「WHITE ALBUM2」雪菜trueエンドの数年後という想定です。=============================「母さん? ……あたし。うん、今日は大体終わった……。今夜最後のお客も帰ったんで、小木曽家のみなさんもついさっき、いったんおうちに帰られた。また明日、朝早くこられるって……。北原のお母さんは、今夜はこっち。」「……。」「……あたし? あたしはさっきまで、ちびちゃんたちを寝かしつけてたところ。」「……。」「――うん、なかなか泣き止まなくて、2時間近く歌ってあげた。でももう泣き疲れたのかな、今はぐっすり寝てるよ。だからもう、今日はあたしもこっちでやることはない。遅くなったけど、今から帰るよ――?」「……。」「何? 何だって?」「……。」「――でも……。う、うん……。」「……。」「――わかった。何かあったらすぐ電話して。……明朝、またこっちから電話するよ。大丈夫だよね、こっちこられるよね? ……でも無理はしないで。」「……。」「――ああ、ピアノだったら向こうにあるから。ヤ○ハの安物だけどね。調律さえしてあれば問題ないよ。それじゃお休み。××さんによろしく。」 玄関先からリビングに戻ると、北原親子はまだそこに、棺の中で眠る北原雪菜の枕もとに並んで座っていた。彼女の夫、北原春希は目を見開き、じっと雪菜の顔を見つめたまま。そして彼の母親は、軽く猫背気味に俯き、目を閉じたままであった。もともと小柄な女性であったが、こうしてみると一回り小さくなったような気がした。 冬馬かずさは春希をよけて、あえて彼の母から先に声をかけた。「お母さん――北原のお母さん。あちらの客間にお布団を敷きました。もうおやすみになってください?」 春希の母は、少しばかりの間を置いてかずさを振り仰ぎ、小さくわらった。「……ありがとう、ございます……でも……。」「――母さん。」 何時間ぶりになるだろうか。春希が口を開いた。「今日は、ありがとう。でも、これ以上はからだに悪いよ。小木曽のお義父さんお義母さんもお帰りになったし、今夜はもうやすんでください。」 あくまでも静かな春希の声に、母はかぶりを振って、ひとつため息をついた。「――そう……わかった。あなたも早くおやすみなさいね。冬馬さん、ありがとうございます。それでは、私は先に……。」「ええ、おやすみなさい。明日も、よろしくお願いします。」 春樹の母は立ち上がり、客間へと消えた。そうして薄暗い居間には、かずさと、春希だけが残された。「……。」 かずさは春希のかたわら、いましがたまで彼の母が座っていた場所に、静かに腰を下ろした。そしてそのまま、春希の方を向かず、雪菜を見つめた。 しばらくして、春希が口を開いた。かずさの方を見ないままに。「――今日はありがとう。でも……お前も、そろそろ帰ったらどうだ? 曜子さん、心配じゃないのか?」「――うん、そのことだけど……今日は帰ってくるな、って言われた。側にいてやれ、と。」 やはり彼の方を見ずに応えたかずさに、春希はかすかに肩を震わせた。「側に……?」「うん……ちびたちも寝たし、片づけも大体済んだし、もうあたしがいても役に立つことなんか今夜はないんだけどさ。でも――そういうことじゃないんだって。」「……。」「あたしは、お前のことなんか心配していない。」 かずさは強がったようないつもの切り口上でいった。「お前のことを心配してやる義理なんかあたしにはない。でも、雪菜だったら、心配するだろうから。」 言ってしまってから、「しまった」という顔をしたかずさに、春希は気付いていたのかいなかったのか。「あ……ごめん。何もあたしに、雪菜のかわりができる、なんていうつもりはないんだ。――できるはずがない。あんなすごい奴になんて……。」 それでもかずさは、緊張がほどけてしまったのか、次々に墓穴を掘る。「あ、あたしなんて自分のことだけで、ピアノを弾くだけで精いっぱいで、マネジメントもいまだに母さんと美代子さんにまかせっきりで……ほんとならあたしの方が母さんの面倒を見なけりゃいけないのに……。」「かずさはよくやってるよ。りっぱに曜子さんのケア、してるじゃないか?」 春希の声に、ほんのわずかに笑いが含まれていたのは……。「そんな……美代子さんやヘルパーのみんながいなきゃ、高柳先生がいなきゃ、あたしなんか……。」「それに、いつもいつも、子供たちの相手をしてくれて、感謝してる。今日だって、お前がいなかったら、どうなっていたか……。」「あ、あれはあたしが好きでやってるんだ。息抜きさ。小木曽のお母さんの方が、ごはんだって作ってくれて、よっぽど……それに雪菜にはいつもいつも「甘やかすな!」って怒られて――! ……ご、ごめん。」 いつのまにか重ねすぎた「雪菜」という一語に、今更ながらかずさは絶句し、口ごもった。春希は依然うつむいたまま、雪菜の顔を見つめたままだったが、かすかに微笑んでいるようではあった。その証拠に、春希は愉快そうに言った。「――そんなにテンパるなよ。お前、今日はかっこよかったのにさ、台無しだぞそれじゃ。」「……かっこ――いい?」 虚を突かれたかずさは、春希の方を向いた。そしてかすかに笑みを浮かべたその横顔に釘づけられた。「――うん、コンサートの時みたいに、さ。背筋まっすぐ伸ばして、上品に、でも全然嫌味じゃない笑顔で、お客様に挨拶してくれて。子供たちが落ち込んだときには、しっかり抱っこしてくれて。ほんと、俺や家族が余裕がないところで、お前なんかに苦労かけちゃって……ごめん、本当にごめん。感謝している。」「――あた……しは……」家族じゃないのか、と言いかけて、かずさはその言葉を呑みこんだ。 ――そうか、当たり前だよな……。「いいんだよ、だから。もう無理しなくていいんだ。――かずさ。いいんだ、泣いても。」「――!」「今日はお前、一度も泣いてないだろう? 涙ぐんでさえいない。」「――お前……ずっとあたしのこと、見張ってたのか? そんな暇があったら……。」「――そんなわけないだろう。……でも時々は見てた。それに、お前、全然化粧崩れてないし。」「……それだけの観察力があるくせにどうしてお前は――。」女心が、とかずさは言いかけたが辛うじてこらえた。「――だから、いいんだ。もう、いいんだ。雪菜のため……でなくていい。雪菜がいなくなって悲しい、自分のために。泣いても、いいんだ。」「――! お前――! それじゃお前は――お前こそ!」泣いてないじゃないか! ――とかずさは叫びだしたかったが、そこからは声にならなかった。その代わりに、今日一日全力で押さえつけていた涙腺が、一気に緩んで、涙があふれ出した。「――いいんだ、かずさ。俺の分まで、お前が泣いてくれるから、きっと。」「――春希、お前、お前は――!」この卑怯者! 嘘つき! 偽善者! と全力で叫びだしたかったが、声にならなかった。言葉にする力が出なかったし、もうやすんでいる子供たちや母への配慮も、どこかではたらいていることを、かずさは冷静に感じとっていた。 ――あたしは雪菜のかわりにはなれないし、お前のかわりにだってなれないんだぞ! そう叫んで春希につかみかかるかわりに、かずさは春希から目をそらし、眠る雪菜の顔を見つめながら、声を抑えて嗚咽し続けた。 幸福な人生を不慮の事故で断ち切られた雪菜のために。彼女のいない世界にのこされた春希と、子供たちのために。そして彼女のいない世界にのこされた自分、春希と子供たちがかわいそうでならない、自分のために。 春希のかたわらで、しずかに泣き続けたかずさだが、1時間ほど泣いてようやく落ち着いてきた。春希はあいかわらず、身じろぎもせず雪菜を見つめ続けていた。「……さっきも言ったけど、さ――明日は、さ。」 すすり上げながら、かずさは口を開いた。「――うん。……。」「柳原さんがボーカルで、雪菜のかわりに歌ってくれる。ピアノはもちろんあたしが。そうやって雪菜を送る。来てくださった皆さんと一緒に、雪菜を送る。」「――うん。ありがとう。……俺も――。」「――大丈夫か? できるか? ギターなしのバージョンも、あたしならできるぞ。いや、なんだったらピアノじゃなく、あたしがギターを――お前の」かわりに、と言いかけてかずさは軽く苦笑した。「大丈夫だ。――そこまで卑怯者じゃないさ、おれも。」「――! もう、言うなぁ! ――「時の魔法」で、いいよな?」「――うん……頼む。」 なあ、雪菜。 お前の、言ったとおりだった。 お前がいなくなって、とてもつらい。世界が急にまるごとひとつの色を失ったかのようだ。お前の顔が見られなくてつらい。おしゃべりできなくてつらい。抱きしめられなくてつらい。でもそれ以上に、お前を失った春希を見るのがつらい。側にいるのがつらい。 ――それでも……世界は終わらない。あたしも、春希も、ちびちゃんたちもまだ、ここにいる。そして、笑うことだってできる。 だからこそ、つらいんだけれど。