俺と鬼と賽の河原と。生生流転
俺の前で、子供が泣いている。
「おいおい、どうしたんだ少年よ」
声を掛けてみるが泣いてばかり、どころか、大人の男である俺を見上げて、更に少年は泣いた。
どうやら、俺の外見は少年に威圧感を与えてしまうようである。
だが、これは参ったと言わざるを得ないな。
果たして何事かは分からないが、これで立ち去るのも薄情が過ぎるというものである。
「ぬぬぬ、しかし困ったぞ? 俺ではこの事態に対処できん」
最悪俺が泣かしたんじゃないかと周囲に勘違いされかねないような状況である。
事情を聞いて解決しようにも、少年は俺の話を聞いてくれない。
ならばどうする。誰か呼ぶか。
人を呼ぶ、それが一番建設的に思える。俺で解決は難しいようなのだから。
とすると誰を呼ぶか。暇そうな奴がいればいいのだが、今からでは如何せん、時間が掛かる。
ではすぐに来れるようなやつは……。
「ビーチェ、ビーチェー」
「あ、なんですか、先生」
手をぱんぱんと叩くと、背後の物陰から現れるビーチェ。
状況の打破のため、俺はあらゆる全てを黙殺した。
「悪いがこの少年と対話を試みてくれんかね」
其の三十四 俺と愛情表現について考える会。
どうやら、少年は大切なボールをどこかにやってしまって泣いていたらしい。
と、そこまで分かれば俺の出番である。
失せ物探しは俺の領分ということで、数分と経たずにボールは発見。少年に渡せば現金なもので、すぐに笑って少年は去っていった。
さて、これにて一件落着……、と言いたいが。
「せ、先生、こんなところで奇遇ですね」
「ああ、そうだな奇遇だな。例え休日ふと思い立って出かけたら後をつけられること三時間でも奇遇だな」
自分で言っておきながら、微妙な気分になってきた。
だがしかし、結局最終的には俺が呼びつけた訳である。
「……まあ、何かの縁ということでどっか行くか?」
呼びつけて手伝わせた以上は礼の一つや二つ、というものだ。
「え、い、いいんですか? 先生っ」
彼女が身を乗り出し、三つ編みがそれと同時に揺れる。
「どっか行きたいところは?」
「遊園地に行きたいです、先生」
「……何故だ」
「あそこに行くと、心が暖かくなるんです。思い出の、場所だから」
そーか。俺は背筋が薄ら寒くなるよ。思い出の場所だから。
「……とりあえず、却下でいいか?」
刺されたり、観覧車が倒れたり、巨大ロボットで暴れたり、というかそろそろ職員に刺されるんじゃないだろうか。
申し訳なさすぎて近づきたくなくもある。
「うん……、先生がそう言うなら」
すると、彼女の表情が曇ってしまった。
ぬう、いや、だが駄目だ。遊園地は駄目だ。絶対爆発する。
「他のところなら付き合うから、な? だから、そんな顔しなさんな」
「は、はい……。じゃあ、わがまま言っても、いいですか?」
「おう」
「じゃ、じゃあ、僕の家に、来てくれませんかっ!?」
「ん、それくらいなら構わんぞ」
遊園地じゃなければ大抵のところは着いていく構えだ。
むしろ家くらいならお安い御用だ。
俺はビーチェの後を付いて、彼女の家へと向かったのだった。
「……俺の写真が張ってある件に付いて」
しかも、撮られた覚えのない奴が。
「え? あはは、恥ずかしいなぁ、先生」
照れくさそうにしている彼女は今は俺にプライベートで接しているようで、敬語はなく。
「後、無駄に引き伸ばされたポスターとかな。ついでに、なんで半裸」
「それは、好きな人の写真だから……、飾りたくって」
そう言って頬を染めるビーチェは乙女っぽいがそういう問題ではない。
「うちの中の写真だけは不思議とないが……」
「あ、なんでか先生の家って防犯対策が厳重で」
藍音か、憐子さんか、大穴で銀子あたりに感謝しよう。
「あ、せ、先生、お茶、お茶しましょう!」
そして、何故か恥ずかしげにビーチェは言った。
俺の写真が数多く存在するこの部屋は落ち着かないが、しかし気を逸らせるだけましだろう。
俺はそう判断して、椅子に座ることにした。
「紅茶とかより、お茶のほうがいいよね?」
「ん、まあな」
ビーチェはイタリアの出身だったはずだからきっと紅茶の方が似合うのだろうが、わざわざ緑茶とせんべいを持ってきてくれた。
「先生、これ好きだよね……?」」
「好きだが」
そのせんべい、確かに好きだ。
好きだが。
「お前さんに教えたっけ?」
「え? やだなぁ、先生が言ってたじゃない」
「そういうことにしておこう」
気にするな俺。とりあえず茶でも飲んで落ち着こう。
「変わった味がするな、こりゃ」
「そうかな? 知り合いからもらったんだけど」
苦いけど緑茶の苦味じゃないぞこれは。
一体なんだ。
「おせんべいもどうぞ」
「おう」
せんべいは塩気が強く茶が欲しくなる。
そのせいで、あっさり茶はなくなった。
「お代わりは、どうかな……?」
「悪いがもらえるか?」
別に味は良くないが、塩気に対してはやはり欲しい。
すぐにビーチェが茶の代わりを出す。
そして、三杯目を飲み干したところ。
「ところで、調子はどう、かな?」
「ん、至って健康だぞ。最近は事件もないしな」
「そうですか……。おかしいなぁ……、象を一滴で痺れさせるお薬を原液で使ったのに」
「混ぜ物ですらない!?」
なんて事をいきなり暴露しおったのだこの子は。
せめてお茶に混ぜろよ。そして気づけよ俺。
「出所は?」
「下詰っていう人から……」
「あ、こりゃやばいわ。詰んだ」
普通の薬なら簡単には効かん自身があるが、下詰のと来たらこれは不味い。
丁度聞いてきたようで、指先から痺れが回ってきた。
つかやばい、飲みすぎた気がする。眠たい。
「ああ、先生っ……、せんせい……!」
そんな声に呼ばれて、目が覚める。
俺は何故か、首筋を舐められていた。
「ぬ、くすぐったいぞ」
「あ……、起きたんだね、先生」
ビーチェが、微笑む。
「で、これはどういう了見だ」
「イタリアでは日常茶飯事です、先生」
「イタリアに謝れ」
どう考えても風評被害だそれは。
「で、わざわざ何だ。力尽くで手篭めに来たか」
「え?」
「えってなんだよ」
「だ、男女ってこうして愛を伝えるものじゃないの?」
ビーチェは当然のようにそう言った。
「……いや、ないだろ。ないよな?」
「え? もしかして、ちが、え?」
まさかビーチェよ、痺れ薬飲ましてからが普通の愛情表現だと?
「せ、先生!」
「なんだ!」
「これは間違いなのっ?」
「はい!」
「じゃ、じゃあ……、一晩中ぺろぺろするとかも?」
「はい! 誤りです!」
「ええ!? それじゃ、一晩中愛してるって囁き続けるのも?」
「怖いわ!」
「そんな!?」
そんなじゃねーよ。どんなだよ。
「で、でも!」
「でも?」
「もう後には引けないから……!」
なんと。
ビーチェが俺へと迫ってくる。
いやまて落ち着けこれは不味い。
着崩れた学生服に、清楚な雰囲気、見る人が見れば扇情的だろうが、俺には通用しないのだ。
だから、このまま勢いでどこぞに流れ着く前に逃げろ俺。
痺れはほとんど残ってない。後は、ビーチェに対して手加減をするだけだが、果たして痺れの残った体で相手して手加減が効くだろうか。
突き飛ばして壁にめり込んでというのは御免だが、しかし不味い、ビーチェは既に眼前に――。
「ビーチェっ、ビーチェ!」
「なぁに……? 先生」
彼女の唇が艶かしく動く。
俺ははっきりと、その彼女へと言った。
「ステイ!」
「わん!」
……助かった。
「おすわり!」
「はい!」
元気一杯、笑顔でビーチェが俺の前に座り込む。
俺は上半身を起こしてビーチェと向き合った。
「あっ!」
そこで、ビーチェは失策に気がついたらしい。謎のビーチェの犬っぷりに救われたぜ。
「なあ、ビーチェ……」
「あ、あぅ、ご、ごめんなさい、すみません! ぼ、僕……」
怯えるように、ビーチェが俺を見る。
そんなビーチェに俺は手を伸ばし。
「ひぅ……!」
抱きしめることにした。
「……まあ、わからんなら、しゃーねーわな」
ビーチェがろくでもない生き方をして来たのは俺の知るところでもある。まともな恋など初めてかもしれない。
それで右も左も分からんのだとすれば、まあ、俺と変わらない気もする。
「あっ……」
「俺だって人のこた言えんしな。この際、全部俺に試せよ」
覚悟がいるが、しかし俺もビーチェに告白され答えを保留している身である。
これぐらいの返礼はむしろ、当然だ。
「ただし、否を返したらやめてくれ。それで、一個一個確かめりゃいい」
「い、いいの……? 先生……」
「できればお手柔らかに頼む」
そう言って、俺は彼女から腕を離したのだった。
「じゃ、じゃあ……、好きな人への料理に爪は……」
「いや、無いから。日本にもイタリアにもそういう文化はないから」
「そう、なの……? じゃあ、どうしたら?」
つっても、俺も詳しくないのである。
「……日本式に言うなら、月が綺麗ですね、というらしいぞ」
「今日は、曇りだよ?」
「ならしかたない、黙って抱きしめろ」
「こ、こう、かな……?」
「……うーむ、まあ、ましなんじゃないか。さっきのよりは」
以来、やたらとビーチェが後ろから抱き着いてくるようになったが、仕方ないということにしておこう。
―――
ちなみに、薬師は閻魔料理の服用により薬物耐性上昇中。
返信
通りすがり六世様
まあ、できるけれども、してもらいたい、というか薬師に構ってもらいたいのが半分だと思います。
薬師が居ない頃からしてないのは料理をしても食べる相手が居なくて自分だけじゃ空しいという。
ついでに、余裕たっぷりにひらりとなんでもなさげに出すのが憐子さんの美学のため、ほとんど表に出てくることはないスキルは数多埋もれてます。
基本的に『こんなこともあろうかと』で出すから、こんなことが起きるまでずっとお蔵入りです。でもきっと多分薬師が怪我やら病気やらだった時には粥とか、祝い事の料理の時とかにはこっそり作って出してるんじゃないかと思います。自分のとは言わず、美味しそうに食べるのを見てにやにやしながら。
wamer様
何故か攻略されてました。いつもとは反対の方向性でしたね、前回は。
憐子さんは、やればできる子、ただしやらない子のカテゴライズです。器用に大抵のことはできます。
でもダメ人間で問題ないと思います。やらないでもできないでも結果は一緒ですし。根がダメ人間なんです。でもダメにしたのは薬師かもしれません。
まあ、どう考えたって薬師は現世に居ても女の子引っ掛けるっていうか現世から引っ掛けてますが、一応当時としては薬師の初恋は憐子さんだったんじゃないですかね。うやむやのまま憐子さんが死んで千年経って今はあれですけど。
最後に。
ちなみに薬師が寝ている間に隠し撮りが増えました。