俺と鬼と賽の河原と。
ある日。
道を歩いていると、聞き覚えのある声が届いた。
「ち、遅刻、遅刻にござる!!」
この時点で誰だか知れてしまったが、一応声は曲がり角の向こうから聞こえていて姿は見えない。
しかし、曲がり角で遅刻を宣言とはなんと古いのだろうか。
そうすると、俺は角を出たところで山崎君と衝突し、彼女か俺が学校に転入することになるのだ。
が、しかし。
しかしである。
一つわかったことがある。
角でぶつかった相手が。
「……うわぁ」
馬を駆る首なしライダーだった場合。
きっと学校に行くことは叶わないだろう。
蹴られて死ぬか、良くて入院、そして留年。
更に言えば、そんな相手に、できれば近寄りたくないだろうなぁ、と。
俺は蹴り飛ばされながら思ったのである。
番外編 ならば首輪でも嵌めろと言うのか。
そんなことがあった次の日の出来事である。
「薬師殿、やくしどのー!」
「どうした山崎君」
駆け寄ってくる山崎君。
彼女は俺の前で立ち止まると、何故か頭を差し出してきた。
「……どうしろと」
「……いえ、少々間違えただけに候」
青銅色の長い髪が揺れて、持たれていた頭がまた抱えられる。
「渡したいのは、こちらにござりまする」
そう言って彼女が渡してきたのは。
「……なんじゃこりゃ」
「花にござりまする」
「それで、花を?」
「薬師殿に贈っている次第」
「俺に?」
今ひとつ要領を得ないまま、会話は続く。
「なんでまた」
俺に花など贈られたところで、という話である。
「花屋の花が綺麗だったので」
こんなむさい男に花など寄越して何をさせようというのか。
「貴方に、花を」
「……ちょっと男前すぎるだろう、山崎君よ」
無骨な青銅の鎧が、花を俺へと差し出している。
その動作は気障な感じに様になっていて、俺はほとほと困り果てた。
それを見て、不安に思ったのだろう、山崎君がそれを隠そうともせずに俺に問う。
「受け取って……、もらえませぬか」
なんと言うか、相変わらず不器用というか、なんというか。
だが、俺はそんな山崎君が嫌いではない。
「まあ、落ち着け。とりあえず生けておいてはやる。だからそんな顔しなさんな」
「そ、そうでござるか!」
ぱっと表情を変える山崎君に、俺は苦笑を一つ。
「流石薬師殿! お優しい、それでこそ拙者が惚れたお人にござる!」
だが、そんな言葉に、苦笑は半眼に変わる。
「……そういうのはやめてくれ」
「そういうの、とは?」
山崎君は、本気でわからないようで、きょとんとした表情を見せている。
ああ、なんて奴だ。
俺に羞恥を強制してくるとはこの野郎め。
「くすぐったいからだよ、馬鹿野郎」
「……そうなのですか?」
俺は、山崎君から目を逸らして、ぶっきらぼうに言い放つ。
「あー、そうとも。言わせんな阿呆」
すると、何故か山崎君は嬉しそうで。
にこにこと俺を見てくるのだ。
「なんだよ」
俺が問うと、彼女は素直に答えてくる。
「嬉しいのです」
「なんでだ」
「きっと、それは私が薬師殿の優しさに触れるたびに感じるものと、同じものにござりましょうから――」
頬を赤らめて、山崎君が俺を見つめてくる。
あまりに真っ直ぐに見つめてくるせいで、俺の頬も、熱くなる。
まったくもって、頭を抱える他ない。
「……そーかもな」
ああ、まったくどうしたものだか。
まあ、なんというか、困るのだ。
「薬師殿! どうしましょう!!」
「なんだよ」
「今気が付いたのですが、拙者、エンゲージリングの意味がありませぬ!」
想像以上に世間知らずで、馬鹿で不器用でどうしようもない生首が、山崎アンゼロッテである。
そんな生首が、縁側で俺の隣に転がっているのだ。
ただただ、俺に恋慕の視線を向けて。
「いや、付ければいいだろ、身体の方に」
「そもそも、心臓に一番近い指に付けるのがエンゲージリングでござる。そして、拙者、本体は首から上故……」
……まあ、確かに。
しょっちゅう変わっている上に、使い捨てにもされる身体だ。
それに結婚指輪というのも、確かに微妙だろう。
「ぬうぅ……、これは由々しき事態」
「そんな一大事か」
すると、彼女は必死な目を俺へと向ける。
「これは乙女の一大事!」
「そーかい」
受け流す俺へと、不満の目を向ける山崎君。
頬を膨らませ、拗ねたように俺を見る。
それを受け流して俺は言う。
「だがな」
「なんでござりましょう?」
「そもそも嵌める予定があるのかと」
「贈ってくれぬのですか?」
「何故だ」
「わかりました、なれば拙者が贈りまする」
「何故そうなる」
「愛しているからです」
「そーかい」
と、そこで、背後の襖が開く。
何が来たのかと思えば山崎君だ。
正確には山崎君(体)だ。
何故か抹茶色の和服で、その体は俺の隣に茶を置いていく。
「台所を借りもうした」
「そうかい」
意外と、山崎君の淹れたお茶は美味い。
「……ああ、それにしても、婚約指輪を嵌める指がないとは、一生の不覚」
お茶を啜る俺を余所に、山崎君は悩ましげに顔を歪める。
「ぬうぅ……、一体どうすれば……」
冗談ではなく、本気で悩んでいる馬鹿なのだということを、俺は知っているのだ。
だから俺は、溜息を一つ。
「薬師殿……?」
疲れた顔で、俺は山崎君の頭を撫でる。
想像以上に世間知らずで、馬鹿で不器用でどうしようもない生首が、山崎アンゼロッテである。
だが、それが可愛く見えてきた俺の目は腐っている。
まったくもって由々しき事態だ。
本当に末期だ。
『でぇと致しましょう。明日、十時にいつもの公園でお待ちしておりまする』
そんな筆で書かれた手紙に対し、のこのこ応じてしまうのは、手紙を今更送り返しても手遅れであるせい、だと思いたい。
「薬師殿、今参った次第。待ったでござろうか」
今日の山崎君の体は線の細い少女のもので、黒いゴシックロリータと呼ばれる型の服を着ている。
首は、何故か包帯で体に固定され、ぱっと見ならば首に怪我を負ってるだけの一般人に見えることだろう。
「首、今日は固定で行くのか?」
なんとなく俺が問うと、彼女は少しだけ寂しげな顔をした。
「薬師殿は、分け隔てなく付き合ってくれまするが……、人目につく時はこちらの方が良いでござろう?」
なるほど、気を遣われているのか。
「最近気付いたのござるが、拙者は良かれど、生首女とでえとすると奇異の視線に晒されましょうから」
その言葉が、何故か微妙に気に食わなかった。
俺はそれを誤魔化すように山崎君を急かす。
「で、どこ行くんだよ。今日はなにか考えてきてあるんだろうな」
「ああ、それなら水族館へ参ろうかと」
「ほう、水族館ねぇ。ま、いいんじゃねーの?」
山崎君にしちゃ随分まともな選択だと言わざるを得ない。
そうして、俺は手を引かれるままに水族館へ向かったのだった。
「楽しみでござるな!」
「そーだな」
はしゃぎ気味の青銅色の長髪の少女を隣に、俺は水族館の門を潜る。
内部に入れば、すぐに魚が出迎えた。
「おお、魚でござる、薬師殿!」
「そーだな。魚だ」
「ぬぅ……、薬師殿は楽しくないのでござろうか」
「俺としちゃ、酒の肴の方が好きでな」
だが、水族館というのは、魚を見るのが楽しいというよりはこの青で彩られた薄暗く幻想的な空間に酔うのが楽しいのだろう。
それこそ、水槽の中身を肴にして。
「まあ、だが、水族館はともかく、お前さんといるのは退屈しないぞ」
「そ、そうでござるか……。それは、重畳」
照れくさそうな山崎君の手を引いて、俺は歩みを進める。
「おお、今、イルカショーがあるようで」
「見るか?」
「是非」
「わかった」
行き先は、そのイルカショーとやらの会場へ。
会場に着くと、既にイルカショーは始まっていた。
「おお、イルカが舞っていまする!」
「そーだな」
右へ、左へ、時には跳んで、イルカショーは正にそれそのものである。
ふむ、イルカと言えば、分類上鯨と変わらないとかなんとか。
ならばクジラショーでもやってみたら……、シロナガスクジラでやったが最後水浸しだろう。
それにしても、今日の山崎君はあれだ。客観的に見ても可愛らしい。これは俺がもうダメだとかいう問題ではなく。
今の、イルカショーを見てはしゃぎ、身を乗り出す山崎君は誰の目から見ても可憐に映ることだろう。
きっとこれが、ちょっとした衝撃でぽろりすることなんて、誰もわからない。
「可愛いですな」
なんて益体もないことを考えていたせいだろうか。
「ん? いや、それよりお前さんの方が……」
要らん台詞がぽろっと。
「……は?」
「忘れろ」
そうして時間が経ち、日も暮れるという頃。
「喉が渇いたので、何か買ってきまする」
「いや、俺が……」
「お気遣いなく」
そう言って、山崎君がぱたぱたと駆けて行く。
俺が行くと言う暇もなかった。
仕方ないので、俺はぼんやりと立って待つ。
駆けて行く背が見えなくなって、俺は壁にもたれかかった。
そして考える。
俺は山崎君が好きなのだろうか。
……うむ、どうなんだろうな。
色々思索に耽るが答えは出ない。
そもそも、何で俺はこんなに迷っているのか。
簡単だ。初めてだから自信がないのだ。
なんの確証もないから答えが先延ばしなのだ。
「どーしたもんだか……」
ぽつりと呟いて、そんなことを考えているうちにちょっと待っているが、待ちぼうけに変化したことに気が付く。
幾らなんでも飲み物を買いに行ったにしては時間が掛かりすぎな気が。
「どこだ?」
気になって、俺は探しに歩き始める。
まあ、別にいい大人だから放っておいても大丈夫なのだろうが。
それでも心配なのはやはりそうなのか。
それとも、放っておけないほど危なっかしいだけか。
果たしてどうなのだろうか。
考えている内に、あっさりと彼女は見つかった。
数人の男に囲まれているという状況で。
「あのー……、拙者は……」
「拙者? 拙者だってこの子、可愛いねぇ」
「いいじゃんいいじゃん。一緒に遊ぼうよ」
三対一で心理的優位に立ち、気が大きくなっているのか、彼らは強引に山崎君の手を引き、連れて行こうとする。
「さ、行こうよ。退屈させないよ?」
「困りま……」
「待て」
それを見ていたら。
色々と考えとか、悩みとか、一通り、吹き飛んだ。
「薬師殿っ?」
いいだろう、なるほどよくわかった。
年貢の納め時ということか。
ああ、よくわかったとも。
「これは」
俺は言いながら、山崎君の頭に手をやり。
そして。
――首を引っこ抜いた。
「……え」
固まる一同。
驚きのままに、彼らの一人の手も離れる。
「これは俺んだ」
そして、山崎君の首を抱き寄せ、体も手を引いて、こちらへ寄せる。
「……誰にもやらんよ」
そして、山崎君を連れて、俺は踵を返したのだ。
夕暮れの道へ出て、帰路をまったりと歩いていく。
「や、薬師殿……!?」
「……だまらっしゃい。何も言うんじゃねー」
やっちまった。
ああ、これが手遅れって奴か。
「なあ、山崎君」
「え、あ、なんでござりまするか!」
「結婚指輪、これでいいよな。指輪じゃねーけど」
……まあ。
都合よく指輪と対になったピアスを用意してしまった時点でもう手遅れだったとは思うのだが。
その時は本当に何の気なしに、なんとなく、ぼんやりと下詰に拵えてもらったのだが。
今となってはその当時から随分と参っちまっていたということだ。恥ずかしいったらない。
「……え? え? ……ええ?」
「どーした、 今更お断りされたら泣くぞ」
「そっ、そんなこと、するはずがっ、でも、え? まことで?」
「うるさいぞ。冗談でこんな真似ができるか」
真っ赤になった顔と、潤んだ瞳で、俺の腕の中の山崎君が見上げてくる。
「その、薬師殿……?」
「なんだ」
「付けて……、くださりませぬか。貴方の、手で」
気恥ずかしくても、その言葉に否を返す理由はなかった。
むしろ、それは待たせすぎた俺のけじめというやつだろう」
「……おう」
俺は、山崎君の髪に触れ、そして更に、耳に触れる。
「んっ……、あぅ……」
元々あったピアスを外して、俺は持っていたそれを手に持って、もう一度彼女の耳へと触れた。
「……ぞくぞく、しまする……」
そして俺は、彼女の耳にそれを嵌め込んだ。
まるで指輪みたいな、輪になったピアス。
「付いたぞ」
「……ん、はい。薬師殿」
「なんだ」
「これから、夫婦になりましょう」
「……ああ」
「不束ものですが、よろしくお願いしまする――」
「ところで、下詰にどうせなら首輪はどうだってそっちも渡されてるんだが」
「両方付けると致しましょうぞ!」
「……マジで?」
「にゃー」
結果、俺は人生の墓場に削岩機で穴掘って自分で埋まったのである。
そうして、縁側の座布団の上に、生首が乗ることになった。
丁度いい位置にいるので、なんとなく、撫でてしまう。
「にゃー……、でござる」
「俺もヤキが回ったなぁ……」
左手の薬指に収まった指輪を眺めて俺は呟く。
「薬師殿、やくしどのー」
「なんじゃい」
「拙者を抱き上げてくだされ」
「なんだよ」
「お願い申し上げる」
「……しゃーねーな」
言われるがまま、俺は山崎君を抱き上げる。
山崎君は、締りのない笑顔を浮かべて俺を見た。
「今、拙者は薬師殿にほとんど包まれておりまする」
「そーだな」
面積的にはほとんどそうだ。
「今、拙者は貴方に全てを預けているのですな……」
「照れくさいから止めろ、山崎君よ」
「薬師殿」
「……なんだよ」
「アンゼロッテと」
「……アンゼロッテ」
「はい」
笑顔で返事する山崎君が、眩し過ぎる。
「貴方好みの女になりましょう。望むなら慣れぬ化粧も致します。全てを惜しみませぬ」
「……おう」
「代わりに、この生首女を生涯側に――」
俺は、半眼で彼女に返した。
「だ阿呆。今の生首女が一番いいんだよ」
「……そうでござるか。その」
「なんだ」
「浮気は許しませぬよ?」
笑いながら言われ、俺も苦笑で返す。
「浮気するなら、お前さんの体その二か鎧の方としてやろう」
「浮気相手には事欠きませぬな」
と、そこで体のほうに背後から抱きしめられる。
「はーれむでも築き上げましょうか?」
「ま、しばらくは首と体一つあれば十分だ」
「ぬ」
「どうした?」
「もう呼んでしまって候……」
がさ、と。
茂みから、背後のふすまから、床下から、その他諸々。
あちこちから大量に山崎君(体)が。
「なんつーか」
「なんでござりましょう」
「相変わらず怖いわッ!」
―――
というわけで番外山崎アンゼロッテ編でした。
返信。
男鹿鰆様
本編中最も幸せなのはきっと由壱なんだと思われます。
一人だけ競争から外れてスローライフを送る気ですきっと。彼女をコスプレさせたりしながら。
ちなみに由壱のメイド愛の性癖は藍音さんがいたせいで漏れました。そうでなければ秘された趣味として一人で楽しんでいたんじゃないですかね。
そして、どうでもいいですけどきっと葵は普段口ではツンツンしながら体の距離はべったりだと思います。
月様
彼女が自発的にメイドコスプレとかどれだけ恵まれているのか、由壱は。
そしてこれは間違いなく継続的に由壱が喜ぶという理由でメイドプレイが成されるんだと思います。
その内演技指導とか入って由壱の変態性癖が浮き彫りに。
でもきっとこれは間違いなく薬師よりも先に童貞を卒業すると思います。薬師は四桁も下の相手に……。
がお~様
なんだか先を越してしまったようです。
まあ、確かに藍音さんとばったり出くわし、そのまま指導に入るという案があったにはあったんですが。
どう考えても由壱が気味の悪い笑みを浮かべるだけなのがわかってしまったので書きませんでした。
しかし、由壱が俺はメイドのコスプレが好きなんじゃなくてメイドが好きなんだとか叫びだす人間じゃなくてよかったと思います。変態紳士で本当によかった。
通りすがり六世様
しかし今回も甘いのです。コーヒーがジャリジャリになるんです。
そして最近の由壱の耐久力は薬師並みになったんじゃないですかね。
葵の愛の鞭によって、毎日のように数トンのパンチに耐え続ける作業によって強靭な肉体に。これじゃあトラックに当たってもセーフなんじゃなかろうか。
完全に人としてアウトですね。ええ。どう考えても人間じゃないです。
napia様
もういっそ一週回ってガムシロップとか飲めば……、間違いなく吐きますね、はい。
まったくもって由壱周辺は平和ったらないですよ。もう既にアフターストーリーと化してますからね。
しかしもう由壱はSなのかMなのか。葵を弄るのは大好きだし、葵に殴られるのも好きな由壱の明日はどっちだ。
もうSとかMとか超えた新人類の第一歩を踏み出してしまったのかもしれません。
最後に。
結局首輪も嵌めました。