まあ、昔街で一度だけすれ違った時もらったプラチナチケット、多忙にかまけて行かずじまいになったことが、今にして思えば痛恨のミスだったということか。「そうか。しかし、高校のことはともかく、大学でゼミの同窓とあらば、結構いろいろ積もる話もあるだろう。それだけでもあう価値はあるんじゃないか? ――もちろん、それ以上の客観的な成果を期待しているがな。」「ええ、それはもちろんです。」「よろしい。それでだ、向うさんが親切にもお前のために少しばかり資料を用意してくださっている。私的メッセージ同封、とのことなので開封してはいないがな。もちろん、それに甘えずに、お前も自分の足でいろいろ調べておけ。高校、大学時代のこと、出身劇団のこと、日本でのキャリアのこと――あまり時間はないぞ。先方が帰ってくるのは来週、そして即座に次の舞台の稽古に入るそうだからな。――何しろ今回は久々に、彼女自身がオリジナルの脚本を書きおろすそうだ。彼女の真骨頂はそこでこそ発揮されるそうだしな。」「――わかりました。」 ――瀬之内晶、いや、和泉千晶……。 懐かしさと同時に、胸騒ぎが襲ってきた。 夕刻、麻理のブリーフィングの後一仕事終えた春希は、自分のデスクで問題の資料を開封した。今日はかずさに子供たちのお迎えを頼んでいる日なので、少しばかり余裕がある。今のうちに資料とやらを瞥見しておこう、と春希は思った。 資料、というのは2枚のDVDだった。そのうち1枚は自分も持っている。あの付属祭のステージの記録DVDだ。そこには当然あの、軽音楽同好会3人のライブ・パフォーマンスも収録されている。 ――だからと言ってもちろん、先方が資料として指定してきたのはそれではないだろう。 まずは信書の方を読んでみる必要がある。小封筒の表書きには、手書きでそっけなく――開桜社 北原春希様とだけあり、中にはホテルのレターヘッド付の便箋が1枚。やはり手書きでメッセージが書かれていた。 前略、北原春希様―― 久しぶりだね。10年近くも音信不通だったところに、こんな突然の話でさぞ驚いたかと思います。 駆け出し風情が逆指名なんて、大物ぶった真似をして実に申し訳ない。 しかしこの際ですが正直に言います。まずは同封した資料をご覧ください。そのうえでまだ、私に会っても構わない、とお思いでしたら、以下までご一報ください。 瀬之内晶 こと 和泉千晶 「以下」とはメールアドレスではなく、明らかに携帯の番号だった。 一読、「らしくない」というフレーズが頭を駆け巡った。もちろん10年も会わなければ人は変わるものだ。それにしてもこの、そっけないような、それでいて妙に気を使った文面は、春希の知る彼女ではない。 そもそもが変な話だ。インタビュー申し込みを受けたのは向こうで、許可を得るべく気を使うのはこちらのはずなのに、これではまるで逆だ。インタビューアーの逆指名というオファーを反対に仕掛けてきたことを考慮に入れても、全体として向こうが下手に出てくる、というのは腑に落ちない。 それに何より、こんなの、あいつらしくない……。「私に会っても構わない、とお思いでしたら」――だって? ――あいつなら、自分が「会いたい」と思えばこちらの都合なんかお構いなしに、それこそ会社にだって押しかけてきそうなものだ。 付属祭のDVDの非読み取り面には、印刷されたタイトルの脇に「第1トラック参照のこと」とじかにマジックで書き込みがあった。 第1トラック、トップバッターは演劇部の公演である。もちろん自分たちは見ていない。「和泉のやつ、演劇部にいたのか――?」 首をひねりながらチャプター選択し、再生を始める。「――瀬能、千晶――?」 数十分後、春希は圧倒されていた。素人目に見ても高校、いやアマチュア演劇のレベルを逸脱したパフォーマンス。しかもそれが、主演女優自身の筆になるオリジナル脚本で、しかもひとり芝居。一人四役で変幻自在の妙技を見せるその少女――「脚本・主演 瀬能千晶」には、たしかに自分の知る和泉千晶の面影があった。よくよく見れば顔も背格好も、確かに和泉千晶とよく似ている。しかしそこから受ける印象は、いかに舞台の上の演技とはいえ、圧倒的に別物であった。「――あいつ、なのか?」 あいつは文学部に正式に学籍があった学生なのだから、「和泉千晶」は本名、少なくとも戸籍名ではあるはずだ。だとすればなぜ「瀬能千晶」なのか? 「瀬之内晶」と同様、一種の「芸名」なのかもしれない(だが、言われてみれば、同学年にそういう名前の生徒がいたような気もする)し、もちろん家庭の事情で苗字が変わるというのもありうる話だ。 いや、問題はそんなことではない。別に隠すような秘密でもないはずの、「演劇人・瀬能千晶/瀬之内晶」という自分の顔――というより正体を、なぜあいつは隠していたのか? その答えは、この2枚目のDVDの方にあるのだろうか? そう考えてディスクを手に取った春希は、そこにやはり手書きで書きこまれたタイトルに息を呑んだ。――「届かない恋」 付属祭の舞台が伝奇SFだったのに対して、こちらはいかにもありそうな、普通の若者たちのラブストーリー。ちょっとばかりトレンディドラマ風の気恥ずかしさを伴った、ロマンティックな、しかしその奥底に何もかもを吹き飛ばしそうな情念をたたえ、時折それが噴出しては、ほとんど物理的な圧力をもって見る者を圧倒する緊張感に満ちた舞台が、ひとり芝居ではないものの、二人のヒロインを主演女優一人が出ずっぱりで演じ分けるという形で展開されていた――といつもの春希なら軽くまとめていただろう。もともと演劇への素養は深くはなかったが、冬馬かずさとの仕事以降、なんとはなくに「文化担当の何でも屋」的な扱いを受けるようになって、ハイブラウなものからキャッチーなエンターテインメントまで、それなりの見聞は積んできたので、どんなものを見せられても、それなりに言語化できるだけの訓練はできていた。 ――しかし、今度ばかりは言葉を失わざるを得なかった。 そこに展開されていたのが、明らかに、自分たち三人の――春希と、亡き妻雪菜と、そしてかずさの物語だったからである。 無理に第三者的に突き放してみるならば、自分たちのあの疾風怒濤の5年間も「よくある、とは言わないまでもありそうな話」なのかもしれない。そう考えてみれば「偶然の一致」もあり得ない話ではない。しかしこの舞台に限って、それはあり得なかった。――タイトルが「届かない恋」だったから。あの3人のナンバーが、全編を導くテーマソングに他ならなかったから。 付属祭の舞台の倍以上の長尺の芝居を、息をもつかずに一気に見終わった春希は、震える手で携帯をとり、ボタンをプッシュした。呼び出し音の後に、深く落ち着いた声音で応答があった。「――もしもし? 春希?」「――お世話になっております。開桜社の北原と申します。――瀬之内晶様ですね?」 わざとビジネスライクに春希は切り出した。少し間をおいて返答があった。「はい、瀬之内です。――お電話いただいた、ということは、当方がお送りした資料を、ご覧いただけた、ということでよろしいでしょうか?」「はい、拝見しました。――大変、感銘を受けました。――それで、インタビューの日程ですが……。」「――ちょ、ちょっと待って! ――え、いや、お待ちください。よろしいんですか? お会いして、いただけるんですか?」 急に相手の声の調子が上ずってきたことに、春希は軽く昏い満足を覚えた。「――お会いするも何も、インタビューをお申込みさせいていただいたのは、当方ですよ?」「あ? ――あー、ああ。わかった。わかりました。……いいです、もう結構です、わかりました。私としては策を弄したつもりはなく、虚心坦懐にやってきたつもりなんですが、いいです、単刀直入に申し上げます。北原さん―― いや、春希。実はインタビューしたいのは、あたしの方なんだ。あたしが、あんたたち三人に、インタビューしたいんだ。あんたと、小木曽雪菜――いや、いまは北原雪菜か――と、そして冬馬かずさに。必要なら、こちらの事情はいくらだって説明する。怒ってるだろうけど、あたしなんかの頭でよければいくらだって下げる。でも、あんたたちに、今のあんたたち三人に、どうしても会いたいんだ。あの、付属祭の頃からの、あんたたちの一ファンとして――。」「和泉。」と春希は遮った。「申し訳ないが、それはできないんだ――。雪菜は、去年亡くなった。」「――っ。」 電話の向こうで、息をのむ気配があった。(続く)