(承前)「何だなんだ、こんなところでランデブーなんて、いかにも「取材」らしいじゃなーい。」 御宿インテグラルの一室、会議やセミナー向けの個室で、瀬之内晶――和泉千晶は本気とも洒落ともつかない歓声をあげてみせた。「一応このあとも手配はしてあるよ。懐石がいい? フレンチのコースにしとくか? それとも、取材のあと、じゃなくて、食べながら話すのがいいか?」「あーいいねいいね、そっちの方がますます「取材」って感じで。おなかも減ってたところだしさ、とっととごちそうして頂戴。――フレンチがいいや。ちょっと脂っこいものがほしい。エネルギーいるんでね……。 ――それにしても春希にこんなホテルでごちそうしてもらう日が来るなんて、何とも感無量だよね……。」「おまえには昔さんざんおごってやったし、手料理だって食わしてやったのに、か?」「――まあそれはそれ、これはこれ、ってね? だって、会社のお金なんでしょ?」「――まあな……。」「じゃあ、あたしにつきあって春希もおいしいもん食べられるんなら、「役得」って感じだよね?」「――別にそれが目当てじゃない……。」「わーかってるよう、そんなとこでマジになんないでーー。お互い大人なんだからー。 ――と、さて、今日は何が聞きたいの?」 がははと大笑いしてから襟を正し、笑みを浮かべつつ正対してきた千晶に、春希は一息ついてからレコーダーのスイッチを入れ、話を切り出した。「――あれからこっちでもいろいろ、お前については調べてみた。付属時代のことも、クラスメート(飯塚武也とかな)や演劇部の仲間の話を聞いたし、大学時代については、ウァトスの「座長」――上原さんにもとりあえずメールで少し伺ったよ。今、大変らしいな?」 千晶は大笑いした。「――うーん、座長には今回ひっさびさに迷惑かけちゃってねー。やっとあたしなしで、自分たちのペースで芝居ができるようになってきたところに、またあたしが戻ってきて「やらせろ」でしょう? あたしのせいながら気の毒で気の毒で――でも今回は久々に日本で、しかも自分のホンでやるんだから、どうしても座長が必要だったんだ。」「まったく――まあ、それでいろいろ材料も集まったし、映像資料だけでライブを見てないのがアレだが、NY時代も含め、もらった資料以外の旧作も少し拝見できた。それに加えてこの間、うちで聞けた話を総合すれば、ぶっちゃけ、売り物になる程度の記事だったらもう書ける――。」「――てことは、それ以上の話を聞きたい、ってこと?」「……うん。これから聞きたいことは、仕事、というわけじゃない。というと誤解を招くけど、少なくとも開桜社としての仕事、ビジネスの話じゃあない。北原春希という個人として、和泉千晶――瀬之内晶という表現者に、聞いておきたいことがあるんだ。」「……。」「まず、役者、俳優としての瀬之内晶の役作りのストラテジーについて聞きたい。」「――うーん、そんなの一言で言えるくらいだったら、あたしはこうして自分で身体動かして、役者なんかやってないんだけどなー。っていうか、そういうのを自分で言葉にすんのが、あんたたちの仕事じゃないの?」 千晶の声がそれとわかるほど冷えたが、予想の範囲内だった。「質問の仕方が悪かった。――それなりにこちらでつくったイメージがあるんで、それにダメ出ししていってくれればいい。 ――瀬之内晶はそれこそ歌って踊れて、ミュージカルもストレートプレイも、コミカルなのもシリアスなのも、大衆的な舞台も実験演劇も、なんでもござれの万能選手ではあるが、自ら筆を執って書いたオリジナルのホンを、自ら演じるところにその本領はある――ここまではいいか?」「可もなく不可もなく、かな。」「とはいえ、そのキャリアの初期――アマチュア時代にはひとり芝居が多かったので、ともすれば誤解されしがちではあるが、ひとり芝居を本領とするわけではない。自分の要求水準を満たす相手とならば、協力し、競演することにかんして問題は感じない。NYではミュージカルでもストレートプレイでも、コーラスラインでも準主役でも、きっちり自分の仕事をこなしている。」「あそこの連中のレベルが、思ったほど飛び抜けて高いわけでもなかったんだけどね――まあいい、続けて?」「これも、ひとり芝居が多く、主演が多いことから誤解されがちだが、実はナルシシズムや自己顕示欲にはとんと縁がなく、自分を含めて、あくまで突き放した演技、演出を目指している。実はノリや勢いではなく、緻密な計算の下に脚本を書き、舞台を構築し、演技する――。」 そこまで来て千晶はようやく、ニコッと笑った。「そこはまあ、及第点あげてもいいかな。」「「及第点」? 「優」じゃなくてか?」「「優」はムシがよすぎるよ。でも「可」でもないな。――「とんと縁がなく」は褒めすぎ。あたしにだって人並みのナルシシズムくらいあるよ……おーーっと、お料理が来た! ありがとうございまーす。」「――でもあくまで「人並み」なんだろう? 少なくとも役者――というか演劇人・瀬之内晶の原動力じゃない……まあいいか、一休みしよう。」「ええっ、いいよ。食べながらでも……(むぐむぐ)。」「行儀悪いな――俺が落ち着かないんだよ。「食べながら」といっても「頬張りながら」じゃなくて、料理と料理の合間の手すきの時に、くらいのつもりだったんだよ――まあいい、今来た皿とっとと空けちまおう。……(むぐむぐ)。」「あたしさ、簡単に言うと、「人の気持ちがわからない」んだよ。」 ――スープと前菜を片付けたところで、千晶は切り出した。「あれかな、いわゆる「自閉症スペクトラム」ってのがあるじゃん。まあ、幼稚園や学校の先生に目をつけられるとか、カウンセラーや病院に連れてかれるようなことはなかったんだよ。でもあたしね、どっちかといえば、そっちに近いんじゃないかと思う。つまり、本格的に生活に支障を来すってほどじゃあ、なかったんだけど、傾向としてそのケはあったんじゃないか。 何となく「あたしはみんなと感じ方が違うんだな」って気は、昔からしてた。何て言うかな、「空気」は読めるんだよ。でも進んでそれにあわせる気はしなかった。不快なわけでもないの。単に客観的にそこにあって、あたしには関係ない、って感じ。だからめんどくさいときはあわせられる。でも必要がなかったら無視する。」「つまりね、理屈抜きの共感――ってやつが、あたしには苦手だった。共感ってやつができない訳じゃないし、嫌いなわけでもないんだ。むしろ好きなんだよ、人の気持ちを理解することが。人って面白い。でも、それはあくまで、計算して、考えてのことなんだ。あたしには人の気持ちが理屈抜きにはわからなかった。人に共感するには、考えて考えて、理屈で理解してからかかる必要があった。」 聞きようによってはとんでもなく重い話を、千晶はあくまで軽く続けた。春希はもう少し切り込むことにした。「――それを聞いただけだと、「瀬之内晶にとっては日常生活すべてが演技であり、演技を離れた「素」などというものは存在しない。すべてが仮面であると同時に、またすべてが素顔である」ってな話になりそうだが……それはそれでわからなくはないが――じゃあなぜそこであえて普通の意味での「演技」に行かなければならないんだ? まさか「普通の人間とは違って、日常生活すべてが演技であるかわりに、舞台の上は「素」である」なんてことはないだろう?」「ああ――そうだねえ。舞台の上も下も、どちらもリアルだよ、いまのところのあたしにとっては。じゃあ、舞台って何? ってことだよね春希が言いたいのは。それは……あああっと、メインが来た――!」「――わかった、あとでな。」「うーーんと、どこまで話したっけ? 結構イイ線行ってるな、って感心してたんだよ。うん、あたしにとって、瀬之内晶にとってすべてが演技だとしたら、じゃあ舞台って、演劇ってなに、ってことだよね。そうだなあ――よくわからないや。」 デザートのスプーンを軽く振りながら、千晶は言った。「――? ここまできてそれか?」「うん、そうだよ。インタビューアーとしては、ここが踏ん張りどころじゃないかな? あたし以上に、あたしを理解して、あたし本人をうならせる解釈、提出できないかな?」 千晶はいたずらっぽく笑ったが、眼は真剣だった――とまとめたいところだが、正直春希にはわからなかった。ただ、彼女が自分をからかっているのであろうがなかろうが、ここが自分にとっての正念場だということはわかった。「わからないけど、お前は舞台の上で生きることを選ぶんだよな? 物語をつづり、それを自分の身体で、人々にぶつけることを選ぶんだよな? そういう生き方を選んできたし、これからも続けることは、確かなんだよな?」「うん、そうだよ。」「だけど、その理由を明確に言葉にすることが、今はできないのか、したくないのか――。」「――それともただ記者をいじめているだけなのか。」「でも、理由はあるんだな。」「うん、あるね。」「――俺が勝手に思っていることが、ひとつだけある。これはたぶん、十全な理由じゃないだろう。ただ、それもある、という意味では、外れてないと思う。」「うん、言ってみて。」「ひとつには、舞台の下では、普段の和泉千晶は、いわば「空気」を読んで合わせている。あまり自分の「本気」を出していない。受動的な演技をしている。それに対して舞台の上での瀬之内晶は「本気」で演技している。そこにある「空気」を読んで、それに合わせているんじゃない。自分の方で「空気」を作り、他人を巻き込もうとする。あるいは、「空気」なんかぶち壊して、積極的に他人にはたらきかけようとする。それが嘘だとか本当のことだとかはどうでもよい。とにかく、自分から何かを、他人に向けてぶつけようとする。」「――。」「そしてもうひとつ。それが「物語」という形をとる、ということ。和泉千晶=瀬之内晶の「本気」は物語という形をとって表される、ということ。そうやって、「物語」という形式をとることによってでなければ、和泉千晶は「本気」になれないのではないか、とね。 ――じゃあなぜ「物語」なのか? そこにもまだ「理由」を考えなければならないんだろうけど、そこは……すまん、今はそこが俺の限界だ。」「――どうして、そこが限界なんだい?」 千晶の口ぶりは、ひどくやさしかった。「それに答えを出すには、俺自身が、決めなければいけないからだ。」「何を?」「俺にとって、物語とはなんなのか、言葉を紡いで人に、世界に向かい合うとは、どういうことなのか、覚悟を決めなければならないから。言葉を通じて俺自身がすべきことを、見出さなければならないから。――そうしないと、俺の知っている偉大な物語作者の一人である、瀬之内晶に向かい合う資格を、持てないから。」「――おいおい、それじゃあ敗北宣言になっちゃうよ春希。もっとがんばれ!」 千晶はにっこり笑って、春希の顔を覗き込んだ。 ――なぜ俺は出版というビジネスを志したのか。文章を書く仕事をしたい、と思ったのか。親しい人や、愛する人以外の、多くの人々に、言葉を使って俺は、どう向かい合いたいと思っていたのか。 ――本当はかずさという音楽家、そして雪菜という歌い手を愛した以上、もっと早くに、きちんと考えておくべきことだったのだ。 「届かない恋」も「時の魔法」も、俺が詞を書いたのだから。