俺と鬼と賽の河原と。生生流転
布団の上で寝ている薬師の上に、馬乗りになる。
彼は呑気に眠り続けていて、起きる様子はない。
そんな彼の首に、憐子はそっと手を添えた。
まるで、その首を絞めるように。
そして、彼女は長い髪を垂らして、薬師の顔を覗きこむ。
それから、しばらく彼の顔を見つめ、ふっと彼女は微笑んだ。
首に添えた手を、憐子はそのまま頬へと持っていく。
「昔は殺したいほど愛していたんだがね……」
呟いた言葉は空気へと溶けて消える。
今は、生きている方がいい。
いや、正確には死んでいるが、動いて、笑っているのがいい。
「……なにしてんだ、憐子さん」
「起こしてしまったかな。いやなに、昔は若かったと思っただけさ」
もったいないことをしたものだ。と、憐子は口の中で呟いた。
きっと現世で思いとどまっていれば千年近い期間を共に過ごせただろうに。
逃した魚はでかい、そういう言葉を思い浮かべながら、今度は憐子は人差し指を立て、薬師の口端へと持ってくると強引に釣り上げる。
「何するんだ、憐子さん」
「なに、その仏頂面、笑わせてみたいと思ってね」
其の三十三 どうせなら笑顔で。
「憐子さんが、台所に立っている……、だと。世界が滅ぶぞ」
俺の視界には、何故か、エプロンを着けて何事かを行なう憐子さんの姿がある。
「心外だな。私だってキッチンくらい立つさ」
「いや、俺の記憶にはそんなの一度もないんだが」
「そうかい?」
「憐子さんのメシを毎食作ってたのは誰だと思っている」
「薬師だ」
「おーとも」
「ふむ、そうかそうか。お前に私の料理を見せたことはなかったかな?」
少なくとも、俺の記憶にはない。薄いのか、それとも俺の知らないところでやっていたのか。
「つーか、できたのかよ」
「何が?」
「料理」
「ほう、できないと?」
「思ってたよ。駄目人間だからな」
「手厳しいね。だが、できるよ。やればできる子なんだ、私は」
「やらないけどできるは一定の割合を越えたらできないに分類していいと思うんだ、俺は」
確かに、憐子さんは手際よく台所を動き回り、なんだか知らんがオーブンが稼動している。
なにを作っているか知らんが、中々にできる様子だ。
「で、どういう風の吹き回しだよ。もうどういう風が吹き荒んだら憐子さんが料理なんてするんだ?」
「相変わらず失礼だね薬師は。言っただろう?」
そうして、憐子さんは意味不明な言語を吐き出したのだった。
「その顔、笑わせてみようと思ったのさ」
「……なんでだ」
「そこに理由を求めるのはナンセンスだ」
つまりいつもの思いつきというやつか。
まあ、暇だしいいのだが。
それに、憐子さんの料理というものに興味がなくもない。
「ほら、丁度今、焼きあがったぞ」
ちーん、と前時代的な音を上げて、オーブンが回収を催促する。
憐子さんは可愛らしい桃色の鍋つかみで取っ手を握ってそれを取り出した。
それは、黄土色で市松模様、そして、バターの香り。
「んん? こりゃ、せんべ……」
「クッキーだよ」
「クッキーか。ああ、知ってる。知ってたぞ?」
「そういうことにしといてあげよう」
そして、そんな焼き立てクッキーが、俺の目の前にあった。
くっ、美味そうな匂い上げやがって。
そんな中、行儀悪く卓に座った憐子さんが一つクッキーを摘む。
「さ、召し上がれ」
にやりと笑って、彼女は俺の口元へとクッキーを持ってきた。
「ぬ。一人で食えるぞ」
「いいから」
押し切られて、俺は口でクッキーを受け取った。
「どうだい?」
「甘い」
「いいんだよ? 美味しさのあまり口を綻ばせても」
憐子さんが、顔を覗きこんでくる。
「それとも、本当にクッキーは受け付けないかい? 煎餅にすればよかったかな?」
そんな憐子さんに、俺はできるだけ不機嫌そうに言い放った。
「……美味い」
すると、憐子さんはくすくすと笑う。
「何がおかしいのか」
「いや、うん、なんていうか。ずるいなぁ」
「何がだ。俺としちゃ憐子さんのほうがずるくせーよ」
「いやあ、薬師はこんなに私をにやにやさせてくれるのに、不公平だなと思っただけさ」
「藍音じゃねーんだから、無表情ってわけじゃないと思うんだがな」
「いや、私が笑わせたいのさ。にやりとじゃなくて、嬉しそうに、あるいは楽しそうにしているのがいい」
憐子さんは、難しいことを言う。
「ほら、もう一つどうだい?」
「……おう」
餌付けされる鳥の役はお断りなので、今度は自分でとって食べる。
やはり、美味い。
「というか、生きてた頃もこんな腕なら、俺に作らせんでもよかったろうに」
そう言って俺は憐子さんから目を逸らした。
とても美味い。これが菓子限定でないならば、俺の料理よか美味いもんが作れるわけである。
「……拗ねてしまったかい?」
「いや、そこまで。でも味に不満はあったんじゃねーの?」
所詮俺の適当料理である。秤の類は使わない、目分量を全力で扱う料理である。
「ふむ、確かにまあ、それなりに料理はできるよ。女の子の嗜みとしてね」
「できれば他のところも嗜んで欲しいが」
「それは置いといて、だ。でも、私は薬師の料理を食べ続けた。それには深い訳がある」
「なんだよ」
作るのが面倒くさいから、だろうか。
それで我慢して食べていたのだと思うと、少し俺の矜持が傷付くが。
しかし、憐子さんは自信満々に、こう言った。
「それはね。お前の作る料理が、私の中では世界で一番美味しいからだよ」
対する俺は。
右手で憐子さんの目を覆うことにした。
「おっと、……手を外して、顔を見せてくれないかな?」
憐子さんが、にやにやと笑っている。
「目隠しなんてして。不意打ちでキスでもしてくれるのかな?」
誰がするかこの野郎。
……まったくいきなりこっぱずかしい事言い出しおって。
「誰がするか」
「じゃあ、手を退けてくれないか?」
「……見せられるかこんな顔」
「やっぱりずるいじゃないか。自分はそうやって見せてくれないくせに」
そうして、俺は憐子さんに付けた手を離す。
俺の顔は、いつも通りに戻っていた。
そして、クッキーを口の中に放り込む。
「おや、綺麗さっぱりなくなってしまった」
「おうとも、俺は部屋に戻るぞ。戻るからな。いいな?」
俺はとっととこの場を去ろうとする。
だが。
「おっと、実は、少し材料が余っていてね」
逃げ切れなかった。
今度は、二人で。
「生地に空気を練りこむ……!」
薬師は、そんなことを言いながら天狗の力でクッキーの生地に空気を混ぜ込んでいた。
「随分、手馴れているね。そういうの」
そういうの、とは無意味に人外の力を活用し料理を作る辺りだ。
「まあ、よくやってるからな」
その横顔は、楽しそうで。
「意外と簡単に、見せてくれるんだね」
「ん、どうしたよ」
「いや、何でも」
そう言って、憐子は追求をひらりとかわした。
「しかし、よく考えると誰かに料理を振舞ったのは初めてかもしれないな。私の初めてだよ、薬師、感謝してくれたまえ」
「初めてって、無駄技能もいいとこだなおい」
「いや、まあ、無駄にはならなかったよ」
憐子は、薬師に笑顔で言う。
「薬師に食べさせて上げられたからね。十分すぎると思わないかい?」
すると、また彼は、憐子の目を覆ってしまった。
「そーかい」
「そうさ」
照れている彼の顔を思い浮かべて、彼女は口の端を釣り上げるのだった。
―――
いよいよもって正念場です。
どっちに転んでも、終わったら終わったで少し余裕ができます。
そろそろ番外編も書きたいです。なんかこう、甘い奴が。糖分が不足しているんです。
返信
通りすがり六世様
馬力、っていうか馬、ブライアンでした。よく分からない方向に突っ走ってます、彼は。
暁御の目標は妥協しないこの夏でしたが、もう秋ですしね。秋は妥協の秋で行くみたいです。
そしてもう暁御は薬師と話ができただけで幸運みたいなもんですからね。
エンドまで行ったら幸運値全部使い切るんじゃないでしょうか、完璧に。
がお~様
もうそういう方向性で問題ない気がします。
それが売りということでここは一つやっていったほうが暁御的にもよろしいようなよろしくないような。
印象の上では間違いなくジャイ子の方が上ですね。はい。
一応暁御は最初期メンバーの一人ですけどね。実は大概のキャラより先に出てますよね。
月様
もういつものことと言うほかないですね、ええ。
まあ、そんな彼女だからこそ小さな事に幸せを見つけて強く生きていきます。
むしろ攻略するならジャイ子の方が早いんじゃないかと思わなくも無いですが。
その辺りは気のせいということでここは一つ。
黒様
お久しぶりです。
そして久しぶりの暁御でした。コメディー大目になるので書いてて楽しいんですけどね。
ちなみにサイコロは振ってませんが、コインの裏表で出すか出さないか決めることにしました。
今回は一発でしたよ。暁御としてはとても幸運だったのではないでしょうか。もう今年分使い切りましたね。
最後に。
うちにはオーブンそのものがないです。つまり焼き立てクッキーどころの話ではない。