「今年の、クリスマスだけど。」と、またしても夕食時に曜子は切り出した。「春ちゃん雪ちゃんは、去年と同じ、北原のおばあちゃんのところに行くっていうお話だったけど……。」「ええ、それが、どうしました?」「この間北原さんとお話しして、今年は、私もご一緒させていただくことにしたから。お宅にお邪魔するんじゃなくて、私の方で――実際には美代ちゃんにやってもらうけど、近場でゆっくりできる宿を手配して。あのこの旦那様おすすめのオーベルジュがあるのよ。それも温泉付きで。――ノリ君も、都合をつけてくれるみたいだし。」 前回の北海道講演旅行同様、今回も前触れなしの突然の宣言だった。当然かずさは「母さん!」と爆発しかかったが、これまた当然のように曜子は、よどみなく切り返す。「あなたは今年も仕事でしょう、クリスマスもイヴも。そもそもイヴは京都じゃなかったかしら? その間、子どもたちのお相手は誰がするの?」「……!」 顔を赤くして言い返そうとするかずさの機先を制して、春希はかわりに応えた。「それでしたら、今年は俺が何とかしますよ。そのために管理職になったようなもんなんですから。母さんのところに、俺が一緒に行ったっていいんですから。」 しかし曜子は相変わらずにこにこと、「だーめ。もちろん、そうなさったら、それはそれで北原さんもうれしいでしょうね。でも、親子のきずなを深めるのは、またの機会になさいな。これはもう北原さんと、春ちゃん雪ちゃんと相談して決めたことですから。なぜなら……。」と返して、春華と雪音に目配せした。二人はうなずいて顔を見合わせた。雪音が春華の耳に「こしょこしょ」と内緒話のポーズでささやいてから、春華の方が 春希とかずさに向き直って口を開いた。「おとうさんは、かずさママと一緒に京都に行って下さい。おそくなっちゃったけど、しんこんりょこう、ってことで。これが、わたしたちからのクリスマスプレゼントでーす。」「しんこんりょこう、いってらっしゃーい!」 雪音もはしゃいで笑う。「ええっ?」 ――そんなベタな……とあきれる春希とかずさをしり目に、曜子が言葉を継ぐ。「もちろん、美代ちゃんにも話は通してあるわ。京都ではスイートをとってあるから、二泊しかないけど、ゆっくりしていらっしゃいな。京都のあれは恒例のイベントなんだから、余裕でしょ?」「い、いや、今年の京都は橋本さんがいないんだから、「客演」というより、あたしが若手のまとめ役みたいなもんなんだよ。そんな浮ついた気持じゃ……。」「そうですよ、それに俺だって年末進行なんですから、普段通りならともかく、泊りで旅行なんか行けませんよ。」 かずさと春希はこもごもに抗議したが、曜子はにやりと笑って、「それくらいの根回し、わたしと美代ちゃんにできないとでも思ってるの?」 23日の午後。半ドンでそれぞれ会社と練習を切り上げたかずさと春希は、わざわざ墓地に回って雪菜に手を合わせてから、東京駅を新幹線で発ち、夕刻には京都に着いた。とりあえずタクシーで会場となるホールに直行して、かずさはそこで降り、春希は荷物と一緒にホテルに先行することにした。 ホールでかずさは、既に先行して京都入りしていた美代子らスタッフ、そして共演者たちとミーティングを行い、ついでに明日使うベーゼンドルファーで、軽く指慣らしをした。彼女としてはほんの軽い気持ちで手早く済ませたつもりだったが、「それじゃ、また明日!」とホールを後にしたときには、かれこれ2時間も春希をひとりで待たせていることに気が付いた。「しまった!」 あわててタクシーをせかしてホテルに飛び込み、フロントで「すみません、冬馬曜子オフィスの冬馬……。」と名乗ろうとすると、フロントマンはにこやかに「北原かずさ様でいらっしゃいますね? ご主人様、既にお部屋でお待ちでいらっしゃいます。ただいまご案内いたしますので、お待ちください。」と応じて、ベルガールを呼んだ。「失礼いたします。北原さま、奥様をお連れしました。」 天真爛漫な笑顔がまぶしいベルガールにエスコートされ、かずさは春希の待つ最上階のスイートに通された。眺めの良いリビング、窓縁のデスクでノートPCに向かっていた春希が、笑顔で迎えてくれた。「お疲れ、かずさ。」「――ゴメンな、遅くなって!」「いやいや、おかげで仕事がはかどって、助かったよ――それより腹、減っただろう? 下に、飯、食いに行くか? それとも、ルームサービスでも……。」と春希が言いかけたところで、再びドアベルが鳴った。「はーい?」「たびたび失礼いたします。当ホテル、コンシェルジェの嶋田と、当スイート担当のベル、安藤でございます。」 扉を開けると、さっき案内してくれたベルガールと、ベルのユニフォームではなくスーツに身を包んだ女性がにこやかに一礼した。ベルガールはワゴンにシャンパンクーラーとバスケットを載せ、スーツ姿のコンシェルジェは両腕一杯に大きな花束を抱えていた。「北原さま、奥様、本日は当ホテルにおいでいただき、誠にありがとうございます。ご家族様と冬馬オフィス様より、お二人の遅ればせのハネムーンと伺っておりますので、サプライズをお持ちしました。」と、コンシェルジェはにっこりした。「私ども、本来でしたら、お客様へのサプライズは、ご到着前にあらかじめお部屋にご用意させていただきますのですが、本日はお仕事のご都合でお二人のご到着がずれると承っておりましたので、お邪魔かとは存じますが、お二人お揃いになられるのをお待ちいたしましてから、お届けに上がることにさせていただきました。」「こちら、当ホテルよりウェルカムシャンパンと、奥様がお好きと伺っておりますので、スイーツでございます。それからこちらのお花、ご家族様からのメッセージとともにお持ちしました。」「――うわ……あ、ありがとうございます!」「ありがとうございます!」 二人がややうろたえながら花束を受け取っている間に、ベルガールはワゴンを運び込んで、リビングのテーブルの横につけた。それから花器を用意しながら、「よろしければ、お花、こちらにお飾りいたしますので、メッセージカードをおとりになってください?」と二人に声をかけた。「は、はい!」 見ると花束の中に埋もれるようにして、ピンク色の、少し大きめの封筒が二つ、差し込まれていた。二人は封筒を外した花束をベルガールに手渡し、気もそぞろに封筒を開いた。 ひとつの封筒の方には、便箋に手書きで、寄せ書き風にメッセージがつづられていた。北原の母の几帳面な字、曜子の達筆――というよりやや悪筆、そして春華の幼いが生真面目な字と、雪音のなぐりがき。「改めて、ご結婚、おめでとうございます。」「二人とも、いつもありがとう。」「お父さん、ママ、いつもありがとう。メリークリスマス! ママ、クリスマスはお父さんにたっぷりあまえてください。」「メリークリスマス! てんごくのおかあさんも、おとうさんとかずママが、だいすきだって!」 みるみるかずさの眼に涙があふれ、春希も熱いものがこみ上げるのを感じた。そんな二人にコンシェルジェは、少し咳払いしてから、口を開いた。「少し、余計なことをお話しさせていただきますと――ご再婚のカップルの皆様は、やはり初婚のカップル様に比べますと、御式、新婚旅行など、御控えになられる方が多いように存じます。特に、それぞれのお子様がたとご一緒に、新しいご家族をおつくりになられる方の場合ですと、そのようなことが多いように感じます。 ですが、私ども、長らくこのような仕事をさせていただいておりますと、お客様のようなケースにも、お目にかかることもございます。 再婚されてしばらくたって、少し落ち着かれてから、ご夫婦水入らずで、ごく短期間ではありますが、ハネムーンにおいでになられるお客様は、存外いらっしゃいます。しかも面白いことに、そのハネムーンのおぜん立てをご夫婦ご自身ではなく、お子様方や周囲のご家族様が、お二人への贈り物としてなさることも、時たまございます。そういうお客様をお迎えできますのは、私どものホテルにとりましても、大変うれしいことでございます。」 もうひとつの大きい方の封筒には、二枚の絵が入っていた。 ひとつは春華の、齢のわりにはひどく達者な絵だった。クレヨンを使って、丁寧な色遣いで描かれていたのは三人の少年少女だった。画面下部を占める二人は、サックスを抱えた黒づくめの少女と、ギターを抱えた少年。そしてその上には、白いドレスに身を包んで歌う少女が、一回り大きく描かれている。 おそらくは、春希たちが持っていた、あの学園祭ライブの記念写真を元に描かれた絵だ。しかしあの絵と違うのは、カメラに向けてポーズしているのではなく、演奏している姿が描かれていること。そしてあの写真とはちょうど反対に、歌う少女――雪菜が神妙な顔で目を閉じているのに対して、ギターの少年――春希と、サックスの少女――かずさはにこにこと笑っている。 もうひとつは雪音の、これは齢相応のごちゃごちゃとした絵。それでも、何が描かれているかは、はっきりわかる。黒い車に乗ってドライブしているのは、運転席にかずさ、その横に春希。後部座席の三人はもちろん、春華と雪音、そして曜子だろう。車の周りには、一面に花が咲いている。そして空からは、にっこり笑う天使が手を振っている――雪菜だ。 花をアレンジし終えたベルガールが、つ、と覗き込んで「すてきな絵ですね……。」とにっこりした。かずさはついにこらえきれず、春希に身を預けて泣き崩れてしまった。と、ベルガールとコンシェルジェは顔を見合わせ、「では、私どもはそろそろ失礼いたします。ご用向きの折には、ご遠慮なくお電話でお申し付けください。それでは、ごゆっくり……。」と挨拶して、部屋を辞した。「二人とも、今頃、どうしてますかしらね?」「あの子のことだから、春ちゃん雪ちゃんの絵を見て、今頃大泣きしてんじゃないかしら? ――春希く……春希さんは、やせ我慢――。」「さあ、どうでしょう? 存外あの子も激情家なんだって、わたし、最近ようやくわかってきたんです。親として、お恥ずかしい話ですが……。」「――そんな……私よりひどい親なんて、そうそういるもんじゃないわ。北原さんは、ご立派ですよ。」「ねえねえ? なんで、かずママがなくの?」「おとなはねえ、うれしいときに泣くのよ?」「まあ、春ちゃん、よく知ってるわねえ……。」「……かずさ?」「……う――ああ?」「起きてるか、かずさ?」「――うん……。」「――大丈夫か?」「――う……ちょっと……疲れた――かな?」「――一緒に……シャワー……浴びようか。それから、飯にしよう。多分まだ、ルームサービスが、頼める――。」「――うん……ああ……でも――もう、ちょっとだけ――こうしていたい……。」「――うん……。」「――春希。」「なんだ?」「愛してる。」「――俺もだ。」「あたしは、おまえを愛してる。春華を、愛してる。雪音を、愛してる。母さんを、愛してる。ひょっとしたら、おまえのお母さんも、愛せるかもしれない、って、思う。……そしてやっぱり、雪菜を――もういないのに、愛してる。」「――うん。俺も、だ。」「あたしには、ピアノしか、できない――って、思ってた。愛する人たちを、少しでも幸せにしてやるには、ピアノしかない、って。でも、おまえと結婚して、わかった。そうじゃないんだ、って。ピアノ以外の、他のたくさんのやり方でも、いろいろ、できるんだって。――あたしは不器用だから、あんまり上手には、できないけど。」「――うん。おまえは、頑張ってくれてる。みんな、知ってるよ。」「本当――?」「もちろんだ――一番よくわかってるのは、俺だけど?」「――そうか……? おまえ意外と、鈍いからな――?」「言ったな――? だって、こうやって」と春希は指をかずさの背骨に沿ってかすかに走らせ、「おまえをかわいがってやってるのは、俺だけだろう?」とつぶやき、頬に口づけた。「ピアノを弾いてるおまえは、世界の宝で、にこにこ笑ってるおまえは、うちじゅうみんなの宝だけど、ベッドの中のおまえは、俺だけのものだからな。」「――言ってろ……。」とかずさは一瞬顔を赤らめてから、「なあ――あの時、言ったこと、覚えてるか?」と尋ねた。「――あの時――って?」「初めて――じゃない、二度目の初めての時、「雪菜にしてやったこと、全部してくれ」って、あたし言ったよな……もう全部、してくれたか?」「――ああ……たっぷり、してるよ。」「――じゃあ、雪菜には、してないこと、は? 何か、雪菜とはしてないけど、してみたかったこと――あたしにしてみたいこと、ないか?」「――う、ううん……初めてのことを試すには、今日は、具合悪くないか? ――だって明日は、一仕事だろ?」「――大丈夫。あたし今夜は、とっても幸せで、気力も充実してるんだ。ちょっとぐらい冒険したって、平気さ。かえって刺激になる。――それに……今夜は、ハネムーンなんだ。家を離れ、家族を離れて、二人きりなんだ。今日みたいなときに試さないで、どうするんだ?」「――う、うん、わかった……。とりあえず、一緒に、シャワー浴びようか?」「――そこからが、準備なのか?」「――うう……おい、おまえ、なんだか眼が怖いぞ。」「――フフ……。」================= 結婚式も新婚旅行も自分たちではやってないので、よくわかりません。ウェルカムフラワーとか何とか、適当に調べて妄想しました。 娘が結婚できたら、その折に裏事情を見聞することができるかしら……。