俺と鬼と賽の河原と。生生流転
春である。
熱くもなく寒くもなく、程よく運動しやすい気温。
いい天気。
「はぁっ、はあっ、ふぁ……」
「何やってんだ、魃」
Tシャツで走る魃はハマリ役だと思う。
「おぅ……? 薬師か……?」
顔を赤くして走る魃は既に息も絶え絶え。
「つかお前さんが汗かくってどんだけ動いたんだよ」
「……かれこれっ、四時間……、ほど……!?」
「阿呆か」
長距離走してんのかこの魃は。
フルマラソンか。
「あ、阿呆とはなんじゃ、阿呆とは……、ぁ」
「いや、阿呆だろ」
「というか何を普通に隣を歩いてるんじゃお主は! 悠々とっ……! 妾はっ、走っているのに……!」
「天狗舐めんな」
肉体派ではない魃とでは、基本性能からして違うのだ。
見た目普通に歩いているように見えて、車に併走していてめったら気持ち悪いとかいう技もできる。
まあ、歩幅やらの調節で色々できるというわけで、俺は悠々と歩きながら走る魃に併走する。
「で、なんで走ってんだよ。またなんかに追われてんのか?」
「追われてなどおらんっ……。少し、運動……、ぶそ、く……」
と、そんな瞬間、魃の体が横へと傾いだ。
「あ、おい」
伸ばした手も空しく、魃は真横へと倒れたのだった。
其の十八 俺と筋肉。
「んぅ……、ふ……、ぁ?」
「よう、起きたか」
公園のベンチで、魃は目を覚ました。
「どうして妾は寝て……」
「運動しすぎだ、阿呆め」
「ぬう……」
俺が魃を抱えて移動する姿はまるで人攫いだったことだろうさ。
悔しそうに顔を歪める魃は、不意に目を丸くして俺を見る。
「ところでこれは、膝枕……?」
「おう」
俺が頷くと同時、ぼん、と魃の顔が真っ赤に染まった。
「あっちぃ」
瞬間、魃が熱を発して俺の太股が熱さを感じる。
暑さではなく、熱さである。つまり熱した鉄板をくっつけたかのような熱さ。
「は、ははは、破廉恥なっ」
すぐさま飛び起きた魃。
助かった。
「破廉恥なって、お前さん。それだとお前さんが破廉恥ってことになるだろう」
「そ、そんな言い方をすると、妾がお主に膝枕されて悦んでおるようでは……、おるようでは……、……知らぬ」
何故か途中絵言葉は放棄されて、魃はそっぽを向いた。
よく分からんが、これ以上この件を追求してもしょうがないだろう。
俺は追及をやめて、他に気になっていることを問うことにした。
「ところで魃さんよ」
「なんじゃ」
「なんであんな無茶な運動してたんだよ」
そう、そこが疑問点だ。
何故倒れるような真似までして走っていたのか。
「無理などしておらぬ」
だが、つんとした態度で魃は言い切った。
「いや、倒れてんじゃねーか」
言い切るも、どう考えたって嘘だ。
これに関しては深く追求させてもらう。
すると、不本意そうに魃はこう言った。
「……無理などしておらん、と思ったのじゃが」
「つまり、いつの間にか限界を超えていたと」
「あまり、運動したことがなかったから……」
まあ、それもそうかもしれない。
部屋にずっと軟禁、あるいは監禁か。その様な状況で長らく暮らしていたならば、逃げ出した時の逃避行が一番の運動だったことだろう。
「限界がわからなかったと」
「そういうわけじゃ」
なるほど、まあ、大体分かった。
慣れてないから自分の限界もよく分かっておらず無理して倒れたと。
しかし、だ。
そうするともう一つ疑問が。
「何で、いきなり運動なんぞ始めたんだ?」
「運動不足だからじゃ」
不機嫌そうに、魃は言う。
「そうなのか?」
「……そうじゃ。妾は、たるんでおる」
言われて、俺は魃の姿を見る。
だが、よく分からない。
「本当か? 太ってるようには見えんが」
「見るがよい、この二の腕を。妾は……、ぷにぷにじゃ」
そう言って、上げられた腕を俺は見るが、よく分からん。
「見ても分からん」
「ならば触ってみるがよい。妾の運動不足を垣間見るじゃろうて」
「んー、おう」
俺は、言われるがままに魃の腕に触れる。
「ん? お? 確かに、柔らかいな」
言うとおり、ぷにぷにだ。
筋肉の雰囲気すら感じ取れない、柔らかな腕。
「ふむ……」
二の腕から、手の方へと向かって触れる場所を動かしていくが、やはり柔らかい。
うむ、いや、しかし女性の平均というのもよく分からんが。
「う……、あ……」
そんな中、ふと、魃の顔が赤いことに俺は気が付く。
「どうした? やっぱまだきついか?」
問うと、魃は慌てて否定した。
「ち、違うっ。そ、それと言っておくがの! 別に、今更になって恥ずかしくなったわけではないっ、勘違いするでないぞ!?」
「お? おう」
「うぅ……っ」
俯く魃。
俺は、一通り腕を触ってから、手を離した。
そして、手を離された魃は唐突に、俯きながら口を開いた。
「ふ、不公平じゃ……」
「何がだ?」
「わ、妾ばかり触られて……」
「お前さんが触ってみろって言ったんだろ」
「う、うるさいっ、お主も触らせるがよいわ!」
魃が、いきなり襲い掛かってくる。
まあ、つまり、俺の二の腕に向かって手を伸ばしてきたわけだ。
しかし、これといって拒否するようなものでもない。
好きにさせてみることにした。
「お? お、おおっ。硬いぞ、薬師っ」
「まあ、お前さんよりはな」
むしろ女のように柔らかい方が無理があるってもんだ。
「これが、上腕二頭筋という奴かのう……」
しみじみと触られ、なんとも言えない気分になる。
しかし、これだけでは終わらなかった。
「よし、薬師、脱げ」
「何故」
「直接触ってみたいのじゃ」
「できればいやなんだが」
「つべこべ言うでないわ」
「ぬう」
どうやら、断れない雰囲気のようだ。
てこでも動かんとばかりに俺を見る魃へ、俺は根負けした。
俺は上着を脱いで、更にYシャツも脱ぐ。
半裸になった俺へと、魃はぺたぺたと触ってきた。
「これが腹筋……、これが胸筋……、どれも、妾にはないものじゃ……」
腹、胸、首。
さわさわと、魃は手を動かしていく。
そして、魃はそのまま背中へと回った。
「……背中」
地味にくすぐったい。
手の平が、俺の背を滑っていく。
そんな中、やがて。
手の感触が変わり、俺は。
「大きい背じゃの……」
後ろから抱きしめられることになった。
魃は、頬をぴたりと俺の背にくっつけて、一体何を思っているのか。
俺は身じろぎ一つせず、どうしたものかと魃の動きを待つ。
「……温かい」
待つが、動きがない。なさ過ぎる。
もしかして、俺はずっとこのままなのか。
通報されるまでこのままなのか。
困りきった俺は、声を上げることにした。
「破廉恥」
その声は、魃にはっきりと届いたようで。
ばっと、勢いよく腕が離され、魃が離れる。
「だ、だだだだ、誰が破廉恥じゃ!」
「お前さん。いやだって半裸の男に抱きついて……」
「う、うるさい! それでは妾はお主の背に頬ずりして悦んでおるようでは……、おるようでは……、……もう、知らぬ」
ぷい、とまた魃はそっぽを向いてしまった。
だが、まあ、いつものことでもあるので俺は動じない。
「で、なんでお前さんそんなに筋肉付けてーの?」
その問いに、恥ずかしげながらも、魃は答えてくれた。
「お、お主だって……、ゆるゆるで、ふにゃふにゃな、たるんだ女はいやじゃろう?」
上目遣いで、魃が聞いてくる。
しかし、この話だが。
なんとなく、思春期の女の無理な減量に通じるような気がしないでもなかった。
「かちこちの硬い女だって嫌だよ」
「ぬ、じゃが……」
「別に、太ってるわけじゃねーっつか。柔らかい方がいいと思うぞ。少しは」
「そう、かの……?」
「無理して走るほどじゃねーって、な?」
「ど、どこで妾が何をしようが勝手じゃろうに」
わざとらしく、拗ねたような態度を取る魃に、俺はその顔を真っ直ぐに見つめて言うことにした。
「俺が心配する」
すると、魃は目を見開いて、すぐに顔を赤くし、顔を伏せた。
「ほ、本当かの……?」
「意外と本気だよ」
本格的に目が離せないとは思っている。
この世間知らず、いや、勉強中のお嬢様は、努力家過ぎていつか体を壊さないものかと。
「……じゃあ、無理は控える」
「おう、ほどほどにな」
「ん、ほどほどに鍛える」
「おう、よしよし、いい子だ」
「……もっと、誉めるがよい」
魃の頭を撫でると、もっとと要求され、俺は続ける。
「その……、薬師?」
「なんだ?」
「妾は、その……。まだ、加減が分からぬ」
「ふむ」
「だから、見ていてくれると……、その、うれしい」
撫でていない方の手の袖を、魃が引っ張ってくる。
「目を、離さないで欲しいのじゃ……」
ああ、そうだな。
目が離せなねーって、俺も思ってるよ。
「むしろ、目の届く範囲にいてくれると助かるぞ」
「……ん、そうする」
いっそ、うちに来れば楽なのかもな。
―――
というわけで魃。
常に進化を続ける恐ろしい子です。
返信。
wamer様
憐子さんはそのまま生きていれば、そのまま薬師の初恋として実ったんじゃないかと思われますが、どちらかと言えば緩やかに真綿で首を絞めに掛かる方向ですからね。
むしろ一撃の打撃力ならば山崎君以上の逸材はいないものと思われます。
さすがの薬師もプロポーズはスルーできなかったようです。
そして、あまりの素直さとか、好かれていることを知っているとかで、薬師が照れます。山崎君の一歩リードっぷりが凄いです。
男鹿鰆様
遂にでちゃったんです。ちょい役ではありましたが。どう考えてもウホッ、です。本当にありがとうございました。
そして、でた理由が手違いでも、仕方がないからって三人捕まえて掘る辺り猛者ですよ。明らかに肉食系。
山崎君は薬師のSAN値をガリガリ削っていくようです。そして発狂した瞬間教会の鐘が鳴ってウエディングロードを一直線。
もう、生首だけどというか生首だからこそいいのではないかと。
1010bag様
薬師は職質される理由だけには事欠きませんね。早くつかまってしまえばいいのに。
山崎宅は、家から勘当されて引越ししたのでホラーハウスではありませんが、きっとクローゼットの中とかにはあります。
大量のボディが。しかし、借り部屋で狭いので程ほどにと言ったところでしょうか。きっと別に倉庫を借りてますよ。
そして、もうこうなったら攻めに攻めた方がやはり効果的な模様です。バリアが敗れて物理が効くようになったみたいなので。きっと薬師には男気が有効なんでしょう。支倉さんは除く。
通りすがり六世様
何故かあの山崎君が今のところ一歩リードしているというこの不思議。
やはり男気なんでしょうか。そのあたりが肝心なのか。プロポーズにまで至れる男気があれば薬師でも倒せるのか。
確かに一番早く落とせそうではあります。あと、仰るとおり玲衣子あたりも有力かも知れません。
何はともあれ、薬師の防御力が下がり、攻撃力が上がり気味の今、一体奴は何処へ行くのか。
最後に。
公園で半裸とかおまわりさんこっちに……、いや、婦警さんが来ると不味い。