雪菜の墓の前で、偶然に鉢合わせした、その日の夜。 予定を変更して、通いのハウスキーパーさんにことわりの電話を入れ、かずさは春希と一緒に、保育園の雪音と、学童の春華をピックアップして、北原家のマンションに一緒に帰った。そして、春希が夕飯を用意している間に、春華と雪音と一緒にお風呂に入った。風呂から上がり、二人をパジャマに着替えさせ、自分も、いつも持ち歩いているパジャマに着替えると、春希も一緒に、4人で夕飯の卓を囲んだ。 夕食の後は、春希が春華の宿題を見てやってから、一緒にお絵かきに付き合っている間に、かずさは少しだけ雪音のピアノをみてやった。シモーヌ先生の紹介で、とりあえず信頼できるピアノ教師のもとに、今のところ週1回通わせているが、毎日の練習についてはかずさ自身が、できる限り付き合ってやることにしていた。(まあ、あたしと違って、この子にはピアノしかない、ってわけじゃないからな。) やっていることは、ひとつひとつをとってみれば、いつも通り。 しかし今夜は、いつもとは少し違っていた。 普段なら、春希がお迎えする日は、小木曽の義母が夕飯を作ってくれるときもあればそうはないときもあったが、基本的にはかずさはいなかった。逆に、かずさがお迎えの日には、春希の帰りは夜遅く、大体は子どもたちがとうに寝静まってからだった。かずさと子どもたちが一緒にお風呂に入っている間に、ご飯を作っていてくれるのは、いつもなら小木曽の義母だった。 子どもたちと、そして春希とかずさがそろうことは、実はこれまではめったになかった。 そして9時。「おやすみなさい。おとうさん、かずさおばちゃん。」「おやすみなさい。おとうさん、かずちゃん。」「おやすみなさい、春華、雪音。」「おやすみ、春華、雪音。」 今夜も春華と雪音はそろって、ぺこり、と大人たちに頭を下げ、二人だけで子供部屋に入っていった。 ――あの夜、春希が二人の娘に、かずさとの再婚の話をして以来、二人は、大人たちに寝る前のご本をあまりせがまなくなった。休みの日はともかく、ウィークデーの夜は大体半々の割合で、「きょうは、あたしが雪音にご本を読んだげる」と春華が宣言し、雪音も文句言わずに二人で子供部屋に引き上げてしまう。 大人たちとしても気にはなるので、こっそり外から中の様子をうかがうが、大体は大過なく、絵本を二冊くらい読んだところで子どもたちはスタンドを薄明かりにして、9時半ころには寝入ってしまう。 何とも見事な親離れ振りに、頼もしく思う半面、寂しくもあるし、無理をしてるんじゃないか、と心配にもなるのは、仕方のないところだった。 というわけで、大人たち二人は、ちらりちらりと子供部屋の方を気にしつつ、他愛のない話をしてしばらく時間をつぶした。そうして30分もたったころ、意を決して春希は、子供部屋をのぞきに行った。「――どうだ?」 かずさが小声でたずねると、春希は右手で「OK」のサインを作った。かずさはほっ、と息をついた。春希はテーブルにもどってくると、残っていた冷めたコーヒーをひと息に飲み干した。「お疲れ様。」「こちらこそ、お疲れ様。――甘いものを用意するよ。それから、目覚ましにコーヒーをもう一杯、でいいか?」「――あ、ああ……頼むよ。」 いつも通り、深夜車を飛ばして帰宅するかずさのために、春希はカロリーたっぷりのデザートと、濃いコーヒー(ただしこれにも砂糖たっぷり)をいれてやりながら、「でもまあ、あわてる必要はないよな。今日は曜子さんもいない……帰っても、誰もいないんだろう?」と声をかけると、「――ああ……気楽なもんだ。あのでっかいうちに、あたしひとり。まるで、付属時代に戻ったみたいだ。掃除洗濯もひとまかせだし、気楽なもんだよ、実に。」とかずさは、気のない返事をよこした。「――そうか。じゃあ、ちゃんとしたハウスキーパーを雇えば、アメリカでも、ひとりで何とかやってけるな、おまえ。……それでも食事は心配だが。」と、コーヒーとケーキを渡す春希に、かずさは「――ふん。」とそっぽを向いた。春希はクスッと笑って、「そうか……付属時代と、おんなじか……それなら、寂しいよな。」といった。かずさはそっぽを向いたまま、「気楽だ、って、言っただろう?」と不機嫌に言った。「気楽なのと、寂しいのとは、矛盾しないさ。」と春希が突っ込むと、振り向いたかずさの眼には、少しばかり涙がたまっていた。「なら……、さ。あたしに……「ひとりで行け」とか、言うなよ……。あたしたち、結婚、するんだろ……? ほんとの家族に、なるんだろ……? それなのにすぐ、離ればなれだなんて、あたしは、嫌だよ……。」 話しているうちに、かずさの両眼からは、ポツリポツリと、涙があふれてきた。春希は、少しばかりあわてた。「お、おい……。別に「ひとりで行け」だなんて、俺は言ったつもりはないよ……。あくまで「仮に」の話だ。俺としては、おまえの行くところにだったら、どこだってついてってもかまわんさ。子どもたちも小さいし、一緒に連れていける。まあ、その場合は曜子さんが気がかりだけど、な。ほんとなら、曜子さんも一緒に連れて行きたいところなんだが、こればっかりは、まあ、あの人の意志は曲げられないし……。」と春希はなだめたが、かずさはおさまらず、「仮に、でだって、そんなこと言わないでくれよ……あたしいま、とっても幸せだけど、同時に、とっても不安でもあるんだ……マリッジブルー、ってやつなのかな……。幸せなんだけど、その幸せが壊れるのが怖いし、結婚したいんだけど、結婚して生活が変わってしまうことが不安だし、その他いろんなことが、不安で不安でたまらないんだ……。」と吐き出した。春希はふっ、とため息をつき、それから言った。「――それなら、な。「気楽だ」なんて、つまらん強がりはよせ。」「……。」「今夜はさ、曜子さんもいなくて、帰る必要はないし、帰っても一人でさみしいだけなんだろう?」「――それが、どうした?」とかずさは、涙声で反問した。「――それなら今夜は、うちに泊まっていけばいい。それで、みんなで朝飯食って、子どもたちを送り出してから、帰ったらいい。」 かずさの肩が、一瞬震えた。それから一拍おいて、かずさはたずねた。「あたしは、どこで寝ればいいんだ? ちびちゃんたちの部屋か?」「ベッドがない。狭すぎる。」「じゃ、客用布団を出してくれ。子供部屋でもいいし、何だったら、ここでもいいよ。」「――それでもいいけど……俺の部屋じゃ、ダメか?」「おまえの部屋って……今、仕事部屋にしてる、あそこか?」「あー、あそこもあったなあ、それでもいいんだが、ちょっと布団敷くスペースがなあ……。俺が言ったのは、つまり、俺の――俺たちの寝室のことなんだが。」 それを聞いて、かずさの頬が赤く染まった。「あたし――おまえたちの寝室は――あんまり入ったことないけど……そんなに広くないところにダブルベッドが置いてあって(「いやセミダブルだけど」、と春希は内心突っ込みを入れた)、あそこも仕事部屋以上に布団敷く余裕が……。」 そこまで言われて、今度は春希の方が少し赤くなった。「――んーと、おまえ、俺と一緒のベッドじゃ、嫌か? 雪菜と一緒だったベッドじゃ……。」 かずさはうつむいて、激しく頭を横に振った。「――嫌なはず、ない……。でも、そうしたら今夜はあたし、きっと我慢できない……。」 春希は笑った。「安心しろ。多分、俺もだ。」 そんなわけで、この夜が二人にとっての、十数年ぶりの二度目の夜――というより「初夜」ということになってしまった。実際かずさにとっては、そもそも男の肌に触れること自体、十数年ぶりで、人生で二度目である。事実上彼女は、処女のようなものだった。その緊張は想像に難くない。 春希がシャワーを浴びている間に、かずさの方は念入りに歯を磨き、髪の毛を軽くブラッシングしてから、先に寝室に行ってベッドにもぐりこんで目をつぶった。いっそのことこのまま眠り込んでしまえれば、とも思ったが、心臓は早鐘のように打って、到底眠ることなどできそうになかった。(ああ……神様……。) 別に信心のないかずさだったが、つい頭の中でそう唱えてしまった。よりによってこんな時に、雪菜に頼るわけにもいかなかったし。(「我慢できない」って言ったけど……我慢、しちゃおうかな。春希だって、あの時みたいに、無理にはしないだろうし……。) いらん考えがぐるぐると頭の中を回り始めた。(考えてみれば、別にこうやって一緒に寝て、一緒の朝を迎えるだけで、十分すぎるほど幸せなんだし……無理にセックスする必要なんか、全然ないし……うう。いったいあたしは、したいんだろうか、したくないんだろうか?) ――と煩悶している間に、気が付くと、すでに春希はシャワーを終えて、寝室に入ってきていた。そしてごそごそと気配が動いた後、急にかずさの隣り、横を向いて身体を丸めているかずさの背中の側に、あたたかく大きな体が滑り込んできた。(――!) そのあたたかく大きな体は、はだかだった。寝間着はおろかバスタオルもつけない素っ裸で、春希はベッドの中、かずさの横にすべりこんできたのだった。かずさは、より一層きつく目を閉じ、唇を噛んだ。(どうしよう――!)と、肩に大きな手が触れるのを感じ、かずさは全身を固くした。これではきっと、拒絶の姿勢として受け取られてしまう。かずさはそう思いながらも、身体の緊張を解くことができなかった。 しかしその手はゆっくりと動き、かずさの肩から二の腕にかけて、そのあたたかさをじっくりと伝えてきた。それとともに小さく、「……かずさ――?」という春希の声が聞こえた。おもわずかずさは、こうべをめぐらして、春希の方を見た。 暗がりの中、それでも目の前に春希の顔があり、ゆっくりと近づいてきた。目を開けたままじっとしていると、すっと春希は目を閉じ、かずさに顔を寄せてきた。そしてそのまま、かずさの唇に、春希の唇がふれた。(――あっ……。) 思い出した。そうだ。何も恐れるようなことはなかった。このひとはあたしのもので、あたしはこのひとのものだったのだ。 何を思い出したのか? 十数年前の、あの初めての夜のことを。 もちろん、あの、悲しくて切ない夜、それでもこよなく幸せだった夜のことを忘れたことなどない。でもあのときは、快感などはほとんどなかった。ただ痛くて、熱くて、苦しくて、切なかった。 そうではなく、ただ痛くて、苦しかったにもかかわらず、何の迷いもなくこの人の腕の中に身体を投げ出し、貫かれて何の不安もなかったことを思い出したのだ。 春希の唇の熱さに、その記憶が完全によみがえった。そしてかずさの唇もまた、それ以上に熱く融けた。「――春希。春希ぃ……!」 かずさの身体は一瞬にほどけて、春希に絡みつき、全力でしがみついた。「――かずさ――!」 しがみついてくるかずさを骨が砕けるほど抱きしめ、春希は再びかずさに口づけた。今度は唇だけではなく、舌を差し入れ、歯を、舌を、口内を思うさまむさぼった。そしてかずさの口をむさぼりながら、両手の方はパジャマの上から大きく形のよい尻を、細く引き締まりながらも力強い腰、そして豊かな胸を愛撫した。かずさの方も、その大きな力強い手で春希の肩を、背中を、尻を揉みしだき、硬く怒張したペニスに下腹部を擦り付け、足をからめた。そして春希が一息ついた隙を見計らって、今度は自分から彼の口をむさぼった。かすかに残る口臭さえも、彼女を陶然とさせた。 ――なんて気持ちよいのだろう! そう、かつて十数年前。初めて春希に抱きしめられた時。それがあまりにも気持ちよかったので、あたしは、雪菜への嫉妬に、気も狂わんばかりとなった。 そして今。十年以上も雪菜を身体ごと愛してきた春希が、その経験のすべてをあたしにぶちまけている。 気が狂いそうだ。 あたたかくて。 気持ちがよくて。 幸せで。 気が狂いそうだ! ――無我夢中でむさぼりあった数分――それとも数十分が過ぎて、ようやく落ち着いた二人は、抱き合ったまま、それでも軽く互いの身をはがして、互いの腕を互いの首に回しながら、見つめあい、ほほ笑みあった。もみ合っている間に、かずさのパジャマの上着はどこかにいってしまっていたが、パンツの方は辛うじて足に引っかかっていた。「今、気づいたんだが……。」 春希が言った。「――何だ?」「セックスするどころか……抱き合うどころか……俺たち、そもそもキス自体、今が初めてじゃ……正確に言えば、十何年ぶりじゃないか?」「――? 言われてみれば、そうだな?」 かずさは応えて、ニコリと笑った。「で、これからどうする?」「――すまないが、あたしは初心者なんで。ここから先はおまかせするよ。おまえのしたいように、してくれ。信じてるから。」「――うん。じゃあ、楽にしていてくれ。嫌だったり、怖かったりしたら、すぐに言ってくれ。――すぐにやめるから。」「――わかった。」 おまえがあたしにしてくれることで、あたしにとって嫌なこととか、怖いことがあるわけはないんだが、とはあえて口に出さなかった。 春希はゆっくりと、汗まみれになったかずさの寝巻のパンツを脱がせ、そして汗とその他の分泌物でそれ以上にぐっしょりとなったショーツを取り去った。そしてかずさの下腹部に顔を寄せ、その中心部に最初は優しく口づけ、それから次第に激しく、時に指も交えながら、かずさの身体を楽器のようにかき撫で――奏で始めた。身体の真ん中、性器を優しく唇と舌で転がし、指、手のひらは尻から太腿、背中、腹、そして性器の周りを行き来して時に優しく、時に少しばかり乱暴に撫でさすり、つねり、叩いた。そうされているうちに、身体の内側から、激しい音楽が湧き上がるのを、かずさは感じた。思わず声が出そうになるのを、かずさは自分の二の腕を噛みつつ、必死でこらえた。 ――優しく、力強い口と手に導かれて、身のうちから湧き上った楽曲はほどなくクライマックスに達して、そこからすぐにフィナーレとなった。声にならない叫びとともにかずさは上りつめた。しかし春希の手と口はそこで動きを止めず、緩やかだが確実にその愛撫は体中へと広がっていく。一度沈静したはずの興奮が、再び静かに湧き上がり、身体の中が熱くほぐれていく。 気が付くと春希の口と手は、かずさの胸、二つの乳房を責め立ていていた。興奮に膨れ上がり、尖った乳首を、春希は巧みに舌先で転がしつつ、丸い乳房の方は時に乱暴に揉みしだき、かと思うとこよなく優しく、羽毛のように柔らかく、ふれるか触れないかわからないほどの微妙さで愛撫した。その巧みさにかずさが陶然となっていると、いつの間にか乳首をついばんでいたはずの春希の唇が眼の前に迫り、彼女の半開きになった唇をこじ開けてむさぼっている。そして気が付くと春希の片方の手はかずさの尻の方から性器の周りを刺激して燃え立たせ、それから―― と、先ほどの絶頂の余韻から徐々に立ち上がり、熱くほどけはじめていたかずさの性器に、更に熱く、そして硬いものが不意にあてがわれ、そしてするり、と中にすべりこんできた。途端に尻から背骨へ、そして頭頂部へと電気のようなものが走った。熱く硬く、それでいて優しい何かが彼女の中に入ってきて、一本の芯を通した。 ――! 言うまでもなく、春希のペニスだった。 かずさの身体に杭を打ち込んだまま、春希はゆっくりと、かずさの内側と外側の両方で、動き始めた。かずさはすっかりそれに身を委ねて、一緒に揺れ動いた。また、身体の奥底から楽曲が立ち上がってくるのを感じた。思い切り声を出したい。歌いたい。しかし、それを実際の声にしてしまって、子どもたちの安眠を妨げるのは忍びなかった。せめて、その声を殺さず、しかし身体の内側に押しとどめるべく、彼女は再び自らの腕を噛もうとした、と―― ゆっくりと動いていた春希は、かずさの身体を内側と外側から支えたまま、少し動きを止めて休んだ。自分が休むためではなく、かずさを休ませるためであることは明らかだった。動きを止めた春希は、掌でかずさの頬を軽くさすり、汗ばんだ髪を撫でつけながら、少しばかり心配げにかずさの顔をのぞきこみ、ついばむような優しいキスを繰り返した。あまりの幸福感と安堵に、かずさは泣きそうになった。「春希、おまえ……。」「――なんだ?」「……おまえ……下手くそじゃなくなっちゃったんだな……当たり前か……。」 「――っ。すまない……。」 「――バカ……あたしの方こそ、ごめん……変なこと言って……。本当に、本当に、気持ちよかったんだ。全然、怖くないし、痛くもなかった。とっても、大事にされて、優しくしてもらってるのがわかって、ちょっと強く、激しくされても、100パーセント安心してられて――むしろ、大丈夫なんだから、もっと強くしてほしい、って思うくらいで……。」 しゃべっているうちに、急に恥ずかしくなってきて、かずさは目を伏せた。春希は黙ったまま、かずさの髪を撫でつけ続けた。 しばらくして、かずさはまた口を開いた。「――な……頼みが、あるんだけど、いいか?」 「……ああ、もちろん。何だ?」 「今すぐじゃなくていい。今夜中でなくて全然かまわない。これから、ゆっくりとでいいから――雪菜に……雪菜にお前がしてやったことを、 全部、あたしにしてくれ。――それから、雪菜がお前にしてくれたことも、全部、あたしに教えてくれ。そうしたら、時間はかかるかもしれないし、上手にできないと思うけど、同じこと全部、あたしもお前にしてやるから。 ――そうしたら、ひとつでもいいから、雪菜にはしなかったこと、できなかったことを、あたしにしてくれ。――あたしも、雪菜がお前にしなかったことを、してやるから。」 かずさがしゃべり終えると、春希は、しばらく沈黙していた。それに少し不安になってかずさは、「――どうした? 春希?」 とたずねた。すると、春希はばつが悪そうに、「――ちょっと、感動した。それから、興奮した。」と応えた。「……バカッ! ――それで、答えは……。」とかずさがせっつくと、「うん……お願いするよ。」と春希は、ますますばつの悪そうな顔で応えた。かずさは思わず、春希にしがみついて、その顔にキスの雨を降らせた。「――春希……! ああ、春希ぃ……あっ、そうだ、もう一つお願いがあるんだ。」と、あわてたようにかずさは言い足した。「――何だ?」「……今夜は、ずっと、あたしにキスをしていてくれ――唇を離さないでくれ……。でないと、あたし――大声を出してしまう……気持ちよくて、うれしくて……。……ちびたちを、起こしたくないんだ……。」 心配顔のかずさに、春希は少し考えて、言った。「かまわないけど、声を殺すためのキス、ってのは、たぶん、あんまりいいアイディアじゃないと思うな。」「――? じゃあ、どうすればいいんだ?」「さっきおまえ、自分の腕を噛んでたろう。あの方がいい。――それよりいいのは、俺にしっかりしがみついて、俺の肩口に噛みつくことだ。吸血鬼みたいに。」「――? バカっ!」 かずさは真っ赤になってまた顔を伏せたが、春希はそこにまた頬を寄せ、口づけて、「アドバイスはしたからな。じゃ、御望みどおり、少し激しくするから。」というと、予告通りにまたリズミカルに身体を動かし始めた。あわててかずさもまた、そのリズムに身を委ねて、しがみついた。 ――夜はまだ、始まったばかりだった。