俺と鬼と賽の河原と。生生流転
朝。なんとなく俺はポケット探る。
「そういや長いこと整理してなかったな……」
俺のポケットはただのポケットではない。
いや、ポケットが特殊とかそういった話ではないのだ。
よく、俺はポケットや懐から様々な物を取り出す。
まるで青狸のような四次元っぷりだが、これは天狗の能力である。
修験者が使う笈という四角い箱のような物。
本来は背負って使う物だが、俺達天狗には物体としてのソレはなく、自分の空間としての笈を持っている。
実体化させることは可能だがそうすることはほとんど無く、それをポケットや懐などと繋げて使うのだ。
ただし、これには積載量に限度があり、大人が何とか抱えられる程度の箱の体積以上は入れることができない。
つまり、適当に物を入れておくとすぐ一杯になってしまうためたまに整理してやらねばならないのだが……。
「ん、なんだこりゃ」
俺がふと取り出したのは、櫛だった。
桜蒔絵と朱漆塗り。赤い女物の櫛だ。
「……懐かしいな」
俺はそれの手の中で弄び、一階へと向かうのだった。
其の十五 俺と櫛。
「おーい、藍音ー」
「なんでしょうか」
一階にいた藍音に俺は声を掛ける。
相も変わらず早い返事だ。
「今忙しいか?」
「いえ、特には」
「じゃあちょっとここ座ってくれ」
そう言って俺はぽんぽんと椅子を叩く。
藍音は素直にそこに座った。
「なんでしょう」
「座ってから聞くあたり凄まじいな」
「当然です」
「まあいいや、じっとしてろ」
そう言って、藍音の二つにまとめられた髪を解く。
その髪へと、俺は櫛を通した。
「薬師様?」
「いや、ポケットから櫛が出てきたんでな」
「……そうですか」
「懐かしいな」
「はい」
昔々、藍音が一人で何でもできるようになるまでは、俺がこうやって髪を梳いてやったものだ。
かなり昔の話だが。
「嫌か?」
しかし、何も言わない藍音へと俺は聞くが、帰ってきたのはなんとも言えない台詞だった。
「鼻血が出そうです」
「……さいで」
「どうしてやめてしまったのかと後悔の渦でもあります」
「お前さんが昔自分でできるって言ったんだろーが」
「あの頃は……、私も若かったので」
「まーな」
あの年頃と言う奴は自分で出来るってことに無駄にこだわりたいもんだ。
自立した一人の大人でありたいという願望とかそんな感じなんだろう。
「お前さんも大人になったっつーことで。これからはたまにならやってやるぞ」
「本当でしょうか」
「ま、可愛い藍音のためならって事にしておこう」
「薬師様」
そうやって俺を呼んだ藍音に、俺は聞き返す。
「なんだよ」
藍音は、いつものようにまったく動じない声で言った。
「鼻血が出ました」
「……おい」
そして、少しだけ時間が経ち。
「にゃー、なんか、楽しそうなことしてたね?」
「そうか?」
「してたしてた。にゃん子見たもん」
やってきたにゃん子はわざとらしく俺を見た。
「しばらく誰かにブラッシングしてもらってないにゃー? ざっと、九百年くらい?」
「……そうかい」
「昔は良かったにゃー。優しいご主人がたまにブラッシングしてくれたからー」
そう言って、上目遣いでにゃん子は俺を見てくる。
「しろと」
「にゃー」
笑いながらにゃーと鳴くにゃん子、これはきっと肯定の意なのだろう。
「わかった」
「やったー!」
「座れ」
そう言って、俺は自分の膝を叩いた。
「今日はさーびすいいね、どしたのご主人」
俺の太股に尻を乗せながらにゃん子は言う。
「ま、なんとなく懐かしいからな」
「わくわく。にゃん子、この姿で梳いてもらうの初めてだにゃー」
「そーかい、ま、そうだろうさ」
そう言って俺はにゃん子の頭をぽんぽんと撫でる。
「にゃー、今日はなんか優しい」
「俺にだって思い出に浸りたい日はあるんだよ」
そう言って俺は、にゃん子の髪に櫛を通す。
「猫状態じゃなくていいのか?」
「猫のときのアレは髪じゃないもん」
「構わず梳いてたけどな」
「まあ、昔は昔だよっ」
「そーだな」
そうして、しばらく髪を梳いていると、にゃん子は気持ち良さげに声を上げた。
「にゃー……」
猫状態なら喉を鳴らしていることだろう。
まあ、嬉しいならいいのだが。
しかし。
「だがここまでだ」
そう言って、俺はにゃん子を下ろし立ち上がった。
「にゃー? まだやるー。やだー」
にゃん子は当然のように不満の声を上げる。
そりゃまあ、俺だってそれくらい付き合うのは吝かじゃないのだが。
しかし、と俺は時計を見た。
「仕事だよ」
「にゃー……」
「つーこって、そろそろ行くわ」
「帰ってきたら続きしよーねっ」
「おーおー、仕方ねーな……」
「やくそくっ」
「へいへいっと」
「じゃあ、いってらっしゃーい」
「おう、行ってくる」
そうして俺は玄関へと向かうのだった。
ところ変わって、河原。
「じゃあ、お昼休憩入っていいから」
「おう」
前さんに言われ、俺は木陰へと入って座り込んだ。
そして、弁当を取り出し蓋を開ける。
「お昼ごはんあたしも一緒してもいい?」
「おう」
そんな俺の隣へと前さんが座り込む。
彼女もまた、小さな弁当箱を広げて、昼飯を食べ始めた。
「薬師はいつも通り藍音のお弁当?」
「……鼻血が入ってないか心配だけどな」
「……なにそれ」
怪訝そうな前さん。
そんな前さんに俺は飯を食いながら言葉を返す。
「ちょっとな」
まあ、鼻血が溢れ出ていようがそんな失敗は犯していないことだろうが。
「ふーん? ところでさ、あたしのおかず一つと唐揚げ一個交換しない?」
「おう、ほれ」
「ありがと、じゃあどれ食べる?」
「肉団子くれ」
前さんは俺の弁当箱から唐揚げを箸で挟み、俺は肉団子を取っていく。
「うーん、やっぱり美味しいなぁ……」
前さんは悔しげにそう声を上げた。
「悔しいもんかね?」
「うん。ちょっとね」
「別に、藍音はちょいとアレだと思うがな」
別格という奴だ、と俺は正直な考えを口にしたが、前さんはふるふると首を横に振った。
「でもさ、胃袋からって言うじゃない」
「何がだ?」
「色々」
「ふむ」
「だから、美味しく作れないと困るんだよね」
「そんなもんか」
「うん、そんなもん」
そう言って前さんは笑う。
そんなもんなのか、と俺は納得することにした。
そうしてしばらくし、昼食が終わる。
「ごちそうさん」
「ごちそうさま」
ふむ、十分くらいは時間が残っているな。
河原に突き立つ時計を見て確認し、俺はなんかないかとポケットを探る。
そして、いの一番に出てきたのは、そう、あの赤い櫛だった。
「女物の櫛? ……薬師ってそんな趣味があったの?」
「まあ、貰いもんだからな」
怪訝そうな前さんに、俺はそう返した。
「ふーん? 貰ったの? なんで?」
「女の髪を梳くときくらいはコレでやれって渡されたんだよ」
「そうなんだ」
「今日ポケット探ってたら出てきてな」
「へぇ、よく使ってたの?」
言われて、俺は考える。
「まあ、そこそこな。昔は藍音によくやってやったもんだ。女物の着物は手に余るし、髪の毛位が所謂お洒落ってやつでな」
「ふーん……?」
「あとはにゃん子にもちょっとな。よく梳いてやった。すぐに喉を鳴らして床をごろごろ転がってたぞ」
「へー……」
と、そこで俺は前さんの変調に気が付いた。
「どうした?」
「ん……、なんだか、仲良いんだなって思ってさ」
「まあ、そうだが」
「いやさ、やっぱり二人と色んな思い出があるんでしょ?」
そう言って前さんは苦笑した。
「まーな。古い付き合いだからな」
そう答えた俺へと、彼女は寂しげに笑ってその言葉を口にする。
「そういうのって……、羨ましいなぁ、なんてね」
その後、少し無理をしたかのように前さんは明るく笑った。
「あはは、恥ずかしいねっ! 気にしないでよ、なんでもないからっ」
しかし、気にするなと言われた所で気になるに決まっているだろうに。
だが、俺は前さんに掛けるような優しい言葉の持ち合わせは無かった。
なかったから――。
河原には唐突な突風が吹くことになった。
「わっ」
前さんが驚き、風が髪を巻き上げる。
「作ろうぜ、まあとりあえず」
風によって乱れた髪。
俺の手には櫛。することなんて一つだろう。
「柔らかいな。ついでに、いい匂いがする」
「やめてよ、もう……」
恥ずかしげに体をくねらせる前さん。
「長くて、綺麗だよな」
「は、恥ずかしいからほんとにやめてっ」
ただ、そんな前さんは、本当に嫌そうには見えなかった。
ああ、しかし本当に懐かしいな。
手で櫛を弄びながら俺は帰ってきた我が家を歩く。
昔々そう、なんでも俺にやらせたがったダメ人間が渡してきたのがこの櫛だ。
その女は、いつもいつも、思いついたように俺に髪を梳かせてきたのだ。
「やあ薬師。これまた、懐かしい物を持っているね」
「そーだな」
「よし、梳け」
まあ、こんな風にな。
なんともまあ、遠慮のない台詞だ。
しかも拒否権など存在しない。
しかしまあ、なんというべきか。
「へいへい」
これもまた懐かしい話ということで。
―――
私の近くにインフルエンザ罹患者が発見されました。
移ったらやばいと思って免疫を高めようと思いはしたものの、会ったのは既に三日前。
移ってたらもう手遅れということで諦めました。
返信。
通りすがり六世様
草も食いません。空気だけ吸って生きてます。
ただの木乃伊とは別格の、厳しい修行によって自らその道を選んだ戦士なんです。
そんな彼はギリギリまだ人間です。
というか山篭りとかで健全な精神が宿っちゃったようです。
1010bag様
一応薬師も鈍感度とて少しは下がってはいるのです。少し。ほんのちょっぴり。
しかし、絶食系男子ブームって、果たして各寺に祭られている絶食系男子をめぐるのか。
それとも、大勢の男子が一斉に出家するのか、一体どっちなんでしょうね。
しかしそんな彼の出演は未定。どうなることでしょうね。
wamer様
奴は草食系の皮を被っているけどその実ドSという鬼畜ですから。仏の顔も持ち合わせてますけども。
今頃葵としっぽりなんでしょうか。難いですね、あの野郎。
そしていつもの薬師の応用力の低さが発揮されました。自分に応用できない残念さよ。
まあ、今頃モテ期来たとか言い出すような男ですから情報伝達が百年以上遅いんでしょうね。
男鹿鰆様
どうせめっちゃ痛いで済むんだから二、三回くらい食らっておけばいいのにと。
そして、あそこまでフラグ臭させておきながらスルーできる薬師の鼻は馬鹿です。
やはり支倉さんにそのご立派なそそり立つカリバーンで決着を付けてもらうしかないですかね。
あるいはまさかのブライアンとの同居。地獄の新妻ブライアン編。
最後に。
櫛刺され。