その四月は、とりわけ忙しい春となった。二人の娘たち、春華と雪音は今年はただ進級するだけだし、春希の方も別に異動するわけでもなかったのだが、大きな仕事を抱えることになった。ひとつには、『鴻』の新人賞への応募であるが、こちらはあくまでも私事(わたくしごと)である。むしろ重要なのは、雑誌部門責任者次長の地位にありつつも、なお直接担当し続けてきた単行本企画のいくつかが、いよいよ大詰めを迎えつつあったことだ。その中に、連載終了直後であるにもかかわらず、異例のスピードで完成稿を送り込んできた橋本健二の処女出版『ピアノという近代』もあった。 儲かりもしない音楽雑誌を律儀に出し続けている開桜社ではあったが、さすがに単行本として出せる音楽書はどうしてもあくまで一般の音楽ファン、クラシック愛好家向けにとどめておく他はなく、橋本の学位論文それ自体の出版企画は、さしあたりペンディングとした。(事実上「公費による自費出版」である学術出版助成を活用すれば、何とかならないでもなかったが。)実際かなり本格的なピアノ演奏の技術論や、クラシックの楽理と、機械としてのピアノの技術史の交錯にかかわるテクニカルな問題が焦点である以上、専門の音楽学者やプロの音楽家以外の読者を得られるはずもない。橋本自身の関心も、学位論文それ自体の出版にはなく、むしろその一部を英語・ドイツ語で学術雑誌に投稿することの方にこそあった。 しかしながらその学位論文のいわばおまけ、本論に対する補論が膨らんだ形のピアノの社会史、文明論的考察をもとに、二年間にわたって『アンサンブル』で続けてきた連載の方は、著作としてまとめられればより広い音楽ファン、のみならず読書人全般の関心を引かずにはいないだろう。これについては、春希には相応の自信というか、勝算があった。 それでもまあ、営業戦略は立てねばならぬ。 何より痛いのは、当の著者たる橋本自身が、長期滞米中で不在ということであった。販促イベントを打とうにも、著者が不在というのは何とも締まらない。コンサート・ピアニスト、それも日本の若手ではかずさをしのぐ実力トップの橋本なのだから、本来であればコンサートが何よりの販促になり、会場で直販してもそこそこ捌けるはずなのだが、その手も使えない。 短期的に、販促のためだけに一時帰国してもらうことも不可能ではないが、そのための費用を社の方から手配するとなれば、経理がだまっているとは思えない。「まあ、それくらいのお金なら、私の方から「貸し」にしてあげるけど――もうちょっと格好をつけるなら、うまくスケジュールさえ合えば、私たち主催で橋本君主役で興行を組む、ということもできなくはないわね? 開桜社ともタイアップということで。澤口さん――ナイツだって嫌とは言わないでしょう?」 定例の「取材」後の雑談で春希が少しばかり弱音を吐いたのに対して、曜子は提案した。「そういうの、前例、ありますか?」「何言ってるの、レコードやスコアの販促目的のコンサートなんて、クラシックでもごく普通のことよ。本はまあ――ないこともないわね。あんまりあからさまにやると、みっともないけど。それにまあ、写真集とか軽いエッセイとかならともかく、一般向けとはいえお堅い本でしょう? ああ、どのみち商売としては、そんなにおいしくないのよねえ。」 曜子は笑ったが真顔になって、「しかし、それもこれも、橋本君本人がその気にならなければ、どうにもならないわね。あの子もこの二年は、お金の心配もなく、ゆっくり自分の勉強と練習だけしてればいい身分なんだから、そこにいきなり「あと三か月後に日本でリサイタルをやれ!」というのも、無茶というほどでもないけど、酷といえば酷よねえ……。」と洩らした。一緒に呑んでいたかずさの方も、グラスを揺らしながら、「あの人のことだから、「せっかく僕の本を売ってくださろうというんですから、喜んで弾きますよ。」とか言うだろうから、かえってなあ……。」とため息をついた。「せいぜい、この秋のあたしの巡業の時に、どっかで一回くらいゲストに来てもらう、くらいしかないんじゃないか? 少しタイミングは悪いけど……。」「――それでも、もちろん十分ありがたいけど……。ぶっちゃけ言うと、この手のイベントは、東京と関西以外だと、はかが行かないんだよな……。」 春希としては一応、「隠し玉」も用意してないことはなかった。担当編集者としては当然のことながら、いくつかの出版文化賞に出版社推薦枠で応募する根回しは既に済ませている。この年度の動向を踏まえれば、たぶんどれか一つくらいは受賞できるだろう、と春希は内心予想していた。しかしそんなものはあくまで「とらぬ狸の皮算用」である。短期的な売り上げに一番効くのは、何と言っても新聞の書評であるが、これも案外、工作が効く世界でもない。「で、当の橋本君は、なんて言ってるのよ?」 曜子が切り込んできた。「――必要とあらば1週間くらいは、戻ってこれる、っておっしゃってくれてます。あと、7月ともなれば夏休みですから、大学に出る用事もない、と。」「でもねえ、向うの夏休みって案外、学会とか研究会とか、あるんじゃない? それを考えればむしろ反対に、夏前かあるいは秋にちょろっとだけ来てもらう、方がいいわね? ――それに……初版、どれだけ刷るの?」 春希は危うく酒にむせかけたが、懸命にこらえて、正直に答えた。「――三千部です……これでも、頑張ったんですが。」 人文書の相場は初刷り二千、というのが相場だったが、このところの出版「衰退」のせいもあってしばしば崩れがちであったことに鑑みれば、もの書きとしては無名の著者の処女出版としてはむしろ強気ともいえる。しかし橋本を知る音楽関係者にとっては、がっかりする数字かもしれなかった。しかし曜子もかずさも、別に表情を変えはしなかった。「――ふーん。増刷がかかればあと二千、もし大台に乗れば万々歳ってとこね。まあいまどき音楽だって大差ないし、しょうがないわよね……。」「――母さんはCD売れた時代に散々おいしい思いしてるじゃないか。文句言うなよ。あたしたちの時代は、結局人前で弾いてナンボなんだよ。」「あら、引きこもりが言うようになったわねえ――。別に文句なんか言ってないわよ。現状の事実確認をしただけ。うん、そういうご時世なんだから、やれることは何でもやるといいわ。まして本書くなんて芸当、かずさにできるわけないものねー? それに。」「それに、なんだよ?」 睨みつけるかずさからわざとらしく目をそらして、曜子は春希に問いかけた。「たとえ売れなかったとしても、いい本、なんでしょう?」「――それは、もちろんです。……でも、いい本なんですから、売れてしかるべきだし、売れてほしいです。学術書ってわけじゃなくて、歴史好き、音楽好きの方にならきっと、興味深く読んでもらえる本ですから……。」 言い切った春希に曜子はゆっくりとほほ笑んだ。「造本、装幀も、高くならない範囲で、かっこよく、上品にできてる?」「――それはもう。信頼できるアトリエと、じっくり相談しながらやっています。」「いつも通りの営業努力も、ちゃんとやるわよね?」「それはもちろん。うちの営業にも今から頭下げてますけど、感触は悪くないです。ジュン×堂さんや紀伊○屋さんとか、音楽書コーナーもあるような大手には、俺自身も出向きます。主要各紙の書評委員会にも、橋本さんから頂いた献本リスト以外に、俺が思いつく人たちにもお送りします。」「――そう……。ならきっと、それだけでも、増刷が一回かかるくらいは、売れるわよ。――何か思い切って仕掛けるなら、それからでも遅くはない……いや、それからの方が効くんじゃないかしら?」 そこでもう一口ぐいっとあおった曜子に、かずさはかみついた。「のんびりしたこと言うなよ。二段構えっていうんなら、初手から仕掛けて、二段目でまた二発目の仕掛けを、っていうのが普通だろう? もし万が一初手がこけたらどうなるんだよ。「きっと」とか「多分」じゃダメなんだよ!」 真剣に青筋立てるかずさに、曜子はさも楽しそうに笑った。「あらかずさ、あなた、ピアニスト橋本健二のファンというだけじゃなく、もうすっかり、音楽学者橋本健二のファンみたいね? ――天然ピアニストかとばっかり思ってたら、案外理詰めもできるようになってきたのかしら?」「――ば、ばかにするなあ!」 ――実際春希もかずさも、ちょっと気負いすぎていたのかもしれない。冬馬かずさのような「アイドル」ではなくとも、同世代ではナンバーワンピアニストで、音楽エッセイストとしても知る人ぞ知る橋本健二にはすでにたくさんのファンがいて、来るその処女出版を楽しみにしていて、その中には春希同様、仕掛けを着々と準備していた者もいたことに、その時の二人は十分に思い及ばなかったのだ。そのあたり、曜子の泰然ぶりは年の功だったということか。