俺と鬼と賽の河原と。生生流転
閻魔の家に入るのに鍵は必要ない。
入り口の指紋認証に俺の指が登録されている以上は指一本で簡単に侵入できる。
男が女の部屋に自由に出入りできる環境と言うのは、俺が信頼されているのか、それとも閻魔の頭がお花畑なのか。
まあ完全に油断されている感も見えなくはない。
いや、まあ、確かに相手が俺であるからして間違いではないのだが。
それはそれで舐められている気がして微妙な気分だ。
そんなことを思いながら俺は閻魔の家の扉を開き、居間に入ると同時。
「……え?」
「……よう、すまんかった」
何故かスクール水着に着替えようとする閻魔と目が合った。
しかも、下は履きかけだったのでよかったが、上に関しては、完全に――。
「や、薬師さん……?」
果たして俺は生きて帰ることができるのか。
其の十九 俺とダメな奴。
まあ、なんというか。
二三度死ぬかとも思ったが意外と何とかなるもんだ。
「えーと……、取り乱しました、すみません」
「別にいいぜ。少し取り返しの付かないことになりそうだったが」
「というか途中……、首取れてませんでした?」
「気のせいだろ」
閻魔の猛攻を何とかかわし、俺はぐったりとソファに雪崩れ込む。
嵐のような攻撃の模様だったのに対し、意外なほどに部屋は綺麗だ。
まあ、こんなのは初めてではない。そのために、上手く部屋の物は荒らさずに激しく攻撃する方法を身につけたのだろう。
混乱して攻撃を繰り出さない方法を身につけて欲しかったが。
まあ、しかし、部屋が荒れて、お前さんがやったんだからと言って閻魔にやらせると何故か数段酷くなるので、その片付けは俺に降りかかる。
それを考えれば、まあ、少し苦労は減ったということで。
「で、だ」
と、まあそんなことよりも。
「お前さんは何故――」
俺は目の前のスクール水着の閻魔に問わねばならないことがあるはずだ。
「何故そんな格好なんだ」
閻魔は俺の言葉に、遂に問われてしまったかとばかりに表情を変えた。
そりゃ問うわ。誰だって問うわ。俺だって問う。
そして、その張本人と言えば。
「……制服です」
「ん?」
「これが今年の制服なんです!」
うわあ、なんてこったい。
驚愕の新事実である。
「つか、去年は?」
「セーラー服が続投しました」
「今年が?」
「スクール水着です」
閻魔の制服は投票によって決まる。
結果がこれか、と言わざるを得ない。
「今まで頑張ってきたのですが、いい加減に着ろとせっつかれまして……」
「つか、スクール水着って制服じゃないだろ」
どう考えても。水着は水着、制服ではない。
しかし、俺は地獄の住人達を侮っていたらしい。
「私もそう言ったんですけど……、水着はスイマーの制服です! と言われて、そんな気もしないでもなくなってきて……」
なんということでしょう……、純真な閻魔は巧みに騙されてしまったようだ。
「それで、女性が体を冷やすのは良くないからオーバーニーソックスの着用のこと、と譲歩まで頂いて、その誠意に応えないのも……」
いやまて閻魔それは誠意でもなんでもないぞ。
どう考えても欲望の産物だ。
「落ち着け」
「えっと……、やっぱり、そうですか?」
「やめとけ」
「……やっぱり」
閻魔が肩を落とす。
「でも、着ないと言う訳にも……」
「いっそもう今のセーラーの中に着ろよ。寒いとか言って」
これで全部解決だろう。……解決か? まあいいか。
「なるほど……、そうですね。そうします」
「そうしてくれ」
言うと、閻魔は肩の力が抜けたようにソファへと座り込む。
「……思わず、着て行くところでした」
「九死に一生だな」
「……私って、薬師さんがいないとダメなんでしょうか」
そうして、閻魔は俺の隣で落ち込み出した。
「なんだよいきなり」
「なんだか……、このままだとダメダメになりそうです。薬師さんに頼るのはいいけど、甘えすぎてるんじゃないかって」
「料理くらい作れるようになってから生意気言え」
「うぅ……、そうですよね……」
うわあ、更に落ち込んだ。
っていうかいい加減それ着替えたらどうなんだろうか。
というのはともかく、閻魔の気持ちも分からんでもない。
つまり、情けないやらなにやら、という気分なのだろう。
頼ることに遠慮して無理するなら止める必要があるが、自立したいと思うのであればそれは応援して然るべき。
というか、閻魔がじめじめして困るので、どうにかせねばならない、と言うことで。
「料理だ」
「なんですか? いきなり」
「料理するぞ」
「はい?」
「お前さんが」
「え?」
無論これは禁断の一手である。
「ほら行くぞ。行ってみようやってみようということで」
だが、勝算のない戦いをするほど俺も若くはない。
俺は閻魔を引きずりながら算段を整える。
「あの、引きずらなくてもちゃんと歩けますよっ」
「じゃあ、ほらよ。とっとと包丁持てこの野郎。今日はお吸い物と言う奴を作ります」
「いやっ、その、薬師さん?」
「なんだ」
「しょ、正気ですか?」
「自虐か」
「いや、でも、客観的に見ればどう考えても……」
「安心しろ、ちょっとした考えもある」
俺は閻魔を台所に立たせ、エプロンを着けさせる。
閻魔は抵抗するが、無視である。
「あ、ちょっと、自分で着れますよ」
「黙れ、何があるか分からん。エプロンを着ける時点で何が起こるか」
「だ、大丈夫ですっ、……とは言えない辺り、なんともいえません……!」
そうしてエプロンを着けさせた後、俺は冷蔵庫から適当に食材を取り出す。
とは言っても具は麩とネギだけでいいだろうから冷蔵庫からはネギだけだ。
その後は、俺はまな板と包丁を取り出し、まな板にネギを乗せて包丁を閻魔に持たせると、俺は閻魔の背後に付いた。
そして、俺は閻魔の手に手を重ねる。
「……えっと、その……、薬師さんっ?」
「力抜け」
手を重ねて、閻魔の手を後ろから動かして、ネギを切る。
これが俺の勝算だった。
要するに、あらゆる動作を俺が制御することによって閻魔の関わる部分を限りなく削り取り安全に調理を行なうのである。
が。
「……おい、もっと力抜けよ」
「む、無理ですよ、そんな……、後ろから抱きしめられてるみたいで、お、おちつきません」
がちがちに固まる閻魔。なんともやり難いったらない。
「あっ……、薬師さんっ、乱暴にしないでください」
「むぅ、もう少し力抜けないのか?」
「み、耳元で喋られるとっ……、ダメ、ですっ」
よく見たら耳まで真っ赤である。
なるほど、閻魔のこういう慣れまでは考慮してなかった、と思いつつも、ぎこちなく食材は切れていく。
今のところネギに問題はない。
「……そういえば私、水着なんですよね」
「なんだ?」
「……なんでもないです」
そう言って閻魔は俯く。
「手元は見てろよ」
「……はい」
「次は調味料だ」
とにかく楽に作れると言うことで俺はお吸い物を選択したのである。
しかもお吸い物のみ。
それでも作れれば格段の進歩ではある。閻魔に自身も付くだろう。
というわけで、残りの工程はほとんど調味料をお湯にぶち込むだけだ。
「出汁はだるいから素を使うぞ」
「はい、って封くらい切れますからっ」
「いや、心配だ。お前さんは一人で何もするな」
「もうっ、過保護ですよう……、それに、なんか、熱くって……、倒れそうです」
「そんなに暑いか? 最近寒いからって暖房でもいれてんのか」
「そういう意味じゃないです……」
よく分からん。
と、そんなことよりも、だ。
鍋に水入れて、湯を沸かす。
そしたら閻魔と共に出汁の素を入れて、調味料を適当に叩き込む。
「け、計量しなくていいんですか?」
「んー、だるい」
感覚任せ、あとは味を見ながら調節するってもんだ。
「ま、あとは調節して器に入れて、麩とネギいれて終いだ。な、簡単だろ?」
「そうですね、意外となんとかなりそうです」
その声は少しだけ嬉しげだ。
「うーむ、そこそこいいか、お前さんもちょっと味見ろ」
そんな閻魔へと、少しだけつゆを入れた小皿を渡す。
「えっと……、これって、間接キス……、ですよね」
「どうした?」
「なんでもないです」
言って、閻魔が味見をする。
「どうだ?」
「大丈夫ですよ」
「そか、じゃあ、ほとんど完成だな」
「はい、そうですね、では、次はお茶碗ですか?」
「そうだな」
言って、俺たちが背後へ振り向く。
そんなときに、板張りとニーソックスが滑ったか、閻魔の体が前へと傾ぐ。
「あ……!」
その閻魔を、俺は何とか抱きとめた。
「大丈夫か?」
「は、はい……!」
あー、しかし、小せえなぁ……。こんなのの両肩に地獄が掛かってるってんだから、できるだけ閻魔には心穏やかでいて欲しい物だ。
「その、大丈夫ですから……、離してください」
「お、すまん」
益体もないことを考えているうちに、ぼうっとしてしまっていたようだ。
俺は、閻魔を離して、先ほどと同じように閻魔に手を重ねて食器を取る。
うむ、後はやはり器に入れるだけ。
順調だ。
と俺達が振り向いたその瞬間。
「……おい」
俺が目にしたのは――。
ぐつぐつと煮えたぎる粘度の高い黒い液体だった。
どうしてこうなった。
少し目を離しただけだというのに。
「薬師さん、やっぱり……」
閻魔が、悲しげな表情を見せる。
まずい、これでは意味がない。
「まて、落ち着け。これでも意外と美味いかも知れないという希望を捨てては行かん」
……味見だ。
俺はお玉でその黒き粘つく液体を掬い取り、喉へと流し込む。
もう、お玉を鍋に入れた時点でアレだった。お玉が中々沈まないのである。粘性のある液体はお玉へと抵抗を見せてくれた。
で、そうして、流し込んだ液体はと言えば。
「あ、これヤバイ。まじやばい」
天井が見える。
「薬師さん!? 薬師さん!? 息……、してない!!」
ぬ……、う。
「げほっ、ごほっ、ごほっ」
咳き込みながら目を覚ますと、目の前には閻魔がいた。
「だ、大丈夫ですか!?」
顔がやけに近い。
「なんとかな……」
しかし、やられた。
あの液体、味はそうでもない。確かに美味くはないが気絶するほどではなかった。
だが、問題はその特製だ。
奴は喉で固形化し、膨張した。
つまり完全自動で喉に詰まるお爺ちゃんや子供の敵である。
そしてもう一つの問題が、気絶するほどの、固形化時の臭いだった。
突如息ができなくなると同時、鼻に直撃する危険な刺激臭の連続技。
固形化した物体はなんとか俺の喉の中に風を起こして粉砕したが、臭いまでは手が回らず、気絶である。
むしろ閻魔と戦闘したときより危なかった気がする。
「よかった……」
「おい、なんて顔してんだよ」
泣きそうな閻魔の頭を、ぽんぽんと叩く。
「だって……、全然起きないから……」
「この通り、ぴんぴんしてるぜ」
「はぁ……、本当に良かったです」
「ところで、顔が近いぞ」
言うと、閻魔の顔は心配と涙目から、一気に赤く照れた顔に変わる。
「えっ、そ、それは、さっき、人工こきゅ……、なんでもないですっ、本当です!」
「そーかい」
ばっと後ろへと下がった閻魔を見て、俺は身を起こす。
どうやらソファに寝ていたらしい。
そして、今一度閻魔を見ると、今度の閻魔は無駄に暗い空気を纏って落ち込んでいた。
「……はぁ、にしても、やっぱり、ダメなんですね……」
まあ、確かにあそこまでやられてはなんと言うか人智が及ばんと言うか、人間やめてても及ばんと言うか。
しかし、参った。
閻魔が更に落ち込んでしまった。失敗である。
「まて、ここは逆に考えるんだ。料理なんてできなくていいやと。料理なんてできなくたって生活は可能だ」
「いや、まあ……、そうですけど」
しかし、エプロンスク水ニーソでぺたりと座り込んだ閻魔に上から語りかける俺という図は中々アレだとは思うが気にしてなどいられない。
「つかもう、ほらダメダメでいいんじゃね? 俺は構わん」
俺が言うと、閻魔は自嘲気味に笑った。
「それで取り返しの付かないことをして、私が地獄の皆さんから追われる立場になったらどうするんですか」
そんな笑顔に、俺はにやりと笑って返してやる。
「匿ってやるよ。それとも、俺と地獄の果てまで逃げてみるか?」
そんな台詞に、閻魔は呆れたように笑ってくれた。
「そうやって、女を駄目にするんですね……」
「男を甘やかして駄目にする女ってのは人聞きが悪いが、男がやるなら甲斐性だ」
「物は言いようですね」
「おうとも」
「……じゃあ、お腹が空きました。何か、作ってくれますか?」
ソファに座る俺の袖を、床に座っていた閻魔が引っ張る。
「おう」
「なにか、元気の出る物が食べたいです」
「任せとけ」
「お願いしますね、薬師さん――」
俺は閻魔の声を背に、閻魔の好きなものを脳内に列挙していくのだった。
―――
言われてみれば、長いこと出てなかったので、閻魔妹の予定を変更して閻魔です。
そして、インフル掛かって以来何故か夜更かしができなくなりました。
めっちゃ健康体ではあります。
返信
男鹿鰆様
魃の進化は止まらないようです。一体何処まで行こうと言うのか。果たしてこれは花嫁修業の範疇なのか。
しかしTシャツに関してはやはりろくでもない奴を着てます。しかし、薬師の慣れと諦めによって今回は特筆されませんでした。
閻魔は、言われてみれば出してませんでしたね。閻魔妹は元々の予定で入ってましたから次あたりにでも。
三人くらいに分身できたら好きなだけキャラが出せるんですけどね。毎度誰で行こうか迷ってます。
最後に。
セーラー内にスク水という格好を強要する薬師はマジで歪みねぇです。