俺と鬼と賽の河原と。生生流転
俺に被虐嗜好があるかと言われれば答えは否だろう。
別に隷属したいだとか、痛みを受けたいだとかそういった願望はない。むしろ、自由に、そして、いじめられるより弄って遊びたい方だ。
まあ、無意識下の願望だの、深層心理などと言われては偉い学者先生ではない俺にはどうすることもできないが、とりあえず今現在の表面的な部分としてはそんなことはないのである。
だがそうすると不可解だ、この状況は。
俺にかような趣味はなければ相手もいない。
だと言うのに何故か、俺の首には首輪が巻かれていて。
そこからは手綱が垂れ下がっている。
不思議なことにそれは取ろうにも取れず正に徒労。
そんな詰まらんことを言いたくなるほどに不可解にも首輪だった。
「……なんだこりゃ」
其の三 俺と首に嵌ったなんか輪。
「薬師様。薬師様……?」
きっと中々起きて来ない俺を、藍音は起こしに来たのだろうが。
貴様、今二度見したな。
いや、気持ちはわかるぞ。
いきなり大の男が首輪して出てきたら引くわ。
俺なら引く、誰だって引く。
「……おはようさん」
そうして、見詰め合うこと数秒。
「おはようございます」
何故か、手綱を握られていた。
そして、何事もないかのように藍音は歩き出す。
無論、俺も歩かないと首を痛めることだろう。
「なあ、お前さん……」
この格好に何か違和感や心当たりはないもんかと聞こうと思ったのだが。
「何でしょう。今の私はこの上ない背徳感に打ち震えております。本来逆である立場が今ここに奇跡的に現れ、ありえないはずのことを――」
「……いや、お前さんが楽しいならいいや」
このどうしようもない首輪で楽しんでくれたなら僥倖だ。たぶんきっとそれでいいのだ。
そうして、藍音に先導されるような構えで俺は居間に着く。
「では、朝食を盛り付けますので」
「おう」
藍音が俺の手綱を放し、俺は自由を手に入れ……、憐子さんと目があった。
「薬師、なんだソレは」
「……なんだろうな、これは」
「いや、しかし、ほほう、ほう……」
憐子さんがソファから立ち上がり、近づいてくる。
ああ、いやな予感が。と思った瞬間には俺は手綱を掴まれていた。
「……なぜだ」
「まさか、薬師が私に飼われたいとはな。いい世の中になったものだ」
「いや、ないから」
「しかし、薬師が首輪をつけて現れるなど鴨がネギを背負い現れるかのようなシチュエーションだぞ? これは」
どんな状況だよ。
それに憐子さんに飼われたら最後餌なんて絶対出ないぞ。むしろ、憐子さんの餌を用意せにゃならん。
「憐子さんにだけは飼われたくない」
「そうか、コレはお前からの首輪を付けろ犬畜生という遠まわしなメッセージだったのか。すまなかった、気付かなかったよ」
「安心しろ、そんなもの出していないから気付いてないのも当然だ」
「そうならば言ってくれればすぐにでも」
「どこからそんな首輪を」
「ほら、お前の手で付けてくれ。お前のためなら、どんなケダモノよりも卑猥で淫猥に啼いてやろう」
「いりません」
憐子さんが渡してきた首輪を俺は明後日の方向に投げ捨てて呟きをもらす。
「馬鹿なことやってないで朝飯食うぞ」
すると、憐子さんはわざとらしく溜息を一つ。そして、肩を竦めて見せた。
「仕方ない。またの機会にしよう」
「またの機会は要らん」
「今がその時か」
「何故だ」
手の中に霧のように集まり生成される首輪を再び俺は放り投げた。
まったく参るぜ、と思ったら、俺の手綱を掴む人影が一人。
「季知さん?」
「……た、他意はないっ」
「じゃあ、何があるんだよ」
「つ、掴んでみたかっただけだ……!」
今日も俺とは違ってばっちりスーツが決まっている季知さんは、頬を赤くしながら俺の手綱を放した。
一体何なんだ。掴んで引いたらぱっくり割れて中から紙ふぶきと垂れ幕が出てくるとでも思ってんのか。
よしんば出ても体に内蔵されたもんだけだぞ。非常に気持ち悪いわ。
「にゃんかご主人が変なことしてるー。いえー、主従逆転」
ええい、俺の手綱大人気だな!
「ご主人とお揃いー」
「ふむ」
「おい、憐子さん、涼しい顔で首輪を装着するな」
「れ、憐子、私にもそれを――」
「季知さんも乗らなくていい」
「楽しいねっ、ご主人!」
「あーはいよかったな。それと、俺はちょっと銀子起こしてくるわ。一発入れたらすぐ戻る」
先ほど降りてきたばっかりなのだが、しかし俺はふと犯人に思い当たって一度戻ることにした。
こういう事態において犯人と言えばアレである。
それに、うちの面子は犯行を行なってばれないようにおどおどするタマではない。
むしろ、愉快げに犯行声明を上げてくる派閥である。つまり、この場にいる面子の仕業と言う線はなくなった可能性が高い。
「銀子、銀子、起きろ、そして死ね」
無論、確定だと言い切ることはできないが、今現在もっとも怪しいのはこのちょっと女としてはどうなのという風体で眠っている銀子である。
「んー……」
眠そうに目を擦る銀子は、どうにかと言った風に目を開けると――。
俺の手綱を器用に掴んで引っ張った。
「……おい銀子。おとなしく手を放して自分のやったことを話せ。さもなくば尻を十ほど叩く。尚上下百発までは誤差の範囲内だ」
「……ん」
「なぜ黙って尻を突き出す」
「我々の業界ではご褒美です」
「止めろはしたない」
銀子は無意味にでかいトレーナーを着ていて、普段は膝上まで隠れているのだが、こうして半分寝そべりながらも尻を突き出すと言う姿勢状、青少年の教育上よろしくないものが見えている。
「叩かないの?」
「上下百発の誤差の内下十発の誤差が出た」
「そう」
そうして、やっと銀子が身を起こし起床する。
「で、お前さん、この首輪に見覚えは?」
「……なにそれ。わ、ほんとだ、やっくんが首輪してる」
そんな銀子は極めて自然に手を伸ばして俺の手綱を再び掴む。
「やっぱ叩く」
「どうぞ」
「やっぱいいわ」
「わがままさんめ」
しかし、そうすると銀子ではないのだろうか。
普通銀子ならば、『そうだ、私だ』と言うか、果てまた目を逸らして『ななななんのことやら』と言ってくるはずだ。
何の違和感もなく嘘を吐けるような技術は銀子にはない。
仕方ないのでとりあえず飯を食おう。
銀子を置いて、俺は一階へと戻る。
そして、いつものように飯を食う。
意外と、気にならんもんで俺の首輪は日常に溶け込んでいた。
何故かみんな握りたがる以外は特になにもない。
これなら意外と何とかなるんじゃないかと俺は玄関に立つ。
「お父様、お父様……?」
「おう、なんだ我が娘よ」
ぎゅ、と振り向いた瞬間には手綱を握られていた。
「よ、由美?」
娘は、そのまま駆けていく。
ああ、なんなんだ一体……。
皆してそんなに俺の手綱を握りたいのか。
いい年こいて今だ嫁も貰わずふらふらしてるから悪いのだろうか。
「とりあえず、……はあ、仕事いくか」
このままで?
このままで。
「……薬師、なにそれ」
「首輪だ。そして手綱だ」
「えっと……」
「何故握る」
「と、とりあえず?」
前さんにすら握られてしまった。
本当にもうこれどうしようか。
「は、反応薄いね。もしかして怒った?」
「いや……、朝から皆同じ反応なんで俺が飽きてきただけだ」
「あ、うん……、そうなんだ」
皆して同じことしかしやがらねえ。
じゃあ、コレ見てなにしろという話ではあるが。
手綱であや取りとか意外性が、いや俺の首が絞まるか。
いや、しかし、と意外性のある反応を俺が考えていると、前さんは唐突に口にした。
「うーん、でも、薬師がペットショップで売ってたり、道端に捨てられてたら、飼っちゃうなぁ」
……意外性ありすぎて反応に困るぞ。
「……ああ、それは私もわかるぞ」
季知さん、どこから出てきたんだお前さん。
そして、マジでついていけない俺がいた。俺の話なのに。
「とりあえず、餌だな。当然と言わんばかりに普通に食べるが、文句も言わない」
「うん、分かる分かる。そして、お風呂に入れてあげたら文句たらたら言いながらも結局従ってくれて洗ってあげてる間はなんにも言わずに黙ってるの」
「ああ、分かる。そして、構い倒そうとしたらそっぽを向いて不機嫌そうにどこか行ってしまうんだ。でも、しばらく落ち込んでいると不本意そうに出てきて、構わせてくれる」
「うん、分かる。いいなあ、飼いたいなぁ」
……何の話ですかお嬢さんがた。
俺だよな、俺だよな、内容は。本人が少しもついていけてないぞ。ハングライダーで戦闘機を追いかけてるみたいだ。
向こうは俺のこと眼中になく二機で空戦してるし、みたいな。
それともあれか、皆俺を踏みつけたりして屈服させたい願望でもあるのか。
「おっと、私は仕事に戻る」
「ん、頑張ってね」
「ああ、そちらもな」
「……って、薬師、どうしたの?」
「俺にもよく分からんがなんか落ち込んできた」
肩を落とし、無言で石を積み上げる俺。
一体俺とは何なのだろうか、自分を見失いそうである。
そんな折、俺の隣に座った前さんが、ふと、俺に問うた。
「ねえ、薬師」
「……なんでごぜえましょう」
「あたしに飼われてみる?」
冗談っぽく、前さんは笑って俺の手綱を握った。
「……三食付いてそれなりに出かけれて働かなくていいなら考える」
「あはは、そっか」
そう言って、前さんは笑った。
笑って――。
「ねえ薬師、所で薬師って幾らくらいするのかな!」
「落ち着いてくれ。目がマジだぞ。冗談だったんだ」
最終的に首輪は引きちぎりました。
「薬師様、薬師様、起きてください」
涼やかな声が聞こえて、俺の意識が浮上する。
朝か……。そう思って俺が目を開けると、なんだか、よく分からない紐のようなものを握っていた。
「……おうさ。藍音……、藍音……?」
思わず、二度見した。
……首輪と、手綱である。
「……どうかそのままお手を離さずに」
「……お、おう」
なんだかよく分からんが俺は手綱を握ったまま立ち上がる。
そして、藍音を先導して歩き出した。
「……なあ、藍音」
「なんでしょう?」
なんだこれ、それでいいのか、と聞こうと思ったのだが、凄くご満悦な藍音がいて、俺はその問いを腹の奥へと戻すことにした。
「……いや、お前さんが楽しいならいいや」
どうしてこうなったんだ、そう思いつつ俺は居間へと辿り付く。
すると。
「ご主人ご主人、握って握ってー!」
「さあ、握るんだ薬師」
視界に移る全ての首に、首輪。
由美や季知さんに至るまで、照れながらもその首から手綱を垂らしている。
「ああ、もう、なんだ……」
流行ってんのかそういうアレが。
「む、薬師か。先日はありがとう、いいデータが取れた。ついでに首輪がよく売れた」
「お前のせいか下詰」
「ああ、そうだ」
「……殴っていいか」
「遠慮しよう。お詫びとお礼、と言ってはなんだがこれをやるから」
「なんだよその小瓶」
「女を正直にする薬だ」
「……いらねー」
「何を言うか。その薬は俺特製であると。お前なら何かと使い道も……」
「効果保障済みだから怖いんだろうが」
「ふむ、ではそこのバトルドームもつけるといったら……?」
「いらねーよ」
「止めたまえ。この風を下詰の顔に向かって、シューーーッ!! というのは良くないであろう。色々と超エキサイティングすぎる」
「いいんだ。今この瞬間は俺が全てだ」
「ではこのシャムワェをやろう。どんな頑固な汚れもこのシャムワェを使えば……、アメイジーング! 世界ごと消し去るぞ」
「要らんわ。使わんわ使えんわ」
「効果は保障しよう。これも俺の特製だ」
「保障せんでいいわ」
「仕方がない。では後でまた別の品を用意しておこう」
「あー、はいはい。まともなもん期待してるわ」
「では、また」
「おーさ」
―――
ほのぼの多めで行きたかった。結果どうなったかはお察しください。
返信
とおりすわり様
すみません、どうやらスレ移動時になんか入れ違いになってしまったみたいで、反応できませんでした。
今スレももうほのぼのラブコメってなんだと迷走を続けたいと思います。
薬師は、唾つけときゃ治る派に見えて消毒液があればぶっ掛ける派です。多分憐子さんの怪我とか世話してた影響でしょう。
ちなみに、百五十一の後は普通に続きなのである意味あれも百五十一話ということで。
男鹿鰆様
うっかり節分ネタを踏み忘れましたがバレンタインは外せません。閻魔のチョコはきっと薬師じゃなかったら四散します。ふふふ、うちは環境柄野郎しかいないので、家族分以外はゼロというかゼロじゃないと怖いです。
そりゃあ、本命チョコのお返しは楽しいでしょうねぇ。閻魔様ちょっとチョコレートレベルアップさせてください。戦略兵器レベルに。
創作活動の方、応援してます。お節介ですが、何かありましたらいつでも気軽にどうぞ。とは言えど、あんまりここで交信するのも誉められたことじゃないんで、うちのサイトのウェブ拍手やメールでどうぞ。まあ、自分もあまり偉そうなこと言えた立場じゃないんですが。
リーク様
バレンタインが近づくとバレンタインイベントかかなきゃと思います。毒されてます。
しかし本当に奴もマメというかなんというか面倒くさがりとかもうそれ詐欺だよね、足しげく喫茶店に通うとか落としに掛かってるだろみたいな。
通うとかもうアレですよね、徘徊系ギャルゲでロックオンしてますよね。
ビーチェさんはどちらかというと薬師よりも周囲に銃口を向けそうです。
ヒロシの腹様
新スレに移動したせいで色々タイミング取りが難しくなったことに気付きました。
新スレ始まってそんなに早くていいのか、見たいなことになってます。
主にじゃらじゃらと店主シリアスです。始まっていきなりシリアスとか重いわ! とか開始早々じゃらじゃらとかもう俺と鈴と只管じゃらじゃらにタイトル変えるか! とか思ってタイミング計ってます。
暁御さん? 彼女ならあの時も薬師の背後にいましたよ。チョコレートは透けて持てなくなりました。
通りすがり六世様
バレンタインデーはやらないわけには行かないと思うのです。ジャンル的に。
そして、節分は逃しました、うっかり。去年辺りは薬師が撒いてましたけどね。でも地獄ではメジャーじゃないみたいです。
とりあえず、ビーチェのチョコの渡し方も凄いし薬師の受け取り方も凄ければ、飛来して摩擦で溶けないチョコも凄いです。
どこぞの生首さんはバレンタインデーのチョコは私ということに付いてよく理解してないみたいです。きっと同僚に変なことを吹き込まれたんじゃないかと。
七伏様
チョコレートは私の身体で……、というお決まりでお約束のシチュエーション。
ここは本当にボディを渡せる山崎君しかありませんね、やっぱり。
山崎ボディは人間の体と寸分違わず作られており、しかもしみ一つない白い肌に均整の取れたボディバランスと、至れりつくせりです。
が、どう見ても質のいいダッチワイ……、いえ、なんでもありません。
最後に。
新スレに移行したせいでいつ店主シリアスに入っていいのかタイミングを逃しました。